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摂津国大坂
본문 표기 大坂・大阪・攝津國大坂・攝津の國大坂
越前 第一 · 8
- p001…させ給はねば、力なく、於義丸殿のほらせ玉ふべきに定り、この年十二月の末、大坂に趣かせ玉ふ、秀吉深く悅ひ、やがて元服の儀行なはれ、羽柴秀康と名のらせ、…
- p001…祿の初より、朝鮮の事起る、肥前の名護屋に陣し、同三年結城に歸り、また伏見大坂に御館搆へて移り住み、其後參議に任し、太閤薨し給ひし後、宗徒の大名石田治…
- p001…難なく近江國佐和山の城に入る、此年九月、德川殿重陽の賀をせられんが爲に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結搆ありと、告け申もの…
- p001…の城に入る、此年九月、德川殿重陽の賀をせられんが爲に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結搆ありと、告け申ものあり、此時守殿伏見…
- p001…からず、明る年の秋、德川殿、奧の景勝中納言、御誅伐の時に上方の早馬來て、大坂の兵起りぬと申す、御方の大名小名、小山の御陣に集て、軍評定す、先づ此所よ…
- p002…次か子、後に飛彈守に任す、丸岡は今村掃部か領せし地なり、十九年の冬、大坂の兵起りしかば、守殿北陸道より馳せ向ひ、明る元和元年五月七日の合戰に、眞…
- p006…從に任し、伊豫守を兼、此時に將軍家御諱字たまひしなるへし、今年夏、大坂の合戰にみづから高名し、手の者共に首五十七切らせて獻る、同二年、信濃國河…
- p009…と名付、越前に入給ひて、國松丸と改め、御寵愛淺からず、國松殿十四歲の時、大坂の軍起る、御母上、國松殿を近づけ參らせ、殿はまさしき故中納言殿の御子、大…
尾張 第一 · 3
紀伊 第一 · 1
- p001…日、駿河遠江兩國を賜ひ、五十万石、後には遠江宰相殿と申しゝ由なり、大坂の兵起りし時、白旗、幷大中黑の幕賜り、大御所に從て向ひ玉ひ、再ひ兵起りし…
保科 第一 · 3
松平(形原) 第二 · 1
- p001…槻の城を給ひ、二萬石、○按するに元和五年まで、五井を領せしにや、また大坂の合戰に功なきにや、いまだ詳なることをしらず、其後從四位下、寬永…
松平(深溝) 第二 · 1
- p001…日、吉田の城を賜、三万石忠利が弟を庄九郞忠一といふ、將軍家に仕ふ、大坂兵亂再ひ起りし時、同僚共に申けるは、此度の軍事終らば、天下再ひ兵革の事あ…
松平(荻生) 第二 · 1
- p001…を賜ふ、二万石同き十九年二月十九日四十歲にて卒す、其子和泉守乘壽、大坂前後の軍に從ひ、首五十三をきつて獻る、寛永十五年、濱松城に移る、三万五…
松平(荻生) 第二 · 1
- p001…下野國板橋正吉死して、其子左近將監成重父に繼く、慶長十二年に叙爵し大坂の戰に首十二切て獻る、元和三年參河國西尾の城を賜ふ、一万三千石、〇今迄…
松平(藤井) 第二 · 3
松平(長澤) 第二 · 1
- p001…近習出頭人衆といひし也、慶長五年關が原の戰に隨ひ、同八年三月叙爵し、大坂兩度の戰にも、大御所の御陣に從ふ、大御所薨し玉ひし後、左大臣家の御時に至…
水野 第三 · 7
- p003…豐前の國に往き、黑田甲斐守長政に仕ふ、千石を領すと、長政船に乘て、大坂に上るとて、勝成を召し、帆柱にまとひたる繩とけ、といひしかば、勝成おもふ…
- p005…都のかたに趣きしに、大坂の奉行人、德川殿の伏見の御館攻むべしとて、洛中洛外以の外に騒動に及びし時…
- p005…を加られしと見ゆ、慶長十五年、從五位上日向守になされ、同十九年の冬、大坂に馳せ向ひ、城をせめ、明る元和元年の夏、大和路の先陣をうけ給はりて、大和…
- p005…評定一决の後、御下知を彼れに仰せ蒙るべし、この美作守と申す男も、若き時、大坂の合戰に召し具せられ、軍のやうをも見たるもの、さのみ無骨をも存ずまじ、御…
- p005…、慶安四年三月十五日に卒す、美作守勝俊、勝成の男、十七歲にして、父と共に大坂にむかひ、再ひ兵起しに、道明寺の合戰に、十八歲にて高名し、明る七日天王寺…
- p006…院殿の御事に附けられ、御書院番頭となる、叙爵して、御奏者の事を兼ぬ、大坂初度の軍に、忠清が手の人々、靑山伯耆守忠俊が手の人々と、互に先を爭ふ、明…
- p007…御扈從組の番頭に至り、小十人步行衆等の頭を兼ねて、およそ三職を司とりて、大坂兩度の軍に從ひまゐらせ、大相國家西城へ遷らせ給ひし時、常に御側に伺候し、…
松平(久松) 第三 · 4
- p001…城を守る、同八年八月十四日五十二歲にて卒せらる、嫡子甲斐守忠良家をつぎ、大坂の合戰に首三十四を切て獻る、元和二年美濃の國大垣の城に移る、五萬石…
- p002…はあらじ、定吉の卒せし年をしらざれば、いかにもわかち難し、十九年の冬大坂の兵亂には、伏見の城にあり、明れば元和元年の夏、再ひ兵起しには、二條の城…
- p002…十五歲にて卒し、子息河內守定行家をつく、年九才の時より、大御所に奉仕し、大坂の兵起りし時、馳向て城を攻め、再ひ兵起し時は、十八歲にして、まづ伏見城を…
- p003…十年に叙爵し、越中守に任し、十五年七月、所領の地倍し賜る、一万石大坂前後の軍に、御書院番頭として、手の人々に軍させ、みづから能き武者二騎切て…
酒井 第四上 · 3
本多 第四上 · 6
- p011…の御供して、山道より上りければ、軍にはあはず、同十四年父の所領を讓らる、大坂の兵起りし時、先陣承て、伊勢國の軍勢、引き具して馳せ向ひ、再ひ兵起しにも…
- p011…、伊勢國の軍勢、引き具して馳せ向ひ、再ひ兵起しにも、又伊勢の軍勢を卒し、大坂に向ひ戰て、首二百五十二を獻る、元和三年播磨國姫路の城に移る、五万石を…
- p011…、是皆大御所の御外曾孫とぞ聞へし、嫡子中務少輔忠刻、初名は平八郞、大坂の軍に從て向ひぬ、これも將軍家の姫君に天樹院殿の御事そひ奉り、女子…
- p012…侍從兼甲斐守藤原政朝、忠政の二男なり、大坂の戰に父と一所に軍しけり、叔父出雲守忠朝討死して、其男入道丸わづか二歲な…
- p014…て、父が領せし大多喜を忠朝に給ふ、五万石是去年の勳賞とぞ聞えたる、大坂の兵起り、將軍家の先陣を承て馳向ひ、再ひ軍起りしにも、又先陣を承る、手の…
- p016…能登守藤原忠義は美濃守忠政が二男なり、十三歲にて父に從ひ、大坂の軍に向ひしとも云あり、大相國の仰として、寛永四年播磨にて初て所領の…
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 3
井伊 第四上 · 4
榊原 第四上 · 5
- p003…に仕へ奉るべきよしを仰下さる、慶長三年の秋太閤薨し給ひ、明れば四年の正月大坂の奉行人等、德川殿を失ひ參らせんと謀り、窃かに軍兵を催し、伏見の御舘を襲…
- p003…の旅人を止む、德川殿の軍勢既に勢多まで馳せ上りて、雲霞の如く陣を取ると、大坂に聞えしかば、たやすう寄せも來らず、康政勢多に留る事三日、同月廿八日の夕…
- p003…騎あらんといふもあり、又秀忠中納言の多勢を引て上り玉ひしなどいふほどに、大坂の人々いよ〱心おくれして終に和ぎけり、此夕康政大童なるはゝにて馳せ參りし…
- p004…遠江守康勝、父が家を繼き、慶長十九年冬、將軍家の先陣打て、大坂に向ふ、明る元和元年夏、井伊掃部頭直孝、先陣を奉し、康勝二陣に定められ、…
- p006…れ、幼けなかりしかど家繼て、橫須賀の城賜ひぬ、此時松平五郞左衞門、大坂の兵起りし時、忠次幼少なれば、橫須賀の城にありて、手の者をば參らすべしと…
大久保 第四中 · 1
- p009…四男主膳正忠長、後に幸信五男石川內記成堯、是も外祖家成に養はる、大坂の合戰に廿四歲にて打死、六男主計忠尙、七男刑部忠村と云、或は淸左衞…
石川 第四中 · 3
鳥居 第四中 · 3
內藤 第四中 · 3
內藤 第四中 · 1
- p005…に從ひ、關が原の合戰に、石川長門守康通等と佐和山の城を請取、父に繼て後、大坂の兵起りし時、馳向て城を攻め、再ひ兵起しには、西國通路の要害なればとて、…
內藤 第四中 · 1
- p003…の御方の事を承りしと見えたり、其男若狹守淸次、將軍家の宿老にて、大坂の軍の時、酒井備後守忠利と共に、若君を守護し奉て、關東に留る、淸次卒しけ…
植村 第四中 · 2
植村 第四中 · 1
- p001…刀泰勝父に繼で、慶長十八年伏見の城を守る、井伊直孝と共に守るなり、大坂前後の戰に、將軍家の先陣を打て馳向ひ、首を切事十二、元和六年大番頭と成る…
安部 第四中 · 3
渡邊 第四中 · 1
- p001…州江州の所領は元の如く、すべて一万四千石、足輕を屬せらる事元の如し、大坂前後の戰に、守綱尾張殿の先陣し、元和六年四月九日、守綱七十九歲にして、尾…
松平(戶田二連木) 第四下 · 1
- p007…程給ひしを知らず明る十七年六月、常陸國の笠間の城に移る、三万石大坂の兵起しに、將軍家の先陣たり、再起りし時、大御所の御陣に隨て軍す、首十四…
戶田(田原) 第四下 · 3
戶田 第四下 · 1
- p001…築かれし所なり、一西此城に在る事三年にして卒し、子息左門氏鐵父に繼く、大坂の兵起し時、大御所都に上らせ玉ふと聞て、矢橋の浦まで御船を參らせて、御膳…
牧野 第四下 · 1
- p003…日康成卒す、五十五歲なり、子息駿河守忠成新二郞の事なり、父に繼く、大坂前後の軍に、將軍家の先陣し、首廿七を切て献る、元和四年越後國長岡の城に移…
松平(松井) 第四下 · 1
- p005…すべしとて、西海南海兩道の諸大名に課せ築れ、康重にぞ賜ける、五万石大坂前後の戰には、別の仰を承りて、龜山の城を守る、攝津國曾根の一揆起りしと聞…
三宅 第四下 · 2
高木 第四下 · 3
酒井 第五 · 1
- p003…十四年二月、忠世又上野國善養寺の地を賜ふ、五千石、合二万石を領す大坂の軍起しに、重忠は江戶に在り、忠世は將軍家の先陣して、宗徒の人々、引率し…
阿部 第五 · 5
- p001…成る、家忠日記追加に出づ、〇按ずるに諸役人系圖には十二年の事とす、大坂前後の戰に、將軍家に隨て双なき高名をぞ顯しける、されば軍終て、後御家人等…
- p001…十一月二日正次病急なりと聞召し、驚かせ給ひ、子息對馬守重次、御暇を給て、大坂に趣く、正次年七十九歲にて、同き月十四日にぞ卒しける、…
- p002…對馬守重次、十一月二日御暇賜て、夜を日につぎて馳のぼる程に、同八日、大坂に着て、父の病を見るに既にかうよと見えしかば、今夜重次、此所の奉行城番の…
- p008…修理亮阿部正澄は、備中守正次が嫡男、父と共に大坂に戰つて、高名を顯し、上總の國大瀧の地を賜ふ、一万石程なく卒して、…
- p009…に見にたり、慶長四年十二月八日、步行衆の頭となり、元和元年五月七日、大坂の合戰に、御方忽ち亂れ奔らんとす、正吉壹人踏止て、御方を制し戰て、終に敵…
靑山 第五 · 2
永井 第五 · 5
- p011…大坂前後の軍に、直勝が手勢六千人を引具し、大御所に屬ひ奉る軍終て後、諸手の人…
- p011…を賜ひしは、關東へ入らせ玉ひし時の事なり、其後に所領加へられしは、關が原大坂の賞なりしなり、笠間を賜ひしは、大御所かくれさせ給ひし後、大相國家の御代…
- p011…間を賜ひしは、大御所かくれさせ給ひし後、大相國家の御代の初なり、輝政卿は大坂の兵起るべき一年前、慶長十八年の正月に卒せられき、其後三年を經て、直勝に…
- p011…仕へ奉る、慶長九年、常陸國貝原塚の地を賜ひ、千石同き十年、叙爵し、大坂前後の軍に隨ひ、五月七日御使を承て、先陣に行向ひ、よき首一つ取で歸る、明…
- p012…す、四十七歲、其子伊賀守尙富つぐ、日向守大江直清は、右近大夫直勝が二男、大坂前後の戰に從つて、五月七日、よき首一つ切て獻る、父卒して父が所領を分つ、…
安藤 第五 · 2
板倉 第五 · 3
井上 第五 · 2
久世 第五 · 2
稻垣 第五 · 1
- p001…仰せ下さる、長茂年七十四歲同き慶長十七年に卒す、嫡男攝津守重種父につぐ、大坂前後の戰に、將軍家の先陣して、首十九切て奉る、明れば元和二年、所領加られ…
伊丹 第五 · 1
- p001…播磨守源康勝は、初め喜之助と申せしより、大御所將軍家に仕へ奉り、大坂の合戰に隨ひ、首取て獻る、御納戶の頭を經て終に御留守居に至る、其家の系…
奧平 第六 · 2
小笠原 第六 · 3
小笠原 第六 · 1
- p001…が原の戰には、中納言殿の御供して、山道をのぼる、同き十二年伏見の城を守る大坂の軍には、將軍家の先陣うつて戰ふ、其子左衞門佐政信、政信が子貞信、信之…
岡部 第六 · 1
- p001…いひしなり同き十四年八月六日、丹波國龜山の城を賜ひ、三萬二千石大坂前後の戰に從ひ、元和七年八月同國福智山の城に移り、五萬石寛永元年、…
諏訪 第六 · 1
- p001…ひ、また眞田が城の器財悉くに給ひしとなり十年叙爵して、因幡守に任す、大坂前後の軍に隨ひ、首四つ切て獻る、元和四年同國筑摩郡の地を加へ賜ふ、五千…
土屋 第六 · 1
- p005…但馬守三男金彌後には兵部少輔といふ、平八郞六歲にして父に繼ぐ、大坂の軍わづか八歲の時なれば御跡に留めらる、…
屋代 第六 · 2
丹羽 第六 · 1
- p001…万石明れば慶長六年三月十九日五十二歲にて卒す、其子勘助氏信父につぎ、大坂の軍起りし時、水野日向守勝成と同しく天王寺より押寄て城を攻め、再ひ軍起り…
山口 第六 · 1
- p002…しかど、御免されなかりしかば、武藏國入間郡に蟄居せり、明れば十九年の冬、大坂の軍起る、重政重信父子郎等少々召具して、海道を馳上り、箱根の關にて留めら…
加々爪 第六 · 1
- p001…納言殿の大相國家の御事御前にて元服し、御諱字を賜り甚十郞とめされ、大坂の軍の時、御使番を承り、自ら戰て首取て獻る、其後御目付より御普請奉行を歴…
北條 第六 · 1
- p003…高野山に登る、同じ冬の頃氏直天野といふ所に下り玉ひ、明年の春、關白殿より大坂に召され、北畠內府の住れし舘に請じ入れ、御對面の儀あり、やがて國をもたふ…
稻葉 第六 · 1
- p005…、二万石を賜ひしといふ按ずるに秀秋の家にては、寄騎共に四万石といふ、大坂の合戰に首廿七切て獻る、後に越前の家につけられて、越後國糸魚川の城を領す…
堀田 第六 · 1
- p001…日の局がゆかりに就き、正利正成と共に御家人になつて、御書院の番衆となる、大坂の合戰に水野隼人正忠清が手に屬して高名せしに依て、其賞を下したふ、三百…
太田 第六 · 1
- p009…石の地を領す、駿河の御所に仕へ奉る、慶長十七年の冬、將軍家に附けられ、大坂前後の軍に從ひ、元和元年正月叙爵す、初め攝津守また采女正、後に備中守…
朽木 第六 · 1
- p003…きかね上方の軍忽に敗れてけり、此後德川殿に仕へ、三人の男子、皆召仕はる、大坂の兵起し時、元綱父子、永井右近大夫直勝が手に屬す、再ひ兵起りし時、仰を承…
柳生 第六 · 1
- p004…かりて中直りして、軍は終りて候、三河國の一揆は、近く御家の事に候、去りし大坂の軍に、重昌いまだ年若く候時たにも、數十萬騎の中に只一人選み出されて、大…
池田 第七上 · 7
- p005…領の國々を分て、宗徒の輩、沙汰すべしとて、攝津の地をば信輝に屬せらる。大坂尼崎兵庫の地十二万石信長失せ玉ひて後、信輝髪薙て勝入と號し、嫡子勝九…
- p008…隆に賜ふ、五十二万石、此內宍粟佐用赤穗三郡をば舍弟左衞門督に分つ、大坂の兵起らんとせし時、利隆關東に伺候せしに、將軍家仰下されし旨あつて、夜を…
- p008…夜を日に繼ぎて我國に馳せ歸り、軍勢を催し、兵分て尼が崎の城守らせ、我身は大坂に向て軍す、此年十二月廿八日、其勳賞を行はる、白銀三千兩再び兵起り…
- p012…を分ち賜ひ、本領に井せ賜る、又左衞門督を兼ぬ、是迄は松平十郞と稱す大坂の軍起りし時、軍勢を率ゐ馳向て軍し兩御所の御感を蒙り、御暇給ひ國に歸り、…
- p012…云從四位下に叙し、宮內大輔に任じ、九歲にして、慶長十五年淡路國を賜ふ、大坂の軍起りし時、生年十四歲馳せ向て戰ひ、明年の春、忠繼卒し、其世嗣として備…
- p012…、生年十四歲馳せ向て戰ひ、明年の春、忠繼卒し、其世嗣として備前國を給ひ、大坂の軍再び起りしには、五月十日に參着しければ、軍には合はず、明れば元和二年…
- p015…見參す、中納言殿より御刀を賜ふ、新藤五父卒して家を繼ぐ、此年の冬、大坂の兵起りしに馳向ひ、明年夏の戰には、武藏守利隆朝臣に屬して、首三十を獻る…
淺野 第七上 · 6
- p002…二万石一說に二万四千石兄幸長が卒して後、其家を繼ぎ、但馬守になる、大坂の軍起りし時、長晟大坂に向ひて軍す、其隙を窺ひ、吉野熊野の者共、大坂の方…
- p002…千石兄幸長が卒して後、其家を繼ぎ、但馬守になる、大坂の軍起りし時、長晟大坂に向ひて軍す、其隙を窺ひ、吉野熊野の者共、大坂の方人して、紀伊の國に軍起…
- p002…る、大坂の軍起りし時、長晟大坂に向ひて軍す、其隙を窺ひ、吉野熊野の者共、大坂の方人して、紀伊の國に軍起りしかど、家人等打破り首を獻る、再び兵起りしに…
- p002…方人して、紀伊の國に軍起りしかど、家人等打破り首を獻る、再び兵起りしに、大坂の軍勢、紀伊國に向ふ、此處彼處に戰ひて、首多く切て獻る、續いて大坂に向ひ…
- p002…しに、大坂の軍勢、紀伊國に向ふ、此處彼處に戰ひて、首多く切て獻る、續いて大坂に向ひ軍し、又討取る首四十二を獻る、同年閏六月、從四位下に昇る、將軍家の…
- p004…年十月朔日に敍爵し、長政卒して後、其所領を賜ふ、常陸國眞壁五万石、大坂前後の軍に、將軍家の先陣打て向ひ、首六十を切て獻る、元和八年常陸の國笠間…
前田 第七上 · 3
京極 第七上 · 4
- p001…臺所の御姉、常高院殿と申せし御事なり、太閤薨じ給ひし後、慶長四年の春、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんと謀る、伏見の御舘、無碍にあさまなりしかば…
- p001…せ給ひ、井伊侍從して其芳志を感ぜらる、明れば五年の秋、上方の軍起りしに、大坂近き邊りにては、高次獨り關東の方人して、大津城に立籠る、德川殿攻め上らせ…
- p001…十三歲にて、元服し、將軍家の御諱字賜り、從四位下の侍從兼若狹守になさる、大坂の軍起りしに、馳向て城を攻む、忠高の母常高院殿、城中にまし〱て、御中なほ…
- p002…になされて、此度の功を賞せらる、高和田邊の城を毀ち、宮津の城を築て住む、大坂前後の軍して、元和六年八月十二日五十一歲にして卒し、子息三人に所領分ち讓…
黑田 第七上 · 4
- p001…輩、流刑に處せらる、慶長四年の春、秀賴の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、以ての外に騒動す、黑田父子、德川殿の御方として、長政宗徒の大名…
- p002…嶋が陣に行て、上方にや組みすべき、又關東にや隨ふべきと問ふ、福島が母妻、大坂に居れば、其心定らず、長政が曰く、秀賴いまだ幼なくまします、如何で內府失…
- p003…月廿五日從四位下に叙す、同き九年三月廿日孝高入道五十八歲にして卒す、初め大坂の兵起りし時長政關東に留り、再び兵起りしかば、將軍家に屬し奉る、元和九年…
- p003…賜りしは慶安元年十二月廿八日の事と云不審同き二月從四位下に叙す、大坂の兵起りし時、本國に在て身煩ふこと甚し、病を勉めて馳せ上る、兩御所の御感…
有馬 第七上 · 2
山內 第七上 · 2
堀 第七上 · 2
堀 第七上 · 4
伊達 第七下 · 4
- p011…いありて、誅せられ給ひ、政宗も彼が與黨たるよし風聞す、政宗大に驚き、急ぎ大坂に趣き、まつ施藥院の家に在て、罪なき由を陳ず、太閤御使を賜て、御糺問兩度…
- p011…ゞ討手を待て死ねやとて、大に動き立つ、洛中の貴賤、驚き騷ぐ事夥し、此よし大坂に聞えしかば、太閤事の樣をも見よとて、政宗が在國の家人等急ぎ召すべきよし…
- p011…んと、安き心も候はぞとて、御使を返しぬ、德川殿も洛中の騷動を聞しめして、大坂に參り給ひ、都にて政宗が家人等を誅せられん事、何程の事か候べき、さりなが…
- p014…北の方に參らす、十三年、政宗御家號を賜る、來國光の御刀を賜ふ、大坂の軍起りし時、將軍家の先陣打つて馳せ上る、此年十二月廿五日、長子遠江守秀…
細川 第七下 · 6
- p011…聞あつて、德川殿御發向の事あり、忠興御跡を慕ひて馳せ下る、此隙を窺ひて、大坂の奉行等、兵起して、德川殿失ひまゐらせんと謀る、內府に從て奧に下りし大名…
- p012…戰ふ、かくては此城一時に攻め落さるべうも見えず、烏丸の右大辨、勅使として大坂に行き向ひ、輝元三成等に、勅諚を傳へらる、夫れ和歌は我邦の風として、天地…
- p013…に卒すといふ、但しその行年幾つといふ事詳らかならず、なほ尋ぬべし大坂の軍起りし時、嶋津陸奧守家久、海路穩かならずとて參らさりしかば、嶋津が登…
- p014…忠興が二男の長岡與五郞某は、大坂に仕へて、一方の大將を承る五月七日天王寺の戰、御方さん〱に打なされ、手の…
- p015…が原の合戰に大御所の御側に侍ひ、慶長十年四月五日、侍從從五位下になされ、大坂の軍に從ひ、父の讓うけて越中守に任し、從四位下に登り、寬永三年八月十九日…
- p017…し時、興元も其國に移り、慶長十四年に常陸の國茂木の地を賜ひ、一万石大坂の軍起りし時、將軍家の御手に隨ひ、再ひ起りしには、將軍の仰にて、酒井雅樂…
加藤 第七下 · 5
- p001…事一定にて、此年三月十八日、本朝の人々、太閤の仰を承り、五月廿二日より、大坂を立ちて、七月七日に釜山港に着き、同き十五日に、此舟軍はありしといふ、然…
- p002…石の外に四万石を預け給ひしといふは此時の賞にや、程なく太閤薨じ給ひ、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんとして、伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿…
- p002…や、程なく太閤薨じ給ひ、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんとして、伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿の御舘に來り守る人少からず、嘉明固より德川殿は…
- p002…、人々大に怪み思ふ氣色なるに、嘉明此由を聞て、これに來れる人々の家、悉く大坂に在り、東西手合の軍なからんには、上らせ給はぬこそ御ことわりに覺ゆれ、い…
- p002…月十八日、將軍家その家に入らせ給ひ、物多く賜り、獻る物また少からず、初め大坂の兵起りし時、其身は關東に留り、子息式部少輔明成、軍勢を率して馳せ向ふ、…
藤堂 第七下 · 6
- p001…ぜられしかば、高虎髻きつて高野山に逃る、秀吉召されし事度々に及びて、高虎大坂に參る、やかて伊豫の大洲の地賜る、五万石を加へられて、七万石を領すと…
- p001…る、一万石を加へらる此年八月十八日太閤薨し給ひしかば、宗徒の人々、大坂の奉行等と、本朝の軍勢を返さるべきよしを議して、其使を選らばる、德川殿こ…
- p001…に感じ奉る事も多りき、かくて我が朝の諸軍勢、事ゆゑなく歸朝し、幾程なく、大坂の奉行等、密かに謀て、德川殿失ひ參らせんとす、高虎是を聞て、急ぎ伏見の御…
- p001…失ひ參らせんとす、高虎是を聞て、急ぎ伏見の御舘に參り、此由を告申し、また大坂に歸て御方すべき人々を催す、二心なき御方人なりしかば、此後度々御大事に及…
- p001…り馳せ向ふ大名等、多くは故太閤の恩蒙つたる輩にて、殊には當時妻や子ども、大坂に留め置て候へば、心の奧はかり難し、相構て高虎が催し奉らざらん內は、御上…
- p001…が領せし所、當年の所務の事、汝が沙汰に任すべきよし仰下さる、十九年の冬、大坂の兵起りし時、高虎一方の大將承り、大和の國の軍勢、引具し、大和路より向て…
森 第七下 · 2
毛利 第八上 · 10
- p006…閤薨じ給ひし時、御跡の事、賴み給ふよし、輝元に仰せ置れき、同き四年の春、大坂の奉行等、利家秀家輝元等を初め、宗徒の大名勸めて、德川殿失はんとせしかど…
- p006…一支へもなく逃け散り、吉川また德川殿の御陣に參る、秀元今は戰ふに及ばず、大坂に引返す、東國の軍勢、續て攻め上ると聞えしかば、輝元大に驚き、大坂の城を…
- p006…になされ、十三年六月、大御所の御孫女三河守殿の御娘、秀就の家に入り給ふ、大坂の軍、起りし時、秀元秀就共に關東に馳せ向ひ、東西和睦あつて後、二人同じく…
- p007…る、輝元大に悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人質として、大坂に參る、關白殿、この幼き者、よのつねの人にあらずとて、事に觸れて譽めさせ…
- p007…大廳の御違例、名護屋の御陣に聞ゆ、太閤大に驚かせ給ひ、急ぎ御船に召され、大坂に趣き給ひしに、豐前の國大浦の沖にして、御船巖に馳せ懸り、忽に碎く、宮松…
- p007…奉りて、おのが船を馳て追つき、難なく太閤を助け奉る、殿下深く感じ思召し、大坂に伴ひ給ひ、頓て都にのぼせて、正四位下に叙し、侍從に任じ、家號なのらせ、…
- p007…全くして歸りければ、渡海に及ばず、幾程なく輝元、石田三成に、かたらはれて大坂に上り、德川殿を失ひ參らせんとす、秀元大に驚き、輝元を諫めて、秀賴いまだ…
- p007…散り、吉川また德川殿に參りしかば、秀元戰ふに堪へず、東國の多勢を押分け〱大坂に歸る、輝元大に驚き、秀元にも謀らず、大坂の城を去て、おのが別業に遁れ、…
- p007…せし後、大御所の御養君、かの家に入らせ給ひけり松平因幡守康元の女也大坂の軍起りし時、秀元秀就、關東に侍ひしを、御跡に留めらる、秀元、水野監物忠…
- p007…狀し、夜を日に繼て上る程に、西海南海の諸軍勢、いまだ一人も參らざりしに、大坂に馳せ着き、軍して、首三百餘切て獻る、此內證據正しき首撰て、百五つを…
嶋津 第八上 · 4
- p003…、同き六月十五日、義久鹿兒嶋を立つて、博多の御陣に參り、關白の御供して、大坂にぞ參りける、十六年の冬、肥後の國人等、當國の守護佐々陸奧守成政に叛く、…
- p003…所なりといひ捨てゝ、道遮らんとせし野伏ばらを蹴散して、攝津國住吉に至て、大坂に在りし父子の妻子、悉く取て、船五十餘艘に取乘り、日向の國に着きにけり、…
- p003…りと申す、さらばとて、まづ加藤黑田が軍勢をば、召返へさる、其後龍伯入道、大坂に馳せ上りて、罪なきよし申披かんとせし處に、忽に病に伏しぬとて、家人鎌田…
- p003…忠日記追加に出つ、創業記考異には十六年正月二十二日卒すと云々、大坂兩度の軍には海上風穩かならずとて家久遂に參らず、此後家久妻子携へて關東に…
鍋島 第八上 · 7
- p006…安國寺惠瓊と三人、同じく朝鮮の軍奉行を承る、太閤薨じ給ひ、朝鮮の事終り、大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、物さわがしく、既に軍起ら…
- p006…承る、太閤薨じ給ひ、朝鮮の事終り、大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、物さわがしく、既に軍起らんとす、直茂最初に伏見に來て、德川殿の…
- p006…所に石田三成、近江の國愛智川の邊に新關をすゑて、東國下向の軍勢を押止む、大坂の奉行等、秀賴の仰として書を勝茂に送て、抑も內府自らの家建ん事を謀りて、…
- p006…を正されんが爲に、天下の軍勢を召さる、勝茂かの凶惡に組する事なく、速かに大坂に馳せ參るべき由を載す、安國寺惠瓊、また來て、秀賴の仰を傳ふる事、これに…
- p006…の命を重んずるが故なり、如何で違命の人の方人せんとて、こゝより引返へし、大坂の先陣して、伏見の城を攻落し、海道より攻め下りて、伊勢の國安濃津の城をも…
- p006…に驚き、下村左馬助を以て勝茂が許に使として、つら〱事の情を按ずるに、此度大坂の軍起りし事、幼弱の君の如何で此御結構やあるべき、これ偏に彼の奉行等が、…
- p006…らせければ、御書を賜て、其功を賞せられし上は、本領の安堵はいふに及はず、大坂の軍起りしには、勝茂馳上て城を攻む、再ひ軍起りし時、西國の軍勢は、嶋津が…
蜂須賀 第八上 · 6
- p004…の國長嶋の地賜はる、此時一倍の地加へ賜て領すといふ、同き三年秀吉又攝津の國大坂の戰を賞して、所領の地加へらる、同き四年秀吉、播磨の別所と戰ひしに、正勝…
- p006…跡を慕ひて馳せ下る、上方また軍起りぬ、此時家政阿波に在り、家人高木法齋、大坂に在つて、大谷刑部少輔が催促に從ひ、軍勢を率して北陸道に攻め下り、やがて…
- p006…、美濃國に向ひ、小西と軍す、軍旣に終つて後、阿波守家政、家人高木が、私に大坂の催促に從ひ、北陸道に下りしを怒つて、忽に所帶を沒収して追却す、されども…
- p006…と號し籠居す、至鎭家讓られて、從四位下阿波守になさる、十八万六千石大坂の軍起りし時、蓬庵入道、東海を押渡つて、關東に參り、將軍家の御後を守り、…
- p006…され、御家號を許さる、軍再び起りしには、海路穩かならず、城落ちたりし日、大坂に着き、戰にはあはず、閏六月四日、將軍家、至鎭に淡路の國を加へ賜ふ、阿…
- p007…慶長十九年十一月廿九日、大御所、至鎭を大坂の御陣に召されて、汝の嫡子、衣の紐おとさんころまで、家康、親になるべしと…
上杉 第八下 · 2
佐竹 第八下 · 2
秋田 第八下 · 3
相馬 第八下 · 2
丹羽 第八下 · 2
立花 第八下 · 3
新莊 第八下 · 3
土方 第八下 · 2
眞田 第九上 · 4
- p005…遁れ、慶長十四年、安房守昌幸入道、年六十五歲にて死しぬ、左衛門佐幸村は、大坂の軍起りし時、子息大助、引具して、城中に籠り、類ひなき振舞して、父子とも…
- p005…す、沼田二万七千石、上田二万八千石、加增五万石、合て十一万五千石也大坂の軍起りしに、信幸父子、將軍家の先陣して、城を攻む、再び軍起りしに、子息…
- p005…十七日、九十三歲にて卒しけり、內記信政、信幸が二男なり、生年十九歲にて、大坂の軍に從ひ、兄信吉早く卒しければ、父が家讓られ、松城の城を領し、明曆四年…
- p006…賀守滋野信澄は、河内守信吉が子、伊豆守信幸が嫡孫なり、父信吉十九歲にして大坂の軍に隨て、高名を施し、再び軍起りし時、大御所の先陣し、首廿七を切て獻る…
九鬼 第九上 · 4
金森 第九上 · 3
分部 第九上 · 1
- p005…光信大坂の軍に從ひ、首五十を切て獻る、光信が代に當りて、近江國大溝の地賜て移る…
遠山 第九上 · 1
- p002…ち〱なり、一說には、此時苗木の城をば川尻肥後守直次、領しけるが、川尻當時大坂に在り、留守の勢、少々城に在り、遠山押寄せ戰ひ、終に城を攻め落すと云々、…
遠藤 第九上 · 3
一柳 第九上 · 1
- p005…人扶持十四年、子息等叙爵して、嫡子直重丹後守、二男直家美作守に任ず、大坂前後の戰に、父子共に馳せ向ひ、討取る首四十を獻れり、直盛代々の將軍家に仕…
市橋 第九上 · 4
- p002…隨て、東國に在り、上方の兵又起ると聞て、關東の御方として、本國に馳上る、大坂の軍勢、東國に攻め下ると聞えしかば、其勢僅に六百人、今尾の城に楯籠る、市…
- p002…合せて二万石宛行はる慶長十三年、伯耆國八橋の城に遷さる、同き十九年、大坂の兵起りし時、馳上りて、城を攻む、再ひ兵起りしかば、己が所領星田村に陣取…
- p002…仰せ置れし御旨に依て、越後國三條の城に數多の地附て、長勝に下し賜ふ、是れ大坂の戰功を賞せられし故とぞ聞へし、調四万三千三百石年六十四歲にして、…
- p002…慶長九年に右大將家に仕へ、此時台德院殿未だ右大將にてましませしなり大坂前後の戰ひに隨ふ、元和の初、下總の國香取海上等の郡にして、所領を賜ひ、…
桑山 第九上 · 2
仙石 第九上 · 1
- p001…未た知らず其子兵部少輔忠政繼く、將軍家の御諱字賜りしにあらずや大坂前後の軍に隨て、首十一切て獻る、元和八年、同國上田の城に移りて所領の地加…
溝口 第九上 · 2
南部 第九下 · 1
- p005…、彼の家に成らせ給ひ、物多く下し賜ひ、奉るもの、又少からず、十九年の冬、大坂の軍起りし時、將軍家の先陣して、馳せ登る、明れば、元和元年の夏、再ひ軍起…
戶澤 第九下 · 1
- p003…賜て移る、四万石十四年、叙爵して、右京亮になされ、御刀を下し賜ふ、大坂の軍起りし時、相摸國小田原の城を守り、函根根布川等の關を差固む、これ冬…
六郷 第九下 · 2
水谷 第九下 · 1
- p003…隆、父に繼く、五万石領す、この内二万石は檢地して得る所といふ大坂前後の軍に、將軍家に隨ひ奉りて、首五つ切て參らせ、寬永十六年十二月、備中…
那須 第九下 · 1
- p003…其子左京大夫資景、慶長十一年二月廿五日叙爵し、父卒して後、家を繼き、大坂の軍に隨ひ、首七十五斬て献る、其子美作守資重、大相國家の仰を蒙り、寬永元…
大田原 第九下 · 1
- p005…取て返す、關が原の戰、上方の軍敗れければ、終に此所の合戰は、なかりけり、大坂前後の戰に、將軍家の先陣して、首七十を切て献る、其子備前守政清、家を繼く…
大關 第九下 · 1
- p003…讓て、慶長十二年四月朔日、三十二歲にして卒しぬ、彌平次政增、家を繼て後、大坂前後の戰に、將軍家の先陣して、首九十七切て献る、明れば元和二年五月晦日、…
龜井 第九下 · 1
- p002…云々、按するに玆矩後に豐前守に任す、政矩父が世に在りし程は、能登守にて、大坂前後の軍の時には、未た豐前守に任ぜざりし時にや…
伊東 第九下 · 2
中川 第九下 · 1
- p006…二歲、慶長十七年八月十四日卒す、其子内膳正久盛、初名秀征家を繼く、大坂の軍起りし時、馳せ向て城を攻む、再ひ兵起りしには、參るに及はず、承應二年…
有馬 第九下 · 2
大村 第九下 · 3
毛利 第九下 · 2
稻葉 第十上 · 2
脇坂 第十上 · 4
小出 第十上 · 7
- p004…我家の事をば顧み給はざりし者なりと云ひしに非ずや、若くは又市正且元が兼て大坂の軍起らんとせしことを知て、去る勇々しき人なれば、常に斯くこそ仰せ置かれ…
- p005…二月十二日大和守に任じ、吉政卒後繼て岸和田の城に移る、同十九年の冬に及て大坂の兵起りぬ、此所は大坂に程近く大事の要害なればとて、松平伊豆守信吉馳せ加…
- p005…、吉政卒後繼て岸和田の城に移る、同十九年の冬に及て大坂の兵起りぬ、此所は大坂に程近く大事の要害なればとて、松平伊豆守信吉馳せ加る、程なく北條出羽守氏…
- p005…、程なく北條出羽守氏重、信吉に代りて來り守る、吉英並に舍弟伊勢守吉親は、大坂に馳せ向ひ大御所の仰せ蒙て曝布の鄕の堤築きて、京都往來の道を通ず、…
- p007…兵再ひ起りし初、東國の加勢として金森出雲守可重、吉英が城を守る、其後吉英大坂に向ひ戰て、首百十七切て獻る、同き五年出石の城に移る、五万石この人…
- p008…父が所領を分ち但馬國出石の城を領す、三万石又は二万九千石とも大坂の軍に兄吉英と共に馳せ向ひ、首六十七を切て獻る、元和五年兄の吉英、出石の…
- p011…元和元年五月七日、大坂の軍敗れて城中に火懸りしかば、人々皆大御所の御陣に參り集うて賀し申されけ…
加藤 第十上 · 1
- p001…十五年七月十九日、伯耆國米子の城を賜て移る加恩の事ありしにや聞かず大坂の兵起りしには馳上て城を攻む、再ひ軍起しには、軍散して後に參る、これ大…
木下 第十上 · 4
- p001…ぞ申しける、嫡男勝俊、太閤の御時若狹國を賜ふ、九万石慶長五年の秋、大坂の奉行等軍起して、伏見の城に止りし德川殿の御家人等、攻むべしとて旣に討手…
- p003…、肥後守家定の二男、豐臣太閤の御時、若狭國高濱の城を領す、慶長五年の秋、大坂の催促に隨ひて北陸道に發向す、天下悉く德川殿に歸して後、政所の御由緣に依…
- p003…とて、利房には分たれず、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺領をも收公せられぬ、大坂の軍起りし時、利房大御所の御陣に隨ふ、明れば元和元年備中國賀陽の郡を下し…
- p004…豐後國速見の郡を賜て、日出の城に移り、五千石を加へられて二万五千石大坂前後の戰に隨ふ、其子伊賀守俊治家を繼き、延俊卒せし年月を知らず万治…
相良 第十上 · 3
秋月 第十上 · 2
宗 第十上 · 5
- p009…ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてこそ彼の戰は止みてけれ、斯て慶長五年の秋、大坂の兵起りて、德川殿失ひ參らせんとす、手合せに先づ伏見の城を攻む、義智この…
- p009…手合せに先づ伏見の城を攻む、義智この時國に在り代官として柳川下野守調信、大坂の催促に隨ひ、軍勢を率ゐて伏見の城を攻め落し、又大津の城を攻め下す、上方…
- p009…の城を攻め下す、上方の軍敗れし後、義智罪免されて本領を安堵す、此時義智大坂に馳せ上り自ら兵を引具し戰ひしと云ふば誤れるにや…
- p013…りて又其船の數を添ふ、彼國より大明の朝廷に奏聞して、御許を蒙れる所なり、大坂の軍起りし時、軍勢を引具し馳せ向て城を攻む、明れば元和元年正月三日義智四…
- p013…を攻む、明れば元和元年正月三日義智四十八歲にして卒す子息彥七郞義成繼く、大坂の軍再ひ起りしには、鎭西の人々は參るに及はず、同き二年四位侍從兼對馬守に…
松浦 第十上 · 2
五島 第十上 · 3
久留嶋 第十上 · 1
- p007…郡の地にて所領賜ひ、森と云ふ所に移る、其子丹波守通春、幼くして父に繼き、大坂の軍起りし時馳せ向ふ、兩御陣供奉記に右衞門市と記す再ひ軍起るには、…
織田 第十下 · 10
- p003…ど、公卿補任に此人の參議なりし事は見えず太閤薨し給ひて後、慶長五年の秋大坂の奉行等、德川殿失ひ參らせんと計りし時、石田治部少輔三成、此入道に使たて…
- p003…たる事もなければ、唯何となく所領せし地失つて、入道其後は淀殿の所緣に附き大坂に下り住はれけり、同き十九年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下…
- p003…り、同き十九年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所、秀賴の御心に叶はず、せんずる所、片桐を切て軍起され…
- p003…が許に竊に使立て、有りし事共一々に告げ知らせ、我身は夜に入て風雨に紛れ、大坂を落ち失せ都の方に隱れ居て、大御所都に登らせ給ひぬと聞えしかば、やがて二…
- p003…に登らせ給ひぬと聞えしかば、やがて二條の御城に參らる、明れば元和元年五月大坂の軍終て後、七月廿三日大和の國宇陀の郡をぞ賜びたりける五万石寬永七…
- p005…の侍從に成る、程なく入道して有樂とは申せしなり、淀殿の御伯父なれば、年來大坂に在て秀賴の御許に伺公せらる、大坂の軍起りしかば、凡そ軍の成敗をば此人に…
- p005…は申せしなり、淀殿の御伯父なれば、年來大坂に在て秀賴の御許に伺公せらる、大坂の軍起りしかば、凡そ軍の成敗をば此人にぞ任せらる、老將にてはあり殊に親し…
- p005…れ御免しを蒙て京堺の間に籠居せしめ、餘命を送り候はばやと望まる、程なく又大坂の兵起れり、入道の四男左衞門佐長政、大將軍を望む城中宗徒の人々、父の入道…
- p005…都に趣く、入道は駿府に參るとて、尾張の國名護屋の城にて大御所に參り逢ひ、大坂の事共悉くに告け申さる、大坂の軍終て後、所領の地下し給ふ、左衞門佐長政、…
- p005…て、尾張の國名護屋の城にて大御所に參り逢ひ、大坂の事共悉くに告け申さる、大坂の軍終て後、所領の地下し給ふ、左衞門佐長政、父の入道卒して彼が所領の地分…
建部 第十下 · 6
- p001…らる、年老い致仕せる後、其職務を以て嫡男光重に讓る、關が原の戰の時、光重大坂の催促に隨ひ毛利長曾我部長束等の人々と、伊賀の國を經て伊勢の國に向ひ、安…
- p004…祖の領、収公せらるべしと聞えて、輝政朝臣歎き申されし旨ありしかば、大御所大坂に仰せられし事に依て、終に本領を安堵し尼が崎の城を賜て、三十郞政長と申す…
- p004…仰せられし事に依て、終に本領を安堵し尼が崎の城を賜て、三十郞政長と申す、大坂の軍起りし時政長生年十二歲、關東の御方として大坂の催促に隨はず、其居所無…
- p004…賜て、三十郞政長と申す、大坂の軍起りし時政長生年十二歲、關東の御方として大坂の催促に隨はず、其居所無碍に大坂に近くして、又四國九國の通路に當れり、纔…
- p004…起りし時政長生年十二歲、關東の御方として大坂の催促に隨はず、其居所無碍に大坂に近くして、又四國九國の通路に當れり、纔の勢を以て此城を守らん事叶ふべか…
- p004…備前播磨の軍勢馳せ加り、大御所又松平主殿頭忠利に仰せて政長に加勢せらる、大坂の兵再ひ起るに至て、內藤紀伊守信政、仰を蒙て尼が崎の城に加勢す、軍終りし…
片桐 第十下 · 3
靑木 第十下 · 4
- p005…、七手の侍の番頭とは成され、一重又其選に入れらる、七組の番頭といふ大坂の兵起りし時、一方の大將を承る、東西御中直りの事整りて後、元和元年三月大…
- p005…坂の兵起りし時、一方の大將を承る、東西御中直りの事整りて後、元和元年三月大坂の御使として、淀殿の御使の女房達、具して駿河の國府に參る、是は大御所路次…
- p005…具せられ其事取計らはせ給ひ、是より都に入らせ給ひ、女房達は御返事給はつて大坂に歸され、一重をば爰に止められて、京職の兵して彼の旅舘を打圍み守らせ、歸…
- p005…り一說に一重は將軍家へ御使に參りしを關東に止められしといふ同五月八日大坂の軍敗れぬ、其後一重將軍家に召出され、再び御家人とは成りにけり、年七十八…
伊東 第十下 · 2
上總介殿 第十一 · 3
駿河殿 第十一 · 1
- p002…糺明の事ありしに、甲斐國に長遠寺といふ親鸞宗の僧あり、故入道が時に、此僧大坂長嶋の使して、信長亡さん謀をめぐらす、信玄悅で娘あたへ聟とせり、男子出生…
本多 第十一 · 9
- p003…上野國八幡の地を賜る、一万石〇家忠日記には相州甘繩と云大閣薨し給ひ大坂の奉行等が德川殿失ひ參らせんとせしより、關が原の戰ひ終てのち天下悉く德川…
- p004…謀る所言葉多からず、一言二言にて盡せるよし、諷諭に長ぜる人と見えき、初め大坂にて大名七人、石田治部少輔三成討たんとす、德川殿の人々を制し給ひしに因て…
- p004…らるゝ事ありしに、正信大に譽め參らせ、よく候よく候と申しき、今一度は初め大坂の軍起りて、程なく御中直りありてのち、大御所京に入らせ給ひ、何某を召て汝…
- p004…の軍起りて、程なく御中直りありてのち、大御所京に入らせ給ひ、何某を召て汝大坂に行き向ひ將軍に申さんやうは、家康はいづれの日、駿河に歸らんと思ふなりと…
- p005…執事の職に至り、下野國小山の地に近江の地添へて下し賜る、三万二千石大坂の兵初めて起りしより終に亡ぶるに至るまで、正純が謀少からず、其男出羽守正…
- p005…兵初めて起りしより終に亡ぶるに至るまで、正純が謀少からず、其男出羽守正勝大坂の軍に天王寺より向ひ、眞先かけて戰ひ乘たる馬の首切て落され、乘替に乘てお…
- p008…大隅守藤原忠純は佐渡守正信が三男にて、將軍家に仕ふ、大坂の合戰に天王寺より押寄せ戰ひて、首二百十七切つて獻る、その勸賞として所領…
- p012…大坂の軍には大御所の仰として、將軍家に隨ひ奉り、軍の御謀を助け參らす元和二年…
- p013…だ改らざりけり、あの心にては、いかで大名には成さるべきと仰けり、其後また大坂の軍終つて後、坂部三十郞久世三四郞賞行はれしと聞て、その三四三十いかに正…
高力 第十一 · 2
菅沼 第十一 · 1
- p011…慶長十九年二月廿七日叙爵して織部正に任す、大坂前後の戰に隨ひ首九十切て獻る一說に九十八元和六年近江國膳所の城に移…
北條 第十一 · 1
- p003…正忠正直が三男養うて家繼かす、出羽守氏重とぞ申ける大御所の御外甥也大坂前後の戰に氏重將軍家の先陣打つて馳せ向ひ、寬永十二年六月廿一日大番の頭と…
山岡 第十一 · 1
- p003…印になされ、道阿彌と號しけり以上或記に見えしまゝに記す太閤薨し給ひ大坂の奉行等が、德川殿失ひ參らせんと謀りし度每に、入道いつも德川殿の御館をぞ…
金吾 第十二上 · 7
- p003…ん大將軍を承て、宗徒の大名あまた引具し、都合其勢拾六万三千人、五月廿二日大坂を立て同七月二日朝鮮に押渡り釜山の城に入る、明れば慶長三年正月四日蔚山の…
- p003…城を築くこと九箇所、軍勢を籠め置て同三月十七日釜山の港に船を泛へ四月四日大坂に着き、明れば五日伏見の城に參らる、秀秋に隨ふ所の七人の軍奉行、幷に加藤…
- p007…ため御下向ありしかば、秀秋も急き軍勢を催して奧に下らんとて本國を打立つ、大坂の軍また起りて諸國の軍勢を催促す、秀秋德川殿の芳恩を報ぜんこと此時にあり…
- p007…關東に申せしに、舍兄延俊あへて城を貸さず、秀秋大に怒て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひな…
- p007…の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政所聞召して大坂の兵伏見の城攻めらるべしと聞ゆ、和君が兄の宰相これ勝俊の事なり後に長…
- p007…と申しき木下の傳に此人の事詳なり內府の兵と共に彼城にあり、和君も大坂の兵と同じくかの城を攻めんに、わらは彼城に入て兄弟の軍せんこと淺ましとて…
- p007…與右衞門二人の使つけて關東に下す、さのみは如何があるべきとて、やう〱大坂を打立つ、道のほど又日數經て德川殿既に尾張國に打入らせ給ふと聞えて、關が…
福嶋 第十二上 · 26
- p003…德川殿の御外姪なり正則が嫡男刑部少輔正之の妻に定められしより事起りて、大坂の奉行等加賀大納言利家を勸めて德川殿失ひ參らせんとす、これ奉行等と謀…
- p003…討のため御下向ありしかば、正則父子同じく馳せ下りて下野國宇都宮に陣取る、大坂の奉行等が兵起りて上方又大に亂る、德川殿東國下向の大名を悉く小山の御陣に…
- p003…國下向の大名を悉く小山の御陣に召され、上方また亂れぬと聞ゆ、人々の家悉く大坂にあり、家康この事を思ふに心苦し、まして人々の心のうち思ひやりぬ抑も弓矢…
- p003…々の見參に入らん時、今までのよしみ忘るべからず、とく〱これより引返へして大坂に歸り給ふべしと仰せらる、人々いまだ申し出す旨もなかりし所に、正則一人進…
- p003…かりし所に、正則一人進み出で申けるは、上方に軍起りし事、風聞の及ぶ所は、大坂の奉行等が秀賴の仰を蒙りて、天下の軍勢を催すとこそ承れ、秀賴御年わづか八…
- p007…四位の少將になされ、同七月右大將家の、大相國家此時右大將たり姫君、大坂に入らせ給ひし時、上方の大名悉くに起請文書て秀賴公に參らす、これ正則が計…
- p007…、淀殿御憤深くして豐臣家に御腹めさせ、御身も失せさせ給ふべしと聞えて、京大坂の間以の外物さわがしくなる、是も上方の大名の中に內々此由を勸め申す人あり…
- p007…參らす、明れば十三年の春、豐臣家疱瘡煩はせ給ふと聞て、上方の大名忍ひ〱に大坂に馳せ集る、中にも正則最初に馳せ參る、十六年三月豐臣家上洛あつて大御所に…
- p007…清正加藤紀伊守幸長淺野三人御供に參りしに、正則は病氣と稱して大坂に殘り止る、十九年五月廿日加賀中納言利長薨して後、子息利光朝臣この年三月…
- p007…に殘り止る、十九年五月廿日加賀中納言利長薨して後、子息利光朝臣この年三月大坂より父の卿に送りし牒狀を得て、密に大御所に献せらる、其文を御覽あるに豐臣…
- p007…せらる、其文を御覽あるに豐臣家御年既に盛りにならせ給ひぬ、すべからく早く大坂に參て、助け參らせらるべき所なり、今城中にある所の兵粮七万斛、又正則等が…
- p007…り、斯ては世の亂れんこと近きにあらんと、御心を勞らせ給ふ程に、此年の九月大坂の軍起りぬ、正則を始として加藤肥後守忠廣等が大坂に在りし米穀、悉く城中に…
- p007…らせ給ふ程に、此年の九月大坂の軍起りぬ、正則を始として加藤肥後守忠廣等が大坂に在りし米穀、悉く城中に參らす、此時江戶の城增し築かる事あつて、上方の大…
- p007…は正則に親しう相語ふ者なれば、我が爲に又關東に趣て正則に申さんには、此度大坂の軍起りしこと、秀賴の心とも覺えず、是は偏に織田有樂大野木村渡邊等…
- p007…竹中が書を帶して馳せ參る、重利正則が旨を述て曰く仰せ謹て承りぬ、抑も此度大坂の兵起りし事、尤も不思儀といひつべし、されば仰せ下さるゝ如く、秀賴の母子…
- p007…んが爲に、二人の使者立てゝ消息を通し候ひぬと申す、本多上野介正純、正則が大坂へ參らする文とつて見るに、此度大佛修造の事に就きて兩御所を怨み給ふべき御…
- p007…豆守重利を召され、急き正則が國に馳せ下り備後守正勝と共に、彼軍勢を催して大坂に向ふべしと仰せ下さる、明れば廿三日都に入らせ給ひし日、正則が使大坂より…
- p007…して大坂に向ふべしと仰せ下さる、明れば廿三日都に入らせ給ひし日、正則が使大坂より歸り參る、秀賴の御母子答へさせ給ふ旨もなしと申て關東に馳せ下る、十一…
- p007…東に止められしとぞ聞えける、同廿九日備後守正勝、重利と打連れ軍勢引率して大坂に馳せ來り、豐臣家より正勝に賜りける、數通の御書を獻て城を攻む…
- p012…し事、たとへば周の武王の一度戎衣し給ひしと云ふに、をさ〱劣る可らず、初め大坂にて失ひ參らせんとせしこと、一たび二たびのみにあらず、終に秀賴の仰なる由…
- p012…されば關原の戰に功多しとは云ふべし、何故に當家に忠盡さんとは思ふべき、又大坂の軍起りし時、諫書參らせしことも兩御所の御疑ひ無らんやうに、一々に拵へて…
- p012…も兩御所の御疑ひ無らんやうに、一々に拵へて如何にもして自ら御供して馳上り大坂の方人して、如何なる謀をも運らさんと思ひしとこそ覺ゆれ、愚なる身にだにか…
- p012…人の云ひけん腐儒の論にてこそあらめ、抑も正則故太閤の御事を慕ひ參らせて、大坂に忠を存ぜしは、其罪にはあらず、天命の既に改りぬるを知るなど云ふは、尋常…
- p012…ふならんには、兼てよりも謀を運らし、彼御方の絕え給はざらん樣を謀らん事、大坂の軍起りし日、諫め參らせし書の如くにこそあらまほしけれ、正則が男備後守正…
- p013…を聞召し、彼捕へられし侍の繩ときて追却し、追捕せし輩を禁獄せらる、程なく大坂の軍起りしかば、何の御沙汰もなく、明る元和元年五月大坂の事終て後、同六月…
- p013…禁獄せらる、程なく大坂の軍起りしかば、何の御沙汰もなく、明る元和元年五月大坂の事終て後、同六月の末、正賴が許に小堀新助後に遠江守中坊左近を御使…
加藤 第十二上 · 8
- p005…に依つて、清正を誅せられんが爲に、本朝に召返さる、慶長元年七月廿八日清正大坂に着て伏見に參り、おのが家に籠り居り、閏七月十二日の夜半、大地夥しく震ひ…
- p006…に引籠りしかば事平らく、同き五年の秋德川殿、奧の中納言景勝を討ち給ふ時、大坂の軍起りて德川殿を滅し參らせんとす、此時清正關東に使參らせて、御方仕るべ…
- p006…に歸る明れば五年の夏六月六日、景勝討たるべき由を仰せ下されて、同十六日に大坂を立たせ給ひき、此時清正は大坂には在らず○又毛利傳記を見るに、東西の軍起…
- p006…景勝討たるべき由を仰せ下されて、同十六日に大坂を立たせ給ひき、此時清正は大坂には在らず○又毛利傳記を見るに、東西の軍起りしかば、清正桑山式部を使とし…
- p006…彼人郡山の城に在り、輝元が計らひにて和殿に取つて參らせんこと難し、和殿は大坂の御爲に忠盡さるべき御事なれば、味方に參り給ひなん後は、望み給ふこと叶は…
- p006…しとぞ答へける、桑山密に沼田に向ひて、あつたらしき味方失ひ給ふものかな、大坂の御爲なれば、輝元增田と謀り給ひ、清正が望に任せ大和國給はらんには、御軍…
- p006…べからずと、いひて肥後國に歸りしと云々、此說誠なるからんには、清正初めは大坂に與みせんと思ひしかど、望かなはざりしに因て、關東に組せしにや、清正が宇…
- p008…の嫡女にして大御所の御外孫女なり忠廣十八歲姫君十二歲の御時なりと云ふ大坂の軍起りし時、御和睦事成りしのち肥後の國の兵船、室兵庫の間に着く、此所よ…
最上 第十二上 · 6
- p003…殿失ひ參らせんとて、我國に下りて密に近國の大名を催す、義光の許へ使立て、大坂の味方に參るべき由を云ひ送る、義光宗徒の一族郞從と相謀り同心のよし返答し…
- p003…死狂ひといふまゝに、散々に切て回り、一人も殘らず討たれぬ、幾程なく戶井は大坂に謀を通ぜし事顯れ、一族悉くに誅せらる、かくて義康に近く仕へし輩、多くは…
- p003…義光に双なき近習なり、義康近く召仕ふ侍原八左衞門といふ者あり、里見も原も大坂よりの仰を受けて、里見は義康の事を父義光に讒すれば、原は義光が事を子義康…
- p003…に仕ふれども、それも叶はず、高野山に登り入道せしを捕へて悉くに誅しけり、大坂より里見に賜りし御文を見て、清水も里見に心合はせ義康を失ひ、我をも失はん…
- p003…上記には、義光卒する時遺言してければ、里見は駿河守家親が代に誅せられて、大坂の御手印出たりと計りしるして、清水が誅せられし事を載せず、世に傳ふる傳記…
- p004…て、明る慶長十九年正月十八日六十九歲にして卒す、二男駿河守家親家を繼ぐ、大坂の軍起りしには關東を鎭めよとて、御跡に留めらる、幾程なくて元和三年三月六…
堀尾 第十二上 · 3
田中 第十二上 · 1
- p005…字賜り、從四位下して松平因幡守康元が娘むかへ、大御所の御外姪婿になさる、大坂の軍起をし時、馳せ向ひ城を攻む、再ひ軍起りしには軍終て後に參る、元和六年…
中村 第十二上 · 1
- p003…太閤薨し給ひなん年の七月、中老の職になされ天下の政務に預りぬ、幾程なくて大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參ら…
筒井 第十二上 · 5
- p006…參らすべきと領掌す、久秀運の究め彼郞等を使として大坂の城に加勢こふ、此使大坂には行かずして、順慶が陣に來て斯と告く、筒井頓て軍勢二千人を引すぐつて大…
- p006…坂には行かずして、順慶が陣に來て斯と告く、筒井頓て軍勢二千人を引すぐつて大坂の加勢に出立たせ、夜に紛れて河內國平野の方へ遣して、彼使と共に信貴の城に…
- p009…内少輔は、只一子あり關が原の後、箸尾所領を失ひしに松倉所緣に就きて養ふ、大坂の事起りし時、箸尾重代の家人等が勸めに因り城中に籠り、城敗れし後本國に隱…
- p010…聞えて、德川殿の仰蒙りて本國伊賀の國に馳せ上る、かゝりし所に上方の多勢、大坂を立て、先づ伊賀國に攻め入る、定次が國に留めし兵共、寄手の多勢に恐れ上野…
- p011…守になされ、寄騎の侍三十六人附けて郡山の城を守らしむ、かくて元和元年四月大坂の兵再び起りし時、箸尾布施万財細井井土等を始として、當國の浪人悉く大坂の…
生駒 第十二上 · 3
寺澤 第十二上 · 1
- p003…間に戰ふ、其勸賞に肥後の國天草の郡を加へ賜ふ、四萬石合て十二萬石也大坂の軍起りしに、馳せ向て城を攻め再び軍起るに及て、鎭西の人々は參る事あたは…
富田 第十二下 · 1
- p003…が多勢なり、取籠められては叶はじと思ひしかば、知高頓て九鬼が船に近付て、大坂の御催促承て知高も馳せ參らんが爲に、急き東國を去て唯今本國に戾り候と、誠…
稻葉 第十二下 · 3
德永 第十二下 · 2
西尾 第十二下 · 2
古田 第十二下 · 1
- p001…、大御所聞召し、あつはれ今の世には類ひ少き人なれと感じ給ふ事大方ならず、大坂前後の戰に隨ひ首六十一切つて獻る、元和五年の秋石見の國濱田の城を賜て移る…
古田 第十二下 · 6
- p005…ければ、賞行はれて所領餘多加へらる、一万石を領す元和元年の夏の初、大坂の兵再ひ起る、兩御所程なく都に入らせ給ひ、五月二日大坂に向はせ給ふべしと…
- p005…元和元年の夏の初、大坂の兵再ひ起る、兩御所程なく都に入らせ給ひ、五月二日大坂に向はせ給ふべしと聞ゆ、かゝる處に四月廿六日重勝が婿鈴木左馬助、近江國…
- p005…者を討ちしなり彼の鈴木が下人からめ取て、其下人に持せし調度中を見るに、大坂の牒狀あり、挾箱といふ者の中より出たり京職其牒狀を奉る、重勝が近く…
- p005…由、彼狀に見えてければ、急き其餘黨廿餘人を搦め取て糺問するに、織部正重勝大坂に謀を合せ、兩御所都を立たせ給ひし御跡にて、主上を取り參らせ二條の城を襲…
- p005…召預られ、重勝が從者を初め廿餘人の凶徒等を禁獄せられて後、五月五日兩御所大坂に向はせ給ひ、同七日大坂の戰事終る、同六月十一日織部正重勝其男山城守某父…
- p005…め廿餘人の凶徒等を禁獄せられて後、五月五日兩御所大坂に向はせ給ひ、同七日大坂の戰事終る、同六月十一日織部正重勝其男山城守某父子二人切腹、其餘黨悉く誅…
山崎 第十二下 · 6
- p001…國三田の城を賜て移る、二万石慶長五年東西の軍一時に起りし時、其身は大坂に在りながら、東國の御方たるに依て、其賞として備中の國成羽の城を賜る、…
- p002…に超えたりけり、されば年ころ夫婦の間も睦からず、されど怨むる氣色もなし、大坂の奉行等が軍起りし時、輝政は東國の御供にて北の方は大坂にまします、此北方…
- p002…怨むる氣色もなし、大坂の奉行等が軍起りし時、輝政は東國の御供にて北の方は大坂にまします、此北方と申すは德川殿の御娘にて、家盛が妻の爲には兄娵にてわた…
- p002…北方と申すは德川殿の御娘にて、家盛が妻の爲には兄娵にてわたらせ給ふ、家盛大坂に留められ、中の渡の新關を守りしかど、元より東國に心を寄せければ、とかく…
- p002…かゝる所に細川が人質を取損して後は、東國に下りし人々の質乞ふには及はず、大坂に在合ふ人々の質、參らせよとありしかば、家盛は妻を參らせんとするに、妻は…
- p003…家盛四十八歲にて慶長十九年十月八日に卒す、子息甲斐守家治つぐ、大坂前後の戰に隨て首切て參らす、寛永十五年肥後國天草郡賜て移る、三万七千石…
本多 第十二下 · 3
松下 第十二下 · 1
- p002…子息石見守重綱父に繼く、大坂前後の戰に隨ひ首きつて獻り、元和年中恩加へられて下野國烏山の城を賜る、…
高橋 第十二下 · 2
關 第十二下 · 2
杉原 第十二下 · 1
- p006…大坂の軍に從ひ首十九きつて献る、五十六歲にして寛永六年二月四日に卒す、男伯耆…
前田 第十二下 · 1
- p003…せさせ給ふべき所なりと諫めけれども、秀信終に隨はず、玄以が男主膳正茂勝は大坂の催促に隨ひ、丹波但馬の人々と同じく丹後の國に向つて細川が城を攻む、關が…
松倉 第十二下 · 5
- p001…凡十一人、其中松倉彌八郞同彌二郞等を載せて是則ち羽柴筑州の異見たり、各々大坂に越し禮を申す、松倉彌八郞は越智三千石を與ふと見えたり、右近大夫が事は見…
- p003…世に傳ふる所は大坂の軍起りし初、まづ軍勢を分ちて丹後の國に差向け、細川が城を攻めよとて七月…
- p003…勢を分ちて丹後の國に差向け、細川が城を攻めよとて七月廿日丹波但馬の人々、大坂を打立つ重政も寄手の中に駈り催されしが、此日亡父が忌日なればとて、僧たち…
- p005…據らば初め重政も本多と同じく大和大納言家に仕へて、秀俊薨ぜられてのちに、大坂の家人となりしにや、仕丁記の說の如くならんには、此事は筒井が家に在りし時…
- p008…政が振舞ひ大に御感あつて頓て其賞行はる、大和國宇智郡二見の地一万石大坂の軍起りしには、藤堂和泉守高虎に隨て城を攻め、再び軍起りし時は、水野日向…
坂崎 第十二下 · 1
- p001…、三万石其後名をも氏をも改て、坂崎對馬守と申し又出羽守に成てけり、大坂の戰に隨てのち、元和三年將軍家を怨み參らすることあつて、終に自害してこそ…
戶川 第十二下 · 1
- p001…、引返して美濃尾張の間に戰ふ、其勸賞として所領の地下し賜ふ、一万石大坂の戰に隨ひ、次第に御恩蒙りて備中國都宇郡庭瀨の庄を領す、三万石達安…
平岡 第十二下 · 1
- p003…出され、美濃の國德野の地下し賜ふ、一万石その男石見守賴資父に繼ぐ、大坂前後の戰に從ひ首三十三切つて獻る、寛永年中賴資狂疾出で來りて所領の地沒收…
藤田 第十二下 · 2
竹中 第十二下 · 1
- p004…領せし濃州の地下人生捕て其領主なれば重門が許にゐて來りしとなり大坂の軍には、酒井雅樂頭忠世が手に属して戰ふ、重門年五十九歲、寛永八年九日に…
佐久間 第十二下 · 1
- p003…軍一時に起りし時、彼等兄弟德川殿の味方に參る、是より御家人に召加へられ、大坂の戰に兄弟共に首切つて參らす、安政は六つ勝之は十元和二年安政信濃の…
村上 第十二下 · 1
- p005…かうむりて上總介殿に越後國を賜らせ給ふ、村上又彼御手に從ひ、元和元年の夏大坂に向ふ、介殿軍の事怠らせ給へば、御手に屬せし人々も戰に合はず、明れば二年…
石川 第十二下 · 1
- p008…郞とあるは內記といひしが事か、又主膳といひしが事か知らず、肥後守は程なく大坂に籠りて討死せしなり、按ずるに石川が家、忠を盡し功を顯せし事、代々に絕え…
日根野 第十二下 · 1
- p003…成人ののち從五位下に叙し織部正に任し、大坂前後の戰に將軍家の先陣打て馳せ向ひ、首きつて献る七寬永十一年十月十七日豐…
成田 第十二下 · 1
- p005…軍一時に起りし時、我身は大田原の城に陣取て軍兵を引分け、おのが城を守る、大坂前後の戰には將軍家に隨ひて、首六十七切つて献る幾程なく卒しけるに、世嗣な…
瀧川 第十二下 · 2
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히