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가문 목록 › 第十一 › f155

松平(大須賀)

第十一 · 단락 1 · 780525 54코마 L부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 9 4 3 3 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

지명 3 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

五郞左衞門尉平康高は、千葉介常胤が四男大須賀の四郞胤信が後胤也德川殿宗徒の侍大將にて御家號諱字賜り、手に屬する所の精兵凡五百餘騎、常に軍の先駈けして向ふ所破らずといふ事なし、天正元年八月、或說に天正二年八月の事といふ遠江國馬伏塚の要害に餘多地附て下し賜ひ、同き四年同國城飼郡横須賀の城搆へられ、康高して守らせらる、此年武田四郞勝賴、自ら軍勢を率し、高天神の城に兵粮を入れんとす、康高が勢ひに恐れつゝ、城の邊を除ぎて過ぐ、康高打つて出でぬれども、かたき戰を合はせざれは、味方進みて勝負を决するに及はず、初め天正元年康高榊原本多の人々と同しく、當國森の邊りにて武田信綱入道が勢を打ち破りしより、同き十年の春四郞勝賴亡びしに至て、康高常に武田が勢と戰ひて、首切て參らする事いくらと云ふ數を知らず、武田が終に滅びし事、康高が功莫大なり、此年遠江國城飼の地を賜ひて横須賀の城に移る、德川殿甲斐の國に攻め入らせ給ふ時、康高先陣を承り、今年の秋また北條が勢と戰て勝軍し、長湫の先陣して秀吉の勢を打破り、蟹江の城を攻め落し、同き十三年八月味方の人々、眞田が城を攻めて利を失ふと聞えしかば、井伊松平が勢と同じく馳せ向ひ味方迎へて引返へし、同き十七年六月廿三日、康高年六十二歲にして卒す、外孫なれば榊原小平太康政が嫡男を世嗣とす、五郞左衞門尉忠政と名のる、關東に徒らせ給ひし時、上總國望陀郡久留里の城を賜ふ、三万石慶長四年閏三月十七日叙爵して出羽守に任ず、明れば五年の秋東西の軍、一時に起りし時、忠政結城殿に從ひ軍奉行を承て、宇都宮の城に留る一說に舘林の城守とも六年の春再ひ橫須賀の城を給て移る、六万石十二年の春違例する事ありて、醫療の爲に都に上り年廿七歲にして、同九月十一日終に空しくなりてけり、嫡子國丸年纔に三歲にて家を繼き、五郞左衞門尉と申す、元和元年榊原遠江守康勝卒して、榊原が家絕えんとす、大御所の仰かうふりて五郞左衞門尉、本姓にかへり、祖父式部大輔康政が家を繼きて、榊原式部大輔忠次と召されしかば、大須賀の家は絕えてけり、