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桑山重晴
本文表記 法印・治部卿法印宗榮・宗榮・修理大夫重晴・宗榮法印
桑山 第九上 · 10
- p001…修理亮藤原一晴は、治部卿法印宗榮が嫡孫なり、初め結城七郞朝光十二代の後胤、美濃國土岐郡の住人修理大夫貞久…
- p002…貞久七代の孫修理大夫以則、尾張國神守の城に在り、其子修理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印には成されしなり、宗榮初め豊臣秀吉、…
- p002…久七代の孫修理大夫以則、尾張國神守の城に在り、其子修理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印には成されしなり、宗榮初め豊臣秀吉、未だ江州長濱の…
- p002…、其子修理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印には成されしなり、宗榮初め豊臣秀吉、未だ江州長濱の城に、おはせしより、其家に伺候して、秀吉と柴…
- p002…言秀長に附られて、所々の戰に高名して、紀伊國和歌山の城を領す、三万石〇法印始て此城を築て住せしと云文祿四年、關白秀次の事ありし時、伏見の城を守…
- p002…は泉州に在と云嫡子九郞五郞一重は、生年廿二歲にして、竹田の城に死す、法印致仕の後、嫡孫なれば、一重が子修理亮一晴に、所領の地を讓り、但馬竹田并…
- p002…めし時、一晴後卷して、敵を破る、同き五年の秋、上方の軍、起りし時、祖父の法印と共に、關東の味方して、和歌山の城を守り、德川家の仰を請て、新宮の城に向…
- p002…の首取て、御感に預る、一晴が跡を繼きし年八月叙爵す、同き十一年十月朔日、宗榮法印八十歲にして卒す、大坂の兵起りし時、一直大和國より馳向ひ、河内國譽田に於…
- p002…卒せし後、故有て所領三千石减せしと云、其實を知らず、伊賀守藤原直晴は、治部卿法印宗榮が二男、紀伊國和歌山の城を讓らる、一万六千石を領すと云慶長五年の秋…
- p002…の城賜て移る、二万六千石を領すと云然らは一万石加へ賜りしなるべし法印隱居料として一万石を分つと云ふ大坂両度の戰に隨て、首數多切て獻る、…
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