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가문 목록 › 第十二下 › f199

村上

第十二下 · 단락 5 · 780526 81코마 L부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 10 5 3 3 3 3 2 2 2 2 2 1 1

지명 3 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1

秀政が男左衞門督秀治が越後の國に移りし時、村上も同じく移て、本庄の城を領す、今の村上の城なり九万五千石餘慶長五年の夏德川殿、上杉中納言を追討あるべきにて、越後國の人々は左衞門督秀治に隨て、北陸道より奧に向ふべしと定めらる、かゝる所に上方また軍起りしかば、先づ東國の軍をば止められ、上方に向はせ給ふに因つて、村上等は已が國に止て上杉を防ぐ、此國元は上杉が傳領の所なれば、彼に心を合はせて、賊徒國中に蜂起す、溝口伯耆守宣勝1等と力を合せて此處彼處打平ぐ、
  1. — 지면 그대로. 慶長5年 越後 一揆 당시 新発田 성주는 溝口秀勝(伯耆守)이고 宣勝은 그 아들이다. 어느 쪽을 가리키는지 미확인
按ずるに創業記に慶長十二年閏四月の下に、堀久太郞幷に溝口伯耆守村上周防子等、江戶城の隍穿ちし事を載せられたり、然れば此頃は周防守が子の代たるにや、但しこの子といふ字、守といふ字を誤りしも知らず、世には亡びし周防守は上總介殿の家人花井主水正が妹婿の由をも傳ふ、しからば長秀に仕へし周防守にはあらざるべし、夫れも周防守が息男に、花井が妹あはせしも知れず、此家一代か二代か覺束なしといへども世に皆義明一代にて亡びし樣に傳ふれば、まづ其說に從ふ者のなり、