此
石見守と云は、
甲斐國武田に住したる
大藏大夫道入子末子也、
家康公甲州を入手
㆑給し時より、自然の氣相にて、近く祇候しけるか、知行方又は金山等之儀に付、利方に能立入けれは、仰
㆓大久保相摸守㆒出
㆓名字
㆒、號
㆓大久保石見守㆒、扶助座頭成
㆑官、此事末代の珍事也、親の代に道の方を捨士に成しは、加樣の儀も不
㆑苦歟、我一世に士に成たりしをは、座頭之法に盃をだに不
㆑飮儀也、然處右之通背
㆑例、
石見守座頭に成、官儀曲事之由座中へ依
㆑仰、惣檢校を始、檢校公當三十人餘、
駿府へ
七月下、それより
八月之比は
江戶へ下、彼地に在留す、然共不
㆓相濟
㆒と云々、