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生駒

第十二上 · 段落 4 · 780526 45コマ Rから

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この家によく出る人物・地名

人物 14 8 8 6 6 5 4 3 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1

地名 8 3 3 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

讃岐守藤原一正は雅樂頭親正が男也いまだ系圖を見ねば先祖の事知らず親正初め甚助と申せしより豊臣家に隨ひ志津が嶽の戰に親正第五陣にありしよし太閤記に見えたり思ふに生駒もとは織田殿の家人たるべし天正十二年の夏伊勢國神戶の城を賜る、是より先は一萬千石を領す是より四萬千石を領すと云ふなり又雅樂頭に任し從五位下に叙す、十三年の夏四國の地平ぎしのち、讃岐の國を分ち賜ふ、六萬千石を領し高松の城にありといふ鎭西關東の軍に從ひ朝鮮の事起て彼國に押渡る、大明の和親破れ再軍起りしには、息男讃岐守一正朝鮮に渡てけり、太閤薨し給はん年の七月、中村式部少輔一氏堀尾帶刀吉晴、親正と同じく中老の職になさる、大坂の奉行等、德川殿と不快の事起りしには三人心を一つにし其間を和けしに依て、德川殿何の恙もわたらせ給はず、慶長五年の夏德川殿、奧の會津に向はせ給ふ時、讃岐守一正御供にて候ひける此時父雅樂頭親正は卒しけるにや又家を讓りて籠り居しにや詳ならずかゝる所に上方にも又軍起りて、一正が男左近大夫正俊は、大坂の催促に從ひ丹後の國に向ふ、一正元より東國に在て德川殿の味方に加はり參らせけれは、海道の先駈して美濃の國に戰ふ、此年天下悉く德川殿に從ひ參らせしかば、勸賞として一正讃岐國を賜て一國すべて十七萬石餘子息左近大夫正俊が事、咎め給ふに及はず、同き十三年八月讃岐守一正、家を關東に徙り、是れ大名の妻子關東に移りし始なれば、將軍家の御感斜ならず公役の半を免除せらる、江戶の城築かれし夫役半を除かれしなり同き十五年三月十八日一正五十六歲にして卒し正俊繼き同き十七年從四位下に叙し、大坂の戰に從ふ
十九年の冬は、舅藤堂和泉守高虎と押並ひ陣を取て城を攻めしといふ、明る元和元年五月七日の首注文に、正俊が參らせし首見えず、此時は軍散して參りしにや、覺束なし、
元和六年六月五日三十六歲にして卒す、其子壹岐守高俊繼き寬永三年八月十九日從四位下に叙す、家人等が訟起りて家治らざりしかば、同き十七年七月十一日讃岐國を收公せらる、其息男左近某に出羽國由利の地矢嶋といふ所を賜て、高俊も彼處にぞ移されける、万治二年六月十六日高俊四十九歲にして死してけり、左近某が男二人、兄は主殿某弟は權佐某、父死せし後其所領を分ち賜ふ
世に傳へしは、壹岐守高俊は藤堂和泉守高虎が外孫にて、土井大炊頭利勝が婿なり、此人天性愚なる人にて世の笑草となる事のみ多かりけり、此家の老石崎若狹前野助左衞門といふ者二人は、常に關東にあり、中にも前野一人が計らひとして家の事を沙汰す、國に在りし老共の心得ぬ事のみありしかど、常に御舅土井殿の仰なりといひ、又執政の人々の旨を得たりなど云ひ送りし程に、さらば彼人々の宣ふ所ならんを背かん事、家のため然るべからずとて、まげて其旨に從ふ、去程に國務日々月々に善からぬ事共多くなり行きて士も民も怨み苦しむ、國に在りけるおとな生駒將監、かくては家亡びん事遠きにあらずと思ひしかば、密かに關東に參て、高俊が家の事すべからく早く關東の御沙汰を止められ、父祖が例によりて國の靜謐を致し候はゞやと訴へしかば執政の人々大に怪み先づ前野を召て尋ね問はるゝに、前野承て人々の御下知をも承らぬ事に候ものを、某いかで斯る事申傳ふべきと陳しければ、則ち生駒前野を召决せらる、將監とかく申旨もなく、懷中より一紙の書を出し、執政の人々に捧く、人々見終てのち、其文前野に賜りて見せ候はゞやと申ければ、前野賜て見る、これを見終て執政の人々に向ひ、此文は將監が許より鯛二つを送りし時に、某が答へたる消息にて侍る、いかなる故ありてか今こゝに參らせ候やらん、斯る不思議を振舞ふ男なれば、此度の如く跡形もなき事をば訴へ候と申す將監人々に向ひ、されば此文は前野が自ら書たるに候や、然らざるやを尋ね極めらるべう候と申す、前野聞て某が書きたる事は勿論に候といふ、さらば其文をば返し給はるべう候とて、將監取て懷に入てのち、年でろ前野が筆執て大炊頭を始として、執政の人々の仰承りし由にて、おのが心の儘に國務を沙汰せし文共いくつともなく取り出して參らせ、此文ども御覽の後、御裁斷を仰く所に候とぞ申しける、此時に至て前野いかにとも爭ふべき樣もなく、ひれふしぬ、執政の人々大に怒り速に搦め取て禁獄す、頓て壹岐守を始て家從等を召され、高俊天性愚かなる事知召されざるにはあらず、父祖の功捨て給ふまじきが故に、其家を繼がしめられき、然るにかく家亂れたらん上は、此後國賜はらんこと叶ふべからず、されど心の至て愚ならんには、其罪又重からざるに似たりとて、別の義を以て所領一所賜りたり、前野は一族悉くに誅せらる、石崎は二人一所に關東に在りながら、前野が斯る振舞を見ながら、彼がしりへにのみ隨ひしこと、其罪逃るべからず、されど前野とは罪の科同かるべからずとて、誅は其身に止れり、其餘の家人等その罪の輕重によつて、悉くに刑行はれしとなり、精しき事をば知らず