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里見義康
本文表記 義康・安房守源義康・左馬頭義康
里見 第十二上 · 9
- p001…安房守源義康は、陸奧守義家朝臣の三男足利式部大輔義國の嫡男新田大炊助義重の次男里見太…
- p003…廳南久保田萬喜の城を落し軍勢を籠めて守らす、幾程なくて義賴世を早うし子息左馬頭義康父に繼ぎ岡本の城にあり、天正十六年北條が多勢侍大將十一人といふ姓名又…
- p003…姓名又勢のほど定かならず上總の國を打從へ、安房の國へ攻め入らんとす、義康自ら久留里の城に出て向て敵を待つ、此城究竟の要害なりしかば寄手山々に陣取…
- p003…かば寄手山々に陣取つて、遠攻にこそしたりけれ、城中の兵打出て戰はんとす、義康堅く制して戰はず、寄手又爰を過て安房の國に入ることを得ず、かくて十八年に…
- p003…め下り給ふと聞えしかば、寄手取物もとりあへず、本國に引返さんとせし所を、義康城より討て出で是處彼處に追詰め〱戰うて悉くに打取りぬ、此年北條滅びしのち…
- p003…討て出で是處彼處に追詰め〱戰うて悉くに打取りぬ、此年北條滅びしのち關白、義康が早く御陣に馳せ參らせざる事を怒り給ひ上總下總の地收公せられ、本領なれば…
- p003…とす、かゝる所に上方又軍起て、德川殿御父子引返して攻め上らせ給ひければ、義康は參河守殿と同じく下野の國宇都宮の城に留て景勝と戰はんとす、關が原の戰ひ…
- p003…原の戰ひ事終つて、上杉佐竹降つて後此度の勸賞として、常陸國鹿島郡を分つて義康にぞ賜ひける、三萬石義康三十一歲にて慶長八年十月十六日に卒し、息男…
- p003…て後此度の勸賞として、常陸國鹿島郡を分つて義康にぞ賜ひける、三萬石義康三十一歲にて慶長八年十月十六日に卒し、息男梅鶴丸父に繼ぎ十一年十一月十五…
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