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中村一氏
본문 표기 一氏・中村式部少輔一氏・式部少輔一氏・中村
小出 第十上 · 1
- p002…田城を賜ひしとぞ、按するに岸和田を賜りしは天正十二年の後なるべし、夫迄は中村式部少輔一氏、此城に在りし事、創業記に見えたり、今彼城に殿守あり、所の者申すは昔此城…
中村 第十二上 · 21
- p001…伯耆守忠一は姓いまだ詳ならず式部少輔一氏が男なり、一氏父孫平次一政と共に年ころ豐臣太閤に仕へ初め和泉國岸和田の城…
- p001…伯耆守忠一は姓いまだ詳ならず式部少輔一氏が男なり、一氏父孫平次一政と共に年ころ豐臣太閤に仕へ初め和泉國岸和田の城を賜ひ、…
- p002…天正十二年一氏此城に在て、根來の者共襲ひ來りしを打破りし事、創業記に見ゆ、其他見る所な…
- p002…此ころ孫平次一政は死せしならん、太閤記等に十三年の春根來寺を亡されし時の中村は、一氏にあらずや…
- p002…平次一政は死せしならん、太閤記等に十三年の春根來寺を亡されし時の中村は、一氏にあらずや…
- p003…天正十三年七月近江國水口の城に移る、一氏一生の高名多き中にも、同き十八年北條を討たれし時、山中の城の先登し忽に城…
- p003…賜り、我身は國府の城に在て舍弟彥右衞門尉一榮して、沼津の城を守らしむ、一氏十二万二千二百石一榮に三万石をわかつこれ內々は德川殿關東に移らせ給ひ…
- p003…千二百石一榮に三万石をわかつこれ內々は德川殿關東に移らせ給ひしかば、一氏して其境を守らせ給はん爲なりけり、一氏も某かくて候はんには、關東の事は何…
- p003…々は德川殿關東に移らせ給ひしかば、一氏して其境を守らせ給はん爲なりけり、一氏も某かくて候はんには、關東の事は何の御心にかゝらせ給ふ事も、あるまじきに…
- p003…申せしとこそ聞えたれ、されば德川殿も假初の御鷹狩にも、彼境をば避け給ひ又一氏も境をば接しながら、敢て隣國の好をも通せず、太閤薨し給ひなん年の七月、中…
- p003…の政務に預りぬ、幾程なくて大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參らせ、一氏初め故太閤の仰を承り關東を鎭めんがため…
- p003…行人、德川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參らせ、一氏初め故太閤の仰を承り關東を鎭めんがため我國を守る、されば人臣の義、方外の…
- p003…故に、年頃無禮を顯しぬ、敢て君に向て怨を結ひ參らせんにはあらず、殊には又一氏身既に煩はしく、愚息猶幼けなし、幸に我國御領に隣り候へば、一氏が無らん跡…
- p003…、殊には又一氏身既に煩はしく、愚息猶幼けなし、幸に我國御領に隣り候へば、一氏が無らん跡にも必君に依て我家の安否を謀るべしと、兼て一族郞等らに戒め侍り…
- p003…べしと、兼て一族郞等らに戒め侍りき、然るに今思はずも斯る御大事を承りぬ、一氏に於ては御方として、敢て二心を存ず可らず候とぞ申ける、德川殿聞召され子息…
- p003…、如何で恨を殘すべき、今又承る所の如き、悅び思ふ所なりと答へさせ給へば、一氏大に悅びて同職の輩と善きに計ひ參らせし程に、事既に平らきぬ、慶長五年の夏…
- p003…きぬ、慶長五年の夏德川殿、上杉中納言御追討あらんとて奧に下らせ給ひし時、一氏既に病の床に臥して、おのが城にあり、德川殿途より村越茂助直吉を御使にて、…
- p003…が家を假の御館として樣々の御設けし、我身も輿にかき載せられて御館に參り、一氏重病に犯されて此度御供に侍はぬこそ遺恨に侍れ、子息いまだ幼なし、舍弟一榮…
- p003…出物多く賜て出で立たせ給ひぬ、舍弟彥右衞門一榮沼津の城にて御儲し、やがて一氏が軍勢ひきゐて御跡に從ひ參らす、一氏幾程なくて卒しぬ、上方の軍起りしかば…
- p003…右衞門一榮沼津の城にて御儲し、やがて一氏が軍勢ひきゐて御跡に從ひ參らす、一氏幾程なくて卒しぬ、上方の軍起りしかば、一榮又海道より馳せ登りて、犬山の城…
- p003…せ登りて、犬山の城に向ひ大柿の城を落す、關が原の合戰終てのち、此年十一月一氏が子息わづか十歲、伯耆の國を賜る、十七万五千石彼亡父が志に報い給ふ…
生駒 第十二上 · 1
- p001…れ再軍起りしには、息男讃岐守一正朝鮮に渡てけり、太閤薨し給はん年の七月、中村式部少輔一氏堀尾帶刀吉晴、親正と同じく中老の職になさる、大坂の奉行等、德川殿と不快の…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히