十二月、秀吉公三川國爲㆓鷹野㆒下向給、至㆓于禽獸㆒三萬之物數持せ御歸洛也、京堺井大坂1町人、素公家武家從㆓其人々㆒普被㆓配當㆒、大和大納言死去已後、多武嶺且々寺僧還住、但寺領は前々の十物一2也、是は此度大納言逝去の事、蒙㆓大織冠之罸㆒之由、時之人云㆑之間如㆑此と云々、
- 誤植京堺井大坂 — 底本「京堺井大坂」。「京堺幷大坂」の誤植か(同頁の他所は「幷」)。
- 誤植十物一 — 底本「十物一」。「十分一」の誤植か(多武峯の寺領が従前の十分の一になったという文意。同書卷二の別記事にも「十分一」「五十分一」が見える)。