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高橋

第十二下 · 段落 1 · 780526 63コマ Rから

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この家によく出る人物・地名

人物 8 8 5 3 3 2 2 2 2 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1

地名 4 3 3 3 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1

右近將監大藏元種は足利殿の初め鎭西に居ゑ置かれし撿斷職の其一人高橋光種が末流、實は秋月長門守種實が男なりけり、光種が七代の孫長種死して世嗣なく、家絕えなんとせしに及んで、高橋が家子郞從等、大友左衞門督義鎭が一族乞て家繼かせんとす、永祿二年四月義鎭、一族一萬田左京大夫が二男して高橋が跡繼がせ、三河守鑑種と名のらせ彼が家の傳領なれば、岩屋寶滿の城は云ふに及ばず、二千餘町の地附けて筑前の國十五郡の事を沙汰せしむ、その後義鎭入道宗麟、鑑種が兄一萬田が妻の色に愛で、一萬田罪ありとて誅しつゝ、妻をば奪ひ取つてけり、鑑種これを深く恨んで、秋月筑紫星野等の國人語らひて大友に背き、永祿十年の六月寳滿の城に引籠り、安藝の毛利に謀を通して、當國既に悉く亂る、宗麟安からぬ事なりとて、臼杵戶次を先として、宗徒の侍大將に軍勢餘多附けて筑前國に差向く、寄手まづ岩屋の城を攻め落して寶滿に押寄す、この山九國第一の切所にて究竟の城廓、速かに落さんこと難しとて、此處彼處に陣取つて遠攻にこそあたりけれ、同き十二年五月多ゝ良濱の合戰、毛利が軍勢大友に負けて、山陽道に引き返すと聞えしかば、此程毛利に與みせし豐前筑前の國人等、皆兜を脫き弓の絃をはづして、大友が陣に馳せ參る、一萬田が一族さま〱歎き申せしに依て、鑑種も罪ゆるされ高橋が傳領悉くに奪はれ、豐前の國企救一郡を賜つて小倉の城に移る、一に曰く香春の城鑑種やがて入道して宗專と號す宗專入道が老北原伊賀守鎭久、主を恨むる事あつて豐後の國府に來りて、大友の一族を乞うて再び高橋が家を興さんと望む、宗麟大に歡んて一族吉弘左近大夫鑑理が弟に、高橋の本領寶滿岩屋等の城々に、當國御笠郡附けて賜り高橋主膳兵衞鎭種と名のらす、是れ高橋紹運入道が事なり此年元龜元年高橋が家二つに分れて、兩高橋とは申けり、宗專入道また此事を恨み、大友と間快からず、家繼くべき子なければ、秋月長門守種實が二男養つて九郞元種と名付て、おのが家つがす、これ右近將監が事なりけり、九郞元種、舍兄秋月種長と同く薩摩の嶋津に隨て、大友と戰ふこと年を經て、天正十五年豐臣關白、筑紫に向ひ給ひし時、降人になつて參りければ、日向國宮崎の地下し賜ひぬ、五万石朝鮮の軍起てのち、彼國に押渡つて戰ふ事凡七箇年、從五位下右近將監になさる太閣薨じ給ひて後、慶長五年の秋東西の軍一時に起る、右近將監元種、相良秋月の人々と同じく大坂の催促に隨ひ、東山道に向ふ、美濃國大柿の城に籠つて秋月相良と相謀り、大坂の軍奉行等が首きつて垣見和泉守熊谷內藏允德川殿に參らす、かゝりける所に伊東修理大夫祐慶、日向國飫肥を領す東國の御方として軍勢を差向け、高橋が城に押よせ、十月二日宮崎を攻め落す、元種既に降人になつて、垣見熊谷等が首切て參らせしかば、罪免されて本領を安堵す、同き十八年十月八日富田信濃守知高罪ありて流さる、右近將監元種、知高が緣坐によつて所領沒收せられ、立花左近將監宗茂に召預られ、高橋の一流終に絕えてけり、