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後北条氏
본문 표기 北條・北條家
越前 第一 · 1
- p001…吉が子に、何條疑かあると、仰られしかば、愼みて仰せ承て下る、今年關白殿、北條を打亡し、まづ守殿を結城の館に入れまゐらせ、自らも彼館に至り、泊らせ玉ふ…
保科 第一 · 4
- p001…入て、高遠の城に歸り入、德川殿も彼國に御勢を向けられ、甲斐の國府に打入て北條と戰ひ玉ひし所に、北條の軍、終に利なく、彼國々の侍共、盡く德川殿に從ふ、…
- p001…、德川殿も彼國に御勢を向けられ、甲斐の國府に打入て北條と戰ひ玉ひし所に、北條の軍、終に利なく、彼國々の侍共、盡く德川殿に從ふ、正直も酒井左衞門尉忠次…
- p001…近大夫貞慶が、德川殿たのみ奉て、累代の本領、深志の城に入ながら心變りし、北條に組みして、鹽尻に陣取しに、正直おしよせ戰て、首あまた切て參らせ、御書賜…
- p001…ふ、其御書に、十二月十四日彈正殿へと被遊しといふ、然れば小笠原はしめ北條にくみせし時の事にはあらず、此後貞慶秀吉朝臣にくみせし時の事なり、兩說…
水野 第三 · 1
- p001…將して合戰す、織田殿うせ玉ひし年、鳥居元忠と共に、甲斐の古國府に陣どつて北條の勢を打破り、信雄秀吉中たがうて、軍起し時、忠重父子、北畠殿の爲に、星崎…
酒井 第四上 · 3
本多 第四上 · 4
本多 第四上 · 1
- p003…く賜て歸されたり、金作の脇差、羊の皮にて作りし道服等同十八年北條の亡ひし時、康重先陣して城をせむ、遊軍の大將なり、今年關東に移り玉…
本多 第四上 · 4
本多 第四上 · 1
- p004…、此時に養父忠次は縫殿助と申せしなり、廿二歲の時、豐臣關白、相摸の北條を討たるべきにて、德川殿の人質を望み申されしかば、康俊を遣はさる、此年德…
井伊 第四上 · 2
榊原 第四上 · 5
- p003…同き十年武田亡び、織田殿うせ玉ひ、德川殿甲斐國に入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧…
- p003…執し申されし故なり、德川殿の御家人任官の始とぞ聞えける、同き十六年、殿下北條の上洛を催さる、氏政氏直のたもふ旨あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせられ…
- p003…あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせられしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下…
- p003…る、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北…
- p003…條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北條終に上洛なかりしかば、同じき十八年關白殿に攻められて、降人に成て參りしか…
大久保 第四中 · 1
- p003…甲信の國々打續たる兵亂に、人の心いまだ定らず、或は上杉等に志を通し、或は北條に謀を合す、汝此所を留て守るべしと仰下されけり、初め信濃に向ひし時、忠世…
鳥居 第四中 · 3
內藤 第四中 · 1
- p001…といふ、同き十年、甲斐の國に入て、大野の要害を守る、松平玄蕃允淸宗等と北條の勢と戰ひ、首二十七打取る、同十二年小牧の軍に隨ひ、此年蟹江の城を攻め、…
植村 第四中 · 1
- p001…の郡にして所領を給ひ、御家人となされしとこそ聞えたれ、其後高名度々にて、北條の家亡びし時、本多鳥居等の人々と、武藏の國岩槻の城を攻落す、今年關東に移…
松平(松井) 第四下 · 6
- p004…にもして再び駿河國へ、返へし入れらるべきよしを仰らる、氏眞ゆかりに就て、北條を賴み、小田原に落行玉ひしかば、武藏の品川といふ所に置かる、品川殿と申せ…
- p004…、小田原に落行玉ひしかば、武藏の品川といふ所に置かる、品川殿と申せしが、北條の力にて、本國を取返さん事も、叶ひ難く、德川殿の御情にて、此年牧野の城に…
- p005…親が郞等岡田竹右衞門が討しなり、同十年の秋、德川殿甲斐國に發向あり、北條が軍勢襲ひ來る事あるべしとて、伊豆駿河の境なる三枚橋の城を築きて、康親し…
- p005…安藝守信元、同丹後守安次をも、同く爰に籠められたり、案の如く九月廿五日、北條の軍勢、小田原の城より、三嶋に打出つ、三枚橋の勢出て戰ひ、丹後守安次討死…
- p005…、大須賀井伊の人々と、彼國に向て、御方を迎へて引返す、十八年三月廿九日、北條が山中の城落つ、明れば四月朔日、康重仰を承り、佐野口より進みて、宮城野に…
- p005…城落つ、明れば四月朔日、康重仰を承り、佐野口より進みて、宮城野に打上り、北條勢と戰ひ、首八十餘を討取る、宮城野湯本竹浦三箇所を固めし敵の勢たまりかね…
三宅 第四下 · 1
- p001…侍を屬られ、度々の高名、數を知らず、中にも甲斐の府中黑駒藤木等の合戰に、北條の多勢を打破り、長湫の戰には、初め淸洲の城を守り、後に黑田の城を守り、相…
西郷 第四下 · 1
- p001…の城を守り、武田既に亡ひし秋、甲斐國に向ひ玉ふ時、駿河國江尻の城に留て、北條が勢を防き、小田原の城攻られし時、先陣打て攻入、今年關東に移り玉ひし時、…
土岐 第四下 · 1
- p003…、馬を馳て敵二騎を切て落し、其首切て、水野が首をば取り返しつ甲斐國にして北條と戰ひ玉ひし時、定政、鳥居彥右衞門元忠と同じく、小山の要害を守て、左衞門…
小笠原 第六 · 7
- p001…、碓氷の峠を打越えて、是も信濃に打入たり、貞慶を先として、高坂眞田等、北條の多勢をや恐れけん、忽に上杉を背きて、北條に從ひ、景勝と戰はんと、屋代川…
- p001…、貞慶を先として、高坂眞田等、北條の多勢をや恐れけん、忽に上杉を背きて、北條に從ひ、景勝と戰はんと、屋代川中島を經て、善光寺に向ひて、陣を取る、景勝…
- p001…九八郞信昌に餘多の軍勢つけて差向らる、貞慶既に德川殿にも背きまゐらせて、北條に組みしければ、奧平も途より引て歸る、同き九月貞慶三千餘人を率ゐて、川中…
- p001…十餘度、終に一度も勝つ事を得ず、貞慶此程鹽尻に陣取て、此由を見て、いや〱北條が軍のやう、心にくからずと思ひ、また北條を背きつゝ、再ひ德川殿の御方にこ…
- p001…鹽尻に陣取て、此由を見て、いや〱北條が軍のやう、心にくからずと思ひ、また北條を背きつゝ、再ひ德川殿の御方にこそ參りけれ、氏直も德川殿に中直りし、本國…
- p001…正月、酒井左衞門尉忠次、小笠原眞田を具して上洛せり、同き十八年、關白殿、北條を伐ち玉ひし時、貞慶忽に罪蒙る、其故は、關白の御家人に尾藤甚右衞門尉とい…
- p001…に、不覺の軍せし罪に依て、其所領を沒收せられ、貞慶が許に忍び居たり、今年北條討るゝに及びて、年頃既に經ぬ、今は何事かあるべきとて、貞慶尾藤を具して、…
岡部 第六 · 1
- p001…りかね、明れば十二年の五月、遠江國をも、德川殿へさけ渡し、所緣に附きて、北條を賴みて、伊豆國戶倉の城に落行く、かくて此處よりまた駿河國府に歸らん事を…
屋代 第六 · 2
北條 第六 · 6
- p002…北條家の系圖に記す所各異あり、一に曰く長氏入道早雲は相摸守平高時に四代北條新三…
- p002…る事を憚り母方に因て初め伊勢新九郞と名のれり、伊豆相摸を領して本姓に還り北條と名のる長氏永正十六年八月十五日に卒すと云々、一に曰く長氏は高時より三代…
- p002…事なり、二男新九郞貞藤、初め貞辰といふ、相州の北條氏養て子とす、これより北條と名のれり、三男は兵庫頭貞職としるせり新編纂圖と違あるに似たれども其家の…
- p003…海道に取つても、既に德川殿と親うなり玉へば、駿河國より西は、無爲に屬す、北條いまだ從はねば、相摸國より東の國々は命も行はれず、此時氏政は國をば子息相…
- p003…ければ、德川殿よきに計らせ玉ふに因て、關白の心とけ玉ひ、天正十六年五月、北條の使者、初て都に上る、この美濃守氏規をさゝれたり、德川殿よりも榊原康政つ…
- p004…殿、德川殿、氏政父子往來の書翰等に、古き人の物語せし事を、まじへ見るに、北條の亡ひし初めより、終に至るまで、事皆な違變のみ出來て、終に事破れき、想ふ…
秋元 第六 · 4
- p001…關東の管領上杉の家人井草秋元園庭とて、武藏國の深谷三人の宿老なり、相摸の北條、威を關東に奮ひしよりこのかた、主なりける上杉も、北條に屬ひぬ、天正十八…
- p001…の宿老なり、相摸の北條、威を關東に奮ひしよりこのかた、主なりける上杉も、北條に屬ひぬ、天正十八年の春、關白殿北條を伐ち玉ひし時、泰朝が父越中守長朝、…
- p001…ひしよりこのかた、主なりける上杉も、北條に屬ひぬ、天正十八年の春、關白殿北條を伐ち玉ひし時、泰朝が父越中守長朝、主に從て、小田原の城に籠る、北條滅ひ…
- p001…白殿北條を伐ち玉ひし時、泰朝が父越中守長朝、主に從て、小田原の城に籠る、北條滅ひし後、彼の領せし國々皆德川殿領し玉ひ、武藏國を御座所と定らる、當國に…
太田 第六 · 3
池田 第七上 · 1
- p008…尉と名のり、秀吉關白に任じ給ひし時、侍從にこそなされけれ、天正十八年の秋北條亡びし後、三河の國吉田の城に移る、十五万二千石を領す輝政初め中川淸…
淺野 第七上 · 3
前田 第七上 · 1
- p002…從て向ふ、十六年の春、右少將になされ、十八年の春、參議從四位下、此年の夏北條を亡されしに、北國より攻下り、此處彼處の城を攻落す、文祿の初より、朝鮮の…
有馬 第七上 · 1
- p001…に移る、太閤いまだ筑前守と申て、當國の守護たりしより、御方に屬す、相摸の北條滅びて後、遠江國橫須賀の城を賜ふ、三万石、但し子息豐氏に賜ひしと見え…
堀 第七上 · 1
- p001…秀勝四万四千石を賜ふと云ふなり、四位の侍從して、天正十八年、關白相摸の北條を討れし時、一方の大將にて攻め下り、遊軍の惣大將にて、多くの大名…
伊達 第七下 · 3
上杉 第八下 · 5
- p005…返し納むべしとて、武田と合戰始れり、又同き廿年の夏の頃、山內の上杉憲政、北條に滅されて、これも景虎を賴て、越後國に落來る、景虎故主の義を存して、喜多…
- p005…頓て入道し、謙信と號す、甲陽軍鑑には廿三歲にて入道せしと云ふさらば北條を討て、當家の仇、報ぜんとて、永祿三年三月、信濃上野下野常陸武藏の軍勢を…
- p007…同き九月、近衞の關白前嗣公、越後國に御下向あり、これは謙信かねて北條を亡し、賴經將軍の先蹤を追て、藤氏の貴族を、關東の君と仰き奉るべしと、思…
- p017…田も、從四位下に叙し、其餘の家人等、叙爵するもの十一人に及べり、十八年、北條を討たれし時、景勝東山道より攻め下り、此處彼處の城々落して、小田原に至り…
- p017…討たれし時、景勝東山道より攻め下り、此處彼處の城々落して、小田原に至り、北條亡ひて後、關白殿に隨て、奧に下り、加賀の筑前守利家と、陸奥出羽の撿地し、…
佐竹 第八下 · 5
- p001…けり、此義重が時に當りて、關東の管領上杉亡ひしかば、關東八家の人々、悉く北條に隨ふ、北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、…
- p001…が時に當りて、關東の管領上杉亡ひしかば、關東八家の人々、悉く北條に隨ふ、北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹…
- p001…關東八家の人々、悉く北條に隨ふ、北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條が戰、止む事なし、天正十八年、義重同…
- p001…武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條が戰、止む事なし、天正十八年、義重同國の大名江戶重通を滅し、水戶の城を攻…
- p001…を攻取て、嫡子義宣に與へ、國務を讓り、我身は太田の城に隱れ住む關白秀吉、北條を討ち給ふ時、義宣軍勢を引率して、御方に參りければ、常陸國を賜て南方三十…
岩城 第八下 · 1
- p001…してける、其子左京大夫常隆父が家讓らる、天正十八年の夏、秀吉關白、相摸の北條討たれし時、常隆御陣に馳せ參り、同七月廿三日、相摸國星谷にて卒す、年廿四…
眞田 第九上 · 18
- p003…經て、信濃國を隨へんとて、碓氷の峠を押渡て、是も信濃國に入る、眞田等また北條が多勢なるをや、賴みけん、氏直に心合せ、うら切して、景勝うたんと謀りしに…
- p003…と謀りしに、景勝かくと聞くよりも、海津の城に住したる高坂源五郞が首切て、北條が陣に送りければ、眞田等はや顯はれぬと、氏直の先陣して、川中島に向つて、…
- p003…に向つて、上杉と戰はんとす、上杉其勢四千餘人、四千三百餘と申すなり北條が五万餘騎に向て、五万五千人と申也戰はんとぞ進みたる、上杉が少勢あ…
- p003…五千人と申也戰はんとぞ進みたる、上杉が少勢あなどり憎しとや思ひけん、北條爰より引返し、甲斐の國に打入て、德川殿と戰ふ、今年七月の半より、十一月に…
- p003…て、德川殿と戰ふ、今年七月の半より、十一月に至るまで、大小の戰七十餘度、北條一度も利なくして、德川殿に、中直りし、相摸國に引返さる、眞田は軍半より、…
- p003…度も利なくして、德川殿に、中直りし、相摸國に引返さる、眞田は軍半より、又北條に背き、德川殿に從ひ、本領安堵して、上野國沼田の城を始とし、城八箇所攻取…
- p003…御勢八千人と申也是も一度の利なくして、秀吉終に北畠と中直りす、此時、北條約に背き、德川殿に加勢參らせず、明れば十三年の春、北條德川殿に使たて、抑…
- p003…と中直りす、此時、北條約に背き、德川殿に加勢參らせず、明れば十三年の春、北條德川殿に使たて、抑むかし兩家のよしみ結ひし時、武田が領せし國々を分ちて、…
- p003…べきにて候とぞ宣ひける、德川殿此由を聞し召し、さらば眞田沼田の城を去て、北條に附け與ふべしと下知し給ふ、昌幸承り、この沼田の城と申すは、故主武田殿も…
- p003…らの武勇に依りて、攻め取つたる所なり、如何でたやすく、人手にや渡すべき、北條望み給はんには、御勢を賜て攻取らるべうもや候と、仰せられ候へと、答へ參ら…
- p003…の家人須田相摸嶋津淡路に就きて、景勝に申しけるは、昌幸むかし北條に從ひ屋形に背き參らせし事、旣に本意を失ひ、後悔また及ひ難し、昔の罪を宥…
- p003…後の國新發田の城攻めて居たりしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、又景勝を賴む…
- p003…の城攻めて居たりしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、又景勝を賴むこと、よく〱…
- p003…を取る、丸子熱子矢澤戶石浦野伊勢山に軍勢分ち戰て、終に一度の不覺なく、又北條の軍勢、沼田の城を攻めたりしが、嫡子信幸、戰て寄手の勢を打破る、德川殿の…
- p003…やあるべきとて、軍勢を差向て、襲ひ取る、關白この事を深く咎め給ひてより、北條終に亡ひにけり、…
- p004…按ずるに、北條が關白の謀に落ちしこそ、うたてけれ、關白始より、名胡桃の城、沼田の庄にあ…
- p004…白始より、名胡桃の城、沼田の庄にありと云ふ事を、如何で知り給はざらんや、北條が乞はざるに因つて、そら知らずして沼田の城の事ばかり、仰せられし所なり、…
- p005…北條亡ひし年、德川殿關東に移り給ひ、上野の國は御領となり、信濃國をば、關白家…
一柳 第九上 · 1
- p005…城を攻落して、直末に賜ひ、一万石又伊豆守に任す、同き十八年、相摸の北條を討れし時、直末山中の城の先駈して討死す、關白惜ませ給ふこと限り無く、舍…
仙石 第九上 · 1
- p001…悉く平きぬ、筑紫陣の事は、嶋津が傳に詳なり、十八年、關白また相摸國北條を亡し給ひし時、秀久忍ひて御供にぞ侍ける、尾藤は罪蒙て後、信濃國に下りて…
南部 第九下 · 4
- p003…左衞門尉高信が男大膳大夫信直を以て世嗣とす、天正十八年に至て、豐臣關白、北條を亡し、奧に下らせ給ひし時、信直御陣に馳せ向ひ、見參して、本領を安堵す、…
- p004…知召されずや、當時天下を知召すは、豐臣關白秀吉公と申せし御方にて、關東の北條が、王命に隨はぬを、征伐し給ふべしとて、天下の軍兵を催して、攻め下り、今…
- p004…べしとて、天下の軍兵を催して、攻め下り、今は相摸國に御陣を召され候なり、北條の亡ん事は、日あるまじ、其後は直に奥方にも、御下向あるべしと承る、急き御…
- p004…が下向を待つけよと仰せありて、使をば返へされたり、信直悅ふこと限りなし、北條亡ひし後、同年の八月十日、關白殿、陸奥に御下向ありしかば、信直頓て御陣に…
津輕 第九下 · 1
- p003…强くして、津輕の地悉くに討ち從へ、弘前の城に住む、天正十八年、豐臣關白、北條を亡さんとて、相摸の國に陣し給ひし時、奧方の大名、未だ參らざる先に、爲信…
那須 第九下 · 1
- p001…陣に馳せ參る者、引きも切らず、那須が一族家人等も、同く小田原に馳せ參る、北條既に亡ひ、奧に下り給ふとて、當國に御陣を召れしに及びて、資晴初て見參す、…
大田原 第九下 · 1
- p003…の子なれども、家を繼き、其子晴清に傳へたり、天正十八年、豐臣關白、相摸の北條うたると聞て、晴清初に駿河國沼津に馳せ參て、見參に入る、殿下遠き境を越て…
脇坂 第十上 · 1
- p001…薩摩の國に向ひ隍河の城を降し、千代川に舟橋渡して御勢を渡す、十八年相摸の北條が亡びし時、安治四國の人々と東海を押渡て、伊豆國下田の城を攻め、關白の召…
織田 第十下 · 1
- p003…五年八月八日正二位に叙し十一月廿一日内大臣に任ず、十八年の夏關白、相摸の北條亡し給ひて後、信雄の國移し替らるべしと仰せ下さる、内府辭し申されたりけれ…
松平(竹谷) 第十一 · 1
- p001…の城にあり、玄蕃頭家清これも初は與二郞と申す、初め甲斐國に入せ給ひし時、北條が勢と勝沼に戰ひ首餘多切て獻る、父が家を繼てのち、長湫の軍にはおのが興國…
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…城に移る、德川殿甲斐の國に攻め入らせ給ふ時、康高先陣を承り、今年の秋また北條が勢と戰て勝軍し、長湫の先陣して秀吉の勢を打破り、蟹江の城を攻め落し、同…
平岩 第十一 · 1
- p002…、德川殿御上洛ありし時、親吉御供に候ひて、主計頭從五位下になされ、十八年北條の滅びし時、宗徒の人々と武藏の岩槻の城を攻め降し、親吉又築井の城を降す、…
高力 第十一 · 1
- p001…ば十年八月駿河國田中の城を賜て移る、小牧の御陣の時は田中の城に在りて北條に備ふといふ同き十二年關白殿に使して東西御和睦事成しかば、秀吉悅び給ふ…
北條 第十一 · 1
- p003…一日甘繩の城をば本多榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、德川殿の御家人になされ上總國岩富の地を下し給ふ、一万…
皆川 第十一 · 2
蒲生 第十二上 · 1
- p003…白殿に隨ひ相摸國に發向し、まづ伊豆國韮山の城を攻て小田原の城を圍み攻む、北條亡びて後、先陣承て陸奥國に向ふ、八月十七日關白殿、白河の城に氏鄕を召され…
中村 第十二上 · 1
- p003…天正十三年七月近江國水口の城に移る、一氏一生の高名多き中にも、同き十八年北條を討たれし時、山中の城の先登し忽に城を攻め落し、關白の御感かうむり、勳功…
里見 第十二上 · 12
- p003…の城に在て、おのが嫡子刑部大輔義堯を大將とし兵船を泛へて相摸國に押渡り、北條と戰ひ又義堯して上總國久留里の城を守らせ、太郞義豐成人に及べども、國讓ら…
- p003…に戰ふ、義明かけ負けて討れ給ひ、義堯も散々に戰なつて引返す、これより常に北條と戰ふこと止む時なく、終に下總の國をも合はせ、武藏相摸の地此處彼處打隨へ…
- p003…三歲にて卒せしといふ左馬頭義弘父に繼き、弘治二年相摸國三浦の地に押渡て北條が勢を打破り、城が嶋に戰ひしとあり永祿四年の春上杉管領入道謙信、北…
- p003…條が勢を打破り、城が嶋に戰ひしとあり永祿四年の春上杉管領入道謙信、北條を攻むると聞て、正木大膳亮に軍勢附けて上杉に加勢し、同き七年正月武藏岩槻…
- p003…て、二千餘騎を引率し鴻の臺に出て向て、北條氏康氏政父子と戰ふ、初度の軍に北條を打破り味方悉くに勝ち誇て終に負軍し、侍大將十七人まで討たれ、散々に戰ひ…
- p003…田の城攻め落され、多賀藏人舍弟兵衞佐二人討死す、下總の國人等皆義弘に叛て北條に從ふ、武藏相摸の地は云ふに及はず、同き九年義弘加藤伊賀守を佐貫の城…
- p003…弘加藤伊賀守を佐貫の城に在大將として三浦の地を攻め破る、明れば十年北條太田新六郞に軍勢附て上總の國に向ふ、義弘自ら三舟山に戰ひ、大將太田を初と…
- p003…ふ、義弘自ら三舟山に戰ひ、大將太田を初として首數百を打取る、天正五年義弘北條互に中直りす、明る六年の五月義弘卒す、嫡子太郞義賴には安房國、次男梅王丸…
- p003…右京に預けしなり上總の國を併せ領し安房の國岡本の城に住す、天正九年里見北條又不快となつて、氏政が多勢海陸二手に分れて安房上總に亂れ入る、舘山久留里…
- p003…幾程なくて義賴世を早うし子息左馬頭義康父に繼ぎ岡本の城にあり、天正十六年北條が多勢侍大將十一人といふ姓名又勢のほど定かならず上總の國を打從へ、…
- p003…ず、寄手又爰を過て安房の國に入ることを得ず、かくて十八年に至て、豐臣關白北條うたるべしとて、天下の軍勢を催し東海東山北陸より攻め下り給ふと聞えしかば…
- p003…せし所を、義康城より討て出で是處彼處に追詰め〱戰うて悉くに打取りぬ、此年北條滅びしのち關白、義康が早く御陣に馳せ參らせざる事を怒り給ひ上總下總の地收…
富田 第十二下 · 2
藤田 第十二下 · 5
- p001…ぞ屬してける、藤田太田とて上杉が下にて二人の大名といふ上杉が家衰へ北條が起るに及んで、關東の侍悉く北條に隨ふ、左京大夫氏康北條三男新太郞氏…
- p001…が下にて二人の大名といふ上杉が家衰へ北條が起るに及んで、關東の侍悉く北條に隨ふ、左京大夫氏康北條三男新太郞氏邦を賜て右衞門佐重利が子となし、…
- p001…上杉が家衰へ北條が起るに及んで、關東の侍悉く北條に隨ふ、左京大夫氏康北條三男新太郞氏邦を賜て右衞門佐重利が子となし、秩父安房守重氏と名のらす、…
- p001…め眞田が手より取りたる城なり、眞田にこそ返し渡さめとて許さず、信吉むかし北條に叛きし身なり、信長失せ給ひぬと聞えなば、定て氏政氏直當國に向はんに、僅…
- p001…守兼續、四位の侍從になされ、藤田能登守信吉等從四位下に叙す、明れば十八年北條滅び、文祿の初朝鮮の軍起り、本朝の大名悉く軍勢を引具し、肥前國名護屋に馳…
佐久間 第十二下 · 1
- p001…敵の中をかけ破り、關東に落ち下り北條左京大夫氏政に從ふ、天正十八年の秋北條が家滅びし後、蒲生飛驒守氏鄕が勸め申に依て、安政勝之兄弟共に豐臣關白の御…
石川 第十二下 · 1
- p005…せ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見參す、十八年相摸の北條滅びしのち、信濃の小笠原罪蒙りて彼の松本の城をば出雲守數正にぞ賜ひける、…
成田 第十二下 · 8
- p003…兵一千騎、上杉が東國を管領せし世には、東國一の大名にてぞありける、相摸の北條が起るに隨ひて上杉が家亡びぬ、長泰故の管領が跡を慕うて、上杉彈正大弼輝虎…
- p003…家亡びぬ、長泰故の管領が跡を慕うて、上杉彈正大弼輝虎入道謙信に心合せて、北條を伐たんとせしに、永祿三年の春忽に謙信を恨むること出來て北條與みす、謙…
- p003…に心合せて、北條を伐たんとせしに、永祿三年の春忽に謙信を恨むること出來て北條與みす、謙信長康不快出來し事世に普く知る所なれば爰に略す謙信大に怒…
- p003…答へける、氏政も案に相違して、軍を出さるゝにも及ばず、其後同き十二年氏長北條の催促に隨ひ、駿河の國に向ひし時、父子中直りし入道城中に入て跡の事を計ら…
- p003…し時、父子中直りし入道城中に入て跡の事を計らふ、天正十八年の春豐臣關白、北條を討たるべしと聞ゆ、下總守氏長おのが城には軍兵四百餘騎を籠めて、我身は舍…
- p003…加らんとす、主の成田既に降りぬと聞て、城中の兵も降人になつて出づ、程なく北條滅びしかば成田も希有に命いきて城中を出でぬ、仕出したる事もなければ關白の…
- p003…きて城中を出でぬ、仕出したる事もなければ關白の御恩に預るべしとも見えず、北條が國々德川殿の御領となつてければ、おのづから累代の所領をば失ひけり、…
- p005…賜ひし後、氏長をば關白に召出されて下野國烏山の城賜る、二万石是れは北條が亡びしのち、關白奥に向はせ給ふ時、成田が妹無双の美人なりと聞召し、下野…
佐野 第十二下 · 4
- p003…き、各集りて主の跡の事詮議す、宗綱女子のみありて男子はなし、さらば相摸の北條は當時關東に威を奮つて、八箇國の侍悉く其手に属す、彼が一族を申し乞て宗綱…
- p003…兵部等を始として、宗徒の者共敢て此議に隨はず、各連署の起請文かいて北條に參らせ、一族賜て佐野の家繼がせんと望む、左京大夫氏政悅ふこと斜ならず、…
- p003…の家つがせけり、和尙大に怒つて忽ち寺を去てけり、同き十八年の春豐臣關白、北條を追討のため關東に發向あり、宗綱が弟の僧このほど都に上り黑谷の邊にありけ…
- p003…て輕しとこそ承れ、これ見たまへ人々とて首かき落し死してけり、幾く程なくて北條も亡びぬ、和尙頓て關白の御家人富田左近將監が二男乞ひ受て、父祖の家つがせ…
瀧川 第十二下 · 1
- p010…を讃伎國賜て移りし故なり又此頃下總守は名を改めしなり同き十八年相摸の北條滅びし時、信雄關白の爲に國奪はれし後、下總守雄利、殿下に召され神戶の城を…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히