十八日、大御所出京下給、此日永原、十九日彥根、廿日朝雨、及㆑晚休止之間、柏原迄御出、廿一日岐阜、其夜鵜飼見物し給、鵜數百二十集けれ共、鮎はちいさき茶椀の葢に一つもとらす、廿二日、家康公加納へ御成、其日名護屋迄御出、廿三日、大御所名護屋御立、熱田宮より舟にて下給、其日東風烈吹て、舟不㆑任㆓進退㆒、希有にして野間邊へよせけるか、言語道斷不自由さ無㆓云計㆒、廿四日、今日も又東風、ちたの郡へ御舟をよす、廿五日、三河國むろへ舟をよせ、俄の事なりけれは、人馬もなくして不自由也、下々の女房なとは、步行にして吉田へ行けると也、御供の上下男女舟に不㆑醉はなし、大御所索醉不㆑給、右兵衞主常陸主もさして醉不㆑給となり、