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最上義俊
本文表記 義俊・源五郞義俊・最上源五郞義俊
福嶋 第十二上 · 1
- p010…十大夫等の御使番を副られしなり此時關東には松平下野守殿蒲生殿の御事最上源五郞義俊等の大名留りて守る、正則が振舞によつて、彼館攻めらるべきよし仰せ下されし…
最上 第十二上 · 8
- p004…とて、御跡に留めらる、幾程なくて元和三年三月六日三十六歲にして卒し、其子源五郞義俊十二歲にして家を繼ぐ、家人等が相論の事起て、國穩ならざれば同き七年十月近…
- p005…彈正米津勘兵衞御使を承て、出羽の國に下向し、家の老九人心を一つになして、源五郞義俊たすくべしと仰せ下さる、山野邊右衞門大夫鮭延越前守二人申しけるは、今仰せ…
- p005…し、抑も最上の城といふは、陸奥出羽越後に交りて東國第一の要害たり、然るに義俊いまた幼弱にして、家人等が間又心よからず、如何で此所を守るべき、義俊成長…
- p005…るに義俊いまた幼弱にして、家人等が間又心よからず、如何で此所を守るべき、義俊成長に及はん迄は、暫く國を献るべしとて、近江の國に移されしなり、又一說に…
- p005…に初め島田米津御使として下向せし時、鮭延越前守二人に就きて密に訴へしは、源五郞義俊は天性愚かにして身又煩はしければ、家繼ぐべき器にあらず、故出羽守義光が子…
- p006…其後義俊身常に煩はしく籠り居て、寛永八年十二月廿六歲にて卒し、其子刑部義智わづか…
- p007…井伊掃部頭直孝內藤志摩守忠重、義智が家人等を召て、義俊の息男いとけなし、所領の地半を、返し奉らん事を申すべしと云ければ、其旨に…
- p007…し、所領の地半を、返し奉らん事を申すべしと云ければ、其旨に任かす、さらば義俊の領せし地近江國ならんにも、又三河國ならんにも、望に從て賜ふべしとありし…
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