同二日、山崎源太左衞門己か家火を掛、山崎へ引籠、蒲生右兵衞屹と思案して、信長の公達女房達、皆日野へ退申さんと呼㆓迎馬㆒、翌朝三日各同道申、古鄕日野の谷へ引退、女房達被㆑申けるは、色々の寶物敵物にならんこと無念也、蒲生取給て後火を被㆑掛候へとの儀也、蒲生答云、其は欲に耽けるかなと後難如何とて一色も不㆑取、家屋をも不㆑燒、森の二郞左衞門に能々可㆑守と云置、爰迄は淸潔後日には少心違けるか、又は策か、明知へも無音にはなかりけるか、後には其事を布瀨藤九郞か科にして、藤九郞を牢人させられける、此藤九郞は蒲生右兵衞聟也、又尾張國の水野監物は則從㆓明知㆒、翌日明知安土殿守へ上りし時も伴ける、時の人非人とて惡㆑之、明知果て後、終に監物は牢人也、抑明知日向守光秀は一僕の者、朝夕の飮食さへ乏かりし身を、信長取立給、坂本の主として、其上丹波國一圓被㆑下、かゝる不思議存立事不㆑及㆓是非㆒次第也、忽蒙㆓天責㆒、同十三日に相果、跡方なく成、于時明知歲六十七、