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伊東祐兵
본문 표기 祐兵・民部大輔祐兵・伊東・豐後守祐兵・大和守・民部大輔・伊東祐兵
嶋津 第八上 · 3
伊東 第九下 · 17
- p001…修理大夫藤原祐慶は、豐後守祐兵が男なり、左大臣武智麻呂公の四男、參議乙麻呂七代の孫伊豆守爲憲、初め木工…
- p010…所の軍兵、多くは、皆福永が一族なれば、忽に後矢を射ける程に、三位入道が孫民部大輔祐兵、戰に及ばずして、一族郞等引具して、帆北と云ふ所より、山傳へし、豐後國に…
- p011…、終に彼所にて卒す、三位が子息左京大夫義益は、父に先立て卒す、三位が舍弟民部大輔祐兵、兄の入道、國を失ひし後、是も都に住みしが、豐臣太閤に仕へ參らせて、終に…
- p012…天正十年の正月、祐兵伊豫國をも立ち出て、都の方に上る、此年の夏、織田殿御父子、明智日向守光秀…
- p012…はせしが、急き軍勢を率ゐて、都に上り、山崎の邊にて、光秀と戰ひ給ひし時、祐兵も秀吉の御陣に馳せ加り、高名を顯しければ、秀吉大に感し給ひ、河內の國にし…
- p012…河內の國にして、所領一箇所を下し賜ふ、同き十五年、關白島津を御退治の時、伊東は彼國の案内者なればとて、大和大納言秀長卿の御手に附けられ、先陣を承て、…
- p012…て、是も薩摩の國に攻め入り給ふ程に、嶋津兄弟、終に降人になつて參る、關白伊東が軍功、拔群なりとて、頓て本領日向國飫肥曾井淸武等の地賜て、飫肥の城にぞ…
- p013…按ずるに、祐兵が事を記せる諸記に、或は大和守或は民部大輔と見ゆ、思ふに、先祖の受領たれ…
- p013…按ずるに、祐兵が事を記せる諸記に、或は大和守或は民部大輔と見ゆ、思ふに、先祖の受領たれば、初め大和守と申せしが、太閤…
- p013…按ずるに、祐兵が事を記せる諸記に、或は大和守或は民部大輔と見ゆ、思ふに、先祖の受領たれば、初め大和守と申せしが、太閤の御弟大和大…
- p013…せる諸記に、或は大和守或は民部大輔と見ゆ、思ふに、先祖の受領たれば、初め大和守と申せしが、太閤の御弟大和大納言秀長卿をさけて民部大輔と申し、其後又豐後…
- p013…祖の受領たれば、初め大和守と申せしが、太閤の御弟大和大納言秀長卿をさけて民部大輔と申し、其後又豐後守になりしにや、…
- p014…明れば五年の夏、德川殿奧の景勝中納言を退治の爲、御下向ありし時、祐兵折節大坂に侍ひしが、井伊侍從に就きて、急き軍勢を召上せ、御跡を慕て馳せ下…
- p014…州の中にしては、黑田如水入道計りぞ、東國無二の御方たるべきと思ひければ、祐兵密に入道が許に、使者を立て、祐兵に於ては、堅く東國に組みし參らすべしと、…
- p014…ぞ、東國無二の御方たるべきと思ひければ、祐兵密に入道が許に、使者を立て、祐兵に於ては、堅く東國に組みし參らすべしと、思ひ定めて候、本國に馳せ歸りて、…
- p014…んこと、然るべからず、速に本國に下りて、軍起さるべうもや候とぞ答へける、祐兵さらばとて、打立たんとする所に、忽に病の床に臥て、己れ國に歸らんこと叶ふ…
- p014…め取る所の地、皆悉く本主に返しけるこそ本意なけれ、斯て今年十一月十一日、豐後守祐兵、病終に愈る事なくして卒す、六十歲とぞ聞えける、嫡子左京亮祐慶、本領を賜…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히