彈正少弼藤原正利は、七澤作左衞門淸宗が嫡子にて、寶樹院殿の御弟なり、右大臣家の御母上なり、初め御家人に召されて、祿米千俵を賜ひ、後に倍して二千俵と成、相模國にして、所領の地を賜ひ、る、一万石を領す、萬治二年三河國西尾の城を賜ひ、二万石寛文二年七月廿八日卒す、年四十歲、一說に四十五歲子なかりしかば、弟那須遠江守資國が、左京太夫資康1か養子となる詳なる事那須宗傳に見ゆ、男をもつて嗣とし、兵部少輔利順と申す、寛文三年常陸の國下館の城に移る、二万三千石
- 左京太夫資康 — 底本のまま。那須当主左京大夫の実名は通説では資景であり、本書f123.p001も「左京大夫資景」と記す