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大關
이 가문에 자주 나오는 인물·지명
인물 大関高増 9大関晴増 5大関資増 4大関高清 3大関清増 3大関政増 3上杉景勝 3大関増親 3徳川家康 2徳川秀忠 2大関高増(政増嫡子) 2大関増栄 2藤原利仁 1大関高元 1大関忠澄 1大関高行 1大関増次 1大田原資清 1豊臣秀吉 1白河義親 1大関増公 1
高清十二代の孫彌五郞增次、生年廿五歲にして死す、家繼すべき子なかりしかば、同國の住人大田原備前守資清が二男、養て世嗣とす、右衛門佐高增これなり、高增初め豐臣太閤に隨ひ、本領を安堵し、黑羽根の城に住す、一万三千石、大關元那須が被官と云ふ高增男子三人あり、嫡子土佐守增晴、二男美作守清增、三男右衞門佐資增なり、增晴は嫡子なれども、初め白川の義親が家、繼すべしとて、婿にしたりければ、二男清增を高增が世嗣とす、清增天正十五年七月廿五日年廿三歲にて卒し、嫡子增晴も、三十七歲にして、慶長二年五月八日に卒す、右衞門佐高增、二人の子に後れ、年七十二歲にて、慶長五年正月十四日に卒す、此時嫡孫彌平次政增、土佐守增晴男幼し、成人の程、家の事、行ふべしとて、三男右衞門佐資增をして、家繼せたり、高增卒せし年の秋、德川殿奧の上杉、御退治あるべしとて、先陣旣に當國宇都宮に着せしかば、御陣は下野の小山に召されたり、上方の軍又起り、德川殿御父子引返して、山道海道二手に分つて、攻上らせ給ひしかば、那須の人々は、本國を守て、上杉と戰はんとす、關が原の戰、上方の軍敗れしかば、景勝戰ふに及はず、天下悉くに平きぬ、舍兄增晴が男彌平次政增、旣に十五歲に及ひしかば、資增父が遺言に任せて、家の事讓て、慶長十二年四月朔日、三十二歲にして卒しぬ、彌平次政增、家を繼て後、大坂前後の戰に、將軍家の先陣して、首九十七切て献る、明れば元和二年五月晦日、廿六歲にして卒す、嫡子土佐守高增、曾祖父の名に同し如何なる故にや父に繼き、寬永七年十二月晦日に、叙爵せり、其子右衞門增親、父に繼き、高增が卒せし年月未た知らず舍弟等に所領分つ、增親一万八千石、二男主馬增榮、三男右近增公に千石づゝ慶安三年四月七日、大名六人を撰て、若くは城内城外に火あらんに、其勢盛んならんには、騎卒を發して、速に救ふべき由、仰せ下さる、增親其一人に擇はる、大名救火の事、是を始とす承應元年十二月廿八日叙爵して、土佐守に任し、寛文二年四月朔日、廿八歲にて卒し、子なかりしかば舍弟增榮を嗣とす、一万九千石寬文四年十二月廿八日、信濃守に任し、從五位下に叙す、