於㆓江戶㆒大御所の爲㆓御意㆒、里見讃岐守被㆓改易㆒、是安房國主安房守伯父也、是は日比無奉公也、弓氣多源七郞久貝忠三郞從㆓大御所㆒勘當、是は先年伯耆國中村一學死去之時、爲㆓上使㆒被㆑遣、彼一學遺跡被㆓召上㆒、諸道具を如何可㆑仕旨、江戶言上之處、幸大久保石見守石見國へ下時分成けれは、石見方へ可㆓相渡㆒之由、將軍依㆓下知㆒儀歟、江戶年寄中より狀を遣候間、任㆓其儀㆒石見方へ相わたし、此義を今曲事之由曰如㆑此、鵜殿兵庫も就㆓此義㆒改易にて、厩橋に被㆓預置㆒、種々嗷問有けれ共、別なる白狀もなし、さてさし繩にて身をかりけ、そらよりをろしなとしけれとも、申旨もなしと云云、さて死す、又古中村一學年寄共、駿府に三人近年相詰候へるか、是も同改易也、又古金阿彌子も改易し給、是も大御所の御意也、佐々淡路守兄弟、近年在駿府しけるか、兩人なから此度改易也、是は信長秀吉二代の鷹の上手也、依㆑之大御所も信長の時より被㆑加㆓懇志㆒し者也、