地名索引 › 九州
九州
本文表記 筑紫・鎭西・九州・九國・筑紫の國
越前 第一 · 1
- p001…て、やがて都に登り給ひぬ、十五年の春、參河守殿御年十四歲、關白殿と共に、筑紫に渡り、一方の大將にて、日向國を平け、十六歲の御時、伏見の馬場に出で馬め…
松平(長澤) 第二 · 1
- p004…打死す、同き四日信綱馳着て、二月廿八日城を落し、三萬七千人が首切て懸け、九州の事共、能く沙汰して、同四月關東に歸りぬ、十六年正月五日、河越の城に移り…
水野 第三 · 5
- p001…奉し叙爵して、姓賜ふとあり、されども、家譜本文の如し、疑ふべからず、筑紫小田原等の陣に從ひ、慶長五年の秋、石田等が兵起りし初め、池鯉鮒の宿にして…
- p003…天正十五年に、關白殿筑紫にむかひ給ひし時、肥後國に渡りて、都にて鬪諍し、人うち、肥後へゆきし…
- p003…へん事、益なしとて、その夜船の着たる所よりたち去る、かゝりしかば、畿内も九州も、皆たゝずむべき所なければ、備中國に隱れ捿む、…
- p005…、肥前の國有馬に賊徒起りしかば、追討の御使として、板倉內膳正重昌馳向ひ、九國の軍勢をひきゐて、かれが立こもる城を攻む、城いまだ落ちざりげれば、重ねて…
- p005…こそ攻玉ひけれ、殊に此城と申は、古より名高き城なりとは、勝成がわかき時、鎭西に流浪せし頃より承り及び候き、あつたら士の命、土民百姓等がために失はん事…
本多 第四上 · 1
- p010…けり、十万石、一說に五万石、文祿の初め、朝鮮を伐ち玉ふとて、關白殿筑紫に御陣をめさる、肥後國に凶徒起る、淺野左京大夫幸長、追討の御使を承る、殿…
本多 第四上 · 1
- p003…り、其後東西御和睦事成りし後、同き十五年關白殿、薩摩の嶋津を討れんとて、筑紫に下向有し時、豐後守廣孝を使として、軍の樣を訪せ玉ふ、折ふし秀吉は豐前國…
內藤 第四中 · 1
- p001…すべきなれ、敵隔らぬ其內に、とく〱歸れといひしかば、元忠爰より取て返し、筑紫勢と思ふさまに戰て、本城に討死す、家長大門を押開き、矢束解て押亂し、近づ…
戶田 第四下 · 1
- p001…五年の春、肥前國島原の逆徒追討の御使として、松平伊豆守信綱と共に馳向て・九國の軍勢を下知して攻亡す、同き十八年八月三日、若君御誕生在しかば、氏鐵仰を…
板倉 第五 · 1
- p011…軍勢を率る、城を攻て討死す、其年五十一歲、嫡子主水重矩年廿一歲、父と共に筑紫に趣き、重昌討れて後、父が吊軍せんと、手の兵引ぐし、城中に攻入り、散々に…
井上 第五 · 1
- p006…職を承る、これ加賀爪民部少輔が闕なりといふ、如何にや不審、今年筑紫の地に下りて、西洋耶蘇の法を沙汰す、同十九年仰を承て、東海道の人民等が愁…
小笠原 第六 · 3
柳生 第六 · 3
池田 第七上 · 1
- p015…後治兵衞と申せしか長湫の戰に、疵かうむる、天正十三年に叙爵し、筑紫小田原名護屋等の陣に隨ひ、慶長五年の秋、舍兄輝政と共に、關が原の御方して…
淺野 第七上 · 1
- p001…す、紀伊守幸長、長政が嫡子、初め豐臣家に仕へ、左京大夫になさる、父と共に筑紫關東の軍に從ひ、朝鮮に渡り所々に戰ふ、太閤薨じさせ給ひし後、石田等が父と…
前田 第七上 · 1
- p002…れしとぞ聞えける、中納言利長若きより軍に從ひ、志津岳石動末森等を始とし、筑紫關東の戰に至るまで、終に不覺を取らず、初め關白殿越中國三郡を賜ひ、羽柴の…
黑田 第七上 · 3
細川 第七下 · 2
藤堂 第七下 · 1
- p001…を加へられて、合せ一万石を領せしといふ、かくて紀伊阿波等の亂を平げ、筑紫の陣に日向の國の先陣して敵を破る、初め秀長大納言、丹羽五郞左衞門尉長秀が…
毛利 第八上 · 3
嶋津 第八上 · 7
- p003…舍弟民部大輔祐兵、殿下に給仕して、本國安堵の事を望み申ければ、關白かねて九州征伐の事を思召し寄り給ひし處に、天正十四年正月、大友又上洛して、嶋津御退…
- p003…とす、此年の冬、關白の御使として、仙石權兵衞尉秀久、長曾我部土佐守元親、鎭西に下向し、義久が押領せし國々を受取らんとす、又黑田勘解由孝高、山陽道に下…
- p003…毛利吉川小早川等が軍勢を催促す、これは嶋津もし殿下の御使に對捍せば、まづ鎭西に押渡つて、彼が押領せし國々攻め取らるべき爲とぞ聞えける、仙石、豐後の國…
- p003…戰を止めて、殿下に伺候すべき由を陳ぶ、義久更に從はず、程なく關白の御勢、鎭西の地に押渡つて、二十五万餘騎を二手に分けて、大和大納言秀長、山陰山陽等の…
- p003…畿外南海北陸等の勢を帥る、筑前筑後を經て、薩摩の國に攻め入り給ひし程に、鎭西の國人等、冑を脫ぎ、弓を伏せ、降人になつて參る者、引きも切らず、嶋津兄弟…
- p003…二郡の地を分ちて、兵庫頭義弘父子、幷家人伊集院新納等に下し賜はる、九州二嶋悉く平均に屬しければ、關白薩摩の國を立つて都に趣き給ひけり、同き六月…
- p003…は海上風穩かならずとて家久遂に參らず、此後家久妻子携へて關東に移る、これ鎭西の大名、妻子を關東に徙せし始めにて、將軍家の御感、斜めならず、これに依つ…
鍋島 第八上 · 9
- p001…り、○龍造寺記に曰く秀鄕七代の孫藤原季喜の時に、八郞御曹司源爲朝に從て、鎭西に止り、龍造寺に住す、季喜十二代の後胤山城守家兼たり、此流をば水江の龍造…
- p001…が子を、六郞次郞周家と云ふ、周家が子山城守隆信が時に至て、家を起し、武威九國に震ひしなり、…
- p004…二年、信生、小早川左衞門尉隆景と謀て、隆信が使となつて、公方義昭に參て、鎭西追討の事を望みしかば、頓て御許を蒙り、信生又飛驒守になさる、隆信武命承り…
- p004…て御許を蒙り、信生又飛驒守になさる、隆信武命承り、違犯の國々追討し、武威鎭西に震ひし事、これ然しながら、信生が功とぞ聞えける、小早川隆景、此時初て信…
- p004…を知りて、遙々使者を參らせて、音信を通す、南蠻帽子を奉りしとなり、鎭西の國人等、使まゐらせし初なれば、秀吉大に悅ひ、石田備中守を使とし、自ら文…
- p004…と改め名のる、如何にもして隆信が仇を報せんとて、常に關白秀吉に使を奉り、九州違命の輩、御誅伐あらんには、政家直茂、先陣を承るべしと望みけり、同き十五…
- p004…、政家直茂、先陣を承るべしと望みけり、同き十五年、關白嶋津を退治のため、筑紫の地に渡り給ひし時、直茂政家と共に、最初に御陣に馳せ參り、先陣を給る、直…
- p004…先かけて、薩摩の國に攻め入り、嶋津遂に戰ひ負け、降人になつて參りしかば、九州二嶋悉く平均に屬したり、政家直茂、龍造寺が本領たぶ、政家いまだ年若し、直…
- p006…一萬餘人を率して馳せ向ふ、十二月の初、追討の御使板倉內膳正重昌、下向し、鎭西の軍勢を催して、城を攻む、明れば十五年春正月元日、内膳正重昌討死し、寄手…
蜂須賀 第八上 · 1
- p006…歲にして卒す、家政父に繼て彥右衞門尉と名のり、其後叙爵して阿波守に任す、鎭西關東の軍に從ひ、朝鮮に押渡り戰ふ事凡そ七年、中にも大明の和親、破れて再び…
秋田 第八下 · 1
- p006…隨ひ、馳せ向ひ、城を攻む、朝鮮の軍起りし時、又催促に隨て、軍勢を引具し、筑紫の陣に馳せ來る、何れの時にか關白、實季が所領、いかばかりやありと、御尋ね…
相馬 第八下 · 1
- p001…傳ふる所は、平將門十二人の男あり、父が誅せられし時、其誅を免れたる者共、鎭西坂東の國々に猶少からず、將門が男相馬小次郞將國と云者あり、其子小太郞文國…
丹羽 第八下 · 3
立花 第八下 · 9
- p003…破ること一度ならず、尤神妙の至なりと、御敎書を賜て賞せらる、十五年の秋、九州二島悉く平きしかば、統虎頓て御家人に召加へられ、筑後の國下三郡の地附て、…
- p003…せしかども、汝が家子郞等、嫌ひ申すと聞えしかば賜らず、此度の勸賞に、四國九國の中にあらん闕國、望み申せ、汝が乞ひに因て賜るべしと仰せらる、宗茂畏て、…
- p003…從四位下して侍從にこそはなされけれ、關白殿常に東國に本多平八郞忠勝あり、鎭西に立花左近將監宗茂あり、天下一双の勇士なりと感し仰せられしとなり…
- p006…、從四位下に叙し、正保四年六月、佛郞國の蕃舶、肥前國硫黃が島に着く、忠茂鎭西の人々と同しく、兵船を揃へて、彼舶を圍む、賊船にあらされば、彼舶をば返さ…
- p006…時、すゑ置かれし筑紫三撿斷の一なり、建武年中尊氏卿、都の戰ひ利なくして、筑紫の地に落ち下り、軍勢を催し、攻め上り給ひし時、九國の守護として、仁木一色…
- p006…、都の戰ひ利なくして、筑紫の地に落ち下り、軍勢を催し、攻め上り給ひし時、九國の守護として、仁木一色高橋を止めらる、高橋光種始て此職になされしより、子…
- p006…、筑前國岩屋寶滿山に移る、大友が家起るに從ひ、三撿斷の家悉く其威を失て、鎭西の國人等、多くは大友が被官となる、天文の末に及んでは、仁木一色絕え果て、…
- p006…家譜には、此等の事天正十三年の事とせり、明れば十五年の秋、豊臣關白、鎭西を平げ給ひし時、島津が許より、高橋を召され、父入道、殿下の御爲に、己が城…
- p006…、殿下の御爲に、己が城を守て主從殘らず討死を遂けしこと深く感じ仰せられ、九國政務の事始に、筑後の國三池郡、高橋に賜り、叙爵して主膳正にぞ任じける、朝…
九鬼 第九上 · 2
仙石 第九上 · 5
- p001…免しぬ、仙石めが所帶、沒取せよとて、讚岐國を奪て、尾藤甚右衞門尉に賜て、筑紫の先陣を賜る、明れば十五年の春、殿下自ら筑紫の地に御發向あり、九國の大名…
- p001…奪て、尾藤甚右衞門尉に賜て、筑紫の先陣を賜る、明れば十五年の春、殿下自ら筑紫の地に御發向あり、九國の大名等、冑を脫ぎ、弓の絃をはづして、降人に成て參…
- p001…賜て、筑紫の先陣を賜る、明れば十五年の春、殿下自ら筑紫の地に御發向あり、九國の大名等、冑を脫ぎ、弓の絃をはづして、降人に成て參る者、引も切らず、嶋津…
- p001…是も讚岐國を沒収せらる、嶋津終に戰に堪へずして、降人になつて、出ければ、九國悉く平きぬ、筑紫陣の事は、嶋津が傳に詳なり、十八年、關白また相摸國…
- p001…らる、嶋津終に戰に堪へずして、降人になつて、出ければ、九國悉く平きぬ、筑紫陣の事は、嶋津が傳に詳なり、十八年、關白また相摸國北條を亡し給ひし時…
南部 第九下 · 1
- p005…參らせて、一々首を刎ねたりけり、朝鮮の軍起りて後、軍勢の催促に隨ひ、信直筑紫に馳せ參る、年五十四歲にして、慶長四年十月五日に卒しけり、信濃守利直、父…
六郷 第九下 · 1
- p001…所領いか程といふ事を知らず朝鮮の軍起りし時、催促に隨ひ、軍勢率ゐて、筑紫の御陣に馳せ參る、慶長五年の秋、德川殿、奧の上杉御退治あるべきにて、山北…
伊東 第九下 · 4
- p003…家人たるべき由、寛正三年三月十四日の御下文の旨に任せ、違命の輩を打隨へて鎭西に威を震ふ、島津家譜に云く、祐堯が時、文明十二年、日向の國人佐土原、三宅…
- p011…家譜に記する所、殊に詳なり、故に其說を取て記す、但し大友記龍造寺記、并に九州の事、記せる諸記等を、合せ考ふに伊東が日向を失ひしは、三位入道が時の事と…
- p014…れて、感し仰せ下さる、斯る所に、上方又軍起りて、德川殿傾け參らせんとす、九州の中にしては、黑田如水入道計りぞ、東國無二の御方たるべきと思ひければ、祐…
- p014…に於ては、堅く東國に組みし參らすべしと、思ひ定めて候、本國に馳せ歸りて、九國の敵とや戰はん、又大阪に在て、兵をや起すべき、入道殿の御謀こそ承らめと、…
中川 第九下 · 1
- p006…見ねし所、かくの如し、世には父が跡を繼き茨木の城、領せし樣に傳ふ此後筑紫關東の軍に隨ひ、文祿元年、朝鮮に押渡て、王城に攻め入る、水原と云ふ所に、…
有馬 第九下 · 7
- p003…津彼杵を取て三郡を倂領す、島津家譜を按ずるに、中頃屋形號を許されて、九州の高家也と云々其子左衞門尉尙鑒、其子修理大夫晴純、公方萬松院殿の御諱字…
- p005…ぞ開きける、隆信死せし時、五十六歲十五年の夏、關白島津を討んが爲、筑紫の地に押渡り給ふ程に、九國二島の大名等、日々に降人に成つて參る、有馬も共…
- p005…時、五十六歲十五年の夏、關白島津を討んが爲、筑紫の地に押渡り給ふ程に、九國二島の大名等、日々に降人に成つて參る、有馬も共に、筑後國高良山の御陣に馳…
- p005…軍に隨ふこと凡七年、慶長五年、大坂の軍起りし時、小西攝津守が牒狀に隨て、鎭西の大名等、兵船に取乘て、長門國下關に至る大村新八郞喜前が謀に隨ひ、鎭西の…
- p005…、鎭西の大名等、兵船に取乘て、長門國下關に至る大村新八郞喜前が謀に隨ひ、鎭西の人々、又是より皆本國に押戾す、晴信我身は本國に止りて、子息直純に、二千…
- p014…此年の冬、大阪の軍起りしかど、鎭西の人々は、參るに及はず、寛永十四年の冬、直純が舊領、島原の地に、賊徒起り…
- p016…明れば十五年正月十六日、鎭西の大名等、本國に馳せ歸り、賊徒誅伐すべき由、仰せ蒙る、直純急き馳せ下り、…
大村 第九下 · 5
- p001…丹後守藤原喜前は民部大輔純忠が男、累代の先祖、鎭西の國人にて、肥前の國大村の城に住す、…
- p002…世には有馬大村同しく藤原の純友が後にて、筑紫に住すと云ふ、その家の系圖を見ねば詳ならず…
- p003…正十五年正月十八日に卒せしなり豐臣關白、薩摩の嶋津を追討の爲め、自ら筑紫に發向あり、喜前生年二十歲、未だ新八郞と申せしが、御勢に馳せ加り、頓て御…
- p003…は成されてけり、慶長五年の秋、東西の軍起りし時、小西攝津守行長が許より、鎭西の人々の許へ、使者を立て、急き秀賴公の仰に任せて、軍勢を率して、馳せ參る…
- p005…の御感、大方ならず、御敎書を成されて、其志を賞せらる、大坂兩度の軍には、鎭西の人々は參るに及はず、明れば元和二年八月八日、喜前四十八歲にて卒す、其子…
稻葉 第十上 · 1
- p004…四位下侍從になされ、大坂の兵起りし時、馳せ向て城を攻む、重て兵起りしには筑紫の人々は參るに及はず、寬永三年十一月十九日、六十一歲にて卒す、其子民部少…
谷 第十上 · 1
- p001…出羽守源衞友は、大膳亮衞好が男なり、衞好豐臣關白家に仕て、筑紫の軍に隨ひ豊前の國岩石の城を攻められし時、軍の撿使承り自も武勇を顯して、…
相良 第十上 · 5
- p003…々に傳ふと云ふ、建久九年、肥後の國球摩の郡人吉の庄を領し、是より子孫長く鎭西の御家人とは成つてけり…
- p004…九州記に周賴四世の孫庄司四郞賴景、建久九年鎭西に下向す、其子三人嫡男三郞長賴は球摩の城に住み、二男四郞家賴、山鹿の郡に…
- p006…と云ふ其子修理大夫義陽に至て、武威隣國に振ひ、位從四位下に歷上る、當時鎭西の大名に舊例なしとぞ承る、天正九年十二月二日、肥後國益城の郡三舟の城を攻…
- p006…を早うす、其子左兵衞佐長每、十一歲にて父に繼ぎ、同き十五年の夏、豐臣關白鎭西を平け給ひし時、本領を安堵し、文祿元年生年十八歲にて朝鮮の先陣、承つて押…
- p006…、本領安堵の事相違あらず、同き七年長每人質として其母を關東に參らす、是れ鎭西の大名、人質參らせし初なり、大坂の軍に大御所の御陣に隨ひ、寛永十三年六月…
秋月 第十上 · 5
- p003…豫國に發向す、純友讃岐介國風に戰ひ負けて太宰府に趣く、春實等の大將、續て筑紫に押渡り明れば四年五月博多の津にて戰を合せ、春實慶幸眞先に進み戰ひ、賊船…
- p007…に趣き給ひし時、種直二千餘騎にて御供に參る、平家は太宰府に着き給ひて後、九州二島の者共、源氏に心を通はして、召せども參る者一人も無し、種直ばかり昔の…
- p009…後には上總介心を合せて、種實再ひ大友と軍起る、種實年頃弓矢を取て、九州に名譽を得たりし上に、本國は云ふに及はず、豐前國の侍、彼が手に屬しければ…
- p009…此由を聞召し、明る十五年の春、畿內山陰山陽南海の軍勢三十万騎を引具して、筑紫の地に向ひ給ふと聞ゆ、種實先づ豐前國岩石の城に軍勢を籠め、其身は筑前國大…
- p009…、本領を賜て安堵す、大坂の軍起りし時、馳せ向て城を攻め、再ひ軍起りしには鎭西の人々は參るに及はず、其子長門守種春、生年十四歲慶長十八年十二月、關東に…
宗 第十上 · 7
- p001…せ給ひし時、一人の孤子あり、乳母の夫右馬助惟宗の某、むつきの中に隱くして筑紫の地に遁る、成長の後元服させ、己が姓に成し易へて宗右馬太郞と名乘らす、其…
- p001…す、蒙古是れより壹岐の嶋に押寄す、此嶋の守護代平內左衞門尉景隆も戰死す、九國の軍勢十万騎、博多の津に馳せ集て防き戰ふ、同月廿日蒙古戰負けて引退く、今…
- p003…子右馬允經茂太宰府に在り、其子右馬允賴茂、建武三年五月將軍尊氏卿に隨て、筑紫より攻め上り、攝津國和田の御崎の戰に、大勢の敵を討ち破り、勸賞として九州…
- p003…筑紫より攻め上り、攝津國和田の御崎の戰に、大勢の敵を討ち破り、勸賞として九州の侍所を承り、又刑部少輔に任ず、世の人鬼刑部とぞ申しける朝鮮の書に宗慶…
- p008…勢を博多に止め守らせて、我身は本國に歸りしなり、○按ずるに少貳の系圖幷に九國の事記せし諸記に、敎賴が子政資とのみ錄して賴忠と云ふ者を見ず、思ふに賴忠…
- p009…ず、盛永が七世の孫對馬守義智、父義調に繼て立つ、天正十五年の夏、豐臣關白筑紫に向ひ給ふ時、義智御陣に馳せ加りて本領を安堵せり、去年十四年關白、朝鮮に…
- p013…月三日義智四十八歲にして卒す子息彥七郞義成繼く、大坂の軍再ひ起りしには、鎭西の人々は參るに及はず、同き二年四位侍從兼對馬守になさる、明曆三年十月廿六…
松浦 第十上 · 5
- p002…ね、子孫打續きて唐津伊万里有田山代久原等の地を領し、皆一字を以て名とす、鎭西の國人の一字を名のる輩は、悉く此後なり、又下松浦と申すをば、平戶松浦とも…
- p002…と云ふ所に住して、下の松浦と申せしなり、これ肥前守鎭信の先祖たりと云々、鎭西の事記したる古記、傳ふる所皆斯くの如し、此說の如くなれば、下松浦は安倍氏…
- p002…昇の二男武藏守仕、其子箕田源次宛、其子渡邊源五綱、綱が子源二別當久、是れ鎭西松浦の祖なりと云ふ、系圖の載する所にも、又古記の說にも違ふか、又久が後七…
- p003…娘を以て日高主膳正が男同孫九郞にあはせしと云なり同き十五年豐臣關白、筑紫の地平け給ひし時、道可が息男鎭信入道、降人になつて參りしかば本領を安堵し…
- p003…小西攝津守行長が牒狀に應して平戶の法印、兵船に取り乘て長門國下關に至り、鎭西の人々、此所に會合して軍評定す、大村が異見に隨ひ、人々爰より本國に漕き戾…
五島 第十上 · 3
久留嶋 第十上 · 1
- p007…の軍起りし時馳せ向ふ、兩御陣供奉記に右衞門市と記す再ひ軍起るには、鎭西の人々は參るに及はず、明曆元年二月十日四十九歲にて卒す、通春が時に至りて…
織田 第十下 · 2
建部 第十下 · 1
- p004…、關東の御方として大坂の催促に隨はず、其居所無碍に大坂に近くして、又四國九國の通路に當れり、纔の勢を以て此城を守らん事叶ふべからずとて、外戚に付て所…
高力 第十一 · 1
- p004…隆長常の行ひ正しからず、士民も悉く虐政に苦む、去年鎭西の國々に御使を下されて、民の疾苦を訪はしめらるゝに、隆長が民苦み訴ふる者…
蒲生 第十二上 · 1
- p003…の住人なり等を氏鄕の手に附けらる、同國木造小山戶の軍を始めて、紀伊越中筑紫の陣に至るまで、悉く戰功を顯し天正十六年四月十八日左近衞權少將正四位下に…
福嶋 第十二上 · 1
- p001…四國の地平らきし後、伊豫の國賜つて今治の城を領す、十万石同き十五年筑紫の陣に隨ひ十六年肥後國宇土の一揆を平らげ、同き十八年關東の軍には韮山の城…
加藤 第十二上 · 2
筒井 第十二上 · 1
- p010…定次侍從に任し、閏八月伊賀の國を賜ひ上野の城に移る、十二萬石を領す鎭西關東朝鮮等の軍に從ひ大閣薨じ給ひし後、慶長五年の夏、中納言景勝追討のため…
里見 第十二上 · 1
- p003…二千石なり其後豊臣の姓賜ひて四位侍從兼安房守になされ朝鮮の事起てのち筑紫の陣に馳せ參る、慶長五年の秋德川殿に隨て奧の會津に向はんとす、かゝる所に…
生駒 第十二上 · 1
- p001…平ぎしのち、讃岐の國を分ち賜ふ、六萬千石を領し高松の城にありといふ鎭西關東の軍に從ひ朝鮮の事起て彼國に押渡る、大明の和親破れ再軍起りしには、息…
寺澤 第十二上 · 1
- p003…石合て十二萬石也大坂の軍起りしに、馳せ向て城を攻め再び軍起るに及て、鎭西の人々は參る事あたはず、寬永三年八月十九日從四位下に叙し、同き十年四月十…
高橋 第十二下 · 3
松倉 第十二下 · 1
- p013…て守護に叛き、高來の城を攻めんと原の城に立籠る、頓て追討の御使を下され、鎭西の大名の軍勢して攻めらる、折節重治關東に伺候せしが、夜を日に繼ぎて馳せ歸…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく