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木村吉清
본문 표기 木村・木村伊勢守・木村彌一右衞門尉・木村父子
伊達 第七下 · 4
- p009…、色々の饗應事終り、自ら茶點して賜ひ、政宗を先き立てゝ、陸奧に下り給ひ、木村伊勢守をして、政宗が手より會津の城を受取しめ、會津仙道、幷に越後の國小河の庄、…
- p009…の國小河の庄、凡そ十二郡の地、蒲生飛驒守氏郷に賜て、奧羽兩國の守護とし、木村伊勢守父子に、葛西大崎の地を賜ひ、氏郷に副らる、關白都に歸り給ひし後、此年の冬…
- p009…らる、關白都に歸り給ひし後、此年の冬葛西大崎の地、此處彼處逆徒蜂起して、木村が城々攻め落さると聞えければ、氏郷急ぎ政宗に牒し合せて、軍勢を率ゐ馳向て…
- p009…〱ければ、まづ政宗が伊達信夫刈田柴田等の郡をば、氏郷が此度の勳賞に賜ひ、木村が葛西大崎の地を沒収して、政宗に賜ひ、天正十九年の六月、暇賜て、國に歸へ…
上杉 第八下 · 9
- p013…同き十二年、羽柴筑前守秀吉、越後國柏崎妙樂寺の僧に、日蓮宗の僧なり木村彌一右衞門尉を、副使として、音信を通じ重て又木村を使として長く兩家の好み結ふべき由の…
- p013…に、日蓮宗の僧なり木村彌一右衞門尉を、副使として、音信を通じ重て又木村を使として長く兩家の好み結ふべき由の起請文、書きて送らる、又越中の佐々が…
- p013…景勝助け給はずんば、秀吉が幸、何事か、是に過くべきとぞ申されける、景勝、木村に向て、去りし年、景勝、成政が爲に、魚津の城を落さる、當時は、國中の亂を…
- p013…攻め落し、戶山の城の此方なる滑川の邊に攻め入り、此處彼處放火して引返し、木村を召て、おことが見たらん樣、秀吉に語て、景勝北國打隨へんこと、いと安し、…
- p013…任せられし後とす、誤れるか九月十三日辰刻斗りに、秀吉石田治部少輔三成、木村彌一右衞門尉、只二騎を具して雜兵僅三十八人、越後國落水の城下に來て、此城を守るなる須…
- p013…下に來て、此城を守るなる須賀修理が許に使を立て、上杉殿へ秀吉の使として、木村これまで參りたり須賀殿に參會して申べきこと候とぞ云せける、須賀頓て商人の…
- p013…つ、德川殿の御勢、利なくして、終に引返せば、越後の勢も歸りけり、同き冬、木村又關白の御使として、越後國に行向ひ、景勝を初として、宗徒の侍大將等に、物…
- p013…城なり明れば、天正十四年、關白に參るべしと聞えしかば、秀吉大に悅て、又木村を使として、色々の物贈り給ふ、景勝、木村と打連て、五月十一日に越後を立ち…
- p013…しと聞えしかば、秀吉大に悅て、又木村を使として、色々の物贈り給ふ、景勝、木村と打連て、五月十一日に越後を立ち、石田增田大谷、北陸道に下りて、此處彼處…
蒲生 第十二上 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히