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志摩鳥羽城
본문 표기 鳥羽の城・志摩國鳥羽の城
內藤 第四中 · 1
- p003…五歲にして大納言家の大猷院殿七歲の時御傅になされ、寛永十一年十一月志摩國鳥羽の城を賜ふ、三万五千石を領す、今迄は一万五千石なり、承應二年四月廿三日…
九鬼 第九上 · 7
- p003…死しければ、右馬允嘉隆、家繼き、伊勢の國に取つても、南方九頭の中となり、鳥羽の城にぞ住けしる、去程に、織田上總介信長、伊勢國を隨へんと永祿十二年の秋、尾…
- p003…でろ德川殿を恨み參らする事を、知てければ、頓て彼に牒狀す、嘉隆まづ子息が鳥羽の城を奪ひ、賊船を催し、東海の津々浦々に押入て、兵粮おし取て、美濃尾張の城々…
- p003…おし取て、美濃尾張の城々に籠め、紀伊國新宮の住人堀内安房守氏喜を呼迎へ、鳥羽の城を守せて、我身は稻葉藏人が岩出の城に押寄たり、長門守守隆、東國の味方とし…
- p003…城に押寄たり、長門守守隆、東國の味方として、夜を日に繼て、本國に馳歸り、鳥羽の城に使立て、言を盡して請けれども、城をば終に返されず、守隆力及はずして畔名…
- p003…軍悉くに破れしかば、嘉隆新宮に伴ひて、紀伊國へぞ落行きける、長門守守隆、鳥羽の城に入て、頓て大坂に趣き、德川殿に見參し、池田輝政に付て、守隆が勳功の賞に…
- p004…初め長門守守隆、奧の御陣に隨ひし時、家のおとな豐岡五郞右衞門と云者して、鳥羽の城を守らす、嘉隆が石田に組して、城奪はんとせし時、豐岡も、さすがに敵し難く…
- p007…守隆卒して後、彼家の本領鳥羽の城、直隆に賜はり、寛永十年、攝津國三田の地に移る、丹波の地共に三万六千…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히