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有馬直純
本文表記 直純・左衛門佐直純・左衞門佐直純・有馬が父子・有馬父子・直純父子
有馬 第九下 · 18
- p005…に隨ひ、鎭西の人々、又是より皆本國に押戾す、晴信我身は本國に止りて、子息直純に、二千餘人附て、小西が水俣の城を攻む、關が原の軍終て後城の大將、腹切て…
- p005…原の軍終て後城の大將、腹切て士卒の命を乞ひしかば、晴信其城をば取てけり、直純を關東に參らせて、其由を申ければ、晴信が振舞神妙なりとて、本領を安堵す、…
- p007…明れば十五年十一月嫡子左衛門佐直純、駿河の國府に來て、大御所に見參す、直純は關東に參りて、近習すること年を…
- p007…明れば十五年十一月嫡子左衛門佐直純、駿河の國府に來て、大御所に見參す、直純は關東に參りて、近習すること年を經しと云ふ、思ふに、質子として參らせしに…
- p008…折節大御所の御曾孫にて、御養君なりし姫君、ひとり住みし給ひしを、直純迎へ參らすべしと仰ありしに、謹て領承す、悅ばせ給ふこと斜ならず、頓て倶し…
- p010…同十七年三月廿三日、修理大夫晴信、罪あつて、甲斐國都留の郡に流さる、其子左衞門佐直純、坐ゆるされて、父が所領を賜る、…
- p011…に、曾て存知仕らざる由を、陳じければ、正純此由を大御所の御聽に達す、頓て有馬が父子、召上せられ、大八と對决に及びしに、晴信大八が數通の書を、參らせし上は、…
- p011…けられ、甲斐の國に流され、大八をば、阿部川の邊にて磔罪に行はる、晴信が子左衞門佐直純には、父が所領賜りて、本國に歸さる、創業記には、此年五月、晴信配所にて誅…
- p012…十九年七月、直純日向國縣の城を賜る、一万三千石を加て凡五万三千石家人等、累世の故鄕…
- p012…者、一人もなし、山口駿河守、大御所の御使として、有馬の城に馳せ下る、終に直純を縣の城に移す、…
- p013…創業記に、直純が家人等、皆西洋天主の法を守て、此所を去る事を願はざりしかば山口を御使に…
- p013…天主の法、盛に行れしかば、有馬の家人等も、其風俗に習ひ、邪法を行ふ、故に直純他國に移らん事を、望みしに依つて、日向國に移されし程に、家人等斯く移る事…
- p014…年の冬、大阪の軍起りしかど、鎭西の人々は、參るに及はず、寛永十四年の冬、直純が舊領、島原の地に、賊徒起りて、追討の御使を下さる、…
- p016…年正月十六日、鎭西の大名等、本國に馳せ歸り、賊徒誅伐すべき由、仰せ蒙る、直純急き馳せ下り、子息藏人康純と共に、軍勢を引具し、馳せ向ふ、同二月廿七日、…
- p016…郞等一人引具し、先を駈け、水野美濃守勝俊と、先を爭て、詰の城に攻め入る、左衛門佐直純、軍勢を引率して、押寄せ攻め破らんとぞ進みける、追討の御使松平伊豆守信綱…
- p016…攻め破らんとぞ進みける、追討の御使松平伊豆守信綱が使、七八度に及ひし後、有馬父子、先陣を鍋島に讓て引返し、明れば廿八日に、終に城をば攻め破る、兩日の戰に…
- p016…先陣を鍋島に讓て引返し、明れば廿八日に、終に城をば攻め破る、兩日の戰に、直純父子が手の兵、疵を蒙る者三百八十人、討死は三十人とぞ記されたる、藏人康純、父…
- p016…る、藏人康純、父に繼く、五万石舍弟八兵衞元純、所領分つ、三千石○直純卒せし年月未た聞かず康純また左衞門佐に任し、延寶七年十一月廿七日、致…
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