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寺澤
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人物 寺沢広高 8豊臣秀吉 5寺沢堅高 5寺沢広正 3徳川家康 3紀淑望 2武内宿禰 1織田信長 1伊集院忠真 1寺沢忠清 1天草四郎 1大久保忠職 1
地名 肥後国天草 4尾張国 3肥前唐津城 3美濃国 2朝鮮 2肥前国名護屋 1丹波国福知山 1関東 1東海道 1摂津国大坂 1九州 1肥前国島原 1肥前原城 1
朝鮮の軍に廣高先陣して彼國に押渡り、戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてのち、慶長四年九月島津が家人伊集院源治郞、主を恨みて、おのが城に立籠りしと聞えて、廣高德川殿の仰蒙て島津を援く、明れば五年の秋東西の軍一時に起る、廣高初より德川殿に從ひ參らせ東國に向ひしかば、御方の人々と海道を攻め上り、美濃尾張の間に戰ふ、其勸賞に肥後の國天草の郡を加へ賜ふ、四萬石合て十二萬石也大坂の軍起りしに、馳せ向て城を攻め再び軍起るに及て、鎭西の人々は參る事あたはず、寬永三年八月十九日從四位下に叙し、同き十年四月十一日に卒す、嫡子刑部少輔忠淸父に先立つて卒しければ、次男兵庫頭堅高家を繼ぐ同き十四年肥前の國島原の凶賊、天草の郡民等と共に起り追討使を下さる、堅高馳せ向て攻め戰ひ、明れば十五年の二月島原の城落てけり、凶賊の張本人四郞男、天草の住人なりければ堅高も罪蒙つて天草の地收公せらる、大御所より賜ひし四萬石の地召放され本領八萬石をば賜ひしなり堅高これを口惜き事にや思ひけん、幾程なく自害して死しければ家絕えぬ、