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脇坂安元
本文表記 安元・此人・淡路守安元・脇坂淡路守安元・甚太郞
堀田 第六 · 1
- p003…、此日、正盛腹切て殉死す、年四十六歲、正盛男子五人、嫡子上野介正信、二男脇坂淡路守安元が養子となつて、中務少輔安政といふ、三男久太郞正俊、後には備中守四…
脇坂 第十上 · 12
- p003…、德川殿、奧の上杉退治あるべしとて御下向あり、安治我身は大坂に留て、嫡男淡路守安元に軍勢付て、奧の御陣に參らす、上方にも亦軍起り、道路塞て下ることを得ず、…
- p003…にも亦軍起り、道路塞て下ることを得ず、同九月十五日關が原の合戰の時、安治安元父子かねてより山中に陣取て、上方の多勢を打ち破り、頓て御陣に馳せ參る、德…
- p003…賜て移る、二万石を加へ賜り五万三千石餘を領す大坂前後の戰には、子息安元馳せ向ひ首切て獻る、元和元年安治致仕して、同三年洛陽西洞院の舊宅に引籠り…
- p003…永三年八月六日年七十三歲にて卒しけり、嫡子甚內安忠、世を早うしければ二男淡路守安元、家を繼く、安元童名は甚太郞、慶長五年正月德川殿執し申させ給ひしに依て、…
- p003…歲にて卒しけり、嫡子甚內安忠、世を早うしければ二男淡路守安元、家を繼く、安元童名は甚太郞、慶長五年正月德川殿執し申させ給ひしに依て、叙爵して淡路守に…
- p003…けり、嫡子甚內安忠、世を早うしければ二男淡路守安元、家を繼く、安元童名は甚太郞、慶長五年正月德川殿執し申させ給ひしに依て、叙爵して淡路守に任ず、此年東…
- p003…し申させ給ひしに依て、叙爵して淡路守に任ず、此年東西の軍一時に起る、初め安元父が代官として、軍勢引具し奧に向ふ、上方の軍亦起り、道路差塞て近江路より…
- p004…勢等海を渡ることを得ず、無勢なれば首僅か二つ切て參らす、此は父安治、子息安元を東國の御陣に參らせし上は、大御所の新恩には報い奉る、さすが我身は故太閤…
- p005…賜て、飯田の城に移る、上總國一の宮の地五千石合て五万五千石也此人弓矢の藝に堪能なるのみならず、文道に心を寄せ、和漢の文書、家に貯ふる事こ…
- p006…此人當時武家第一の歌人也、讀める歌世に傳る所多し、寛永の頃諸家の系圖を召され…
- p006…家第一の歌人也、讀める歌世に傳る所多し、寛永の頃諸家の系圖を召されしに、此人の奉つる所は、祖父の代より記し初めて、其初に北南それとも知らず此糸のゆか…
- p007…す、初め甚太郞安吉と申す、慶安四年十二月廿八日叙爵して、中務少輔に任し、安元卒して家を繼く、五万三千石、二千石は同六右衞門某に分つ寛文十二年五…
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