人物索引 › 相馬利胤
相馬利胤
本文表記 利胤・大膳亮利胤
相馬 第八下 · 8
- p001…を見るに、兩家共に相馬次郞師常より出たり、されども傳ふる所、大に異なり、大膳亮利胤が家に、傳へし所は、本文の如し、小次郞貞胤が家に傳ふる所は、平將門十二人…
- p001…某が見たりし書、傳寫誤れるなるべし、其家に問ひ糺すべき事なり○按ずるに、利胤が家に傳へしは、將門より師常に至るまで七代なり、貞胤の家に傳はるは、十一…
- p001…時に至て、二百年には、遙に超えたり、此內たゞ七代と云ふこと、覺束なし、又利胤の系圖に師常が子義胤が後、胤綱に至るまての間、定かならぬ由を載せたり、貞…
- p001…し此事誠ならんには、師常より先に、千葉の家にて、相馬を名のりし事あれば、利胤の家の說も、據所あるべきにや…
- p003…かは、時に台德院殿大相國、未だ右近衛の大將にてましますなり義胤が子大膳亮利胤を召出され、本領を下し賜りぬ、奧州中村の城六万石なり…
- p004…て罷出づること長き佳例となりにけり、其後政宗は、井伊掃部頭直孝を媒にて、大膳亮利胤に、中直りせんとしけれども、利胤聞て、我家既に伊達殿の芳志に因て、本領を…
- p004…後政宗は、井伊掃部頭直孝を媒にて、大膳亮利胤に、中直りせんとしけれども、利胤聞て、我家既に伊達殿の芳志に因て、本領を安堵すといへども、累代の敵國、私…
- p005…大坂の軍起りし時、利胤將軍家の先陣打て馳せ向ふ、寛永二年九月十日、年四十五歲にして卒す、其子虎…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく