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徳川家康
본문 표기 德川殿・大御所・家康・兩御所・內府・元康・若君・大殿・殿・君・德川殿御父子・竹千代殿・此人・德川・駿河の御所・將軍家・内府・御父子・御所・父上・德川どの・主・當代の太祖・両御所・上樣・御主・竹千代丸殿・將軍・東照宮・御父・わか君・松平藏人元康・大神君・此殿・德川の內府・松平藏人・家康父子・徳川殿
비정 미확인: 佐土原 분봉(慶長8) 시점. 미확인
越前 第一 · 42
- p001…三河守殿は、德川殿第二の御子、御母は家の女房、いさゝかゆゑ有て、三河國產見といふ所にて生れ…
- p001…御子、御母は家の女房、いさゝかゆゑ有て、三河國產見といふ所にて生れ給ひ、德川殿御子ともし玉はず、本多作左衞門重次とりて養ひ參らせ、御名をば於義丸殿と申…
- p001…て養ひ參らせ、御名をば於義丸殿と申奉る、御兄岡崎の三郞殿、如何にもして、父上の見參に入ればやと思召し、於義丸殿三歲の御時、德川殿岡崎の城に入らせ玉ふ…
- p001…三郞殿、如何にもして、父上の見參に入ればやと思召し、於義丸殿三歲の御時、德川殿岡崎の城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く敎へ參らせ、殿の渡らせ給ふほ…
- p001…歲の御時、德川殿岡崎の城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く敎へ參らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うでかし、父上〓〓と聞え給ひしに、德川殿は…
- p001…りしに、かねて能く敎へ參らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うでかし、父上〓〓と聞え給ひしに、德川殿はやく心にさせ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郞…
- p001…らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うでかし、父上〓〓と聞え給ひしに、德川殿はやく心にさせ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郞殿御袖を扣へたまひ、信康が…
- p001…きとほり給ふ御氣色見えければ、此上は見參無くては事あしかりぬと思召され、德川殿再ひ御座につかせ玉ふ、三郞殿頓て於義丸殿の御手を引て參り玉ひ、近う渡り給…
- p001…ず、かくても猶重次が許にぞ、ひとゝならせ玉ひける、三郞殿うせ給ひて後は、德川殿此人のましますを、賴もしき事に思召す、天正十二年冬、豐臣秀吉北畠殿につき…
- p001…二年冬、豐臣秀吉北畠殿につきて、御子一人、養君とし奉るべきよしを申さる、德川殿異父同母の御弟、三郞四郞殿をのぼせ給ふべしとありしに、御母上ゆるさせ給は…
- p001…守殿を養君とし給ひし事は、去りし天正十二年の春より、北畠殿と軍起りしに、德川殿、信雄の方人せさせ給ひし故、每度軍に利を失ひ、德川殿と戰ん事叶ふべからず…
- p001…北畠殿と軍起りしに、德川殿、信雄の方人せさせ給ひし故、每度軍に利を失ひ、德川殿と戰ん事叶ふべからずと思召し返し、終に信雄と中直りす、これ偏に德川殿に親…
- p001…ひ、德川殿と戰ん事叶ふべからずと思召し返し、終に信雄と中直りす、これ偏に德川殿に親しうならんが爲なれば、彼御子養て、德川殿にも見參せんと謀らる、されど…
- p001…終に信雄と中直りす、これ偏に德川殿に親しうならんが爲なれば、彼御子養て、德川殿にも見參せんと謀らる、されど德川殿彼れの望に任せらるべしとも聞えされば、…
- p001…殿彼れの望に任せらるべしとも聞えされば、守殿うしなはれ給べきなど風聞す、德川殿此よしを聞召し、初め秀吉が望みしによつて、我子を與へぬ、彼子今は秀吉の子…
- p001…し、初め秀吉が望みしによつて、我子を與へぬ、彼子今は秀吉の子にこそあれ、家康が子にあらず、秀吉の子殺さんに、家康何とか思ふべきと、驚かせ給はず、秀康…
- p001…與へぬ、彼子今は秀吉の子にこそあれ、家康が子にあらず、秀吉の子殺さんに、家康何とか思ふべきと、驚かせ給はず、秀康の御母お万どの、後に長勝院といふ…
- p001…す、同き十三年の十二月、北畠の使として、羽柴下總守勝雄、土方勘兵衛雄久、德川殿に參り、殿は關白殿と年比の御恨あるにもあらず、一日信雄が賴み參らせ候に依…
- p001…の十二月、北畠の使として、羽柴下總守勝雄、土方勘兵衛雄久、德川殿に參り、殿は關白殿と年比の御恨あるにもあらず、一日信雄が賴み參らせ候に依て、御合戰…
- p001…正月二十一日に、下總守勝雄、また關白の御使となつてまゐる、御物語の序に、殿は久しう都の方は御覽せぬにて候、今は都のやうも、昔には事かはつて侍れば、…
- p001…がため、且は秀吉御父子にも御對面のため、御上洛あるべうもや候と申ければ、家康いま秀康に對面して何事をか語らふべき、且彼父の關白殿にだにも、參會に及ぶ…
- p001…き、且彼父の關白殿にだにも、參會に及ぶべからず、まして其公達に於てをや、家康信長の御時、都に登りて、見つべき所をば皆見つ、都戀しう思ふ所もなし、鷹臂…
- p001…ともおほえず、たゞし秀吉みづから當時朝の御覺え、世のなびき從ふを恃みて、家康をも門下に伺候させんずるなど思て、上洛を催されんには、汝たゞ眞直に申せ、…
- p001…をも門下に伺候させんずるなど思て、上洛を催されんには、汝たゞ眞直に申せ、家康また思ふ所ありと仰せられしかば、勝雄大に恐れて、秀吉いかでさる事を思ひ玉…
- p001…聞玉ひ、とやせん、かくやすべきと案じわづらひ、きつと案じ出して、御妹君を德川殿の北の方に參らせらる、此上は、關白に見參有べしと聞えしかば、御家人等が心…
- p001…其後參議に任し、太閤薨し給ひし後、宗徒の大名石田治部少輔三成を討んとす、德川殿人々を制し玉ひ、三成職解て、おのが城に籠居すべきに極る、猶路の邊れぼつか…
- p001…とて、守殿して送られしかば、三成難なく近江國佐和山の城に入る、此年九月、德川殿重陽の賀をせられんが爲に、大坂に至らせ玉ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申…
- p001…をば參らせず候とて、御勢配のやうを、一々に書記し、伊奈に給て歸されたり、德川殿、あつはれ參河守は、父には生れまさりけりと、御感淺からず、明る年の秋、德…
- p001…殿、あつはれ參河守は、父には生れまさりけりと、御感淺からず、明る年の秋、德川殿、奧の景勝中納言、御誅伐の時に上方の早馬來て、大坂の兵起りぬと申す、御方…
- p001…陣に集て、軍評定す、先づ此所より引返して、上方に向はせ玉ふべきに議定す、德川殿、本多佐渡守正信を召され、家康西に向はん時、景勝頓て跡を追て攻めのぼるか…
- p001…引返して、上方に向はせ玉ふべきに議定す、德川殿、本多佐渡守正信を召され、家康西に向はん時、景勝頓て跡を追て攻めのぼるか、さらずは又關東にや亂れ入らん…
- p001…今日に決し候ひぬ、能く心して物申させたまへと申て、御跡に隨て御前に參る、德川殿東西の軍の事、御物語有て後、おこと我が爲に此所に留りて、關東を鎭めなば、…
- p001…、關東を鎭め給はんには、大將を參らせ給はんこと、仰にや及べきと申ければ、德川殿世に御嬉しげにて、頻りに御淚をながされ、みづから御鎧一領取出して、抑此鎧…
- p001…御嬉しげにて、頻りに御淚をながされ、みづから御鎧一領取出して、抑此鎧は、家康が若かりしより、身に附て、終に一度の不覺をおほえず、父が嘉例に准へて、こ…
- p002…りしかど、罪ゆるされて、人質を給ひし上は、久世が討手の先陣を取りき、此時大御所關東にわたらせ給ひしかば、閏十月廿日召符を下され、本多淸水等關東に召され…
- p002…ひしかば、閏十月廿日召符を下され、本多淸水等關東に召され、十一月廿八日、兩御所みづから本多伊豆守淸水丹後今村掃部を召寄せられ、十二月二日、將軍家御裁斷…
- p002…き由を仰下さる、十八年の三月訴人再ひ起て、家人等また關東に參る、同き六月兩御所仰けるは、斯國中の靜ならざる事、偏に參河守が年いまだ若かりしが致す所なり…
- p002…と聞えたり、されども、此殿みづから功の高きに誇り、賞のひくきを怒て、我父大御所の長子として、天下をも讓らるべき身の、わづか國一つを領し、我又其嫡子にて…
- p002…加階せざらんやと、のたまひて、日にそへてあら〱しき振舞のみ多くまし〱て、大御所かくれさせ玉ひし後は、天下に恐れ憚りたまふ人なく、明ても暮ても、酒と色と…
- p003…中納言殿の家人永見右衞門尉と申は、父は中務といひ、母をば池鯉鮒殿と申て、大御所の御從弟のよし申しゝなり、されば、右衞門尉母と共に、彼家に仕へて、後は一…
- p009…坂の軍起る、御母上、國松殿を近づけ參らせ、殿はまさしき故中納言殿の御子、大御所の御孫にてわたらせ玉ふ、梅檀は二葉よりかうばしとこそ承れ、弓矢取る家に生…
- p009…弓矢取る家に生れ、既に十歲にあまらせ給へば、今度いかなる高名をも極めて、大御所の御感に預らせ玉へ、相構て、きたなびれて、人にうしろ指なさゝれ給ひそ、御…
尾張 第一 · 6
- p001…大納言源義直卿は、初は義利、大御所第九の御子、御童名五郞太丸殿、慶長八年正月廿八日、御年四歲の時、甲斐の國…
- p002…○或人曰く、初め大御所の御時に、右兵衞督殿、常陸介殿、同じく五拾萬石の地を參らせらる、其餘隣國…
- p003…十四年十一月大御所の仰として、當國名護屋の地進せらる、これは淸洲の城を移して、義直卿の御座…
- p003…大名、また名護屋の城を增築く、十九年の秋、大坂の兵起りしかば、十月三日、大御所白旗幷に引兩の幕賜ひ、尾張國に至り、軍勢を催し、此とき駿河にましませ…
- p003…に至り、軍勢を催し、此とき駿河にましませしなり、大坂に向ひ、大御所に隨て陣し、東西御和睦の後、名護屋に歸り玉ひ、北の方御入輿の事あり、此時…
- p003…に隨て陣し、東西御和睦の後、名護屋に歸り玉ひ、北の方御入輿の事あり、此時大御所も、名護屋に到らせ給ひしが、大坂の兵再ひ起ると聞召、爰より直に攻めのぼら…
紀伊 第一 · 4
水戶 第一 · 1
- p001…中納言源賴房卿は大御所第十一の御子、御童名鶴千代丸、慶長十一年九月廿三日、御年四歲にて常陸國下…
保科 第一 · 9
- p001…、正直北條左京大夫氏直の案内者して、信濃の國に打入て、高遠の城に歸り入、德川殿も彼國に御勢を向けられ、甲斐の國府に打入て北條と戰ひ玉ひし所に、北條の軍…
- p001…府に打入て北條と戰ひ玉ひし所に、北條の軍、終に利なく、彼國々の侍共、盡く德川殿に從ふ、正直も酒井左衞門尉忠次に就きて、御方に參りしかば、御書賜て、本領…
- p001…、御書賜て、本領を安堵す、此時正直越前守同國小笠原右近大夫貞慶が、德川殿たのみ奉て、累代の本領、深志の城に入ながら心變りし、北條に組みして、鹽尻…
- p001…が城をせむ、御方利なかりしによつて、正直も引かへして、おのが城にかへる、德川殿關東に移り玉ひし時、下總國多古の地、一万石賜て、慶長六年歲六十歲に…
- p001…直長子正光、童名甚五郞、二男正重、靱負設けて妻を失ひしかば、德川殿異父同母の御妹を賜て、彼妻となされ、久松佐渡守の長女なり、初松平與…
- p001…れば、保科が許にゆきたまひしなり男子二人、女子四人を設く、これ皆德川殿の御外甥の御外姪にぞありける、系圖に詳なり長子なれば正光家を繼、從…
- p001…起りしには、初に山城國淀を守り、後に大坂に來て城を攻む、再ひ兵起りし時、大御所に隨ひ軍し、首十四切て獻る、正光嗣なかりしかば、幸松丸殿を養君とし參らせ…
- p001…代殿御母見性院殿とりて養ひ給ひしを、正光また養ひ參らせしと聞えき、正光德川殿の實の御外甥にあらねど、御妹の子の列なれば、御ゆかりなきにあらざり…
- p004…彈正忠源正貞は、正直が三男、德川殿の御外甥なり、元和元年の夏大坂の兵再ひ起りし時、本多出雲守忠朝、將軍家の…
松平(形原) 第二 · 4
- p001…、水野右衞門大夫殿の長女を妻とす、贈大納言家廣忠卿の御事北の方を德川殿の御母傳通院殿御事、返へさせ玉ひし時、家廣かの御姉に添ひまゐらすべき…
- p001…り、詳なる事、酒井雅樂助が傳に見ゆ其子紀伊守家忠、其子紀伊守家嗣、德川殿に隨ひて、所々の戰に高名す、家信、父家嗣に繼ぎて、天正十年の秋、武田亡ひ…
- p001…迯行く、野呂助左衞門、只一人取て返して戰ふ、家信彼に渡り合ひ、終に首取て德川殿の見參に入る、德川殿野呂は聞えし大剛の兵、家信生年十六歲、彼が首取たりと…
- p001…、只一人取て返して戰ふ、家信彼に渡り合ひ、終に首取て德川殿の見參に入る、德川殿野呂は聞えし大剛の兵、家信生年十六歲、彼が首取たりと聞く、不審さよと思召…
松平(深溝) 第二 · 3
松平(能見) 第二 · 3
松平(荻生) 第二 · 3
松平(荻生) 第二 · 4
- p001…傳藏親淸、其子五左衞門近正と云、和泉守家乘が家子たるにや天正十二年德川殿、北畠殿信雄を援たまひ、秀吉と戰ひ給ひし時、源二郞家乘いまだ幼なりしかば…
- p001…らん事を勸む、近正あへて從はず、いそぎ嫡子新三郞一生に家乘が侍二人附て、德川殿へ參らせ此由を告申、一生をば直に濱松の城に留めらるべき由を申す、是れ近正…
- p001…るべき由を申す、是れ近正が二心なき旨を顯はし、質として子息を獻る所なり、德川殿、近正が志に深く感じたまひ、御刀を一生にぞ賜りける、其後關東に移り玉ひし…
- p001…丹波馬塲和泉等の張本人、所々にて生捕られ、一々に誅せられけり、明れば八年大御所將軍の宣旨を蒙らせ給ひし時、一生叙爵して、若狹守に任す、十一年五月一生罪…
松平(櫻井) 第二 · 4
- p001…戰に、終に不覺の名を取らず、天正五年七月廿日、三十四歲にて卒す、忠正初め德川殿異父同母の御妹を迎へて、家廣を設けたり、德川殿關東に移り給ひし時、家廣上…
- p001…三十四歲にて卒す、忠正初め德川殿異父同母の御妹を迎へて、家廣を設けたり、德川殿關東に移り給ひし時、家廣上野國松山の城を給ひ、一万石慶長六年二月濱…
- p002…賴は、監物家次が二男、與二郞忠吉が二男なり、忠吉の兄與一郞忠正死して後、德川殿の仰として、兄の妻迎へて伊豆守信吉、左馬允忠賴兄弟の子設たり、此二人の…
- p002…忠賴兄弟の子設たり、此二人の子、內膳正家廣と、異父同母の兄弟にて、皆是德川殿の御外甥也、又是三人の母上、後に保科か妻となり玉ひし也、伊豆守信吉は…
松平(藤井) 第二 · 6
- p001…年秋、織田上總介殿、將軍義昭に賴れ玉ひ、都に攻上るとて加勢の事を望まる、德川殿御家人等が手の兵、一々にすぐり出し、信一に大將をぞ給りける、九月十一日、…
- p002…と、譽たまひて、着たまひたる革の道服ぬきて賜ひぬ、信一が家紋葵なれども、德川殿に同じからん事を憚りて、かたばみを紋とせしが、これより桐をも紋とす、彼道…
- p002…らず、大久保其時の人にて記せし記なれば、今は其記に從てしるす、又此時信長德川殿よりの御加勢多からざるを悅はず、また信一が小男なるを笑ひ玉ひしかば、信一…
- p003…に恐れて、敢て近つく者なし、織田殿此由聞召し、にくいやつばらが狼藉かな、家康の加勢、乞ひて、たまはつたる御勢と、同士軍する事やある、信長が軍兵、一人…
- p003…て暇を給て、本國にぞ歸されたる、元龜元年の秋、再ひ織田の加勢して高名し、德川殿關東に移り給ひて、上野國布川の地をぞ領しける、五千石、一說に筑波とも…
- p003…る春に至ては、伏見の城に來り守る、再ひ兵起りてのち、飯盛の邊に陣をとる、兩御所のぼらせ玉ひしかば、大坂に馳向ひ、五月七日の戰に、首廿一切て獻る、元和三…
松平(長澤) 第二 · 5
- p001…平といふ、一說に久親は信光の御子といふ、實は大河內金兵衞秀綱が二男、德川殿の仰に依て、正次の世嗣となりしなり、此秀綱と申は、源三位入道賴政の孫、源…
- p001…乘る是より子孫三河國に住す、金兵衞秀綱は、顯綱が十一代の孫と申なり、秀綱德川殿に、仕へ奉て、遠江國稗原の地領し、入道の後休心とぞ號しける、正綱十七歲よ…
- p001…仕へ奉て、遠江國稗原の地領し、入道の後休心とぞ號しける、正綱十七歲より、德川殿に近く召仕れ、常に御側をはなれず、近習出頭人衆といひし也、慶長五年…
- p001…ひし也、慶長五年關が原の戰に隨ひ、同八年三月叙爵し、大坂兩度の戰にも、大御所の御陣に從ふ、大御所薨し玉ひし後、左大臣家の御時に至て、三代に仕へ奉りて…
- p001…が原の戰に隨ひ、同八年三月叙爵し、大坂兩度の戰にも、大御所の御陣に從ふ、大御所薨し玉ひし後、左大臣家の御時に至て、三代に仕へ奉りて、凡天下郡國の吏務、…
水野 第三 · 19
- p001…を岡崎殿へ參らせられ、贈大納言廣忠卿の御事明る十一年十二月廿六日、德川殿を設け玉ひ、十二年七月十二日、忠政卒し玉ひ、嫡子信元其家を繼く、駿河國今…
- p001…の方を送り返させ玉ひけり、かゝりしかば、兩家心よからず、岡崎殿うせ玉ひ、德川殿御成人の後に至り御外舅なれど、合戰やむ事なし、和泉守忠重は、此時藤十…
- p001…ふ所に引こもり居玉ひしが、永祿六年の冬、一向專修の門徒等、叛き參らせて、德川殿は、御軍以の外大事に及ぶと聞て、水野太郞作、村越又市郞を引具し馳せ參り、…
- p001…は石川新十郞をうち、太郞作は大見藤六郞を討、これよりして、常に德川殿に從ひ、軍の先をかけぞといふ事なし、天正三年の冬、信元うたれ玉ひし後、同…
- p001…累代の地なればとて、刈屋の城を織田殿より忠重に賜りしなり、是れ併しながら德川殿の御外舅たるが故に、かゝる恩例もありしなり、此後或は信長の催促に依て、軍…
- p001…故に、かゝる恩例もありしなり、此後或は信長の催促に依て、軍をひきゐ、或は德川殿の大將して合戰す、織田殿うせ玉ひし年、鳥居元忠と共に、甲斐の古國府に陣ど…
- p001…て、叙爵す、此頃までは、總兵衞と申せしなり、按するに、家忠日記には、德川殿初めて御上洛のとき、忠重供奉し叙爵して、姓賜ふとあり、されども、家…
- p001…に、自ら一番に首を取る、郞等三人にも、皆首とらせて、御前に參らせしかば、德川殿御感なゝめならず、此日みづから首を切ること三つ、そののち本治の城をせめ、…
- p005…都のかたに趣きしに、大坂の奉行人、德川殿の伏見の御館攻むべしとて、洛中洛外以の外に騒動に及びし時に參りあひ、幸な…
- p005…騒動に及びし時に參りあひ、幸なる事、でさんなれと、夜に入て、御館に參る、德川殿悅はせ玉ふこと斜ならず、さりとは申せども、御前には召さず、これは、和泉守…
- p005…べるとも、勝成と音信を通じ給はゝ、長き恨に候べしと、制し玉ひしゆゑなり、德川殿山岡備前入道を御使として、道阿彌と申せし人なり、和泉守殿へ、いろ〱…
- p005…、いろ〱に仰らるゝ旨ありしかば、父の心もとけて、對面を許さる、さてこそ、德川殿にもめされけれ、百人扶持を給ひしとなり、程なく、德川殿の奧の會津に…
- p005…、さてこそ、德川殿にもめされけれ、百人扶持を給ひしとなり、程なく、德川殿の奧の會津に向はせ玉ふに、勝成供奉して下る、其跡にて、和泉守殿の事ありし…
- p005…成に仰付られしなり、五月六日の合戰に、敵の先陣打やぶり、首あまた切て、大御所の御陣に參らせしかば、御感の仰を蒙り、明れば七日天王寺の敵をかけ破て、父…
- p005…入、一番に旗を建て、よき首九十七きつて獻る、打捨は數を知らず、然れども、大御所勝成が振舞を悅ばせ給はず、今度都にて勝成めして、一方の大將を賜る上は、相…
- p005…、何の恐れか有べき、たゞ面をも出させず、ほし殺してくれ候に若くべからず、大御所むかし高天神の城を、かくこそ攻玉ひけれ、殊に此城と申は、古より名高き城な…
- p005…物の場に集たる樣に、餘所には見て居候べき、勝成身不肖には候へども、むかし大御所に從ひ奉りて、十六歲にて軍始し、今此年に至るまで、大小の戰ひ、既に五十餘…
- p006…兩人が手に、打死の人々多かりき、されば軍終りても、功を爭ふ事止まずして、大御所の御裁斷をぞあふぎける、同二年四月三日、大御所御違例既に事急なるに、忠清…
- p006…も、功を爭ふ事止まずして、大御所の御裁斷をぞあふぎける、同二年四月三日、大御所御違例既に事急なるに、忠清を召され、彼が父祖の事ども仰出されて、累代の舊…
松平(久松) 第三 · 14
- p001…因幡守源康元は、初は勝元久松佐渡守俊勝が男、德川殿には異父同母の御弟なり、むかし尾張の守護斯波家の被官、久松彈正左衞門菅原…
- p001…定が五代の末孫なり、俊勝初め彌九郞長家といふ、男子一人まうけて妻を失ふ、德川殿の御母公、岡崎より出されて、御兄水野殿下野守信元、の許に歸り住み玉…
- p001…、其弟源三郞康俊、三郞四郞定勝後に隱岐守と云、と申、永祿三年三月、德川殿、今川の爲に兵をひきゐて、尾張國に向ひ給ふとて、阿古居の館に立よらせ給ひ…
- p001…阿古居の館に立よらせ給ひ、御母上に御見參のついで、かの子息等を御覽して、元康外に弟とても、さむらはず、此三人の若者を、誠の弟とこそ存ずべけれとて、松…
- p001…西郡の城をば、嫡子三郞太郞勝元に康元初名守らせ、我身は岡崎に參り、德川殿軍出させ給ふ度毎に、必す御後を守る、天正三年十二月水野下野守殿、信元…
- p001…の四郞に心を合せられたりとて、誅せらるべきよし、信長の仰せられしに因て、德川殿力なく、俊勝して岡崎に呼び迎へて、信元を誅せらる、俊勝大に驚き、かゝる事…
- p001…信元迎へ來て打たせたりし事の無慙さよ、世の人のかへり聞かん事も恥しとて、德川殿を深く怨み、中違こそしたりけれ、俊勝卒去の事、いつれの年月日といふこ…
- p002…郞四郞と申、松平と稱する事は、上にみえたり、天正十二年の冬、豐臣家德川殿の御子を養君とし奉るべきよし、望み申されしかば、此人を御子とし遣さるべし…
- p002…此子都にまゐらすべしとも思はずと泣きくどかせ玉へば、於義丸殿をぞ登せらる德川殿、これは三郞四郞が母上に、うつたへ申しゝ故なりとて、御氣色宜からざりけれ…
- p002…年十月四日、年六十五歲にて卒し、子息河內守定行家をつく、年九才の時より、大御所に奉仕し、大坂の兵起りし時、馳向て城を攻め、再ひ兵起し時は、十八歲にして…
- p002…に、みづから高名し、明る日、將軍家の御手にて、一番に首とつて參りければ、兩御所の御感に預りぬ、元和六年伊勢國長嶋の城を賜ひ、二萬石父の朝臣卒して…
- p003…、既に四年を經たりしに、今に至て、家臣等が、かく申こそ心得ねと仰ければ、德川殿、三郞四郞何ぞ荒川が世嗣たる事を願はんや、彼が成人の後は、彼の所帶よりは…
- p003…にして、十一歲か掛川の城を出で、關東に下り、本多佐渡守正信を賴み、大御所に見參すべきよしを望み申ければ、頓て御前に召し、正信を以て、將軍家に召し…
- p004…和五年なり、罪かうふりしは、同き八年の九月なれば、此事は元和八年の四月、大御所七年の御遠忌にて、日光山へ參り玉ひし時の事にや、…
酒井 第四上 · 45
- p002…、先祖の事詳ならず、世に傳る所、異說まち〱なり、事長ければ、下に註す、○德川殿の御先祖源親氏と申奉る、初て三河國に至り玉ひ、坂井といふ所に留り、嘉吉元…
- p002…御子一人設けらる坂井五郞親淸といふ、此後松平に移り、泰親を設け玉ふ、これ德川殿の御先祖なり、坂井五郞親淸男子二人、兄は小五郞親忠、弟は與四郞親重といふ…
- p004…、天文五年四月八日、酒井左衞門卒す、其子を將監と申て、父に繼く、永祿六年德川殿、織田信長に組みし玉ひし時、將監二心ある由なれば、討手を差向られしに、打…
- p004…年頃父の讎むくはんといふ志もなく、家人多けれども、諫むるもの一人もなし、元康たま〱此事を勸むれば、用ゐざるのみにあらず、却て恨みをふくむ、今川の家亡…
- p004…らず、却て恨みをふくむ、今川の家亡ふべき時、既に至りぬ、この上は力なし、元康は駿河に置きし人質、捨てなんと思ひたつ汝が人質をもすゑ〱は捨てんと心得よ…
- p004…、將監は、今川と中違ひし玉はん事、然る可らざる由を諫めて、御前を立しに、德川殿、彼が氣色二心ありと覺ゆるぞと、速に兵をおこして追かけ玉へば、おのが上野…
- p004…將監天文十六年織田彈正忠に組して、廣忠卿に背き、永祿六年一向宗亂の時、又德川殿に背くとしるす、誤れるにや、大久保彥左衞門物語に、廣忠卿の御時の事しるし…
- p004…酒井將監殿逆心なり、其後將監殿上野を明て、駿河へ落ち行き玉ふ、おとなにて上樣か將監殿かといふ程の威勢なれども、御主に勝つ事ならずして、夫より將監殿の…
- p004…て、駿河へ落ち行き玉ふ、おとなにて上樣か將監殿かといふ程の威勢なれども、御主に勝つ事ならずして、夫より將監殿の筋は絕て、跡方もなしと、云云、是永祿七…
- p005…忠次譜代重職の家を繼き、又岡崎贈大納言家の御妹君にそひ參らせ、德川殿の御伯母聟なりければ、忠次の室は、初め長澤の松平上野介政忠に嫁し、源七…
- p005…ければ、忠次が娘をも副て、小原にわたす、小原駿河に歸りぬれば、三河國盡く德川殿に從ひぬ、同き月廿二日、城をば忠次に賜りけり、忠次に吉田の城を給りて、…
- p005…城を給りて、東三河の衆を其手に屬せらるゝといふ、源三郞殿は、久松の男、德川殿異父同母の御弟、此後武田が今川を亡ぼせし時、おのが國に取參らせてゆ…
- p005…同き二年四月、武田大膳大夫入道信玄、二萬三千人を引具し、參河國へ發向す、德川殿敵二連木の城を攻ると聞召し、御勢纔に五千人後卷せんとて出玉ふに、城は落ち…
- p005…こそ戰ふたれ、此日忠次自ら廣瀬郷左衛門と戰ふ事二度に及ふ武田入道、德川殿此城に、ましますと見てければ、容易には陷されじと、玆より山路を歷て、本國…
- p005…同き三年九月武田四郞、長篠の城を落さんと、遠江國を經て、三河國に打出づ、德川殿御父子、後卷あるべしとて、三郞殿山中に陣を取り玉へば、德川殿吉田の城に入り玉ふ…
- p005…國に打出づ、德川殿御父子、後卷あるべしとて、三郞殿山中に陣を取り玉へば、德川殿吉田の城に入り玉ふ、左衞門尉忠次城を出て、生薑原の邊りにて、山縣が勢と戰…
- p005…田等が勢を引分て城を攻め、我身は一萬五千餘騎、瀧澤川を渡て陣を取る、忠次德川殿に向て、忠次參河の人々引具し、此所より遙かに南へ廻て、山路を傳ひ、鳶巢に…
- p006…五郞八等の足輕大將を添へられたりと云云、又一說に、忠次が此謀を述べしは、德川殿御父子織田殿御父子參會ありて、軍評定ありし時の事なり、御使に參りしには、あらず…
- p007…、忠次を召れ、薙刀を賜て、今日の功をぞ賞せらる、此薙刀をば、忠次後に德川殿に奉りしなり、今年六月二俣の城の先陣し、同八月諏訪の原の城、終におちぬ…
- p007…、此後所々皆かくこそあるべけれ、まづ此度は御勢を返さるべうもや候と申す、德川殿用ゐ玉はず、忠次重ねて、故信玄入道、弓矢を取て、當代に類ひ多からず、され…
- p007…戰ひに及ばず、同き四年二月七日上杉管領輝虎より忠次に書をぞ給りける、是れ德川殿と相謀て、武田を亡さんとの事なりけり、夏目が記を考るに、元龜三年の秋、…
- p007…相謀て、武田を亡さんとの事なりけり、夏目が記を考るに、元龜三年の秋、德川殿より遠州秋葉山の先達加納坊といふ山伏に、熊谷小次郞を添て、御使とし、…
- p007…甲斐に入り、織田殿、駿河遠江三河を經て、本國に歸り玉ふべしと聞えしかば、德川殿まづ忠次返して、御設けの事、沙汰せらる、四月十二日織田殿濱松に至り、忠次…
- p007…月十二日織田殿濱松に至り、忠次に向ひ、此度武田を討し事、是れ併しながら、德川殿の武功による所なりと宣ひて、夜いたく更くるまで、忠次と物語し、數盃の興を…
- p007…れば、忠次みづから御設けす、貞光の太刀に黃金貳百兩添て引れたり、今年五月德川殿安土へ御參ありしに、忠次御供に候ひけり、織田殿みづから配膳せらる、六月二…
- p007…供に候ひけり、織田殿みづから配膳せらる、六月二日織田殿父子失はれ玉ふ時、德川殿和泉の國堺の浦より、本國へ返へらせ給ふ、道の程、忠次等供奉して、岡崎に至…
- p007…かくて諸方の戰ひ、敵みな利を失ひ、氏直美濃守氏規を北條使者として、德川殿に中直りし、大道寺山角等を質とせらる、御方よりは忠次が嫡男小五郞家次をこ…
- p007…角等を質とせらる、御方よりは忠次が嫡男小五郞家次をこそ出されたれ、程なく德川殿の姫君、氏直の北の方に定まらせ玉ひしかば、互の人質を返されて、明る十一年…
- p007…、十二年の春の比、筑前守秀吉、北畠殿に背きて尾張國へ發向すと聞えければ、德川殿信雄をたすけて、尾張國に至り玉ふ、池田紀伊守入道信輝が一族、秀吉に組して…
- p007…空しく兵を止む、數正此ほどより、秀吉に志を通せしにやといひしなり、德川殿既に小牧に引かへし玉へば、此日の軍は、さて止みぬ、明れば十日、秀吉樂田に…
- p007…次直政、細川等が軍せんとひしめくを見て、蹴ちらして棄てんと、はやりしを、德川殿御下知あつて秀吉が小松寺山の軍勢、二重堀を越え來らざらんほどは敵いかにさ…
- p008…秀吉頓て軍勢を分ち、陣々を守らせ、みづから八萬餘騎を引て歸り玉へば、德川殿も、忠次に小牧を守らせて、六月の十二日清洲の城に入玉ひ、同廿二日蟹江の城…
- p008…る、去程に秀吉多くの軍勢を從へ、此處彼處打出て戰ふこと、凡十一箇度、盡く德川殿のために打破られ、信雄卿に中直りす、さらばとて德川殿忠次に清洲を守らせ、…
- p008…と、凡十一箇度、盡く德川殿のために打破られ、信雄卿に中直りす、さらばとて德川殿忠次に清洲を守らせ、小牧尾幡に軍勢をこめ、參河國に引返させ玉ひしかば、秀…
- p008…返させ玉ひしかば、秀吉其隙を伺ひて、伊勢國に發向す、忠次かくと告ければ、德川殿また清洲の城に至り給ふ秀吉是を聞き玉ひ此人のかく助けん程は、信雄を失ふ事…
- p008…發向す、忠次かくと告ければ、德川殿また清洲の城に至り給ふ秀吉是を聞き玉ひ此人のかく助けん程は、信雄を失ふ事叶ふ可らずとて、終に北畠殿に見參し、此卿を…
- p008…し、此卿を賴み、於義丸殿を養君となし、また御妹を濱松へ參らせ玉ひしかば、德川殿も都に上り給ふべしと議せらる、忠次此事ゆめ〱然るべからず、東西再ひ軍起る…
- p008…申てければ、御一門の人々を先として、譜代相傳の御家人等、みな此義に同ず、德川殿聞召て、かた〱が申止むる所神妙なり、家康思ふ子細あり、たとへ關白に欺かる…
- p008…傳の御家人等、みな此義に同ず、德川殿聞召て、かた〱が申止むる所神妙なり、家康思ふ子細あり、たとへ關白に欺かるゝ事ありとも、悔ゆべからず、まづ人の个程…
- p008…らず、まづ人の个程までに、我心を取らんには、など其心には答へざらん、且は家康關白と中違うて、東西軍起るとも、かた〱が心を一つになして、戰はんに、何程…
- p008…く亡び失はん事、尤不便の至りなり、されば、罪なうして失はれん者共の爲に、家康壹人が代て死せん事、なんぼうゆゝしき事ならずや、かた〱も、此旨を存知して…
- p008…き玉ひ、御家人等が心を安んぜんがためなりとて、大廳を岡崎に下し給へば忠次德川殿の御供して上洛す、御見參の事終り、やがて歸らせ玉ひけり、…
- p009…大久保が物語に詳なり、德川殿天下をしろしめさるべき御德、此時の御言葉に見えたりけりと、古き人申しゝな…
- p010…笠原が、關白殿へ參りけるに、忠次相倶して、大坂に趣き、今年十一月十五日、德川殿忠次が家に入らせ玉ひ、終日の饗宴を催したり、忠次男五人あり、嫡子小五郞家…
- p010…る此後は家を子息にゆづりしと見えき、其嫡子小五郞家次、天正十七年十一月德川殿の供奉して上洛し、叙爵して宮內大輔となさる、關白殿、來年北條を追討あらん…
本多 第四上 · 45
- p001…少輔忠勝此平八郎忠高が子にて、是も初は平八郎とぞ申ける、永祿七年夏五月、德川殿吉田の城を攻めらる、忠勝生年十七にて先駈し、始て高名しけり、忠勝一番に牧…
- p002…一說に、永祿三年五月、德川どの大高の城を守らせ玉ひし時に御供し、同五年今川が侍大將小原肥前守、三河國長…
- p002…御事なり、軍起る、越前國の守護朝倉左衞門督義景、長政に加勢す、信長また德川殿に御加勢を乞ひ申さる、三千餘騎を引卒し、一說に五千近江國に至り給ふ…
- p002…三千餘騎を引卒し、一說に五千近江國に至り給ふ、軍既に明日に極りぬ、德川殿强からん方に向はるべしとて、明れば六月廿八日、姉川を隔てゝ義景に向はれた…
- p003…忠勝が振舞ひ、敵味方の目を驚かす、敵の方より見付の坂に榜を建てゝ、家康に過たる物は二つあり、からのかしらに本多平八、この謠は、信玄の近習に杉右…
- p005…信州村上が子孫の家に、忠勝の村上源吾國清に送りし狀あり、其詞に、累年輝虎家康に被仰合に、付て、此間權現堂を以て仰遣さるの叚、祝着之旨、御報に及はる、…
- p006…ば九年三月、終に攻おとす、落行く敵と戰て、首をきること廿二、同十年三月、德川殿、三位中將平信忠と、信長の嫡男、武田四郎を擊るべしと、駿河國を打從…
- p006…べしと、駿河國を打從へ、甲斐の國に攻入り玉ひし時、忠勝先陳を承る、去程に德川殿今度武田が滅びし事をも賀し、みづから又駿河國をわかちし祝をも、申さんとて…
- p006…れず、信長宣ひけるは、年來國を爭うたる、武田滅て侍る事、信忠が名譽、全く德川殿の武功に依る所なり、東國の事、おことましませば、信長思ひ置く事なし、是よ…
- p006…山陽を從へんが爲に、近日に首途し、諸國の軍勢集らん程は、都にさむらはん、德川殿は都の內も見給はぬ所も多かるべし、是よりは程遠からず、善きついでなれば、…
- p006…都の商人にて候が、さが〱しきやつにて、常は信長が許へ近く召すものにて候、德川殿にも御存知とこそ承れ、おのれ道すがら、をかしき物語をも仕て、御心を慰め奉…
- p006…すがら、をかしき物語をも仕て、御心を慰め奉るべしと、仰下さる、同廿一日、德川殿近江國を御出あり、都より初て、所々回り御覽ずる程に、同き晦日には、和泉國…
- p006…き晦日には、和泉國堺の浦に至り給ひぬ、織田殿も、今ははや御上洛の程なり、家康も見つべき所をば見つ、都へ上りて見參に入らんと思ふに、汝まづ參て、此由を…
- p006…ぎ申べきために、參り候といふ、忠勝打つれて引返す、飯盛の山のほとりにて、德川殿はやく御覽じ付けられて、汝等は爰に扣へ候へと、御供の人々をば止められ、酒…
- p006…やがてまゐれり、おの〱馬を一所に立てゝ、たゞ呆れにあきれたり、やゝ有て、德川殿竹丸に向ひ玉ひ、家康年頃信長と好みを結び、恩に感ずる事もこれ多し、具した…
- p006…馬を一所に立てゝ、たゞ呆れにあきれたり、やゝ有て、德川殿竹丸に向ひ玉ひ、家康年頃信長と好みを結び、恩に感ずる事もこれ多し、具したるものゝ、今少しもあ…
- p006…登り、知恩院に入て腹切て、信長に死を共にせんと思ふなりと宣ふ、竹丸承て、殿だにも御腹めさるべしと承る、まして年比の御家人にて候者をや、竹丸まづ腹か…
- p006…町斗り行きて、忠勝馬を乘返し、さきの五人の人々を招て、忠勝微弱の身にて、君を强て諫め奉らんこと、憚りすくなからずといへども、殿の御大事、今日に極つ…
- p006…、忠勝微弱の身にて、君を强て諫め奉らんこと、憚りすくなからずといへども、殿の御大事、今日に極つたる上は、思ふ所をまづ人々に申にて候、そも〱殿が信長…
- p006…ども、殿の御大事、今日に極つたる上は、思ふ所をまづ人々に申にて候、そも〱殿が信長の年來の恩に感し玉ひ、都へのぼり、御腹めさるべしと候は、義の當つた…
- p006…目を失ひ訖んぬ、さらば申べきにて候とて、忠勝が申す旨を、盡くに述べたり、德川殿つく〱と聞召し、家康もし國に歸る事を得んには、軍起して光秀を誅せん事、元…
- p006…申べきにて候とて、忠勝が申す旨を、盡くに述べたり、德川殿つく〱と聞召し、家康もし國に歸る事を得んには、軍起して光秀を誅せん事、元より願ふ所なり、さり…
- p006…歸る事を得んには、軍起して光秀を誅せん事、元より願ふ所なり、さりながら、家康を初め、汝等に至るまで、爰に來る事、此度を初めとす、知らぬ野山をさまよひ…
- p006…んとは思ふぞと仰せらる、竹丸怒れる眼より、泪をはら〱と流して、悔しうも、殿の御供を承て、重恩の主の最期の供も仕らず、又敵の奴原、一人も手にかけ切て…
- p006…あらんとき、眞先かけて打死せば、今の身にては何の幸か是に過候べき、たゝし殿は道の程をこそ危く思召さるれ、日頃此ほとりの士は、竹丸が申次を承て候得ば…
- p006…織田殿父子の御事を告けられ、又打連れて、御下り有べしと仰遣されたりしに、德川殿を疑ひ參らせ、引別れて行くほどに、宇治田原の邊にて、野伏のために討れけり…
- p008…幾程なくて、秀吉信孝を失ひ奉り、又信雄をも亡さんとて、軍起る、德川殿北畠を助けて、尾張國の小牧山に出むかつて、御陳を召さる、天正十二年四月九…
- p008…さる、天正十二年四月九日午の刻ばかりに、犬山のあなた、長湫のほとりにて、德川殿に出あうて、味方まけ軍したりと、秀吉の陣に告ければ、秀吉大に怒て、やすか…
- p008…通り候はんといへば、秀吉かたく制して、龍泉寺に至る、打漏されたる味方に、家康は勝ち誇てや居らんずらんと問ふ、戰事終て家康の御旗は、小幡の方に向て入り…
- p008…に至る、打漏されたる味方に、家康は勝ち誇てや居らんずらんと問ふ、戰事終て家康の御旗は、小幡の方に向て入りぬと答ふ、秀吉力およばず、此所に陣を張る、忠…
- p008…て歸る、猶覺束なくや思ひけん、重ねて人を遣はすこと、都合六人に及ひて後、德川殿の御外叔父水野殿を惣兵衛忠重後に和泉守伴ひ、御前に參り、忠勝が手の…
- p008…べし、夜討の料に、ふるひものどもして、敵のやうをば、見おほせて候と申す、德川殿いみじうこそ謀りたれ、去ながら夜軍は、あやうきものぞかし、今日の戰ひ、御…
- p008…、武藏の岩槻の城に向ひ、大手の大將承て、眞先に攻やぶつて、敵を降す、秀吉德川殿に宣ひけるは、北條が國々、既に降りぬといへども、上總下總は大事の所なれば…
- p009…小田原の陣の時、初め忠勝濱手を守る、秀吉德川殿に宣ふ旨ありしかば、忠勝仰を蒙り、家臣都筑彌左衞門をして、玉繩の城に差遣…
- p009…衞門大夫を說き降さしめ、左衞門大夫、質を參らせ小田原に來り忠勝によりて、德川殿に見參し其後秀吉に見參す、かくて秀吉、淺野木村して關東の國々をめぐらしめ…
- p010…忠政、後に美濃守、今年十六歲に成けるが、父に向ひ、父御は、まさしく德川殿の侍大將にてこそ侍れ、義經の侍の冑、何條の事あらん、とく返させ玉ふべしと…
- p010…侍れ、義經の侍の冑、何條の事あらん、とく返させ玉ふべしとぞ怒りける、同年德川殿關東へ御移あり、井伊本多榊原大久保などは、よのつねの御家人に准ずべからず…
- p010…御陣をめさる、肥後國に凶徒起る、淺野左京大夫幸長、追討の御使を承る、殿下德川殿に仰せけるは、幸長年若く侍れば、忠勝をも向はせ玉ふべしとあり、既に打立ん…
- p010…此日忠勝が手に、首九十餘を得たりと云ふ軍終て後、福嶋左衞門大夫正則、德川殿の御陣へ參り、扨も今日忠勝が御方の多勢を下知して、戰うたる樣、左右の手を…
- p011…侍從兼美濃守藤原忠政は、忠勝が嫡男なり、天正十八年夏德川殿の御勢、秀吉の軍勢と打交り、岩槻の城を攻む、父忠勝、淺野彈正少弼長政等と…
- p011…居彥右衞門元忠、平岩主計頭親吉は搦手に向ひたり、敵の兵、城より打て出つ、德川殿の御勢、上方の人々と、互に先を爭て進む、敵さん〱に防き戰へば、御方忽ちに…
- p011…す、忠政岡崎三郞殿の御娘に添ひ參らせ、男子三人、女子二人まうけたり、是皆大御所の御外曾孫とぞ聞へし、嫡子中務少輔忠刻、初名は平八郞、大坂の軍に從…
- p014…十九歲にて、父と同じく關が原の合戰に、嶋津が陣に向ひ、自ら首二つを切る、德川殿の御感斜ならず、明れば慶長六年春、忠勝桑名の城を賜て、父が領せし大多喜を…
- p014…向ひし所、川前に流れて水深く、城をせむるに便り宜しからず、忠朝此由を申、大御所御氣色損して、汝が父の軍せし事、山をも川をも嫌はざりきと仰あり、忠朝口を…
- p014…遂くべけれと思ひ、かくは戰ひ死せしとなり、忠朝が郞等、主の死骸をかきて、大御所の御馬の前を過ぐるを御覽して、御淚をながさせ給ひしといふなり…
本多 第四上 · 15
- p001…野等の合戰に、常に軍の先をかけ、奉公の勞、戰鬪の功、年を積み、度を重ぬ、德川殿いまだ竹千代殿と申奉りて、幼なくましましゝを、織田信秀が爲に奪はれ、尾張…
- p001…、常に軍の先をかけ、奉公の勞、戰鬪の功、年を積み、度を重ぬ、德川殿いまだ竹千代殿と申奉りて、幼なくましましゝを、織田信秀が爲に奪はれ、尾張の國に止められ…
- p001…ゝより、贈大納言家も世を早うせさせ玉ひしに、今川義元朝臣、如何にもして、若君を取返し參らせんとて、天文十八年十一月、安祥の城を攻めらる、廣孝等、眞先…
- p001…に進み戰ひ、織田三郞五郞信廣を信秀の子信長の弟虜にす、上總介信長、竹千代丸殿を返し參らせて、信廣を迎へらる、かくて義元朝臣、若君を駿河の國府に止め置…
- p001…、上總介信長、竹千代丸殿を返し參らせて、信廣を迎へらる、かくて義元朝臣、若君を駿河の國府に止め置て、岡崎の城には、我兵をこめて守らせ、御領盡くに押取…
- p001…止め置て、岡崎の城には、我兵をこめて守らせ、御領盡くに押取て知行せらる、若君十三の御年、御元服有て、十五の御年、軍初め有べしとて、岡崎の城に入らせ玉…
- p001…人等と相議して、石川安藝守、天野甚右衞門と共に三人打連れて、義元に參り、若君すでに成人に及び玉ひぬ、今は本國に返し玉ふべきよし、頻りに訴へ申けれども…
- p001…ふべきよし、頻りに訴へ申けれども、義元終に許し玉はず、義元討れ玉ひし後、德川殿御年十九歲岡崎には歸らせ玉ひけり、…
- p002…廣孝等が、今川へ捧げし書の大畧は、元康既に成人に及ぶ、今は本國へ返し玉ふべし、家老の面々、彼身に代て、常に駿府…
- p002…國へ返し玉ふべし、家老の面々、彼身に代て、常に駿府に候すべし、これ一つ、元康の國に歸らんには、駿河の御勢、岡崎の城を守るに及ぶべからず、是二つ、元康…
- p002…元康の國に歸らんには、駿河の御勢、岡崎の城を守るに及ぶべからず、是二つ、元康が本領闕所の地においては返し給るべき所なり、是三つ、今川殿是を見玉ひて、…
- p002…三つ、今川殿是を見玉ひて、義元、尾張國打從ん事近きにあり、然からん後は、元康の祖父清康の領せられたらん程の地、盡くまゐらすべし、なんぞ岡崎の地のみ進…
- p003…永祿四年の夏、當國の吉良義昭德川殿に中違うて、東條の城に立こもる、廣孝仰を承て、小牧山に要害を構へ、酒井雅…
- p003…、廣孝叙爵して、右兵衞佐に任ず、廣孝叙爵して右兵衞佐になされしかど、德川殿の仰に依て、元の儘、豐後守と申し、其後越前守に成されしと云、長湫…
- p003…究竟の郞徒三十六人討死し、其身もまた七箇所迄ぞ手は負たる、かゝりし程に、德川殿御陣を寄せられて、森、池田、旣に打れ、敵盡く破れしかば、康重も希有の命を…
本多 第四上 · 40
- p001…の御家人なり、作左衞門重次生年七歲にて、贈大納言家に仕へまゐらせしより、德川殿の御時に至て、度々の高名數を知らず、永祿八年、三河國盡く御手に屬しければ…
- p002…直く、しかも民を使ふに慮ありて、訟を聞わかつ事、明らかなりしかば、人みな德川殿の御計ひを感しまゐらせしとなり…
- p003…べて敵一騎つき落し、首かき切、其馬取て打乘、濱松の城に馳せ歸りて見參す、德川殿敵進みて我城を攻めんに、御方多勢ならむには、兵糧また續ぐべからず、此事如…
- p003…同き十年の春、武田亡ひ、同き夏織田殿うたれ玉ひ、甲斐信濃再ひ亂れしかば、德川殿、彼の國に向ひ玉ふ、北條も同じく彼國々爭ひ玉ふと聞えしかば、其勢を引わけ…
- p003…子仙千代丸も、石川伯耆守數正が子と同く、附て參らす、抑此於義丸殿と申は、德川殿の御二男、故ありて、生れ落させ玉ひしより、重次とりて養ひ參らす、此年御と…
- p003…、秀吉も、うへには於義丸殿を養ひ參らするとは披露あれど、內々は人質とし、德川殿に親しくならん謀にてありければ、本多は殊に彼家譜代のおとななり其子を參ら…
- p003…も元服させ、秀康と名乘せ、從四位下左少將兼參河守に任し、信雄卿を媒とし、德川殿御上洛の事を勸め玉ふこと、度々に及べども、上り玉ふべしとも聞えず、依て三…
- p003…乞をも仕らせばやと、守殿へ申て、呼ひ迎へぬ、幾程なく、石川伯耆守數正は、德川殿に背きて、秀吉の御方に參る、扨こそ重次が二心なき所顯れて、誠に思慮深くは…
- p004…關白殿いかにもして、德川殿と親しうならんと、いろ〱に謀をめぐらし、頓てまた其妹君を、德川殿の北の方…
- p004…もして、德川殿と親しうならんと、いろ〱に謀をめぐらし、頓てまた其妹君を、德川殿の北の方に參らせられしかば、德川殿此上は見參なくては叶ふまじとて、御上洛…
- p004…ろ〱に謀をめぐらし、頓てまた其妹君を、德川殿の北の方に參らせられしかば、德川殿此上は見參なくては叶ふまじとて、御上洛あるべきに極る、御家人等が危く思は…
- p005…ば、いかなる事とも下郞は如何で知り申さじ、たゝし承る所は、關白殿の我國の殿を失ひ玉ふか、若くは留めまゐらせて返し玉はずば、今度都より御下り有て、是…
- p005…して、日々に山林より切て來り候が、この本多殿と申は、極て氣の短き人にて、殿の御歸り、おそし〱と侍かねて、けさ火を附う、晩に燒たてうとせられ候を、井…
- p005…な悲しや、その本多といふ男が、日々に參りて、おそろしげなる、こわねにて、家康より玆につけ參らせて候、御用の事あらば承りなんずといふを、今思ひ合すれば…
- p005…初て御參ありし時、仙千代丸といふ兒の御供したるを、殿下の御覽じて、あれは家康がうちにて、三奉行とか云ふうちの鬼作左衞門と云ものゝ子ぞと仰ありしかば、…
- p005…たりしに、其親の鬼ならば、さこそはあらめ、さればこそ、これへ參る度毎に、家康返り候はんとの事は、いまだ御沙汰も聞え候はぬやと、おとゝひも、いひしぞ、…
- p005…とゝひも、いひしぞ、けさも、きのふも、いひしぞ、待遠にや思ふらん、あはれ家康とくしてかへさせ玉へかしと、なきくどきて、此由を大廳へ申ければ、大に驚き…
- p005…きて、此由を大廳へ申ければ、大に驚き、なげき玉ひて、日々に御消息ありて、德川殿をとくかへさせ給へ、こなたのありさまの、いぶせき、いつの世にかは、忘るべ…
- p005…そいふたれ、とこそ計らうてさむらひつれ、今は朝日の姫君をまゐらせ玉へば、德川殿の御ためにも、大廳は御母上にて候を、如何に鬼なればとて、己が主の事しらぬ…
- p005…へば、德川殿の御ためにも、大廳は御母上にて候を、如何に鬼なればとて、己が主の事しらぬ事や候べき、それにかく辛き目を見せ參らせて侍れば、はや〱德川殿…
- p005…己が主の事しらぬ事や候べき、それにかく辛き目を見せ參らせて侍れば、はや〱德川殿に仰られて、如何かる罪にもあはせて、大廳の御恨みをも晴させ玉へと、とり〱…
- p005…、大廳の御恨みをも晴させ玉へと、とり〱に訴へければ、關白殿笑はせ玉ひて、家康はよき者共、あまた召し仕ひけり、秀吉もその如き家人をば、ほしき事に候ふぞ…
- p007…一說に同き廿日、關白殿駿河の國府の城に入りたまふ時、德川殿長久保の御陣より參り玉ひ、御對面の儀ありて、重次此所に參りて、關白殿御家…
- p007…、御對面の儀ありて、重次此所に參りて、關白殿御家人あまた居並たる所にて、德川殿の御後より參りて、立はたかり、大に聲をいからかして、やあ殿に殿、あつはれ…
- p007…借らんといはんには、一定、北の方をも借し玉はんずるよなど、罵り〱立歸る、德川殿人々に打向ひ玉ひ、今の老人が申たるやうを聞たまひてこそ候らめ、あの老人と…
- p007…申たるやうを聞たまひてこそ候らめ、あの老人と申は、本多作左衞門重次とて、家康が累代の家人、家康が幼なきより仕へぬ、年若きうちより、弓矢うち物取ては、…
- p007…ひてこそ候らめ、あの老人と申は、本多作左衞門重次とて、家康が累代の家人、家康が幼なきより仕へぬ、年若きうちより、弓矢うち物取ては、人にも知られて候ひ…
- p007…は、人にも知られて候ひしが、今は見たまひし樣に、年もいたう寄て候、されば家康も不便のものに存ずといへども、天性我儘なる根性にて、人をばはふ蟲ども思は…
- p007…、天性我儘なる根性にて、人をばはふ蟲ども思はず、人々の聞玉ふ所にてだに、家康をかく事がましう申す、まして只二人うち向うたる時の事、思ひやり給ふべし、…
- p008…程なく北條亡び、關東を以て、德川殿知行有べしと定められし時、關白殿むかし本多が秀吉をたぼかつて、れのが子を…
- p009…去し天正三年三月に、德川殿御脊中に、疔といふもの出來て、既に危く見えさせ給ひしかば、內外の醫、療術…
- p009…るし得し良醫の候、彼を召して見せ試み玉ふべしと申す、諸醫既に手をつかね、家康また死を决す、この上醫療其詮なし、且つは命をしむに似たりとて、用ゐ玉はず…
- p009…跡にさがつての御供、かなふべからず、さらば御先へ參らんとて、御前を罷立、德川殿大に驚かせたまひ、あれ止めよと仰ければ、近く侍らふ人々走り出、引とゝめ仰…
- p009…おとなしくも候はぬ本多殿と、云はれて、げには、さも候とて、御前にまゐる、德川殿、汝は物に狂ひて、かくは云ふか、家康、いまだ死しはてぬに、たとひ家康が、…
- p009…げには、さも候とて、御前にまゐる、德川殿、汝は物に狂ひて、かくは云ふか、家康、いまだ死しはてぬに、たとひ家康が、命終るとも、汝が世にあらんを賴みにこ…
- p009…、德川殿、汝は物に狂ひて、かくは云ふか、家康、いまだ死しはてぬに、たとひ家康が、命終るとも、汝が世にあらんを賴みにこそ死すべけれ、又汝等も如何にもし…
- p009…々を取らんとし玉はんに、わかき人々が、行すゑ久しう仕へんと、賴みきつたる主に、忽ちに別れて、氣おくれし、はか〱しき矢の一筋をも射出す事かなふべから…
- p009…、また踵をめぐらずべからず、重次夫迄ながらへて、あの年寄たるかたは者は、德川殿の譜代にて、何がしといはれし家人なるが、いかに惜しき命なれば、かく世には…
- p009…ことわり至極せり、さらば醫療の事は、汝が心にまかすべし、天命既に至りて、家康空しくならんとも、汝もまた家康が心に任せ、いかなる耻を見つべしとも、一日…
- p009…事は、汝が心にまかすべし、天命既に至りて、家康空しくならんとも、汝もまた家康が心に任せ、いかなる耻を見つべしとも、一日も生殘て、後の事よきに計らふべ…
本多 第四上 · 13
- p002…寺に、自讃し玉ひし御畫像に、立葵の紋を畫がゝれき、今にありと申なり、また德川殿の御時高力攝津守忠房が母に、伊奈の本多の事、尋仰られしに、三河國の本多は…
- p002…大輔義元、尾張國に向はれし時、忠俊が嫡子修理亮光忠、父が手の者、引具し、德川殿に隨ひまゐらせて大高の城にあり、義元既に討れ玉ひ、今川の家人等、おの〱守…
- p002…れ玉ひ、今川の家人等、おの〱守る所の城々を捨て、本國に引かへす、かくて、德川殿大高の城を御出あるべきに及びて、敵の軍勢、旣に近付て、本國に歸り入らせ給…
- p002…織田殿の御方として、三河國を併せんとす、國人等相戰ふ事やまず、忠俊父子、德川殿に組みし參らせて、常に軍のさきをかく、…
- p004…ふ、其後光忠所勞によりて、舍弟彥八郞忠次、父が跡をつぐ、光忠光典兄弟、德川殿の御爲に、吉田の城攻取るべき事を議り、忠次に隨ひ、岡崎に參りて、斯と申す…
- p004…御爲に、吉田の城攻取るべき事を議り、忠次に隨ひ、岡崎に參りて、斯と申す、德川殿大に悅はせ玉ひ、さらば光忠二連木に行向ひ、戶田主殿助と相議るべしと仰られ…
- p004…殿助と申せしなり、廿二歲の時、豐臣關白、相摸の北條を討たるべきにて、德川殿の人質を望み申されしかば、康俊を遣はさる、此年德川殿關東に移らせ玉ひしか…
- p004…條を討たるべきにて、德川殿の人質を望み申されしかば、康俊を遣はさる、此年德川殿關東に移らせ玉ひしかば、康俊下總國小篠の地を給はる、五千石慶長元年…
- p004…移らせ玉ひしかば、康俊下總國小篠の地を給はる、五千石慶長元年五月、德川殿、任大臣の御時、康俊叙爵して、縫殿助に任ぜらる、同五年奧の上杉を御征伐の…
- p004…給ふ度々、康俊が城を假の御所となされ、物賜ふ事、其家臣等に及べり、同八年將軍拜賀の時、康俊從四位下に上られ、御沓の役に候す、大坂の兵起りし時に、康俊…將軍拜賀(慶長8)
- p004…康俊嫡子下總守俊次と同しく、仰を承りて、馳上り、近江國膳所崎の城を守り、大御所既に御上洛ありしに及て、二條の御陣を守護し、また仰をうけて、河內國に向て…
- p004…光忠か子半兵衞某、首二つ切り、嫡子伊織某も生年十五にて、首二つを切り、大御所の御前へ召されて、御感の仰ありといふ同三年所領の地加賜て、膳所崎…
- p004…り先寛永五年高力攝津守忠房が母、望請て、兄にて候本多修理亮光忠、初め東照宮より所領の地を下しおかれ、其子半兵衞某、父が領を受つぎ候へど、當時は下…
井伊 第四上 · 34
- p002…親が子兵部少輔、幼なくして、父に後れ、いまだ童にて萬千代丸と申しゝより、德川殿に仕へ參らせ、此稚き者、尋常の人にあらず、又累代の家絕えぬる事を哀れませ…
- p003…妻に從つて、松下が家に、ひとゝなる、十五歲と申しゝ、天正三年二月十五日、德川殿御鷹狩のため、濱松の城をいで玉ひ、道のほとりにて、これを御覽じけるに、つ…
- p004…事の樣にしるしけるにや、天正十年の春、武田四郞亡ひし後、彼の家子郞等悉く德川殿に從ひ奉る、此年冬十一月万千代丸、元服して、兵部直政をめさる、十二月武田…
- p004…、主の北畠殿と、不快の事出來て、軍起る、信雄中將、賴み參らせ給ひしかば、德川殿、尾張國に向ひ玉ひ、小牧に御陣をめされけり、御方の御勢、わづか一萬五千に…
- p004…十五萬騎、こなたに向て陣を取り、二萬餘騎を引分けて、三河國を襲はんとす、德川殿此由を聞召し、さらば此方も出向て戰ふべしとて、密に御勢を引分けて、差向け…
- p004…物も取あへず、散〱に成て引返す、かくて所々の戰ひ、秀吉の軍盡く利を失ひ、德川殿助け給はん程は、信雄傾けん事叶ふべからずとて、北畠殿と中直りし、頓て此人…
- p004…ん程は、信雄傾けん事叶ふべからずとて、北畠殿と中直りし、頓て此人に附て、德川の御子於義丸、乞受けて、養君となさる、是は秀吉いかにもして、德川殿に親し…
- p004…に附て、德川の御子於義丸、乞受けて、養君となさる、是は秀吉いかにもして、德川殿に親しうならんとはかり玉ひし故とぞ聞えける、事は三河守殿御傳に詳なり…
- p004…臣になり、七月關白に任ず、八月信濃國眞田安房守昌幸が關白に組みし參らせ、德川殿に背きしかば、御勢を差向けらる、御方利なかりしと聞て、直政等彼國に向ひ、…
- p004…る、御方利なかりしと聞て、直政等彼國に向ひ、御勢を迎へ歸る、去程に關白、德川殿に對面の事を望給ひしかど、見參の事は叶ふべからずと聞ゆとて、案じ煩ひ給ひ…
- p004…妹君を濱松の城に參らせられ、北の方となし給ひ、より〱に見參の事を催さる、德川殿既に、かく結すぽうれたる中と、ならんからは、尊者に向ひて、如何で無禮にや…
- p004…んがため、御上洛の程は、そこに留めまゐらせ給ふべしとて、大廳を下し給ふ、德川殿夫までにも及びさむらはじ者をと仰せられしかど、大廳既に御首途ありと聞えし…
- p004…前に在りあふ人々、皆舌をぞふるひける、十六年四月主上、關白家へ行幸あり、德川殿も參らせ玉ひ、御家人等任官の事あり、直政殊に侍從從五位下になされ、兵部少…
- p004…政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討たれしに、直政、德川殿の先陣うつて、小田原の城に向ひ、蓮池より押寄て、陣を取る、六月廿二日の夜…
- p005…または、すて曲輪とも申す、城中より橋一筋を渡して、晝は兵を出して守らす、德川殿初め直政をめして、橋か〱とばかり問はせ玉ひて、又仰らるゝ色もなし、直政い…
- p005…みて見るに、ゆき桁よわくして渡るに危し、急き參て此よし又かくと申す、其時德川殿、其事にてこそあれ、个程の事、など心付なからんと思ひしかば、其事とは云は…
- p005…心付なからんと思ひしかば、其事とは云はざりき、かばかりのこと下知せんは、家康が身に取ては、似あはぬものをと宣ふ、直政心に思ひしは、扨は此所、直政が勢…
- p006…舊き人此事を語りて云ひしは、德川殿の直政めして、一つの橋を擧け玉ひ、四十八日を經るまで、其心を仰せられざり…
- p006…は、機にのぞみて、變に應すべきものなれば、人の敎へを賴むべからず、直政が德川殿の仰を承て、四十八日が程、心に絕えず思ひはかりしも、尋常ならず、此心を以…
- p006…此心なからんには、などか善かるべきと申はべりき北條亡びて、彼領せし國々、德川殿へ參らせる、關白殿の仰にて、直政上野國箕輪といふ所を賜り、十二万石…
- p006…七月、奧の九戶が修理亮主政實の南部に大膳大夫信直背きしかば、德川殿、三好中納言秀次卿と共に向ひ玉ふ、直政先陣を承り、蒲生飛驒守氏鄕に會津…
- p006…して、九戶の城を攻めおとす、慶長三年八月、太閤薨し給ひし後、彼家の奉行、德川殿うしなひ參らせんとする事、度々に及ぶ、直政等が嚴しく守護し奉りしに依て、…
- p006…勝が、陸奧會津に引こもりて、召せども終に參らず、さらば追討あるべしとて、德川殿御下向あり、大坂の奉行等、其隙を窺ひて、天下の軍勢を催し、關東に攻下り、…
- p006…の奉行等、其隙を窺ひて、天下の軍勢を催し、關東に攻下り、上杉と牒じ合て、德川殿を討んとす、其事下野の國小山の御陣に聞ゆ、御供にさふらふ諸大名、まづ引返…
- p006…直政本多中務少輔忠勝と、私に相謀て、諸大名と共に馳向ひ、軍仕らんと申す、德川殿上方のありさまも、いぶかし、また此人々のありさまも、內心はかり難し、汝等…
- p006…ければ、此人々ばかり向ひて、勝軍したらんには、天下をば我等が取りてこそ、內府へは、まゐらせたれと、云はん事の、口惜しう候へば、ひらに御許しあれと、望…
- p006…、扨こそ九月十五日の軍をも、直政が手より始けれ、斯て御方手合せに勝軍し、德川殿頓て上らせ玉ひ、東西の軍、美濃國關が原にして勝負を决す、直政手の者共に下…
- p006…、嶋津も終に逃れてけり、守殿も直政も、手深からねば、御供して御陣に參る、德川殿は、直政が守殿具し參らせ軍せし事ども、深く悅ばせ給ひけり、…
- p009…の煩ひ多くして、常に籠居けり、此人父にも弟にも生れおとりしかば、大御所の仰にて、病多しとて籠り居らしめしとも云、…
- p010…創業記に直勝家を繼で後、彼家人等相論の事たえず、應長十年大御所伏見より關東に下らせ玉ふ時此由を聞召し、鈴木石見を淸洲の城に召し預けらる…
- p013…、其父をば印具德右衞門某といひて、康親が家の侍なり、此年天正十八年の秋、德川殿關東に移らせ玉ひ、直政上野國箕輪の城を給ひ、康親の子康重武藏國私市の地を…
- p014…、同き十八年伏見の城を守る、十九年冬大坂の兵起りしに、兄の直勝病に臥す、大御所の仰を受け給り、直孝兄の代官として、軍勢を率して城をせむ、此とし東西和睦…
- p015…、兄にて候ふ直勝、年頃病ひに犯され、軍國の務にたえず、然りとは申せども、大御所むかし父にて候侍從直政に附けさせ玉ひし、ふるき者共、猶多く候へば、家の事…
- p016…四日、將軍家、直孝に佐和山の城を賜ふとあり、家忠日記追加に、元和元年二月大御所直孝を駿府にめして、此仰ありといふ、想ふに政事錄のしるす所誤るべからず、…
榊原 第四上 · 33
- p001…政生年十六歲、上野の城の戰に高名をあらはす、永祿六年の事あり、其後德川殿の御身近く仕へまゐらせ、成人の後、御諱字給て、康政とめされ、一方の大將を…
- p002…上杉謙信が康政に贈られし書、德川殿と同しく兵を擧て、信濃甲斐の國に入て、武田四郞を討つべき由を載せ、正月九…
- p003…同き十年武田亡び、織田殿うせ玉ひ、德川殿甲斐國に入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄…
- p003…入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧に御陣をすゑられしは、康政が勸め參らせし所なり、長湫の戰に先陣し、上…
- p003…、長湫の戰に先陣し、上方の多勢を打散らし、蟹江の城を攻め破りき今年十月、德川殿の御軍班されしに、小牧の御陣に留て守る、かくて秀吉所々の軍に負け、信雄卿…
- p003…れしに、小牧の御陣に留て守る、かくて秀吉所々の軍に負け、信雄卿に中直り、德川殿に好みを結び、終に御妹を濱松へまゐらせらるべき事定り、康政都へ參るべしと…
- p003…生ながら參らせたらんものには、勳賞は乞ふによるべしと、天下にふる、今かく德川殿と親しくなつたれば、康政等が如き家人、數多さふらふ事、秀吉が悅びとは成た…
- p003…しに、まづ康政が家へ御輿を寄せられ、引つくろはせ給ひて參り給ふ、今年十月德川殿の供奉して上洛す、從五位下に叙し、式部少輔に任す、關白殿執し申されし故な…
- p003…奉して上洛す、從五位下に叙し、式部少輔に任す、關白殿執し申されし故なり、德川殿の御家人任官の始とぞ聞えける、同き十六年、殿下北條の上洛を催さる、氏政氏…
- p003…を催さる、氏政氏直のたもふ旨あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせられしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて…
- p003…參りしかど、氏政は自害させ、氏直をば助けらる、此御使にも副られたり、此年德川殿東國へ移り玉ひしとき、康政に上野國舘林の城を賜、十万石、關白殿仰ら…
- p003…石、關白殿仰らるゝ旨ありしゆゑとぞ聞えし、同き年十月陸奧に逆徒起り、德川殿御退治あるべきにて、康政先陣承り、既に打立せ玉ふに、事平ぎぬと告け申候へ…
- p003…しを仰下さる、慶長三年の秋太閤薨し給ひ、明れば四年の正月大坂の奉行人等、德川殿を失ひ參らせんと謀り、窃かに軍兵を催し、伏見の御舘を襲はんとす、此由既に…
- p003…せんと謀り、窃かに軍兵を催し、伏見の御舘を襲はんとす、此由既に披露して、德川殿に馳せ參て、御舘を守護せし大名も少からず、康政このほど東國より登るとて、…
- p003…るとて、道にてかくと聞き、夜を日に繼きて馳する程に、近江の國勢多に至り、德川殿御恙なしと聞て、此所に新關を建てゝ、往來の旅人を止む、德川殿の軍勢既に勢…
- p003…勢多に至り、德川殿御恙なしと聞て、此所に新關を建てゝ、往來の旅人を止む、德川殿の軍勢既に勢多まで馳せ上りて、雲霞の如く陣を取ると、大坂に聞えしかば、た…
- p003…いよ〱心おくれして終に和ぎけり、此夕康政大童なるはゝにて馳せ參りしかば、德川殿大に悅ばせ玉ひ、みづから打蚫とつて給ひけり、同き五年の秋、奧の景勝御追討…
- p003…中納言殿殊の外、憤らせ玉ひて、御馬を早められし程に、近江國草津の宿にて、德川殿に參りあひ玉ふ、されども大御所内々御氣色宜しからざる事あつて、三日を過る…
- p003…御馬を早められし程に、近江國草津の宿にて、德川殿に參りあひ玉ふ、されども大御所内々御氣色宜しからざる事あつて、三日を過るまで、御對面ましまさず、こは如…
- p003…あへり、まして山道の御供にさふらひし輩、大に恐れをのゝく、康政夜に入て、德川殿の御前に參り申すやう、こたび中納言殿、御不審蒙らせ給ふ事、康政等が罪科、…
- p003…、御不審ありと承り候ひぬ、若し此條に候はんには、恐れある申事に候へども、殿の御誤りなきにしもあらず、抑、殿は今月九月なり朔日に、江戶を御首途…
- p003…條に候はんには、恐れある申事に候へども、殿の御誤りなきにしもあらず、抑、殿は今月九月なり朔日に、江戶を御首途あつて、同十一日尾張國淸洲の城に…
- p003…に二日を過て、美濃國へ御陣を進められ、十五日に至て、御合戰事畢て候、誠に御父子一所に三成等を御誅伐あらんと思しめされなば、かねて軍の御首途あらん期をも…
- p003…十五六里が程を、御馬を進められしかば、馬も人も皆疲れはてゝ候ひきと申す、德川殿、やあ、其使は如何に、かくは遲く參りけるぞと、御使を召して、御糺問ありし…
- p003…御事に候、たとへ御心に叶はせ玉はぬ事なりとも、我等が諫に從はせ給はんが、大殿の御心に任せらるゝにあらずやと申ける上は、御心にも任せ玉はず、されば、彼…
- p003…玉ふべき、これ程の御遠慮ましまさぬこそうたてけれと、淚を流し諫め奉れば、德川殿御心とけて、明れば九月廿五日、伏見の御城にて御對面在て、海道の軍のやうを…
- p003…しに、直政康政に向うて、さても此度わどのが身を忘れて、諫め爭ひしに因て、御父子の御中、平らかにわたらせ玉ふ事、家と國との御爲のみにあらず凡世のため天下…
- p003…ひ開き玉ひなんやといふ、康政笑て、何事にもあれ承らんといふ、忠勝わどのが大殿をだに、个程に諫め申しゝ身の、佐渡守正信の後にのみ從ひしこそ心得ね、我等…
- p003…に諫め申しゝ身の、佐渡守正信の後にのみ從ひしこそ心得ね、我等三人が事は、德川殿にさる者ありと、天下の人にも許されぬ、弓矢とつての道には、康政の謀り申さ…
- p003…く御供しては上らぬぞ、若しさもあらんには、たとへ海道の合戰にあはずとも、大殿の御氣色、个程までにはあらじ、さらば又わどのが身を捨て諫め爭ふにも及ふま…
- p004…十八獻る、能登守信吉も、みづから手二か所まで負て、手の者に首きらせたり、兩御所康勝信吉めして、御感の仰かうむる、かゝる所に同廿七日康勝風毒腫わづらひ出…
- p004…る、かゝる所に同廿七日康勝風毒腫わづらひ出し、年三十六歲にて、俄に卒す、兩御所大に驚かせ玉ひ、郞從等召して、康勝が子や無かりしと尋ねられき、そのついで…
- p004…めなりき、かゝる煩ひある身なればにや、家繼がすべき子とても侍らずと申す、大御所此由を聞召、頓て信吉めして御糺問あり、終に康勝が郞從等と訟へ起りて、自ら…
大久保 第四中 · 53
- p003…案内させ、三河國に向て、爰かしこに攻入、岡崎殿今川の加勢乞て戰はんとて、德川殿僅か六歲に成り玉ふを、駿河國に參らせらる、然る所に、田原の戶田心變りして…
- p003…か六歲に成り玉ふを、駿河國に參らせらる、然る所に、田原の戶田心變りして、若君信秀が爲に奪れ玉ひ、幾程なくて、岡崎殿かくれさせ玉ひ、備後守信秀も失せ、…
- p003…守信秀も失せ、是より先、藏人信孝も打れしなり、今川殿如何にもして、若君を迎へんとて、今年天文十八年十一月安祥の城を攻破り、信長の舍弟三郞五郞信…
- p003…、今年天文十八年十一月安祥の城を攻破り、信長の舍弟三郞五郞信廣を虜にし、德川殿に替らる、大久保が一族、信廣を送て、若君を迎取參らす、此事の始終、伊東…
- p003…長の舍弟三郞五郞信廣を虜にし、德川殿に替らる、大久保が一族、信廣を送て、若君を迎取參らす、此事の始終、伊東法師か記に詳なり、世に傳ふる諸記には、…
- p003…る諸記には、此事岡崎殿御在世の中の事と記す、誤れるに似たり弘治元年、德川殿の御家人、今川の催促に隨ひ、此時德川殿御幼稚にて、駿河にわたらせ玉ひ…
- p003…記す、誤れるに似たり弘治元年、德川殿の御家人、今川の催促に隨ひ、此時德川殿御幼稚にて、駿河にわたらせ玉ひしなり、尾張國蟹江の城をせむ、新八郞忠…
- p003…れしなり、○按するに阿部四郞五郞といふは、忠次が子なり、同き二年の春、德川殿御軍始のため、御歲十五歲なり、三河國梅が坪の城を出て、廣瀨の城に向…
- p003…忠世、織田殿の家子津田兵庫介を討取る、是よりこのかた、大久保が一族、常に德川殿に隨て、軍の先を懸けずといふ事なし、三河國大略從ひ參らせしに、永祿六年の…
- p003…外に騷動す、縱令ば、當國佐崎といふ所に、上宮寺といふ寺あり、彼寺の僧侶、德川殿に叛き參らせ、野寺針崎の寺々に牒し合せ、門徒の鄕人等駈催し、吉良義昭を大…
- p003…吉良義昭を大將におし立て、東條の城に移し入て、國中の一揆等所々に蜂起す、德川殿宗徒の人々を召て、一向專修の敎法、此國に行ばるゝ事年久し、譜代の家人等、…
- p003…んと存ず、人々の手に候ふ足輕の鐵炮に馴たるを集て、給るべうもや候と申す、德川殿御感斜ならず、人々に仰せて足輕の兵を召けるに、或は打れ又は落失て、殘る所…
- p003…大に驚き、今日の合戰に、宗徒の兵多く討せ、今夜の夜討如何にも叶べからず、家康が軍のやう、あなどりにくしとて、明れば井谷に引入る、今夕武田が兵、犀が…
- p003…三年四月武田四郞勝賴、甲斐國を立て遠江國を經て、參河國長篠の城に押寄す、德川殿御父子後卷せんとて打立、織田殿に加勢を乞はる、御使度々に及びて後、信長父子、數…
- p003…次第成べし、我等まづ魁けて戰はゞやといふ、忠世いしくも申たる者がなとて、德川殿に參て斯と申、足輕の弓鐵砲の達者、引すぐつて、兄弟に附けられたり、馬に乘…
- p003…一面に立並へてぞ放したる、織田殿遙に大久保兄弟が、軍するやうを御覧して、家康の手の戰、敵味方いつれ隙ありとも見えず、其中に、金の蝶の羽、腰にさしたる…
- p003…と見れば敵になり、敵味方のさかひ、定かならず、誰かある見て參れと宣へば、德川殿の御陣に馳來て、斯と申、德川殿聞召て、あれは家康が侍大將、兄弟にて、蝶羽…
- p003…ひ、定かならず、誰かある見て參れと宣へば、德川殿の御陣に馳來て、斯と申、德川殿聞召て、あれは家康が侍大將、兄弟にて、蝶羽は黑餅が兄大久保七郞右衞門忠世…
- p003…ある見て參れと宣へば、德川殿の御陣に馳來て、斯と申、德川殿聞召て、あれは家康が侍大將、兄弟にて、蝶羽は黑餅が兄大久保七郞右衞門忠世、黑餅こそ同治右衞…
- p003…助信豐を先として、甘利、原、跡部、小幡、望月、安中の者共、一勢〱入替〱、德川殿と戰て、討たるゝもの、數を盡し、助かるもの多からず、南北の敵、散々になつ…
- p003…京太夫氏直、上野國をしたかへ、碓氷峠を打越え信濃の國より甲斐の國に入て、德川殿と戰ふ、忠世又計らうて、眞田安房守昌幸、御方に參る、斯て諸方の戰ひ、氏直…
- p003…うて、眞田安房守昌幸、御方に參る、斯て諸方の戰ひ、氏直の軍盡く利を失ひ、德川殿に中直りし、信濃上野を經て、相摸國にぞ歸られける、かゝりし程に、德川殿古…
- p003…、德川殿に中直りし、信濃上野を經て、相摸國にぞ歸られける、かゝりし程に、德川殿古國府に御陣を居立られて、山林に伏し隱れし武田が家の士をも、皆御家人にめ…
- p003…に謀を合す、汝此所を留て守るべしと仰下されけり、初め信濃に向ひし時、忠世德川殿に申けるは、彼國の住人依田右衛門尉信蕃、去し頃駿河國を去りし時、御使を賜…
- p003…月に、諏訪父子また御方に參る、又上田の城をも取て、眞田に與へけり、十二年德川殿、北畠殿を助けて、尾張國に向ひ給ひしかば、忠世御後に留て、濱松の城を守る…
- p004…德川殿、依田兄弟が討死せしを、大に感じ玉ひ、信蕃が嫡子竹福丸に、父が領十萬石を…
- p005…こそ參りけれ、忠敎爰に在る事來年正月に至る、此後東西御和睦あつて、德川殿關白秀吉に御對面のために、都に登り玉ひ、大廳岡崎に下り給ふに、忠世、井伊…
- p005…重次なりと共に、御後に留る、小田原を攻められしに、忠世先陣を奉り、今年德川殿關東に移らせ給ひしかば、忠世に小田原の城を賜ひけり、四萬石を領す、後に…
- p006…、關白殿より賜ひしといふ事を嫌ひて、秀吉の御內意とは云ひしなるへし、若し德川殿の御心にて、此人々に大祿を賜ふ程ならば、酒井左衞門尉が家、僅に三万石を賜…
- p007…子相摸守忠隣父に繼く、忠隣初名忠泰新十郞と申生年十一歲より、德川殿に近く仕へ、生年十六、堀川の戰に初て敵を打、十七歲の時、天王山の戰に、敵…
- p007…十八歲の時、姉川の合戰に、先懸し、三方が原の合戰に、御方散々に戰なつて、德川殿に隨ひ奉る人多からず、忠隣馬射られ、步行立になつて、少しも後れ參らせず、…
- p007…に隨ひ奉る人多からず、忠隣馬射られ、步行立になつて、少しも後れ參らせず、德川殿、御馬を引返し、落來る御方を待ち玉ふに、此所彼所より馳參て、兵少々出來た…
- p007…し輩は、菅沼藤藏後に土岐山城守三宅彌次兵衞、これら二騎には過ぎず、德川殿小栗忠藏を召して、汝如何にもして馬とつて來れと宣ひしに、小栗取て返し、能…
- p008…中三月九日と記せし書に、去月は其國に罷越、輝虎の見參に入し由を載たり、又德川殿より國淸に給りし御書に、此度大久保を差出さるゝの由にて、二月廿日と記さる…
- p009…長久手の戰に德川殿と馬を並べ、御手の兵を下知して軍させ、森武藏守長一、黑母衣一揆、馬の鼻を…
- p009…事にてはあり、年も暮れんとす、家移す御家人一人もなし、忠隣ばかりぞ移る、德川殿も悅ばせ玉ひ、人々も皆感じあへり、創業記には、駿府へ移らせ玉ふべきよし…
- p009…殿との御和睦なると載せらる、されども諸記みな創業記に同し、十六年四月德川殿の御供して、上洛し、叙爵して、治部大輔になり、其後に相摸守十八年關…
- p009…一定失はれぬと思召し、當時中納言殿の都にましますを、たばかつて取參らせ、德川殿を賴みて、讒言を申し披かんと、四月三日の曉、中納言殿に御使あつて、今朝の…
- p009…等、佐渡守を恨み、また大久保本多が不快、此時に始りしなどゝも申なり、大御所杉浦が忠死を感し玉ひ、其子二人御家人に召仕る、今の杉浦、彼等二人が後と…
- p009…石、忠常文祿三年元服して、御諱字賜はれり、奧平美作守信昌の娘に添ひ、大御所の御孫聟にて、殊に時の賢人と聞えしかば、將軍家の御覺も並ぶ人なし、慶長十…
- p009…知らず、たとへば慶長十九年正月五日、忠隣小田原の城を立て、都に上る、是れ大御所の仰を蒙て、西洋耶蘇の法、禁ぜんが爲とぞ申ける、同き十七日都に入て、藤堂…
- p009…守正信、仰を傳ふ、抑去年忠隣が養女を以て、山口伊豆守重信が妻とす、かねて兩御所の御聽にも達せず、執事の身として、始に憲法を犯す、其罪殊に輕からず、先づ…
- p009…河內守、大久保與一郞、同半助等、御勘氣を蒙る、これは去し十六年三月十七日大御所、關東へ下らせ玉ふとて、相摸國中原の御旅舘にわたらせ玉ふ時、加賀守忠常が…
- p009…、扨も忠隣は二月二日近江國に趣き、南光坊の僧正に就て、一紙の告文を捧く、大御所くり返し〱御覽して、兎角の仰出さるゝ旨もなければ、忠隣重て又訴ふる事もな…
- p009…罪なからんには、如何でかゝる身とは成るべき、たとへ申披くべき旨ありとも、大御所既にかくれさせ給ひ、今に至て、御免し蒙りなば、大御所聞召し誤らせ玉へばこ…
- p009…披くべき旨ありとも、大御所既にかくれさせ給ひ、今に至て、御免し蒙りなば、大御所聞召し誤らせ玉へばこそ、當代には御免しあれと、世の人申候ひなん、さあらん…
- p009…ばこそ、當代には御免しあれと、世の人申候ひなん、さあらんに於ては、將軍家御父の過ち、あらはさせ給ふにこそ候へ、たとへ下を憐み玉ふ、御惠こう深からめ、…
- p009…う深からめ、何ぞ御孝行とは申べき、忠隣またおのが罪まぬかれんとて、さしも當代の太祖にて、終に御過ち無かりし御事を、世の人に疑はしめ、將軍家の御不孝を勸めま…
- p010…對して怒りしやうに見ゆ、上に向ひ參らせし事とは見えず、扨其後ことしの冬、大御所駿河より江戶へならせ玉ひ、程なく江戶をたゝせ玉ひて、相摸國中原の御旅館に…
- p010…れ、都に上りし跡へ、御使ありて、郞徒等を追ひ出され、城をも毀たれ、やがて大御所江戶を御立あつて、小田原に至らせ玉へば、將軍家も同じく彼城に來らせ給ひ、…
- p010…つて、小田原に至らせ玉へば、將軍家も同じく彼城に來らせ給ひ、御對面の後、大御所駿河へ趣せ玉ひしに、前の日より、往來の旅人を止むる事、西は三島より、東は…
- p012…畠殿と中直りし、又みづから四万五千の軍勢を引率して、樂田の邊に發向あり、德川殿淸洲の城にて、此よしを聞召し、鞭鐙を合せて駈向ひ玉ひ、先づ忠佐して敵のや…
- p012…足輕の兵共、馬にて懸倒し〱、下部等に首拾はするを見て、敵大きに亂れ立つ、德川殿の御幟金扇既に間近く見え來れば、一支へもさゝへず、散々に成て逃げ奔…
石川 第四中 · 8
- p002…近大夫忠輔、岩津殿より此かた、三代の君に仕ふ、其子安藝守淸兼、安祥殿より德川殿まで、三代に仕へし宿老にて、酒井雅樂助政親と共に、家の事を司とる、安祥殿…
- p002…安部等謀て、終に迎入奉り、水野殿の御娘迎て、北の方と、かしづき參らせて、德川殿御誕生有し時、雅樂助政親御竹刀を獻れば、淸兼御墓目の役に候す、岡崎殿今川…
- p002…輔殿と御好みを結ばれしも、淸兼を御使には差されしなり、安祥の城せめ破て、德川殿を迎へし時も、淸兼を大將にて、三河の人々向ひしなり、駿河の國府に入らせ給…
- p002…駿河の國府に入らせ給ひしにも、嫡孫內記御供に奉る、伯耆守數正なり、德川殿御軍始あるべしとて、參河國梅が坪廣瀨等の城を攻めらる、淸兼諫め參らせて、…
- p002…豊後守廣孝天野甚右衞門尉三人打連て、駿河の國府に行向ひ、今川殿に訴へて、德川殿を迎へしかど、義元ゆるし給はねば、力及ばで歸りしが、程なく義元討れ玉ひ、…
- p002…、此事本多豐後守が傳と合せ見るへし、淸兼男子二人あり、嫡子右近、德川殿駿河にわたらせ玉ひしうち、安部大藏と共に岡崎の留守たり、是義元朝臣…
- p002…長門守康通が父なり、石川は代々、皆御諱字を賜ふ、家成若かりしより、德川殿に仕へ、御軍始の日より大高鷲津丸根等の戰を初として、爰かしこの軍に隨ひ參…
- p002…外舅の武田に、信玄駿河の國府を落されて、遠江國掛川の城に立こもり、德川殿と戰ひ、又此城にも、こらへずして、家成並に酒井雅樂助政親に附て、降を乞ひ…
鳥居 第四中 · 10
- p001…法眼が後胤、重氏が男忠氏、父子聊不快の事有て、三河國に下り住む、子孫終に德川殿累代譜代の御家人とは成たるなり、忠氏が十六代の孫伊賀守忠吉、安祥殿に仕へ…
- p001…はち渡理の地東條の城降りし時、彼城を守らせらる、斯て岡崎殿失せ玉ひ、德川殿、駿河の國府に渡り玉ひし程、今川義元の下知に依て、岡崎の城には、安部大藏…
- p001…して、御領の事を奉行させ、其年貢租稅悉くに押領せらる、弘治二年正月十五日德川殿御年十五にして、岡崎城に入らせ玉ひ、暫く御滯留の事ありし時、忠吉密かに連…
- p001…崎の城に歸らせ玉ひしに、軍糧資用、事足らせ玉ひしは、忠吉が功これ多し、又德川殿最初御官途の事を以て、公家に申させ給ひし時、如何にも叶ふまじきよし聞えし…
- p001…吉當家の任例によりて、近衞殿下に申旨ありしにぞ、頓て宣下はなされける、德川殿御官途の事、忠吉がはからひし事は、その時の關白前久公の御書の中に…
- p001…關白前久公の御書の中に見えたり、彥右衞門元忠は、忠吉が二男なり、德川殿十歲の御時、元忠が十三の年より、駿河國に參らせて、御側に侍らはしむ、御軍…
- p001…所、其謂ありとて、雄利が女を以て、新太郞が妻と成さる、初め元忠が若き時、德川殿御筆を染られて、其戰功を賞せらるべき由を仰られしに、君既に某が勞を知り給…
- p001…感狀を證として、其功に誇り候べきと申て辭し申しけり、慶長五年六月十七日、德川殿上杉中納言を御退治あるべきにて、奧に向はせ玉ふ時、元忠を始めて、宗徒の御…
- p001…の御使、伏見の城に來り、其城速に開き渡すべき由を下知す、元忠其由を聞て、德川殿の御家人等、此城に殘り留りし事、かゝらん時の料に侍る、參らする事叶ふべか…
- p001…を新恩の地に建立して、長源寺と號す、是は元忠が法名に取れりといふ、德川殿、元忠が事忘るべからずと宣ひて、香花の地を寄附せらる、御朱印をなされて…
內藤 第四中 · 2
內藤 第四中 · 8
- p002…崎殿の御子と知てければ、むつきの內より取て養ひ、弘治三年信成十三才の時、德川殿に見參させければ、御身近く召仕れ、三左衞門信成と召されき、正しく德川殿同…
- p002…、德川殿に見參させければ、御身近く召仕れ、三左衞門信成と召されき、正しく德川殿同父異母の御弟なりと云ふ、一說に、三河國矢作の住人嶋田平藏、德川殿と戰て…
- p002…正しく德川殿同父異母の御弟なりと云ふ、一說に、三河國矢作の住人嶋田平藏、德川殿と戰て打る、嫡子九郞左衞門、二男某と共に城を逃れ出づ、三男は民家に養はれ…
- p002…、後說は淸長の男家長が子とす、其家の系圖を見るに、淸長が子たり、又家長が德川殿に討れし人の子孫を御身近く參らせしといふも、覺束なし、前說に從ふべしや、…
- p003…信成十三歲より、德川殿に仕へ、德川殿御軍始の時、おのれ又始て軍せしよりこのかた度々の高名、數を…
- p003…信成十三歲より、德川殿に仕へ、德川殿御軍始の時、おのれ又始て軍せしよりこのかた度々の高名、數を知らず、…
- p004…を口をしき事に思ひ、且は人の馬、殺しければ、腹切んとするを、人ゝ押止む、德川殿聞召し尋常の馬牛の頭、斬つたるなどゝは品大きに變れり、何か苦しき、自害に…
- p005…、美濃國岩村の城を守る、明れば慶長六年の二月駿河國府を賜て移る、十一年、大御所駿河の國府を御座所となさるべきに依て、四月三日近江の長濱に移され、近江美…
內藤 第四中 · 14
- p001…衞門善敎に、始は甚藏と名乘、天文十二年、始て岡崎の贈大納言家に隨ひ、德川殿の御時迄仕へし人なり、男子三人あり、嫡男甚五左衞門何某二男四郞左衞門正…
- p001…長十一年七月十三日年七十五歲にて卒しぬ、關が原の時、江戶の城を守る、大御所駿河に移らせ玉ふべきに依て、忠政も隨ひ奉るべしと仰下されしかば、ま…
- p001…處に移て、程なく卒すといふ、淸成初め彌三郞とぞ申ける、忠政が讓り受て、德川殿に仕ふ、大相國家いまだ御幼稚の御時より御傅として附られ、關東に移給ひし時…
- p002…大御所冬ことに、武藏相摸の國々に渡らせ玉ひ、御鷹狩の事あり、將軍家より其所〱に…
- p002…らせ玉ひ、御鷹狩の事あり、將軍家より其所〱にて鳥獸取る事を禁ぜらる、或時大御所係蹄むすび黐繩ひきし所を御覽じて、誰が仕業ぞと尋給ひしに、內藤靑山が許せ…
- p002…由を、阿茶の局に附て伺はせ玉ふ、御局此由を申し、二人が事を歎きしかども、大御所、何の仰出さるゝ旨もなし、將軍家いよ〱恐れ思召し、佐渡守正信めして、此事…
- p002…まします故に天下の讓をも得給ひ、將軍とは、成せ給へども、これ併しながら、大殿の御恩淺からぬ所なり、如何なる事なりとも、大殿の御心に、いかで背き玉ふべ…
- p002…給へども、これ併しながら、大殿の御恩淺からぬ所なり、如何なる事なりとも、大殿の御心に、いかで背き玉ふべき、まして內藤靑山既に大殿の御勘當蒙る上は、誅…
- p002…如何なる事なりとも、大殿の御心に、いかで背き玉ふべき、まして內藤靑山既に大殿の御勘當蒙る上は、誅せられん事、云ふにや及ばんと申す、將軍家歎かせ玉ふ事…
- p002…ん事、云ふにや及ばんと申す、將軍家歎かせ玉ふ事、大方ならず、正信さらば、大殿へ參りて、御氣色を伺ひ候はんとて、御鷹狩の地に參る、正信が參ると聞召て、…
- p002…信が參ると聞召て、御前に召されしかば參て、扨もおそろしき事にて候、將軍の大殿の御氣色あしくと聞召し、內藤靑山誅せらるべきに極る、二人が事も、また不便…
- p002…人が事も、また不便といひつへし、正信旣に老たり、將軍に仕へ申さんに、若し大殿の御事にて、少しの罪を犯すとも、必ず誅せられん事、疑ひなし、哀れ大殿へ召…
- p002…若し大殿の御事にて、少しの罪を犯すとも、必ず誅せられん事、疑ひなし、哀れ大殿へ召歸され、奉公して、首をつきて死したう候、將軍家に仕へ申さん事、おそろ…
- p002…つきて死したう候、將軍家に仕へ申さん事、おそろしき事にて候、と申ければ、大御所の御心、忽に解けて、將軍さほどに、二人を怒り玉ふにやとて、阿茶の局を召て…
植村 第四中 · 7
- p004…打へき程の子設くべしや、年の程を數へて見玉ふべきものか、わどのゝ祖父は、德川殿に年一つ兄とやらん申されき、德川殿は岡崎殿十七歲の御時、設られし所なり、…
- p004…へて見玉ふべきものか、わどのゝ祖父は、德川殿に年一つ兄とやらん申されき、德川殿は岡崎殿十七歲の御時、設られし所なり、岡崎殿廿四歲の御時かくれさせ玉ひし…
- p005…ゞらんには、何事かあるべきとて、幸若が弟子になして、舞まふ事を學ばしむ、德川殿の御時、針崎を始として、彼宗の寺院盡く叛き參らす、與大夫針崎にてひとゝな…
- p006…守と申、天文廿一年三十三歲にして沓掛城に打死す、其子新六郞生年九歳にて、德川殿駿河國に渡らせ玉ふ御供し、弘治二年の春、御軍始ありし時、おのれもまた軍始…
- p006…耆守數正、同日向守家成等と四人、當時國務の事を總べ司りしといふ、初め德川殿信長と御和睦の事なりて、初めて御見參ありし時に、家政御太刀の役に候す、織…
- p006…られたりしに、此出羽守を以て大剛の兵とは稱しけり、又元龜年中、上杉謙信、德川殿に、使まゐらせられし時、家政にも書を送られき、其年三十七歲にて天正五年十…
- p007…一說に大坂の兵、再び起りし時は大御所の御供して徒衆の頭たり、五月七日敵悉く破れぬと聞召、茶磨山に向て、御馬を…
安部 第四中 · 3
渡邊 第四中 · 1
- p001…にも元龜三年十二月廿二日、武田入道信玄、遠江國に發向し、三方が原に至る、德川殿、守綱を召されて、敵のやうを見せらる、守綱先陣の人々に向ひて、敵さすがに…
松平(戶田二連木) 第四下 · 19
- p002…奉書案を載せ、其下にも、十田は御被官たりと注せり、松平和泉入道といふは、德川殿の御先祖信光の御事なり、これを以て見る時は、松平十田當時三河國の両目代に…
- p004…初め岡崎贈大納言家、水野殿の娘を迎へ玉ひ、德川殿をや設けさせ玉ひしかど、右衞門大夫どの失せ玉ひ、嫡子下野守、今川に背きて…
- p004…野守方へ送り返し玉ひ、戶田彈正少弼の娘を迎へ玉ふ、されども岡崎の本城は、わか君しらせ玉ふべき所なればとて、新城に迎入れ玉はんとありしに因て、事既に破れ…
- p004…り起りしにや、いく程なくして、岡崎殿、今川の加勢乞て織田と軍せんとて、若君を駿河國へまゐらせ玉ふを、戶田織田と心を合て、道にて若君を取り參らせて、…
- p004…田と軍せんとて、若君を駿河國へまゐらせ玉ふを、戶田織田と心を合て、道にて若君を取り參らせて、尾張國に送り參らすと云云、此德川殿を取參らせし戶田、諸說…
- p004…田織田と心を合て、道にて若君を取り參らせて、尾張國に送り參らすと云云、此德川殿を取參らせし戶田、諸說まち〱なり、大久保三河物語伊東法師三河記には彈正少…
- p004…原は彈正少弼康光なり、二連木は主殿助光成なり、宗光上洛せし寬正六年より、德川殿とられ給ひし天文十六年に至て、凡八十三年、宗光が上洛の時、たとへ十六歲な…
- p004…が子とり參らせしといふ事はなき事なり、大抵廿年を以て一世として見る時は、德川殿を取參らせしば、彈正少弼康光が時にあたるへし、殊に少弼といひしは、康光が…
- p004…左近尉政光は、康光が父と見えき、されど政光を彈正といひし事は見えず、また德川殿を取り參らせしは、彈正と見えし書は、多けれとも、左近尉とは無し、但し左近…
- p005…今橋なり、當國の人質を納らる、丹波守も質として、我母を參らす、されど德川殿に心寄せしに依て、此年五月十三日、母をぬすみ出して、德川殿にまゐらせけれ…
- p005…參らす、されど德川殿に心寄せしに依て、此年五月十三日、母をぬすみ出して、德川殿にまゐらせければ、御感斜ならず、終に御家號を給て松平と名乘る、…
- p006…德川殿に從ひし戶田、また諸說まち〱なり、大久保が物語に、戶田因幡守が母をぬすみ…
- p006…や、系圖にも、因幡守は見えず、此說の如きは丹波守戶田入道が事が時、德川殿に從ひ、また御家號をも許されしなり、三遠記に曰く、戶田主殿助に御家號を許…
- p006…波守とす、御諱字下されて康長と申せしと云々、家忠日記增補にも、主殿助初て德川殿に從ひし由を載せたり、此等の說の如きは、丹波守が子主殿助、德川殿に從ひ、…
- p006…殿助初て德川殿に從ひし由を載せたり、此等の說の如きは、丹波守が子主殿助、德川殿に從ひ、御家號、許されしなり、又三遠記の如くなれば、後の丹波守康長が父の…
- p006…は、主殿助が舍弟なり、〇上の兩說を合せ按ずるに、丹波守主殿助父子一同に、德川殿に從ひ參らせしなるべし、御年譜に、此年永祿七年二月の下に、戶田丹波守二連…
- p007…て、生年十六歲、御方の人々攻あぐんだるを見て、的塲郭といひし所なり德川殿に參り、康長御許を蒙らば、攻破て參らすべしと望み、御許を蒙て、手の兵に下…
- p007…草書誤れるにや、是を高名の初めとして、所々の戰功數を知らず、成人の後、德川殿の異父同母の御妹を賜て妻とせり久松佐渡守俊勝第三の娘なり關東に移り…
- p007…間の城に移る、三万石大坂の兵起しに、將軍家の先陣たり、再起りし時、大御所の御陣に隨て軍す、首十四切て獻る、元和三年信濃國松本の城に移る、五万石…
戶田(田原) 第四下 · 21
- p001…す、頓て本多豊後守して守らせらるゝと記せり、此說の如くなれば、田原をば德川殿のために亡されしなり、外に見ゆる所なければ本文には載せず、庄左衞門尉光…
- p001…詳なる事を知らず、斯て永祿六七年の際、三河國野寺佐崎土呂針崎等の寺僧、德川殿に恨み申事ありて、故の吉良義昭を大將になし立て、軍勢を催し、おのが院々寺…
- p001…百餘人、三郞右衞門尉忠次は、此時佐崎の邊りに忍び住む、戶田一門の人々は、德川殿に年比不快なりとて、まづ上宮寺に迎へ入る、戶田むかし德川殿を取り參らせ…
- p001…門の人々は、德川殿に年比不快なりとて、まづ上宮寺に迎へ入る、戶田むかし德川殿を取り參らせし時、忠次年十八歲、一門の少者なり、その謀事に預るべからず…
- p001…八歲、一門の少者なり、その謀事に預るべからず、忠次既に上宮寺に籠つて、德川殿の御勢と戰ひ、一日の內、高名の鎗三度に及ぶ、…
- p002…此とき忠次、大久保七郞右衞門山田八藏等と鎗を合せし由、德川殿井伊兵部少輔に御物語ありしといふ、按ずるに家忠日記增補に、兵の起りしは永…
- p002…合すべきやうなし、思ふに大久保との戰ひは、むかし田原のいまだ亡ひずして、德川殿と戰ひありし時の事にあらずや、德川殿忠次が彼寺にありと聞召し、頓て御使を…
- p002…ひは、むかし田原のいまだ亡ひずして、德川殿と戰ひありし時の事にあらずや、德川殿忠次が彼寺にありと聞召し、頓て御使を賜て、忠次かゝる時節に及びては、眞先…
- p002…今日岡崎に參るべき由の、御使を給ひぬ、つら〱事の情を案ずるに、忠次元より德川殿に向ひて、恨み申べき謂れなく、また此寺の檀那にもあらず、只人々の招く所に…
- p002…の鐵炮に、鉛彈みてたるは候はず、されば御敵に手負も死人も多からずと申す、德川殿大に驚かせ玉ひ、さらば汝は如何にや思ふと仰下さる、忠次佐崎の案内は能く存…
- p002…ばず、忠次を肩にかけて引返す、冑よければ碎けもせず、やゝ有て生き出でぬ、德川殿御感有て、御刀を給ふ、國光の御脇刀其後蜂屋と半之丞親周なり、…
- p002…門、藤田彌七郞、同左兵衛等なり、元龜二年七月、遠江國濱名の住人、德川殿に背き、城を去て、武田に組す、忠次本多百助と同く、御使を承り、かしこに行…
- p002…地を加賜ふ、三百石同き三年十二月三方が原の戰に、御方利を失ふ、忠次德川殿に隨ひ、取て返し〱、戰ふこと度々に及び、濱松の城に到て、菅沼小大膳定利と…
- p002…陣の先駈して下る、御前備衆なり同き四月二日御勢箱根の山を越んとす、德川殿、忠次を御前に召て、汝後陣に在て、軍勢を下知すべしと仰らる、忠次仰を承て…
- p002…きの御後備は、松平三郞太郞殿、奧平九八郞信昌、高力保科等なり、德川殿汝が申所、理至極せり、さらばこれ執て下知せよとて、執らせ玉ひし御麾を給ふ…
- p002…、舍弟河村兵部大輔を留めて守らしむ、景政が甥同丹波守、眞田隱岐守と共に、德川殿に志を通しければ、忠次仰を承り行向ひ、彼と謀て此城を取る今年關東に移らせ…
- p002…仕し、おのが所領に籠居る、文祿の初め朝鮮の事起て、同き二年三月の比ほひ、德川殿彼國に渡り玉ふべしなど聞えしかば、今年正月、肥前國名護屋に參りぬ、德川殿…
- p002…德川殿彼國に渡り玉ふべしなど聞えしかば、今年正月、肥前國名護屋に參りぬ、德川殿悅ばせ玉ふ事淺からず、太閤聞召し及ばれ、德川殿の御陣に成らせ玉ひし時、忠…
- p002…月、肥前國名護屋に參りぬ、德川殿悅ばせ玉ふ事淺からず、太閤聞召し及ばれ、德川殿の御陣に成らせ玉ひし時、忠次幷に高木主水清秀二人を御前に召て、年來の戰功…
- p002…國和地村を下し給ふ、五百石小田原の軍に父と共に向ひ關が原の合戰に、御所の後陣を承る、此年越前國丸岡の城を取て守る事、明る慶長六年の三月に至り、…
- p002…同十二年叙爵す、大坂の軍起し時、初め岡崎の城を守り、其後大坂に馳せ上り、大御所の後陣に候ひける、再ひ兵起しには、三河國東郡の人々、皆常陸介殿の御手に隨…
戶田 第四下 · 5
- p001…左門藤原一西は、德川殿の御內にて、當時に名を得し勇士なり、一西が事、甲陽軍鑑等にしるせる事…
- p001…あらずといふ、或人の曰く、一西が妻は、二連木の戶田松平丹波守康長の娘、德川殿の御姪なり、思ふに康長初め聟ながら子として、名字を名のらせしにや、い…
- p001…邊りに出向て、御勢遮らんずる敵をば、一々打破て御通りあらんずらんとこそ、大殿にも思召べけれ、夫に只すご〱と通らせ玉はんも、餘りに、穩便に覺えて候と申…
- p001…しに、關が原の戰事終りぬ、一西が申せしに違はず、上田を攻めさせ給はぬ事、大御所の御氣色宜しからず、此時に至てこそ、人々も口惜き事に思ひたれ榊原が傳…
- p001…一西此城に在る事三年にして卒し、子息左門氏鐵父に繼く、大坂の兵起し時、大御所都に上らせ玉ふと聞て、矢橋の浦まで御船を參らせて、御膳を薦め奉る、我身は…
牧野 第四下 · 5
- p001…西尾を去て、牛窪に歸る、永祿四年の事なり、其後また今川の方人して、德川殿と戰ふ事、度々に及び、小坂井赤坂等に戰ひしなり、同八年に至て、終に…
- p001…と戰ふ事、度々に及び、小坂井赤坂等に戰ひしなり、同八年に至て、終に德川殿に降る、其族出羽守某と、牧野と稱す所領の地爭ふ事に依て、九年五月、…
- p002…、小原肥前守して守らしむ、永祿中牛窪の牧野新二郞を始めて、東三河の衆と、德川殿の御方に屬して、八年三月終に今橋の城を攻取られぬ、今橋をば後に吉田の城と…
- p003…作る、創業記には此時に攻れとも由を載すれとも、誤れるにや、八年五月、德川殿田中の城の邊りにて、麥からせて歸り玉ふに、望宗の城より敵出て御後を襲はん…
- p003…六年四月、從五位下に叙し、右馬允に任す、十八年の夏、小田原を攻られしに、德川殿に從ひ、遊軍の大將なり、此年上野國大胡の城を賜ふ、二万石、慶…
牧野 第四下 · 2
松平(松井) 第四下 · 13
- p001…甚太郞家忠と申す幼くおはせしかば、忠次其家の事を執り行ふ、永祿四年、德川殿、水野殿と、德川殿の御外舅下野守信元なり石が瀨に戰ひ玉ひしに、石川…
- p001…幼くおはせしかば、忠次其家の事を執り行ふ、永祿四年、德川殿、水野殿と、德川殿の御外舅下野守信元なり石が瀨に戰ひ玉ひしに、石川伯耆守本多肥…
- p001…降人となつて出づ、其勳賞に、津の平の地、忠次に賜はる、同き五年の春の比、德川殿、今川と御中快らず、初めより駿河の國府に留らせ玉ひし若君、三郞殿の御…
- p001…次人をして要害よく見おほせて、忽に襲ひ攻めし程に鵜殿たまりかねて、城をば德川殿に參らせ、其身は駿河に歸らんと望む、さらばとて免されたり、忠次、兵を道に…
- p001…肖には候へども、御免しを蒙りたらんには、忠次此所に留り守り候はゞやと申、德川殿大に悅ひ玉ひ、御姓字を許し給はり、松平周防守康親とめされ、當國樽木河尻七…
- p004…祿の末、今川氏眞、武田が爲に、駿河國を失ひ、遠江國掛川の城に落來り、また德川殿に破られて、相摸國に落ち玉ふ德川殿昔の好みを思召され、如何にもして再び駿…
- p004…國を失ひ、遠江國掛川の城に落來り、また德川殿に破られて、相摸國に落ち玉ふ德川殿昔の好みを思召され、如何にもして再び駿河國へ、返へし入れらるべきよしを仰…
- p004…に置かる、品川殿と申せしが、北條の力にて、本國を取返さん事も、叶ひ難く、德川殿の御情にて、此年牧野の城に迎へ入れ、山東の地の半を參らせられし程に、まづ…
- p004…地の半を參らせられし程に、まづ本國に歸る事を得られたり、此のち武田亡ひ、德川殿駿河國を分ち取り玉ひ、氏眞に城を賜ふべしと議せられしを、信長聞き玉ひ、か…
- p004…き計ひかな、左程無用の地ならんには、信長が方へ賜るべしと怒り給ひしかば、德川殿も力及ばせ玉はずして、其事止みしとなり、…
- p005…同しく武田四郞討るべしとて、掛川の城に打出て玉ふ、四郞駿河に向ひしかば、德川殿歸らせ玉ひて、康親後陣を承る、八年望宗の城邊にて、御方の後陣、朝比奈駿河…
- p005…三浦兵部少輔を討取、康親が郞等岡田竹右衞門が討しなり、同十年の秋、德川殿甲斐國に發向あり、北條が軍勢襲ひ來る事あるべしとて、伊豆駿河の境なる三枚…
- p005…し所を、さん〲に打破り、謀反の張本せし輩、所々にて誅せらる、同十三年の秋大御所仰けるは、丹波國笹山の地は、山陰の諸國、鎭むべき要害なり、元の城修し築て…
三宅 第四下 · 1
- p001…、三男周防守清貞廣瀨に在り、其子隼人正師行が孫藤左衞門尉政貞が代に至て、德川殿に屬し參らせ、年七十歲にして、天正十五年にぞ死しける、惣右衞門尉康貞は政…
西郷 第四下 · 4
- p001…住人、彈正左衞門尉正勝が曾孫なり、正勝代々西鄕の城に住し、永祿の頃、始て德川殿に屬し奉る、今川上總介氏眞、安からぬ事に思て、同五年九月十一日、軍勢を差…
- p001…危く見えし所に、二男孫九郞清員、隣鄕に在て是を聞き、鞭鐙を合せて助來り、德川殿の御勢も馳加りし程に、正勝いよ〱力を得て、諸軍を下知し、戰て敵の多勢を打…
- p001…慶長二年彈正左衞門家員四十二歲にして卒す、關が原の戰を記せる書に、家員德川殿の御馬の前に在て、諸軍の下知をすこれ權の武者奉行の如しと云云、家忠…
- p001…、二男孫六郞正員、家を繼て後、若狹守に任す、去し慶長五年關が原の戰には、大御所に隨ひ奉り、近江國佐和山の城落て後、石川長門守康通內藤紀伊守信政と同く、…
土岐 第四下 · 2
高木 第四下 · 9
- p001…伯耆守數正と槍を合す、是等の高名數ふるに暇あらず、三河國一向專修の門徒、德川殿に叛き參らせしに、信元加勢して、戰ひ玉ひし時、清秀德川殿に見參す永祿七年…
- p001…一向專修の門徒、德川殿に叛き參らせしに、信元加勢して、戰ひ玉ひし時、清秀德川殿に見參す永祿七年、清秀先祖の名田三河國大岡の地に在りと聞えて、德川殿より…
- p001…清秀德川殿に見參す永祿七年、清秀先祖の名田三河國大岡の地に在りと聞えて、德川殿より安堵の御判をなし下さる、姉川の合戰の時、信元に隨て、高名し、天正二年…
- p001…膳一吉と先懸す其後また信元の舍弟和泉守殿の手にぞ屬したる、天正十年の冬、德川殿、甲斐の新府に御陣をめされ、清秀、主に隨てかしこに在り、此時は和泉守…
- p001…賜ふ小牧の御陣に、軍奉行の事を務む、長湫の戰に、清秀物見を承て馳歸り、德川殿の御陣を進めしかば、上方の軍悉く破れ奔る、小田原を攻られしには、武者奉行…
- p001…此時は善二郞と申す、其後清秀年老いて、致仕し、おのが領に引籠りける、德川殿御鷹野のついで、みづから彼家に至らせ給ひ、物たまふこと、度々に及ぶ、文祿…
- p001…たまふこと、度々に及ぶ、文祿の初め、朝鮮の事起り、明れは二年三月の頃は、德川殿にも彼國に渡らせ給ふべし抔と聞えしかば、清秀肥前の御陣に參り向ふ、德川殿…
- p001…德川殿にも彼國に渡らせ給ふべし抔と聞えしかば、清秀肥前の御陣に參り向ふ、德川殿悅せ給ふ事斜ならず、太閤また此由を聞給ひ、德川殿の御陣に成らせ給ひし時、…
- p001…秀肥前の御陣に參り向ふ、德川殿悅せ給ふ事斜ならず、太閤また此由を聞給ひ、德川殿の御陣に成らせ給ひし時、清秀並に戶田三郞右衞門尉忠次を、御前に召して、二…
酒井 第五 · 47
- p001…が嫡男なり、先祖の事精しく左衞門尉忠次の傳にあり、政親安祥殿より、德川殿に至て、三代の間に仕へて、家の事、大小となく司る、安祥殿うせ玉ひて、岡崎…
- p001…人々と議して、水野右衞門大夫忠政の娘を迎へて、北の方となし參らす、程なく若君御誕生ありしかば、德川殿の御事岡崎殿の御悅淺からず、御家人の中を選…
- p001…大夫忠政の娘を迎へて、北の方となし參らす、程なく若君御誕生ありしかば、德川殿の御事岡崎殿の御悅淺からず、御家人の中を選はれ、政親御竹刀を獻り、安…
- p001…れ、政親御竹刀を獻り、安藝守清兼、石川御蟇目の役に候す斯て天文十二年の秋德川殿の御外祖右衞門大夫殿、卒去の後、下野守殿、父の跡を繼き、程なく尾張の國の…
- p001…こと、ありしかど、忽に刈屋の城に送り返させ給ひけり、政親心に思ひけるは、若君姫君、渡らせ玉ふ御事なり、如何でかくつれなうは、おはすべき、今川殿の好み…
- p001…する事やあるべきと、思ひ定め、おのが家に入れ參らせ、よきにいたはり奉り、若君姫君をも、迎へ入れ、御名殘をしませ參らせ、御心地たいらがせ玉ひし後、士餘…
- p001…、刈屋の城にぞ送り奉る、かくて城のほとり十八町といふ所に至らせ玉ひし時、若君より御送りの爲に、參らせられし侍、淺羽金田二人を御輿のほとりへ召れ、自ら…
- p001…へ召れ、自ら思ふ所あれば、此所に捨置て、おことらは、とく岡崎へ歸るべし、竹千代殿の御事は、人々を賴み思召し、返す〱も、かの御名殘こそをしけれと、御淚と共…
- p001…生て歸らん事、叶ふべからず、自らこそ、思はずも、岡崎殿に別れ參らせども、竹千代殿おはしませば、其方ざまの人々をば、如何ばかり、いとほしと思ふぞや、また竹…
- p001…殿おはしませば、其方ざまの人々をば、如何ばかり、いとほしと思ふぞや、また竹千代殿、めてたう生立ち給はん後、さすが遠からぬ間なり、なとが終には、下野守殿と…
- p001…の種となり、親しうなり給はん事、如何にも叶ふべからず、自らが方ざまにて、竹千代殿の御爲に、したしうも又便りにも、御覽ずべき人は、下野守殿斗りにこそおはす…
- p001…がら御行末を、遠く思召し謀らせ玉ふ御心を、空しくなさせ參らせん事、げにも若君の御爲しかるべからず、此上は如何で仰に背き奉べきとて、此所の里人等を召集…
- p001…川、大將にて明大寺の邊に出向ひ、戰て信孝を討取る、程なく岡崎殿うせ玉ひ、德川殿、駿河國に留められ玉ひしかば、政親等岡崎を守て、若君御成長の程を待つ、義…
- p001…く岡崎殿うせ玉ひ、德川殿、駿河國に留められ玉ひしかば、政親等岡崎を守て、若君御成長の程を待つ、義元討れ玉ひし後、德川殿岡崎の城に歸り給ふ、斯て永祿四…
- p001…れ玉ひしかば、政親等岡崎を守て、若君御成長の程を待つ、義元討れ玉ひし後、德川殿岡崎の城に歸り給ふ、斯て永祿四年の春、同國吉良義昭の一族荒川甲斐守義虎、…
- p001…祿四年の春、同國吉良義昭の一族荒川甲斐守義虎、吉良を叛き、政親に因つて、德川殿の御方に參り、おのが城に、政親を迎へ入る、政親荒川の城を守り、西尾の城を…
- p001…須瀨宮內を討つ、義昭終に降人に成て參りしかば、西尾の城を以て政親にたぶ、德川殿御家人に城賜りし始とぞ聞えける、伊東法師が記、家忠日記增補同し但し御…
- p001…義元既に我が爲に討れし後、其子氏眞我が勢にや恐れけん、敢て戰ふに及はず、松平藏人元康、猶庭弱の者なり、速に豫參降人とこそ成べけれ、然るに今本國に歸て、兵を起…
- p001…鳥屋が根等の城々を守て、兵を失ひ、粮を費す事、謀少きに似たり、所詮信長は元康と中直りして、此城々に籠め置し、軍勢を召返し、上方を打平げ、元康は又東國…
- p001…詮信長は元康と中直りして、此城々に籠め置し、軍勢を召返し、上方を打平げ、元康は又東國を從へんに、一人の力に及ふべからざらん時に至ては、互に助合んと思…
- p001…其旨を傳へ、笠原新右衞門を使として、石川伯耆守が許に、此由かくと云送る、德川殿も、宗徒の人々、召て評定あり、各一同に申けるは、當家もと今川の一族被官と…
- p001…此かた、兩家の好み日々に深し、然るに故殿うせ玉ひし後、義元なさけなくも、君を駿府に押留め參らせ、御領悉くに押取り、常に御家人等を駈り催し、こゝかし…
- p001…輩、いくらといふ數を知らず、義元又うたれしより此かた、既に三年に及ひて、君も此處彼處の御合戰に、一日片時も安き御心もましまさず、是れ偏に當家の爲の…
- p001…は、など此恥を存ぜざらん、是も又一人として、此事を諫むるものや候、たま〱君獨り、折にふれて、勸め玉ふ事を、用ゐられぬだに候を、何ぞ深く恨み參らせて…
- p001…にて候とて、伯耆守が許より、同心の返答をぞしたりける、信長斜ならず悅ひ、元康が心をば知らぬ、此上れ彼の舅の下野守信元の中立よかんぬとて、頓て御對面の…
- p001…、氏眞無双のきり人三浦右衞門佐に就て、其旨趣を陳ず、抑亡父廣忠が時より、元康が身に至るまで、故治部大輔殿の御情を蒙て候事、如何でか忘れ候べき、さるに…
- p001…さるに依て、御被官の例に准し、旣に嫡子竹千代丸を質として、參らせ候ひぬ、元康たとへ義元朝臣の御情を忘れ候とも、如何でか父子の憐れを知らで候べき、又元…
- p001…康たとへ義元朝臣の御情を忘れ候とも、如何でか父子の憐れを知らで候べき、又元康こそ、義元朝臣の御情をも忘れ、父子のあはれを知らで候とも、家人等が、質と…
- p001…候とも、家人等が、質として、參らせたる、或は妻子、或は兄弟を捨て、如何で元康に隨ひて、屋形には背き奉るべき、されば家人等が背き奉らざらん內は、元康た…
- p001…で元康に隨ひて、屋形には背き奉るべき、されば家人等が背き奉らざらん內は、元康たとへ不道を存ずるとも、誰を賴て、御うしろめたき事仕るべき、依て此條を以…
- p001…へ不道を存ずるとも、誰を賴て、御うしろめたき事仕るべき、依て此條を以て、元康が二心なきを知召し極めらるべきものか、爰に元康、年來日頃義元朝臣の舊恩に…
- p001…仕るべき、依て此條を以て、元康が二心なきを知召し極めらるべきものか、爰に元康、年來日頃義元朝臣の舊恩に、報ひ參らせん事を、思ふといへども、一身の微力…
- p001…には、必御先を承るべきのよし、望み請ふ事、度々に及ひ訖んぬ、かるが故に、元康は敵の方人等と、怨を含み仇を結んで、日々夜々に戰ふ事、既に三年、然りとい…
- p001…をも給らず、又御吊の御合戰、いつあるべしとも、其期を知らず、されば瓩弱の元康、只一人わつかなる勢を以て、多くの敵の間に立つて、御吊の合戰あらん期を待…
- p001…休め力をも養ふ事にてこそ候へ、今日にも尾張國に向て、御勢を出されんには、元康御先を懸、けて御敵を亡し、舊恩に報ひ參らせんと、先に申せし事、違ふ事ある…
- p001…らずと申ければ、氏眞も誠に深き謀なりとて、其心とけてけり、幾程なくて、又德川殿を恨むこと起りて戰やむ事なし、竹千代殿恙なく歸り玉ひし事は、松平…
- p001…眞は、舅の武田入道信玄の爲に、駿河國を破られて、遠江國掛川の城に落來り、德川殿と戰ひ、城既に落つべきに至て、政親並に石川日向守家成に就て、城中の者共の…
- p001…敵と戰て、終に荒川をも打亡す、かくて政親衰へて、いたはる事ありと聞召し、德川殿大に驚かせ玉ひ、平岩七之助親吉に仰せて、醫療の事を謀り、自もその家に入ら…
- p001…る、政親嫡子與四郞重忠、次男與七郞忠利を御前に召し、政親何事をか申べき、君の御惠みを蒙て、此二人の子息等が、奉公の節を致さんにおのが器量に隨て、其…
- p001…ん心は、などか同し心にはあらざるべき、只此事をこそ存じ置け、これより外、君に向ひまゐらせて、何事をか申べきと申て、天正四年六月六日にこそは卒しけれ…
- p002…政親はかくとも知らで打過たり此後神谷、政親にあひて、頗る不禮をあらはす、德川殿此よしを聞召、神谷が常の振舞を試させ玉ふに、心直にして行ひ正しく、奉公の…
- p002…ざらんには、此後誰かは出て仕ふべき、たゝ過分の所領たまふべき者なりと申、德川殿汝が申す所心得ず、元康が家にして、汝等に向て無禮せんもの、誰があるべき、…
- p002…て仕ふべき、たゝ過分の所領たまふべき者なりと申、德川殿汝が申す所心得ず、元康が家にして、汝等に向て無禮せんもの、誰があるべき、彼に賜ふ所、約の如くな…
- p002…しと思て、斯は計ふなりと仰せられしかば、政親愼み承て、不肖には候へども、君の御恩に依て、かゝる身と成て候へば、御家人の中に、誤ても一人膝を屈め手を…
- p002…膝を屈め手を突かぬ者は候はず、夫に此神谷が、心强く無禮を顯はす條、彼もし君の御恩に感してだに候はんには、必御大事あらんとき、身をも家をも忘るべき者…
- p002…の許に行向ひ、此程の無禮を謝す、其後高名度々に及び、終に足輕大將を承る、德川殿常に此事を執政の人々に語らせ玉ひ、汝等政親が心を心とすべきものなりと仰ら…
- p007…ある書に曰く、或時大御所御前の人々に、御物語ありしは、酒井備後守が所頭の地に、備後といひし百姓あ…
土井 第五 · 7
- p002…系圖の傳ふる所かくの如し、世に傳ふるは利勝が父小左衞門と聞えしは、德川殿の外樣侍とも、又は刈屋の地下人とも申せしなり、利勝實は小左衞門が子にはあ…
- p002…とも申せしなり、利勝實は小左衞門が子にはあらず、水野下野守殿の庶子にて、德川殿の御爲には、外戚に付ての御從弟なり、信元の討れ玉ふ時、利勝年僅に三才にて…
- p002…くして育てしに、小左衞門養て子とすいふなり、又古き人の物語を聞しに、或時德川殿、御鷹狩のため出させ玉ひしに、獨りの女、道の邊りに幼き子抱き居たるが、御…
- p002…事ありしに、やがてその兒を召し具せらる、是れ大炊頭利勝あり、されば其時は德川殿の御子なりとも申しき、下野守殿の子たる事は、此時によく聞召たるらんと申せ…
- p003…天正七年四月七日大相國家、濱松城に御誕生ありし時、德川殿利勝が七歲なりしを召て、若君へ附られ、甚三郞とぞ召れける文祿四年七月、中…
- p003…國佐倉の地を給、三万二千四百石餘此年八月御使として駿河に參りしに、大御所、御茶入を給て、紹鷗圓座肩衝汝關東に歸りなば、將軍家に茶を參らすべ…
- p003…茶を參らすべしと仰下さる、明れば十六年、將軍家利勝が家に成らせ給ふ、是れ大御所の仰によつてなり、此後次第に恩かうむりて大名となり、新に佐倉の城きづきて…
阿部 第五 · 7
- p001…なり、伊豫守正勝、童名をは善九郞とぞ申ける、天文十六年正勝生年八歲にて、德川殿の御供して、駿河の國府に趣くとて、織田彈正忠信秀が爲に奪れさせ玉ひしかば…
- p001…正忠信秀が爲に奪れさせ玉ひしかば、正勝同しく尾張の熱田に留めらる、此時德川殿は六歲なり同き十八年二月、再ひ今川殿へ趣かせ玉ふにも、御供に候ひて、…
- p001…せ玉ふにも、御供に候ひて、主從常に一つ所に長成して、弘治二年の春に至り、德川殿御軍始ありしより、天正十八年相摸國小田原を攻玉ひしに及ふまで、大小の戰に…
- p001…に及ふまで、大小の戰に逢ふ事、幾等といふ數を知らず、終に一度の不覺なく、德川殿の御内にして、さる者ありと云ふ事は、天下に名をぞ知られける、甲陽軍鑑等…
- p004…或人曰く三浦監物といひしは、三河にて佐原何某といひしを、德川どの三浦と名のらせ、其後次第に身を起して、上總大瀧三万八千石を領したり、子な…
- p009…後守阿部忠秋は、伊豫守正勝が二男左馬助正吉が子なり、正吉若かりし時より、德川殿に仕へ參らせ、度々の高名を顯はす、小田原の城を圍れし日、城中より鉄炮を…
- p010…る、希代の事といひつへし、〇按ずるに大坂兩御陣供奉記のしるす所は左馬助は大御所御步行頭四人の中なり、將軍家御步行頭四人の中にはあらず、されば左馬助正吉…
靑山 第五 · 5
- p001…胤、喜大夫忠門が息男なり、忠門初めて參河國に來り、額田郡百々村に住して、德川殿の御家人には成てけり、天正の十三年忠成いまだ藤七郞と申せしより、竹千代殿…
- p001…承り、關東惣奉行職を兼司る、十一年正月の末、忠成內藤修理亮清成二人、共に兩御所の御勘當を蒙て、十八年二月廿日、六十三歲にて卒す、二人が罪蒙りし事、…
- p001…爭ひ、手の人々も多く討死し、我が郞等の討死も、十八騎とぞ聞えし、されば兩御所の御感に預て、其賞これ輕からず、加恩の程…
- p002…を知らず、今年元和元年九月、兩御所の仰にて、酒井雅樂頭忠世土井大炊頭利勝と共に、三人同しく竹千代殿の御傳に…
- p004…〇一說に元和六年と云同き八年四月、將軍家日光山に詣でさせ給ひし時、大神君七年の御忌祭也、かれが城に入せ給ひ、御氣色殊に宜しく、物多く賜りぬ、…
永井 第五 · 19
- p001…勝が祖父喜八郞廣正、岡崎の贈大納言家に仕へ、三河國大濱村上宮社田を領す、德川殿いまだ駿河國府におはしませし時、今川殿へ仰られて、廣正大濱を賜ふ事元の如…
- p002…義元よりの證文ありと云ふ、是に因て按するに、岡崎殿かくれ玉ひ、德川殿駿河に止められ給ひし時は、御家人等の所領を給ふ事も、御心に任せられず、義…
- p005…三郞殿御事ありて後、德川殿召て名字改めさせ、永井傳八郞とめさる、…
- p006…夏目が記を案するに、德川殿仰に、長田は義朝を弑せし逆臣の名字なり、長田を改めよとありしかば、永井と…
- p007…天正十年の春武田亡ひし後、德川殿、安土に參り給ひければ、御供の人々の座を分ちて、右大臣殿自ら配膳して酒た…
- p007…ちて、右大臣殿自ら配膳して酒たびし時、直勝も其座に請じ入れらる、これより德川殿、都のあたり御歷覽ありしうち、織田殿御父子討たれ玉ひ、德川殿伊賀國に懸て…
- p007…る、これより德川殿、都のあたり御歷覽ありしうち、織田殿御父子討たれ玉ひ、德川殿伊賀國に懸て、本國へ歸らせ玉ふとて、伊勢國より御舟に召され、三河國大濱に…
- p007…入る、即ち其賞を行はる、北畠殿大に感し玉ひて、入道が佩きし太刀給ひぬ、德川殿千石を給ひぬ、入道が佩きし太刀は、篠の雪といふ、…
- p008…に曰く、永井右近に千石の地を給ふ、信雄は五千石給ふべきよし仰せられしに、家康が家人にさ程の賞行ひし事いまだ候はずと仰せられしと云々○、謹て按ずるに、…
- p008…を尙ぶといふもの、覇術に出づ、信長秀吉の亡ひ給ひしも、此道に因れる所か、德川殿の仰せられし所、深き御心にやあらん、神孫長く世を知しめし、天下動きなき事…
- p009…其後東西、御和睦成て、天正十八年の秋、德川殿關東へ移り玉ひし時、武藏國にして所領の地給ふ、五千石文祿元年朝鮮の…
- p009…し時、武藏國にして所領の地給ふ、五千石文祿元年朝鮮の事起りしかば、德川殿も肥前の名護屋に趣かせ給ふ、太閤德川殿の御陣に成らせ給ひ、直勝を御覽じ、…
- p009…石文祿元年朝鮮の事起りしかば、德川殿も肥前の名護屋に趣かせ給ふ、太閤德川殿の御陣に成らせ給ひ、直勝を御覽じ、あれは誰とか申すと尋ね給ひしに、永井右…
- p009…年三月廿日大閣、直勝に從五位させ、豐臣の姓をゆるさる、關が原の合戰の時、御所の御右に陣して大將を承る上は、自らの高名はなし、軍の掟よければとて、其賞…
- p009…當時無双の有職の人なりけり、關が原の戰の後は、都のほとりにおはしたるに、德川殿、この人につきて、前代柳營の故事ども尋ね問せ玉ふ事ありしに、直勝御使に擇…
- p011…大坂前後の軍に、直勝が手勢六千人を引具し、大御所に屬ひ奉る軍終て後、諸手の人々の高名不覺を御糺明ありしに、直勝が手の兵は…
- p011…汰たるべき由を仰下されて、御糺明にも及はず、當時の面目是に若く人あらず、大御所かくれさせ給ひて後ち、將軍家に仕へ奉る、明れば元和三年常陸國笠間の城を賜…
- p011…ふ、三万二千石を領す、世に傳ふる所は、池田紀伊入道の息輝政の參議、大御所の聟君と成て後、見參のついでに、御內に永井右近大夫と申すが候ふなる、所領…
- p011…なり、其後に所領加へられしは、關が原大坂の賞なりしなり、笠間を賜ひしは、大御所かくれさせ給ひし後、大相國家の御代の初なり、輝政卿は大坂の兵起るべき一年…
安藤 第五 · 4
- p003…祖、三河國の住人安藤太郞左衞門尉家重、始て岡崎贈大納言家に仕へ參らせて、德川殿の御時に至る、家重が嫡子木工助基能、德川殿の御時、御旗奉行を承て、元龜二…
- p003…岡崎贈大納言家に仕へ參らせて、德川殿の御時に至る、家重が嫡子木工助基能、德川殿の御時、御旗奉行を承て、元龜二年十二月三方が原の戰に討死す、男子貳人嫡男…
- p003…の大將二人まで討て、天下に其名を顯せしに至るまで、度々の高名數を知らず、大御所駿河に御座移されし後、直次本多上野介正純、成瀨隼人正正成と三人、奉書連署…
- p003…元年なりといふ、如何あるべき、大坂の兵起し時、將軍家の御供して打立つ、大御所近江國永原に御陣をめされて、早々のぼぼらせ玉ふべきよしを仰せ遣されしかば…
板倉 第五 · 10
- p001…伊忠の男なり、天正二年七月高天神の城にて討死す、定重打死したりし後、德川殿の仰せ事ありて、勝重還俗し、初め澁川と名のる、又板倉と改めて、四郞右衞門…
- p002…一說德川殿の御家人永井善右衞門、初め武者修行すとて、諸國を廻る、或時御前に召され、…
- p003…天正十六年德川殿、駿河の國府に移り住せ玉ふに至て、多くの御家人の中を擇ひ玉ひて、勝重して…
- p004…らば宿所に罷り歸り、妻にて候ものと謀りてこそ、御返事をば申べけれと申す、德川殿笑はせ玉ひて、さもありなん罷り歸りて相謀れと仰せ下さる、妻は勝重が歸るを…
- p004…狀まゐらす、さらばその言葉、いつまでも忘れたまふなといひて、御前に參る、德川殿如何に汝が妻は何とか云ひしと仰せければ、妻にて候ものが、愼みて承れと申侍…
- p005…地を賜ふ時に私の事ありとて、罪蒙る、其後は勝重一人職に在り、同き八年二月大御所、將軍宣旨を御拜賀の時、從五位下に叙し、伊賀守に任ず、此頃は關が原合戰の…
- p011…內膳正源重昌は、伊賀守勝重が二男、大御所に近く召仕れ、營中の事を執る、近習出頭人衆と云、慶長十年の夏…
- p011…き人を選まれしに、重昌、其年二十六歲、此御使にさゝれ、たゞ一人城に入て、大御所の思召すまゝに、事を調て歸る、大御所かくれ玉ひし後、大相國に仕ふること、…
- p011…、此御使にさゝれ、たゞ一人城に入て、大御所の思召すまゝに、事を調て歸る、大御所かくれ玉ひし後、大相國に仕ふること、大御所の御時の如し、西城に移らせ玉ひ…
- p011…の思召すまゝに、事を調て歸る、大御所かくれ玉ひし後、大相國に仕ふること、大御所の御時の如し、西城に移らせ玉ひし時、御書院番頭を承る、其後寬永十四年十一…
森川 第五 · 3
久世 第五 · 1
- p001…の軍起りし時、二人同しく將軍家の御陳頭に馳せ來る、彼等はさる古兵なれば、両御所の仰を蒙て、諸手の人々の陣々に御使して、其功これ少からず、軍終て後、二人…
稻垣 第五 · 2
西尾 第五 · 2
三浦 第五 · 3
米津 第五 · 1
- p001…、累代の先祖德川譜代の御家人なり、田盛が曾祖左馬助勝政、其子小大夫政信、德川殿に仕ふ、…
伊丹 第五 · 1
- p001…播磨守源康勝は、初め喜之助と申せしより、大御所將軍家に仕へ奉り、大坂の合戰に隨ひ、首取て獻る、御納戶の頭を經て終に御留…
奧平 第六 · 20
- p003…す、殿うせ給ひて後、今川に從ふ、美作守貞能、永祿八年の頃より氏眞に背き、德川殿に隨ひ奉る、同十二年氏眞遠江國掛川の城を去て、相摸國へ落行玉ひし事、貞能…
- p003…道道文を始とし一族、甲斐の武田に從ふ、貞能も亦これに同じ、天正元年七月、德川殿、長篠の城を攻め玉ふ時、後卷せよとて、武田四郞軍兵餘多差し遣す、晴信入道…
- p003…餘多差し遣す、晴信入道の卒せしを深く匿すとすれど、貞能これを知りて、窃に德川殿に志を通し、敵の謀を一々に告け知らせ奉る、奧平が作手の城にも、武田が侍大…
- p003…りしぬと聞て、貞能を呼ふ貞能やがて黑瀨に至りしかば左馬助對面して、わどの家康に心合せたりと聞ゆ、今日の見參こそ神妙なれといふ、貞能驚く氣色もなく、此…
- p004…德川殿此よし聞召し、御勢を加らる、貞能父子、武田勢と戰ふこと止む時なし、貞能一…
- p005…此時岡崎殿、信康が妹を如何で信昌が妻とはすべきと宣へば、德川殿の御心にも叶ひ難く、此よし織田殿に仰せ合さる、信長、岡崎殿に異見あつて、…
- p005…合さる、信長、岡崎殿に異見あつて、宣ふ所ことわりに似て侍れども、彼父子は德川殿の御爲に、双なき忠あつて、殊に敵の境守らせ玉ふ者なれば、まげて父の仰に從…
- p007…りつけにして、甲斐國を出づといふ、一說に其事は是より前の事なり、夫故に、德川殿の御娘を下されしともいふなり、德川殿此由聞召し、信長の加勢乞て、信昌を助…
- p007…說に其事は是より前の事なり、夫故に、德川殿の御娘を下されしともいふなり、德川殿此由聞召し、信長の加勢乞て、信昌を助け來り給ひしかば、同き廿日、勝賴軍勢…
- p007…終に御方の後卷を待ち得たり、天下に双なき名譽なりと、感じ玉ふ事斜ならず、德川殿へ御使あつて、西尾小左衞門使たりといふ、姫君の事仰せられしかば、頓…
- p007…信濃の國に向ひ、伊奈の郡を打從へしに因て、榛原郡を下し給ふ、十二年の春、德川殿北畠を助けて、尾張國に向ひ玉ふ、手合の戰に、信昌先懸し、森武藏守長一が陣…
- p007…大膳大夫家昌、下野國宇都宮の城を給ふ、十萬石家昌童名九八郞、是れ大御所の御外孫、或說に家昌は加納殿のむませ玉ふ所にあらずと、不審、天正九年…
- p007…にあらずと、不審、天正九年十二月、一說には十五歲の年の二月といふ德川殿の御前にて元服し、御諱字を給ひ、文祿四年、叙爵して大膳大夫になさる、一…
- p007…は四位の侍從になると不審、二男松平右京大夫家治は、天正十六年十二月、德川殿の御前にて元服し、御家號幷に御諱字を給ひ、上野國長根の地を給ふ、此時家…
- p007…室となる、されば此美作守信昌、我身の大名になれるのみにあらず、子息等みな大御所の御外孫なれば、盡く大名に成し給ひしかど、老後に三人まで男子を先立て、元…
- p012…下總守源忠明は、信昌の四男、大御所の御外孫なれば、次第に大名となつて、慶長十五年七月廿一日、伊勢國龜山の城…
- p013…世に此家を長澤家といふ、大御所の御先祖和泉入道殿、第九の御子、松平源七郞親則、三河國長澤の城に住み玉ふ…
- p013…國長澤の城に住み玉ふ、親則七代の孫、長澤上野介康高は、贈大納言家の御娘、大御所の御妹君を迎へ、源七郞康忠をまうけらる、康忠、文祿二年の冬卒し玉ひ、世嗣…
- p013…君を迎へ、源七郞康忠をまうけらる、康忠、文祿二年の冬卒し玉ひ、世嗣なし、大御所の御子上總介殿して其家を繼せらる、元和二年の秋、上總介殿流され玉へばこの…
- p013…らぬは、如何さま故ある事にや、其家の系圖には、天正十六年忠明が六歲の時、大御所の御養子となされ、御家號下し給ふと載せたり、不審、…
小笠原 第六 · 18
- p001…信濃等の國々亂る、右近大夫貞慶、急き馳せ下りて、本國を討ち從ふべきよし、德川殿の御下知を承て、此由創業記に見えたり、夏目が記に德川殿の仰を蒙りし由…
- p001…從ふべきよし、德川殿の御下知を承て、此由創業記に見えたり、夏目が記に德川殿の仰を蒙りし由は載せず、年比の郞等溝口美作壹人を召具し、信濃國に馳せ下…
- p001…、上杉と戰はん事叶べからずとや思ひけん、此處より引返して、甲斐國に入て、德川殿と戰ふ、初め德川殿、小笠原が本國を打從へしと聞召て、さらば加勢あるべしと…
- p001…べからずとや思ひけん、此處より引返して、甲斐國に入て、德川殿と戰ふ、初め德川殿、小笠原が本國を打從へしと聞召て、さらば加勢あるべしとて、奧平九八郞信昌…
- p001…らば加勢あるべしとて、奧平九八郞信昌に餘多の軍勢つけて差向らる、貞慶既に德川殿にも背きまゐらせて、北條に組みしければ、奧平も途より引て歸る、同き九月貞…
- p001…が爲に清就軒と云破られて、鹽尻に引返す、同國の住人保科彈正忠正直、德川殿の御方して、貞慶が陣に押寄せて戰ひ、首餘多切て獻らせたり、さる程に、北條…
- p001…氏直、甲斐の國に打入り、同き左衞門大夫氏勝が兵を合て、都合其勢五万五千、德川殿の御勢七千人に向て、今年七月の初より、十一月に至るまで、大小の戰七十餘度…
- p001…見て、いや〱北條が軍のやう、心にくからずと思ひ、また北條を背きつゝ、再ひ德川殿の御方にこそ參りけれ、氏直も德川殿に中直りし、本國にぞ引返さる、同き十二…
- p001…からずと思ひ、また北條を背きつゝ、再ひ德川殿の御方にこそ參りけれ、氏直も德川殿に中直りし、本國にぞ引返さる、同き十二年、德川殿北畠殿を援ひ玉ひ、秀吉と…
- p001…方にこそ參りけれ、氏直も德川殿に中直りし、本國にぞ引返さる、同き十二年、德川殿北畠殿を援ひ玉ひ、秀吉と軍起る、此頃より貞慶また眞田と同しく、秀吉と心を…
- p001…高遠の城に押寄せ、爰かしこの村〱に放火して引返す、明れば天正十四年の夏、德川殿關白と御中直りし事なれば、貞慶また德川殿に就さて殿下に見參仕るべきよしを…
- p001…て引返す、明れば天正十四年の夏、德川殿關白と御中直りし事なれば、貞慶また德川殿に就さて殿下に見參仕るべきよしを申す、十五年の正月、酒井左衞門尉忠次、小…
- p003…今年德川殿關東に移らせ給ふ、貞慶が男兵部少輔秀政は、德川殿の御嫡子故岡崎殿の御姫に…
- p003…今年德川殿關東に移らせ給ふ、貞慶が男兵部少輔秀政は、德川殿の御嫡子故岡崎殿の御姫に添ひ奉りたりければ、關白殿も別の義を以て御免あり…
- p003…岡崎殿の御姫に添ひ奉りたりければ、關白殿も別の義を以て御免ありしに因て、德川殿の御家人になされ、下總國古河の城を給ふ、二万石を領す、○按するに今年德…
- p003…殿の御家人になされ、下總國古河の城を給ふ、二万石を領す、○按するに今年德川殿の御孫女御年十四歲、秀政の年廿二歲なり、既に御婚儀事なりしにや、ま…
- p003…元和元年五月七日攝津國天王寺の合戰に討死す、年四十七歲、嫡子信濃守忠脩、大御所の御外曾孫、又忠脩が妻も同き御外曾孫にて、本多美濃守忠政が娘なり、初め大…
- p004…右近衞將監源忠眞は、秀政の二男、大御所の御外曾孫なり、生年十八歲、いまだ大學助と云ひし時、父と同しく大坂に向ひ…
小笠原 第六 · 2
岡部 第六 · 4
- p001…信玄の爲に、駿河國を陷され、永祿十一年の冬、遠江國懸川の城に落來り、また德川殿と戰ひ、此城にも、たまりかね、明れば十二年の五月、遠江國をも、德川殿へさ…
- p001…また德川殿と戰ひ、此城にも、たまりかね、明れば十二年の五月、遠江國をも、德川殿へさけ渡し、所緣に附きて、北條を賴みて、伊豆國戶倉の城に落行く、かくて此…
- p001…失せ給ひて、甲斐國再ひ亂る、正綱が今川に仕へしより知しめされし者なれば、德川殿御消息を賜ひて、御方に召さる、甲信兩國程なく靡き隨ひし事、大畧は正綱が功…
- p001…月長湫の戰に先駈て、秀次の勢を打破り、自ら首三つを切る、同き六月十九日、德川殿北畠殿と同く、伊勢の國下市場の城を攻めらる、九鬼右馬允嘉隆うしろ矢射んと…
諏訪 第六 · 5
- p001…ひ、諏訪に使立てて、須らく早く御方に參るべき由を云はせければ、賴忠最初に德川殿に從ふ、酒井左衞門尉忠次が至るに及びて、忠次、德川殿の御下文賜て、信濃國…
- p001…せければ、賴忠最初に德川殿に從ふ、酒井左衞門尉忠次が至るに及びて、忠次、德川殿の御下文賜て、信濃國の事知行す、國人等速かに忠次に從ふべきよしを下知す、…
- p001…事知行す、國人等速かに忠次に從ふべきよしを下知す、賴忠大に怒て、我はしめ德川殿の御方にこそ參りたれ、忠次が被官たらん事、思ひもよらずとて、城中に立籠り…
- p001…の武田が士折井市左衞門次昌權田識部等を使として、たゞ初の如く德川殿の御家人たるべしと申ければ、賴忠さらんに於ては、如何で仰を背くべき、謹て…
- p001…くべき、謹て承りぬとて、郞等茅野丹波清房澤市左衞門房重を、御陣に參らす、德川殿御感斜ならず、茅野澤は物賜ふ事差あつて歸へさる、明る天正十一年三月、賴忠…
土屋 第六 · 7
- p001…歲にして侍大將になされ、廿八歲にして右衞門尉になさる、三方が原の合戰に、德川殿の御内に名を得たる鳥居四郞左衞門尉が首を取る、土屋が家の旗幟に、鳥居を紋…
- p003…父が手の兵共、兎角して駿河國に落行て、清見寺の住僧に參らす、天正十七年、德川殿御鷹野の序、此寺に入らせ玉ひし時、此兒して御茶を進め奉る、德川殿つく〱と…
- p003…十七年、德川殿御鷹野の序、此寺に入らせ玉ひし時、此兒して御茶を進め奉る、德川殿つく〱と御覽し、住持の僧を召て、此兒の有樣、尋常の者ならず、何者の子ぞと…
- p003…後、僧になし、父が跡とはせよとて、所緣の者が得させてこそ候ひつれと申す、德川殿さればこそ、さる者の子なれ、家康に賜ひなんやと仰せらる、僧は大に畏り悅ふ…
- p003…所緣の者が得させてこそ候ひつれと申す、德川殿さればこそ、さる者の子なれ、家康に賜ひなんやと仰せらる、僧は大に畏り悅ふこと斜ならず、頓て御輿に載せ歸ら…
- p004…内記といふ、忠直には母を同じくしたる弟なり、殊に岡田は數度の高名を顯し、德川殿むかしより知召されし者なれば、かれと云ひ、これと云ひ、かの內記を召仕はる…
- p004…候はん事、思ひもよらず候と辭し申ければ、申ところ理至極せり、さらばとて、德川殿の近く召仕はれし一位の局に仰せられ、やしなうて子とせよとありしかば一位の…
屋代 第六 · 2
丹羽 第六 · 5
- p001…ば、氏次信雄卿に從ふ、明る天正十一年、聊の事に依て勘氣を蒙り、本國を去て德川殿に來り仕ふ、十二年の春、北畠殿、秀吉朝臣と軍起る、德川殿、氏次を召て汝が…
- p001…蒙り、本國を去て德川殿に來り仕ふ、十二年の春、北畠殿、秀吉朝臣と軍起る、德川殿、氏次を召て汝が累代領せし岩崎の城は、尾張三河の境にて、要害の所なれば速…
- p001…、多勢に無勢叶はずして、氏重討れて城落ちぬ、氏次此邊の案内者なりしかば、德川殿の先陣し、長湫の邊に馳せ向ひ、上方の多勢、打破て、池田父子を初として、多…
- p001…勢國にして所領を給ひ、七千石同き十八年信雄卿、流され玉ひし後、また德川殿に仕へ、關東へ移り玉ひし時、武藏國にて所領を給ふ、七千石關が原の合…
- p001…ひし時、武藏國にて所領を給ふ、七千石關が原の合戰には、海道より向て德川殿の先陣を固む、今年の冬三河國伊保の地を給て、一万石明れば慶長六年三…
山口 第六 · 4
- p001…に諫めて城中に引返す、敵つゞいて攻來る、佐久間山口また城中より切て出づ、德川殿の御勢、うしろ卷すと聞えしかば、寄手は城を攻めもせず、日既に暮に及ひけれ…
- p001…直政を先として、北畠の軍勢も、鞭鐙を合せ援ひ來れば寄手こらへず引かへす、德川殿、本多平八郞に仰せて、重政を召され、此とき御陣は戸田にあり、重政む…
- p001…し事、感じ給ふ事斜ならず、御馬をぞ賜つたる、此後世かはり、事變して、重政德川殿に仕へ奉る、慶長六年叙爵して、但馬守に任し、後には修理亮常陸國牛久…
- p002…重政が嫡男伊豆守重信に嫁す、長門守康通が息男、其行正しからざる依て、日頃兩御所の御氣色よろしからず、然るに今但馬守彼の石川が息男の姉を以て、我子にめあ…
加々爪 第六 · 1
- p001…遠江國山名郡新池鄕を領す、子孫是を傳領して、備前守政豊に至る、永祿十一年德川殿、遠江國に入り玉ふ時、政豊、最初に御方に參りしかば本領を下し賜ひ、其子備…
北條 第六 · 9
- p003…海西海悉くに靡き從ひ、北陸道も越後より西は皆從ふ、東海道に取つても、既に德川殿と親うなり玉へば、駿河國より西は、無爲に屬す、北條いまだ從はねば、相摸國…
- p003…息相摸守氏直に讓り、自らは截流齋と號し、政務の事に預らず、此氏直と申は、德川殿の聟君にてましませば、關白もさすが速に違犯の罪にも處し難く、大方は事の躰…
- p003…の罪にも處し難く、大方は事の躰に依つて、追討の事あるべきなど聞えければ、德川殿よきに計らせ玉ふに因て、關白の心とけ玉ひ、天正十六年五月、北條の使者、初…
- p003…、天正十六年五月、北條の使者、初て都に上る、この美濃守氏規をさゝれたり、德川殿よりも榊原康政つけて參らせらる、やがて氏政上洛あるべきよしを宣ひながら、…
- p003…の外に攻あぐんて、たゝ遠攻にする事、五箇月にぞ及びける、關白の仰を承り、德川殿の御家人小笠原丹波守、御使として此城に行むかひ、御方の人々の軍するやうを…
- p003…、續く御方なければ、父子終に討死す、かくては此城いつ落つべしとも見えず、德川殿、氏規が許に御使を給ひ、抑關八州の城々悉くに落されぬ、然るに韮山の城のみ…
- p003…て其城早く寄手の爲に、開渡すべきよしを下知せらる、氏規此上はとて、城をば德川殿の御家人內藤三左衞門信成に渡し、德川殿の御陣に參り、東西和睦の事を議す、…
- p003…下知せらる、氏規此上はとて、城をば德川殿の御家人內藤三左衞門信成に渡し、德川殿の御陣に參り、東西和睦の事を議す、殿下氏規が申旨に任せられ、伊豆相摸武藏…
- p004…北條五代記創業記家忠日記夏目が記、並に關白殿、德川殿、氏政父子往來の書翰等に、古き人の物語せし事を、まじへ見るに、北條の亡ひ…
秋元 第六 · 5
- p001…父越中守長朝、主に從て、小田原の城に籠る、北條滅ひし後、彼の領せし國々皆德川殿領し玉ひ、武藏國を御座所と定らる、當國に名ある者なれば、井伊兵部少輔直政…
- p001…、奧の上杉中納言景勝、御退治の爲、御下向ありしに、上方また一時に軍起る、德川殿まづ引返し、上方に向ひ給はんには、上杉御後に打てのぼるべし、此儘景勝を退…
- p001…て、云ひ送る旨ありしかば、奧方の軍兵、白河の關よりこなたに打出る事なく、德川殿御心のまゝに、上方の敵を滅し玉ひ、其後長朝御使として、景勝が許に行向ふ、…
- p001…なされ、豐光寺等と共に下向し、仰の旨を傳ふ景勝やがて領する所の國を獻て、德川殿に見參し、天下忽に事なく治りぬ、これは秋元が先祖上杉の被管にして、しかも…
- p001…ゝる大事の御使を再ひまで承りしこと、身の譽とぞ聞えける、其子但馬守泰朝、大御所に昵近し、松平右衞門大夫正綱と一双の親臣にて、時に御近習出頭人衆とい…
太田 第六 · 5
- p007…三樂は重政の母方の叔父か佐竹家に仕へ、天正十八年北條亡ひし後、始て德川殿に仕へ、明れば十九年奥の御陣に從ひ、文祿元年、肥前國名護屋に趣せ玉ひしに…
- p008…を彼の局の養君と定めらる、されば武庵入道を賴房卿の御外祖とも申なり、此年大御所かくれさせ玉ひしかば、於梶の局、頭おろし、其後賴房卿の御娘を養君とせらる…
- p009…其子資宗父に繼ぎ、上總の野田山本にて五百石の地を領す、駿河の御所に仕へ奉る、慶長十七年の冬、將軍家に附けられ、大坂前後の軍に從ひ、元和元…
- p010…君に立たせ玉はん事を謀る、こゝに資宗が伯母なりける於梶の局は、當時双なき駿河の御所の御寵愛なりければ、此人に附て、此事を訴ふ、大御所も初の程は、女のもの妬…
- p010…の局は、當時双なき駿河の御所の御寵愛なりければ、此人に附て、此事を訴ふ、大御所も初の程は、女のもの妬みして、かく喧く訴ふるにこそあれ、如何で、さる事や…
朽木 第六 · 8
- p001…大に驚き、御方の軍勢をも捨でゝ、朽木谷にかゝつて迯け歸り玉ふに、此時信長德川殿の御加勢を乞れしに依て向はせ玉ひしに、德川殿をも捨てゝ逃げかへられしに、…
- p001…つて迯け歸り玉ふに、此時信長德川殿の御加勢を乞れしに依て向はせ玉ひしに、德川殿をも捨てゝ逃げかへられしに、御軍以の外に大事に及ひしかど、自から御手をお…
- p001…の外に大事に及ひしかど、自から御手をおろされ、敵を打破て御歸ありき、世に德川殿金が崎の退口と申傳へしは此時の御事なり、河内守元綱急ぎ軍兵を催し、御迎の…
- p002…按するに此のち信長德川殿の御前に、松永を召出し、此老人は日本無雙の男、故將軍家を弑し奉り、主の三…
- p002…また南都の佛殿に火を懸く、松永彈正これなり、よく〱見させ玉へと宣ひしに、德川殿歸らせ玉ひ、近く召仕るゝ人に、松永が事、信長の宣ふまでもなし、世の知れる…
- p003…かくて信長に從ひ、秀吉に仕へて、慶長の初に及ひて、關が原の軍起りし時、德川殿に心を寄せしかども、關より西悉く御敵となりしかば、力なく軍勢の催促に從ひ…
- p003…人々と同しく、敵に切て入る前後の敵を防きかね上方の軍忽に敗れてけり、此後德川殿に仕へ、三人の男子、皆召仕はる、大坂の兵起し時、元綱父子、永井右近大夫直…
- p003…井右近大夫直勝が手に屬す、再ひ兵起りし時、仰を承て久良伽利を守らせらる、大御所かくれ玉ひし時に入道して牧齋と號し、年八十四歲にして寛永九年に終りけり、…
柳生 第六 · 3
小堀 第六 · 1
- p001…ふ、一万石にて、備中松山の城を守れり、政一初め豐臣家に仕へて、其後德川殿に召仕はれ、近江國にて一万二千石元和九年、伏見奉行職に補せられ、職…
池田 第七上 · 13
- p006…に、忽に心動きて、秀吉の方人して、いかにもして功を顯さんと思ひしとなり、德川殿は信雄を助けて淸洲の城に至り給ひ、天正十二年三月十七日、御方の人々、まづ…
- p006…陣を取る、同き四月四日、勝入、秀吉の陣に秀吉犬山に陣す行き向つて、德川が勢、日々に馳せ集ると見えて、小牧のかたき、多勢になつて候ふ、今は家康が…
- p006…、德川が勢、日々に馳せ集ると見えて、小牧のかたき、多勢になつて候ふ、今は家康が國々に殘る勢、多からじ、まづ三河の國を襲ひ取て候はんには、一定小牧の敵…
- p006…秀吉よく謀つてこそと答て、入道をば歸さる、明れば五日の朝、入道また來て、家康篠木柏木の鄕人を催し、かの邊に要害を構て、軍勢こむべしと承る、道のほど塞…
- p006…め落し、心よげに首ども實檢して居たるに、後陣に打つたる大將三好が一万騎、德川殿の先陣に打破られ、さん〱に成つて逃げ來る、堀久太郞秀政、追來る敵を待かけ…
- p006…、堀久太郞秀政、追來る敵を待かけて、最先に切て懸る、森も池田も續て懸く、德川殿に出合て堀が軍勢、忽に亂立つて、武藏守長一既に討たれ、池田が勢も破れしか…
- p008…才なれば嫡子武藏守、備前に在て治む、十七年八月十三日、輝政駿河に來て、大御所に見參し廿三日關東に下り、將軍家に參らる、年來の病氣たいらぎし故なり、將…
- p008…釜御馬二匹等なり、御暇を給ひ、廿七日關東を立て、九月二日又駿河に參り、大御所又物を賜ふ事多く、虛堂の筆蹟の掛物、若狭正宗の御刀、歸國の道すがら…
- p008…して參議に任し、明る十八年輝政病再ひ起りて、正月廿五日五十一歲にて卒す、兩御所御使あつて、賻物多く賜りぬ、侍從兼武藏守源利隆朝臣初は玄隆輝政卿の…
- p012…侍從兼左衞門督源忠繼朝臣は、大御所の御外孫、參議輝政の二男、童名は藤松丸、生れて五歲、慶長八年正月六日に、…
- p012…を兼ぬ、是迄は松平十郞と稱す大坂の軍起りし時、軍勢を率ゐ馳向て軍し兩御所の御感を蒙り、御暇給ひ國に歸り、程もなく元和元年二月廿六日、十七歲にて卒…
- p012…月廿六日、十七歲にて卒す、嗣なければ舍弟忠雄家を繼く、參議忠雄朝臣、是も大御所の御外孫輝政の三男、童名藤五郞、七歲にして。忠繼と共に元服し、御家號御諱…
- p015…年九月廿四日四十五歲にて卒す、子息備中守長幸、初め慶長元年、年九歲にして德川殿に見參す、中納言殿より御刀を賜ふ、新藤五父卒して家を繼ぐ、此年の冬…
淺野 第七上 · 21
- p001…万三千石、を領し、其後甲斐の國に移りしといふ同十四年秋、關白の御妹、德川殿に參り給ふ時、長政して送らる、此年德川殿御上洛の時、長政饗應の事を掌りて…
- p001…といふ同十四年秋、關白の御妹、德川殿に參り給ふ時、長政して送らる、此年德川殿御上洛の時、長政饗應の事を掌りて、御旅館に祗候す、是よりして後、德川殿の…
- p001…年德川殿御上洛の時、長政饗應の事を掌りて、御旅館に祗候す、是よりして後、德川殿の申次を承はる、關白島津を伐ち給ふ時は、大隅國に向ひ、北條を亡し給ふ時は…
- p001…此時殿下駿河の國府に至らんとし給ひしに、石田治部少輔三成、御耳に附きて、家康北條に、むすぼゝれたる中なり、如何なる謀やあらんずらん、彼れが城に入り給…
- p001…出す、事顯はるゝに及び、長政其坐に係つて、既に罪科に處せらるべきに極る、德川殿不便の事に思召し、忍びて彼の家に入らせ給ひ、事の由を能く尋ね究められ、長…
- p001…れ、長政罪なき樣を執し給ひしかば、其咎を免さる、こたび首つがれし事、偏に德川殿の御恩に依る所なりと、悅ぶ事あさからず、文祿の初め朝鮮の事起る、同二年六…
- p001…率して、晋州城を攻め落す、今年の冬、大閣朝鮮の軍、はか〲しからぬを怒つて德川殿を初め、宗徒の大名を、名護屋の陣に集め、朝鮮の軍、今のやうならんには、い…
- p001…せ、三道より向ひ、朝鮮を打ち破り、まつすぐに大明に攻め入らん、本朝の事、家康さてましませば、心に懸る所なし、かた〱如何にや思ふと仰せある、德川殿御氣…
- p001…の事、家康さてましませば、心に懸る所なし、かた〱如何にや思ふと仰せある、德川殿御氣色損じて、利家氏鄕等に向ひ、日本の大名、多き中に、かた〲二人撰り出さ…
- p001…れて、一方の大將を賜はらんこと、弓矢取ての面目、何事かこれに過ぎん、抑も家康苟も弓馬の家に生れ、戰の中に年老いぬ、今この大事に及びて、いかで人々の跡…
- p001…て、いかで人々の跡に留つて、徒らに本朝を守り候ひなん、少勢には侍るとも、家康も軍勢をひきゐて、必ず一方の先陣を承るべし、かた〱の御推擧を仰ぐ所に候と…
- p001…べし、かた〱の御推擧を仰ぐ所に候と宣ひしに、彈正少弼長政進出で、暫く候ふ德川殿、殿下この年月の御振舞ひ、昔の御心とや思召す、年經る狐の入り替つて候を、…
- p001…らんには、五畿七道の間、竊盜强盜等、蜂の如くに起りて、やすき心も候まじ、德川殿いかに思ひ給ふとも、如何でこれを防ぎて、動きなく御跡を守り玉ふ事かなふべ…
- p001…く、かゝる所に、肥後の國に逆徒起りぬと、早馬を參らす、太閣大に驚き給ひ、德川殿に御使あつて、長政具して御參りあれと仰せらる、やがて長政めしぐせらる、太…
- p001…ぬ、汝が嫡子左京大夫幸長、追討の使たるべしと仰下さる、長政大に悅びぬ、又德川殿に向ひ給ひ、幸長いまだ年わかし、本多中務少輔忠勝を副て給ふべしと仰…
- p001…十八日大閣薨じ給ひしより、石田等、長政と年頃の遺恨を散ぜんがため、長政が德川殿に罪かうむらん樣を謀る、遂に長政職を去て、おのが國に蟄居す、猶憚りありと…
- p001…閤薨じさせ給ひし後、石田等が父と中不快なるを憤りて、軍せんとしけれども、德川殿の御裁斷にて事鎭りぬ、父長政職を失ひて、甲斐の國に下りけるにも、幸長は都…
- p001…にも、幸長は都に留つて、政所の御所を守護しまゐらせ、奧の景勝御退治のため德川殿、下らせ給ふ時、御跡を慕うて馳せ下る、上方の兵起りしかば、美濃國に馳向ひ…
- p002…秀賴の昵近なりしかど、後に政所の御方に附けられて、都に住す、慶長十五年、大御所、長晟に備中の國にて所領を賜ふ、二万石一說に二万四千石兄幸長が卒し…
- p002…二を獻る、同年閏六月、從四位下に昇る、將軍家の仰を蒙り、元和二年四月七日大御所第三の姫君を迎へまゐらす、御名分明ならず、はじめ蒲生秀行へ參らせ玉ひ…
- p002…九日侍從になされ、同き九年九月三日、四十七歲にして卒す、左少將光晟朝臣は大御所の御外孫長晟の嫡子、父の侍從の家を繼ぎ、三十七万六千五百石餘寛永十…
前田 第七上 · 14
- p002…の權威此人に並ぶ者なし、明る四年の春、豐臣家の奉行等、此人の威を假りて、德川殿を失はんと謀る、利家德川殿と間快からず、細川越中守忠興、利家に親しければ…
- p002…る四年の春、豐臣家の奉行等、此人の威を假りて、德川殿を失はんと謀る、利家德川殿と間快からず、細川越中守忠興、利家に親しければ、此卿が彼等に、たばかられ…
- p002…、たばかられて、家滅さん事を歎き、さま〲に教訓す、利家頓て事の情を察し、德川殿によしみ結ばんとて、我が病を助けて、大坂の城より伏見の御舘に參らる、德川…
- p002…川殿によしみ結ばんとて、我が病を助けて、大坂の城より伏見の御舘に參らる、德川殿も又利家の病、日々に重しと聞召し、彼が大坂の家に至て訪せ給ひしかば、利家…
- p002…御娘を迎へ參らせ、國讓らん事を誓はれしかば、世の疑解けぬ、明る五年の秋、德川殿奧の會津を伐ち給ふ時、利長北國の大將として、既に打立たんとせし所に、上方…
- p002…りければ、利長同國大聖寺の城を攻落し、小松の城に戰て、金澤の城に引返し、德川殿海道を攻め上り給ふと聞て、手合のために、北國より打登り、九月廿日、大津の…
- p002…江沼二郡そへて下し賜る、明れば六年五月十一日、利長の養子犬千代丸元服し、德川殿より御家號賜りて、侍從兼筑前守になされ、同き九月中納言殿の姫君加賀國に下…
- p003…利長關東へ參らるべき由、かねて申されしに、折ふし大御所、關東に渡らせ給ひたり、大納言家、利長を迎へ給はんとて、板橋の驛の邊に御…
- p003…合せ見るに、大やうは違はず、又古き人に、うけたまはる、慶長のころの下文に大御所と利長と連署たりしを見きといふ、されば此度利長見參の事、上下の分定りぬべ…
- p003…たりしを見きといふ、されば此度利長見參の事、上下の分定りぬべき時なれば、大御所の伏見へ上らせ給ひし事も、深き御心ありぬべし、又大納言家の振舞も、いにし…
- p004…利長また伏見に赴きて、大御所へ參り、やがて國に歸らる、同き十年三月、大納言家御上洛あり、これ大將拜賀…
- p004…家御上洛あり、これ大將拜賀の御爲なり、同き四月の初、利長父子伏見に赴き、大御所へ參りて、色々の獻物あり、兩御所物を賜ふ事多し、利長頓て歸國し、子息筑前…
- p004…なり、同き四月の初、利長父子伏見に赴き、大御所へ參りて、色々の獻物あり、兩御所物を賜ふ事多し、利長頓て歸國し、子息筑前守をば、こゝに留めらる、十一年四…
- p007…といふ、此大和守利孝、其世嗣となりしなり、其後利長の母芳春院と申せしが、德川殿へ參られしに、大和守利孝極て母の愛せし子なれば、連れて關東に下らる、關が…
京極 第七上 · 6
- p001…高院殿と申せし御事なり、太閤薨じ給ひし後、慶長四年の春、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんと謀る、伏見の御舘、無碍にあさまなりしかば、高次おのが大津…
- p001…伏見の御舘、無碍にあさまなりしかば、高次おのが大津の城に迎へ奉らんとす、德川殿大に悅ばせ給ひ、井伊侍從して其芳志を感ぜらる、明れば五年の秋、上方の軍起…
- p001…軍起りしに、大坂近き邊りにては、高次獨り關東の方人して、大津城に立籠る、德川殿攻め上らせ給ふ程、今一二日を待ち得ずして、城遂に攻落さる、されば德川殿も…
- p001…、德川殿攻め上らせ給ふ程、今一二日を待ち得ずして、城遂に攻落さる、されば德川殿も高次今暫し城を落されざらんには、近江の國をば賜ふべき者なりと、深く惜ま…
- p001…ほりの事を執し申されければ、やがて事調りぬ、幾程なくして又軍起りければ、大御所猶常高院殿して、東西御和睦の事仰せけれども、秀賴用ゐ給はで、五月七日城落…
- p002…從に任する事覺束なし、家を繼ぎて後、寬永三年八月從四位下に叙し、大御所の御外孫輝政參議の娘に相偶して、男子三人をまうく、年頃眼煩うて承應三年四…
黑田 第七上 · 11
- p001…を爭て訴へ起り、軍奉行の輩、流刑に處せらる、慶長四年の春、秀賴の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、以ての外に騒動す、黑田父子、德川殿の御方…
- p001…行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、以ての外に騒動す、黑田父子、德川殿の御方として、長政宗徒の大名を催し、組みし申す人多かりしかば、戰に及はず…
- p001…徒の大名を催し、組みし申す人多かりしかば、戰に及はず、頓て和睦事成りぬ、德川殿、彼れ父子が志の程を、深く感じさせ給ひ、子息長政を聟君とぞなされける、…
- p001…されける、保科彈正忠正直の娘を養君として、長政に配はせ給ふ、これ即ち德川殿の御外姪なり、ことし五年、東西の軍起る、又長政の計ひにて、御方に參る人…
- p002…軍起りし由、小山の御陣に告け來る、黑田福嶋等の先陣は、宇都宮にあり、まづ大御所より長政を召す長政御使の旨を察して、小山へは參らず、福嶋が陣に行て、上方…
- p002…、大坂に居れば、其心定らず、長政が曰く、秀賴いまだ幼なくまします、如何で內府失ふべしと宣ふべき、是れ石田等が計ひたること明けし、又おことが子刑部少輔…
- p002…をすつるも子をすつるも、人質を捨る事は一定なり、又今の勢ひを以て見るに、內府の勢ひは弱し、上方の勢ひは强し、されば正しきを捨てゝ、邪しまなるに從ひ、…
- p002…方に上るとて、相摸國大磯にて三成が兵起ると聞き引返して小山の御陣に參る、德川殿悅ばせ給ふ事淺からず、鞍おきたる馬賜ひしと見ゆ、これ其家の說なれば、疑ふ…
- p003…屬し奉る、元和九年閏八月四日卒す、年五十六歲、其子侍從兼筑前守忠之、母は大御所の御養女なり、忠之十一歲にして慶長十七年、駿河の國府に參り、十二月十八日…
- p003…の御養女なり、忠之十一歲にして慶長十七年、駿河の國府に參り、十二月十八日大御所の御前にて元服す、此時御刀二腰御鷹御馬等を賜りて歸されたり十八年正…
- p003…に叙す、大坂の兵起りし時、本國に在て身煩ふこと甚し、病を勉めて馳せ上る、兩御所の御感斜ならず、父卒して家をつぎ四十三万二千石餘寛永三年八月…
有馬 第七上 · 5
- p001…御相伴衆の隨一にて、世人三法印と名づく御はなしの衆とも云ふ入道また德川殿にも親しく伺候す、太閤薨じ給ひ、彼の家の奉行等、德川殿失ひ參らせんと、大…
- p001…とも云ふ入道また德川殿にも親しく伺候す、太閤薨じ給ひ、彼の家の奉行等、德川殿失ひ參らせんと、大坂伏見の間、物さわがしかりし時、入道父子常に御舘を守る…
- p001…六万石入道年つもりて八十餘歲、慶長七年七月十七日に卒す、此月十九日大御所御養女を以て、豐氏に配せらる、家忠日記追加に出づ大御所の御甥、長澤松…
- p001…す、此月十九日大御所御養女を以て、豐氏に配せらる、家忠日記追加に出づ大御所の御甥、長澤松平源七郞康忠の娘を養君とし給ひしなり、按るに入道の卒…
- p001…此人將軍家御伽衆と云、子息中務大輔忠賴、初は兵部少輔忠鄕母は大御所の御養女なり、承應四年三月廿日、關東に赴くとて、備前の海上にて卒す、五十…
山內 第七上 · 10
- p003…に移る、時に五万石これ年來の戰功を賞せられし所なり、慶長五年の秋、德川殿奧の景勝中納言、御追討の時、一豐先陣に在て、下野國宇津宮に至る、かゝる所…
- p005…かくて德川殿の御陣に、小山宇都宮に有合ふ大小名召して、人々の心の程を尋ね給ひしに、福…
- p005…し、人質のため召し置るべき者か、此時吉田城は池田輝政の領せし所、此人德川殿の聟君なればかくは云ひしなり、一豐は軍兵を率ゐ、先陣に從つて軍仕るべし…
- p005…ば、滿座の人々一同に、彼が二人の旨に同じて、天下の大事立ところに定りぬ、德川殿大に悅ひ給ひ、一豐が申す旨に任せらる…
- p006…りしかば、一豐常に親みて、家の事大小となく、此人と謀る、上方の軍起りて、德川殿の御陣に召されし時、まづ堀尾が陣に往きて、此度の事如何にや思ふと問ふに、…
- p006…陣に往きて、此度の事如何にや思ふと問ふに、忠氏われは我が城に兵粮つけて、內府へ參らせ、人質をば吉田の城に入れて、自らは先陣して軍せんと思ふといふ、一…
- p007…なりしかば、此年土佐の國を賜ひ、土佐守に任す、入部の後、悅申すのために、大御所に參りし時、土佐の國、租稅の歲額を問はせ給ひしに、凡そ二十萬二千六百斛と…
- p007…り、十年五月十三日、子息伏見に來り、初て將軍家に見參す、對馬守に任じ、大御所の聟君になさる、御姪松平隱岐守定勝の娘を養君となさる此日兩御所より彼…
- p007…任じ、大御所の聟君になさる、御姪松平隱岐守定勝の娘を養君となさる此日兩御所より彼父子に御刀を給ふ、此年九月廿日、一豐卒す六十歲、其子侍從兼土佐守…
- p007…文四年十一月廿四日、七十三歲にて卒す、侍從兼對馬守忠豐、忠義の嫡子、母は大御所の御養女、承應元年從四位下に叙し、父が家讓られ、明暦二年侍從に任じ、寛文…
堀 第七上 · 8
- p003…四十五万石、此內村上九万石、溝口六万石を給ひしと云ふ、同き五年の秋、德川殿上杉中納言を伐たせ給ひし時、秀治北陸道より奧に攻入るべしと仰せ下さる、か…
- p003…、元服して越後守になされ、將軍家の御諱字幷に御家號賜て忠俊と名のり、また大御所の聟君とぞなされける、大御所の御外孫本多美濃守忠政の娘を御養君となさ…
- p003…家の御諱字幷に御家號賜て忠俊と名のり、また大御所の聟君とぞなされける、大御所の御外孫本多美濃守忠政の娘を御養君となされて配せられしなり、こゝに家…
- p003…直寄兄がために讒せられて、越後國を去つて、慶長十四年關東に參りまた駿河の御所に趣き、一封の書を獻て愁訴を陳す、慶長十五年閏二月二日、兩御所直清直寄を…
- p003…りまた駿河の御所に趣き、一封の書を獻て愁訴を陳す、慶長十五年閏二月二日、兩御所直清直寄を駿河に召し、决せらるゝに、舍弟が申す所その理あり、又越後守忠俊…
- p003…ゝに、舍弟が申す所その理あり、又越後守忠俊、書を獻りて、直清が訟を助く、大御所御前の人をして忠俊が書を讀せられ、只一條を聞し召され、幼弱の者いかでかゝ…
- p005…養子として、美作守親良が所領を分ち領す、一万石慶長五年、上洛して、德川殿に仕へ奉り、元和四年六月廿二日三十一歲にして卒す、子孫纔かに家を繼ぐ、…
- p005…十一歲にして卒す、子孫纔かに家を繼ぐ、その子係今は四千石を領す、初め大御所に仕へし時、如何程賜ひしにや、所領減せし事如何なる事ともいまた聞か…
堀 第七上 · 7
- p002…らも太刀打して首を取り、同き三日、四日市の賊を討ち、二百餘人が首を切て、德川殿御父子に參らす御書ども賜て、其功を賞せらる、此功に依て、二万石賜り、合て四万…
- p002…て、關東に參り、將軍家に此由を申し駿河國に上り、一封の書に愁訴を陳じて、大御所に獻る、…
- p004…十五年の春、將軍家駿河に趣かせ給ひ、閏二月二日、両御所、直清直寄兄弟を召し决せらる、兄の直清訴へに負く、越後守忠俊、直清を援け…
- p004…なし、但し初めの四万石も、一万石は太閤より給ひ、一万石は秀治より與へ、大御所より給ひし所二万石、合せて四万石、此度忠俊の國亡ひし上は、太閤秀治よ…
- p004…、此度忠俊の國亡ひし上は、太閤秀治より賜ひし二万石は、自から失せて、大御所より給ひし二万石ばかりを元のまゝに賜ひしにや覺束なし、此年十月九日、…
- p006…十九年の冬、大坂の兵起りしに、大御所の御陣を守り、元和元年の夏、大坂の兵、重ねて起りし時、大和路より向つて、…
- p006…明る七日の戰に、首八十七きつて獻る、松倉豐後守重政と、道明寺の功を爭て、兩御所の御裁斷を仰く同き二年、越後本庄の城に移る、去年の賞とぞ聞えける、今の…
伊達 第七下 · 15
- p010…成實記を見るに、此年六月の比、名護屋の陣にして、德川殿の御家人と、加賀の利家が家人と、忽に軍せんとす、たとへば德川殿の御陣の邊…
- p010…陣にして、德川殿の御家人と、加賀の利家が家人と、忽に軍せんとす、たとへば德川殿の御陣の邊りに、冷かなる泉、流れ出づ、利家の雜兵等來り汲む、水多からざれ…
- p010…は互に二三千人が程、かた手矢はげ槍長刀打物の鞘はづして、左右に立ち分る、德川殿の御内には、本多中務少輔忠勝を初め、宗徒の人々打出て、固く制す、加賀の陣…
- p010…制する者もなかりしかば、狼籍既に起らんとす、政宗が陣、無碍に近く、日比又德川殿にも利家にも親し、されども事出來なんには、德川殿の方人すべしと見えければ…
- p010…が陣、無碍に近く、日比又德川殿にも利家にも親し、されども事出來なんには、德川殿の方人すべしと見えければ、家子郞等ら悉く政宗が陣に集り、今や事起ると待ち…
- p010…と見えければ、家子郞等ら悉く政宗が陣に集り、今や事起ると待ちかゝる所に、德川殿の御內に渡邊服部兩半藏とて、かくれなき足輕大將、鐵砲三百挺餘に火繩かうて…
- p011…き者に語りしを、聞きしと申す老人の申せしは、此度政宗が咎免されし事、偏に德川殿の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせられしに、政宗大きに驚き、…
- p011…の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせられしに、政宗大きに驚き、德川殿に就て愁訴せんとて、伊達上野幷に親しき家子一人添へて、伏見の御館にまゐら…
- p011…て愁訴せんとて、伊達上野幷に親しき家子一人添へて、伏見の御館にまゐらす、德川殿二人の使を御前に召さる、朝やゝ寒き頃なり、御火燵に倚りてまします、二人が…
- p011…より御飯を黃銅の鉢に入て、御火燵の上に置かれしを、陪膳の人とりて參らす、德川殿二人が給る飯、ひえぬらん、これ給れとて、かの御飯を賜り、御菜の地に落ちた…
- p011…等また如何なる奇怪をや仕り出すらんと、安き心も候はぞとて、御使を返しぬ、德川殿も洛中の騷動を聞しめして、大坂に參り給ひ、都にて政宗が家人等を誅せられん…
- p012…太閤薨じ給ひて後、慶長五年の秋、景勝追討の事起る、政宗その手合の爲めに、德川殿に先立つて、本國に馳せ下り、軍勢催して先づ白石の城を攻落し、梁川の城を攻…
- p012…せ下り、軍勢催して先づ白石の城を攻落し、梁川の城を攻んとす、かゝる所に、德川殿の御使來て、石田等退治のため、まづ上方に登りぬべし、政宗在國の軍を止め、…
- p014…給ふ其後池田參議輝政の娘を御養君として、忠宗にぞあはせ給ひける、これ大御所の御外孫なり、又此事は慶長六年の事なり、また政宗の娘をば、上總介…
- p016…りけり、童名は兵五郞時に年僅かに六歲とぞ聞えける、慶長十九年の冬、大御所伊豫の國を賜ふ、十万石寛永三年八月、從四位下に叙し、明曆三年七月廿…
細川 第七下 · 26
- p009…太閣薨じ給ひ、かの家の奉行等、加賀大納言利家を勸めて、德川殿失ひまゐらせんと謀る、忠興が嫡男與一郞忠隆は、大納言の娘を妻としければ、…
- p009…ば、緣故に就て親かりし程に、忠興大納言を固く諫てければ、利家も奉行等まづ內府失うて、其後我をも傾けんとする謀なりけりと悟つて、德川殿の方人せし上は、…
- p009…、利家も奉行等まづ內府失うて、其後我をも傾けんとする謀なりけりと悟つて、德川殿の方人せし上は、事終に平ぎぬ、此賞として、忠興豐後國杵築の城を加へ賜ふ…
- p009…、此賞として、忠興豐後國杵築の城を加へ賜ふ五万石これしかしながら、德川殿の執り申されし故なりけり、…
- p010…人曰く、忠興がかく大納言を謀りし事、偏に利家が家のためのみにあらず、凡は德川殿の御爲とぞ聞えし、其故は、去る文祿年中、關白秀次失はれ給ひし時、忠興も同…
- p010…、かくやあらましと、案じ煩ふに、家のおとななりける松井佐渡申すは、某年頃德川殿の御内なる、本多佐渡守正信に親しく相語うて候、彼に就て德川殿を賴み參らせ…
- p010…すは、某年頃德川殿の御内なる、本多佐渡守正信に親しく相語うて候、彼に就て德川殿を賴み參らせばやと存ず、德川殿はさる賴しき人にて、しかも當時の大名なり、…
- p010…本多佐渡守正信に親しく相語うて候、彼に就て德川殿を賴み參らせばやと存ず、德川殿はさる賴しき人にて、しかも當時の大名なり、如何で是程の事にて、人の家の滅…
- p010…、人の家の滅びんとするを、助け給はぬ事や候べき、と申す、忠興聞て、我日頃內府に親しうもなし、かゝる事賴むべき便りなし、されど汝が正信と親しからん上は…
- p010…上は、試みに汝が心のやうにて計ふべしといふ、松井本多に就て、かくと申す、德川殿此よし聞召され、御前の人々を退けて、松井を近く召し、事の由、重ねて問はせ…
- p010…らる、正信是を考ふるに、二十一年以前、いまだ三河の國に御座ありし時なり、德川殿松井に向はせ給ひ、凡そ金銀は必ず出納の司ある事にて、もし人知れず用ゐんと…
- p010…り難き事こそ候はね、既に絕えなんとせし家、かく再び繼ぎて候ふ事、ひとへに君の御情けに因る所なり、細川が家の候はん限りは、いかで御恩の程、忘れ侍るべ…
- p010…かに本國に申し下し、黃金召し登せて、悉く償ひ參らすべきにて候と申ければ、德川殿いや〱、此事世に漏れなんには、深き兩家の障にこそあんなれ、それ故にこそ、…
- p010…興に申べきにて候とて、御前を立て出にけり、遙に程經て後、忠興其事となく、德川殿に參り、御對面のついでに、正信を呼び出し、德川殿に向ひ申されけるは、去り…
- p010…經て後、忠興其事となく、德川殿に參り、御對面のついでに、正信を呼び出し、德川殿に向ひ申されけるは、去りし比忠興が家人に仰せ下されし事、愼み承りぬ、何事…
- p010…承りぬ、何事のおはします可きにはあらねども、若し御家に事あらん時は、必ず君が爲に、忠興が國を捨て、此度の御情に答へ參らすべきにて候、さりながら、忠…
- p010…後も、元の如く、うと〱しくこそ候べけれとて、御暇申て出てぬ、されば日比は德川殿に親しからぬ忠興が、諫めし故に、利家も只管に、我家の事を思ふなりと心得て…
- p011…慶長五年の秋、奧の上杉、謀反の聞あつて、德川殿御發向の事あり、忠興御跡を慕ひて馳せ下る、此隙を窺ひて、大坂の奉行等、兵…
- p011…事あり、忠興御跡を慕ひて馳せ下る、此隙を窺ひて、大坂の奉行等、兵起して、德川殿失ひまゐらせんと謀る、內府に從て奧に下りし大名等が妻子、一々に取て質とせ…
- p011…下る、此隙を窺ひて、大坂の奉行等、兵起して、德川殿失ひまゐらせんと謀る、內府に從て奧に下りし大名等が妻子、一々に取て質とせば、彼等みな御方に參らんず…
- p011…、家に火かけさせて、自害す、奉行等案に相違し、慾なること仕出し、諸大名を內府の方人になし果せて詮なしとて、是れより後、人質とるべき沙汰に及ばず、此上…
- p012…かば、忠興等先陣承り、又引返して、美濃の國に馳せ上り、手合の軍に打勝ち、德川殿程なく上り給ひ、關が原にして東西の戰を决す、忠興また先軍して、敵の多勢を…
- p012…多勢を打破る、杵築の城を守りたる家人等も、大友が勢と戰て、勝ち軍す、此時德川殿の御爲に、家をも身をも顧みず、御方せし人も取り〱なりけれども、父子兄弟夫…
- p013…んも、口をしとて、妻を出し、やがて入道し休無とぞ號しける、かくて天下悉く德川殿に歸して後、慶長八年の春征夷將軍の宣旨、蒙らせ給ふ、此時忠興、參議に任し…
- p013…國を出でしより、都にのぼり、仁和寺の邊に、幽かなる栖居して、籠り居たり、德川殿、此人に就きてこそ、前代の事をも問ひ、當世の禮をも講ずべけれとて、永井右…
- p015…て卒す、左少將兼越中守忠利、忠興が三男、初め內記と申けり、關が原の合戰に大御所の御側に侍ひ、慶長十年四月五日、侍從從五位下になされ、大坂の軍に從ひ、父…
加藤 第七下 · 11
- p001…に三之亟廣明と記す、系圖に見えねば其名覺束なし、嘉明が父、初め德川殿譜第の御家人たり、一向專修の門徒等が背き參らせし時、これも同しく方人にて…
- p002…を預け給ひしといふは此時の賞にや、程なく太閤薨じ給ひ、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんとして、伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿の御舘に來り守る…
- p002…、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんとして、伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿の御舘に來り守る人少からず、嘉明固より德川殿は、おのが累代の父祖の、主君…
- p002…伏見大坂の間、物さわがしく、德川殿の御舘に來り守る人少からず、嘉明固より德川殿は、おのが累代の父祖の、主君にてましませば、二心なき御方にて候ひしかば、…
- p002…おのが累代の父祖の、主君にてましませば、二心なき御方にて候ひしかば、當時此殿を失ひ參らせんには、宗徒の大名十人あまりは、打死せんと思ひ定る者、なから…
- p002…今かく心を一つには合すべき、さらば何條の事かあらんとて、ちつとも騒がず、德川殿に參て、何となく世の中もの騷しく候なり、さりながら、嘉明は何事かあるべき…
- p002…く無事にぞ屬しける、明れば慶長五年の秋、東西の軍一時に起る、嘉明初めより德川殿に從つて、東國に向ふ、御方の人々と同じく引返して上方に向ふ、海道先陣の大…
- p002…守殿を向けられ、井伊本多軍奉行を承る、先陣の人々、尾張國清洲の城に集て、德川殿上らせ給ふを待つ、かゝる所に御使として、村越茂助、馳上る、人々村越に向て…
- p002…、兎角ためらふ程に、程なく守殿馳せ付かせ給ひてこそ、城をば遂に降しけれ、兩御所、嘉明が人々を催して、岐阜城を攻め、又守殿を待て城を落せし事を、深く悅せ…
- p002…此事悅せ給て大相國家の賜りし御消息、今も其家に在りといふ也、かくて程なく德川殿馳せ上らせ給ひて、九月十五日、美濃國關が原にして、東西の戰を決せらる、此…
- p006…明成の室は保科彈正忠忠直の女にて、大御所の御外姪なるを、大相國家の仰として尾張大納言義直卿の御養君として、配せ給…
藤堂 第七下 · 19
- p001…々、大坂の奉行等と、本朝の軍勢を返さるべきよしを議して、其使を選らばる、德川殿この高虎に若く者あるべからずと仰せられしかば、衆議もまた一決して、高虎御…
- p001…べからずと仰せられしかば、衆議もまた一決して、高虎御使の事を承る、さても德川殿高虎その任に當れる事を知召されしは、むかし初て御上洛ありし時、關白悅ひ給…
- p001…を御旅館と定めらる、高虎其家人たりしかば、御儲の事共を承る、關白殿此後も德川殿をり〱の上洛はありなん、されば御館なくしても叶ふべからず、聚樂の地を點し…
- p001…を司りしより、日々に親しう伺候せしかば、彼れが心の底も能く知召し、彼れ又德川殿の御情に感じ奉る事も多りき、かくて我が朝の諸軍勢、事ゆゑなく歸朝し、幾程…
- p001…て我が朝の諸軍勢、事ゆゑなく歸朝し、幾程なく、大坂の奉行等、密かに謀て、德川殿失ひ參らせんとす、高虎是を聞て、急ぎ伏見の御舘に參り、此由を告申し、また…
- p001…げ申す、關が原の戰には先陣に在つて、松尾の山に向ふ、凡そこの年月、彼れは德川殿に大忠の者なりければ、此年慶長五年十一月、彼の本國にして、餘多の地加へ賜…
- p001…月、彼の本國にして、餘多の地加へ賜ふ、元は八万石とも七万石とも申なり、德川殿の御恩からふりて廿万石を領す、此後和泉守になさる、何時の頃にや、同き…
- p001…冬、富田信濃守知信、罪せられて、伊豫の國宇和島の城、收公せらる、同き十月大御所、高虎を關東に召して、富田が領せし所、當年の所務の事、汝が沙汰に任すべき…
- p001…引具し、大和路より向て城を攻む、城中より高虎が返り忠の事漏れ聞えしかど、大御所更に疑はせ給はず、常に高虎を御陣に召して、軍の評定に預る、高虎粮米一万斛…
- p001…とて、凡そ黃金一千枚を以て法馬一つに造らせて、多く積み貯へ給ひし所なり、大御所此法馬二つを高虎に賜ふ、閏六月十九日に、從四位下にのぼせられ、七月廿日伊…
- p002…の少きなるを憤り思ふべけれども、誠は西國の內にして、大國一つ賜ふべき由、兩御所の仰ありしに、正信止め申せしなり、正信申せしは、高虎が年頃の功、忘れ給は…
- p002…ん事のみを謀り給はんには、如何なる大國をも賜るべくや侍らんと申せしかば、兩御所誠に汝が申す所ことわりなりけりとて、賞はかく輕かりき、相構へて、兩御所の…
- p002…、兩御所誠に汝が申す所ことわりなりけりとて、賞はかく輕かりき、相構へて、兩御所の深き御惠み忘れ給ふなといひしかば、高虎感涙を催して、有難き事に思ひける…
- p003…此人ひとり大御所の御覺よきのみにあらず、將軍家も賴しき者に思召し、大御所に仰せらるべき事…
- p003…此人ひとり大御所の御覺よきのみにあらず、將軍家も賴しき者に思召し、大御所に仰せらるべき事など、高虎して仰せらるゝ事共ありしとぞ聞えし、常に御前近…
- p004…初め大御所薨し賜ひし後、駿河國久能の御社を、下野國日光山に遷さる、彼所は猶程隔りぬ…
- p004…の便りならざるが爲に、紅葉山の地をトして御社造らる、高虎思ひけるは、抑も大御所は、當代の太祖にて、世々の兵亂を攘つて、再び天下の泰平を致し給へば、凡そ…
- p004…ざるが爲に、紅葉山の地をトして御社造らる、高虎思ひけるは、抑も大御所は、當代の太祖にて、世々の兵亂を攘つて、再び天下の泰平を致し給へば、凡そ天下の士民、誰…
- p005…日に卒しけり、左少將高次、高虎が男、初め幼けなかりし時、伏見の御舘にて、大御所の見參に入り、慶長十一年正月廿八日、關東に參て、將軍家に見參し、元和二年…
森 第七下 · 4
- p001…す、長一同く秀吉の方人して、三月十七日、尾張國犬山の邊羽黑といふ所にて、德川殿の先陣酒井左衞門尉忠次等と戰て、散々に打なさる、長一口惜しき事に思て、速…
- p001…に移る、十二万石太閤薨じ給ひし後、大坂の奉行等、窃かに軍勢を催し、德川殿のまします伏見の御舘を襲はんとす、德川殿の方にも、餘多の大名、馳集て御館…
- p001…大坂の奉行等、窃かに軍勢を催し、德川殿のまします伏見の御舘を襲はんとす、德川殿の方にも、餘多の大名、馳集て御館を守護し參らせんとす、斯ては中々世の騷ぎ…
- p001…人々をば歸さる、忠政一人、人々に後れ、遠侍に伺候して、己が舘には歸らず、德川殿此由を聞召し、重ねて御對面あつて、其志を感じ給ふ事淺からず、程なく東西の…
毛利 第八上 · 20
- p006…き、同き四年の春、大坂の奉行等、利家秀家輝元等を初め、宗徒の大名勸めて、德川殿失はんとせしかども、事ならずして、石田三成、職を去つて、己が所領に引き籠…
- p006…三成、職を去つて、己が所領に引き籠る、明れば五年の二月、輝元おのが館に、德川殿を請じ參らせ、兩家兄弟の好みをなすべきよし、起請文を書て獻る、毛利の家に…
- p006…つの刀あり、千鳥をば太閤へ參らせて、荒波ばかりぞ殘つたる、此日かの荒波を德川殿に奉り、頓て本國に下向す、此年の夏、德川殿、奧の上杉、退治のため、御發向…
- p006…かりぞ殘つたる、此日かの荒波を德川殿に奉り、頓て本國に下向す、此年の夏、德川殿、奧の上杉、退治のため、御發向ありしかば、輝元、吉川安國寺等を大將として…
- p006…はれ、輝元を、とかく勸めて上方の大將軍となし立てゝ、大坂の城に迎へ入れ、德川殿失ふべしとぞ議したりける、輝元が養子秀元を大將とし、吉川安國寺に多勢附け…
- p006…、毛利が軍勢、此由を聞て、これも同しく美濃國に向ひ、南宮の山に陣取たり、德川殿程なく上り給ひ、軍旣に明日に極る、吉川駿河守廣家、忽に心がはりし、密かに…
- p006…程なく上り給ひ、軍旣に明日に極る、吉川駿河守廣家、忽に心がはりし、密かに德川殿の御陣に、人質を參らせ、毛利が家、亡されざらんには、廣家御方にまゐるべき…
- p006…質を參らせ、毛利が家、亡されざらんには、廣家御方にまゐるべきよしを申す、德川殿この由を聞召し、まづ人質をば返へされたり、かくて關が原の合戰、上方の軍勢…
- p006…合戰、上方の軍勢、悉くに敗れ、安國寺が勢、一支へもなく逃け散り、吉川また德川殿の御陣に參る、秀元今は戰ふに及ばず、大坂に引返す、東國の軍勢、續て攻め上…
- p006…、大坂の城を去り、木津の別業に遁れ、入道して、降人になつてぞまゐりける、德川殿累代の家、一時に亡ひん事、不便の事なりとて、周防長門を賜て、其餘の國々悉…
- p006…に叙爵して、長門守に任ず、同き五年十月十一日に侍從になされ、十三年六月、大御所の御孫女三河守殿の御娘、秀就の家に入り給ふ、大坂の軍、起りし時、秀元秀就…
- p007…、公卿補任を見るに、秀元參議從四位下たる事は、慶長九年に見ゑたれば、德川殿天下を知召して後の事か、覺束なし、歸朝の後、太閤の聟君には、なされて…
- p007…ければ、渡海に及ばず、幾程なく輝元、石田三成に、かたらはれて大坂に上り、德川殿を失ひ參らせんとす、秀元大に驚き、輝元を諫めて、秀賴いまだ幼なくまします…
- p007…らせんとす、秀元大に驚き、輝元を諫めて、秀賴いまだ幼なくまします、如何で內府を善しとも惡しとも思ひ分ち給ふべき、殊に君は近頃內府と親しうならんとて、…
- p007…なくまします、如何で內府を善しとも惡しとも思ひ分ち給ふべき、殊に君は近頃內府と親しうならんとて、誓ひを結び給ひしとこそ承るれ、それに幾程もなく、其誓…
- p007…て、東國に攻め下り給ふべし、秀元先陣仕らん、秀賴自ら向ひ給ふと聞えなば、內府に從ひて奧に下りし人々、みな御陣へぞ參らんずらん、さらんに於ては、などか…
- p007…て戰はず、上方の軍、悉くに敗れ、南宮の味方、一支もなく逃げ散り、吉川また德川殿に參りしかば、秀元戰ふに堪へず、東國の多勢を押分け〱大坂に歸る、輝元大に…
- p007…の公役、免除せらる、これ當時城普請等の事なり、秀元の妻、失せし後、大御所の御養君、かの家に入らせ給ひけり松平因幡守康元の女也大坂の軍起りし…
- p007…、秀元秀就、關東に侍ひしを、御跡に留めらる、秀元、水野監物忠元に就きて、大御所に訴ふるは、秀元忝けなくも、御養女を下されて、妻とし、秀就また御孫女を迎…
- p007…ん、あはれ御許を蒙り、秀就を引具し馳せ向て、一方の先陣を賜らばやと望む、大御所、伏見の御陣にて、此由を聞召し、頓て二人を召されたり、東西御和睦ありし後…
嶋津 第八上 · 12
- p003…べからずと、皆人危み思ひしに、義弘一戰の功に依て、軍全うして、事終りぬ、德川殿豐臣家の奉行と議せられ、其勳功の賞として、慶長四年正月九日義弘所領の地を…
- p003…守忠恒、伏見の館にして、これを誅す、幸侃が郞等、既に軍せんと、ひしめく、德川殿、忠恒が許に、御使あつて、御加勢賜はるべきよしを仰せ下さる、家人とは申せ…
- p003…恣に討つて、都のさわぎ仕出しければ、忠恒其咎を憚りて、高雄の麓に蟄居す、德川殿豐臣家の奉行等に仰せらるゝ旨あつて、忠恒その咎を免かる、德川殿頓て數十騎…
- p003…に蟄居す、德川殿豐臣家の奉行等に仰せらるゝ旨あつて、忠恒その咎を免かる、德川殿頓て數十騎の兵して、忠恒を伏見の家に迎へ入れ給ひ、忠恒本國に還る事を得た…
- p003…を聞て、日向國庄内の城に立籠り、要害あまた構て、主の嶋津と戰ふ、同七月、德川殿山口勘兵衞尉直友を御使にて、鏃二千暑衣百領、忠恒に賜りて軍のやうを問はせ…
- p003…て後頓死せしと見えたり、豐久は家久が子なり、入道希有にして死を出て、德川殿の御陣に、郞等河上四郞兵衞忠允を參らせ、此度義弘思はずも、御敵と成て候こ…
- p003…て加藤黑田に向つて軍せず、福嶋左衞門大夫正則に就て訴へけるは、義久初より德川殿に、二心を存せず、舍弟兵庫入道が所行、甚以て奇怪の至なり、義弘本國に逃れ…
- p003…ば、彼れ退治のために來ることを果さず、此年十二月廿八日、忠恒伏見に來て、大御所に見參す、十一年九月朔日、忠恒再ひ伏見に來て、大御所に見參す、此日御家號…
- p003…日、忠恒伏見に來て、大御所に見參す、十一年九月朔日、忠恒再ひ伏見に來て、大御所に見參す、此日御家號御諱字賜て、家久と名のる、家忠日記追加に出づ、○太…
- p003…を打破る、同き三日、中山王を生捕りて、本國に歸り、此由を注進す、七月七日大御所、御致書をなされて、彼國を家久に賜ひ、將軍家、又義久義弘家久に御致書を賜…
- p003…其功を賞せらる、明れば十五年八月八日、家久、中山王を具して、駿河に來り、大御所に見參し、夫より關東に趣き、同月廿八日將軍家に參る同十六年十二月十九日、…
- p005…久は、朝鮮海路の戰に討死す、二男重時は、入來院が家を繼き三男右馬頭忠興、將軍家に召仕はれ、日向國佐土原の地を分ち領す、其子右馬頭久雄、五歲にして父に繼…佐土原 분봉(慶長8) 시점. 미확인
鍋島 第八上 · 16
- p006…人、同じく朝鮮の軍奉行を承る、太閤薨じ給ひ、朝鮮の事終り、大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の間、物さわがしく、既に軍起らんとす、直茂最初…
- p006…て、大坂伏見の間、物さわがしく、既に軍起らんとす、直茂最初に伏見に來て、德川殿の御舘を守護す、德川殿悅び給ふこと、淺からず、直茂申けるは、このたびの事…
- p006…わがしく、既に軍起らんとす、直茂最初に伏見に來て、德川殿の御舘を守護す、德川殿悅び給ふこと、淺からず、直茂申けるは、このたびの事は、さておきぬ、直茂が…
- p006…に仰せ傳へられ給はらんには、直茂が幸、何事かこれに過ぎ候べきと望みければ德川殿大に感じ給ひ、中納言にも、其旨を申傳ふべき所なりとぞ仰せける、明れば慶長…
- p006…東國下向の軍勢を押止む、大坂の奉行等、秀賴の仰として書を勝茂に送て、抑も內府自らの家建ん事を謀りて、やゝもすれば太閤の遺命に背き、檀に兵を起し、終に…
- p006…國寺惠瓊、また來て、秀賴の仰を傳ふる事、これに同じ、勝茂此由を聞て、勝茂內府に從つて軍せんと思ふも、秀賴の命を重んずるが故なり、如何で違命の人の方人…
- p006…の如何で此御結構やあるべき、これ偏に彼の奉行等が、私の仇を報せんがため、内府失ひ參らせんとする所なり、我かねて內府と誓ひ申す旨あり、相構へて、ひが事…
- p006…の奉行等が、私の仇を報せんがため、内府失ひ參らせんとする所なり、我かねて內府と誓ひ申す旨あり、相構へて、ひが事して、東國の御勢に向ひ、弓を引き矢をは…
- p006…き矢をはぐべからず、兼ては又故太閤の仰せ置れし如く、秀賴君に背き奉らず、内府の命を重んずべき所なりと制しければ、勝茂又大に驚き、我年いまだ若くして、…
- p006…心に背きし事、返す〱も無念なり、いま先非を悔ゆるとも及ぶべからず、此上は內府の御使こうて、速かに腹を切り、父の罪、かうふらせ給はぬ樣をこそ謀るべけれ…
- p006…これを聞きて、御自害の事、猶遲きにあらず、一まづ此旨を以て陳し給はんに、德川殿御許しなからんに至ては、とにもかくにも御心に任せらるべうもや候ふ、君はい…
- p006…かくにも御心に任せらるべうもや候ふ、君はいまだ御年廿一歲にならせ給へば、德川殿、直茂の御契を思召し出されなば、如何で寬宥の御沙汰もなかるべきとて、甲斐…
- p006…思召し出されなば、如何で寬宥の御沙汰もなかるべきとて、甲斐彌左衞門尉を、德川殿の御陣に參らせて、此由を陳す、爰にまた勝茂が親しう召使ひし久納市右衞門尉…
- p006…長政久納が志の程を感じ、井伊兵部少輔直政と相議りて、此由をかくと申す、德川殿聞召し、家康彼が父直茂と約せし事あり、如何で其約に違はんやとて、立所に罪…
- p006…の程を感じ、井伊兵部少輔直政と相議りて、此由をかくと申す、德川殿聞召し、家康彼が父直茂と約せし事あり、如何で其約に違はんやとて、立所に罪ゆるされ、勝…
- p006…乞ひぬれば、戰ふに及ばず引返へす、鍋嶋父子、柳川にて打取る所の首六百餘、德川殿に參らせければ、御書を賜て、其功を賞せられし上は、本領の安堵はいふに及は…
蜂須賀 第八上 · 5
- p006…時、鍋嶋安國寺と三人、同じく軍の奉行を承る、太閤薨じ給ひ、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝御退治のため、御下向ありしには、家政が嫡子長門守至鎭御跡を慕ひ…
- p006…破り〱城を攻め、おのが陣に、夜討うち入りしに、手の者に下知して能く戰ふ、大御所、蓬庵に御致書を賜りて、子息が功を賞し給ふ、程なく東西和睦の後、今年十二…
- p006…致書を賜りて、子息が功を賞し給ふ、程なく東西和睦の後、今年十二月廿四日、大御所、阿波守を召て、此度の功を賞し給ひ、彼の家從等の高名せし輩に、御致書をな…
- p007…慶長十九年十一月廿九日、大御所、至鎭を大坂の御陣に召されて、汝の嫡子、衣の紐おとさんころまで、家康、親…
- p007…、大御所、至鎭を大坂の御陣に召されて、汝の嫡子、衣の紐おとさんころまで、家康、親になるべしと仰ありて、召されし御帶を賜ひ、又千松丸が許に御使を下され…
上杉 第八下 · 10
- p013…洛し、今年七月、關白に任し給ひけり、此月、信濃の國の住人眞田安房守昌幸、德川殿に背き、二男源次郞を質として、景勝に加勢を乞ふ、景勝源次郞に所領を賜ふ…
- p013…、我身は九千の勢を率し、小野山に陣取る、此處彼處、勢配りして、敵を待つ、德川殿の御勢、利なくして、終に引返せば、越後の勢も歸りけり、同き冬、木村又關白…
- p019…に、皆景勝が下知かうむる由を、陳じたり、斯ては世の亂れ、近にありぬとて、德川殿、御使を下されて、諫め給ふこと、度々に及びしかど、景勝終に隨はず既にして…
- p019…國々より、早馬を參らせければ、さらば速に退治あるべしとて、慶長五年の秋、德川殿、奧に向はせ給ひしに、石田治部少輔三成が計ひにて、秀賴の御催促として、山…
- p019…が計ひにて、秀賴の御催促として、山陽山陰南海西海の軍勢、大坂に馳せ集り、德川殿失ひまるらせんとす、德川殿御父子、先づ東國の軍を止め、下野國より引返し、…
- p019…して、山陽山陰南海西海の軍勢、大坂に馳せ集り、德川殿失ひまるらせんとす、德川殿御父子、先づ東國の軍を止め、下野國より引返し、海道山道二手に分て、攻め上らせ給…
- p020…景勝德川殿に參ること、世に多く傳ふる所は、慶長六年七月廿四日とも、八月廿四日とも申…
- p021…德川殿御對面の後、長井信夫等の郡を賜て、會津仙道庄内の地、收公せらる、景勝此…
- p021…江に賜ひしと云ふ、大坂の軍起りし時、將軍家の先陣して、馳せ向ひ戰ひて、兩御所の御感に預り、家人等多く勸賞を蒙る、杉原常陸介、須田大炊助、銕孫左衞門…
- p021…、鴫野の戰に高名して、御敎書幷に物を賜ふこと差なり再び軍起りしには、兩御所、景勝を二條の御陣に召され、帝都を守護し奉れとて、御跡に止められ、八幡に…
佐竹 第八下 · 8
- p001…、大坂に馳せ來り、三成を迎ひつゝ、伏見の家に伴ひけり、其後慶長五年の秋、德川殿、奧の上杉討れんとて、御下向ありし時、義宣かねて三成と謀を通はして、御使…
- p001…けれども、參らず、自ら四萬餘騎を隨へ、石那坂を打過き、多賀の郡に陣取て、德川殿奧に向ひ給ひ、戰ひ半ならん時、御後より押寄せ、襲ひ參らせんとぞ謀りける、…
- p001…せ、襲ひ參らせんとぞ謀りける、斯る所に、石田等が兵、起りぬと聞えしかば、德川殿まづ東國の軍をば、止められ、下野國より引返し、上方に向て、攻め上らせ給ひ…
- p001…ふ、是は奧方の御敵、御追討の爲と聞えしかば、義重大に恐れ、頓て國を立て、大御所に參るとて、武藏の神奈川の宿にして、大納言殿に參りあひ、家滅びざらん樣を…
- p001…納言殿に參りあひ、家滅びざらん樣を歎き申す、さらば先づ伏見に向ひて、其由大御所に申し給へと、ありければ、伏見に參る、大御所も、老たる父が歎き申所哀れに…
- p001…さらば先づ伏見に向ひて、其由大御所に申し給へと、ありければ、伏見に參る、大御所も、老たる父が歎き申所哀れにや思召されけん、させる御咎めもなし、同き七年…
- p001…く、奧に下らんとはし給ふらんと云ひければ、義宣當時日本六十餘州が其中に、德川殿に隨はぬ者、一人もなし、我國の勢を以て、天下の敵とならんこと、いかにして…
- p001…、大坂の軍起りし時、義宣、將軍家の先陣、打て馳せ上り、今福の堤に戰ひて、兩御所の御感に預り、家人等まで、其賞を賜る、梅澤半右衞門、大塚九郞兵衞、黑澤…
岩城 第八下 · 1
- p001…流とはなりしか、是も實は藤氏なるへし慶長五年の秋、兄の佐竹と同じく、德川殿の御方に參らざりしかば、同き七年五月八日、所領の地収公せられて、岩城の…
秋田 第八下 · 2
相馬 第八下 · 5
- p003…義胤、父が讓を受て、豐臣太閤家に隨ひ參らせ、本領を安堵す、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝中納言を征伐あるべしとて、諸國の軍勢を催さる、岩城相馬の人々は…
- p003…城相馬の人々は、年頃佐竹と好み深ければ、內々は上杉石田等と謀を通はして、德川殿の催促に隨はず、程なく天下悉くに德川殿に歸しぬれば、義胤罪蒙りて、所領沒…
- p003…、內々は上杉石田等と謀を通はして、德川殿の催促に隨はず、程なく天下悉くに德川殿に歸しぬれば、義胤罪蒙りて、所領沒收せらる、同き九年七月十七日、右大將家…
- p004…常陸の國を經て、岩城と相馬との境に至て、先づ相馬が許に、使者を立て、此度德川殿、上杉を征伐し給ふに因て、政宗搦手より向ふべき由を承りぬ、路次既に塞りて…
- p004…事終り、天下悉く平きて、相馬既に世帶を沒收せられ、家亡ぶべきに極る、政宗德川殿に訴へ申けるは、相馬は只だにも、政宗が年頃の敵なり、夫に上杉石田等に與み…
丹羽 第八下 · 12
- p003…なく物騒しく、明る四年の冬、加賀中納言利長、在國し謀叛の企ありと聞えて、德川殿向はせ給ふと云ひ罵る、加賀守長重德川殿に參りて風聞の如きは、利長御退治の…
- p003…利長、在國し謀叛の企ありと聞えて、德川殿向はせ給ふと云ひ罵る、加賀守長重德川殿に參りて風聞の如きは、利長御退治の事定て日近きにあらんか、さらんに於ては…
- p003…、結ぼうれたる中なるが、公儀の爲に私の睦を顧みず、先陣を望み申されし事、德川殿の御感斜ならず、御刀をぞ引かれける、吉光利長の謀、叛、形もなき虛言…
- p003…五年の秋、大坂の奉行等軍起せし時、中納言利長、長重の許に使立て、利長此度內府の方人して、上方に攻め上らんとす、和君も與みし給はんには、同く打立ち給ふ…
- p003…準ふるに十が一つにや及ぶべき、されば彼家の恩かうむつたる身にもあらず、又內府へも親しうも疎うもなし、東西の間いづれの方人すべしとも覺えず、但し利長の…
- p003…んに因て、此度の戰功につのりて、父が領せし國なれば、越前の國賜らんには、內府の爲に一方を討ち破つて參らすべきにて候と申されしかば、利長重て仰せ承りぬ…
- p003…べきにて候と申されしかば、利長重て仰せ承りぬ、越前の國賜らせ給はん事は、內府の旨に在るべければ、利長かねて定め申難きか、彼家の爲に戰功を致し給はんに…
- p003…て引て歸る、敵の能登の國へ廻ると聞えしは詐にて、美濃國の戰ひ味方勝軍し、德川殿御父子馳せ上らせ給ふなり、利長も急き攻め上るべしとありければ、利長長重と中直り…
- p003…替し夜を日に繼て馳せ上るに、關が原の戰ひ事終りて、近江國大津の宿にして、德川殿に參り會ふ、此度天下一統して、功罪を糺明あつて賞罸を沙汰せらる、長重陳じ…
- p004…も、此よしみ忘れさせ給ふまじき由を、固く誓ひ給ひし事ありき、此由を密かに大御所に申せし人ありしかば、其事となく打過させ給ひしとなり、其事大御所に申せし…
- p004…を密かに大御所に申せし人ありしかば、其事となく打過させ給ひしとなり、其事大御所に申せし人は、土井大炊頭利勝とも又本多佐渡守正信とも申すなり、同き八年十…
- p004…、土井大炊頭利勝とも又本多佐渡守正信とも申すなり、同き八年十一月廿七日、將軍家より常陸國古渡の庄を賜る、一万石大坂前後の軍に將軍家に隨ひ奉る、元…
立花 第八下 · 2
土方 第八下 · 8
- p002…る慶長四年の秋、淺野彈正少弼長政が計らひにて、雄久大野修理亮治長と共に、德川殿さし殺し參らせんと結搆すと申す者ありしかば、如何なる罪にも行はるべかりし…
- p002…殺し參らせんと結搆すと申す者ありしかば、如何なる罪にも行はるべかりしに、德川殿寬宥の御沙汰あつて長政己が國に籠居し、雄久治長、流されて大名に預けらる、…
- p002…けらる、土方は佐竹に大野は結城殿に同き五年の秋、東西一時に軍起る、德川殿雄久を小山の御陣に召し、御使にさゝれて、加賀國に馳せ向ふ、此れは中納言利…
- p002…の御陣に來りて見參に入る、雄久が御使の賞、行はるべしとぞ聞えければ、或人德川殿を諫め參らせて、抑も彼の雄久が、初め君を失ひ申さんとせし罪、輕からず夫れ…
- p002…たるにや候と申けるに、汝が申所、理あるに似たり、さりながら彼等が初の謀、家康に私の仇を搆ふるにあらず、偏に秀賴の爲に忠を致さんと思ふにあり、古の人は…
- p002…して此度の騷亂に、雄久我が爲に使して、北陸を鎭め、治長又關が原の先駈す、家康に功なしといふべからず、如何で其賞なかるべきとて、遂に所領を賜ひけり、…
- p003…、一說に、初め伊勢の地一萬石賜ひ、加賀の利長も一萬石の地與ひられき、是れ德川殿內々の仰ありし故なりとも云ふ、子息等が分ち領せし所を以て見れば、雄久が所…
- p005…掃部頭源雄重は、河内守雄久が二男、慶長九年年九歲にて關原に參り、將軍家に近仕し、父が遺領分ち賜ふ、大坂前後の戰に從ひ、首八つを献り、元和八年九…慶長9 시점 쇼군
眞田 第九上 · 30
- p003…上杉が少勢あなどり憎しとや思ひけん、北條爰より引返し、甲斐の國に打入て、德川殿と戰ふ、今年七月の半より、十一月に至るまで、大小の戰七十餘度、北條一度も…
- p003…七月の半より、十一月に至るまで、大小の戰七十餘度、北條一度も利なくして、德川殿に、中直りし、相摸國に引返さる、眞田は軍半より、又北條に背き、德川殿に從…
- p003…て、德川殿に、中直りし、相摸國に引返さる、眞田は軍半より、又北條に背き、德川殿に從ひ、本領安堵して、上野國沼田の城を始とし、城八箇所攻取て、此年十二…
- p003…子源三郞信幸に、沼田の城をぞ守らせける、即ち伊豆守なり同き十二年、德川殿北畠を助けて、伊勢と尾張との際にて、秀吉と戰ひ、敵の勢十万餘騎、僅なる御…
- p003…勢と尾張との際にて、秀吉と戰ひ、敵の勢十万餘騎、僅なる御勢にかけ負け、德川殿の御勢八千人と申也是も一度の利なくして、秀吉終に北畠と中直りす、此時…
- p003…申也是も一度の利なくして、秀吉終に北畠と中直りす、此時、北條約に背き、德川殿に加勢參らせず、明れば十三年の春、北條德川殿に使たて、抑むかし兩家のよし…
- p003…直りす、此時、北條約に背き、德川殿に加勢參らせず、明れば十三年の春、北條德川殿に使たて、抑むかし兩家のよしみ結ひし時、武田が領せし國々を分ちて、甲斐信…
- p003…たて、抑むかし兩家のよしみ結ひし時、武田が領せし國々を分ちて、甲斐信濃は德川殿、上野は氏直領せんと約し訖んぬ夫に信濃の眞田が、上野に亂れ入て、沼田の庄…
- p003…戰ひ給はん時、八州の軍勢を催し、御勢を助け參らすべきにて候とぞ宣ひける、德川殿此由を聞し召し、さらば眞田沼田の城を去て、北條に附け與ふべしと下知し給ふ…
- p003…しと下知し給ふ、昌幸承り、この沼田の城と申すは、故主武田殿も賜はらず、又德川殿よりも賜はらず、昌幸が自らの武勇に依りて、攻め取つたる所なり、如何でたや…
- p003…りしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、又景勝を賴むこと、よく〱せん方や無るら…
- p003…聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て、寄る方なく、又景勝を賴むこと、よく〱せん方や無るらん、凡そ亂れた…
- p003…今彼が前惡を憎て、此急難を救はずんば、かれ忽に亡びなん事も、不便なり、又家康が武勇に恐れて、景勝事を左右に寄せ、眞田見捨てたりと云はれんも、口惜しき…
- p003…、藤田能登守を大將にて、越後の勢千三百人、猿馬塲の此方に陣を取る、去程に德川殿の御勢、近付きぬと聞えしかば、昌幸まづ越後の軍勢を、上田の城に籠置て、我…
- p003…、又北條の軍勢、沼田の城を攻めたりしが、嫡子信幸、戰て寄手の勢を打破る、德川殿の御勢、利なくして、上田の城より引返せば、越後國の軍勢も、本國にぞ歸りけ…
- p003…、此年關白家、勅命を傳へて、北條父子、參內の事を催さる、氏政氏直、むかし德川殿と約せし條を述て、上野國沼田の城を賜てこそ、上洛には及べけれと、望み申さ…
- p003…ふべき樣ありとて、まづ眞田して、沼田の城を去らしめ、かの城に替へん地は、德川殿より宛て行はるべき由を仰せらる、德川殿聞召し、信濃國の御領にて、沼田に換…
- p003…城を去らしめ、かの城に替へん地は、德川殿より宛て行はるべき由を仰せらる、德川殿聞召し、信濃國の御領にて、沼田に換ふべき所をば、眞田にぞたぶたりける、氏…
- p005…北條亡ひし年、德川殿關東に移り給ひ、上野の國は御領となり、信濃國をば、關白家へ參らせらる、東…
- p005…となり、信濃國をば、關白家へ參らせらる、東國にて、眞田に賜ひし地の代り、德川殿又候ふ沙汰あるべしとありければ、元の沼田の地、眞田に返し與へらる、嫡子源…
- p005…し與へらる、嫡子源三郞信幸、初より此所を領せしに依て再ひ沼田の城に移り、德川殿の御被官となりぬ、昌幸が上田の城、初より德川殿の御領の外なれば、元の儘に…
- p005…に依て再ひ沼田の城に移り、德川殿の御被官となりぬ、昌幸が上田の城、初より德川殿の御領の外なれば、元の儘にぞ賜ひける、其後源三郞信幸、叙爵して、伊豆守に…
- p005…任じ、本多美濃守忠政が娘を妻とす、忠政か妻は岡崎殿の御娘なれば、信幸德川殿の御曾孫婿と成れるなり、源次郞幸村も、左衞門佐になされて、大谷の婿と成…
- p005…なり、源次郞幸村も、左衞門佐になされて、大谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討たるべしとて、御下向あり、眞田父子兄弟、催促に隨ひ、打連て向…
- p005…賴の仰を蒙りぬ、扨おことは、如何にや思ふと問ふ、伊豆守是を聞て、君は年頃德川殿と、よからぬ御中にはべれば、秀賴公の仰にや隨ひ給ふべき、左衞門佐は、又大…
- p005…左衞門佐は、又大谷に、むすぼれたり、是も定て、上方へこそ參るべけれ、信幸內府の恩蒙ること年久し、まして本多が娘にあひなれ、所緣に付ては、疎からぬ中と…
- p005…、信幸東へ參りければ、昌幸幸村、是より信濃へ引返して、西へこそ隨ひけれ、德川殿、此由を聞召し、御消息を給て、信幸が志を感し給ふこと斜ならず、中納言殿、…
- p005…し申ければ、御ゆるし蒙て、上田の城には向はず、關が原の合戰終て、天下悉く德川殿に歸し參らせ、伊豆守信幸、勳功の賞に申替へて昌幸幸村、死刑をば宥めらる、…
- p005…りしに、信幸父子、將軍家の先陣して、城を攻む、再び軍起りしに、子息兄弟、大御所の先陣して、天王寺に向つて合戰す、元和八年、信幸信濃國松城に移さる、十…
- p006…嫡孫なり、父信吉十九歲にして大坂の軍に隨て、高名を施し、再び軍起りし時、大御所の先陣し、首廿七を切て獻る、父に先立て卒しければ、家をば舍弟信政繼き、子…
九鬼 第九上 · 12
- p003…後、北畠に背き、秀吉の方人して、尾張の國蟹江の城を取り、大野の城を攻む、德川殿の御勢に、打破られて引退く、關白四國九州を攻め、朝鮮を討ち給ひしにも、常…
- p003…承る、太閤薨し給ひし後、慶長四年の夏嘉隆、稻葉藏人道通と、相論の事起て、德川殿の御裁斷を仰く、嘉隆が申す所、その謂れなき由を仰下さる、嘉隆大に怒て、息…
- p003…嘉隆大に怒て、息男長門守守隆に家讓て引籠る、明れば五年の秋、長門守守隆、德川殿に隨ひ、奧の御陣に馳參る、かゝる所に、上方の軍又起る、石田三成、嘉隆日で…
- p003…隨ひ、奧の御陣に馳參る、かゝる所に、上方の軍又起る、石田三成、嘉隆日でろ德川殿を恨み參らする事を、知てければ、頓て彼に牒狀す、嘉隆まづ子息が鳥羽の城を…
- p003…、氏家を打破り、首餘多切て、關東へ參せしに、中泉の御陣に到來す、これ此度德川殿西に向はせ給ひし後、初度に獻る首なれば、御感尤も淺からず、關が原の合戰、…
- p003…ひて、紀伊國へぞ落行きける、長門守守隆、鳥羽の城に入て、頓て大坂に趣き、德川殿に見參し、池田輝政に付て、守隆が勳功の賞に、申替へて、父が首つがん事を訴…
- p004…野の奧に隱れ居たりと聞て、新宮の城に行向ひ、安房守氏喜に附て、長門守殿、內府に御歎きあつて、此度の賞に申替へて、嘉隆の罪、宥められ、某急き參り向ひ、…
- p004…られて、豐岡を具して、本國に趣く、豐岡は道にて嘉隆に向ひ、誠は君の御事、内府の御憤、殊に深く、當家旣に亡さるべきに事定て候、あはれ如何にも御計らひあ…
- p004…計らひあつて、御子孫の後榮を期し給ふべしと云ければ、嘉隆さらば我首取て、德川殿へ參らせよとて、腹切てければ、豐岡首取て歸るとて、伊勢の明星の茶屋にて、…
- p004…しやかに語て、父が首を差出しければ、長門守も、大にあきれて、せん方なく、德川殿へ此由を申て、父が首まゐらせけり、德川殿も不便の次第なりと、仰ありて首を…
- p004…守も、大にあきれて、せん方なく、德川殿へ此由を申て、父が首まゐらせけり、德川殿も不便の次第なりと、仰ありて首をば返へし下されける、年經て後、豐岡が所爲…
- p005…四人あり、嫡子志摩守良隆、慶長十七年七月晦日良隆駿河に參り、初て大御所に見參し、來國次の御刀を賜し事、家忠日記追加に出つ二男長助貞隆、二人…
金森 第九上 · 8
- p001…の御側に侍ひ當時御咄の衆と云、其入道せし事、何れの比にや詳ならず又德川殿にも、親しうこそは參りけれ、されば太閤薨し給ひ、彼家の奉行人、德川殿を失…
- p001…又德川殿にも、親しうこそは參りけれ、されば太閤薨し給ひ、彼家の奉行人、德川殿を失ひ參らせんとする事、度々に及ひしに、常に德川殿の味方に參り、慶長五年…
- p001…し給ひ、彼家の奉行人、德川殿を失ひ參らせんとする事、度々に及ひしに、常に德川殿の味方に參り、慶長五年の秋、入道可重打連れ、德川殿に隨て、奧に向ふ、上方…
- p001…、度々に及ひしに、常に德川殿の味方に參り、慶長五年の秋、入道可重打連れ、德川殿に隨て、奧に向ふ、上方の軍起りぬと聞えしかば、可重本國に馳せ歸り、美濃國…
- p001…の軍起りぬと聞えしかば、可重本國に馳せ歸り、美濃國に向て軍し、父入道は、德川殿の御供し、海道より攻上る、關が原の合戰終て後、父子の功を賞せられて、新恩…
- p001…十八歲にて卒し、三男長門守重賴家を繼き、出雲守に任す、初め重賴、幼時より德川殿に近侍し、慶長十八年叙爵して、長門守に成され、大坂の兵起りし時、御陣に隨…
- p001…國にして、新恩の地を賜はり、關吉田等三千石の地再ひ軍起りし時にも、大御所の御陣に從ひ、父卒するに及て、家を繼く、慶安三年閏十月七日五十七歲にて卒…
- p002…子を設く、忠三郞長則是なり、後に及て、又一人の男子あり、法印が死せし後、大御所、駿河國に召れて、始め法印に賜はりし美濃河內等の所領を分ちて、彼が幼息に…
分部 第九上 · 1
- p003…りて、左京亮政壽に、上野の城をば賜りけり、二万石慶長五年の秋、政壽德川殿に從て、奧に向ふ、上方にも亦軍起りぬと聞えしかば、政壽東國の御方として、…
遠山 第九上 · 1
- p001…、友政父祖の跡を繼て、苗木の城にあり、其後所領を失て、三河國に落ち來り、德川殿に仕へ奉り、菅沼小大膳定利が手に屬られたり、或書に友政初め美濃守護齋藤右…
遠藤 第九上 · 3
一柳 第九上 · 1
- p005…繼がせ、監物になされ、尾張國黑田の城に遷さる、三万石慶長五年の秋、德川殿に隨て、奧に向ひ、上方の軍起りしかば、引返して攻め上り、所々の高名、其類…
市橋 第九上 · 3
桑山 第九上 · 1
- p002…一晴三十三歲にして卒す、舍弟左衞門佐一直、家を繼く、一直生年十九歲より、德川殿に仕へ參らせ、初名は九八郞關が原の合戰に先駈し、敵の首取て、御感に…
仙石 第九上 · 1
- p001…領沒収せられぬ、尾藤か事、委しく小笠原か傳に見ゆ慶長五年の秋、秀久德川殿に隨て、奧州に發向す、上方又亂れしかば、中納言殿山道を攻上らせ給ふに極つ…
溝口 第九上 · 2
南部 第九下 · 4
- p005…、此由を申す、三好中納言秀次卿を、大將軍として、數多の軍勢を差向けらる、德川殿にも、向はせ給ふ程に、井伊兵部少輔直政、先陣をうつて馳下る、蒲生飛驒守氏…
- p005…城を落し九戶の籠つたる福岡一書に糠部の城に押し寄す、關白殿の御勢、德川殿の先陣を始として、南部津輕松前の軍勢馳せ加り、入替々々攻めし程に、同九月…
- p005…に卒しけり、信濃守利直、父に繼く十石万幾程も無くて、慶長五年の夏、德川殿會津の中納言景勝を御退治あるべきにて、南部津輕秋田山北の人々は、出羽守義…
- p005…率ゐて、最上の郡に馳せ集る、斯る所に、石田三成が催促にて、上方に軍起り、德川殿既に討れ給ふと聞えしかば、此程馳せ集りたる奥方の軍勢、義光に暇をも乞はず…
戶澤 第九下 · 2
六郷 第九下 · 3
水谷 第九下 · 3
那須 第九下 · 4
- p001…具して、筑紫の名護屋に馳せ參る、慶長五年の秋、東西一時に軍起りし時、資晴德川殿の味方として、宇都宮の城に、人質を參らせ、奥方の上杉と戰はんとす、天下既…
- p001…味方として、宇都宮の城に、人質を參らせ、奥方の上杉と戰はんとす、天下既に德川殿に歸して後、同き七年の頃より、資晴常に大御所に伺候して、所領の地を加へら…
- p001…の上杉と戰はんとす、天下既に德川殿に歸して後、同き七年の頃より、資晴常に大御所に伺候して、所領の地を加へられ、何程と云ふこと知れずこの時一万七千石…
- p002…弟なれば、疏からぬ御中なり、殊に累代の大名の、斯くおちぶれたりし事など、大御所憐み思召ける故、常に御前近く召され、叙爵させ所領をも加へ給ひしにや、…
大田原 第九下 · 2
大關 第九下 · 2
龜井 第九下 · 1
- p001…遂けざれども、玆矩が大膽を、殿下大に感し給ふこと斜ならず、慶長五年の初、德川殿に隨ひて、奧に下る、上方の軍又起りしかば、引返して、美濃國に戰ひ、關が原…
伊東 第九下 · 3
中川 第九下 · 1
- p006…痛手を負ひ、高名顯して歸朝す、太閤薨し給ひ、東西の軍起り、修理大夫秀成、德川殿の御方として、同國臼杵の城に軍勢を差向け、太田飛驒守政信と戰ふ、關が原の…
有馬 第九下 · 8
- p005…ければ、晴信が振舞神妙なりとて、本領を安堵す、慶長十四年十一月九日、晴信大御所の仰を蒙りて、阿媽港の蕃船を、肥前の沖にて燒き沈めぬ、…
- p007…明れば十五年十一月嫡子左衛門佐直純、駿河の國府に來て、大御所に見參す、直純は關東に參りて、近習すること年を經しと云ふ、思ふに、質子と…
- p008…折節大御所の御曾孫にて、御養君なりし姫君、ひとり住みし給ひしを、直純迎へ參らすべし…
- p009…これ本多美濃守忠政が娘、大御所御養君として、堀越後守に配せられしに、堀罪ありて、流刑に處せられしかば、…
- p011…語ふ、或時密に修理大夫に向て、去りし年、和殿が阿瑪港の船、沈め給ひし事、大御所の御感淺からずして、其賞行はるべしと、本多上野介に內々仰ありと傳へ承る、…
- p011…とて、大八を召て尋ね問ふに、曾て存知仕らざる由を、陳じければ、正純此由を大御所の御聽に達す、頓て有馬が父子、召上せられ、大八と對决に及びしに、晴信大八…
- p011…由を告けしかば、重て兩人を召决せらるゝに、此度は晴信又陳ずるに言葉なし、大御所以の外に、御氣色損し、晴信をば大久保石見守に預けられ、甲斐の國に流され、…
- p012…故鄕を去らんことを願はずして、移るべしと云ふ者、一人もなし、山口駿河守、大御所の御使として、有馬の城に馳せ下る、終に直純を縣の城に移す、…
大村 第九下 · 3
毛利 第九下 · 2
稻葉 第十上 · 16
- p002…の御感斜ならず、同六月信長近江國に發向し、朝倉淺井と戰ひ給ふべしと聞ゆ、德川殿此告を聞召し、御勢僅に三千人、信長助けて馳せ上らせ給ひしに、軍既に明日に…
- p002…聞召し、御勢僅に三千人、信長助けて馳せ上らせ給ひしに、軍既に明日に極る、德川殿明日戰を合せられん今宵、參り合せしこそ幸ひなれ、何の方にも强からん方をば…
- p002…日戰を合せられん今宵、參り合せしこそ幸ひなれ、何の方にも强からん方をば、家康承るべしとぞ仰せらる、信長去れば軍の期既に近きに因て、かねて味方の兵勢配…
- p002…唯明日の戰に、味方弱からん方を、御勢して助け給はるべうもや候とありしに、家康齡三十にも越えたらんには、迚も斯ても候ひなん、若からん者の、助け參らせん…
- p002…北國の敵に向はせ給ふべくや候、又誰をか御勢に加へ參らすべきにて候と宣ふ、德川殿聞召し、家康が國小にして、僅かなる勢を遣ひ習て侍れば、大勢を下知せんこと…
- p002…せ給ふべくや候、又誰をか御勢に加へ參らすべきにて候と宣ふ、德川殿聞召し、家康が國小にして、僅かなる勢を遣ひ習て侍れば、大勢を下知せんこと、合期し難る…
- p002…し、又心をも知らざらん人々に相語はんもむづかし、朝倉何十万騎候ふとも、唯家康が勢にて軍し、見參にこそ入るべけれと仰せけれは、信長重て仰せ又承りぬ、去…
- p002…給ひしかば、貞通が一生の名譽にて、羨まぬ人ぞ無りける、明れば六月廿八日、德川殿姉川を隔て、義景が勢に向ひ給ふ、貞通が勢、僅か千人には過きず、德川殿の仰…
- p002…日、德川殿姉川を隔て、義景が勢に向ひ給ふ、貞通が勢、僅か千人には過きず、德川殿の仰を承て、後陣にこそは扣へたれ、信長の多勢、長政が爲に驅り立られ、既に…
- p002…れ、信長の多勢、長政が爲に驅り立られ、既に負色になりしに、淺倉が三万騎、德川殿に寄せ合て散々に討ちなされて、淺井が軍も敗れけり斯て織田殿貞通が武勇を感…
- p004…年の夏、織田殿失せ給ひし後は、秀吉に與みす、同き十二年三月森武藏守長一、德川殿の先陣に羽黑の陣を打破らる、此時長一が舅池田信輝入道を先として、美濃國の…
- p004…をと自讃して、から〱と笑ひければ、人々一度に瞳と笑ひ、各色をぞ直したる、德川殿の先陣も逃けゆく敵を追ひ捨て、犬山の方に向ひ、悅の鬨を三度作て、靜かに引…
- p004…又悉く討ち破られぬと聞えて、秀吉樂田の陣を立て、龍泉寺の邊りに馳せ來り、德川殿既に小幡の方に入らせ給ふと聞て、安からぬ事共かな、何國までも追詰てこそ戰…
- p004…し後、慶長五年の秋、大坂の奉行等が催促に隨ひ、我身は犬山の城を守りしが、德川殿に心を通し、東國の先陣、尾張の國に至ると聞て、井伊本多が許に使立て、貞通…
- p004…り、遠藤が陣に押寄せ、散々に打破り、其後寄手の陣に使者を立て、貞通かねて德川殿の御方に參るべき由を申しぬ、和君達は未だ知し召されねばこそ、我城をば攻め…
- p004…し事、未だ承らず、去らばなど同士軍には及ぶべきと、和睦してこそ歸りけれ、德川殿此由を聞召し、貞通既に御方に參ると云ふとも、己が城攻め取られたらんは、言…
脇坂 第十上 · 4
- p003…せられて、所領の地加へらる、三千石程なく大閣薨し給ひ同き五年の秋、德川殿、奧の上杉退治あるべしとて御下向あり、安治我身は大坂に留て、嫡男淡路守安…
- p003…元父子かねてより山中に陣取て、上方の多勢を打ち破り、頓て御陣に馳せ參る、德川殿の御感斜ならず、父子同く近江國佐和山に差向けらる、此をも頓て攻め落す、安…
- p003…世を早うしければ二男淡路守安元、家を繼く、安元童名は甚太郞、慶長五年正月德川殿執し申させ給ひしに依て、叙爵して淡路守に任ず、此年東西の軍一時に起る、初…
- p004…ば首僅か二つ切て參らす、此は父安治、子息安元を東國の御陣に參らせし上は、大御所の新恩には報い奉る、さすが我身は故太閤の舊恩蒙りし事なれば、軍勢をば止て…
小出 第十上 · 20
- p004…太閤薨し給ひし後、景勝中納言が上洛せざりし罪に因て、德川殿征伐の爲に、奧に下らせ給ひし時、秀政は老病に臥しければ、自らは向ふに及は…
- p004…の諸記には吉辰と記す其跡にして石田三成が計ひにて、秀賴の仰と稱して、德川殿の御方人細川三位法印が丹後の國を攻むべしとて、丹波但馬の軍勢を向けらる、…
- p004…あらずや、其時に至て秀吉が後、誰あつてか本朝の動き無らん樣を計るべき、只德川の內府こそ此事には堪へぬべけれ、此人若し本朝の大勳を致されんには、神明も其德を…
- p004…てか本朝の動き無らん樣を計るべき、只德川の內府こそ此事には堪へぬべけれ、此人若し本朝の大勳を致されんには、神明も其德を感じ、聖主も其功を褒め給ひ、士…
- p004…かるべき事ならずや、よしや本朝の爲に秀吉が家を顧みず、我が後の天下の事、內府の計らはん樣に任すべしと思ひ定たり、去れども此人昔今川義元が由緣を思て、…
- p004…みず、我が後の天下の事、內府の計らはん樣に任すべしと思ひ定たり、去れども此人昔今川義元が由緣を思て、氏眞を駿河國に返し入れん事を計り、故右大臣殿の好…
- p004…我家の事、情なくは振舞はじ、汝等我世嗣の絕えざらんことを思はゞ、相構へて此人に能く隨て、秀賴が事惡しう思はれぬ樣にすべし、さらば又我が世嗣絕えざらん…
- p004…〱忘るゝこと勿れと仰せ置かる、然るに太閤薨し給ひて幾程無く、奉行等が頻に德川殿を失ひ參らせんと謀る事を、秀政且元深く歎き思ひしかど、制し止めんとするに…
- p004…で、秀政は病と稱して己が岸和田の城に籠り居て、世の成り行かん樣を窺ふに、德川殿奥に向はせ給へば、二男をば御供に參らせたり、其後又上方に軍起りて、秀賴の…
- p004…と云ひ是と云ひ、秀政辭すべき所にあらず、嫡子吉政をば向はせしと見えたり、德川殿も此人他人の例に準ずべき者ならねば、吉政丹後を攻めしこと何の御咎もなし、…
- p004…れる奉行等には、猶も仰せ置るべき事ぞかし、夫に失せ給ひし後、幾程なく頻に德川殿失ひ參らせんと計り、かの仰せ置れし如く、終に世の亂れ仕出して、彼御家終に…
- p004…けり、若し朝鮮の軍も既に事故なく終りしかば、今は外國の患もなし、去らば、此人失ひて當家の禍無らん樣を計らんと思ひしにや、覺束なき事共こそ猶多けれ、思…
- p005…羽守氏重、信吉に代りて來り守る、吉英並に舍弟伊勢守吉親は、大坂に馳せ向ひ大御所の仰せ蒙て曝布の鄕の堤築きて、京都往來の道を通ず、…
- p006…政事錄十二月三日の記に小出大和守吉英、同信濃守吉親、大御所の御氣色よからず、陳じ申す旨ありしかば、曝布の鄕の堤築くべき由を仰せ下さ…
- p007…、同き五年出石の城に移る、五万石この人保科彈正忠正直が娘を妻とし、大御所の御姪婿にて男子多く設けぬ嫡男修理亮吉重に所領讓りて、寛文六年三月九日八…
- p009…秀家が世嗣なり、實は秀家が舍弟とぞ聞えける、父秀家關が原の軍の時、初より德川殿の御方に侍ひしかば、父も兄も皆本領を安堵せり、…
- p011…元和元年五月七日、大坂の軍敗れて城中に火懸りしかば、人々皆大御所の御陣に參り集うて賀し申されけるに、大隅守召されて御前に伺候せり、大御所…
- p011…大御所の御陣に參り集うて賀し申されけるに、大隅守召されて御前に伺候せり、大御所あれは如何にと仰あつて、城に向ひ指さゝせ給ひしに、三尹唯一目見て、かゝる…
- p011…如何に不思議の御答を申す者かな、いかなる御不審をや蒙るべきと、大に驚く、大御所聞召され、汝は故太閤の所緣に付て、彼家には疎からぬ者也、斯く思ふこそ道理…
- p011…る人々の中に、太閤家の舊恩蒙りし輩は、世に耻かしき事にぞ思ひける、此後も大御所宿老の人々に向はせ給ひ大隅守が申せし所、神妙の至なりと御感最も淺からず、…
加藤 第十上 · 4
- p001…濃國黑野と云ふ所を賜りぬ、四万石幾程なく太閤も薨し給ひ慶長五年の秋德川殿、奧の上杉を追討の爲に御下向あり、貞泰も當國岐阜中納言秀信に隨ひ、馳せ下…
- p001…べき由を申て、既に打立たんとせし所に、石田三成が謀にて、諸大名かり催し、德川殿傾け參らせんとす、秀信忽に心變して石田に組し、當國の人々悉く是に同ず、貞…
- p001…思ひしかど、僅なる勢を以ては叶ふべからず、兎やせん角やせましと思ふ內に、德川殿の先陣、海道をさして攻め上ると聞えて、尾張國犬山の城は、大事の所なればと…
- p001…らせよとのみ仰せ下さる、貞泰大に悅ひ忍ひ〱に東國の御方せん人、相語らひ、德川殿美濃國に討入らせ給ふと聞て、關長門守一政也竹中源助重門の人々…
谷 第十上 · 1
- p001…が兵起りし時、丹後國を攻めんとて、丹波但馬の軍勢を差向く細川越中守忠興は德川殿に隨て奧に下る、父の入道國に在て、僅かなる勢引具して田邊の城に立籠る、衞…
木下 第十上 · 13
- p001…名乘りけり、大坂の城の留守として、播磨國姫路の城を領す、二万五千石德川殿天下知し召されし初め、備中の國にて所領賜て移る、德川殿の執し申させ給ふに…
- p001…、二万五千石德川殿天下知し召されし初め、備中の國にて所領賜て移る、德川殿の執し申させ給ふに依て、入道の後、二位の法印に任す、此人多くの男子あり、…
- p001…を賜ふ、九万石慶長五年の秋、大坂の奉行等軍起して、伏見の城に止りし德川殿の御家人等、攻むべしとて旣に討手を差向く、此時勝俊秀賴の仰として、兼て伏…
- p001…は政所の御子にあらずと云へども、我既に叔父の親みなり、如何なる事なりとも內府の方人すべき身にあらず然りとて又ひがことせんずる奉行等に與して、内府と仇…
- p001…とも內府の方人すべき身にあらず然りとて又ひがことせんずる奉行等に與して、内府と仇結ばん事も謂れなし、なまじひに我斯くて在らんには、內府の家人等、軍せ…
- p001…行等に與して、内府と仇結ばん事も謂れなし、なまじひに我斯くて在らんには、內府の家人等、軍せん障りとこそなるべけれ、所詮爰を去て政所の御所を守護し參ら…
- p001…を去て政所の御所を守護し參らすべしとて、伏見の城を出て都に登る、天下忽に德川殿に歸せし後、自ら所領の地失て、東山の邊に幽なる棲居し、天哉翁と號しつゝ一…
- p001…方の方人して、所領の地沒收せらる、延俊秀秋は東國の御方として、二人ながら德川殿の御恩に預る、肥後の入道が卒せし後、德川殿彼が所領の地、勝俊利房兄弟に分…
- p001…は東國の御方として、二人ながら德川殿の御恩に預る、肥後の入道が卒せし後、德川殿彼が所領の地、勝俊利房兄弟に分ち賜ふ、然るに政所勝俊を、あながちに憐み思…
- p001…ちに憐み思ひ給ひ、父の所領悉く勝俊に知行させんとて、利房には與へられず、大御所此由を聞召し御氣色宜からず、慶長十四年九月廿七日入道が遺領をば終に沒收せ…
- p003…高濱の城を領す、慶長五年の秋、大坂の催促に隨ひて北陸道に發向す、天下悉く德川殿に歸して後、政所の御由緣に依て、死罪をば宥められ、所領をば沒收せらる、父…
- p003…勝俊幷に利房に下し賜ふ、政所偏に勝俊にのみ與へんとて、利房には分たれず、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺領をも收公せられぬ、大坂の軍起りし時、利房大御所の…
- p003…、德川殿怒らせ給ひて終に彼の遺領をも收公せられぬ、大坂の軍起りし時、利房大御所の御陣に隨ふ、明れば元和元年備中國賀陽の郡を下し賜ふ、二万五千石足守…
相良 第十上 · 2
秋月 第十上 · 2
宗 第十上 · 6
- p009…太閤薨し給ひてこそ彼の戰は止みてけれ、斯て慶長五年の秋、大坂の兵起りて、德川殿失ひ參らせんとす、手合せに先づ伏見の城を攻む、義智この時國に在り代官とし…
- p011…同き九年朝鮮の使僧松雲、對馬の國に來て義智に就て、德川殿と長く兩國の好み修めん由を議す是室町殿の御時の例也大御所此由を聞召…
- p011…智に就て、德川殿と長く兩國の好み修めん由を議す是室町殿の御時の例也大御所此由を聞召し、彼望み請うに因て、此七年が程の戰に、擒にして我國に以て來り…
- p011…彼國の人民、悉に送り返し給ひければ、彼國の王大に悅ひ、明れば十二年の夏、兩御所へ信使參らせて隣國の好みを結ぶ、此等の事義智、德川殿の御德を彼國へ傳へ播…
- p011…、明れば十二年の夏、兩御所へ信使參らせて隣國の好みを結ぶ、此等の事義智、德川殿の御德を彼國へ傳へ播しけるに因て、斯く隨ひ參らせしかば兩御所の御感斜なら…
- p011…等の事義智、德川殿の御德を彼國へ傳へ播しけるに因て、斯く隨ひ參らせしかば兩御所の御感斜ならず、彼の家直に大名の列に加へられ、十万石の列に加る位必…
松浦 第十上 · 1
- p003…に會合して軍評定す、大村が異見に隨ひ、人々爰より本國に漕き戾す、天下悉く德川殿に屬して後、法印も恙なく本領を安堵す、六万三千石…
五島 第十上 · 1
- p003…西の人々會合して、軍の評定し、大村が異見に任せ、是より皆本國に漕き戾す、德川殿天下知し召されて後、五嶋も恙く本領を賜はる、…
織田 第十下 · 9
- p003…ひける、幾程も無く明る天正十二年の春、自らも又亡さるべきに極て大に驚き、德川殿を賴み申されしかば、德川殿御勢を率ゐ給ひ、美濃尾張伊勢の國々にて秀吉の多…
- p003…十二年の春、自らも又亡さるべきに極て大に驚き、德川殿を賴み申されしかば、德川殿御勢を率ゐ給ひ、美濃尾張伊勢の國々にて秀吉の多勢を打破り給ふこと度々に及…
- p003…、此年十月、秀吉伊勢の國に至て、北畠殿に中直りの事を望まる、信雄大に悅ひ德川殿に此由を告け申さるゝにも及はず、十一月十一日中直りの見參事終りぬ、明れば…
- p003…此人の參議なりし事は見えず太閤薨し給ひて後、慶長五年の秋大坂の奉行等、德川殿失ひ參らせんと計りし時、石田治部少輔三成、此入道に使たて、秀賴の仰として…
- p003…此入道に使たて、秀賴の仰として急ぎ元の御家人等を召し集めて御勢を催され、內府を討せ給ふべし、先づ物の具の料に黃金一千枚參らせられ、又尾張の國は御本領…
- p003…野の城にて此結搆を聽き、大に驚き急き使して如何なる事ありとも當家の人々、德川殿に向ひ弓を引き矢を放つ事や候ふべき、斯るあさましき御結搆こそ候はねと敎訓…
- p003…地失つて、入道其後は淀殿の所緣に附き大坂に下り住はれけり、同き十九年の秋大御所、片桐市正且元を駿河に召され、仰下さるゝ旨あつて大坂に歸る、片桐が計る所…
- p003…に告げ知らせ、我身は夜に入て風雨に紛れ、大坂を落ち失せ都の方に隱れ居て、大御所都に登らせ給ひぬと聞えしかば、やがて二條の御城に參らる、明れば元和元年五…
- p005…に籠つて詮なしとて都に趣く、入道は駿府に參るとて、尾張の國名護屋の城にて大御所に參り逢ひ、大坂の事共悉くに告け申さる、大坂の軍終て後、所領の地下し給ふ…
建部 第十下 · 4
片桐 第十下 · 7
- p001…加へ賜ふ、直盛關東の御旨を憚りて固く辭す、此年九月二日駿河の國府に參る、大御所彼が見參の序に、右大臣家加恩の事、辭し申さで給るべしと仰せ下さる、一万…
- p001…事、辭し申さで給るべしと仰せ下さる、一万石を賜ひしと云ふ、此事內々は大御所の仰によりて賜ひしと云ふ明れば十九年の夏、大佛殿修造の事につきて、大御…
- p001…御所の仰によりて賜ひしと云ふ明れば十九年の夏、大佛殿修造の事につきて、大御所の御氣色よからずと聞いて、直盛駿河の國府に參り向ひ、一々に申し披き東西の…
- p001…申し披き東西の御中和らかせ給はんやうを、深く謀り遠く慮りて三の策を獻る、大御所大に悅はせ給ひ直盛を返されたり、直盛が計ひ、偏に關東に心を合せ、當家を傾…
- p001…共色々に拵へて直盛が父子兄弟、事ゆゑなく城を去ておのが所領茨木に引籠る、大御所この由を聞召し、彼が兄弟に御敎書をなされ、直盛が計ひ徒らになりて世既に亂…
- p001…すべき者なりと、起請文を書きて言ひ送りしかば、父子兄弟打連れて都に登り、兩御所に見參し大坂の御陣に從うたり、程なく東西御和順ありて、天下無事に屬しけれ…
- p003…出雲守孝利父が遺領賜て、今年閏六月廿二日兩御所に見參す、…
靑木 第十下 · 5
- p003…ひ給ひし時、一重むかし新坂の合戰に、よき敵と組て首取て名を得たりしより、德川殿知し召されし者なれば、御家人に召出さる、元龜元年近江國姉川の合戰に、眞柄…
- p003…左衞門と戰ひ、味方が原の合戰には、高天神の城に向て敵を防く、其後故あつて德川殿を去て、遂に豐臣關白の御家人とはなつてけり、…
- p005…年三月大坂の御使として、淀殿の御使の女房達、具して駿河の國府に參る、是は大御所路次の程、御恙もわたらせ給はで、歸り入らせ給ひしを、賀し申されんが爲にし…
- p005…程、御恙もわたらせ給はで、歸り入らせ給ひしを、賀し申されんが爲にして、又大御所に望み申させ給ふ事など有りし故とぞ聞えける、此時尾張の宰相中將殿、北方迎…
- p005…事など有りし故とぞ聞えける、此時尾張の宰相中將殿、北方迎へさせ給ふとて、大御所も彼處に渡らせ給ふべきにて有りければ、彼の御使の女房たち、召具せられ其事…
伊東 第十下 · 2
薩摩守殿 第十一 · 10
- p001…三位中將源忠吉は尾張の中將と申す德川殿第四の御子なり、大相國家と御母を同じくせさせ給ひ、御童名は福松丸と申しま…
- p001…れ、文祿元年二月武藏國忍の城を賜りて領せらる、十万石慶長五年の秋、德川殿に隨て奧の景勝中納言を追討のため、下野國に至り給ふ時、上方の軍勢また起り…
- p001…て奧の景勝中納言を追討のため、下野國に至り給ふ時、上方の軍勢また起りぬ、德川殿御代官として守殿海道の大將承らせ給ひ、井伊本多を軍奉行とし、御方の大名引…
- p002…助嘉明が家の軍記と、嘉明が家人黑田が記せし關原記に詳なり、岐阜おちし後、德川殿の上らせ給ふほど、守殿は淸洲に御陣ありしにや、岐阜に御陣ありしにや、いま…
- p003…德川殿登らせ給ひ、美濃國關が原にして東西の戰を决せらる、守殿御方の軍勢をひきゐ…
- p005…り落つ、嶋津も遙かに落ち延ひぬ、こゝより御陣に歸り給ひ、軍既に事終りて、德川殿の御陣へ參り給ひ、松井が首見參に入れ給へば、德川殿の御感斜ならず…
- p005…給ひ、軍既に事終りて、德川殿の御陣へ參り給ひ、松井が首見參に入れ給へば、德川殿の御感斜ならず…
- p006…物なりと申す者の候が、守殿のけふの御振舞ひ目を驚かして候ふと申しければ、德川殿それもよき鷹匠のとりかふによつて、逸物にもなるなりと、仰せられて御氣色よ…
- p007…より御違例の事ありて、御心地かるませ給ふとて、廿六日に將軍家へ參り給ふ、大御所ほどなく駿河へ歸らせ給ふべきにて、御事繁かりしかば參り給はず、此日より大…
- p007…りしかば參り給はず、此日より大久保加賀守忠常が家を御旅館となさる、廿八日大御所忠常が家へ成らせ給ひ、御對面の儀あり、廿九日駿河に趣かせ給ひぬ、御心地日…
七郎殿 第十一 · 1
- p001…七郞殿は德川殿第五の御男、御母は下山殿秋山越前守虎康が娘也初め御外戚の名字によつ…
上總介殿 第十一 · 21
- p001…上總介殿は德川殿第六の御男、御母は於茶阿の御方後に朝覺院殿と申す才ある物がたり多き御…
- p001…申す才ある物がたり多き御方也介殿初め生れさせ給ひし時、如何なる故にや德川殿御子ともし給はず、八藏になり給ひし時、長澤殿うせ給ひ世嗣なければ、介殿し…
- p002…長澤殿は松平源七郞康忠の御事、これ德川殿と同じ流にして岩津殿の御すゑ德川殿の御妹婿なり、世に傳ふるは介殿生れ給ひ…
- p002…長澤殿は松平源七郞康忠の御事、これ德川殿と同じ流にして岩津殿の御すゑ德川殿の御妹婿なり、世に傳ふるは介殿生れ給ひし時、德川殿御覧じけるに色きはめて…
- p002…流にして岩津殿の御すゑ德川殿の御妹婿なり、世に傳ふるは介殿生れ給ひし時、德川殿御覧じけるに色きはめて黑く、皆さかさまに裂けて恐しげなれば、憎ませ給ひて…
- p003…河の國府に參て、此由を愁ひ訴ふ、介殿關東にてかくと聞召し、夜を日に繼きて大御所へ馳せ參らせ給ひ、山城守おのが舊功を恃みて、やゝもすれば恣なる振舞を顯は…
- p004…世に傳ふる所は初め大御所の召仕れし小童に、花井三九郞と云ふもの亂舞堪能の者なりければ、介殿いとけ…
- p004…からぬ御振舞のみ多く、國中の上下歎き苦しみければ、皆川山田等此由を訴ふ、大御所聞召されて、甚た驚かせ給ひ、その三九郞男には小皷うたひなど敎へよとこそ云…
- p005…め參らせん者もあらず、御心のまゝに酒宴遊興にのみ明かし暮らし給ふほどに、兩御所に參り給ふ事もなかりしかば、大御所の御氣色よろしからず、此由を聞召し驚き…
- p005…酒宴遊興にのみ明かし暮らし給ふほどに、兩御所に參り給ふ事もなかりしかば、大御所の御氣色よろしからず、此由を聞召し驚き給ひ、十七年の九月駿河に參り給ひ、…
- p005…給ひ、明れば七日の合戰にも合はせ給はねば、然るべき首一つも參らせられず、兩御所の御氣色宜からず同八月の初め大御所都を立たせ給ひ、水口に至らせ給ひし時、…
- p005…はねば、然るべき首一つも參らせられず、兩御所の御氣色宜からず同八月の初め大御所都を立たせ給ひ、水口に至らせ給ひし時、介殿將軍の御家人誅せられぬと聞召さ…
- p006…きり人花井主水遠江守が子なり關東に召され安西と召决せらる、花井また大御所に召されて駿河に參り、介殿大坂の戰に合はせ給はざる由を御推問ありて、尙尋…
- p006…不審の條條、身に誤りなきに似たりと、一々に言葉を飾て陳じ申し給ひし程に、大御所の御怒り殊に甚しく、介殿の步侍の頭山田將監富永大學、此由を聞て、すべから…
- p006…と申切て、彼寺を出でざれば、殘る二人を松岡一人召具して、まづ駿河に參る、大御所此由を聞召され、下手人を參らせらるゝ事、延引に及ぶのみにあらず、罪なき者…
- p007…ひ將軍家に就きて御歎き申させ給ひけり、かくて明れば元和二年正月の末より、大御所御違例の事ありて、將軍家夜を日に繼きて馳せ參らせ給ふ、介殿この由聞召し此…
- p007…氣かうふらせ給ふ事を深く歎き給ひしかど終に御免の旨もなくて、同四月十七日大御所かくれさせ給ひ、其後御遺言に任せて伊勢國朝熊に移らせ給ふべきにて、此年八…
- p008…給ひ、關東へ御歎きあるべうもや候と申ければ、さらばとて彼所に至り給ひぬ、大御所御違例の事傳へ聞かせ給ひ、せめては近き境までも參り向つて、よそながら御有…
- p008…邊りに來り止まらせ給ひ其後國府に入せ給ひ臨濟寺を御旅館となさる、かくても御所に參り給ふ事は叶はせ給はず、大御所かくれさせ給ひ、御葬式終てのち、將軍家…
- p008…入せ給ひ臨濟寺を御旅館となさる、かくても御所に參り給ふ事は叶はせ給はず、大御所かくれさせ給ひ、御葬式終てのち、將軍家久能の山へ參らせ給ふ日、九鬼長門守…
- p008…長政、信濃國に向ひて城々を受取る、八月十二日介殿伊勢國に趣かせ給ふとて、大御所より賜らせ給ひし相國寺と聞えし御茶入、浪游といふ御刀、將軍家へ歸し參らせ…
駿河殿 第十一 · 4
- p002…思召し定めけるに、竹千代殿の御乳母春日局が、於勝の御方に就きて訴へしかば駿河の御所、大に驚かせ給ひ、急き關東に下らせ給ひて、何となく竹千代殿をたうとませ給…
- p002…給はんこと悲しき事なりと思召され、御耳のうとき樣になされしかど、將軍家も大御所の仰せ置かれし事共も思召し捨て難くて、終に竹千代殿を御世嗣にはせさせ給ふ…
- p002…給ひ、何者の供に候ひて、かゝる不思儀をば振舞はせたりけん、抑も我が城は父大御所の新に修し築かせ給ひ、我に讓らせ給ひ、我また竹千代殿に參らすべき所なり、…
- p002…に國千代が身として、其城に向ひ自ら鐵炮を放つこと、上には天道に背き且は父大御所の神慮のほども計り難く、下には竹千代殿のかへり聞き給はんことも、その憚な…
松平(竹谷) 第十一 · 6
- p001…の松平とは申けり、清善初め今川に隨ひ、一人の娘を質として吉田の城に納る、德川殿と今川と不快の後、清善かの質を棄てゝ德川殿の御方に參る小原肥前守、吉田…
- p001…の娘を質として吉田の城に納る、德川殿と今川と不快の後、清善かの質を棄てゝ德川殿の御方に參る小原肥前守、吉田の城主大に怒て、清善が娘を執つて吉田の…
- p001…人が首きり捨て、城を攻むる事既に三日、味方にも手負ひ死するもの少からず、德川殿かくと聞召し、清善助けさせ給ふ程に、城終に落ちて鵜殿兄弟藤太郞藤介…
- p001…顧みず、功を積み勞を重ね、齢既に傾き家を子息清宗に讓りて致仕す、元龜三年德川殿宗徒の人々を召集められ、遠江國宇津の山の要害に籠められんが爲に、然るべき…
- p001…十五年とし八十三歲にして卒しけり、備後守清宗も初め與二郞と申し、父と共に德川殿の御方として度々の武勇を顯し、永祿十二年石川日向守宗成と同く懸川の城を守…
- p001…歲、同き十五年十二月廿一日に家清卒す四十五歲、其嫡子民部少輔忠清が母は、德川御異父同母の御妹、父卒して家を繼き、幾程なくて同き十七年四月廿日廿八歲に…
水野 第十一 · 2
松平(大須賀) 第十一 · 3
平岩 第十一 · 18
- p001…主計頭弓削親吉は德川殿普第の御家人なり、初め德川殿御幼稚の昔、今川殿へ參らせ給ひし時、親吉も童…
- p001…主計頭弓削親吉は德川殿普第の御家人なり、初め德川殿御幼稚の昔、今川殿へ參らせ給ひし時、親吉も童にて七之助と申す御供に…
- p001…の昔、今川殿へ參らせ給ひし時、親吉も童にて七之助と申す御供に侍ひ、德川殿と共に尾張國に止められ、其後本國に歸らせ給ひ、重ねて駿河の國府に入らせ給…
- p001…で、速に誅せらるべき所なりとぞ宣ひ遣はさる、親吉此由を聞て大に驚き、急き德川殿に參り、岡崎殿御謀反の聞え有て失はれ給ふべしと承る、父子の御中、何の御恨…
- p001…、信長の疑もなど解けやらでは候べき、とく〱親吉が首を召さるべう候と申す、德川殿此由を聞召され、信康が謀反の聞え誠とも覺えず、去ながら我いま亂れたる世に…
- p001…ひなば、汝が申す所さもありなん、信康迚も遁るまじきもの故に、汝まで失うて家康が耻ち再び重ねんこと口惜かるべし、汝が深き志は何れの世にか忘るべきと、御…
- p001…はるべしと宣ひき、忠次存ぜざる由を申きらば、いかでかくは成らせ給ふべき、德川殿も深く忠次を恨みさせ給ひしと云々、其餘は本文の如し、或記に曰く德川殿の北…
- p001…き、德川殿も深く忠次を恨みさせ給ひしと云々、其餘は本文の如し、或記に曰く德川殿の北方築山殿と申せしは、極て嫉妬深くましませしに因て、御間快からず、築山…
- p001…嫉妬深くましませしに因て、御間快からず、築山殿密かに武田四郞と謀を合せ、德川殿失ひ三郞殿世に立てんとし給ひ、勝賴の許より來れる文を、三郞殿へ參らせらる…
- p001…かに御覽じ、驚き給ひて其文を取りて、御父信長へまゐらせらる、信長この由を德川殿へ仰せられしに因て、築山殿失はれ給ひ、三郞殿も御腹召されしなり、三郞殿は…
- p001…なく三郞殿へ、まゐらせらるべき事とも思はれず、若し此事まことならんには、德川殿御父子の間に不快出來りて、國內亂れん、外には又德川織田の間に事起らんやうを、勝…
- p001…ふべしなど、世にも云ひ傳へしかば、御舅信長も、うるさき人に思ひ給ひし故、德川殿すゝめて失はせ給ひしなども申傳ふるなり、德川殿も速に三郞殿失ひ參らせられ…
- p001…うるさき人に思ひ給ひし故、德川殿すゝめて失はせ給ひしなども申傳ふるなり、德川殿も速に三郞殿失ひ參らせられず、是處彼處に遷させ給ひしも深き御心ありと見え…
- p001…、天方召されて、これ承れと仰せられしとも申なり、又大賀彌四郞が讒に依て、御父子御中平かならざりし事を、後に悔ませ給ひし由は、御遺訓といふ書にも見えたる…
- p002…方利を失ひしにも、親吉が一勢、追ひ來る敵うち破りて引き返す、十六年の夏、德川殿御上洛ありし時、親吉御供に候ひて、主計頭從五位下になされ、十八年北條の滅…
- p002…せ給ひしかば、上野國厩橋の城を賜る、三万石親吉男子なかりしに因て、德川殿第八の御男仙千代丸殿を賜ひて世嗣とす、御歲纔かに七歲にて慶長七年二月七日…
- p002…を築く十二年四月右兵衞督殿則五郞太丸殿尾張國に移され給ひしかば、大御所の仰を承りて親吉清洲の城に在り、自らは犬山の城賜て領す、十万石十五…
- p003…に、去る元日に親吉名護屋第二の城に卒す、今日そのよし駿河に至て告げ來る、大御所此よし聞召され、親吉が病重らんには、など犬山に歸りては死せざらんとて、御…
本多 第十一 · 42
- p001…家に仕ふ、正信はこの俊正が嫡男なり、正信初め彌八郞と申て、童なりしより、德川殿に仕ふ、德川殿より年長する事四年御軍初の日より所々の軍に、從ひ參ら…
- p001…この俊正が嫡男なり、正信初め彌八郞と申て、童なりしより、德川殿に仕ふ、德川殿より年長する事四年御軍初の日より所々の軍に、從ひ參らせずといふ事なし…
- p001…、小山の邊り山中といふ所に至りて留り住む、天正十年の春武田四郞亡ひし後、德川殿より仰ありて正信を召さる、織田殿に伴ひ給ひ御上洛ありと聞えしかば、正信加…
- p001…田殿に伴ひ給ひ御上洛ありと聞えしかば、正信加賀國を立つて大津の宿に至る、殿は和泉の堺に趣かせ給ふと聞て、頓て彼處に參らんとせし程に、信長明智が爲に…
- p001…程に、信長明智が爲に失せ給ひ畿內悉く亂る、正信が計ひにて宇治路ひらけて、德川殿事故なく、終に三河國に歸り入らせ給ひぬ、…
- p002…殊に其徒の多かりし程に、正信を迎へて一方の大將とは仰きたるなり、また再ひ德川殿に參りし初、明智が亂に畿内の道塞りしを、正信が計ひにて宇治の上林かたらひ…
- p002…りを率ゐて、木津川の邊りに迎へ參らせ、多羅尾が館に入れ參らせ走せ歸りて、德川殿こゝに入り來り給ふべきなりと云ひて、川の上下に篝火たきて守りしかば、光秀…
- p003…是れよりして後、德川殿の御覺え大方ならず常に御側に伺候して軍國の議に與る、關東に移らせ給ひし時…
- p003…を賜る、一万石〇家忠日記には相州甘繩と云大閣薨し給ひ大坂の奉行等が德川殿失ひ參らせんとせしより、關が原の戰ひ終てのち天下悉く德川殿に歸し參らせし…
- p003…大坂の奉行等が德川殿失ひ參らせんとせしより、關が原の戰ひ終てのち天下悉く德川殿に歸し參らせし事、正信が功莫大なり、右大將家將軍の宣旨蒙らせ給ひしより、…
- p003…旨蒙らせ給ひしより、正信は關東の執事として將軍家に隨ひ、嫡男上野介正純は大御所の執事として駿河に在り、父子相並びて天下の權を取る、初め大御所正信を召さ…
- p003…野介正純は大御所の執事として駿河に在り、父子相並びて天下の權を取る、初め大御所正信を召され、所領の地加へ賜りしに、正信承て年頃御恩に潤うて家富まずとい…
- p003…に充行はれ、四海の內動きなく、正信心靜かに老を送り候はん事、今の身にては大殿の御恩、是に若く事や候ふべきと固く辭し申す、地を領する事僅に二万餘石…
- p003…べきと固く辭し申す、地を領する事僅に二万餘石と云元和二年四月十七日大御所薨し給ひて後、纔かに五十日と申す六月七日、正信年七十九歲にて卒したり、…
- p004…大御所正信を見給ふこと朋友の如くにて、將軍家は長者を以て待せ給ふ、正信も又常に…
- p004…正信を見給ふこと朋友の如くにて、將軍家は長者を以て待せ給ふ、正信も又常に大御所を呼びて大殿といひ、將軍家をば若殿と呼ぶ、軍國の機事に至て其謀る所言葉多…
- p004…と朋友の如くにて、將軍家は長者を以て待せ給ふ、正信も又常に大御所を呼びて大殿といひ、將軍家をば若殿と呼ぶ、軍國の機事に至て其謀る所言葉多からず、一言…
- p004…諭に長ぜる人と見えき、初め大坂にて大名七人、石田治部少輔三成討たんとす、德川殿の人々を制し給ひしに因て事平らきぬ、其時伏見の御館にて正信御前に參りしに…
- p004…、はや御殿でもりあり、正信打咳き〱參り、今夜は早う御寢ならせ給ふと申す、德川殿いま何事かありて參ると仰せられしに、正信別の事にも候はず石田が事、いかに…
- p004…事思召しはかられん上は、正信何事をか申すべき、御暇給るべしとて罷り出づ、德川殿また仰せらるゝ旨もなし、其時に土井大炊頭利勝、御傍に在つて承りきと、後に…
- p004…に在つて承りきと、後に石谷將監に語りしなり、また石川丈山の物語りに、正信大御所の仰せられし所、我が心に得ざる時は、打睡りてのみ居て申す旨もなし、又宣ふ…
- p004…申す旨もなし、又宣ふ所善しと思へる時には、譽め參らすること限りなし、われ大御所に仕へ奉りしこと年多き中に、正信と事を謀らせ給ふと見えし事、僅かに二度な…
- p004…二度ならでは見ず、世の人の事謀るとは樣かはりて、めづらかなり、まづ一度は大御所正信が坐せし所を通らせ給ひしが、立ち留らせ給ひ、三言四言ひそかに仰せらる…
- p004…候よく候と申しき、今一度は初め大坂の軍起りて、程なく御中直りありてのち、大御所京に入らせ給ひ、何某を召て汝大坂に行き向ひ將軍に申さんやうは、家康はいづ…
- p004…ち、大御所京に入らせ給ひ、何某を召て汝大坂に行き向ひ將軍に申さんやうは、家康はいづれの日、駿河に歸らんと思ふなりと仰せられて、正信が方を御覽じ佐渡守…
- p004…御覽じ佐渡守は如何にや思ふと仰せありしに、例の如く打眠りて申す旨もなし、大御所大きなる御聲にて、やあ佐渡守と仰せられし時、眼開きて先づ物をば申さで、右…
- p004…開きて先づ物をば申さで、右の手差上げて指をかゞめ、物かぞふると見えしが、大殿よ大殿よ幾年の前に伏見の御館にて、正信が申せし事をば忘れ給ふなと申せしか…
- p004…先づ物をば申さで、右の手差上げて指をかゞめ、物かぞふると見えしが、大殿よ大殿よ幾年の前に伏見の御館にて、正信が申せし事をば忘れ給ふなと申せしかば、大…
- p004…殿よ幾年の前に伏見の御館にて、正信が申せし事をば忘れ給ふなと申せしかば、大御所は暫く案じ出させ給ふ御氣色にて、御使仰せ蒙りし人に、まづ今日は使をば參ら…
- p004…所領多く賜ひしが果して其家絕えぬ、又正信ある時に嫡男上野介に語りしは、昔大殿濱松の城にましませし時、ある夜外樣の侍三人、御前に召して仰せ蒙る事ありて…
- p005…二男安房守政重は加賀國にあり、三男大隅守忠純といふ、上野介正純年十九より大御所に仕へ、終に執事の職に至り、下野國小山の地に近江の地添へて下し賜る、三…
- p005…先かけて戰ひ乘たる馬の首切て落され、乘替に乘ておめいて駈け遂に敵を打破り兩御所の御感に預る、明れば元和二年大御所薨し給ひし後、正純關東に參て將軍家に仕…
- p005…、乘替に乘ておめいて駈け遂に敵を打破り兩御所の御感に預る、明れば元和二年大御所薨し給ひし後、正純關東に參て將軍家に仕ふ、執政たること元の如し、…
- p007…上野介正純が罪定かならず、まづ世に遍く傳ふるは所、元和八年四月十七日、大御所の御遠忌に依て大相國家、日光山に詣で給ひ御歸路に正純が宇都宮の城、假の御…
- p007…又曰くこれのみにはあらず、初め上の御旨をも伺はで擅に己が城を修し築く、又大御所の御時より根來衆といふ足輕の兵百人を附け給ひしに、かの城修する時その百人…
- p007…生但馬守宗矩常に感ぜられしなり、誠に此一言を以て見るに、此人の若き時より大御所の御覺えよかりしも宜なるにや、又同職の人と其の間の不快なりしも推して知ら…
- p009…と云ひしを、呼びよきまゝに世の人三彌とばかり云ひしとなり、いづれの頃にや德川殿の御氣色を蒙り、山家に引き籠り居りしに、御書賜はりて召されし時に、山谷左…
- p010…佐渡守正信が弟にて、初め兄と共に德川殿に仕へ、一向專修の門徒にて針崎に立籠り、永祿六年十一月廿七日大久保が一族…
- p010…の岩石の城攻められしに、蒲生氏郷の軍奉行して先駈けし、慶長元年に至つて、德川殿に見參し元の如くに召仕る、同き五年關か原の戰に隨ひ參らせ、軍中の撿使たり…
- p012…大坂の軍には大御所の仰として、將軍家に隨ひ奉り、軍の御謀を助け參らす元和二年七月下總の國相…
- p013…此人天性腹あしき人なれど、又極めて正直の人なりけり、ある空寒き夜に大御所に參る、初めより兄の佐渡守御前にあり、夜の御膳を薦む、佐渡守にも膳賜る、…
- p013…を羹にして候はんには、今のほどには氷り候べしと云ひ棄てゝ御前を罷り出づ、大御所大きに呆れさせ給ひ、いかに正信汝が弟の心いまだ改らざりけり、あの心にては…
高力 第十一 · 7
- p001…國に歸り入らせ給ひし時、最初に味方に馳せ參り度々戰忠を致し、永祿三年五月德川殿に隨ひ參らせ、尾張國大高の城にして討死す、高力が家父子三人當家の御爲…
- p001…子三人當家の御爲に討死安長が男新三清長、成長の後、與左衞門尉と申す、德川殿御軍始の日より常に軍に隨ひて一度の不覺なく、永祿八年三河國始て平きしかば…
- p001…向けて攻めらるゝとも、たやすく落つべうも見えず、彼等元より今川の方人にて德川殿に隨ひ參らせず、爰に又遠江國可睡齋の住持は宗能歸依の僧なりけり、清長まづ…
- p001…き十四年叙爵させて河內守になさる、此時豐臣姓を授けられしと云十八年德川殿關東に移らせ給ふに及て、武藏國岩槻城を領す、二万石此年九月秀吉奧に…
- p003…れけり、同き十四年三月、岩槻の城火あつて悉くに燒け失せぬ、年毎の冬の頃は大御所御鷹狩の爲、駿河の國府を御立あつて關東に下らせ給ふ、この岩槻の城は假の御…
- p003…れば、忠房夜を日に繼ぎて城を搆へ假の御所造り出す、幾程なく十二月に至て、大御所この城に渡らせ給ひ、忠房御設する事例にかはらず、大御所其用意の程を大に驚…
- p003…なく十二月に至て、大御所この城に渡らせ給ひ、忠房御設する事例にかはらず、大御所其用意の程を大に驚かせ給ひ、御感大方ならず、江戶の城に歸り入らせ給ひ、や…
天野 第十一 · 16
- p002…藏人としるせる書あり誤れるか、伊東法印が記には內藏尤とあり、按ずるに德川殿も後には松平藏人と申し奉る、父の御敵にて滅びし人と、同しく稱しまゐらす可…
- p002…せる書あり誤れるか、伊東法印が記には內藏尤とあり、按ずるに德川殿も後には松平藏人と申し奉る、父の御敵にて滅びし人と、同しく稱しまゐらす可らざるにや…
- p003…づ然るべき人質を賜るべうもや候と宣ひて御使を返さる、岡崎殿大に悅ひ給ひ、德川殿其頃は竹千代殿と申て、御年六歲に成らせ給ふに、宗徒の御家人等が子息等を差…
- p003…質を賜るべうもや候と宣ひて御使を返さる、岡崎殿大に悅ひ給ひ、德川殿其頃は竹千代殿と申て、御年六歲に成らせ給ふに、宗徒の御家人等が子息等を差添へられ、駿河…
- p003…て西郡より御船に召され吉田に着かせ給ふ所に、當國田原の住人戶田彈正少弼、竹千代殿御迎の爲に潮見坂の邊に假屋を打つて御待ち設けす、かゝる所に森平太とて元は…
- p003…殿今の御舅、彼御娘我等が國に渡らせ給ふ、縱令その御腹を假らせ給はずとも、若君又彼御孫にこそあんなれ、如何でかゝる御結搆やあるべき、かの平太、今は敵の…
- p003…そ上り給ふべけれ、少弼いかで惡しうは計るべきと謂れて、人々承りぬと申て、若君の御供して皆々船に取乘る、海路遙かに漕き出せば、これや少弼が御道送りの船…
- p003…兵、御供の人々に使立て岡崎殿織田備後守信秀と御心を合はせらるゝに依つて、竹千代殿を迎へ奉る所なりと申て、熱田の大宮司が許に入れ參らせ嚴しく警固し奉る、御…
- p003…元、歸依の僧雪齋が謀にて安祥の城を攻め、信秀が三男三郞五郞信廣を虜にして德川殿と取替て、駿河國に迎へ參らせしに、康景又御供しぬ、甚右衞門尉は岡崎に留つ…
- p003…迎へ參らせしに、康景又御供しぬ、甚右衞門尉は岡崎に留つて守る弘治二年二月德川殿御軍始の時、康景父子隨ひ參らせ、程なく又駿河の國府に歸らせ給ひしに、康景…
- p003…給ひしに、康景猶御供に侍ふ、甚右衞門尉は石川本多と打連れて駿河國に至り、德川殿御歸國の事を義元に訴ふ、石川日向守本多豊後守が傳合せ見るべし…
- p003…康景高力與左衞門尉清長、本多作左衞門尉重次と三人、同じく其職に任ぜらる、德川殿此三人の奉行を置かれし時の仰に、世の人夫婦の間むつまじからぬも、子をまう…
- p003…人とは云ふべけれ、彼が十一歲の時敏なりしにて、その智の一端をば知りぬ、又德川殿の奉行三人置かれし事、古もかゝるためしやありし、我は未だ見ず、されど能く…
- p004…見たりしを、明る十八日の朝、康景聞てめでたき夢なりと思ひければ、この由を德川殿に申す、此月の廿日は、當家の佳例として御家人等召集められて、御鎧祭られ供…
- p004…、然るに今かれを下手人として參らすべきこと思ひもよらずと返答す、今年二月大御所關東より駿河に歸らせ給ふ時、かの疵蒙れる民、三嶋の邊に出向つて、某はした…
- p004…給ふに及で、天野井出を召决せらるゝに、一人は鬪諍と稱し一人は劫盜と稱す、大御所康景は非據を論すべき者にあらず、如何さまにも訴ふる者の僞る所にやと思召け…
菅沼 第十一 · 11
- p003…住む、定盈父祖に繼き野田の城に住して今川に屬す、永祿の初め今川上總介氏眞德川殿と中たがひし、當國の住人、德川殿の御方に參る者多し、定盈又德川殿に組みし…
- p003…して今川に屬す、永祿の初め今川上總介氏眞德川殿と中たがひし、當國の住人、德川殿の御方に參る者多し、定盈又德川殿に組みし參らす、氏眞安からぬ事に思ひ、夜…
- p003…總介氏眞德川殿と中たがひし、當國の住人、德川殿の御方に參る者多し、定盈又德川殿に組みし參らす、氏眞安からぬ事に思ひ、夜に乘して野田の城を襲ふ、定盈無勢…
- p003…人等して城を守らす、定盈程なく攻落して還り住む、同き八年當國の住人、悉皆德川殿に隨ひ參らせ、又遠江國を併せられん事を議せらる、定盈謀り申す旨ありて、同…
- p003…謀り申す旨ありて、同き十一年の冬に至り、井伊谷刑部等の城を取てまゐらす、德川殿悅ばせ給ふ事大方ならず、頓て其賞行はれ十二月十二日遠江國に在る所の本領悉…
- p004…二月十二日武田信玄、駿河の國府を落し、今川氏眞遠江國掛川の城に落ち來る、德川殿掛川を攻め給はんとて見附に陣取らせ給ひ、軍勢を分つて入山瀨に差向け、井伊…
- p005…の合戰には、野田の城に留り守る、同き三年十月甲斐の武田大膳大夫入道信玄、德川殿に中たがひして遠江國に發向し、二股の城を攻め落す、東三河の國人等忽に心變…
- p005…くに武田に與みす、定盈同次郞右衞門尉、二人ばかりぞ日頃の契を違へずして、德川殿の御爲に野田の城に立籠る、去程に十二月廿二日味方が原の合戰、武田入道うち…
- p005…うち勝て刑部に陣を取り、明れば天正元年正月十一日、野田の城に押寄せたり、德川殿かねてより定盈が加勢として、松平與一郞忠正を差向けらる、されども城中無勢…
- p005…々に敎訓せしかども二人承引の氣色もなし、入道さらば計らふべき樣ありとて、德川殿に使者を參らせて、それに候ふ東三河の國人等が人質賜らんには、野田の城にて…
- p006…此時德川殿は野田の後卷あるべしとて、速に濱松の城を出させ給ひ、笠取山に陣取り給ひ、…
北條 第十一 · 6
- p003…扨はこれも心變りしてけりと怒り給へば、氏勝また大に怨む、この氏勝は昔より德川殿の知召されし者なれば、御使を給つて、都築彌左衞門松下三郞右衞門關東…
- p003…され、今は小田原の城落ちん事遠きにあらず、速に降人となつて參られんには、家康いかにも命をば申し乞うて參らせんとぞ仰せける、氏勝此由を聞て德川殿の御情…
- p003…んには、家康いかにも命をば申し乞うて參らせんとぞ仰せける、氏勝此由を聞て德川殿の御情、死しても如何で忘れ參らすべき、去ながら既に討死を思ひ定めて候ふ上…
- p003…御使三度に及びし後、四月廿一日甘繩の城をば本多榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、德川殿の御家人になされ上總國岩富…
- p003…榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、德川殿の御家人になされ上總國岩富の地を下し給ふ、一万石關が原の戰に三河國…
- p003…て卒す氏勝初め保科彈正忠正直が三男養うて家繼かす、出羽守氏重とぞ申ける大御所の御外甥也大坂前後の戰に氏重將軍家の先陣打つて馳せ向ひ、寬永十二年六…
山岡 第十一 · 8
- p003…其後還俗して甲賀佐左衞門尉と名乘てけり、天正十年六月織田殿討たれ給ひ、德川殿和泉國堺の浦より三河國に歸り給ひし時、景隆景佐景友三人の兄弟、明智光秀が…
- p003…ひし時、景隆景佐景友三人の兄弟、明智光秀が催促に隨はず勢田の橋燒き落し、德川殿の御供して信樂の邊より伊賀國の界伽の峠といふ所まで送り奉りて路次の警衞怠…
- p003…の邊より伊賀國の界伽の峠といふ所まで送り奉りて路次の警衞怠らず、されば、德川殿も彼等兄弟の輩をば、さる賴しき人に思召し、其後兄弟豐臣家に隨ひ參らせ、備…
- p003…彌と號しけり以上或記に見えしまゝに記す太閤薨し給ひ大坂の奉行等が、德川殿失ひ參らせんと謀りし度每に、入道いつも德川殿の御館をぞ守りける、慶長五年…
- p003…太閤薨し給ひ大坂の奉行等が、德川殿失ひ參らせんと謀りし度每に、入道いつも德川殿の御館をぞ守りける、慶長五年奧の會津に向はせ給ひし時、入道は御供して馳せ…
- p003…城に留りて上方の軍起りし時、城中にて討死す、斯て上方の軍起りぬと聞えて、德川殿下野の國小山の御陣に、東國下向の大名を召されて、人々の思ふ所を尋させ給ひ…
- p003…、岡本下野守宗憲も降參す、爰にも兵分ちて城守らせ、十月六日伏見の城に參て兩御所の見參に入る、入道が振舞を感じ給ふこと大方ならず、同き八年十月三日大御所…
- p003…兩御所の見參に入る、入道が振舞を感じ給ふこと大方ならず、同き八年十月三日大御所、入道が伏見の家に渡らせ給ひ、終日の饗宴あり、此日入道が養子新太郞景本、…
小笠原 第十一 · 1
- p001…和泉守源吉次は初め大御所の仰として薩摩守殿に附けらる、慶長十二年の春守殿かくれさせ給ひし夏、關東…
皆川 第十一 · 5
- p001…、竹鼻口に出向つて防き戰はんとす三月廿九日山中の城落ちて、明れば四月朔日德川殿の先陣宮城野に攻め入ると聞えしかば、氏輝等小田原の城に引き返す、同八日、…
- p001…八日、明日寄手小田原の城攻めらるべしと聞えし夜、廣照密かに城中を忍ひ出て德川殿に付て關白の御陣に降參す、德川殿兼てより廣照を知召されし故也此年の…
- p001…しと聞えし夜、廣照密かに城中を忍ひ出て德川殿に付て關白の御陣に降參す、德川殿兼てより廣照を知召されし故也此年の秋北條亡ひし後、本領なれば皆川の地…
- p001…十四年九月廣照を初として、山田長門守松平讃岐守等、駿河の國府に參て密かに大御所に訴へ申ければ、介殿この由關東にて聞召され、夜を日に繼て馳せ參らせ給ひ、…
- p001…が罪蒙りし時、隆庸も其綠坐に處せらる、上總介殿御行ひ改らたまらせ給はず、大御所の御不興蒙らせ給ひ、終に流されさせ給ひぬ、其後隆庸將軍家に召返され、元和…
蒲生 第十二上 · 3
金吾 第十二上 · 22
- p003…參らせらるべしといふ秀秋聞て、ゑや首打落さんずる氣色にて打刀とつて立つ、德川殿引き留め給ひ、兎かく制して彼舘に伴ひ給ひしに、太閤の御使として尼孝藏主入…
- p003…もとの儘にこそあるべけれ、速に首を刎らるべう候と申せ尼前とて追つ返さる、德川殿尼孝藏主に向ひ給ひ、仰せ謹て承りぬと宣ふとこそ申さるべけれとありけれは、…
- p003…ひ、仰せ謹て承りぬと宣ふとこそ申さるべけれとありけれは、尼前承りて此上は內府の御計ひこそ候べけれ、政所の御方へも其由を申すべきにて候と申て罷出づ、德…
- p003…府の御計ひこそ候べけれ、政所の御方へも其由を申すべきにて候と申て罷出づ、德川殿秀秋に向ひ給ひ、たゞ兎にもかくにも仰に隨ひ給はん事こそあらまほしけれ、政…
- p003…みは心强くはおはせじものをと仰ければ、さらば秀秋みづから三成が首切て後、內府の仰にこそ任せ候はめと申さる、德川殿も今は强て仰せらるべきやうもなく、杉…
- p003…ば、さらば秀秋みづから三成が首切て後、內府の仰にこそ任せ候はめと申さる、德川殿も今は强て仰せらるべきやうもなく、杉原山口を密に召され、まづ家人少々越前…
- p003…、まづ家人少々越前の國に下さるべしと仰ければ、外樣の侍少々を差下す、斯て德川殿大納言利家と共に秀秋の事御歎あらんとありしかども、利家辭し申さる、德川殿…
- p003…德川殿大納言利家と共に秀秋の事御歎あらんとありしかども、利家辭し申さる、德川殿は日毎に太閤に參り給ひ、仰せ出さるゝ旨もなし、太閤如何にかくは毎日見え給…
- p003…され侍らねと答へ給て、其後も日毎に參り給へば、太閣又初の如く仰せければ、德川殿の答へ給ふやうも、初の如くなりしかば、太閤さほどに思ひ給はんには、內府の…
- p003…德川殿の答へ給ふやうも、初の如くなりしかば、太閤さほどに思ひ給はんには、內府の計ひに任せまゐらすべしと仰ければ、德川殿悅ばせ給ひて秀秋の許に向ひ給ひ…
- p003…ば、太閤さほどに思ひ給はんには、內府の計ひに任せまゐらすべしと仰ければ、德川殿悅ばせ給ひて秀秋の許に向ひ給ひ、杉原山口召して越前に下りし侍共召返さる、…
- p005…程なく六月二日に德川殿秀秋と打連れ參らせ給へば、太閤御對面あつて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜…
- p005…く賜ひ安宅貞宗の刀吉光の脇差大盤若捨子等の茶壺鷹二連黃金千枚等なり德川殿にも引出物ひかる、光忠の刀黃金三百枚秀秋この日長崎伊豆守を德川殿へ…
- p005…德川殿にも引出物ひかる、光忠の刀黃金三百枚秀秋この日長崎伊豆守を德川殿へ使として、此度の御芳恩いづれの時にか忘れ候べき、報ひ參らすべき時こそ侍…
- p007…太閤薨し給ひ同き五年の秋、德川殿奧の上杉追討のため御下向ありしかば、秀秋も急き軍勢を催して奧に下らんとて…
- p007…て奧に下らんとて本國を打立つ、大坂の軍また起りて諸國の軍勢を催促す、秀秋德川殿の芳恩を報ぜんこと此時にありと思ひしかば、舍兄木下右衞門大夫延俊が播磨國…
- p007…て、延俊と中違ひして大坂に至り、それより都に登て政所の御方に參り、秀秋は內府の御方仕るべく思ひなして候と申さる、政所聞召して大坂の兵伏見の城攻めらる…
- p007…相これ勝俊の事なり後に長嘯子と申しき木下の傳に此人の事詳なり內府の兵と共に彼城にあり、和君も大坂の兵と同じくかの城を攻めんに、わらは彼城…
- p007…に、勝俊伏見の城を出づ、秀秋この上は伏見の城に入て東國の御勢と共に立籠り內府を待つけ參らすべしとて、伏見の城に使立て此由を云はせらる、鳥居彥右衞門尉…
- p007…、伏見の城に使立て此由を云はせらる、鳥居彥右衞門尉元忠其旨に隨はず、實に內府の御方せさせ給はんには、寄手の人々と共に此城に向ひ給ひ、如何にもして人々…
- p007…下す、さのみは如何があるべきとて、やう〱大坂を打立つ、道のほど又日數經て德川殿既に尾張國に打入らせ給ふと聞えて、關が原のこなた松尾の山に至て陣を取る、…
- p007…り切つて懸りし程に、かたき前後を防きかねて忽ち敗れ失せにけり、軍終て後、德川殿の御陣に參られしかば、御悅斜ならず秀秋また佐和山の先陣を望まる、同十七日…
福嶋 第十二上 · 42
- p003…石又四位の侍從になされ羽柴の氏を許さる、慶長三年八月太閤薨し給ひて後、德川殿の御養君を松平因幡守康元の娘にて德川殿の御外姪なり正則が嫡男刑部少…
- p003…慶長三年八月太閤薨し給ひて後、德川殿の御養君を松平因幡守康元の娘にて德川殿の御外姪なり正則が嫡男刑部少輔正之の妻に定められしより事起りて、大坂の…
- p003…少輔正之の妻に定められしより事起りて、大坂の奉行等加賀大納言利家を勸めて德川殿失ひ參らせんとす、これ奉行等と謀り給はで私に仰せ合されし事を咎…
- p003…謀り給はで私に仰せ合されし事を咎めしとなり正則御方として最初に德川殿の御館に馳せ參る、程なく事平きし後、正則等また石田治部少輔三成を討たんと…
- p003…馳せ參る、程なく事平きし後、正則等また石田治部少輔三成を討たんとせしに、德川殿中和らけ給ひしに因て事また平きぬ、明れば慶長五年の秋德川殿、奧の上杉追討…
- p003…たんとせしに、德川殿中和らけ給ひしに因て事また平きぬ、明れば慶長五年の秋德川殿、奧の上杉追討のため御下向ありしかば、正則父子同じく馳せ下りて下野國宇都…
- p003…く馳せ下りて下野國宇都宮に陣取る、大坂の奉行等が兵起りて上方又大に亂る、德川殿東國下向の大名を悉く小山の御陣に召され、上方また亂れぬと聞ゆ、人々の家悉…
- p003…を悉く小山の御陣に召され、上方また亂れぬと聞ゆ、人々の家悉く大坂にあり、家康この事を思ふに心苦し、まして人々の心のうち思ひやりぬ抑も弓矢とる身の習ひ…
- p003…日はかたきとならん事めづらしからず、されば今人々の敵に組みし給はん事も、家康いかで恨を遺すべき、家康もし勝軍したらん後、人々の見參に入らん時、今まで…
- p003…らしからず、されば今人々の敵に組みし給はん事も、家康いかで恨を遺すべき、家康もし勝軍したらん後、人々の見參に入らん時、今までのよしみ忘るべからず、と…
- p003…伐仕るべう候と申ければ、有合ふ所の大名一人も殘らず、皆正則が申す旨に從ふ德川殿悅ばせ給ふ事淺からず、正則やがて海道の先陣して打て登り、美濃の國高須竹鼻…
- p003…を攻め落し、關が原に戰て多くの敵を討ち滅し、毛利嶋津等を降して天下悉くに德川殿に歸せし事、正則が功莫大なり、されども此人心猛く行ひ暴くして人の命を斷つ…
- p003…して此度の功にや誇りけん、不思儀の振舞し多かりけり、關が原の軍終てのち、德川殿近江國草津の宿に至り給ひ、洛中物靜かならずと聞召し、狼籍を鎭められんが爲…
- p003…問ふ、仰にや及ぶべきと答ふ、よし〱さらば夫にて腹を切れ、正則が身汝に代て德川殿より彼關守らせられし伊奈が首とつて汝に手向けんずものをとて、首打落し伊奈…
- p003…く足輕の兵とこそ見えつれ、其品尤均しからず、抑も正則身不肖には侍れども、德川殿の御方として御先を懸け隨分の微功を顯せし事、全く正則身の功にあらず、これ…
- p003…言ければ、正則家子郞等らに疎まれて重てはか〱しき軍せんこと叶ふまじ、今は德川殿にも正則よしとも思召さじ、此後御門下に伺候せんも詮なしとて引籠る、此時…
- p003…此後御門下に伺候せんも詮なしとて引籠る、此時福嶋陣替の事ありといふ德川殿此由を聞召して、正則が申條その理なきにあらず、伊奈が計らひ不當なりと怒ら…
- p006…御身に天下の御大事あらんと云ひしは、守殿は御兄にて大相國家は御弟なれば、德川殿かくれさせ給はゞ、必天下の御爭あるべしと思ひしにや、何れにも正則が心のう…
- p007…同き八年二月德川殿征夷將軍の宣旨蒙らせ給ひし時、正則四位の少將になされ、同七月右大將家の、…
- p007…らす、これ正則が計らひし所とぞ聞えける、同き十年五月右大將家拜賀の御時、大御所も都へわたらせ給ひしかば、豐臣家に御對面のため、上洛の事催させ給ひしに、…
- p007…十二年の冬正則嫡子刑部少輔、狂疾出で來ぬとて取て押込め、終に首を刎て其妻德川殿の御養君を返し參らす、明れば十三年の春、豐臣家疱瘡煩はせ給ふと聞て、上方…
- p007…〱に大坂に馳せ集る、中にも正則最初に馳せ參る、十六年三月豐臣家上洛あつて大御所に御見參の時、侍從輝政池田肥後守清正加藤紀伊守幸長淺野…
- p007…長薨して後、子息利光朝臣この年三月大坂より父の卿に送りし牒狀を得て、密に大御所に献せらる、其文を御覽あるに豐臣家御年既に盛りにならせ給ひぬ、すべからく…
- p007…、正則同じく關東に在り、十月七日竹中伊豆守重利、關東より駿河に馳せ參る、大御所重利を召されて汝は正則に親しう相語ふ者なれば、我が爲に又關東に趣て正則に…
- p007…にこそあるべけれ、抑も正則元より故太閤のゆかりに就きて秀賴にも親しく、又家康父子にも疎からず、されば正則が身に取ては何れの方に組みせんとも思ひわかじ、正…
- p007…は關東に止て息男備後守に軍勢つけて參らすべき者かと仰せ下さる、同月十一日大御所駿河の國府を立たせ給ひ、同十三日中泉に至らせ給ふ時、正則が使者竹中が書を…
- p007…上野介正純、正則が大坂へ參らする文とつて見るに、此度大佛修造の事に就きて兩御所を怨み給ふべき御結搆、これ只事とも覺えず、ひとへに御家運かたぶかせ給ふべ…
- p007…さなからんも、御計らひにこそよるべけれと載せたり、同十六日又正則が使者、大御所の岡崎の御陣に馳せ參り一通の書を献る、これ正則先陣を賜て馳せ向ひ速に彼の…
- p007…、これ正則先陣を賜て馳せ向ひ速に彼の阿黨等を誅すべき由を望み申す所なり、大御所正則が申す所神妙なり、只其儘に關東に在て妻子悉く城中に參らせ置くべしと仰…
- p009…加藤は將軍家に隨て馳せ向ひしかど、正則をば關東に止めらる、明れば二年四月大御所薨しさせ給ひ、大相國家御代知召され、正則が舊功を思召されけるにや常に彼が…
- p010…べき有樣なり、御使の人々彼館に行き向ふ、正則仰の旨承りて、やゝあつて後、大御所世にまします時ならんには、正則申すべき事もありなまし、當代に向ひ參らせて…
- p011…ざる事かくの如し、これ史官の備らざるによる所か○或記に正則が罪蒙りしは、大御所の御遺命なり、正則當家に大忠ありしこと度々に及びしかど、その國中の土民等…
- p011…せられしなり、有難き御心なりけりと記せり、是れ世の人の信じ用ゐる事なり、兩御所の正則が舊功を忘れさせ給ひて、罪に處せられしと、後の世にぞ知り參らせんこ…
- p012…謹て事の樣を按ずるに關が原の一戰に、天下悉く德川殿に歸せし事、たとへば周の武王の一度戎衣し給ひしと云ふに、をさ〱劣る可らず…
- p012…にならせ給ひぬ、たとへ彼の御母この謀に與からせ給ふとも、女の御身なれば、兩御所御恨を留め給ぶべきにもあらず、只彼の姦臣等を誅せられしのみにて、かの御事…
- p012…あつても其誅をゆるし給ふべからず、まして暴惡かくの如くなりしをや、然るに大御所かくれさせ給ひ、將軍家世しろしめされし初、かの官をも位をも昇せ進め給ひし…
- p012…何故に當家に忠盡さんとは思ふべき、又大坂の軍起りし時、諫書參らせしことも兩御所の御疑ひ無らんやうに、一々に拵へて如何にもして自ら御供して馳上り大坂の方…
- p012…なる謀をも運らさんと思ひしとこそ覺ゆれ、愚なる身にだにかく思ふに、まして兩御所、彼人を大忠の人とは如何で思召さるべき、然るに兩御所かれが大忠を思ひ給へ…
- p012…にかく思ふに、まして兩御所、彼人を大忠の人とは如何で思召さるべき、然るに兩御所かれが大忠を思ひ給へども、其國の土民等が歎きを哀れませ給ひし故に、かく罪…
- p013…長島の城を領す、一万石慶長五年の秋上方の軍起りし時、正賴舍兄と共に德川殿の御方として、海道より馳せ上り己が城に立籠る、無勢なればとて、山岡備前入…
- p013…たれば、此年十一月大和國宇陀の城を賜て移る、三万石慶長十九年正月、大御所關東わたらせ給ふ時、正賴が侍、一封の書を献て告け申す旨あり、此月の末駿河…
- p013…賴が追捕せんに、何條の事か有るべき、斯る不思議なる事を承る者かなと答ふ、大御所此由を聞召し、彼捕へられし侍の繩ときて追却し、追捕せし輩を禁獄せらる、程…
加藤 第十二上 · 15
- p006…を爭て訟起り、清正等七人の大名一つに成て、石田治部少輔三成を討たんとす、德川殿中和らけ給ふに因つて、三成職解て己が所領に引籠りしかば事平らく、同き五年…
- p006…らけ給ふに因つて、三成職解て己が所領に引籠りしかば事平らく、同き五年の秋德川殿、奧の中納言景勝を討ち給ふ時、大坂の軍起りて德川殿を滅し參らせんとす、此…
- p006…事平らく、同き五年の秋德川殿、奧の中納言景勝を討ち給ふ時、大坂の軍起りて德川殿を滅し參らせんとす、此時清正關東に使參らせて、御方仕るべき由を申せしかば…
- p006…滅し參らせんとす、此時清正關東に使參らせて、御方仕るべき由を申せしかば、德川殿悅ばせ給ひ肥後國悉く賜ひ、急き近國を攻め從ふべき旨を仰下さる、八月十二日…
- p006…きて、御方たるべき由を申しけるにや、〇世には清正初め山岡道阿彌に就きて、德川殿の奧に下り給はん事を諫め止め參らせ、上方に軍起るべき由を申しけるに、德川…
- p006…川殿の奧に下り給はん事を諫め止め參らせ、上方に軍起るべき由を申しけるに、德川殿用る給はず、清正は急き本國に歸て九州を鎭むべしと仰せらる、清正重て奧に向…
- p006…に歸ると云々、此說覺束なし、初め慶長四年の春清正等が石田討たんとせしを、德川殿制し給ひしより、清正と德川殿との間心好からず、同じ秋加賀の利長國へ歸りし…
- p006…初め慶長四年の春清正等が石田討たんとせしを、德川殿制し給ひしより、清正と德川殿との間心好からず、同じ秋加賀の利長國へ歸りし後、清正も肥後の國に歸る明れ…
- p006…、東西の軍起りしかば、清正桑山式部を使として中納言輝元へ申さるゝは、今度內府と三成と軍起りぬ、中納言殿三成に與みし給ふと承りぬ、清正大和國を一圓に下…
- p006…りぬ、清正大和國を一圓に下し給はらば、急き馳せ上て關東に攻め下らんには、內府に從て奧に下りし上方の大名は、皆清正に與みし候ひなん、內府亡し給はん事は…
- p006…め下らんには、內府に從て奧に下りし上方の大名は、皆清正に與みし候ひなん、內府亡し給はん事は、清正が身一人に任せ給ふべき所也と申さる、桑山輝元の家人に…
- p007…石、を領す同き十六年三月廿八日前右大臣殿秀賴の御事上洛ありて、大御所へ參り給ふ、此日肥後守清正侍從輝政池田紀伊守幸長淺野三人御供…
- p008…閤の御恩報い參らする事、今日既に訖んぬと獨語いひけるとなり、これよりさき大御所の仰せにて、清正が娘を常陸介殿の北の方と定められ、又將軍家の御養女を彼の…
- p008…月廿四日に卒す、子息虎之助父に繼く、いまだ幼弱なりしかば、藤堂和泉守高虎兩御所の仰せ承り、同七月肥後國に下りて國務を沙汰し、明れば正月十五日駿河の國府…
- p008…十八年將軍家の御養君、彼の家に入らせ給ふ、實い蒲生飛驒守殿の嫡女にして大御所の御外孫女なり忠廣十八歲姫君十二歲の御時なりと云ふ大坂の軍起りし時、…
最上 第十二上 · 17
- p003…らせて、殿下に隨ひ奉りしかば、本領安堵子細あらず、初め織田殿の御時より、德川殿にも常に音信を通しければ、義光此度馳せ參りしと聞えしかば、德川殿の御使酒…
- p003…時より、德川殿にも常に音信を通しければ、義光此度馳せ參りしと聞えしかば、德川殿の御使酒匂の邊に出迎うて迎へ入れらる、明れば十九年の秋、奧の九戶が叛きし…
- p003…使酒匂の邊に出迎うて迎へ入れらる、明れば十九年の秋、奧の九戶が叛きし時、德川殿信夫郡大森といふ所に御陣を召さる、義光次男太郞四郞又左馬助年僅に十…
- p003…太郞四郞又左馬助年僅に十歲なるを具して、御陣に參り御家人に參らす、德川殿大名の子息を御家人となされし始なれば、悅ばせ給ふこと斜ならず、彼男が十三…
- p003…が娘も誅せられ、義光關白の謀叛に與せし聞えあつて、國既に亡ぶべきに究る、德川殿の御計らひに依て罪免され、義光悅ふこと大方ならず、如何にもして此恩報じ參…
- p003…名、皆々太閤の御所に馳せ集る、義光一人家子郞等引具して、はだせ馬に打乘て德川殿の御舘に馳せ來る、斯る時には人の心も計り難し、御舘出でさせ給ふ事あるべか…
- p003…はんには、御心やすう思召さるべう候と申て御舘を守る、其後太閤自ら茶點して德川殿に參らせらるべきよし仰せらる、事怪しう聞えしかば、義光急き御所に參りて、…
- p003…に參らせらるべきよし仰せらる、事怪しう聞えしかば、義光急き御所に參りて、德川殿に近付き相構へて今日の事、御心せさせ給ふべし、義光これに侍らば、何の御恙…
- p003…づ、幾程なくて太閤薨し給ひ、上杉中納言景勝石田治部少輔三成と心を合はせ、德川殿失ひ參らせんとて、我國に下りて密に近國の大名を催す、義光の許へ使立て、大…
- p003…味方に參るべき由を云ひ送る、義光宗徒の一族郞從と相謀り同心のよし返答し、德川殿に早馬を參らせて斯くと申す、景勝最上が御方に參るべしと聞て大に悅び、先づ…
- p003…具の料とて黃金二万兩を贈くる、義光是を領して家の子郞等らに分ち與ふ、頓て德川殿景勝追討の爲に御下向あるに及んで、南部秋田を先として、山北の輩を引具して…
- p003…田を先として、山北の輩を引具して景勝が國に攻め入らんとす、上方又軍起つて德川殿引返させ給ふよし聞えて、寄騎の輩悉くに引かへす、景勝初め義光にたばかられ…
- p003…五百八十餘人が首切つて、谷地の城を降し庄內の城を落す、明れば六年七月景勝德川殿に降りし後、義光して酒田の城を取らせ給ひしに、守の兵敢て下け渡さず、義光…
- p003…子の間色々に和けしかども、あへて聽かず、義光關東に參りし時、密かに此由を大御所に申ければ、大に驚かせ給ひ、凡そ人の子たらんものは、父母の事故なからん事…
- p003…なるならんと仰ありしに、駿河守家親して繼かせ申すべしと申す、家親は幼より大御所に仕へ參らせて御覺もよかりしかば、此人いかにも然るべき由を仰せらる、義光…
- p003…き由を仰せらる、義光頓て國に歸り義康が許に使立てゝ、此度關東に參りしに、大御所かねて我等が父子の間、心よからぬを聞召し及ばれ、親しき間の和かざるは、疎…
- p004…ひければ、最期の御暇乞ひ申さんとて、九月の初に俄に國を立て駿河に參りぬ、大御所其志の切なるを感し給ひ、輿に乘りながら門に入る事を免されて參る、御藥を始…
堀尾 第十二上 · 15
- p004…文祿二年天下に政令を敷かれし時に、德川殿前田利家浮田秀家毛利輝元小早川隆景連署せらる、時に五人の大名衆と云ひし由…
- p004…を五大老と稱せし事は、太閤薨し給ひし後、大坂の奉行等が言ひ出せる事にて、德川殿も彼家の老と稱せし家司也といはんが爲なり、然るを又今の世にも其心を得ぬ人…
- p004…又今の世にも其心を得ぬ人の、皆五大老と言ひもし筆にも顯す、大に僻事なり、德川殿は此時既に大臣の位に昇らせ給ふ、むかし昭宣公の初て關白にならせ給ひしより…
- p006…太閤薨じ給ひて纔か五月にだに滿たず、大坂の奉行等、利家大納言を勸めて德川殿失ひ參らせんとす、吉晴が計ひに因て德川殿の御心の儘に事平きぬ、德川殿悅ば…
- p006…大坂の奉行等、利家大納言を勸めて德川殿失ひ參らせんとす、吉晴が計ひに因て德川殿の御心の儘に事平きぬ、德川殿悅ばせ給ふ事斜ならず、御家絕えざらんうちは其…
- p006…めて德川殿失ひ參らせんとす、吉晴が計ひに因て德川殿の御心の儘に事平きぬ、德川殿悅ばせ給ふ事斜ならず、御家絕えざらんうちは其志の程忘れ給ふまじきとの御誓…
- p006…も世既に亂れんとする事、度々に及びしかど、吉晴いみじく謀て事故なく平く、德川殿かく天下の動きなき事、彼が功尤も鮮からず、賞せられずんばある可らずと仰ら…
- p006…城を吉晴に加へ賜ひぬ、六万石の地加へられ本領合て十八万石也此年の夏德川殿、奧の上杉追討のため御發向ありと聞て、吉晴も隨ひ參らせんとて、越前の國府…
- p009…加賀井彌八郞木村彌一右衞門と二人、秀賴の御使として關東に參る、是は德川殿御對面あらん時、さし殺し參らすべき爲なり、德川殿御心地例ならずとて出させ…
- p009…使として關東に參る、是は德川殿御對面あらん時、さし殺し參らすべき爲なり、德川殿御心地例ならずとて出させ給はざりしかば、二人力なく引返へす、加賀井は道に…
- p009…て吉晴に行逢ひ、其當時は御使の身なれば大坂に歸り參りぬ、御使の事終らば必內府に從て奧に向はんと存す、彼御家人に知れる人なし、吉晴の執し給はん事を賴み…
- p009…いふ、吉晴聞て吉晴も北國に趣きぬ、和殿又下らん時爰にあらず、和泉守忠重は德川殿に親しき人なり、此人をこそ賴み給ふべけれと答ふ、加賀井いまだ忠重を知らず…
- p010…陣す、初め小山の御陣に飛脚到來して、和泉守殿吉晴が爲に討れ給ひぬと聞ゆ、德川殿大に驚せ給ひ急き此由を宇都宮の御陣に告けらる、中納言殿聞召され、吉晴父子…
- p010…小山の御陣に召されて軍評定ありし時、海道の大名等おのが城々に兵粮こめて、德川殿にさげ渡し參らせ、人質共吉田小田原等の城に納れし事、信濃守忠氏が計ひとぞ…
- p010…忠氏先陣の人々と同しく、海道より馳せ上つて軍す、關が原の合戰終つてのち、德川殿彼の父子が功を賞せられ、同き年十一月出雲隱岐兩國を下し賜ふ、二十三万…
田中 第十二上 · 3
中村 第十二上 · 12
- p003…の城を守らしむ、一氏十二万二千二百石一榮に三万石をわかつこれ內々は德川殿關東に移らせ給ひしかば、一氏して其境を守らせ給はん爲なりけり、一氏も某か…
- p003…の御心にかゝらせ給ふ事も、あるまじきにて候と申せしとこそ聞えたれ、されば德川殿も假初の御鷹狩にも、彼境をば避け給ひ又一氏も境をば接しながら、敢て隣國の…
- p003…ん年の七月、中老の職になされ天下の政務に預りぬ、幾程なくて大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參らせ、一氏初め故太…
- p003…程なくて大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參らせ、一氏初め故太閤の仰を承り關東を鎭めんがため我國を守る、されば人…
- p003…大事を承りぬ、一氏に於ては御方として、敢て二心を存ず可らず候とぞ申ける、德川殿聞召され子息の事まづ承りぬ、次には年來の御振舞ひ賴しうこそ思ひ候ひつれ、…
- p003…大に悅びて同職の輩と善きに計ひ參らせし程に、事既に平らきぬ、慶長五年の夏德川殿、上杉中納言御追討あらんとて奧に下らせ給ひし時、一氏既に病の床に臥して、…
- p003…討あらんとて奧に下らせ給ひし時、一氏既に病の床に臥して、おのが城にあり、德川殿途より村越茂助直吉を御使にて、彼病を問はせ給ひ、子息一學に御刀を賜ひぬ、…
- p003…元服の儀ありて、御家號幷に御諱字賜ひ叙爵させて松平伯耆守忠一と召され、又大御所の御養君を彼妻となさる、松平因幡守康元の娘大御所の御外姪なり忠一十…
- p003…耆守忠一と召され、又大御所の御養君を彼妻となさる、松平因幡守康元の娘大御所の御外姪なり忠一十五歲の年の暮、家の老橫田內膳が常に諷諫の言を盡せしを…
- p003…に討たれぬ、城中の兵も殘り少く討ちなされ、城に火かけて悉く腹切つて死す、大御所このよしを聞召され、御氣色を損し安井近藤大野道家四人を召され、事の由を一…
- p003…四人を召され、事の由を一々御尋ね極められ、安井天野道家は誅に伏し道家は大御所より姫君に付けられし人なり近藤をば助けらる、是は內々橫田が討たるべし…
- p003…東へ參る、江戶に入る事を免されず、品川の宿に籠居し日數經てのち、召されて兩御所に見參す、程なく慶長十四年五月十一日廿歲にて世を早うし、世嗣なければ家絕…
筒井 第十二上 · 4
- p010…關東朝鮮等の軍に從ひ大閣薨じ給ひし後、慶長五年の夏、中納言景勝追討のため德川殿御下向ありし時、定次も奧に下る上方の軍又起りぬと聞えて、德川殿の仰蒙りて…
- p010…追討のため德川殿御下向ありし時、定次も奧に下る上方の軍又起りぬと聞えて、德川殿の仰蒙りて本國伊賀の國に馳せ上る、かゝりし所に上方の多勢、大坂を立て、先…
- p010…め落し、赤坂に陣を取り關が原の先懸して敵の多勢を打破る、此事終て十一月、德川殿より本領を賜はりければ、再び伊賀國を領す、同き十三年六月家人中坊飛驒守秀…
- p011…軍勢、馳せ向ふと聞て大坂の城に引返す、主殿助それより南都に落ち行きしが、兩御所の御氣色よからぬと聞て、終に自害して失せたりけり、其名或は定昌といひ又定…
里見 第十二上 · 2
生駒 第十二上 · 5
- p001…村式部少輔一氏堀尾帶刀吉晴、親正と同じく中老の職になさる、大坂の奉行等、德川殿と不快の事起りしには三人心を一つにし其間を和けしに依て、德川殿何の恙もわ…
- p001…の奉行等、德川殿と不快の事起りしには三人心を一つにし其間を和けしに依て、德川殿何の恙もわたらせ給はず、慶長五年の夏德川殿、奧の會津に向はせ給ふ時、讃岐…
- p001…を一つにし其間を和けしに依て、德川殿何の恙もわたらせ給はず、慶長五年の夏德川殿、奧の會津に向はせ給ふ時、讃岐守一正御供にて候ひける此時父雅樂頭親正は…
- p001…が男左近大夫正俊は、大坂の催促に從ひ丹後の國に向ふ、一正元より東國に在て德川殿の味方に加はり參らせけれは、海道の先駈して美濃の國に戰ふ、此年天下悉く德…
- p001…殿の味方に加はり參らせけれは、海道の先駈して美濃の國に戰ふ、此年天下悉く德川殿に從ひ參らせしかば、勸賞として一正讃岐國を賜て一國すべて十七萬石餘…
寺澤 第十二上 · 3
富田 第十二下 · 6
- p001…益嘉隆が軍兵都合二千餘人、大船に取り乘て尾張の國に押渡り蟹江の城に趣く、德川殿の御勢に攻められて、からうじて城に入る、寄手つゞいて攻めければ、九鬼兵船…
- p002…執りし者なるが、石田が爲に讒せられて、其權日々に衰へけりと云ふ、按ずるに德川殿豐臣家と御中直りの後、始て榊原式部大輔が御使承て上洛せしに、富田が家を旅…
- p003…男信濃守知高、父に繼きてのち、慶長五年の秋東西の軍一時に起る、知高初より德川殿に從て東國に候ひしが、德川殿の御方として八月朔日東國を立て、夜を日につぎ…
- p003…、慶長五年の秋東西の軍一時に起る、知高初より德川殿に從て東國に候ひしが、德川殿の御方として八月朔日東國を立て、夜を日につぎて本國に馳せ歸る、池田侍從輝…
- p004…は伏見にあり、左京亮又伏見に來りて軍せんと犇く、人々是を制しければ左京亮大御所にかくと訴へけり、今は天下の事將軍に讓り給ひぬ彼の御裁斷を仰くべしと仰せ…
- p004…が許に持ち參て見せたり、對馬守大に悅ひ此文を取りて十八年關東に參る、此時大御所も關東に渡らせ給ひしかば、十月八日に將軍家に富田坂崎を召决せらる、坂崎此…
稻葉 第十二下 · 4
德永 第十二下 · 6
- p001…され、美濃國松木の城を領してけり、二万石又三万石とも云慶長五年の秋德川殿に隨て奧に向ふ、上方の軍起りぬと聞えて、東國下向の大名悉く德川殿小山の御…
- p001…五年の秋德川殿に隨て奧に向ふ、上方の軍起りぬと聞えて、東國下向の大名悉く德川殿小山の御陣に馳せ集り、福嶋左衞門大夫正則最初に御方に組し參らす可きよし申…
- p001…しかば、高木も今は是迄なりと川舟に取乘て落ち行けば、城をば入道取てけり、德川殿美濃國に攻め入らせ給ひしかば、入道市橋下總守横井兄弟等と尾張の…
- p001…張家にあり多藝口に出で陣を取る、九月十六日昨日關が原の戰終りぬと聞て、德川殿に追附きまゐらせんと馬を馳す、討ち漏されたる敵、多羅尾山に分け入らんとす…
- p001…安國寺等押寄せて戰ひ、武者二騎雜兵六十三人が首きつて、摺針峠に出向つて德川殿に見參す、此年十一月勸賞行はれて、高洲の城に地餘多付けて賜はりぬ、二万…
- p002…て訟起りしと云ふ、精しき事をば知らず、左馬助死してのち慶安元年六月三日、大御所の御遠忌に依つて息男下總守召返されて、祿米二千俵を賜はり承應三年九月廿七…
西尾 第十二下 · 2
古田 第十二下 · 4
- p001…万七千石〇天正十八年の後なるべし太閤薨し給ひて後、慶長五年の秋重勝、德川殿に隨て奧に向ふ、おのが城には家の子同助左衞門尉を留め置く、上方又軍起りて…
- p001…の味方敗ると聞えて、寄手終に引返しぬれば重勝遂に城を落されず、此年十一月德川殿、重勝が功を賞せられて所領の地加へ賜る、二万三千石加へられて六万石を領…
- p001…かの父が官なれば、彼にこそ兵部少輔をば望ませ侍るべきにて候へと辭し申す、大御所聞召し、あつはれ今の世には類ひ少き人なれと感じ給ふ事大方ならず、大坂前後…
- p004…樣をこそ謀るべけれ、且かの御寳物共と申すは、故大閣の賜りし物共多かりき、大御所を始め奉り當代にも御覽の物共少からず、然るを今忽に失せはてなんこと然るべ…
古田 第十二下 · 3
山崎 第十二下 · 2
本多 第十二下 · 1
- p001…長の男失せ給ひし後、太閤の御家人と成てけり、慶長五年の夏因幡守俊政、德川殿に從て奧に向ふ、同き七月大坂の軍起ると聞え、東國の御方として海道の先陣打…
松下 第十二下 · 2
高橋 第十二下 · 1
- p001…つて秋月相良と相謀り、大坂の軍奉行等が首きつて垣見和泉守熊谷內藏允德川殿に參らす、かゝりける所に伊東修理大夫祐慶、日向國飫肥を領す東國の御…
關 第十二下 · 3
杉原 第十二下 · 1
- p004…なり長房も其催促に隨ひて寄手にぞ候ひける、關が原の戰終てのち、天下悉く德川殿に從ひまゐらす、長房元より東國に心を通じければ本領を安堵す、…
前田 第十二下 · 3
松倉 第十二下 · 10
- p001…衞門尉、右近入道西安齋等、幷に筒井宗徒の侍なり、其後筒井が家亡びてのち、德川殿に仕へて和州五條村二箕村を新城として一万石を領す、或說に重政の曾祖父式部…
- p002…慶長五年の秋東西の軍起りし時、豐後守重政關東に馳せ下り、又德川殿の御供して馳せ上る…
- p006…九月十五日東西既に關が原にして矢合せんとす、重政郞等の田中一人具して、德川殿の御陣に參る、重政仰承りて大事の要害を守るといへども、彼處に在て今日の戰…
- p006…あはれ御免を蒙て先陣の人々の軍するやうを、只一目見て罷り歸らばやと申す、德川殿いみじくも參りたる者かなと、仰せも果てぬに御前を立て、敵の中に馳せ向ひ、…
- p008…德川殿重政が振舞ひ大に御感あつて頓て其賞行はる、大和國宇智郡二見の地一万石…
- p008…五月七日の合戰に首五十三切て献る、軍終て後、堀丹後守直寄、重政と功を爭ひ兩御所の御裁斷を蒙て、重政が申す旨ことわりありければ、大御所の御感斜ならず、…
- p008…寄、重政と功を爭ひ兩御所の御裁斷を蒙て、重政が申す旨ことわりありければ、大御所の御感斜ならず、…
- p009…爭つて城に攻め近づく、藤堂和泉守が手に隨ひし大和勢、我れ劣らじと城を攻む兩御所の御下知をも承らずして軍勢を進めし事を、大に怒らせ給ひ、人々の手に御使を…
- p009…み攻めし上は、仰承つて引返さんとも覺えぬ者をとて、猶城をぞ攻めたりける、兩御所の御使を承て後、引て返る、又此年五月六日道明寺の合戰に、松倉が後陣に控へ…
- p009…馳せ向ふを見て候ひき、されば重政いりで直寄が助を請ひ候ふべきと申ければ、大御所聞召され去年重政が高虎と相論に及びしも、其理なきにあらず、今又陳じ申す所…
坂崎 第十二下 · 1
- p001…岡越前守角南隼人楢村監物等彼の家を去る、明れば五年の夏德川殿奧に向はせ給ひし時、左京亮等御供に從ひ上方の軍起りし後、海道を攻め上る故…
戶川 第十二下 · 1
- p001…を去る、浮田左京亮岡越前守花房志摩守等の輩也明れば五年の秋、德川殿奥の會津に御發向ありし時、肥後守達安御勢に馳せ加る、上方の軍又起りしかば…
平岡 第十二下 · 2
藤田 第十二下 · 11
- p001…り、宮嶋の宿に陣取らんとす、上杉が侍大將安田上總介先陣に打つ、かゝる所に德川殿の御勢六七百、既に宮嶋の宿に陣を取る、安田德川殿の御家人に使立てゝ、抑も…
- p001…介先陣に打つ、かゝる所に德川殿の御勢六七百、既に宮嶋の宿に陣を取る、安田德川殿の御家人に使立てゝ、抑も此度都にて路次の先陣後陣定められしに、上杉は三番…
- p001…の御家人に使立てゝ、抑も此度都にて路次の先陣後陣定められしに、上杉は三番德川殿は四番とこそ承れ、それに上杉に先達て陣取らせ給はん事、叶ふべからず、速に…
- p001…田能登守信吉、上總介に繼きて押來り、此由を見るよりも兩陣の間にかけ隔て、德川殿の御家人村越茂助等に對面して、御勢既に此所に陣取らせ給ふを、追たて…
- p001…のまゝに、この宿にこそ陣どらせ給ふべけれと云ひしにぞ立所に事は平ぎける、德川殿この由を聞召され藤田が許に御使大久保七郞右衛門尉永井右近大夫なり給…
- p001…由を聞召され藤田が許に御使大久保七郞右衛門尉永井右近大夫なり給て、家康が家人面目を失はざりし事、信吉の計らひに依る所なりと仰せ下されけり、慶長…
- p001…、信吉大森の城を領す、同き三年八月太閤薨し給ひ、信吉御吊使として都に上り德川殿に見參す、宮島にての事、仰せ出されて物多く給ふ、靑江直次の御刀黃金百…
- p001…居て入道し源心とぞ號しける、かゝる所に景勝が軍起りぬと聞えて、追討の爲、德川殿大坂を御立あつて伏見の城に入らせ給ひ、能登入道源心が許に御使あつて、阿…
- p001…終て後、景勝終に降人になつて參る、信吉頓て御暇給て上杉が家に歸らんとす、德川殿信吉を御前に召され、汝が主初に兵を擧て世を亂る、其罪なしといふべからず、…
- p001…相違あるべからずと仰せ下さる、信吉猶上杉が家に歸らん事を望みしかば、景勝德川殿に參りし時、信吉を召出され、ありし事共御物語ありしにぞ、景勝も心解けられ…
- p003…ゝる所に大坂の軍起りしかば、御使給て重信を召さる、夜を日に繼て馳せ上り、大御所の先陣を承る、御前備の右は藤田能登守左は本多佐渡守中は立花左近將監な…
佐久間 第十二下 · 1
- p003…慶長五年の秋東西の軍一時に起りし時、彼等兄弟德川殿の味方に參る、是より御家人に召加へられ、大坂の戰に兄弟共に首切つて參らす…
村上 第十二下 · 1
- p003…じく移て、本庄の城を領す、今の村上の城なり九万五千石餘慶長五年の夏德川殿、上杉中納言を追討あるべきにて、越後國の人々は左衞門督秀治に隨て、北陸道…
石川 第十二下 · 12
- p001…時に、德川家に仕へ、安藝守淸兼が時に至つて、安祥殿より此かた三代に仕へ、德川殿を助け參らす、先祖の事本集の中石川が傳に詳なり初め德川殿駿河の國府…
- p001…代に仕へ、德川殿を助け參らす、先祖の事本集の中石川が傳に詳なり初め德川殿駿河の國府に渡らせ給ひしうち、今川殿の仰承て淸兼が嫡子右近、岡崎の城を守…
- p001…ひしうち、今川殿の仰承て淸兼が嫡子右近、岡崎の城を守れば、右近が男内記は德川殿に隨ひ參らす、淸兼卒して右近世を早うし、內記元服して伯耆守數正とぞ申しけ…
- p003…德川殿御軍始の日より數正常に御陣に侍ひて、永祿四年二月石が瀨の戰に、水野殿のう…
- p003…大剛の者と聞えし高木善次郞淸秀と戰て、高名を得たりけり、父祖が跡を繼て、德川殿の家の事司つて、第一の人にぞ候ひける、德川殿今川氏眞と御不快の事起り、か…
- p003…得たりけり、父祖が跡を繼て、德川殿の家の事司つて、第一の人にぞ候ひける、德川殿今川氏眞と御不快の事起り、かねて駿河の國府に止め置かせ給ひし若君、失はれ…
- p003…へ聞て、武士の家に生れて其道を嗜むこと、誰もかくこそあるべけれ、あつはれ德川が弓矢侮りにくしとて、感じ給ふこと斜ならず、長篠の合戰に織田殿の加勢乞ひ…
- p003…城に移りし事を賀せらる、明れば十二年の春より秀吉、北畠殿と不快の事あつて德川殿、信雄を助け給ひ美濃尾張伊勢の間にて、秀吉と戰はせ給ふ事凡十餘箇度、秀吉…
- p003…千代丸、御供にぞ侍ひける、此後秀吉内大臣正二位に歷昇り關白職に任して後、德川殿に見參の事申されしかど御承引の御氣色もなし、さる程に養君を初め參らせ、數…
- p005…水野和泉守忠重と二人同しく彼家の軍奉行を承り、出雲守になさる、其後德川殿關白家に親しうならせ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見…
- p005…其後德川殿關白家に親しうならせ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見參す、十八年相摸の北條滅びしのち、信濃の小笠原罪蒙りて彼の松本の城を…
- p008…を顯せし事、代々に絕えず、數正が身に至ても勇材武略の逞しきのみにあらず、德川殿の御爲に身を顧みず命を輕んぜしこと幾度といふことを知らず、されば忠も功も…
成田 第十二下 · 3
瀧川 第十二下 · 3
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히