藩翰譜원문 데이터베이스

가문 목록 › 第十二下 › f182

西尾

第十二下 · 단락 3 · 780526 55코마 R부터

인물지명관직가문날짜색인 목록
이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 21 4 4 3 2 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

지명 3 3 3 3 2 2 2 1 1 1 1 1 1

豐後守源光敎は出雲守信光が子にて、兵庫頭光秀が孫なりけり、兵庫頭光秀本國は三河の者、美濃に移り隣境を打從へて終に曾根の城に住す、男子なかりしに依て、外孫なれば丹波國の住人籾井越後守藤原光長が男に家ゆづる、出雲守信光是なり、光敎父に繼いて當國の守護齋藤山城守利三1に仕へ、齋藤が家亡びて後、織田殿に從ひて、また豐臣家に仕ふ、系譜に出つ
  1. — 지면 그대로. 美濃의 齋藤山城守는 斎藤道三(利政)이고, 利三은 明智光秀의 가신 斎藤内蔵助이다
或記に光敎が祖父兵庫頭光秀、元は丹波國の守護波多野が被官にて、元籾井と名のれり、光秀本國を去て三河國西尾に住しければ、西尾とは名のれるなり、其子信光美濃國野口に徒りて光敎が時に至る、光敎楫斐の城に移る、初は西尾小六郞と申て野口三千貫の地を領す、氏家常陸介入道卜全が被官たり、氏家織田殿に隨ひしに依て、小六郞も信長に仕へて與三左衞門と申す、信長より恩蒙りて二万石の地賜ひしといふ、按ずるに中頃稻葉彥六郞貞通、曾根の城に在て曾根の侍從と云ひき、其頃は光敎曾根の城には在るまじ、野口を領せしなるべし、系譜の記す所に異なり、不審、
慶長五年の秋東西の軍一時に起る、光敎初より德川殿に從つて東國に在り、關東の御方として急き本國に馳せ歸り、おのが城に籠る、大坂の奉行等使を立てゝ味方仕るべき由を云はせけれども、光敎更に隨はず、安からぬ事なりとて、都に在りし光敎が妻を取て質とせんとす、此妻常に近衞殿下に參る者なれば、彼御所に深く隱させ給ひしに依て、希有にして逃れぬ、かくて光敎遠藤金森等と郡上の城を攻む、德川殿美濃の國に攻め入り給ひしのち、光敎仰を承て大柿の城に向ふ、九月十五日の朝安八郡須賀村の侍、久瀨助兵衞といひし者なり光敎が陣に來て昨夕石田等大柿を去て、城には僅の兵を留め置き候ひぬ、一攻せめて御覽あるべうもや候と申す、光敎大に悅んで水野六左衞門尉勝成に牒し合て、おのが曾根の陣を打立ち大柿に向ふ、味方の人々互に先を爭つて進む、光敎が勢既に追手を攻め破らんとせし所に、敵散々に防き戰ひし程に、寄手うたれ手負ふ者少からず、其夜は城の邊に陣取つて明るを待つ、勝成謀を運し城中に籠つたる相良秋月高橋等心變りしてければ、城の大將等討たれて城遂に落ちぬ、同十一月光敎勳功の賞賜る一万石を加へ給て三万石を領せし也大坂前後の戰に從ひ首きつて獻る、明れば元和二年十一月十九日七十三歲にて卒す、息男信濃守敎次年廿一歲にして慶長十三年五月六日父に先立ち世を早うしぬ、外孫養うて世嗣とす、出雲守嘉敎、外祖光敎が家繼いで實父誰にや未だ知らず元和九年四月二日三十四歲にして世を早うす、世嗣なければ家絕えたり、初め光敎が質として關東に參らせたる主水氏敎といふあり光敎が卒せし時所領分つて五千石を與ふ氏敎が後相續て家をつぐ