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太田資正
本文表記 三樂・太田美濃守資政入道三樂・美濃守資政入道三樂・太田美濃守資政・太田美濃守資正
太田 第六 · 4
- p006…るに、永祿七年鴻臺の軍の後、房州に落行きしなるべし、夏目が記を按ずるに、太田美濃守資政入道三樂は、道灌四代の嫡流にして、源六郞康資入道武庵は、道灌が舍弟の四代の孫なり…
- p006…に道灌の子孫たり、其家の系圖誤るべきにあらず、疑ふべきにあらず、去ながら三樂が、後に常陸にてまうけし子太田安房守といふは、三河守殿に仕へて、越前國に…
- p007…其子新六郞重政、父死して後、一族美濃守資政入道三樂と共に、三樂は重政の母方の叔父か佐竹家に仕へ、天正十八年北條亡ひし…
- p007…其子新六郞重政、父死して後、一族美濃守資政入道三樂と共に、三樂は重政の母方の叔父か佐竹家に仕へ、天正十八年北條亡ひし後、始て德川殿…
里見 第十二上 · 1
- p003…ると聞て、正木大膳亮に軍勢附けて上杉に加勢し、同き七年正月武藏岩槻の住人太田美濃守資政を助けんとて、二千餘騎を引率し鴻の臺に出て向て、北條氏康氏政父子と戰ふ、…
成田 第十二下 · 1
- p003…長泰自ら向て其城せめ破つて捨つべしとて、子息氏長と共に盃尾の城に押寄す、太田美濃守資正上杉に力を合せて後卷す、長泰思ひも寄らず前後の敵を防きかね、散々に打成さ…
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