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佐竹義重
본문 표기 義重・常陸介義重・佐竹常陸介義重
佐竹 第八下 · 8
- p001…北條左京大夫氏康と戰ひ、御方利なくして引返す、義篤が子右京大夫義昭、其子常陸介義重は、義宣が父なりけり、此義重が時に當りて、關東の管領上杉亡ひしかば、關東…
- p001…して引返す、義篤が子右京大夫義昭、其子常陸介義重は、義宣が父なりけり、此義重が時に當りて、關東の管領上杉亡ひしかば、關東八家の人々、悉く北條に隨ふ、…
- p001…々、悉く北條に隨ふ、北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條が戰、止む事なし、天正十八年、義重同國の大名江戶…
- p001…又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條が戰、止む事なし、天正十八年、義重同國の大名江戶重通を滅し、水戶の城を攻取て、嫡子義宣に與へ、國務を讓り、…
- p001…夫政義が謀に隨ひ、軍勢少々御供に參らせたり、斯て關が原の軍、終りて後、父義重が降を乞ひ申すに依り、此時の使は緒貫大藏人見主膳と云ふ者なりと云ふ…
- p001…頃、大納言殿、關東へ歸らせ給ふ、是は奧方の御敵、御追討の爲と聞えしかば、義重大に恐れ、頓て國を立て、大御所に參るとて、武藏の神奈川の宿にして、大納言…
- p001…秋田の地を賜て移さる、二十万五千石餘此日常陸國に、御使を下され、父義重を始とし、宗徒の家人等にも此由を仰せ下されたり、此時、東政義は既に死す、…
- p001…止て、兵を起し、終に搦め捕られて、誅せられぬ、同き十七年三月廿九日、常陸介義重卒す、年六十六歲、大坂の軍起りし時、義宣、將軍家の先陣、打て馳せ上り、今…
岩城 第八下 · 1
- p001…白土攝津守、增田右衞門尉長盛に就て、主の家絕えなん事を歎き、一族なれば、佐竹常陸介義重が三男能化丸、今年八歲になれるを以て、常隆が世嗣とせん事を望み申す、頓て…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히