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立花宗茂
本文表記 宗茂・統虎・立花左近將監宗茂・立花・左近將監宗茂・左近將監源宗茂・立齋・立花飛驒守・立花左近將監
鍋島 第八上 · 3
立花 第八下 · 26
- p001…左近將監源宗茂は、筑前國の住人立花丹後守鑑連入道道雪が男也、立花大友、同じ流の源氏とこ…
- p002…や、如何さま故あるべし、世遠くして、精しき事を知らず、又世に傳ふる所は、左近將監宗茂は、道雪入道が實の子にはあらず、高橋主膳入道紹運が嫡子なり、此紹運も誠は…
- p002…ことを相して、明れば天正十年に、彼が父紹運に請ひ受て、己が世嗣とす、これ左近將監宗茂なりと云ふ、又道雪を戶次入道と云ふ、立花山の城に在れば立花と云ひしと云ふ…
- p003…宗茂初めは統虎と名乘大友義統名の字を與へしにや天正十三年九月十一日、父…
- p003…宗茂初めは統虎と名乘大友義統名の字を與へしにや天正十三年九月十一日、父の入道年積…
- p003…三年九月十一日、父の入道年積て七十三歲、筑後國高良山の陣中にて病死せり、統虎家を繼きて、立花山の城に在り、明れば十四年の秋、今歲の七月、統虎が實父…
- p003…せり、統虎家を繼きて、立花山の城に在り、明れば十四年の秋、今歲の七月、統虎が實父紹運も、島津が爲に討れ死すと云ふ嶋津が多勢、豐後國に發向して、…
- p003…に討れ死すと云ふ嶋津が多勢、豐後國に發向して、我が城の邊り近く打過く、統虎城より打て出で戰ひ、首餘多斬て引返し、又高鳥居の城を攻め破り、城の大將星…
- p003…召し、當時嶋津が軍勢、大友が國々に攻め入て、此處彼處の城々、落されしに、統虎僅の勢を以て、己が城落されぬだに、双なき高名にあんなるを、ましてや多勢の…
- p003…妙の至なりと、御敎書を賜て賞せらる、十五年の秋、九州二島悉く平きしかば、統虎頓て御家人に召加へられ、筑後の國下三郡の地附て、柳河の城賜り、十三万石…
- p003…郡の地附て、柳河の城賜り、十三万石餘と云左近將監になされ、名改めて宗茂と名のる、今年肥後國に凶徒起り、守護人佐々に背く、宗茂佐々に加勢し、凶徒…
- p003…になされ、名改めて宗茂と名のる、今年肥後國に凶徒起り、守護人佐々に背く、宗茂佐々に加勢し、凶徒等一々討ち滅し、彼國を平く佐々陸奧守成政、此時…
- p003…、彼國を平く佐々陸奧守成政、此時に罪を蒙りて誅せらる、十六年宗茂上洛す、殿中御前近く召され、されば去年汝に肥後國賜らんとせしかども、汝が…
- p003…、四國九國の中にあらん闕國、望み申せ、汝が乞ひに因て賜るべしと仰せらる、宗茂畏て、宗茂只今殿下の御恩蒙りて、手の軍勢三千餘人、假令いかなる御大事あら…
- p003…の中にあらん闕國、望み申せ、汝が乞ひに因て賜るべしと仰せらる、宗茂畏て、宗茂只今殿下の御恩蒙りて、手の軍勢三千餘人、假令いかなる御大事あらんにも、一…
- p003…下して侍從にこそはなされけれ、關白殿常に東國に本多平八郞忠勝あり、鎭西に立花左近將監宗茂あり、天下一双の勇士なりと感し仰せられしとなり…
- p004…、黑田入道如水、加藤肥後守清正、馳せ來て兩陣に使立て、互の戰を止め、二人宗茂に向て樣々に敎訓し、城をば清正が兵を止て守らせ、宗茂に先陣うたせて、薩摩…
- p004…、互の戰を止め、二人宗茂に向て樣々に敎訓し、城をば清正が兵を止て守らせ、宗茂に先陣うたせて、薩摩國に發向し、肥後と薩摩との間なる佐敷水股に陣を取る、…
- p004…戰を决するに及ばず、引き返す、黑田加藤、自らの勳賞に申換へて歎きしかば、宗茂が罪を宥められて、所領をば悉くに收公せらる、其後關東に伺候して將軍家に近…
- p005…五年七月廿七日、陸奥國棚倉にて一萬石を賜と云ふ、何れか誠なるか、又一說に宗茂本國を失ひ、肥後の高瀨と云ふ所に留滯し、明年の春上洛す、京に在ること三年…
- p006…討の爲、子息左近將監忠茂具して、馳せ向ひ、明る十五年の冬、致仕入道して、立齋と號し、同き十九年十一月廿五日、七十六歲にて卒す、侍從忠茂宗茂が世嗣、實…
- p006…入道して、立齋と號し、同き十九年十一月廿五日、七十六歲にて卒す、侍從忠茂宗茂が世嗣、實は主膳正直次が二男、伯父宗茂が家を繼く、初め元和八年十二月廿六…
- p006…廿五日、七十六歲にて卒す、侍從忠茂宗茂が世嗣、實は主膳正直次が二男、伯父宗茂が家を繼く、初め元和八年十二月廿六日元服し、將軍家の御諱字賜ひ、從五位下…
- p006…ひ、石田三成等が亂の時、伏見の城を攻め落し、大津の城をも攻めにけり、舍兄立花左近將監宗茂も、上方に與みしければ、兄弟同しく本領を沒収せらる、慶長八年の春、將軍家…
- p006…も、上方に與みしければ、兄弟同しく本領を沒収せらる、慶長八年の春、將軍家宗茂直次兄弟を召されて、所領の地賜り、直次常陸國筑波郡柿岡の地を領しけり、五…
- p006…源氏になつて立花と名のり、大坂前後の戰に將軍家に隨ひ奉る、元和六年の秋、宗茂本領賜ひし時、直次も同しく召さる、病既に急にして參らんずるに叶はず、幾程…
加藤 第十二上 · 2
最上 第十二上 · 1
- p005…の事共ありしに、其證さだかならされば、松根をば筑後の國に流されて、柳川の立花飛驒守が預りとなる、其後島田彈正米津勘兵衞御使を承て、出羽の國に下向し、家の老…
高橋 第十二下 · 1
- p001…濃守知高罪ありて流さる、右近將監元種、知高が緣坐によつて所領沒收せられ、立花左近將監宗茂に召預られ、高橋の一流終に絕えてけり、…
藤田 第十二下 · 1
- p003…せ上り、大御所の先陣を承る、御前備の右は藤田能登守左は本多佐渡守中は立花左近將監なり明れば元和元年五月七日、重信榊原遠江守康勝と共に天王寺に向ひ戰つて…
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