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京都
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越前 第一 · 9
- p001…せ給はず、秀康の御母お万どの、後に長勝院といふ深く是を歎き、此上は都にのぼり、兎にも角にも、守殿とこそ一所にならめとて、迷ひ出玉ふに、村田意…
- p001…こそ一所にならめとて、迷ひ出玉ふに、村田意竹入道、かひ〱しく、御供して、都にのぼり、守殿の御館に入れまゐらす、同き十三年の十二月、北畠の使として、…
- p001…日に、下總守勝雄、また關白の御使となつてまゐる、御物語の序に、殿は久しう都の方は御覽せぬにて候、今は都のやうも、昔には事かはつて侍れば、且は御心を…
- p001…御使となつてまゐる、御物語の序に、殿は久しう都の方は御覽せぬにて候、今は都のやうも、昔には事かはつて侍れば、且は御心をも慰められんがため、且は秀吉…
- p001…殿にだにも、參會に及ぶべからず、まして其公達に於てをや、家康信長の御時、都に登りて、見つべき所をば皆見つ、都戀しう思ふ所もなし、鷹臂にし狗曳かせ、…
- p001…して其公達に於てをや、家康信長の御時、都に登りて、見つべき所をば皆見つ、都戀しう思ふ所もなし、鷹臂にし狗曳かせ、野くれ里くれ狩くらす、何事の慰みか…
- p001…里くれ狩くらす、何事の慰みか、この慰みに代ふべき、彼につき、是につきて、都に登らんともおほえず、たゞし秀吉みづから當時朝の御覺え、世のなびき從ふを…
- p001…らる、此上は、關白に見參有べしと聞えしかば、御家人等が心を安んぜんが爲、都に御逗留の程、其國にとゝめさせ給へとて、大廳を下し給ひしによつて、やがて…
- p001…に御逗留の程、其國にとゝめさせ給へとて、大廳を下し給ひしによつて、やがて都に登り給ひぬ、十五年の春、參河守殿御年十四歲、關白殿と共に、筑紫に渡り、…
松平(藤井) 第二 · 3
水野 第三 · 5
- p001…々に及ひしかど、此人天性腹あしき人にて、父の不興蒙りて、刈屋の城を出て、都に上り、六左衞門と名のる、…
- p003…天正十五年に、關白殿筑紫にむかひ給ひし時、肥後國に渡りて、都にて鬪諍し、人うち、肥後へゆきしとも云ふ、まことにや、佐々陸奥…
- p004…ち出て、彼童坊が茶の事畢りて歸る所を、たゝ一刀に切てすて、こゝをさりて、都をさして登りしといふなり、…
- p005…都のかたに趣きしに、大坂の奉行人、德川殿の伏見の御館攻むべしとて、洛中洛外…
- p005…て獻る、打捨は數を知らず、然れども、大御所勝成が振舞を悅ばせ給はず、今度都にて勝成めして、一方の大將を賜る上は、相構へて、昔の如く、自らの高名せん…
松平(久松) 第三 · 3
酒井 第四上 · 1
- p008…を賴み、於義丸殿を養君となし、また御妹を濱松へ參らせ玉ひしかば、德川殿も都に上り給ふべしと議せらる、忠次此事ゆめ〱然るべからず、東西再ひ軍起るとも…
本多 第四上 · 11
- p006…た中將と共に山陰山陽を從へんが爲に、近日に首途し、諸國の軍勢集らん程は、都にさむらはん、德川殿は都の內も見給はぬ所も多かるべし、是よりは程遠からず…
- p006…へんが爲に、近日に首途し、諸國の軍勢集らん程は、都にさむらはん、德川殿は都の內も見給はぬ所も多かるべし、是よりは程遠からず、善きついでなれば、畿内…
- p006…は程遠からず、善きついでなれば、畿内の名所〱をも御心靜に御覽あれ、やがて都にて又こそ見參には入べけれ、汝等は御先へ罷り向て、よくもてなし奉れとて、…
- p006…東郷侍從、參らせられたり、又この四郎次郎男と申は、茶屋と稱す、都の商人にて候が、さが〱しきやつにて、常は信長が許へ近く召すものにて候、德…
- p006…仕て、御心を慰め奉るべしと、仰下さる、同廿一日、德川殿近江國を御出あり、都より初て、所々回り御覽ずる程に、同き晦日には、和泉國堺の浦に至り給ひぬ、…
- p006…至り給ひぬ、織田殿も、今ははや御上洛の程なり、家康も見つべき所をば見つ、都へ上りて見參に入らんと思ふに、汝まづ參て、此由を申せとて、四郎次郎をば返…
- p006…洛の旨を織田殿へ告げ申され、頓て堺の浦を出で玉ふ、忠勝馬を馳せて上るに、都の方より荷鞍しきたる馬に乘て、追かけ〱來るもの、行合ひたり、近く寄て見れ…
- p006…うち死しなむ、此無勢にて、なまじいに軍せんとて、雜兵の手に掛らんよりは、都へ登り、知恩院に入て腹切て、信長に死を共にせんと思ふなりと宣ふ、竹丸承て…
- p006…る上は、思ふ所をまづ人々に申にて候、そも〱殿が信長の年來の恩に感し玉ひ、都へのぼり、御腹めさるべしと候は、義の當つたる所なれば、誰々も異議なきとこ…
- p006…取て得づけんとする、山賊强盜の奴原に、爰かしにて打れん事の口をしければ、都にて腹切らんとは思ふぞと仰せらる、竹丸怒れる眼より、泪をはら〱と流して、…
- p008…東西和睦なりて、關白の御妹、濱松に入玉ふべしとあり、悅び申の御使に、忠勝都にのぼり、關白殿も、此日の事を語り出されて、一人當千の兵とは、忠勝をこそ…
本多 第四上 · 5
- p003…生れ落させ玉ひしより、重次とりて養ひ參らす、此年御とし十一になり玉ふが、都に登らせ玉ふ事を、御名殘をしく思ひしかば、我獨子にて愛しける仙千代丸つけ…
- p003…死なば一所にこそ死なめとて、忍ひて大坂に上らせ玉ふ、重次いや〱仙千代丸、都に置て、人の疑ひ受けん事も詮なし、たゞ獨ある子失はれんも不便なりと、思ひ…
- p004…ては叶ふまじとて、御上洛あるべきに極る、御家人等が危く思はん所も侍る故、都に御逗留あらん程は、それに留めさせ玉ふべしとて、大廳を下し給ひしかば、岡…
- p005…は、關白殿の我國の殿を失ひ玉ふか、若くは留めまゐらせて返し玉はずば、今度都より御下り有て、是にまします御方を、盡く燒殺し申さん料の薪とかや申て、本…
- p010…に附らるゝといふ、覺束なし、また伊豆守といふは、むかし成重が身代りに都へのほりし、源四郞富正と申しゝが事なり、大坂前後の戰に、越前の先陣し…
井伊 第四上 · 1
- p004…、兵部少輔を兼ぬ、十八年の春、若君初めて關白殿へ參り玉ふ、直政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討たれしに、直政、德川殿の先陣う…
榊原 第四上 · 5
- p003…中直り、德川殿に好みを結び、終に御妹を濱松へまゐらせらるべき事定り、康政都へ參るべしと、望み給ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が…
- p003…御妹を濱松へまゐらせらるべき事定り、康政都へ參るべしと、望み給ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、…
- p003…ひしかば、都に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、關白殿彼家に、成らせ玉ひ、康政が手を取て、今日の對面こそ珍しけ…
- p003…六年、殿下北條の上洛を催さる、氏政氏直のたもふ旨あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせられしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房…
- p003…開て、此間諸國より來り集つたる旅人、たゞ一時に大津山科や醍醐狼谷を經て、京伏見に走せ上る、是を見る人、あな夥しの東國の勢や、何万騎あらんといふもあ…
大久保 第四中 · 9
- p005…て歸りしかば、其身も小諸城に歸る、同き十一月石川伯耆守數正、岡崎を去て、都に登り、三河遠江の間、以の外に騷動す、急ぎ御使を給て、忠世を召す、忠世承…
- p005…來年正月に至る、此後東西御和睦あつて、德川殿關白秀吉に御對面のために、都に登り玉ひ、大廳岡崎に下り給ふに、忠世、井伊本多作左衞門重次なりと…
- p009…、大閣の御不審、蒙らせ玉ひ、かくては一定失はれぬと思召し、當時中納言殿の都にましますを、たばかつて取參らせ、德川殿を賴みて、讒言を申し披かんと、四…
- p009…りぬ、人其故を知らず、たとへば慶長十九年正月五日、忠隣小田原の城を立て、都に上る、是れ大御所の仰を蒙て、西洋耶蘇の法、禁ぜんが爲とぞ申ける、同き十…
- p009…る、是れ大御所の仰を蒙て、西洋耶蘇の法、禁ぜんが爲とぞ申ける、同き十七日都に入て、藤堂和泉守高虎が家に宿し、まづ、西の京にある彼寺を焚き拂ひ、四條…
- p009…昌、父に久しく對面に及ねば、身の暇賜て上洛すと披露して、忠隣に先だつて、都に上り、去年十二月十四日に、江戶を立つ父伊賀守勝重に仰を傳ふ、勝重…
- p009…せ承るべしとて、靜に事を終て後、さらばとて、謹て仰を承り、さなきだに此間洛中洛外、物騒しかりしに、京童ども、忠隣罪蒙ると聞て、すはや事の起るぞとて、資財…
- p009…伏、悉く束ね縛て、伊賀守が許に送る、家子郞等皆暇賜て、關東に下しげれば、洛中程なく鎭まりぬ、二月五日森川內膳正、日下部河內守、大久保與一郞、同半助等…
- p010…て、彼御館に參りて捧しかば、俄に此處より江戶へ返させ玉ひ、相摸守をして、都にのぼり、邪法を禁ずべしと仰下され、都に上りし跡へ、御使ありて、郞徒等を…
鳥居 第四中 · 2
戶田(田原) 第四下 · 1
- p002…介殿の御手に隨て向ひしかば、尊次も同く彼の御手に屬す、此年元和元年七月、京都にして卒す、年五十一歲、其嫡男因幡守忠能生年十五歲、慶長五年の秋、父と共…
戶田 第四下 · 1
- p001…此城に在る事三年にして卒し、子息左門氏鐵父に繼く、大坂の兵起し時、大御所都に上らせ玉ふと聞て、矢橋の浦まで御船を參らせて、御膳を薦め奉る、我身は仰…
酒井 第五 · 1
- p004…大に恐れて、速に城中を去りて、東叡山に入て蟄居し、早馬を參らせて、此由を京都に告く、將軍執政の人々を召して、西城の火災あに忠世が罪ならんや、我たとへ…
土井 第五 · 1
- p003…なりしを召て、若君へ附られ、甚三郞とぞ召れける文祿四年七月、中納言殿は、都に御座ありしに秀次關白、父大閣に罪蒙り玉ひ、中納言殿を却し質として、一旦…
永井 第五 · 3
板倉 第五 · 3
森川 第五 · 3
奧平 第六 · 2
北條 第六 · 1
- p003…きに計らせ玉ふに因て、關白の心とけ玉ひ、天正十六年五月、北條の使者、初て都に上る、この美濃守氏規をさゝれたり、德川殿よりも榊原康政つけて參らせらる…
稻葉 第六 · 1
- p006…日向守が妹の子なり、光秀に從て討死す、男子三人女子一人、父が討たれし後、都の傍に住す、正成その女子をむかへしなり、これ則ち春日の局なり、…
堀田 第六 · 1
- p005…輔安吉、播州龍野を賜て移りしゆゑなり、延寶五年の春、正信密に若狹國を出て都に上り、男山清水等に參詣し、願書を籠めて、將軍家の若君御誕生の事を祈る、…
朽木 第六 · 3
淺野 第七上 · 2
京極 第七上 · 1
- p004…領なれば、三男にこそ賜べけれと思ひしに、案に相違してければ、詮方なくて、洛陽黑谷のほとり岡崎と云ふ所に庵室かまへ、引籠て、心にもあらぬ後世のいとなみ…
山內 第七上 · 2
堀 第七上 · 1
- p004…重勝領せしと云、慶長七年兄秀治が二男鶴千代丸を養うて所領讓り、我身は都に上り住む、一万八千石を鶴千代に與へて、自らは一万二千石を領せしとい…
伊達 第七下 · 10
- p009…兩國の守護とし、木村伊勢守父子に、葛西大崎の地を賜ひ、氏郷に副らる、關白都に歸り給ひし後、此年の冬葛西大崎の地、此處彼處逆徒蜂起して、木村が城々攻…
- p009…政に行合ひ、打連れて上洛す、政宗も同じく上洛し、讒者の實否を糺さんとて、都に上り、妙覺寺を旅舘とし、罪なき由を陳し申す、關白更に實事とし給はざりし…
- p009…る、今の仙臺程なく賊徒起りて、宮崎の城に立籠たるを攻破つて、首ども都に獻りければ、關白の御感を蒙り、其後侍從に任じ、朝鮮の事起りしかば、政宗…
- p011…徒の家人等、悉く召し上せよ、彼等參らん程は、おのが館に籠居すべき由にて、都に登り聚樂の家にあり、かゝる所に、政宗が家子郞等、京中を焚き拂て切り死す…
- p011…に籠居すべき由にて、都に登り聚樂の家にあり、かゝる所に、政宗が家子郞等、京中を焚き拂て切り死すべしと聞えて、洛中以ての外に騷動し、又政宗が太閤打ち奉…
- p011…にあり、かゝる所に、政宗が家子郞等、京中を焚き拂て切り死すべしと聞えて、洛中以ての外に騷動し、又政宗が太閤打ち奉らんとする謀の樣、一々にしるし、江戶…
- p011…ふぞ、如何におのれらが身は、伊豫の國に渡つて、魚の餌にならんとや思ふ、又都の內にあつて、犬の食にならんと思ふか、此二條の內、きつと思ひ極め、愁訴を…
- p011…旨承て歸る、此後伊達が家子郞等、たゞ討手を待て死ねやとて、大に動き立つ、洛中の貴賤、驚き騷ぐ事夥し、此よし大坂に聞えしかば、太閤事の樣をも見よとて、…
- p011…何なる奇怪をや仕り出すらんと、安き心も候はぞとて、御使を返しぬ、德川殿も洛中の騷動を聞しめして、大坂に參り給ひ、都にて政宗が家人等を誅せられん事、何…
- p011…はぞとて、御使を返しぬ、德川殿も洛中の騷動を聞しめして、大坂に參り給ひ、都にて政宗が家人等を誅せられん事、何程の事か候べき、さりながら、在國の家人…
細川 第七下 · 6
- p007…勢餘多引具して上洛す、藤孝も信長の陣に參るとて、大津にて行合ひ、打連れて都に入る、將軍御軍に打負けさせ給ひ御中直りの事仰せられしかば、信長も軍兵を…
- p007…國に歸らる、かく二度まで信長失ふべしと、御結搆ありしかど、何の御恙なく、都を御開きありし事、內々は藤孝が信長に從ひて、とかく拵へし故なりとぞ聞えけ…
- p007…せて、光秀を誅すべきよし牒狀して、軍勢を催す、程なく光秀誅せられぬ、藤孝都に上りて、織田殿父子の御跡を弔ひ奉る、これより入道して玄旨と稱し、幽齋と…
- p012…と思ひ切て、戰ひし程に、寄手たやすう引て歸らん事、叶ふべからず、此よし又都に聞えしかば、三條西大納言、綸命を含みて、丹後の國に下向あつて、速に勅に…
- p013…孝入道は、世々の公方に仕て、しかも當時の有職なり、丹後の國を出でしより、都にのぼり、仁和寺の邊に、幽かなる栖居して、籠り居たり、德川殿、此人に就き…
- p014…方さん〱に打なされ、手の者みな落失せて、寄手また城中に攻め入れば、力なく都のほとりに落行きしを、父忠興尋ね出し、首斬て參らせしなり、…
森 第七下 · 1
- p001…れ給ひし時、蘭丸坊丸力丸三人の兄弟、一所に討死す、武藏守此由を聞て、急に都に馳せ上り、明れば天正十一年羽柴筑前守秀吉、越前の柴田を滅し、美濃の屋形…
毛利 第八上 · 1
- p006…家人等と相議て、軍國の事を裁斷す、天正元年、義昭將軍、織田信長のために、京都を逐れ給ひて、毛利を賴ませ給ひしかば、備後の國鞆の浦に迎へ奉り、よきにか…
上杉 第八下 · 3
立花 第八下 · 2
一柳 第九上 · 1
- p006…の時、直興其役に隨ひしが、修造畢ての後、密に豫州へ下り、遷幸の時に臨みて京都にあらず、殊に平日淫逸の聞え多くして、所領沒収せられしなり、…
南部 第九下 · 1
- p005…、招かざるに馳せ集て、既に多勢に及び、信直戰ひ勝つことを得ず、急き早馬を都に參らせ、此由を申す、三好中納言秀次卿を、大將軍として、數多の軍勢を差向…
伊東 第九下 · 5
- p009…兵衞佐、兵を率して祐清と戰ふ、祐清叶はず日知屋といふ所にて、船に乘りて、都の方へ落ち行かんとす、鹽見日知屋、財部田代等の士共、弓削民部少輔等と議し…
- p011…へ渡り、夫より又周防の國に渡て、山口と云ふ所に、居住し、天正十二年の冬、都の方に趣き、終に彼所にて卒す、三位が子息左京大夫義益は、父に先立て卒す、…
- p011…は、父に先立て卒す、三位が舍弟民部大輔祐兵、兄の入道、國を失ひし後、是も都に住みしが、豐臣太閤に仕へ參らせて、終に本領を安堵すと云々、此說は島津家…
- p012…天正十年の正月、祐兵伊豫國をも立ち出て、都の方に上る、此年の夏、織田殿御父子、明智日向守光秀が爲に討れ給ひ、豐臣太…
- p012…、豐臣太閤未だ筑前守と申て、當時は山陽道におはせしが、急き軍勢を率ゐて、都に上り、山崎の邊にて、光秀と戰ひ給ひし時、祐兵も秀吉の御陣に馳せ加り、高…
中川 第九下 · 2
脇坂 第十上 · 1
- p003…坂前後の戰には、子息安元馳せ向ひ首切て獻る、元和元年安治致仕して、同三年洛陽西洞院の舊宅に引籠り居て、寛永三年八月六日年七十三歲にて卒しけり、嫡子甚…
小出 第十上 · 1
- p005…並に舍弟伊勢守吉親は、大坂に馳せ向ひ大御所の仰せ蒙て曝布の鄕の堤築きて、京都往來の道を通ず、…
織田 第十下 · 1
- p005…既に御陣に參らんとせし處に東西の御和睦事成つて候ひき、あはれ御免しを蒙て京堺の間に籠居せしめ、餘命を送り候はばやと望まる、程なく又大坂の兵起れり、…
上總介殿 第十一 · 3
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…橫須賀の城を給て移る、六万石十二年の春違例する事ありて、醫療の爲に都に上り年廿七歲にして、同九月十一日終に空しくなりてけり、嫡子國丸年纔に三…
本多 第十一 · 2
山岡 第十一 · 1
- p002…道は父繼人の事に罪せられて、佐渡の國に流されて、二十四年の後に恩赦蒙りて京に入り、再ひ左中辨從四位下に任ずと見ゆ、されば善男が佐渡の民たりしと云ふ…
蒲生 第十二上 · 4
- p003…驚き給ひ同き冬姬君賜て日野の城にぞ歸されける、天正十年六月二日織田殿父子都にて失せ給ひし時、左兵衞大夫賢秀、安土の城の留守として忠三郞氏鄕は日野の…
- p003…七殿の御勢、攝津國より攻め上て光秀忽ち討たれにけり、氏鄕北畠殿の御供して都に上りしに、羽柴筑前守秀吉、氏鄕が此度の振舞を深く感じ、明智に組せし當國…
- p003…の事あり、氏鄕の病日々月々に重くなりて、四十歲と申せし文祿四年二月七日、都のうちにて薨じけり、かきりあれは吹かねと花はちるものを心みしかき春の山風…
- p003…やうにぞ書おきける、是れは去る天正十九年九戶が戰ひの後、石田治部少輔三成都に歸て此度氏鄕が軍せし樣を見るに、たゞ人には侍らず、彼が軍勢の道を打つた…
金吾 第十二上 · 1
- p007…延俊あへて城を貸さず、秀秋大に怒て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政…
福嶋 第十二上 · 12
- p003…の振舞し多かりけり、關が原の軍終てのち、德川殿近江國草津の宿に至り給ひ、洛中物靜かならずと聞召し、狼籍を鎭められんが爲、正則等して都に上らせらる、正…
- p003…宿に至り給ひ、洛中物靜かならずと聞召し、狼籍を鎭められんが爲、正則等して都に上らせらる、正則が侍の、使すとて跡にさがつて馳せ行くに、日岡の關過くる…
- p003…て戰て死せんとすと思ふ、神妙の至なり、正則思ふ子細あり我に從て來れとて、都に引具し彼侍を召て汝一定死せんなと問ふ、仰にや及ぶべきと答ふ、よし〱さら…
- p007…れ正則が計らひし所とぞ聞えける、同き十年五月右大將家拜賀の御時、大御所も都へわたらせ給ひしかば、豐臣家に御對面のため、上洛の事催させ給ひしに、淀殿…
- p007…に、淀殿御憤深くして豐臣家に御腹めさせ、御身も失せさせ給ふべしと聞えて、京大坂の間以の外物さわがしくなる、是も上方の大名の中に內々此由を勸め申す人…
- p007…備後守正勝と共に、彼軍勢を催して大坂に向ふべしと仰せ下さる、明れば廿三日都に入らせ給ひし日、正則が使大坂より歸り參る、秀賴の御母子答へさせ給ふ旨も…
- p007…秀賴の御母子答へさせ給ふ旨もなしと申て關東に馳せ下る、十一月十一日將軍家都に入らせ給ひ、黑田筑前守長政、加藤左馬助嘉明、正則と同じく關東に止められ…
- p010…に中將直孝朝臣の語りし所を、石谷將監貞清入道の記せしは詳なり、此時上には都に入らせ給ひ、正則は關東に留る、かくて藤堂和泉守高虎本多上野介正…
- p010…ど先づ其存ずる所を申すべしと、重て仰せられしに及で、直孝存ずる所は正則を都に召されて其罪を數へられて申披くべき事あらんには聞召さるべし、若し又本國…
- p010…政第二の城を守て國々の軍勢は引返しぬ、○世に傳ふる雜記等には此時大相國家都にまし〱正則關東に在て御使を下され、又彼國へも御使行き向ひしといふ事を知…
- p010…を知らず、正則國に在りし樣に記せり、誤れるなり、又一說に元和七年大相國家都にまし〱、女御入內の御事ありし時のなりと、忘るせるもあれど、元和五年の事…
- p012…正長といふ、本國にて生れて母又賤しければ知れる人なし、祖父流されし時に、都に忍ひ登り、入道して宜齋と號す、この入道の子を市松と名づく、後に將軍家に…
最上 第十二上 · 2
田中 第十二上 · 1
- p004…ず、二男を以て世嗣とす、大相國家の御諱字賜ひ筑後守忠政といふ、長顯は此後都に上り飢寒にたに堪へずして空しくなる、其子民部と云ふ、それが男二人兄をば…
筒井 第十二上 · 2
古田 第十二下 · 1
- p005…せ、兩御所都を立たせ給ひし御跡にて、主上を取り參らせ二條の城を襲ひ取て、洛中悉く燒き拂ふべき謀、一々に顯はれたり、先づ重勝をば鳥居土佐守成次に召預ら…
杉原 第十二下 · 1
- p002…一說に家次丹波國福知山二万石を領し、天正十一年近江國坂本の城に移り、京都の所司代して、同十二月九日に死す、五十七歲なりと兩說なり、…
前田 第十二下 · 1
- p003…嫡流は絕えてけり、同き十三年六月茂勝忽に心狂し、宗徒の家人等を切て捨て、洛中洛外を物に狂うて廻る程に、近江の國水口の邊にて人の爲に打擲せられ、打臥して更…
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