於㆓江戶㆒徒者集り、人を切事無㆓斷絕㆒、六月廿八日柴山孫作上口奉公の人也、彼者共を一人成敗しける處に、彼黨類孫作所にも奉公して有けるか、我類を被㆑切けるとて、則主の孫作を切殺、江戶中にも彼徒者三百程有けると云々、諸國に奉公して居ける者共、合三千人と云々、此中江戶にて有㆓穿鑿㆒、九十人程搦捕籠へ被㆑入、彼孫作切候者は、小者にて候つるを取立、侍にして懇切しけるに、忘㆓重恩㆒主の頭を切事、不㆑及㆓是非㆒次第也、則彼者を生捕、類を被㆑尋けるに、大將分は大鳥居いつ兵衞、大風嵐の介、大橋すりの介、風吹はちり右衞門、天狗鄕右衞門なとゝ云名也、則彼任㆓白狀㆒被㆓相尋㆒、悉搦取被㆑行㆓成敗㆒、さて京都へ有㆓下知㆒、大坂堺其外國々を彼一類成敗可㆑有由也、依㆑之無緣の者には、此比宿を借事なし、旅人爲㆑之迷惑す、彼いつ兵衞すまうをも能取、兵法をも能つかう間、若衆かふきとはしらす近付けるを、被㆑行㆓罪科㆒、國々へ被㆑遣、穗坂長四郞越後衆被㆑預㆓村上周防㆒、坂部金太夫同越後衆溝口伯耆被㆑預、岡部藤次奧州被㆑預㆓南部㆒、米津勘十郞同奧州被㆑預㆓津輕㆒、佐平次佐渡被㆑流、彼かふき共の傍輩、徒者と不㆑知して別而近付ける者に、かふき者の中、去五月喧嘩して死けるを葬んとて、無㆓等閑㆒傍輩に其事とは不㆑云、無緣の者死ける間、結緣のため代物少合力候へとて樣々云ける間、無㆓何心㆒代物少出しけるを、號㆓其一類㆒して被㆓成敗㆒、此者共無㆑罪して死をかうむる、迷惑なりし事共なり、