八月十七日、高野聖方々にて搦捕上け可㆑申旨被㆓仰出㆒、其子細は攝州伊丹窂人內一兩人彼山に在と聞召て、急き出し可㆑申旨使者を以被㆓仰遣㆒ける所、返事さへ不㆑申、剩使者上下共廿餘人討果之條、不㆓相屆㆒旨御腹立有て、方々被㆓仰觸㆒けれは、高野聖を數千人搦捕引來る、其誅罰の有さま哀也、自㆑昔高野山聖諸國へ下時、我と宿取ることなし、於㆓路巷㆒宿かや〱と呼る、心ある人は不㆑寄㆓上下㆒宿をかす、若宿なけれは、其まゝ路頭に明す、信長今年聖殺害し給より此事なし、信長果給て後も、是より已來如㆑元呼る事なし、たゝ如㆓旅人㆒宿をとる、殊に今は如㆓商人㆒、衣類已下色々之物を持來て令㆓沽却㆒、少の坊をももたる聖は、笈をも不㆑持馬上にて國を令㆓上下㆒、何も遠㆓大師の掟㆒乎、