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上杉景勝
본문 표기 景勝・上杉・景勝中納言・上杉中納言・上杉中納言景勝・中納言景勝・上杉殿・中納言藤原景勝・長尾喜平次景勝・喜平次景勝・上杉彈正大弼景勝・屋形・黃門
越前 第一 · 5
- p001…參河守は、父には生れまさりけりと、御感淺からず、明る年の秋、德川殿、奧の景勝中納言、御誅伐の時に上方の早馬來て、大坂の兵起りぬと申す、御方の大名小名、小山…
- p001…はせ玉ふべきに議定す、德川殿、本多佐渡守正信を召され、家康西に向はん時、景勝頓て跡を追て攻めのぼるか、さらずは又關東にや亂れ入らん、誰か此所に殘り留…
- p001…入道が時に至り、弓矢取て天下に肩を並ぶる者すくなかりき、されば其子として景勝、又幼弱の昔より軍の中に成長し、年既にふけぬ、當時かれに向て、たやすう軍…
- p001…る輩少からず、勢のほども又さこそ多からめ、秀康いまた軍には慣らはねども、景勝一人が勢と戰んに、何程の事か有べき、あはれ大將をたに御許しあらんには、此…
- p001…せたまひ、下野國宇都宮に陣取て、關東を鎭めたまひしに、上方の軍破れて後、景勝も降を乞ひぬれば、伏見に參り給ひけり、此度の勳賞に越前國賜て、明る慶長六…
井伊 第四上 · 1
- p006…政等が嚴しく守護し奉りしに依て、終に御恙もわたらせ給はず、同き五年の夏、上杉中納言景勝が、陸奧會津に引こもりて、召せども終に參らず、さらば追討あるべしとて、德…
榊原 第四上 · 1
- p003…ば、德川殿大に悅ばせ玉ひ、みづから打蚫とつて給ひけり、同き五年の秋、奧の景勝御追討のとき、康政中納言殿の先陣を打て下る、かゝる所に上方にも軍起りぬと…
鳥居 第四中 · 2
高木 第四下 · 1
- p001…衞門尉忠次を、御前に召して、二人が年比の高名を感じ仰せらる、慶長五年奧の上杉追討の時、清秀小山の御陣に參り、また宇都宮の御陣に參り、御供の事を望み申…
小笠原 第六 · 4
- p001…えしかば、貞慶同國の住人高坂眞田等の人々と同しく、越後國に使者を參らせ、景勝に從ふ、景勝程なく、其勢四千五百人にて、信濃に越ゆ、また相州北條左京大夫…
- p001…慶同國の住人高坂眞田等の人々と同しく、越後國に使者を參らせ、景勝に從ふ、景勝程なく、其勢四千五百人にて、信濃に越ゆ、また相州北條左京大夫氏直四萬八千…
- p001…して、高坂眞田等、北條の多勢をや恐れけん、忽に上杉を背きて、北條に從ひ、景勝と戰はんと、屋代川中島を經て、善光寺に向ひて、陣を取る、景勝筑摩川を打渡…
- p001…北條に從ひ、景勝と戰はんと、屋代川中島を經て、善光寺に向ひて、陣を取る、景勝筑摩川を打渡て進み來る、北條かねてば高坂源五郞が裏切を恃みてこそ、こゝま…
屋代 第六 · 3
秋元 第六 · 5
- p001…輔直政勸めにて、越中守長朝を召出され、御家人となさる、慶長五年の秋、奧の上杉中納言景勝、御退治の爲、御下向ありしに、上方また一時に軍起る、德川殿まづ引返し、上…
- p001…ありしに、上方また一時に軍起る、德川殿まづ引返し、上方に向ひ給はんには、上杉御後に打てのぼるべし、此儘景勝を退治あらんには、上方の軍勢攻下りなん、此…
- p001…、德川殿まづ引返し、上方に向ひ給はんには、上杉御後に打てのぼるべし、此儘景勝を退治あらんには、上方の軍勢攻下りなん、此事如何あるべきとありしに、本多…
- p001…出る事なく、德川殿御心のまゝに、上方の敵を滅し玉ひ、其後長朝御使として、景勝が許に行向ふ、此度は深谷の士大沼越後副使となされ、豐光寺等と共に下向し、…
- p001…、此度は深谷の士大沼越後副使となされ、豐光寺等と共に下向し、仰の旨を傳ふ景勝やがて領する所の國を獻て、德川殿に見參し、天下忽に事なく治りぬ、これは秋…
柳生 第六 · 1
- p003…初め慶長五年の秋、德川殿奥の上杉御追討のため、御下向あつて、下野の小山に出馬し給ふ時、上方また軍起りぬと…
淺野 第七上 · 1
- p001…斐の國に下りけるにも、幸長は都に留つて、政所の御所を守護しまゐらせ、奧の景勝御退治のため德川殿、下らせ給ふ時、御跡を慕うて馳せ下る、上方の兵起りしか…
京極 第七上 · 1
- p002…不審、〇秀賴は武衛の末流と云、四位の侍從になさる、慶長五年の秋、奧の景勝、追討のため下向す、上方の軍起りしかば、引返して、美濃の國にして、岐阜の…
山內 第七上 · 1
- p003…時に五万石これ年來の戰功を賞せられし所なり、慶長五年の秋、德川殿奧の景勝中納言、御追討の時、一豐先陣に在て、下野國宇津宮に至る、かゝる所に上方又軍起り…
堀 第七上 · 1
- p003…万石、此內村上九万石、溝口六万石を給ひしと云ふ、同き五年の秋、德川殿上杉中納言を伐たせ給ひし時、秀治北陸道より奧に攻入るべしと仰せ下さる、かゝる所に、…
伊達 第七下 · 4
細川 第七下 · 1
- p011…慶長五年の秋、奧の上杉、謀反の聞あつて、德川殿御發向の事あり、忠興御跡を慕ひて馳せ下る、此隙を…
藤堂 第七下 · 1
- p001…、此後度々御大事に及ばせ給ふべき事ありしかど何の御恙もわたり給はず、奧の景勝中納言御退治の時、高虎從ひ參らせて下向す、其御跡にて、上方の軍起りしかば、高虎…
毛利 第八上 · 1
- p006…る、此日かの荒波を德川殿に奉り、頓て本國に下向す、此年の夏、德川殿、奧の上杉、退治のため、御發向ありしかば、輝元、吉川安國寺等を大將として、軍勢をさ…
鍋島 第八上 · 1
- p006…中納言にも、其旨を申傳ふべき所なりとぞ仰せける、明れば慶長五年の秋、奧の景勝、御退治のため、御下向ありと聞えければ、直茂が子息信濃守勝茂、軍勢を催し…
蜂須賀 第八上 · 1
- p006…寺と三人、同じく軍の奉行を承る、太閤薨じ給ひ、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝御退治のため、御下向ありしには、家政が嫡子長門守至鎭御跡を慕ひて馳せ下る…
上杉 第八下 · 59
- p001…中納言藤原景勝は、故關東の管領上杉彈正大弼輝虎入道謙信の世嗣、實は長尾越前守政景の男な…
- p013…て、天正元年正月十九日、我が名を讓りて、上杉三郞景虎と名乘らせ、我が外甥景勝が妹に配せけり、謙信卒する時、領せし國々を二つに分て、半は景虎に讓り、半…
- p013…せけり、謙信卒する時、領せし國々を二つに分て、半は景虎に讓り、半は外甥の長尾喜平次景勝に讓る、謙信卒して、百日をだに經ずして、景虎景勝、互に國を爭て軍起り、…
- p013…り、半は外甥の長尾喜平次景勝に讓る、謙信卒して、百日をだに經ずして、景虎景勝、互に國を爭て軍起り、四月廿日の事なり景虎打負て、春日山の城を去り…
- p013…是處をも同く攻め落され、景虎腹切て死す、憲政も終に自害して失せぬ、抑も此景勝が父越前守政景は、輝虎が姊婿にて、同じ流の長尾なり、然るに、政景、輝虎失…
- p013…の邊りなる湖にて、政景誤て水に溺れて死せし樣に拵て、其世嗣を絕たず、其子喜平次景勝、十一歲にて、父に後れて、幼き心にも、父が不忠の罪を耻ぢ、如何にもして、…
- p013…ば佐久間玄蕃允、能登をば前田又左衞門尉、越中をば佐々內藏助に、分ちたぶ、景勝打ふし柴田因幡守が背きて、越後國新發田の城に籠て、國中靜ならざるを鎭めん…
- p013…ば森武藏守に與ふ、諸方の敵、牒じ合せて、越中信濃上野より攻め入らんとす、景勝先づ越中に向ひ、魚津の城に押寄せたる織田が軍勢、討ち破り、取て返して、信…
- p013…ひ、魚津の城に押寄せたる織田が軍勢、討ち破り、取て返して、信濃國に向ふ、景勝信濃に引き返せば、前田佐々、又魚津に押寄て、終に城をぞ落しける、此年信長…
- p013…押寄て、終に城をぞ落しける、此年信長、明智に討れ、瀧川森、上方へ引返す、景勝信濃を打隨へ、越後の國に歸りて、國中の亂を鎭め、又佐渡の國を擊つ、同き十…
- p013…ず、秀吉これを討たんがため、頓て彼の國に向はんとす、成政いかに申すとも、景勝助け給はずんば、秀吉が幸、何事か、是に過くべきとぞ申されける、景勝、木村…
- p013…とも、景勝助け給はずんば、秀吉が幸、何事か、是に過くべきとぞ申されける、景勝、木村に向て、去りし年、景勝、成政が爲に、魚津の城を落さる、當時は、國中…
- p013…吉が幸、何事か、是に過くべきとぞ申されける、景勝、木村に向て、去りし年、景勝、成政が爲に、魚津の城を落さる、當時は、國中の亂を鎭めんとて、未だ彼と戰…
- p013…の亂を鎭めんとて、未だ彼と戰ふに及ばず、又彼國は、我が累代の所領なれば、景勝必ず佐々を滅して、取らんとす、然るに今秀吉の使を承て後、彼が國を討たんこ…
- p013…然るに今秀吉の使を承て後、彼が國を討たんこと、秀吉と國を爭ふに似たり、又景勝が一度も彼と戰はで、秀吉の望に任せんも、云甲斐なし、所詮、此度彼が國に向…
- p013…り、此處彼處放火して引返し、木村を召て、おことが見たらん樣、秀吉に語て、景勝北國打隨へんこと、いと安し、去りながら、秀吉の望に任せて、功をば讓り訖ん…
- p013…、秀吉の望に任せて、功をば讓り訖んぬと申せ、又兩家の好み結んことは、みな景勝よく計つてこそ返答には及ふべけれとて、使をば返されたり、明れば、十三年四…
- p013…三十八人、越後國落水の城下に來て、此城を守るなる須賀修理が許に使を立て、上杉殿へ秀吉の使として、木村これまで參りたり須賀殿に參會して申べきこと候とぞ云…
- p013…旅館に點して、出て迎ふ、秀吉、修理に對面し、我は是れ羽柴筑前守秀吉なり、景勝に見參し申べき事あつて來りたり、案內者乞て春日山に趣かうと思ふは、如何に…
- p013…、須賀、不肖には侍るとも、某かくて候へば、仰られん事あらば、承りてこそ、景勝には申傳ふべけれ、容易く通し申さんこと、叶ふまじくにて候とぞ云ひ切つたる…
- p013…さんこと、叶ふまじくにて候とぞ云ひ切つたる、秀吉さらば、早馬を參らせて、景勝に斯と申せ、秀吉が云はんこと、汝が聞くべき所に非ずと、仰せければ承りぬと…
- p013…ば承りぬと申て、羽柴殿をば、城中に入れ參らせ、さま〱に饗應し奉る、此時、景勝は柴田が伯父刑部左衞門尉が、籠つたる新潟の城を、攻めんとて、蒲原郡に向ひ…
- p013…秀吉討たせ給はんには、御勢賜るまでも候はず、某討つて參らせんとぞ申ける、景勝聞て、天下の權を掌る身が、戰國の中にして、多くの難所を越て來れるは、一つ…
- p013…が、戰國の中にして、多くの難所を越て來れるは、一つは去年の盟に違へじと、景勝と好み結ばんが爲、一つは景勝が正なき振舞すまじきを賴んで、斯くこそあらめ…
- p013…所を越て來れるは、一つは去年の盟に違へじと、景勝と好み結ばんが爲、一つは景勝が正なき振舞すまじきを賴んで、斯くこそあらめ、夫に彼を闇々と討たんことは…
- p013…正なき振舞すまじきを賴んで、斯くこそあらめ、夫に彼を闇々と討たんことは、景勝が年頃正しう取つたる弓矢の名を汚さんず、いで〱景勝、參會して彼が望に任せ…
- p013…を闇々と討たんことは、景勝が年頃正しう取つたる弓矢の名を汚さんず、いで〱景勝、參會して彼が望に任せ親しうなるか、さらずば、先づ此度は彼を返し、重て軍…
- p013…刻計に、落水の城に來て、秀吉と對面す、色代事終て後、秀吉の御方には石田、景勝の方には直江ばかり、傍に在て、密に事を議せらるゝこと二時餘り、酉の刻の初…
- p013…此月、信濃の國の住人眞田安房守昌幸、德川殿に背き、二男源次郞を質として、景勝に加勢を乞ふ、景勝源次郞に所領を賜ふ、是れ後に左衞門佐と云ふが事なり…
- p013…眞田安房守昌幸、德川殿に背き、二男源次郞を質として、景勝に加勢を乞ふ、景勝源次郞に所領を賜ふ、是れ後に左衞門佐と云ふが事なり景勝、河田安田本庄…
- p013…加勢を乞ふ、景勝源次郞に所領を賜ふ、是れ後に左衞門佐と云ふが事なり景勝、河田安田本庄を先として、信濃國の軍兵、其勢六千五百人、上田の城に差向く…
- p013…ば、越後の勢も歸りけり、同き冬、木村又關白の御使として、越後國に行向ひ、景勝を初として、宗徒の侍大將等に、物を賜ること夥し、これ兩家よしみ結ばれし悅…
- p013…將等に、物を賜ること夥し、これ兩家よしみ結ばれし悅の使とぞ聞えける、此年景勝、杉原新潟沼垂等の城を攻め落し、此等は皆柴田が餘黨の城なり明れば、…
- p013…參るべしと聞えしかば、秀吉大に悅て、又木村を使として、色々の物贈り給ふ、景勝、木村と打連て、五月十一日に越後を立ち、石田增田大谷、北陸道に下りて、此…
- p013…越後を立ち、石田增田大谷、北陸道に下りて、此處彼處にまうけす、同廿七日、景勝都に入る、關白かねて彼が旅館を點ぜられ、本國寺其夜自ら彼が旅館に至りて、…
- p014…此夜關白殿、景勝に盃さゝせて、酒のみ、直江に盃たまはり、又其盃とり上げ給ひしとなり、…
- p015…あけの日、景勝、聚樂の御所に參る、關白の執奏にて、景勝參議に任し、四位に叙す、直江藤田…
- p015…あけの日、景勝、聚樂の御所に參る、關白の執奏にて、景勝參議に任し、四位に叙す、直江藤田安田等を始として、家人五人叙爵し、同き七…
- p015…を差向け、叛きし輩打隨へ、奧の會津と戰ひ、出羽國庄内三郡を討取る、十七年景勝が妻、聚樂の館に移りしかば、關白悅ひ給ふ事、大方ならず、景勝も頓て上洛す…
- p015…取る、十七年景勝が妻、聚樂の館に移りしかば、關白悅ひ給ふ事、大方ならず、景勝も頓て上洛す、從三位中納言になされ、家人直江山城守兼續、從四位侍從に任す…
- p016…は、樋口與三左衞門と云ひし柴薪つかさどりし者の子なり、彼が年十四五の時、景勝容顏の美麗なるを愛して、近く召仕ひて、寵愛淺からず、成人の後、我家のおと…
- p016…れに肩を並べんことを悅はず、爰に家の長に、直江大和守が男子なかりしかば、景勝頓て兼續を其婿にして、直江と名乘らせ、山城守と受領させ、終に隨一のおとな…
- p017…し、其餘の家人等、叙爵するもの十一人に及べり、十八年、北條を討たれし時、景勝東山道より攻め下り、此處彼處の城々落して、小田原に至り、北條亡ひて後、關…
- p018…此時太閤、景勝に向ひ、今領する國は、租入如何程ばかりにやと、尋ね給ひしに、凡そ七八十万…
- p018…き、さらば所領あまた參らせんとて、會津百二十萬石の地に、移されたり、實は景勝は累代の主なり、國民等が懷き思はん事うるさし、又彼が領せし佐渡國は、白銀…
- p018…さし、又彼が領せし佐渡國は、白銀出づる所なれば、それをも奪はんが爲なり、景勝も事の情は、察しけれども、今はた詮方なさに、移りしとなり、…
- p019…又景勝に仰せけるは、奧の國郡、やゝもすれば、王命を蔑如し、反逆を謀る輩、古より…
- p019…は、奧の國郡、やゝもすれば、王命を蔑如し、反逆を謀る輩、古より是れ多し、景勝かしこに趣きなば、三年が程、國に在て、能く境を鎭むべしとて、御暇賜はりぬ…
- p019…、能く境を鎭むべしとて、御暇賜はりぬ、明れば三年八月、太閤薨し給ひし後、景勝、故太閤仰せ置るゝ旨ありと稱して、己が國に引籠て、要害を搆へ勢揃ひす、又…
- p019…揃ひす、又隣國に盜賊蜂起して、其境穩ならず、是を追捕して、糺問するに、皆景勝が下知かうむる由を、陳じたり、斯ては世の亂れ、近にありぬとて、德川殿、御…
- p019…近にありぬとて、德川殿、御使を下されて、諫め給ふこと、度々に及びしかど、景勝終に隨はず既にして景勝が、軍起しぬと、國々より、早馬を參らせければ、さら…
- p019…、御使を下されて、諫め給ふこと、度々に及びしかど、景勝終に隨はず既にして景勝が、軍起しぬと、國々より、早馬を參らせければ、さらば速に退治あるべしとて…
- p019…國の軍を止め、下野國より引返し、海道山道二手に分て、攻め上らせ給ひけり、景勝が軍勢、陸奥出羽の際にして、伊達最上の人々と、戰ふこと度々に及ぶ、上方の…
- p019…最上の人々と、戰ふこと度々に及ぶ、上方の軍、破れて後、明れば六年十一月、景勝關東に參る、…
- p020…景勝德川殿に參ること、世に多く傳ふる所は、慶長六年七月廿四日とも、八月廿四日…
- p021…德川殿御對面の後、長井信夫等の郡を賜て、會津仙道庄内の地、收公せらる、景勝此後米澤に移り三十万石を領したり外に五万石直江に賜ひしと云ふ、…
- p021…戰に高名して、御敎書幷に物を賜ふこと差なり再び軍起りしには、兩御所、景勝を二條の御陣に召され、帝都を守護し奉れとて、御跡に止められ、八幡に陣をぞ…
- p021…に召され、帝都を守護し奉れとて、御跡に止められ、八幡に陣をぞ取たりける、景勝六十九歲にて、元和九年三月廿日に卒したり、景勝が事、委しく夏目か記に、…
- p021…八幡に陣をぞ取たりける、景勝六十九歲にて、元和九年三月廿日に卒したり、景勝が事、委しく夏目か記に、見えたり、其大略を載せぬ、其子左少將定勝、父…
佐竹 第八下 · 1
- p001…來り、三成を迎ひつゝ、伏見の家に伴ひけり、其後慶長五年の秋、德川殿、奧の上杉討れんとて、御下向ありし時、義宣かねて三成と謀を通はして、御使賜りて、召…
秋田 第八下 · 1
- p006…万石といへども、實は二十餘万石ありしとなり、慶長五年の秋、德川殿奧の上杉を討ち給ふべきにて、奧方の人々は、最上出羽守義光に隨ひ、軍すべしと仰せ下…
相馬 第八下 · 5
- p003…を受て、豐臣太閤家に隨ひ參らせ、本領を安堵す、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝中納言を征伐あるべしとて、諸國の軍勢を催さる、岩城相馬の人々は、年頃佐竹と好み…
- p003…て、諸國の軍勢を催さる、岩城相馬の人々は、年頃佐竹と好み深ければ、內々は上杉石田等と謀を通はして、德川殿の催促に隨はず、程なく天下悉くに德川殿に歸し…
- p004…景勝が兵起りし時、伊達左京大夫政宗は、急き本國に歸りて、搦手より攻め入るべき…
- p004…を經て、岩城と相馬との境に至て、先づ相馬が許に、使者を立て、此度德川殿、上杉を征伐し給ふに因て、政宗搦手より向ふべき由を承りぬ、路次既に塞りて候ひし…
- p004…極る、政宗德川殿に訴へ申けるは、相馬は只だにも、政宗が年頃の敵なり、夫に上杉石田等に與みしたるが、一定に候はんには、政宗彼が爲に討たるべき時至て候ひ…
眞田 第九上 · 17
- p003…が家滅てのち、織田殿に降參して、本領を安堵す、同き六月、信長又討れ給ひ、上杉彈正大弼景勝、又當國に發向すと聞えしかば、信濃國の國人、眞田蘆田小笠原を始て、永く上…
- p003…杉が被官たるべしと、起請文を書て、越後國へぞ參らせたる、同き六月十八日、景勝信濃に發向す、眞田を始て、國人等皆上杉が陣に至て見參す、斯る處に、北條左…
- p003…入る、眞田等また北條が多勢なるをや、賴みけん、氏直に心合せ、うら切して、景勝うたんと謀りしに、景勝かくと聞くよりも、海津の城に住したる高坂源五郞が首…
- p003…多勢なるをや、賴みけん、氏直に心合せ、うら切して、景勝うたんと謀りしに、景勝かくと聞くよりも、海津の城に住したる高坂源五郞が首切て、北條が陣に送りけ…
- p003…れ候へと、答へ參らせて、上杉の家人須田相摸嶋津淡路に就きて、景勝に申しけるは、昌幸むかし北條に從ひ屋形に背き參らせし事、旣に本意を失ひ、…
- p003…相摸嶋津淡路に就きて、景勝に申しけるは、昌幸むかし北條に從ひ屋形に背き參らせし事、旣に本意を失ひ、後悔また及ひ難し、昔の罪を宥められ、今…
- p003…をや、此誓たがふ事あるべからずと、牛王寶印の裏を以て、起請文かきて奉る、景勝折ふし越後の國新發田の城攻めて居たりしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝…
- p003…景勝折ふし越後の國新發田の城攻めて居たりしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、…
- p003…叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、又景勝を賴むこと、よく〱せん方や無るらん、凡そ亂れたる世の習ひにて、彼を去り、…
- p003…急難を救はずんば、かれ忽に亡びなん事も、不便なり、又家康が武勇に恐れて、景勝事を左右に寄せ、眞田見捨てたりと云はれんも、口惜しき次第なり、いで〱景勝…
- p003…景勝事を左右に寄せ、眞田見捨てたりと云はれんも、口惜しき次第なり、いで〱景勝助くべしと申せとて、使をば返へされたり、眞田既に背きぬと、聞えしかば依田…
- p003…を打立て、矢澤の城に押寄す、矢澤但馬出向つて戰ひ、依田負軍して引返へす、景勝新發田を去て、河田本城を大將として、越後信濃の軍勢都合六千五百人、上田の…
- p003…る、昌幸大に悅ひて、二男源次郞幸村、十八歲になりけるを、越後國に參らす、景勝やがて信濃國屋代の鄕一千貫を幸村に賜りたり、幸村いまだ年若く候とて、矢澤…
- p003…に、案內を通し、殿下に伺候すべきよし、密に望み申けり、同き十七年十一月、景勝關白に見參の事ありて、再ひ都に登りしに、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關…
- p003…、再ひ都に登りしに、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關白家にぞ參らせける、景勝大に怒て、かの源次郞幸村を、急度返へし給らんと、頻に訴へ申されしに、殿下…
- p003…、急度返へし給らんと、頻に訴へ申されしに、殿下さま〱に御歎きありしかば、景勝力及ばずして、仰にこそは隨ひけれ、此年關白家、勅命を傳へて、北條父子、參…
- p005…郞幸村も、左衞門佐になされて、大谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討たるべしとて、御下向あり、眞田父子兄弟、催促に隨ひ、打連て向ふ、下野國…
南部 第九下 · 1
- p005…信濃守利直、父に繼く十石万幾程も無くて、慶長五年の夏、德川殿會津の中納言景勝を御退治あるべきにて、南部津輕秋田山北の人々は、出羽守義光に隨つて、軍す…
六郷 第九下 · 1
- p001…催促に隨ひ、軍勢率ゐて、筑紫の御陣に馳せ參る、慶長五年の秋、德川殿、奧の上杉御退治あるべきにて、山北の人々は、出羽守義光に隨ひて、軍すべしと仰せ下さ…
大田原 第九下 · 1
- p005…促に隨ひて、軍勢を率ゐ、肥前の名護屋に陣を取る、慶長五年の夏、德川殿奧の上杉中納言征伐の爲に、御下向あつて、先づ此大田原の城に、御陣を移さるべきに定る、斯…
大關 第九下 · 3
伊東 第九下 · 1
- p014…明れば五年の夏、德川殿奧の景勝中納言を退治の爲、御下向ありし時、祐兵折節大坂に侍ひしが、井伊侍從に就きて、急…
脇坂 第十上 · 1
- p003…領の地加へらる、三千石程なく大閣薨し給ひ同き五年の秋、德川殿、奧の上杉退治あるべしとて御下向あり、安治我身は大坂に留て、嫡男淡路守安元に軍勢付…
小出 第十上 · 1
- p004…太閤薨し給ひし後、景勝中納言が上洛せざりし罪に因て、德川殿征伐の爲に、奧に下らせ給ひし時、秀政は老病…
加藤 第十上 · 1
- p001…ふ所を賜りぬ、四万石幾程なく太閤も薨し給ひ慶長五年の秋德川殿、奧の上杉を追討の爲に御下向あり、貞泰も當國岐阜中納言秀信に隨ひ、馳せ下るべき由を…
薩摩守殿 第十一 · 1
- p001…武藏國忍の城を賜りて領せらる、十万石慶長五年の秋、德川殿に隨て奧の景勝中納言を追討のため、下野國に至り給ふ時、上方の軍勢また起りぬ、德川殿御代官とし…
蒲生 第十二上 · 1
- p005…東西の軍起りし時、宇都宮の城を守て奧の先陣にぞ候ひける、明れば六年の八月上杉中納言景勝、米澤の城に徒され九月廿日會津の城をば秀行朝臣に賜ふ、六十万石同き…
金吾 第十二上 · 1
- p007…太閤薨し給ひ同き五年の秋、德川殿奧の上杉追討のため御下向ありしかば、秀秋も急き軍勢を催して奧に下らんとて本國を打…
福嶋 第十二上 · 1
- p003…、德川殿中和らけ給ひしに因て事また平きぬ、明れば慶長五年の秋德川殿、奧の上杉追討のため御下向ありしかば、正則父子同じく馳せ下りて下野國宇都宮に陣取る…
加藤 第十二上 · 2
最上 第十二上 · 7
- p003…らせ給ふべきにて候と申す、頓て御供して罷り出づ、幾程なくて太閤薨し給ひ、上杉中納言景勝石田治部少輔三成と心を合はせ、德川殿失ひ參らせんとて、我國に下りて密に近…
- p003…徒の一族郞從と相謀り同心のよし返答し、德川殿に早馬を參らせて斯くと申す、景勝最上が御方に參るべしと聞て大に悅び、先づ物の具の料とて黃金二万兩を贈くる…
- p003…とて黃金二万兩を贈くる、義光是を領して家の子郞等らに分ち與ふ、頓て德川殿景勝追討の爲に御下向あるに及んで、南部秋田を先として、山北の輩を引具して景勝…
- p003…景勝追討の爲に御下向あるに及んで、南部秋田を先として、山北の輩を引具して景勝が國に攻め入らんとす、上方又軍起つて德川殿引返させ給ふよし聞えて、寄騎の…
- p003…す、上方又軍起つて德川殿引返させ給ふよし聞えて、寄騎の輩悉くに引かへす、景勝初め義光にたばかられぬる事を怒て、軍勢を差向け義光が城々攻め落す、關が原…
- p003…軍勢を差向け義光が城々攻め落す、關が原の合戰、上方の人々負軍しつと聞て、景勝が軍勢引返すを是處彼處に追詰め〱千五百八十餘人が首切つて、谷地の城を降し…
- p003…〱千五百八十餘人が首切つて、谷地の城を降し庄內の城を落す、明れば六年七月景勝德川殿に降りし後、義光して酒田の城を取らせ給ひしに、守の兵敢て下け渡さず…
堀尾 第十二上 · 1
- p006…へ賜ひぬ、六万石の地加へられ本領合て十八万石也此年の夏德川殿、奧の上杉追討のため御發向ありと聞て、吉晴も隨ひ參らせんとて、越前の國府より濱松の…
田中 第十二上 · 1
- p001…誅せられにけり、吉政ばかりぞ太閤の御感には預りける、慶長五年の秋德川殿、上杉中納言追討のため御下向ありし時、吉政も隨ひ奉る、上方又軍起りしかば、吉政關東の…
中村 第十二上 · 1
- p003…て同職の輩と善きに計ひ參らせし程に、事既に平らきぬ、慶長五年の夏德川殿、上杉中納言御追討あらんとて奧に下らせ給ひし時、一氏既に病の床に臥して、おのが城にあ…
筒井 第十二上 · 1
- p010…二萬石を領す鎭西關東朝鮮等の軍に從ひ大閣薨じ給ひし後、慶長五年の夏、中納言景勝追討のため德川殿御下向ありし時、定次も奧に下る上方の軍又起りぬと聞えて、…
里見 第十二上 · 1
- p003…して攻め上らせ給ひければ、義康は參河守殿と同じく下野の國宇都宮の城に留て景勝と戰はんとす、關が原の戰ひ事終つて、上杉佐竹降つて後此度の勸賞として、常…
稻葉 第十二下 · 1
- p004…は無念の事に思ひ、やがて子息に家を讓て籠居す、明れば五年の秋德川殿、奧の上杉御退治あるべしとて御下向あり、道通御供に隨ひしが、仰せ蒙る旨あつて路次よ…
藤田 第十二下 · 16
- p001…んに、僅なる勢にて戰はんこと叶ふべからず、さらば沼田の城攻め取て立籠り、上杉殿の加勢請うてこそ軍をもすべけれとて、越後の國に使立てゝ景勝にかくと知らせ…
- p001…取て立籠り、上杉殿の加勢請うてこそ軍をもすべけれとて、越後の國に使立てゝ景勝にかくと知らせ、手勢五千餘引具して沼田の城に押寄す、かねて案內をば知たり…
- p001…三日の夜に紛れて引返し、家子郞等八十三騎引すぐつて召具し、越後の國に趣き景勝に見參し、同十月廿七日新發田の城の戰に、首八十六切つて參らす、景勝大に感…
- p001…に趣き景勝に見參し、同十月廿七日新發田の城の戰に、首八十六切つて參らす、景勝大に感し此年十二月長島の城を賜り、藤田が手の者二百五十騎、寄騎の侍五十人…
- p001…將に成れてけり、天正十二年の夏信吉佐渡國に押渡て、國人等を攻め從へ、常に景勝が先陣して國中の亂を平らけぬ、同き十七年十一月景勝都に上りて豐臣關白に見…
- p001…國人等を攻め從へ、常に景勝が先陣して國中の亂を平らけぬ、同き十七年十一月景勝都に上りて豐臣關白に見參あり、從三位に叙し中納言に任す、家人直江山城守兼…
- p001…祿の初朝鮮の軍起り、本朝の大名悉く軍勢を引具し、肥前國名護屋に馳せ集る、中納言景勝安藝の國に差懸り、宮嶋の宿に陣取らんとす、上杉が侍大將安田上總介先陣に打…
- p001…ん所を、後陣の人々に取られ參らせん事も、軍の法を亂すに似たり、所詮此處に景勝が陣どらんほどの宿さけ渡され、其宿さけ渡されん人々は、軍陣の御首途に、跡…
- p001…目を失はざりし事、信吉の計らひに依る所なりと仰せ下されけり、慶長二年の春景勝奧に移りし時、信吉大森の城を領す、同き三年八月太閤薨し給ひ、信吉御吊使と…
- p001…にての事、仰せ出されて物多く給ふ、靑江直次の御刀黃金百両小袖二十領黃門急ぎ上洛あつて天下の事議せらるべき由を、よく申せとて返されたり、かゝる所…
- p001…ぎ上洛あつて天下の事議せらるべき由を、よく申せとて返されたり、かゝる所に景勝石田治部少輔三成等と言合せたる旨あつて、東西に分れて一時に軍起さんとす、…
- p001…日會津を去て都に登り、大德寺に籠り居て入道し源心とぞ號しける、かゝる所に景勝が軍起りぬと聞えて、追討の爲、德川殿大坂を御立あつて伏見の城に入らせ給ひ…
- p001…き所なりとありしかば、此上はとて見參し其謀を運らす、關が原の戰事終て後、景勝終に降人になつて參る、信吉頓て御暇給て上杉が家に歸らんとす、德川殿信吉を…
- p001…事、相違あるべからずと仰せ下さる、信吉猶上杉が家に歸らん事を望みしかば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、ありし事共御物語ありしにぞ、景勝も心解…
- p001…かば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、ありし事共御物語ありしにぞ、景勝も心解けられける、此上は汝が志既に顯はれぬ、景勝本領賜はらんまでは、此儘…
- p001…し事共御物語ありしにぞ、景勝も心解けられける、此上は汝が志既に顯はれぬ、景勝本領賜はらんまでは、此儘に候へとて關東に留められ、其名を改めて重信と召さ…
村上 第十二下 · 2
成田 第十二下 · 1
- p003…らせらる、かくて忍の城の寄手攻あぐみぬと聞えて、北陸道より攻め下れる大將上杉前田、寄手に馳せ加らんとす、主の成田既に降りぬと聞て、城中の兵も降人にな…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히