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가문 목록 › 第十二下 › f191

前田

第十二下 · 단락 4 · 780526 67코마 R부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 7 5 4 3 3 3 2 1 1 1 1 1 1

지명 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

法印初め山法師にて候ひしが、三位中將平信忠卿に召仕はれ、双なききり者にて候ひけり、三位中將殿明智がために失はれ給ふ時、玄以を召し汝いかにもして此所を遁れ出で、三法師をよきに守り育て、父祖の仇を報ぜしめよ、信忠に從ひて討死したらんには、功は百倍すべき者をと、御跡の事共仰せ置れて、安土の城に歸されたり、此人元より止觀の窓に入て圓頓の敎に從ひ、殊に當時有職の聞えありしかは、豐臣太閤天下知召されし初め、彼家の奉行五人の上首として、丹波の國八上の城を賜る、五万石慶長五年の秋東西の軍一時に起る、岐阜中納言秀信、則ち三法師なり石田治部少輔三成に組して、德川殿に背き申されんと聞ゆ、玄以大に驚きて、織田殿の御子孫に於て縱令幾世を經させ給ふとも、德川殿の御家に向ひて、いかで御後めたき事や候べき、すべからく早く東國の御方として、御家の安否を、德川殿と共にせさせ給ふべき所なりと諫めけれども、秀信終に隨はず、玄以が男主膳正茂勝は大坂の催促に隨ひ、丹波但馬の人々と同じく丹後の國に向つて細川が城を攻む、關が原の軍終て後、別の義を以て茂勝本領を安堵す、中納言秀信は美濃國岐阜の城に立籠つて、東國の先陣に城落され、降人になつて出でらる是も命を助けられ高野の方に趣きて、程なく世を早うし給へば、織田殿の嫡流は絕えてけり、同き十三年六月茂勝忽に心狂し、宗徒の家人等を切て捨て、洛中洛外を物に狂うて廻る程に、近江の國水口の邊にて人の爲に打擲せられ、打臥して更に人心地もなし、家人等尋ね求めて伏見の家に連れ行きて、一間なる所に入れ置く、かくてぞ所領は召放さる