f142.p003교정28R:8–11其後朝鮮の軍に從ふこと凡そ七年、慶長五年の秋、大坂の奉行等が軍起せしに、小西攝津守行長が牒狀に應して、兵船に取乘て長門國下の關に至り、鎭西の人々會合して、軍の評定し、大村が異見に任せ、是より皆本國に漕き戾す、德川殿天下知し召されて後、五嶋も恙く本領を賜はる、
f142.p005교정28R:14–1428L:1–3其子淡路守盛利家を繼く、大坂の軍起りし時は、馳せ向て城を攻む、再び軍起りしには、鎭西の人々參るに及はず、其子孫二郞盛次父に繼く、明曆元年に卒す、其子淡路守盛勝家を繼く、一万二千石餘盛次遺言して舍弟民部に所領を分つ、三千石盛勝万治三年十二月廿八日叙爵せり、其子佐渡守盛滿繼く、