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井伊直政
본문 표기 直政・井伊・井伊侍從・井伊兵部少輔直政・兵部少輔直政・侍從直政・井伊万千代・井伊殿・井伊侍從直政・井伊直政・侍從兼兵部少輔藤原直政・兵部少輔・萬千代丸・万千代丸・兵部直政・赤鬼・井伊の侍從・故侍從・侍從直政井伊・井伊兵部少輔・井伊兵部直政・侍從
酒井 第四上 · 2
本多 第四上 · 5
- p006…次、石川伯耆守康昌、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に兵部少輔直政、大久保新十郎、後に相摸守忠隣、ばかりを召…
- p006…、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に兵部少輔直政、大久保新十郎、後に相摸守忠隣、ばかりを召しぐせられ、出向ひ玉ふ…
- p007…金右衛門、酒井作左衛門、多田三吉、花井庄左衛門、御扈從組には鳥居おまつ、井伊万千代、内藤新五郎、都筑龜藏、松平十三郎、菅沼小大膳、永井傳八郎、長田瀨兵衛、…
- p010…條の事あらん、とく返させ玉ふべしとぞ怒りける、同年德川殿關東へ御移あり、井伊本多榊原大久保などは、よのつねの御家人に准ずべからずと、關白の仰ありけれ…
- p010…しかば、軍を出すに及はず、慶長五年の秋、東西一時に軍起る、忠勝仰を蒙り、井伊直政と共に、御方の大名、打つれて、美濃國に向ひ軍し、九月十五日の合戰に、諸軍…
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 1
- p004…、美濃國に着かせ玉ひし日、御方の軍勢、大坂の兵と、笠縫堤に戰ひし時、康俊井伊侍從、本多中務少輔共に馳向ひ、駿河の勢を引て歸り、御感の仰を蒙れり、關が原の…
井伊 第四上 · 74
- p001…侍從兼兵部少輔藤原直政は閑院の左大臣冬嗣公の七男、內舍人良門五世の孫、備中守共資の男、遠江國の…
- p001…て、利世といふ人を見ず、されど、藤氏系圖に漏しぬるも知れぞ、また共保より直政迄十六代の由、家の系圖に記せり、一條院の御時より、直政が生れし比迄は、凡…
- p001…れぞ、また共保より直政迄十六代の由、家の系圖に記せり、一條院の御時より、直政が生れし比迄は、凡五百六七十年に及びぬべし、たとへ一世ことに四十年に及は…
- p002…共に、尾張國桶迫の合戰に討れしかば、井伊が嫡流旣に絕えぬ、肥後守直親が子兵部少輔、幼なくして、父に後れ、いまだ童にて萬千代丸と申しゝより、德川殿に仕へ參…
- p002…流旣に絕えぬ、肥後守直親が子兵部少輔、幼なくして、父に後れ、いまだ童にて萬千代丸と申しゝより、德川殿に仕へ參らせ、此稚き者、尋常の人にあらず、又累代の家…
- p004…れたらんには其子肥後守直親、從弟の信濃守直盛が家く繼べき事とも思はれず、兵部少輔直政、永祿四年に生る、祖父直滿が打れしより、十八年の後なれば、父の直親が直滿…
- p004…の如くなるにや、また直滿討れし時、直親まぬかれ、直盛が家をば繼かず、其後直政を設けて死したりしを、世には誤り傳へて、父直滿が事を、子の直親が事の樣に…
- p004…年の春、武田四郞亡ひし後、彼の家子郞等悉く德川殿に從ひ奉る、此年冬十一月万千代丸、元服して、兵部直政をめさる、十二月武田が侍大將山縣土屋原一條が手の者七…
- p004…し後、彼の家子郞等悉く德川殿に從ひ奉る、此年冬十一月万千代丸、元服して、兵部直政をめさる、十二月武田が侍大將山縣土屋原一條が手の者七十四騎、坂東に名を得…
- p004…將山縣土屋原一條が手の者七十四騎、坂東に名を得し兵四十三騎、引すぐりて、直政が手に附られ、一方の大將給て、籏幟より物具まで、色は赤を用ゐけり、十二年…
- p004…戰ふべしとて、密に御勢を引分けて、差向けられ、みづから續て長湫に向はる、直政御先に進む、御方の先陣、既に敵の後陣を打破り、敵さん〱に打なされ、先陣の…
- p004…破り、敵さん〱に打なされ、先陣の勢と、一つになり、取て返して戰はんとす、直政が赤籏赤幟、朝日の光に輝きて、山よりこなたに馳せおろし、立ざま橫さまかけ…
- p004…、敵終に打負けて、大將あまた討れしかば、士卒猶いふに及はず、京家の者共、直政を赤鬼と名づけしは、此時よりの事なりけり、同き六月敵大野の城を攻む、直政…
- p004…に打負けて、大將あまた討れしかば、士卒猶いふに及はず、京家の者共、直政を赤鬼と名づけしは、此時よりの事なりけり、同き六月敵大野の城を攻む、直政此とき…별명
- p004…直政を赤鬼と名づけしは、此時よりの事なりけり、同き六月敵大野の城を攻む、直政此とき松葉の里に陣取て、此由を聞くよりも、馬烟を蹴立て馳せ向ふ、寄手取る…
- p004…みし參らせ、德川殿に背きしかば、御勢を差向けらる、御方利なかりしと聞て、直政等彼國に向ひ、御勢を迎へ歸る、去程に關白、德川殿に對面の事を望給ひしかど…
- p004…仰せられしかど、大廳既に御首途ありと聞えしかば、岡崎の城に迎へ入れ給ひ、直政を御跡に留めらる、御見參の事終りて後、程なく歸らせ給ひ、頓て大廳をも返し…
- p004…御見參の事終りて後、程なく歸らせ給ひ、頓て大廳をも返し參らせらる、此度は直政して送られたり、直政關白殿に召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、…
- p004…程なく歸らせ給ひ、頓て大廳をも返し參らせらる、此度は直政して送られたり、直政關白殿に召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、伯耆守が事なり別に…
- p004…召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、伯耆守が事なり別に傳あり直政が昔の傍輩なればとて、接伴に召さる、直政數正に打背き居て、面をもあはせず…
- p004…、伯耆守が事なり別に傳あり直政が昔の傍輩なればとて、接伴に召さる、直政數正に打背き居て、面をもあはせず、殿下みづから茶點して給るべきに至て、數…
- p004…て、面をもあはせず、殿下みづから茶點して給るべきに至て、數正また接伴す、直政かたへの人に向つて、これにさふらふ數正は、譜代相傳の主君にそむき參らせ、…
- p004…ふらふ數正は、譜代相傳の主君にそむき參らせ、殿下に從ふ大臆病の男なれば、直政彼れと肩を並べ、膝を組まん事、御免を蒙るべきにて候と申ければ、御前に在り…
- p004…年四月主上、關白家へ行幸あり、德川殿も參らせ玉ひ、御家人等任官の事あり、直政殊に侍從從五位下になされ、兵部少輔を兼ぬ、十八年の春、若君初めて關白殿へ…
- p004…五位下になされ、兵部少輔を兼ぬ、十八年の春、若君初めて關白殿へ參り玉ふ、直政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討たれしに、直政、德…
- p004…ふ、直政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討たれしに、直政、德川殿の先陣うつて、小田原の城に向ひ、蓮池より押寄て、陣を取る、六月廿…
- p004…先陣うつて、小田原の城に向ひ、蓮池より押寄て、陣を取る、六月廿二日の夜、直政一勢、外郭を攻破る、松平周防守康親同しく續く、城中にも山角上野介父子三人…
- p004…上野介父子三人、次の城を陷されじと、散々に防き戰ふ、つゞく御方なければ、直政康親引返す、…
- p005…軍勢廿餘万、城中に立籠る所も七箇國の精兵、されども手いたき戰ひせし事は、直政が一勢とぞ聞えける、また直政が攻めやぶりし所をば、篠曲輪と申て、城の東に…
- p005…七箇國の精兵、されども手いたき戰ひせし事は、直政が一勢とぞ聞えける、また直政が攻めやぶりし所をば、篠曲輪と申て、城の東にあり、または、すて曲輪とも申…
- p005…て曲輪とも申す、城中より橋一筋を渡して、晝は兵を出して守らす、德川殿初め直政をめして、橋か〱とばかり問はせ玉ひて、又仰らるゝ色もなし、直政いかなる事…
- p005…德川殿初め直政をめして、橋か〱とばかり問はせ玉ひて、又仰らるゝ色もなし、直政いかなる事とも心得ず、深く案じ煩ひて、如何さまにも、彼の橋の下の水の淺深…
- p005…せて、御前に參り、かくと申しゝに、初の如く、橋か〱とばかり仰られしかば、直政いよ〱心得ず、とかく案じ煩ふ程に、初め仰を蒙りしより四十八日を經て、急度…
- p005…りき、かばかりのこと下知せんは、家康が身に取ては、似あはぬものをと宣ふ、直政心に思ひしは、扨は此所、直政が勢にて攻め破れとこそあるなれ、たゞし彼橋の…
- p005…は、家康が身に取ては、似あはぬものをと宣ふ、直政心に思ひしは、扨は此所、直政が勢にて攻め破れとこそあるなれ、たゞし彼橋の事、かくまで問はせ玉ふは、此…
- p005…など馳せ加りし程に、多勢になりて、篠曲輪を攻やぶりて、次の城に攻め入る、直政眞先をかけ、かの橋のほとりに押寄て、みづから鐵砲をおつとり、城中に向て放…
- p005…つ、玉をも藥をも重ねて込うたりければ、筒忽に裂けて、左の手の指をやぶる、直政是を物ともせず、其手してくろかねの楯提け、えい聲を出して攻め入し程に、士…
- p006…舊き人此事を語りて云ひしは、德川殿の直政めして、一つの橋を擧け玉ひ、四十八日を經るまで、其心を仰せられざりし事こ…
- p006…臨みては、機にのぞみて、變に應すべきものなれば、人の敎へを賴むべからず、直政が德川殿の仰を承て、四十八日が程、心に絕えず思ひはかりしも、尋常ならず、…
- p006…と申はべりき北條亡びて、彼領せし國々、德川殿へ參らせる、關白殿の仰にて、直政上野國箕輪といふ所を賜り、十二万石高崎の城を構へて移りすむ、十九年…
- p006…に大膳大夫信直背きしかば、德川殿、三好中納言秀次卿と共に向ひ玉ふ、直政先陣を承り、蒲生飛驒守氏鄕に會津の守護、別に傳有り加勢して、九戶の…
- p006…閤薨し給ひし後、彼家の奉行、德川殿うしなひ參らせんとする事、度々に及ぶ、直政等が嚴しく守護し奉りしに依て、終に御恙もわたらせ給はず、同き五年の夏、上…
- p006…聞ゆ、御供にさふらふ諸大名、まづ引返して、上方に向ひ、軍をせんとす、此時直政本多中務少輔忠勝と、私に相謀て、諸大名と共に馳向ひ、軍仕らんと申す、德川…
- p006…を海道の大將軍とし、後に薩摩守殿と申參らせし御事なり、軍奉行には、井伊本多を差向けらる、扨こそ九月十五日の軍をも、直政が手より始けれ、斯て御方…
- p006…御事なり、軍奉行には、井伊本多を差向けらる、扨こそ九月十五日の軍をも、直政が手より始けれ、斯て御方手合せに勝軍し、德川殿頓て上らせ玉ひ、東西の軍、…
- p006…に勝軍し、德川殿頓て上らせ玉ひ、東西の軍、美濃國關が原にして勝負を决す、直政手の者共に下知して軍させ、我身は下野守殿の御陣に參り、守殿い、直…
- p006…、直政手の者共に下知して軍させ、我身は下野守殿の御陣に參り、守殿い、直政か聟君なり、殿は此度ぞ御軍は始めなる、御勢をば爰に留められ、歩行立の…
- p006…今日の先陣は、福嶋が給て候を、先懸けんとし玉ふは誰そ、狼藉なりと押止む、直政是は下野守殿、先陣の人々の軍するやう、御覽あるべきにて、井伊の侍從が、御…
- p006…りと押止む、直政是は下野守殿、先陣の人々の軍するやう、御覽あるべきにて、井伊の侍從が、御供に侍ふなり、されば御勢をも倶せられず、通し參らせよといふ、扨は苦…
- p006…兵庫入道惟新、負軍して、千人斗り、のけ甲になつて、馬を靜めて落ちて行く、直政が士、嶋津こそ通れといふ、直政あれば、御方がと問ふ、こゝを通る敵の事に候…
- p006…り、のけ甲になつて、馬を靜めて落ちて行く、直政が士、嶋津こそ通れといふ、直政あれば、御方がと問ふ、こゝを通る敵の事に候と、いひもあへぬに、直政馬を馳…
- p006…いふ、直政あれば、御方がと問ふ、こゝを通る敵の事に候と、いひもあへぬに、直政馬を馳て追かく、守殿も續きて駈け給ふ、嶋津が兵、取て返し戰ふ、守殿組打し…
- p006…、守殿も續きて駈け給ふ、嶋津が兵、取て返し戰ふ、守殿組打して御手負はれ、直政も鐵炮に中りて馬より落つ、嶋津も終に逃れてけり、守殿も直政も、手深からね…
- p006…て御手負はれ、直政も鐵炮に中りて馬より落つ、嶋津も終に逃れてけり、守殿も直政も、手深からねば、御供して御陣に參る、德川殿は、直政が守殿具し參らせ軍せ…
- p006…に逃れてけり、守殿も直政も、手深からねば、御供して御陣に參る、德川殿は、直政が守殿具し參らせ軍せし事ども、深く悅ばせ給ひけり、…
- p007…此日敵悉くに敗る、嶋津希有に命のがれ落行く、直政はしめより入道と見けれども、守殿の御供はしつ、繼く御方もなし、入道壹人が…
- p007…し止めんとて、多からぬ御供の人々損ひて益なしと思ひ、見ぬ振してありしを、直政が兵、元は武田が家に有しが、頻りに敵のよしをいひしかば、直政こらへず追か…
- p007…てありしを、直政が兵、元は武田が家に有しが、頻りに敵のよしをいひしかば、直政こらへず追かけて戰ひしが、果して守殿も直政も手負はれぬ、危かりし事なり、…
- p007…、頻りに敵のよしをいひしかば、直政こらへず追かけて戰ひしが、果して守殿も直政も手負はれぬ、危かりし事なり、直政が士、骨法なしと人みな瓜彈きしたるとな…
- p007…こらへず追かけて戰ひしが、果して守殿も直政も手負はれぬ、危かりし事なり、直政が士、骨法なしと人みな瓜彈きしたるとなり、又直政を鐵炮にて打ちしは、嶋津…
- p007…はれぬ、危かりし事なり、直政が士、骨法なしと人みな瓜彈きしたるとなり、又直政を鐵炮にて打ちしは、嶋津が家人河上四郞兵衞忠允が若黨柏木源藏といひし者な…
- p008…石田が澤山の城を攻らるべき先陣を給ふ、金吾中納言秀秋强ちに望まれしかば、直政二陣に定められ、城をば終に攻破る、かくて國々の御敵、一時に平らき、此年十…
- p008…に平らき、此年十一月、御方せし諸大名、勳功の賞を給はる、明れば六年二月、直政に、石田が領せし近江國の地を給り、三万石を加へられ、十五万石を領せし…
- p009…兵部少輔藤原直勝は、初め右近大夫直繼侍從直政の嫡男なり、始め慶長七年生年十二歲にて父に繼く、同き九年の春、仰によりて…
- p012…右中將藤原直孝は、侍從直政の二男なり、…
- p013…直政の室は松平周防守康親が娘なり、それに隨來りし女の直孝をば生めるなり、初め…
- p013…の室は松平周防守康親が娘なり、それに隨來りし女の直孝をば生めるなり、初め直政の室、彼の女の娠む事あるを知て、其父が許に送れり、其父をば印具德右衞門某…
- p013…といひて、康親が家の侍なり、此年天正十八年の秋、德川殿關東に移らせ玉ひ、直政上野國箕輪の城を給ひ、康親の子康重武藏國私市の地を給りて、印具關東に移る…
- p013…に至る日、直孝は生れてけり、六歲に及ひし時、其母いたきて箕輪の城に赴き、直政が城外に出しを待得て、此御子かくまで育て參らせて候、今は渡し參らせ候べし…
- p013…せて候、今は渡し參らせ候べしといひて、みづから參らせて、私市にかへりぬ、直政頓て其處の庄屋といふ者に、此子よく育てよとて給てけり、十一といふ年の暮に…
- p013…、夜盜餘多入來る、直孝其一人が高股斬て、下部等召て生どりぬ、十二歲の時、直政ひそかに直孝めして、年來みづから執りし所の釆配を授けぬ、如何に思ふ所やあ…
- p013…て、年來みづから執りし所の釆配を授けぬ、如何に思ふ所やありけん、其明年に直政は卒してけり、…
- p015…頃病ひに犯され、軍國の務にたえず、然りとは申せども、大御所むかし父にて候侍從直政に附けさせ玉ひし、ふるき者共、猶多く候へば、家の事をば沙汰し申べし、また…
- p015…終てのち御前を罷出て、正信に向ひ、今日の振舞、無禮にこそ侍れ、去ながら、故侍從が家を繼くべしとの仰を蒙りて候上は、向後の事は、御免あれといふ、正信され…
榊原 第四上 · 3
大久保 第四中 · 2
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…此とき忠次、大久保七郞右衞門山田八藏等と鎗を合せし由、德川殿井伊兵部少輔に御物語ありしといふ、按ずるに家忠日記增補に、兵の起りしは永祿六年九月三…
松平(松井) 第四下 · 2
山口 第六 · 1
- p001…に吹つくれば、敵は船ども乘捨て、陸にあがつて迯散るを、城中より切て出づ、井伊兵部直政を先として、北畠の軍勢も、鞭鐙を合せ援ひ來れば寄手こらへず引かへす、德川…
秋元 第六 · 1
- p001…せし國々皆德川殿領し玉ひ、武藏國を御座所と定らる、當國に名ある者なれば、井伊兵部少輔直政勸めにて、越中守長朝を召出され、御家人となさる、慶長五年の秋、奧の上杉中…
京極 第七上 · 1
- p001…まなりしかば、高次おのが大津の城に迎へ奉らんとす、德川殿大に悅ばせ給ひ、井伊侍從して其芳志を感ぜらる、明れば五年の秋、上方の軍起りしに、大坂近き邊りにて…
加藤 第七下 · 2
鍋島 第八上 · 1
- p006…如水入道、勝茂か父直茂と親しかりければなり、長政久納が志の程を感じ、井伊兵部少輔直政と相議りて、此由をかくと申す、德川殿聞召し、家康彼が父直茂と約せし事あり…
南部 第九下 · 1
- p005…卿を、大將軍として、數多の軍勢を差向けらる、德川殿にも、向はせ給ふ程に、井伊兵部少輔直政、先陣をうつて馳下る、蒲生飛驒守氏卿は、去年奥十二郡を賜て、當國の鎭守を…
伊東 第九下 · 1
- p014…德川殿奧の景勝中納言を退治の爲、御下向ありし時、祐兵折節大坂に侍ひしが、井伊侍從に就きて、急き軍勢を召上せ、御跡を慕て馳せ下るべき由を申す、德川殿御消息…
稻葉 第十上 · 1
- p004…犬山の城を守りしが、德川殿に心を通し、東國の先陣、尾張の國に至ると聞て、井伊本多が許に使立て、貞通御方に參るべき由を申す、斯る所に八月廿日東國の先…
相良 第十上 · 1
- p006…御發向を待て裏切すべき由を申す、東西の軍既に關が原にして戰を合せし時、井伊侍從直政が撿使乞うて、秋月高橋等と相語らひ、敵の大將垣見熊谷木村等が首を切て參ら…
薩摩守殿 第十一 · 16
- p001…ふ時、上方の軍勢また起りぬ、德川殿御代官として守殿海道の大將承らせ給ひ、井伊本多を軍奉行とし、御方の大名引具して攻上り、まづ尾張の淸洲の城に至り給ひ…
- p001…攻上り、まづ尾張の淸洲の城に至り給ひ、福嶋池田等を先陣とし、宗徒の大名に井伊本多つけて、岐阜の城に差向けらる、味方すでに勝軍しつと聞えしかば、守殿も…
- p003…美濃國關が原にして東西の戰を决せらる、守殿御方の軍勢をひきゐて向ひ給ひ、井伊が手より軍旣に始ると見えしに、兵部少輔直政、守殿の御陣に參り、先陣の人々…
- p003…る、守殿御方の軍勢をひきゐて向ひ給ひ、井伊が手より軍旣に始ると見えしに、兵部少輔直政、守殿の御陣に參り、先陣の人々が軍するやう見せ參らすべきため、直政御迎に…
- p003…部少輔直政、守殿の御陣に參り、先陣の人々が軍するやう見せ參らすべきため、直政御迎に參りぬと申しければ、御勢をば元の御陣に止められ、步行武者三百ばかり…
- p003…と申しければ、御勢をば元の御陣に止められ、步行武者三百ばかり倶せられて、直政を御供にて、福嶋が陣の脇より、つと駈けぬけて敵の陣に切て入る、時うつるま…
- p003…御馬の足やすめらる、かゝる所に嶋津兵庫入道義弘負け軍して此所を落て行く、直政これを追かくる、守殿も續て馳せ給ふに、嶋津が郞等松井三郞兵衞尉と名のつて…
- p003…つかせ給へば、阿知波嘉右衞門馳せ參て、御疵を吸ふ、御馬すでに放れぬれば、井伊が侍江坂が馬を參らす、…
- p004…田甚右衞門小栗又市、まのあたり見て物語りせし所なり、いづれの記にも、初め井伊御供して福嶋が陣の脇より馳せ出で、嶋津が陣に切て入る、守殿松井を討たせ給…
- p004…より馳せ出で、嶋津が陣に切て入る、守殿松井を討たせ給ふ由を載す不審なり、井伊が手は浮田が先陣と戰ふ、嶋津が陣は浮田が陣を隔てゝ、あなたの方關藤川を後…
- p004…辰已に向ひ陣して、細川黑田等の人々と戰ひ、其後本多中書が爲に破られたり、井伊守殿の御供して、嶋津が陣に馳せ入て戰ひしにはあらず、兵庫入道が負け軍して…
- p004…た後に龍伯入道が參らせし兵庫入道が聞書も、是れに同し、〇又按ずるに、初め井伊が守殿の御供せし時は、則ち我手の者の、浮田が勢と軍する中に馳せ入りて、軍…
- p004…ろさせ給ふ樣にはすべき、必なきの理なり、さればこそ嶋津がおちあしの時も、井伊は此殿の御供せし故に、追ふべしともせざりしを、郞等にもと甲斐の武田が家人…
- p005…直政手負うて馬より落つ、嶋津も遙かに落ち延ひぬ、こゝより御陣に歸り給ひ、軍既…
- p006…此時直政御供して御前に參り、賤しきものゝ辭に、逸物の鷹の兒は逸物なりと申す者の候…
- p007…將監等、殉死し畢んぬ、これを當家になりて殉死せし初と云ふ此殿の北方は井伊侍從が娘なりしかど御世嗣ましまさねば御跡たえぬ…
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…め落し、同き十三年八月味方の人々、眞田が城を攻めて利を失ふと聞えしかば、井伊松平が勢と同じく馳せ向ひ味方迎へて引返へし、同き十七年六月廿三日、康高年…
北條 第十一 · 1
- p003…て御使をば返してけり、御使三度に及びし後、四月廿一日甘繩の城をば本多榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、德川殿の…
福嶋 第十二上 · 5
- p003…の兵に問ふにこそ斯る事のありしとは始て知てけれ、仰承りぬとて使をば歸し、井伊本多と相議して番の兵六人が首斬つて贈る、伊奈は御先手の足輕大將なり…
- p003…にあらず、是等の首たまはらんこと、其詮なし、速に返し參らするとぞ申ける、井伊本多これ聞て大に驚き、正則が宣ふ所理至極しぬ、さらば伊奈が手に屬せし寄騎…
- p003…の理なきにあらず、伊奈が計らひ不當なりと怒らせ給ひしかば伊奈腹切て死す、井伊兵部少輔直政頓て其首持せて正則が陣に行き向ふ、正則是を見て井伊殿の御力に依て正則耻す…
- p003…切て死す、井伊兵部少輔直政頓て其首持せて正則が陣に行き向ふ、正則是を見て井伊殿の御力に依て正則耻すゝいで候とて悅びける、此年十一月安藝備後兩國を正則に…
- p004…此時或人井伊侍從に向ひ、正則おのが功に誇つて、伊奈に腹きらせし人なるに、御恩他に異なるこ…
堀尾 第十二上 · 1
- p006…の御誓あるべしと聞えければ、吉晴大に畏れて固く辭し申ければ、御代官として井伊侍從直政が許より起請文書て送る、此後も世既に亂れんとする事、度々に及びしかど、吉…
松倉 第十二下 · 3
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히