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岩城

第八下 · 단락 1 · 780524 15코마 L부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 4 4 3 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

지명 2 1 1 1 1 1 1

忠次郞平貞隆は、桓武天皇の御後、鎭守府將軍陸奥守貞盛朝臣の孫、陸奥の權守安忠の子岩城次郞大夫則道十九代の後胤たり、初め鎭守府將軍藤原秀衡、德尼子といふ娘、則道に配せて、岩城の郡を讓り與へしより、岩城とこそは名乘てけれ、其後子孫相繼き、左京大夫親隆に至る、親隆誠は伊達左京大夫晴宗が嫡男、輝宗が兄なるを、左京大夫重隆、娘配せて、岩城の家を讓る、是より實は藤氏に移れり親隆は文祿三年七月十日にぞ卒してける、其子左京大夫常隆父が家讓らる、天正十八年の夏、秀吉關白、相摸の北條討たれし時、常隆御陣に馳せ參り、同七月廿三日、相摸國星谷にて卒す、年廿四歲とぞ聞えける、常隆男子なかりしかば、家人白土攝津守、增田右衞門尉長盛に就て、主の家絕えなん事を歎き、一族なれば、佐竹常陸介義重が三男能化丸、今年八歲になれるを以て、常隆が世嗣とせん事を望み申す、頓て御免を蒙り、關白奧に下らせ給ふとて、下野國宇都宮に到り給ふ時、能化丸具して參り向ひ、見參に入て、忠次郞貞隆とぞ名乘せける、是より又清和源氏の流とはなりしか、是も實は藤氏なるへし慶長五年の秋、兄の佐竹と同じく、德川殿の御方に參らざりしかば、同き七年五月八日、所領の地収公せられて、岩城の郡十二万石出羽の國に移され、龜田の地賜りぬ、二万石元和六年十月十九日、三十八歲にて卒す、男子二人、嫡子は兄の佐竹が嗣となる、修理大夫義隆是なり、二男但馬守宣隆、父に繼き、明曆二年七月廿五日に致仕す、其子伊豫守重隆、父が讓を受く、