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佐久間

第十二下 · 단락 3 · 780526 81코마 R부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 7 5 4 4 4 4 4 3 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

지명 1 1 1 1 1 1

備前守平安政が先祖は、三浦介義明が一族たり、鎌倉殿に隨ひ參らせて、安房の國佐久間の庄を賜ひしより、代々佐久間とは名のりてけり、中頃の先祖本國を去て尾張國愛智郡に移り、久右衛門尉盛次に至て織田殿に仕へ參らせ、盛次柴田修理亮勝家が妹に添うて數多の男子を設く、嫡男玄蕃允盛政、二男は備前守安政なり、三男は母の名字になつて柴田三左衞門尉勝政と名のる、四男大膳亮勝之、五男左兵衞尉勝年、六男藏人勝友とぞ申ける、初め柴田羽柴不快になつて近江國志津嶽にして戰ふ、手合の戰に玄蕃允盛政、中川瀨兵衛尉が陣を打破て淸秀を討取る、淸秀は瀨兵衛なり勝家終に秀吉の爲にかけ負けて、盛政幷に舍弟勝政は討死す、盛政三十歲勝政廿七歲備前守安政その時は久六郞と申せしが、初め佐久間右衞門尉信盛が寄騎なりといふ舍弟勝之と共に時に源六郞といふ佐々內藏助成政が養子といふ敵の中をかけ破り、關東に落ち下り北條左京大夫氏政に從ふ、天正十八年の秋北條が家滅びし後、蒲生飛驒守氏鄕が勸め申に依て、安政勝之兄弟共に豐臣關白の御家人になさる、
慶長五年の秋東西の軍一時に起りし時、彼等兄弟德川殿の味方に參る、是より御家人に召加へられ、大坂の戰に兄弟共に首切つて參らす、安政は六つ勝之は十元和二年安政信濃の國飯山の城を賜ふ、三万石〇是より前いか程領せし事を知らず七十三歲にして寛永四年四月廿五日に卒す、嫡子民部少輔勝次父に先立つて卒しければ、二男日向守安長父に繼く、寛永九年四月十二日廿三歲にして卒す、其子三五郞安次幼けなくして父に繼ぎ寛永十五年十一月廿日年僅に九歲にて世を早うす、世嗣なければ家絕えぬ