藩翰譜원문 데이터베이스

가문 목록 › 第六 › f079

小堀

第六 · 단락 1 · 780522 82코마 R부터

인물지명관직가문날짜색인 목록
이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 5 4 4 4 3 3 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1

지명 2 2 1 1 1 1 1

遠江守藤原政一、初名は新助、其號は宗甫、近江國住人小堀勘解由左衞門某孫、新助某が子なり、其父初め秀吉大閣の舍弟秀長に屬して、此處彼處の戰に高名し、其後終に秀吉の家人となされしなり、五千石を領すといふ、關が原の戰の時、關東の御方として、所領の地加へ給ふ、一万石にて、備中松山の城を守れり、政一初め豐臣家に仕へて、其後德川殿に召仕はれ、近江國にて一万二千石元和九年、伏見奉行職に補せられ、職にある事二十餘年、正保四年二月六日、六十九歲にて卒しぬ、むかし公方慈照院殿、茶の事を好ませ給ひ、書畫より初て萬の器具、皆古の物を翫ひ、多く集め貯へ、眞能童坊なり、中坊能阿彌といひ春鷗齋と號す、眞藝能阿彌子、藝阿彌といひ、また學叟と號す、眞相藝阿彌が子、相阿彌といひ、鑑岳、又松雪齋と號す、等をして、茶を獻する儀則を議せらる、此時南都稱名寺の僧珠光、これも此道のすき者にて、將軍家、愛し思召、やがて還俗させ、常にそれが家へ成らせ玉ひき、六條堀川の邊に珠光が家ありしと云、これよりして此風まなぶ人、世上に少からずといへども、此後は和泉國堺の浦の住人武野紹鷗といふ者、其道の宗匠なり、此人武田信光の後胤、初め因幡守仲村といふ、其後亂をさけて、大黑庵一閑と號すそれが弟子千利休、先祖足利殿の童坊、千阿彌が後、田中氏なり泉州堺の住人なり、これは織田の右府豐臣太閤兩代の御師範なり、古田織部正重能、利休上足の弟子にして、政一又古田が第一の門人なり、其道の事は云ふに及はず、手能く書き、歌よみ、眼高く、書畫萬の器珍、悉く其鑒定を待て、世の價を高下す、されば水より出し氷、藍より出る靑色、世々の先達を超過して、上中下のもてなし譬を取るに言葉なし、其子備中守政之、父が家を繼き父が風を殘せり、其子和泉守政延、延寶二年父が家をつぐ、