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가문 목록 › 第十二上 › f178

寺澤

第十二上 · 단락 4 · 780526 47코마 R부터

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이 가문에 자주 나오는 인물·지명

인물 8 5 5 3 3 2 1 1 1 1 1 1

지명 4 3 3 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1

八万石を領す一說三万千三百石といふ、思ふに初め三万千三百石にて、太閤朝鮮を伐ち給ひし日、彼れが所領の地名護屋に御陣を召されしかば、所領加へ賜て、八万石に至りしにあらずや又是より先き領せし地定かならず、或說に丹波福知山二万石を領せしと云ふ、唐津賜ひしは天正十五年の後なるべし、多門院日記に寺澤越中守は日本國の米奉行にて、六万石の知行取、太閤一段御目を掛け召仕はれ候ふ六人の內なり、天正二十年九月太閤の勘當を受けしと見ゆ、
朝鮮の軍に廣高先陣して彼國に押渡り、戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてのち、慶長四年九月島津が家人伊集院源治郞、主を恨みて、おのが城に立籠りしと聞えて、廣高德川殿の仰蒙て島津を援く、明れば五年の秋東西の軍一時に起る、廣高初より德川殿に從ひ參らせ東國に向ひしかば、御方の人々と海道を攻め上り、美濃尾張の間に戰ふ、其勸賞に肥後の國天草の郡を加へ賜ふ、四萬石合て十二萬石也大坂の軍起りしに、馳せ向て城を攻め再び軍起るに及て、鎭西の人々は參る事あたはず、寬永三年八月十九日從四位下に叙し、同き十年四月十一日に卒す、嫡子刑部少輔忠淸父に先立つて卒しければ、次男兵庫頭堅高家を繼ぐ同き十四年肥前の國島原の凶賊、天草の郡民等と共に起り追討使を下さる、堅高馳せ向て攻め戰ひ、明れば十五年の二月島原の城落てけり、凶賊の張本人四郞男、天草の住人なりければ堅高も罪蒙つて天草の地收公せらる、大御所より賜ひし四萬石の地召放され本領八萬石をば賜ひしなり堅高これを口惜き事にや思ひけん、幾程なく自害して死しければ家絕えぬ、