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武田勝頼
본문 표기 勝賴・武田四郞・武田四郞勝賴・四郞・四郞勝賴・武田の四郞・武田・主人・武田四郎・四郎勝賴・武田勝賴・主君・武田殿
保科 第一 · 1
- p001…位中將信忠卿、武田を亡さんとて、信濃國に發向あり、正直仁科五郞信盛と、勝賴の弟伊那の郡高遠の城にこもる、信忠押寄て攻めたまひ、仁科既に討れしか…
松平(荻生) 第二 · 1
- p001…加勢して、此所を守り、同き十二月遠江國榛原郡の地を給ひぬに千天正九年五月武田四郞が大將朝比奈駿河守と戰ひ、首七拾餘切て獻る、同き十年の春、三十七歲にて卒…
松平(久松) 第三 · 1
- p001…出させ給ふ度毎に、必す御後を守る、天正三年十二月水野下野守殿、信元武田の四郞に心を合せられたりとて、誅せらるべきよし、信長の仰せられしに因て、德川殿…
酒井 第四上 · 11
- p005…えしかば、吉田の城に入玉ふ、武田もこゝに押寄〱、山に陣を取る、まづ子息の四郞勝賴、山縣三郞兵衞尉昌景、都合其勢八千五百、城の邊に攻め近付く、左衞門尉忠次…
- p005…來寺の城を攻落す、六笠一宮の城々、怺へずして皆降人に成て出づ、同二年九月武田四郞勝賴、濱松の城を攻めんとて、二萬餘騎を從へて、天天龍を打渡り、御方は僅か七千…
- p005…る、忠次頻りに諫めければ、御方進みて戰に及はず、敵も頓て引返す、同き十月勝賴、又鳳來寺に要害を搆へ、軍勢を込む、十二月二日忠次かしこに押よせて、城中…
- p005…月二日忠次かしこに押よせて、城中の兵と戰て、首餘多切て獻る、同き三年九月武田四郞、長篠の城を落さんと、遠江國を經て、三河國に打出づ、德川殿御父子、後卷あ…
- p005…頓て織田殿加勢有て、同き廿日、御方の軍勢都合十萬餘騎、有海が原に出向ふ、勝賴武田兵庫介信實を先として、宗徒の侍大將七人、長篠の城の上、鳶巢の要害に籠…
- p007…殿助伊忠討れけれど、鳶巢既に攻おとされ、長篠の寄手、負軍すと聞えしかば、四郞が軍、うしろあらはになり行て、終には敗て落て行く、軍既に畢て後、織田殿、…
- p007…重ねて、故信玄入道、弓矢を取て、當代に類ひ多からず、されば其子息なれば、四郞頓てうしろ卷し候ひなん、長篠より此かた打續きたる戰ひに、御勢既に疲れぬ、…
- p007…後に松平周防守康親進み出て、小山の城せめられんに、何條の事か有べき、四郞が後卷叶ふ可らず、今年長篠の合戰に、能きもの餘多うたせつ、今は越後の敵に…
- p007…事、思ひもよらずと申す、此上は忠次强て諫申に及はず、小山の城をせめらる、四郞勝賴是を聞て、甲斐信濃上野の軍勢、生殘りたる者共に、長篠にて討れたる兵の、或…
- p007…勢二萬餘をひきゐて、小山の城の後卷す、御方の人々、左衞門尉が云ひし如く、武田また打出たりとて、引返さんとする所に、城中よりも切て出、忠次士卒を下知し…
- p007…衞門尉忠次我なりと名乘かけ〱、敵の勢をうち破る、武田が方にも高坂彈正忠、主人を强て諫めければ、戰ひに及ばず、同き四年二月七日上杉管領輝虎より忠次に書…
本多 第四上 · 1
- p006…をきること廿二、同十年三月、德川殿、三位中將平信忠と、信長の嫡男、武田四郎を擊るべしと、駿河國を打從へ、甲斐の國に攻入り玉ひし時、忠勝先陳を承る、…
本多 第四上 · 1
- p003…ひ、多くの御方を助けて追來る敵の首を切て引返す、天正元年七月奧平が父子、武田四郞を叛し時、廣孝に依て、御方に參るべきよし申ければ、廣孝父子松平主殿介伊忠…
本多 第四上 · 1
- p003…、城おちて後、酒井石川等と同しく守る、天正元年の秋、長篠の城を攻めらる、武田四郞勝賴うしろ卷せんとて、軍勢二手に引わけて、三河遠江に打ち出る、重次此時は榊原…
井伊 第四上 · 1
- p004…り傳へて、父直滿が事を、子の直親が事の樣にしるしけるにや、天正十年の春、武田四郞亡ひし後、彼の家子郞等悉く德川殿に從ひ奉る、此年冬十一月万千代丸、元服し…
榊原 第四上 · 2
大久保 第四中 · 4
- p003…が物語並に創業記等に見えず、甲陽軍鑑にも此事を論したり、天正三年四月武田四郞勝賴、甲斐國を立て遠江國を經て、參河國長篠の城に押寄す、德川殿御父子後卷せん…
- p003…だつて、其間三十町には過ぎず、乘本瀧澤、二つの川、縱橫に流れて落合たり、勝賴敵近づきぬと聞て、長篠の城の上に當て、鳶巢といふ山に要害を搆へ、宗徒の士…
- p003…ゝもの、數を盡し、助かるもの多からず、南北の敵、散々になつて逃け散れば、四郞は主從三騎にて、本國さして落さりぬ、軍既に事終て、織田殿、大久保兄弟を召…
- p003…給て、同九年に至まで凡七年が間、敵の境に打出て、日夜の戰ひ暇なく、同十年武田四郞亡ひし時、依田右衞門尉、駿河國田中の城にあり、爰をも忠世ぞ受取てける、今…
石川 第四中 · 2
鳥居 第四中 · 1
- p001…時、駿河國を過玉ふに、敵田中の城より出づ、元忠等仰を承て敵を打破り、此年武田四郞亡び、元忠等仰を承り、古府中に陣を取る、北條左京大夫氏直、武田が國を爭う…
戶田 第四下 · 3
牧野 第四下 · 1
- p003…、興國寺の城を守り、系圖によれば、興國寺を守りしは天正四年の事にて、勝賴を防かんためといへり、覺束なし同き七月、久野三郞左衞門宗能と共に…
松平(松井) 第四下 · 3
奧平 第六 · 4
諏訪 第六 · 1
- p001…玄に討れし後、賴重は信玄が妹聟なり、賴重を失つて、我妹の娘を妻とし、四郎勝賴をうみしなり、諏訪の嫡流絕えぬれば、滿隣が二男賴忠其先蹤を繼ぎ、安藝守…
土屋 第六 · 9
- p001…、土屋が家の旗幟に、鳥居を紋とする事は、此時よりぞ始りける、天正三年六月武田勝賴、宗徒の家子郞等が謀る旨をも用ゐず、長篠の軍せんとする、當家の亡ひん時至…
- p001…、討るゝ者數を知らず、虎義が五男昌次が舍弟總藏昌恒時に廿才只一騎、主君の供して取て返し、追來る敵を追拂て落ち行く、初鹿野傳右衞門尉馳せ加り、主…
- p001…落ち行く、初鹿野傳右衞門尉馳せ加り、主從僅か三騎にて、本國にぞ入にける、勝賴彼等兄弟が振舞ひを感じて、昌恒をもまた土屋と名のらせて、侍大將にこそなさ…
- p003…武田が家滅ふる時に當て、一族郞從悉く心變して、後矢射ける程に、勝賴行くべき方なくして、田野の奧天目山といふ所に落行き、かたき此處彼處に起て…
- p003…といふ所に落行き、かたき此處彼處に起て、今は逃るべきやうもなかりしかば、勝賴は川の邊に敷皮しかせて敵を待つ、跡部尾張守此所に落合て、つと走せ拔けて逃…
- p003…よつ引て放つ、跡部たゝ中をぐつと射貫かれて、馬より落て死してけり、總藏は勝賴に向ひ、御敵既に近付ぬ、昌恒防矢仕らん、御心靜に御自害あるべしと申もあへ…
- p003…兄金丸助六郞昌義、小原兄弟丹後下總女房達の介錯し、腹かき切て伏す、勝賴自ら太刀を拔き、あたりを拂ひ切てまはる、御曹司信勝これも同しく續きたり、…
- p003…物の鞘をはづし、切て出んとする所を、かたき六人が鎗に貫かれ忽に地に倒る、四郞不便にや見たまひけん、左の手にて槍一々にかなくり捨て、六人をかけす斬て捨…
- p003…父に背きて後矢射、よわき類は妻子携へて逃げ匿れ、此日天正十年三月十一日、四郞と共に死したりしは、侍、雜人僧童、都合纔にに四十四人、中にも一方の大將、…
眞田 第九上 · 1
- p003…て、北條に附け與ふべしと下知し給ふ、昌幸承り、この沼田の城と申すは、故主武田殿も賜はらず、又德川殿よりも賜はらず、昌幸が自らの武勇に依りて、攻め取つた…
松平(大須賀) 第十一 · 2
平岩 第十一 · 3
本多 第十一 · 1
- p001…後又加賀の國に趣き、小山の邊り山中といふ所に至りて留り住む、天正十年の春武田四郞亡ひし後、德川殿より仰ありて正信を召さる、織田殿に伴ひ給ひ御上洛ありと聞…
高力 第十一 · 1
- p003…す、武田か侍興津十郞兵衞が首とりしなり此年小山の城を攻めらる、武田四郞うしろ卷きす、岡崎三郞殿後陣を望ませ給て引て歸らせ給ひしに、正長日下部五…
菅沼 第十一 · 1
- p007…幾程なくて武田入道死してければ、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻めんとす山家三方の輩案內せしなり定盈城…
筒井 第十二上 · 1
- p006…、三年二月織田殿の養女を迎へて息定次の室とす、此年五月信長三河國に向ひ、武田四郞と戰ふべしと聞えて加勢參らす、鐵炮の者共五十人と云五年七月信長番兵…
藤田 第十二下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히