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豊臣秀吉
本文表記 秀吉・關白・太閤・關白殿・殿下・豐臣關白・豐臣太閤・大閣・羽柴筑前守秀吉・羽柴・故太閤・關白家・羽柴殿・太閣・秀吉朝臣・筑前守秀吉・關白秀吉・秀吉關白・豐臣家・筑前守・此人・豐臣太閤家・豊臣關白・木下藤吉・羽柴筑前守・木下藤吉郞秀吉・故大閣・豐臣秀吉・大臣・秀吉公・豊臣家・木下・木下藤吉秀吉・秀吉の朝臣・秀吉大閣・羽柴秀吉・藤吉秀吉・羽柴藤吉郞秀吉・太閤秀吉・この人・豐太閤・內府・大臣殿・豊臣秀吉・豊臣大閣・豐臣關白秀吉公・秀吉殿・羽柴藤吉秀吉・豐臣關白家・大殿・豐臣太閣・豊臣太閤・羽柴筑州
越前 第一 · 28
- p001…せ給ひて後は、德川殿此人のましますを、賴もしき事に思召す、天正十二年冬、豐臣秀吉北畠殿につきて、御子一人、養君とし奉るべきよしを申さる、德川殿異父同母の…
- p001…く、於義丸殿のほらせ玉ふべきに定り、この年十二月の末、大坂に趣かせ玉ふ、秀吉深く悅ひ、やがて元服の儀行なはれ、羽柴秀康と名のらせ、河內國にて所領參ら…
- p001…關白し給ふとき、秀康朝臣御年十二歲なるを、四位の少將兼三河守になさる、抑關白守殿を養君とし給ひし事は、去りし天正十二年の春より、北畠殿と軍起りしに、…
- p001…も聞えされば、守殿うしなはれ給べきなど風聞す、德川殿此よしを聞召し、初め秀吉が望みしによつて、我子を與へぬ、彼子今は秀吉の子にこそあれ、家康が子にあ…
- p001…、德川殿此よしを聞召し、初め秀吉が望みしによつて、我子を與へぬ、彼子今は秀吉の子にこそあれ、家康が子にあらず、秀吉の子殺さんに、家康何とか思ふべきと…
- p001…しによつて、我子を與へぬ、彼子今は秀吉の子にこそあれ、家康が子にあらず、秀吉の子殺さんに、家康何とか思ふべきと、驚かせ給はず、秀康の御母お万どの、…
- p001…二月、北畠の使として、羽柴下總守勝雄、土方勘兵衛雄久、德川殿に參り、殿は關白殿と年比の御恨あるにもあらず、一日信雄が賴み參らせ候に依て、御合戰に及ひき…
- p001…るにもあらず、一日信雄が賴み參らせ候に依て、御合戰に及ひき、信雄だに既に關白殿と中直りしつ然るに信雄が故を以て、兩家長く仇結ひ玉はん事、返す〱も歎きい…
- p001…の御氣色もなくて、使をば返されたり、明る正月二十一日に、下總守勝雄、また關白の御使となつてまゐる、御物語の序に、殿は久しう都の方は御覽せぬにて候、今…
- p001…は都のやうも、昔には事かはつて侍れば、且は御心をも慰められんがため、且は秀吉御父子にも御對面のため、御上洛あるべうもや候と申ければ、家康いま秀康に對…
- p001…べうもや候と申ければ、家康いま秀康に對面して何事をか語らふべき、且彼父の關白殿にだにも、參會に及ぶべからず、まして其公達に於てをや、家康信長の御時、都…
- p001…この慰みに代ふべき、彼につき、是につきて、都に登らんともおほえず、たゞし秀吉みづから當時朝の御覺え、世のなびき從ふを恃みて、家康をも門下に伺候させん…
- p001…、汝たゞ眞直に申せ、家康また思ふ所ありと仰せられしかば、勝雄大に恐れて、秀吉いかでさる事を思ひ玉ふべき、是はたゞ勝雄が存ずる處を、申たるに候とて、頓…
- p001…玉ふべき、是はたゞ勝雄が存ずる處を、申たるに候とて、頓て御暇申て罷歸る、秀吉この由を聞玉ひ、とやせん、かくやすべきと案じわづらひ、きつと案じ出して、…
- p001…わづらひ、きつと案じ出して、御妹君を德川殿の北の方に參らせらる、此上は、關白に見參有べしと聞えしかば、御家人等が心を安んぜんが爲、都に御逗留の程、其…
- p001…し給ひしによつて、やがて都に登り給ひぬ、十五年の春、參河守殿御年十四歲、關白殿と共に、筑紫に渡り、一方の大將にて、日向國を平け、十六歲の御時、伏見の馬…
- p001…方の大將にて、日向國を平け、十六歲の御時、伏見の馬場に出で馬めされしに、殿下の御厩の預り、守殿と爭ひて馬を馳せ、頗る無禮に及びければ、馳違ひさまに、…
- p001…に及びければ、馳違ひさまに、御刀を拔て、首を中に打落し給へば、爰に有合ふ關白の御家人等狼籍出來ぬとひしめく、守殿馬かけすゑ、はたと睨らまへ、やあ如何…
- p001…御家人等狼籍出來ぬとひしめく、守殿馬かけすゑ、はたと睨らまへ、やあ如何に殿下の御家人たらんものが、秀康と爭て、馬はせ、且は無禮をいたすべきやうやはあ…
- p001…るまつて、かたがたも過ちし、秀康怨むなと仰ければ、恐れて近づくものあらず關白此よし聞し召、秀吉が子に向て、無禮せんやつ、其罪死に當れり、あつはれ、秀…
- p001…も過ちし、秀康怨むなと仰ければ、恐れて近づくものあらず關白此よし聞し召、秀吉が子に向て、無禮せんやつ、其罪死に當れり、あつはれ、秀康は心剛なるのみな…
- p001…の孫女にて、一族水戶但馬守が娘、是即忠直卿等の御母なり、あはれ殿下の御一族を賜て、聟君とし、我家を讓らばやと望む、關白殿悅ばせ玉ひて、於義…
- p001…の御母なり、あはれ殿下の御一族を賜て、聟君とし、我家を讓らばやと望む、關白殿悅ばせ玉ひて、於義丸を下すべしと仰ありしに、使者申次の人に近づきて、いづ…
- p001…しに、使者申次の人に近づきて、いづれの御事にわたらせ給ふにやといひしに、關白殿大きなる御聲にて、秀吉が子に、何條疑かあると、仰られしかば、愼みて仰せ承…
- p001…きて、いづれの御事にわたらせ給ふにやといひしに、關白殿大きなる御聲にて、秀吉が子に、何條疑かあると、仰られしかば、愼みて仰せ承て下る、今年關白殿、北…
- p001…にて、秀吉が子に、何條疑かあると、仰られしかば、愼みて仰せ承て下る、今年關白殿、北條を打亡し、まづ守殿を結城の館に入れまゐらせ、自らも彼館に至り、泊ら…
- p001…し、同三年結城に歸り、また伏見大坂に御館搆へて移り住み、其後參議に任し、太閤薨し給ひし後、宗徒の大名石田治部少輔三成を討んとす、德川殿人々を制し玉ひ…
- p011…り、世々下總國結城の地を領し關東八家の一つなり、晴朝に至り、世嗣なく、豐臣太閤の仰にて、秀康卿を養て世嗣とす、秀康又この直基朝臣して、其家を嗣がせ給ひ…
保科 第一 · 2
松平(荻生) 第二 · 2
松平(藤井) 第二 · 3
水野 第三 · 6
- p001…せ玉ひし年、鳥居元忠と共に、甲斐の古國府に陣どつて北條の勢を打破り、信雄秀吉中たがうて、軍起し時、忠重父子、北畠殿の爲に、星崎の城を攻おとし、小牧の…
- p001…星崎の城を攻おとし、小牧の陣に從て、長湫に戰ひ、蟹江の城を攻む、今年十月秀吉伊勢國に攻め入ると聞て忠重たゝ一勢寄手の多勢に打向ひ、水を阻てゝ陣を取る…
- p001…聞て忠重たゝ一勢寄手の多勢に打向ひ、水を阻てゝ陣を取る、その勢に憚りて、秀吉桑名に入る事をえ給はず、其後關白家に參りしに、桑名にての振舞ひ、又年比の…
- p001…ひ、水を阻てゝ陣を取る、その勢に憚りて、秀吉桑名に入る事をえ給はず、其後關白家に參りしに、桑名にての振舞ひ、又年比の武勇を感し玉ひ、石川出雲守と同しく…
- p001…又年比の武勇を感し玉ひ、石川出雲守と同しく武者奉行をぞ給りける、忠重の關白家へ屬せし事は、如何なる故にや、石川出雲守といふは、伯耆守が事なり、かれ…
- p003…天正十五年に、關白殿筑紫にむかひ給ひし時、肥後國に渡りて、都にて鬪諍し、人うち、肥後へゆ…
松平(久松) 第三 · 1
- p002…初め三郞四郞と申、松平と稱する事は、上にみえたり、天正十二年の冬、豐臣家德川殿の御子を養君とし奉るべきよし、望み申されしかば、此人を御子とし遣さ…
酒井 第四上 · 22
- p007…、明る十一年姫君相摸國に入せ玉ひ、忠次おくり參らせけり、十二年の春の比、筑前守秀吉、北畠殿に背きて尾張國へ發向すと聞えければ、德川殿信雄をたすけて、尾張國…
- p007…れば、德川殿信雄をたすけて、尾張國に至り玉ふ、池田紀伊守入道信輝が一族、秀吉に組して、美濃國大柿の城を立て、まづ犬山の城を落し、犬山に陣を取る、入道…
- p007…池田が陣に打向ひ、時をどつと作りかけ、靜かに引てぞ歸りける、かゝる所に、秀吉拾萬餘騎を隨へて、既に美濃國に打入と聞えしかば、御方いづくに陣取てか戰ふ…
- p007…を先として、宗徒の人々あまた小牧山に留めらる、御方勝軍せしと聞えし程に、秀吉の多勢、樂田を立て、長湫の方に馳せ向ふ事引きも切らず、忠次人々に向て、戰…
- p007…多勢と、軍せんこと、大事なり、いざ我々留守の料に、敵の陣々打破て燒立て、秀吉其烟を見たらんには、我陣また破られぬと驚き、はか〲しき軍、よもせじ、一定…
- p007…なり、人々又數正が心を疑ひし程に、忠次空しく兵を止む、數正此ほどより、秀吉に志を通せしにやといひしなり、德川殿既に小牧に引かへし玉へば、此日の…
- p007…、德川殿既に小牧に引かへし玉へば、此日の軍は、さて止みぬ、明れば十日、秀吉樂田に取て返へし、小松寺山に陣を取る、凡そ敵勢のいくらといふ數を知らず、…
- p007…御方一勢〱引て返へる、敵敢て慕ふにも及ばず、此日二重堀の要害に扣へたる、秀吉の大將、細川蒲生堀長谷川、都合其勢壹萬餘騎、秀吉の陣に使を立て、敵間近く…
- p007…二重堀の要害に扣へたる、秀吉の大將、細川蒲生堀長谷川、都合其勢壹萬餘騎、秀吉の陣に使を立て、敵間近く打出たり、われ〱打出て戰ふべし、御勢を加へらるべ…
- p007…立て、敵間近く打出たり、われ〱打出て戰ふべし、御勢を加へらるべしといふ、秀吉制して、敵馬を馳せ來らば、御方は陣を堅うして禦げ、御方出て戰ふ事あるべか…
- p007…せんとひしめくを見て、蹴ちらして棄てんと、はやりしを、德川殿御下知あつて秀吉が小松寺山の軍勢、二重堀を越え來らざらんほどは敵いかにさわぎ亂るゝとも味…
- p008…秀吉頓て軍勢を分ち、陣々を守らせ、みづから八萬餘騎を引て歸り玉へば、德川殿も…
- p008…攻めらる、忠次大手を攻やぶれば、榊原入替て、終に城をぞおとしける、去程に秀吉多くの軍勢を從へ、此處彼處打出て戰ふこと、凡十一箇度、盡く德川殿のために…
- p008…殿忠次に清洲を守らせ、小牧尾幡に軍勢をこめ、參河國に引返させ玉ひしかば、秀吉其隙を伺ひて、伊勢國に發向す、忠次かくと告ければ、德川殿また清洲の城に至…
- p008…伺ひて、伊勢國に發向す、忠次かくと告ければ、德川殿また清洲の城に至り給ふ秀吉是を聞き玉ひ此人のかく助けん程は、信雄を失ふ事叶ふ可らずとて、終に北畠殿…
- p008…ひ軍起るとも、京家の者共が軍、心にくき事候はず、幾度も打破り參らすべし、關白へまるらせ玉はん事、ひらに思召とゞまらせ給ふべきにて候と、言葉を盡して止…
- p008…同ず、德川殿聞召て、かた〱が申止むる所神妙なり、家康思ふ子細あり、たとへ關白に欺かるゝ事ありとも、悔ゆべからず、まづ人の个程までに、我心を取らんには…
- p008…、まづ人の个程までに、我心を取らんには、など其心には答へざらん、且は家康關白と中違うて、東西軍起るとも、かた〱が心を一つになして、戰はんに、何程の事…
- p008…召し極められん上、何事をか、更に申べき、さらば御上洛あるべしとぞ申ける、關白殿御上洛あるべしと聞き玉ひ、御家人等が心を安んぜんがためなりとて、大廳を岡…
- p009…いふ誤れり、のぼらせたまふべしと聞えしかば、大政所下り給ひしとなり、其後秀吉忠次に屋敷を賜ふ、是を櫻井屋敷といふ、又江州にて千石の地授けられしといふ…
- p010…明れば、天正十五年正月信濃の眞田、小笠原が、關白殿へ參りけるに、忠次相倶して、大坂に趣き、今年十一月十五日、德川殿忠次が家…
- p010…家次、天正十七年十一月德川殿の供奉して上洛し、叙爵して宮內大輔となさる、關白殿、來年北條を追討あらんと議定ありしかば、十二月十三日、家次仰を承て、三河…
本多 第四上 · 24
- p006…、急き御勢を召され、先陣既に尾張國に出る、かゝる所に、光秀誅せられぬと、筑前守秀吉告申たりければ、引返させ玉ひてけり、此時の事、異說多くして、定かなら…
- p008…幾程なくて、秀吉信孝を失ひ奉り、又信雄をも亡さんとて、軍起る、德川殿北畠を助けて、尾張國…
- p008…、犬山のあなた、長湫のほとりにて、德川殿に出あうて、味方まけ軍したりと、秀吉の陣に告ければ、秀吉大に怒て、やすからぬ事かな、秀吉むかつて軍すべし、始…
- p008…のほとりにて、德川殿に出あうて、味方まけ軍したりと、秀吉の陣に告ければ、秀吉大に怒て、やすからぬ事かな、秀吉むかつて軍すべし、始より此所の要害を守り…
- p008…味方まけ軍したりと、秀吉の陣に告ければ、秀吉大に怒て、やすからぬ事かな、秀吉むかつて軍すべし、始より此所の要害を守りたらん者は、尙よく守れ、其外の軍…
- p008…、冑とつて着る間に、はや大將軍の陣に、貝を吹鳴したれば、先陣既に打出つ、秀吉の籏、門外に押立てたり、二番三番押つゞいて、十六番迄出ぬれは、秀吉樂田を…
- p008…出つ、秀吉の籏、門外に押立てたり、二番三番押つゞいて、十六番迄出ぬれは、秀吉樂田を立て、長湫をさして馬を馳す、後陣は猶引もきらず、忠勝この時は小牧の…
- p008…を、つと馳せ拔て、敵の中に追こうで終に其馬取返し、永井を乘せて歸りけり、秀吉の兵共、憎き本多が今日の振舞ひかな、馳せ寄つて蹴ちらして通り候はんといへ…
- p008…共、憎き本多が今日の振舞ひかな、馳せ寄つて蹴ちらして通り候はんといへば、秀吉かたく制して、龍泉寺に至る、打漏されたる味方に、家康は勝ち誇てや居らんず…
- p008…や居らんずらんと問ふ、戰事終て家康の御旗は、小幡の方に向て入りぬと答ふ、秀吉力およばず、此所に陣を張る、忠勝物なれたる兵共に、敵の陣の取やう、見て來…
- p008…、忠重の御勢と一ツに成て、今宵龍泉寺に夜討せば、一定犬山より此方にして、秀吉が首取て見參に入れ候べし、夜討の料に、ふるひものどもして、敵のやうをば、…
- p008…忠勝が振舞を感じ玉ふこと斜ならず、御刀をぞ給ひける、此後東西和睦なりて、關白の御妹、濱松に入玉ふべしとあり、悅び申の御使に、忠勝都にのぼり、關白殿も…
- p008…て、關白の御妹、濱松に入玉ふべしとあり、悅び申の御使に、忠勝都にのぼり、關白殿も、此日の事を語り出されて、一人當千の兵とは、忠勝をこそいふべけれと感じ…
- p008…忠勝をこそいふべけれと感じ、仰下されけり、同十六年叙爵し、同十八年の夏、關白殿北條を伐ち玉ふ時、忠勝上方の軍勢と共に、武藏の岩槻の城に向ひ、大手の大將…
- p008…共に、武藏の岩槻の城に向ひ、大手の大將承て、眞先に攻やぶつて、敵を降す、秀吉德川殿に宣ひけるは、北條が國々、既に降りぬといへども、上總下總は大事の所…
- p009…小田原の陣の時、初め忠勝濱手を守る、秀吉德川殿に宣ふ旨ありしかば、忠勝仰を蒙り、家臣都筑彌左衞門をして、玉繩の城…
- p009…しめ、左衞門大夫、質を參らせ小田原に來り忠勝によりて、德川殿に見參し其後秀吉に見參す、かくて秀吉、淺野木村して關東の國々をめぐらしめられたるに、忠勝…
- p009…を參らせ小田原に來り忠勝によりて、德川殿に見參し其後秀吉に見參す、かくて秀吉、淺野木村して關東の國々をめぐらしめられたるに、忠勝相共に左衞門大夫に案…
- p009…、鉢形深谷に出て、北條勢とあひて、八王子の城をせめ落して、筑井を取る、又秀吉の命によつて、忠勝は、上總國廳南の城を守り、上總下總兩國を鎭む、…
- p010…北條亡ひて、關白殿東山道に下り玉ひしが、忠勝を下野國宇都宮の御陣に召されて、冑一つ取出して…
- p010…へ御移あり、井伊本多榊原大久保などは、よのつねの御家人に准ずべからずと、關白の仰ありければ、上總國大多喜の城に、あまた地つけて給てけり、十万石、一…
- p010…て給てけり、十万石、一說に五万石、文祿の初め、朝鮮を伐ち玉ふとて、關白殿筑紫に御陣をめさる、肥後國に凶徒起る、淺野左京大夫幸長、追討の御使を承る…
- p010…紫に御陣をめさる、肥後國に凶徒起る、淺野左京大夫幸長、追討の御使を承る、殿下德川殿に仰せけるは、幸長年若く侍れば、忠勝をも向はせ玉ふべしとあり、既に…
- p011…侍從兼美濃守藤原忠政は、忠勝が嫡男なり、天正十八年夏德川殿の御勢、秀吉の軍勢と打交り、岩槻の城を攻む、父忠勝、淺野彈正少弼長政等と追手より向ひ…
本多 第四上 · 4
- p003…江州志賀に戰陣ありしが故なり、廣孝家成、洲股にいたりし時に、信長の使者木下藤吉爰に來り迎へて、志賀表の事は終りぬれど、西國迄の聞えなれば、彼表迄…
- p003…からずと仰ありて、紀貞を返されたり、其後東西御和睦事成りし後、同き十五年關白殿、薩摩の嶋津を討れんとて、筑紫に下向有し時、豐後守廣孝を使として、軍の樣…
- p003…んとて、筑紫に下向有し時、豐後守廣孝を使として、軍の樣を訪せ玉ふ、折ふし秀吉は豐前國岩石の城を攻めて居玉ひしに參りあひ、廣孝高名しける程に、關白の御…
- p003…ふし秀吉は豐前國岩石の城を攻めて居玉ひしに參りあひ、廣孝高名しける程に、關白の御感淺からず、物多く賜て歸されたり、金作の脇差、羊の皮にて作りし道…
本多 第四上 · 20
- p003…勢の國星崎の城を守る、蟹江の城を攻られしに、先陣して、城を攻おとす、頓て秀吉信雄、中直りし玉ひ、信雄に就て於義丸殿を養君とし玉ふ時、重次が子仙千代丸…
- p003…、御名殘をしく思ひしかば、我獨子にて愛しける仙千代丸つけてまゐらせたり、秀吉も、うへには於義丸殿を養ひ參らするとは披露あれど、內々は人質とし、德川殿…
- p003…のおとななり其子を參らせし事こそ嬉しけれと、悅び玉ふ事斜ならず、去程に、秀吉正二位内大臣に歷上り、關白の職になつて、於義丸殿にも元服させ、秀康と名乘…
- p003…と、守殿へ申て、呼ひ迎へぬ、幾程なく、石川伯耆守數正は、德川殿に背きて、秀吉の御方に參る、扨こそ重次が二心なき所顯れて、誠に思慮深くは見えけれ、斯て…
- p003…の御方に參る、扨こそ重次が二心なき所顯れて、誠に思慮深くは見えけれ、斯て關白殿の仰にて、仙千代丸とく參らすべしと、守殿よりの御使、度々に及ぶ、重次も詮…
- p003…み歎きぬ、されば息男が身代に、此者參らするとて、甥の源四郞富正を參らす、關白殿安からぬ事なり、本多めに、たばかられたりけりと、怒たまふ事大方ならず、か…
- p004…關白殿いかにもして、德川殿と親しうならんと、いろ〱に謀をめぐらし、頓てまた其妹…
- p005…積む事ぞと問へば、いかなる事とも下郞は如何で知り申さじ、たゝし承る所は、關白殿の我國の殿を失ひ玉ふか、若くは留めまゐらせて返し玉はずば、今度都より御下…
- p005…ひ合すれば、三河守殿の初て御參ありし時、仙千代丸といふ兒の御供したるを、殿下の御覽じて、あれは家康がうちにて、三奉行とか云ふうちの鬼作左衞門と云もの…
- p005…何かる罪にもあはせて、大廳の御恨みをも晴させ玉へと、とり〱に訴へければ、關白殿笑はせ玉ひて、家康はよき者共、あまた召し仕ひけり、秀吉もその如き家人をば…
- p005…〱に訴へければ、關白殿笑はせ玉ひて、家康はよき者共、あまた召し仕ひけり、秀吉もその如き家人をば、ほしき事に候ふぞや、とばかり宣ひて、御座をたゝせたま…
- p006…同き十八年正月關白殿北條を追討の事ありて、我國々を打て下り給ふべし、御陣のために、海道の城々…
- p006…らすべしとて、重次と佐渡守正信とに奉行せさせ、修理の事仰下さる、同き三月關白殿岡崎の城に入玉ふ、此城は重次守る所なれど、御迎にも參らず、城へ入らせ玉ひ…
- p006…重次守る所なれど、御迎にも參らず、城へ入らせ玉ひし後も、見參にも及ばず、關白殿より加藤遠江守を御使にて、三度まで召しけれども、重次は關白殿に見參して申…
- p006…にも及ばず、關白殿より加藤遠江守を御使にて、三度まで召しけれども、重次は關白殿に見參して申べき用もなし、御免あらんとて、終に參らず、…
- p007…一說に同き廿日、關白殿駿河の國府の城に入りたまふ時、德川殿長久保の御陣より參り玉ひ、御對面の儀…
- p007…時、德川殿長久保の御陣より參り玉ひ、御對面の儀ありて、重次此所に參りて、關白殿御家人あまた居並たる所にて、德川殿の御後より參りて、立はたかり、大に聲を…
- p008…程なく北條亡び、關東を以て、德川殿知行有べしと定められし時、關白殿むかし本多が秀吉をたぼかつて、れのが子を取返し、此度また秀吉が下向の時、…
- p008…北條亡び、關東を以て、德川殿知行有べしと定められし時、關白殿むかし本多が秀吉をたぼかつて、れのが子を取返し、此度また秀吉が下向の時、對面すべきよし使…
- p008…られし時、關白殿むかし本多が秀吉をたぼかつて、れのが子を取返し、此度また秀吉が下向の時、對面すべきよし使者を以て、言葉をつくせども、終に參らず、彼と…
本多 第四上 · 1
- p004…彥八郞康俊と申す、此時に養父忠次は縫殿助と申せしなり、廿二歲の時、豐臣關白、相摸の北條を討たるべきにて、德川殿の人質を望み申されしかば、康俊を遣は…
井伊 第四上 · 16
- p004…附られ、一方の大將給て、籏幟より物具まで、色は赤を用ゐけり、十二年三月、羽柴筑前守秀吉、主の北畠殿と、不快の事出來て、軍起る、信雄中將、賴み參らせ給ひしかば、…
- p004…向ひ玉ひ、小牧に御陣をめされけり、御方の御勢、わづか一萬五千には過きず、秀吉の十五萬騎、こなたに向て陣を取り、二萬餘騎を引分けて、三河國を襲はんとす…
- p004…立て馳せ向ふ、寄手取る物も取あへず、散〱に成て引返す、かくて所々の戰ひ、秀吉の軍盡く利を失ひ、德川殿助け給はん程は、信雄傾けん事叶ふべからずとて、北…
- p004…中直りし、頓て此人に附て、德川の御子於義丸、乞受けて、養君となさる、是は秀吉いかにもして、德川殿に親しうならんとはかり玉ひし故とぞ聞えける、事は三…
- p004…とはかり玉ひし故とぞ聞えける、事は三河守殿御傳に詳なり、十三年正月秀吉正二位内大臣になり、七月關白に任ず、八月信濃國眞田安房守昌幸が關白に組み…
- p004…年正月秀吉正二位内大臣になり、七月關白に任ず、八月信濃國眞田安房守昌幸が關白に組みし參らせ、德川殿に背きしかば、御勢を差向けらる、御方利なかりしと聞…
- p004…向けらる、御方利なかりしと聞て、直政等彼國に向ひ、御勢を迎へ歸る、去程に關白、德川殿に對面の事を望給ひしかど、見參の事は叶ふべからずと聞ゆとて、案じ…
- p004…たる中と、ならんからは、尊者に向ひて、如何で無禮にや及ぶべきと仰ければ、關白殿悅び玉ふ事大かたならず、さらば御家人等が心を安んぜられんがため、御上洛の…
- p004…く歸らせ給ひ、頓て大廳をも返し參らせらる、此度は直政して送られたり、直政關白殿に召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、伯耆守が事なり別に傳あり…
- p004…昔の傍輩なればとて、接伴に召さる、直政數正に打背き居て、面をもあはせず、殿下みづから茶點して給るべきに至て、數正また接伴す、直政かたへの人に向つて、…
- p004…かたへの人に向つて、これにさふらふ數正は、譜代相傳の主君にそむき參らせ、殿下に從ふ大臆病の男なれば、直政彼れと肩を並べ、膝を組まん事、御免を蒙るべき…
- p004…て候と申ければ、御前に在りあふ人々、皆舌をぞふるひける、十六年四月主上、關白家へ行幸あり、德川殿も參らせ玉ひ、御家人等任官の事あり、直政殊に侍從從五位…
- p004…り、直政殊に侍從從五位下になされ、兵部少輔を兼ぬ、十八年の春、若君初めて關白殿へ參り玉ふ、直政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討た…
- p004…年の春、若君初めて關白殿へ參り玉ふ、直政御供して、都にのぼる、此年の夏、關白殿、相摸の北條を討たれしに、直政、德川殿の先陣うつて、小田原の城に向ひ、蓮…
- p006…などか善かるべきと申はべりき北條亡びて、彼領せし國々、德川殿へ參らせる、關白殿の仰にて、直政上野國箕輪といふ所を賜り、十二万石高崎の城を構へて移…
- p006…會津の守護、別に傳有り加勢して、九戶の城を攻めおとす、慶長三年八月、太閤薨し給ひし後、彼家の奉行、德川殿うしなひ參らせんとする事、度々に及ぶ、直…
榊原 第四上 · 14
- p003…、德川殿甲斐國に入て、北條と戰ひし時、康政大須賀と共に、敵を破る、十二年秀吉信雄の戰ひに德川殿小牧に御陣をすゑられしは、康政が勸め參らせし所なり、長…
- p003…攻め破りき今年十月、德川殿の御軍班されしに、小牧の御陣に留て守る、かくて秀吉所々の軍に負け、信雄卿に中直り、德川殿に好みを結び、終に御妹を濱松へまゐ…
- p003…に登り、かねて富田左近將監が家を、康政が旅舘に點ぜらる、康政都に入し日、關白殿彼家に、成らせ玉ひ、康政が手を取て、今日の對面こそ珍しけれ、むかし小牧の…
- p003…、康政みかたの輩に牒狀し、大恩忘れて主君の子うしなはんとする、惡逆無道の秀吉に組する事やある、と云ひしには、秀吉怒りに堪へずして、その康政生ながら參…
- p003…主君の子うしなはんとする、惡逆無道の秀吉に組する事やある、と云ひしには、秀吉怒りに堪へずして、その康政生ながら參らせたらんものには、勳賞は乞ふによる…
- p003…ふる、今かく德川殿と親しくなつたれば、康政等が如き家人、數多さふらふ事、秀吉が悅びとは成たるなり、明日の見參、なほ待遠に思へば、忍びて參りたるは如何…
- p003…なり、明日の見參、なほ待遠に思へば、忍びて參りたるは如何にと仰らる、康政殿下へ參りし時、御もてなし、言葉にも述べられず、御嫁娶の式、仰合され、引出物…
- p003…り給ふ、今年十月德川殿の供奉して上洛す、從五位下に叙し、式部少輔に任す、關白殿執し申されし故なり、德川殿の御家人任官の始とぞ聞えける、同き十六年、殿下…
- p003…白殿執し申されし故なり、德川殿の御家人任官の始とぞ聞えける、同き十六年、殿下北條の上洛を催さる、氏政氏直のたもふ旨あつて、北條美濃守氏規を都にのぼせ…
- p003…られしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て…
- p003…房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北條終に上洛なかりしかば、同じ…
- p003…副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北條終に上洛なかりしかば、同じき十八年關白殿に攻められて、降人に成て參りしかど、氏政は自害させ、氏直をば助けらる、此…
- p003…此年德川殿東國へ移り玉ひしとき、康政に上野國舘林の城を賜、十万石、關白殿仰らるゝ旨ありしゆゑとぞ聞えし、同き年十月陸奧に逆徒起り、德川殿御退治あ…
- p003…文祿元年二月二日康政、中納言殿に仕へ奉るべきよしを仰下さる、慶長三年の秋太閤薨し給ひ、明れば四年の正月大坂の奉行人等、德川殿を失ひ參らせんと謀り、窃…
大久保 第四中 · 12
- p005…りけれ、忠敎爰に在る事來年正月に至る、此後東西御和睦あつて、德川殿關白秀吉に御對面のために、都に登り玉ひ、大廳岡崎に下り給ふに、忠世、井伊本多作…
- p006…家忠日記にも、其餘の傳記にも、井伊本多榊原大久保には、關白殿内々の仰有て、所領の地賜ふとしるす、又按ずるに此人々には、關白殿より所領…
- p006…保には、關白殿内々の仰有て、所領の地賜ふとしるす、又按ずるに此人々には、關白殿より所領賜りしと存ずるなり、上杉島津其外の家人に此例多し、これ秀吉の姦謀…
- p006…は、關白殿より所領賜りしと存ずるなり、上杉島津其外の家人に此例多し、これ秀吉の姦謀にて、大名の主從、不和にすべき爲なりと見えき、秀吉薨ぜられし後、島…
- p006…に此例多し、これ秀吉の姦謀にて、大名の主從、不和にすべき爲なりと見えき、秀吉薨ぜられし後、島津が伊集院を誅せしにても、推て知るべし、されど、當家の人…
- p006…れし後、島津が伊集院を誅せしにても、推て知るべし、されど、當家の人々は、關白殿より賜ひしといふ事を嫌ひて、秀吉の御內意とは云ひしなるへし、若し德川殿の…
- p006…、推て知るべし、されど、當家の人々は、關白殿より賜ひしといふ事を嫌ひて、秀吉の御內意とは云ひしなるへし、若し德川殿の御心にて、此人々に大祿を賜ふ程な…
- p009…は、駿府へ移らせ玉ふべきよしは、去る天正十三年より披露ありしかど、關白殿と御軍始りしかば、其事止みぬ、御中直り事成て、十四年の十二月御移りありと…
- p009…まづ御移り有て、廿四日に岡崎に趣き、廿七日に濱松に歸らせ玉ひ、十月に關白殿との御和睦なると載せらる、されども諸記みな創業記に同し、十六年四月德…
- p009…二年十二月、中納言殿に附らる、同き四年、當關白秀次、御謀反の企ありとて、大閣の御不審、蒙らせ玉ひ、かくては一定失はれぬと思召し、當時中納言殿の都にま…
- p012…記に詳なり、長湫の戰に、御使を承る、先陣にまじはりて、敵を打つ、頓て秀吉朝臣、僞て北畠殿と中直りし、又みづから四万五千の軍勢を引率して、樂田の邊に發…
- p012…幟金扇既に間近く見え來れば、一支へもさゝへず、散々に成て逃げ奔る、秀吉の朝臣も、其夜の內に三里がほど引き、終に信雄と中直りをぞなされける、忠佐年頃鐵…
石川 第四中 · 2
鳥居 第四中 · 6
- p001…て出づ、御方の人々進み戰はんと、はやりしを、元忠制して戰はず、十八年五月關白殿北條を討れし時、元忠相模國築井の城を攻破りて、又武藏國岩槻の城に向ひ、上…
- p001…關東へ移らせ玉ひしかば、下總國矢作の庄を給て領す、四万石是より先き關白殿元忠を召して、叙爵せさせんと宣ふ、元忠承て、元より無骨の田舍人、身も亦か…
- p001…させんと宣ふ、元忠承て、元より無骨の田舍人、身も亦かたはに相成て候へば、殿下に出仕すべき事叶べからず、あはれ御免を蒙るべしと辭し申す、其後又關白殿、…
- p001…ば、殿下に出仕すべき事叶べからず、あはれ御免を蒙るべしと辭し申す、其後又關白殿、元忠が嫡子新太郞忠政を以て、羽柴下總守雄利が女に配させて、其養子となし…
- p001…しとありしにも愚息を以て、下總守が女に配せられんには、其仰に隨ひ候べし、殿下に召仕るべきの條は、御免を蒙り候べし、元忠が曩祖以來德川譜代相傳の家從の…
- p001…代相傳の家從の者に候へば、子孫に相傳て他家に奉公仕るべき者に候はずと申、秀吉鳥居が申所、其謂ありとて、雄利が女を以て、新太郞が妻と成さる、初め元忠が…
戶田(田原) 第四下 · 2
土岐 第四下 · 1
- p003…、德川殿定政が申す所其謂れありと仰せられ、頓て御陣を移されたり、案の如く秀吉の大勢寄來り、既に御陣を移されしと聞て、手を空しくして引返す、定政が此度…
高木 第四下 · 3
土井 第五 · 1
- p003…甚三郞とぞ召れける文祿四年七月、中納言殿は、都に御座ありしに秀次關白、父大閣に罪蒙り玉ひ、中納言殿を却し質として、一旦の害を遁れんと謀り、朝とく御使…
靑山 第五 · 1
- p001…騎の士二十五人を屬せらる、久能衆といふ是なり、若君御年十一歲、初て關白殿へ御見參の時、御供して上洛し、叙爵して常陸介になさる、明れば十八年關東に…
永井 第五 · 5
- p008…事いまだ候はずと仰せられしと云々○、謹て按ずるに、信雄の宣ひし所は、信長秀吉の風にて、古にいふ功を尙ぶといふもの、覇術に出づ、信長秀吉の亡ひ給ひしも…
- p008…ひし所は、信長秀吉の風にて、古にいふ功を尙ぶといふもの、覇術に出づ、信長秀吉の亡ひ給ひしも、此道に因れる所か、德川殿の仰せられし所、深き御心にやあら…
- p009…五千石文祿元年朝鮮の事起りしかば、德川殿も肥前の名護屋に趣かせ給ふ、太閤德川殿の御陣に成らせ給ひ、直勝を御覽じ、あれは誰とか申すと尋ね給ひしに、…
- p009…、双なき勇士、御さんなれと、仰られしを、羨まぬ人もなし、同き四年三月廿日大閣、直勝に從五位させ、豐臣の姓をゆるさる、關が原の合戰の時、御所の御右に陣…
- p011…るに、直勝に祿多く給べとありしは、信雄卿なり、入道を討し事を譽め給ひしは太閤なり、直勝次第に大名と成し事、皆本文の如し、五千石を賜ひしは、關東へ入ら…
西尾 第五 · 2
小笠原 第六 · 12
- p001…德川殿に中直りし、本國にぞ引返さる、同き十二年、德川殿北畠殿を援ひ玉ひ、秀吉と軍起る、此頃より貞慶また眞田と同しく、秀吉と心を合す、十三年十一月、石…
- p001…年、德川殿北畠殿を援ひ玉ひ、秀吉と軍起る、此頃より貞慶また眞田と同しく、秀吉と心を合す、十三年十一月、石川伯耆守數正、岡崎を去て秀吉へ參し時、貞慶が…
- p001…た眞田と同しく、秀吉と心を合す、十三年十一月、石川伯耆守數正、岡崎を去て秀吉へ參し時、貞慶が人質をも引具して行く、かねて貞慶といひ合せし旨ありとぞ聞…
- p001…城に押寄せ、爰かしこの村〱に放火して引返す、明れば天正十四年の夏、德川殿關白と御中直りし事なれば、貞慶また德川殿に就さて殿下に見參仕るべきよしを申す…
- p001…ば天正十四年の夏、德川殿關白と御中直りし事なれば、貞慶また德川殿に就さて殿下に見參仕るべきよしを申す、十五年の正月、酒井左衞門尉忠次、小笠原眞田を具…
- p001…十五年の正月、酒井左衞門尉忠次、小笠原眞田を具して上洛せり、同き十八年、關白殿、北條を伐ち玉ひし時、貞慶忽に罪蒙る、其故は、關白の御家人に尾藤甚右衞門…
- p001…洛せり、同き十八年、關白殿、北條を伐ち玉ひし時、貞慶忽に罪蒙る、其故は、關白の御家人に尾藤甚右衞門尉といふ者あり、讃岐の國半を賜ふ、去りし天正十五年…
- p001…て、年頃既に經ぬ、今は何事かあるべきとて、貞慶尾藤を具して、關東に向ふ、關白此由を聞召し、怒り玉ふ事大方ならず、尾藤忽に誅せられ、貞慶所領を収公せら…
- p002…ながら罪を得て、所領を沒収せられ訖んぬ、小田原の軍に及び、仙石は忍んて、關白の御陣に從て軍して高名し、尾藤は城にこもる、城落て尾藤をば捕へて誅せられ…
- p002…城に籠て居たりといひし故に、小笠原も罪重くなりて、所領沒收せられしにや、關白が勘當の人を軍中に伴ひしといふ斗りには、さ程の罪にはあらず、それも又關白…
- p002…關白が勘當の人を軍中に伴ひしといふ斗りには、さ程の罪にはあらず、それも又關白の我威を立てんが爲に、是程の事をも、かく重く罪せられしも知らず、…
- p003…慶が男兵部少輔秀政は、德川殿の御嫡子故岡崎殿の御姫に添ひ奉りたりければ、關白殿も別の義を以て御免ありしに因て、德川殿の御家人になされ、下總國古河の城を…
丹羽 第六 · 1
- p001…聊の事に依て勘氣を蒙り、本國を去て德川殿に來り仕ふ、十二年の春、北畠殿、秀吉朝臣と軍起る、德川殿、氏次を召て汝が累代領せし岩崎の城は、尾張三河の境にて、…
山口 第六 · 4
- p001…、我妻の弟北畠殿の家老岡田長門守が許に來つて、星崎の城に在り、斯て岡田、秀吉に心を通じ叛き參らする由聞えしかば、天正十二年三月三日、信雄卿の爲に誅せ…
- p001…盛が先途を見んずるとて、同じく高野に趣く、扨も岡田既に誅せられぬと聞て、秀吉大に怒り軍勢を催し、伊勢國に發向す、佐久間駿河守正勝、北畠の御方して、長…
- p001…其勢五千餘、同き三月九日嶺の古城に要害を搆へ、龜山の城を攻んとす、同十日秀吉の軍勢、嶺の城に押寄す、正勝重政、打て出づ、味方さん〱に打なされ、討るゝ…
- p001…を合て、山口が許に使者を立て我等が父子、佐久間殿を恨み參らする故あつて、羽柴殿の御方に參り候ひぬ、こゝに重政の母上、此城に留め置かれしに依つて、今既に…
北條 第六 · 15
- p003…父氏康兄氏政に至て、領する所の地八箇國、武威東海に奮ふ事凡百餘年、豐臣の關白、天下の事しろしめすに及ひて畿内の地は云ふに及ばず、山陰山陽南海西海悉く…
- p003…流齋と號し、政務の事に預らず、此氏直と申は、德川殿の聟君にてましませば、關白もさすが速に違犯の罪にも處し難く、大方は事の躰に依つて、追討の事あるべき…
- p003…に依つて、追討の事あるべきなど聞えければ、德川殿よきに計らせ玉ふに因て、關白の心とけ玉ひ、天正十六年五月、北條の使者、初て都に上る、この美濃守氏規を…
- p003…上洛あるべきよしを宣ひながら、其事なく年月を經て、事の違亂、出來ぬれば、關白大に怒り給ひ、同き十八年の春、天下の軍勢を催促し、東海東山北隆より打て下…
- p003…合て五万餘人、以の外に攻あぐんて、たゝ遠攻にする事、五箇月にぞ及びける、關白の仰を承り、德川殿の御家人小笠原丹波守、御使として此城に行むかひ、御方の…
- p003…直の弟羽柴下總守勝雄と相議して、東西の和睦、事ならんとす、按するに、關白浮田秀家して計られし事なりたとへ氏規、其城一つを守て討死を決せ…
- p003…の御家人內藤三左衞門信成に渡し、德川殿の御陣に參り、東西和睦の事を議す、殿下氏規が申旨に任せられ、伊豆相摸武藏三箇國を氏政父子にまゐらせ、殘る所の國…
- p003…うけ取て、東西の人質、取替し、頓て御開陣あるべしと仰らる、氏規大に悅ひ、關白の御敎書をこひ受て、七月六日、卯の一點に澁取口より、小田原の城に入る、城…
- p003…直は死を宥られ、氏政同舍弟陸奧守氏輝をば誅せらるべきに定りて、同き十日、關白の御使、氏政の許に向て、自害の事を勸む、氏規、力およばず、氏政の介錯して…
- p003…のれも自害せんとする所を、警固の者、刀を奪ひ取りしかば、死する事を得ず、關白殿も氏規、去々年使として、上洛せしより、見玉ひし者にて、今度韮山の城をも、…
- p003…の供して、高野山に登る、同じ冬の頃氏直天野といふ所に下り玉ひ、明年の春、關白殿より大坂に召され、北畠內府の住れし舘に請じ入れ、御對面の儀あり、やがて國…
- p004…北條五代記創業記家忠日記夏目が記、並に關白殿、德川殿、氏政父子往來の書翰等に、古き人の物語せし事を、まじへ見るに、北…
- p004…し初めより、終に至るまで、事皆な違變のみ出來て、終に事破れき、想ふに悉く秀吉の姦謀に出たりと見えしなり、氏直もまた毒殺され給ひしといふ人もあり、氏規…
- p005…其後關白殿氏規を召て、河内國にして所領を賜ふ、今領する所河内狹山一万石秀吉より…
- p005…後關白殿氏規を召て、河内國にして所領を賜ふ、今領する所河内狹山一万石秀吉より給ひしにや氏規が男美濃守氏盛、氏盛が男四人嫡男美濃守氏信、二男熊丸…
秋元 第六 · 1
- p001…東に奮ひしよりこのかた、主なりける上杉も、北條に屬ひぬ、天正十八年の春、關白殿北條を伐ち玉ひし時、泰朝が父越中守長朝、主に從て、小田原の城に籠る、北條…
朽木 第六 · 1
- p003…かくて信長に從ひ、秀吉に仕へて、慶長の初に及ひて、關が原の軍起りし時、德川殿に心を寄せしかども…
柳生 第六 · 1
- p002…織田殿の時、宗嚴大和の守護筒井入道順慶に屬して、所々の高名ありき、關白秀吉、天下を知召して、當國を悉く御弟秀長大納言に參らせられしに、柳生の譜代の…
小堀 第六 · 3
池田 第七上 · 27
- p003…、攝津の地に至るに及びて、同じ六月二日、信長信忠、明智がために討れ給ふ、羽柴筑前守秀吉、山陽道より馳上りて、尼が崎にいたる、…
- p004…此時秀吉、兵庫に至て信輝に會し、秀吉の子秀次を、信輝の聟となし、信輝が次男輝政を…
- p004…此時秀吉、兵庫に至て信輝に會し、秀吉の子秀次を、信輝の聟となし、信輝が次男輝政を、秀吉の養子とすべき事を誓ひ…
- p004…兵庫に至て信輝に會し、秀吉の子秀次を、信輝の聟となし、信輝が次男輝政を、秀吉の養子とすべき事を誓ひ、二人髮を薙て打立しと云ふ、…
- p005…、宗徒の家人等と尾張の國淸洲の城に參會して、織田殿の世嗣の事を議せられ、秀吉等が謀にて嫡孫三郞殿後に岐阜中納言秀信を世嗣とし、御成人の程は御領…
- p005…信長失せ玉ひて後、信輝髪薙て勝入と號し、嫡子勝九郞之助、紀伊守になる、秀吉柴田修理亮勝家を亡し、三七殿を弑し奉りて後、信輝に美濃の國大柿の城を與へ…
- p005…信輝に美濃の國大柿の城を與へ、之助に岐阜の城を與ふ、天正十一年の事秀吉また北畠殿を失ひ奉らんとせし時、信輝が父子、秀吉の方人して、まづ手合せに…
- p005…ふ、天正十一年の事秀吉また北畠殿を失ひ奉らんとせし時、信輝が父子、秀吉の方人して、まづ手合せに犬山の城を攻落す、…
- p006…りて、勝入が父子並にかの聟森武藏守長一の方へも、御方に參るべき由を賴る、秀吉また尾藤甚右衞門尉して組みせらるべきよしを申さる、入道家子郞等を集めて、…
- p006…めて、此事を議せらる、片桐半左衞門進出て、いかで信長の御恩を忘れ給ひて、秀吉の方人たるべきといふ、伊木淸兵衞是を聞て、片桐が申所ことわり至極せり、去…
- p006…桐が申所ことわり至極せり、去ながら、家をも興し子孫の後榮をも計らんには、秀吉にくみし給ふに若く可らぞといふ、入道も心惑ひして、とやせん、かくやあらん…
- p006…く可らぞといふ、入道も心惑ひして、とやせん、かくやあらんと分かねし所に、秀吉重ねて津田隼人佑を使として、秀吉に組みせられんには、美濃尾張兩國の事、進…
- p006…、とやせん、かくやあらんと分かねし所に、秀吉重ねて津田隼人佑を使として、秀吉に組みせられんには、美濃尾張兩國の事、進退に任せらるべしと、いひ送られし…
- p006…美濃尾張兩國の事、進退に任せらるべしと、いひ送られし程に、忽に心動きて、秀吉の方人して、いかにもして功を顯さんと思ひしとなり、德川殿は信雄を助けて淸…
- p006…正十二年三月十七日、御方の人々、まづ森武藏守長一が羽黑の陣を打ち破つて、秀吉の多勢に向ひ、小牧の山に陣を取る、同き四月四日、勝入、秀吉の陣に秀吉犬…
- p006…を打ち破つて、秀吉の多勢に向ひ、小牧の山に陣を取る、同き四月四日、勝入、秀吉の陣に秀吉犬山に陣す行き向つて、德川が勢、日々に馳せ集ると見えて、…
- p006…、秀吉の多勢に向ひ、小牧の山に陣を取る、同き四月四日、勝入、秀吉の陣に秀吉犬山に陣す行き向つて、德川が勢、日々に馳せ集ると見えて、小牧のかたき…
- p006…まづ三河の國を襲ひ取て候はんには、一定小牧の敵も破れつべう覺え候といふ、秀吉よく謀つてこそと答て、入道をば歸さる、明れば五日の朝、入道また來て、家康…
- p006…軍勢こむべしと承る、道のほど塞らぬ內に、三河の國に向はゞやと云ひしかば、秀吉甥の三好を大將とし、池田森が勢と同しく、三河國を襲はんとす、三好も森も入…
- p006…ば、重て軍の檢使を乞ふ、堀久太郞秀政を加へて、同き六日の夜半より打立つ、秀吉も、かさねて犬山を立て、樂田に陣を移さる、同き九日のあした入道岩崎の城を…
- p007…十騎、馬烟を蹴立てゝ走せ來れば、敵は城に引入けり、年僅に十七歲、同し年又羽柴秀吉と共に、淡路の國に押渡り、安宅駿河守を攻め降し、十年の春武田亡ひしに、兄…
- p008…敵と組んで首を取る、天正十年兄弟共に甲斐の國の先陣す、信長失せ玉ひし後、秀吉大德寺にして葬送の儀を行れしに、信輝故殿の御乳母子たるに依つて、子息等常…
- p008…信輝故殿の御乳母子たるに依つて、子息等常は公達と同じく御寵愛ありしとて、秀吉の養ひ參らせし御次丸殿と、この古新二人して、御棺の前後を舁せらる、斯て長…
- p008…殿と、この古新二人して、御棺の前後を舁せらる、斯て長湫の合戰に、入道父子秀吉のために討死せしかば、輝政岐阜を賜ひ、豐臣の姓許され、羽柴三左衛門尉と名…
- p008…に討死せしかば、輝政岐阜を賜ひ、豐臣の姓許され、羽柴三左衛門尉と名のり、秀吉關白に任じ給ひし時、侍從にこそなされけれ、天正十八年の秋北條亡びし後、三…
- p008…初め中川淸秀が瀨兵衞尉か事女を迎へ、男子一人をまうけて、其妻死す、大閣の御媒にて文祿三年九月、德川殿第二の御娘、輝政の家に入らせ給ひ、督姫君…
- p015…備中守源長吉、此流池田と稱す十三歲の時、秀吉の養子と成て、羽柴藤三郞と名乘る、其後治兵衞と申せしか長湫の…
淺野 第七上 · 24
- p001…の娘、養うて子とし、姊は織田殿の家人前田又左衞門尉利家が、なかだちにて、木下藤吉にあはせ、秀吉を長勝が長屋に入聟にして、竹簀子に緣取し席敷て、婚…
- p001…姊は織田殿の家人前田又左衞門尉利家が、なかだちにて、木下藤吉にあはせ、秀吉を長勝が長屋に入聟にして、竹簀子に緣取し席敷て、婚禮せしと、後に…
- p001…子の長政が妻とす、妻は長成院と云左京大夫但馬守等の母なり、かの藤吉秀吉、次第に歷上て、織田殿一方の大將になされ、播磨の國賜り、羽柴筑前守と名の…
- p001…、かの藤吉秀吉、次第に歷上て、織田殿一方の大將になされ、播磨の國賜り、羽柴筑前守と名のる、長政其後彌兵衞と申て、織田殿に仕へしが、彼秀吉が手に附られたり…
- p001…の國賜り、羽柴筑前守と名のる、長政其後彌兵衞と申て、織田殿に仕へしが、彼秀吉が手に附られたり、固より長政は秀吉と相婿なりし程に、羽柴の家、第一の人に…
- p001…其後彌兵衞と申て、織田殿に仕へしが、彼秀吉が手に附られたり、固より長政は秀吉と相婿なりし程に、羽柴の家、第一の人にて、かの家の事大小となく司る、織田…
- p001…に、羽柴の家、第一の人にて、かの家の事大小となく司る、織田殿失せ玉ひて、秀吉忽ち天下の權を執り、内大臣の正二位にして、關白に任し、家の奉行五人を置く…
- p001…む、是より先き、天正十一年、長政近江國大津の城を賜ふ、系圖を考ふるに、太閤初め近江の長濱にましませし時、長政坂本の城を領せしと見えき、〇世に傅る…
- p001…は若狭の國九万三千石、を領し、其後甲斐の國に移りしといふ同十四年秋、關白の御妹、德川殿に參り給ふ時、長政して送らる、此年德川殿御上洛の時、長政饗…
- p001…政饗應の事を掌りて、御旅館に祗候す、是よりして後、德川殿の申次を承はる、關白島津を伐ち給ふ時は、大隅國に向ひ、北條を亡し給ふ時は、武藏の國に向ふ此時…
- p001…島津を伐ち給ふ時は、大隅國に向ひ、北條を亡し給ふ時は、武藏の國に向ふ此時殿下駿河の國府に至らんとし給ひしに、石田治部少輔三成、御耳に附きて、家康北條…
- p001…さる、長政參て此由を聞き、いかでさる事や候べきと、諫め爭ひ申せしに依て、關白の疑ひ立所に散じて、國府の城に入り給ひぬ、北條滅ひし後、奧の地悉く平きて…
- p001…滅ひし後、奧の地悉く平きて、長政等撿地の事を奉行し、奧にて賊徒起りし時、關白の御使承り、馳せ向ひて退治す、其後甲斐の國を賜て移る、廿一万七千石、…
- p001…御使承り、馳せ向ひて退治す、其後甲斐の國を賜て移る、廿一万七千石、關白天下の黄金を改め造らせられしに至て、長政が家臣、此黃金を僞て造り出す、事…
- p001…に渡る、石田增田等と相議し、諸軍勢を率して、晋州城を攻め落す、今年の冬、大閣朝鮮の軍、はか〲しからぬを怒つて德川殿を初め、宗徒の大名を、名護屋の陣に…
- p001…の陣に集め、朝鮮の軍、今のやうならんには、いつ事定るべしとも思へず、今は秀吉みづから向はんと思ふ、三十萬の勢を三手に押し分け、利家前田氏鄕蒲…
- p001…た〱の御推擧を仰ぐ所に候と宣ひしに、彈正少弼長政進出で、暫く候ふ德川殿、殿下この年月の御振舞ひ、昔の御心とや思召す、年經る狐の入り替つて候を、何事か…
- p001…とや思召す、年經る狐の入り替つて候を、何事か宣ふべきと、申しもはてぬに、太閤御佩刀に手を掛けられ、やあ、秀吉が心に、狐の入かはつたるいはれ、きつと申…
- p001…候を、何事か宣ふべきと、申しもはてぬに、太閤御佩刀に手を掛けられ、やあ、秀吉が心に、狐の入かはつたるいはれ、きつと申せ、申し損じなば、しや首うち落し…
- p001…とする鼈は、必ず人に取らるゝとは、此御事にて候ぞと、憚る所なく申ければ、太閤、鼈にもせよ、狐にもせよ、おのが主と賴たらん者に、雜言をはく條奇怪なりと…
- p001…て仰出さるゝ旨もなく、かゝる所に、肥後の國に逆徒起りぬと、早馬を參らす、太閣大に驚き給ひ、德川殿に御使あつて、長政具して御參りあれと仰せらる、やがて…
- p001…殿に御使あつて、長政具して御參りあれと仰せらる、やがて長政めしぐせらる、太閣、肥後の國に逆徒起りぬ、汝が嫡子左京大夫幸長、追討の使たるべしと仰下さる…
- p001…をば出さず、長政仰を承て、肥後國に向ひ、國政を沙汰す、慶長三年八月十八日大閣薨じ給ひしより、石田等、長政と年頃の遺恨を散ぜんがため、長政が德川殿に罪…
- p001…へ、左京大夫になさる、父と共に筑紫關東の軍に從ひ、朝鮮に渡り所々に戰ふ、太閤薨じさせ給ひし後、石田等が父と中不快なるを憤りて、軍せんとしけれども、德…
前田 第七上 · 12
- p002…す、十年能登の國石動山の敵を討亡し、十一年の春、利家父子柴田に組みして、羽柴筑前守秀吉を討たんと、近江國に發向し、四月廿一日志津が岳の戰ひ敗れしかば、利家府中…
- p002…ほど送り參らせんと打出づる、勝家固く辭して立別る、又利家を呼返へし、和殿羽柴と年頃のよしみあり、けふよりは勝家との盟を棄てゝ、和殿が家のため謀り給へ…
- p002…りは勝家との盟を棄てゝ、和殿が家のため謀り給へと云ひ捨て、北の庄へ趣く、秀吉續て北庄を攻落せば、勝家腹切て死す、秀吉また利家を賴みて、加賀の國を平け…
- p002…り給へと云ひ捨て、北の庄へ趣く、秀吉續て北庄を攻落せば、勝家腹切て死す、秀吉また利家を賴みて、加賀の國を平け、其賞として石川河北二郡を與へ、御山の城…
- p002…さんとす、利家やがて後卷し、成政も引て歸る、幾程なくて、能登の國平きぬ、秀吉此由を聞き、能登は二十三万三千石自ら從へし國なれば、秀吉が參らする…
- p002…國平きぬ、秀吉此由を聞き、能登は二十三万三千石自ら從へし國なれば、秀吉が參らするに及ばず、知行せらる可きこと勿論なり、其賞などか無かるべきとて…
- p002…、叙爵させ、羽柴肥前守になさる、今まで孫四郞、初は利勝といふ、是れ秀吉の家號賜ひし初なり、菊桐の紋をも賜ふと云ふ同き十三年の秋、秀吉佐々…
- p002…是れ秀吉の家號賜ひし初なり、菊桐の紋をも賜ふと云ふ同き十三年の秋、秀吉佐々を攻降し、越中國三郡を割て、利家これを領せんこと一兩年、其後は子息利…
- p002…初め越中侍從といひしは、この故か、十四年嶋津を討れし時、子息肥前守、關白殿に從て向ふ、十六年の春、右少將になされ、十八年の春、參議從四位下、此年の…
- p002…月十一日、大納言に轉じ、家司二人任官す、高畠織部中川清六郞同き三年太閤薨じ給ひ、利家を以て若君の傅と定られしかば、天下の倚賴、當世の權威此人に…
- p002…志津岳石動末森等を始とし、筑紫關東の戰に至るまで、終に不覺を取らず、初め關白殿越中國三郡を賜ひ、羽柴の號ゆるされ、肥前守に任じ、侍從を經て、慶長二年の…
- p002…長の參議たりしのみを傳ふ、公卿補任を按するに、從三位中納言に至れり、太閤薨し玉ひし時、秀賴の傳を仰置る利長をば御いたきもりと定らるとい…
京極 第七上 · 4
- p001…、高次が姊、初め若狹の武田が孫八郞か事也妻なりしが、武田死して後、秀吉關白の妾となつて、松の丸殿と申す、高次の母また淺井下野守祐政の娘なりければ、…
- p001…殿にも從弟なり、一かたならぬ緣故に附き、高次いまだ小法師丸といひしより、關白の御覺淺からず、元服して近江守になされ、大津の城を賜ひ、若狹の内副て…
- p001…、備前守長政の娘也大相國家の御臺所の御姉、常高院殿と申せし御事なり、太閤薨じ給ひし後、慶長四年の春、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんと謀る、伏…
- p002…侍從兼丹後守源高知は、長門守高吉の二男、參議高次の弟なり秀吉の御時、近江國蒲生郡の地を賜り、五千石修理大夫になされ、文祿元年舅…
黑田 第七上 · 10
- p001…長の見參に入り、同五年九月、其孫長政が十歲なるを質として、信長へ參らす、羽柴藤吉郞秀吉に預けられ、近江國長濱の城に置かる、幾程なく、秀吉筑前守になされ、播磨の…
- p001…長へ參らす、羽柴藤吉郞秀吉に預けられ、近江國長濱の城に置かる、幾程なく、秀吉筑前守になされ、播磨の國を賜ふ、孝高父子二心なき方人にて、秀吉に隨ひ、佐…
- p001…幾程なく、秀吉筑前守になされ、播磨の國を賜ふ、孝高父子二心なき方人にて、秀吉に隨ひ、佐用の城を攻て先懸し、同き十一月廿七日、秀吉の下知に依て、孝高竹…
- p001…子二心なき方人にて、秀吉に隨ひ、佐用の城を攻て先懸し、同き十一月廿七日、秀吉の下知に依て、孝高竹中半兵衞尉重治と共に、備前の國福岡の城を攻め、同き六…
- p001…に荒木に組みせず、孝高又希有にして逃れ返り、荒木も頓て亡びけり、同八年、秀吉播州三木の城を攻落して、此所に住せんと擬す、孝高いひけるは、我すむ所の姫…
- p001…海路の便よく凡そ當國を知らん人、必ず住むべき所なり、さらば參らせんとて、秀吉に讓る、秀吉悅ふこと限なく、此城に移り住む、孝高宍粟の郡を賜りて、山崎の…
- p001…凡そ當國を知らん人、必ず住むべき所なり、さらば參らせんとて、秀吉に讓る、秀吉悅ふこと限なく、此城に移り住む、孝高宍粟の郡を賜りて、山崎の城にあり、秀…
- p001…吉悅ふこと限なく、此城に移り住む、孝高宍粟の郡を賜りて、山崎の城にあり、秀吉山陰山陽の合戰を始として、志津が岳、小牧、筑紫の軍に至るまで、孝高の戰功…
- p001…めて、犬丸の城を攻落し、討取る所一千五百餘人、賀來福島等の城を攻め落す、關白の御感淺からず、朝鮮の軍に先懸して、金海昌原を破り、王城平安に戰ひ、白川…
- p001…田父子の武功は、林道春が撰びし、長政の碑の銘に詳なり今は大畧を採る、太閤薨し給ひし後、朝鮮の事終り、長政等小西寺澤等と功を爭て訴へ起り、軍奉行の…
有馬 第七上 · 4
- p001…國に移りて、三木郡浦田の城に住す、其子中務少輔則顯、同國淡河の城に移る、太閤いまだ筑前守と申て、當國の守護たりしより、御方に屬す、相摸の北條滅びて後…
- p001…、三木郡浦田の城に住す、其子中務少輔則顯、同國淡河の城に移る、太閤いまだ筑前守と申て、當國の守護たりしより、御方に屬す、相摸の北條滅びて後、遠江國橫須…
- p001…さる、金森入道素玄、德永入道壽昌、これら三人は、當時の故老たるに依つて、殿下御相伴衆の隨一にて、世人三法印と名づく御はなしの衆とも云ふ入道また…
- p001…三法印と名づく御はなしの衆とも云ふ入道また德川殿にも親しく伺候す、太閤薨じ給ひ、彼の家の奉行等、德川殿失ひ參らせんと、大坂伏見の間、物さわがし…
山內 第七上 · 2
堀 第七上 · 2
堀 第七上 · 6
- p002…槍を合す、其餘長篠山崎志津岳等所々の高名、擧けて數ふるに暇あらずといふ、秀吉關白の時に至て、越前の國を以て秀政に賜ひ、直政して堀と名のらす、此時源…
- p002…嗣とす、三十郞直寄は、母賤しければ、年長じぬれど世嗣とはせず、直寄童より太閣の御所に召仕はる、朝鮮の事起りし後、直寄十六歲の時、小山に至て、毛利右馬…
- p002…鮮に行き通ふ輩、常にたらず、あはれ直寄も一度御使を承らばやと申しければ、太閣幼き身にて望み申す所神妙なりとぞ仰られける、慶長三年、秀治越後國を給ひし…
- p002…、三十郞直寄、丹後守に任ぜられ、かの國の目代になされ、坂戶の城を領す、殿下より一万石を給ひ、秀治又一万石を與へ、合せて二万石を領す同き五…
- p004…ば初め四万石を領せしと云ひしは覺束なし、但し初めの四万石も、一万石は太閤より給ひ、一万石は秀治より與へ、大御所より給ひし所二万石、合せて四万石…
- p004…り與へ、大御所より給ひし所二万石、合せて四万石、此度忠俊の國亡ひし上は、太閤秀治より賜ひし二万石は、自から失せて、大御所より給ひし二万石ばかり…
伊達 第七下 · 24
- p008…黑川の城に移り住みて、威を東北に奮ふ、かゝる所に、豐臣秀吉、關白の職に任して、王命をそむく國々を征伐すべしとて、數十萬騎の軍勢、東…
- p008…て奧羽の地を差して、攻め下るべしと聞ゆ、政宗まづ太宰金七といふ家子して、秀吉の軍の樣を伺はしむ、北條が亡びんごと遠からずと申す、さらばとて郞等遠藤不…
- p008…、北條が亡びんごと遠からずと申す、さらばとて郞等遠藤不入齋を使者として、關白に音信を通ず、急き政宗御陣にまゐり向ふべきよし仰せ下さる、やがて家の子郞…
- p008…、會津のうち大內といふ所より引返し、越後國へ係り、日數經て小田原に至る、關白まづ底闇といふ山の中に旅館點して、政宗を入れらる、政宗二十餘りの男の、眼…
- p008…宗二十餘りの男の、眼片方なる、髪短く押し切て打かぶり、其貌甚た異體なり、關白さるしれ者と聞召して、對面の義なく、やゝあつて後、使者を以て尋問るゝ旨あ…
- p008…者と聞召して、對面の義なく、やゝあつて後、使者を以て尋問るゝ旨あり、抑も秀吉忝くも、鹽梅の臣に列り、博陸の職に任ぜしよりこのかた、普天の下率土の濱、…
- p009…き境の事、夢にだも知らず、一介の使をも參らせず候ひき、全く王命を輕んじ、殿下を蔑如し奉りしにあらず殿下此所に御下向あるに至て、初て天下既に歸する所あ…
- p009…一介の使をも參らせず候ひき、全く王命を輕んじ、殿下を蔑如し奉りしにあらず殿下此所に御下向あるに至て、初て天下既に歸する所あるを存知て、不日に參向仕る…
- p009…る所なりと答へ申す、重ねて御推問の事ありしに、陳じ申す所、一々理を盡す、關白重ねて北條が滅びんこと近きにあり、秀吉又王命に叛く東夷等を、悉くに征伐せ…
- p009…りしに、陳じ申す所、一々理を盡す、關白重ねて北條が滅びんこと近きにあり、秀吉又王命に叛く東夷等を、悉くに征伐せんと欲す、政宗陳じ申す所詐る事なからん…
- p009…、政宗急ぎ會津に馳せ下り、同き七月十三日、黑川を打立て、米澤の城に移り、關白の御迎として下野國宇津宮に參り向ふ、秀吉大に悅び給ひ、やがて對面の上、色…
- p009…、黑川を打立て、米澤の城に移り、關白の御迎として下野國宇津宮に參り向ふ、秀吉大に悅び給ひ、やがて對面の上、色々の饗應事終り、自ら茶點して賜ひ、政宗を…
- p009…奧羽兩國の守護とし、木村伊勢守父子に、葛西大崎の地を賜ひ、氏郷に副らる、關白都に歸り給ひし後、此年の冬葛西大崎の地、此處彼處逆徒蜂起して、木村が城々…
- p009…ければ、氏郷さればこそ、初より怪しき事の多けれとて、政宗に心をゆるさず、關白奥に軍起りぬと聞召し、淺野彈正少弼長政、追討の御使を承り馳せ下る、氏郷既…
- p009…讒者の實否を糺さんとて、都に上り、妙覺寺を旅舘とし、罪なき由を陳し申す、關白更に實事とし給はざりしかど、深き慮まし〱ければ、まづ政宗が伊達信夫刈田柴…
- p009…程なく賊徒起りて、宮崎の城に立籠たるを攻破つて、首ども都に獻りければ、關白の御感を蒙り、其後侍從に任じ、朝鮮の事起りしかば、政宗干餘人を引具し、名…
- p011…す、政宗大に驚き、急ぎ大坂に趣き、まつ施藥院の家に在て、罪なき由を陳ず、太閤御使を賜て、御糺問兩度に及び、其後仰下されしは、秀賴が誕生の初め、汝が男…
- p011…郞等、京中を焚き拂て切り死すべしと聞えて、洛中以ての外に騷動し、又政宗が太閤打ち奉らんとする謀の樣、一々にしるし、江戶中納言殿、伏見の御館の邊に榜を…
- p011…らんとする謀の樣、一々にしるし、江戶中納言殿、伏見の御館の邊に榜を建つ、太閤此榜の樣を御覽じ、政宗憎しと思ふ者のしたる、ごさんなれ、さては秀次に組せ…
- p011…と申す老人の申せしは、此度政宗が咎免されし事、偏に德川殿の御力なり、初め太閤政宗を伊豫の國に移さんとせられしに、政宗大きに驚き、德川殿に就て愁訴せん…
- p011…とて、大に動き立つ、洛中の貴賤、驚き騷ぐ事夥し、此よし大坂に聞えしかば、太閤事の樣をも見よとて、政宗が在國の家人等急ぎ召すべきよし、催促の御使を給は…
- p011…が申さん程の事、如何なるひが事ならんにも、背く事なかりし奴原が、今政宗が殿下の御咎め蒙りて候へば、おのが主をも、あるものとも存せず、かゝる不思議を振…
- p012…かくて太閤薨じ給ひて後、慶長五年の秋、景勝追討の事起る、政宗その手合の爲めに、德川…
- p016…大臣秀賴生れ給ひし時、政宗其子秀宗が、いまだ幼きを、彼の御家人に參らす、太閤大に悅ばせ給ひ、同四年、侍從從五位下兼遠江守になされ、又諱字をもたびたり…
細川 第七下 · 7
- p007…よしを心の中に誓ひ、また忠興おのが妻に子共つけて、山深き所に押込め、急ぎ秀吉の許に使たてゝ、共に心を合せて、光秀を誅すべきよし牒狀して、軍勢を催す、…
- p007…ひ奉る、これより入道して玄旨と稱し、幽齋とは號しけり、志津岳の軍に、忠興秀吉に方人し小牧の陣に、北畠の勢と戰ひ、紀伊の根來を攻められしには、藤孝忠興…
- p007…の陣に、北畠の勢と戰ひ、紀伊の根來を攻められしには、藤孝忠興父子向へり、秀吉關白に任ぜられし時、忠興侍從從五位下し越中守を兼ぬ、筑紫關東の軍に從ひ、…
- p008…初め關白殿、奧州御下向ありし時、陸奧會津の地、賜ふべしと仰せ下さる、忠興承り、御政…
- p009…太閣薨じ給ひ、かの家の奉行等、加賀大納言利家を勸めて、德川殿失ひまゐらせんと…
- p010…かの黃金償ひ給ひなば劵契を破りて棄て侍るべし、さなのらんには、かの劵契を太閤家の奉行に參らせて、解由を給ひ申すべきにて候といひしに、忠興が力いかにも…
- p010…て、解由を給ひ申すべきにて候といひしに、忠興が力いかにも叶ふ可らず、此事太閤に洩れ聞えば、かの緣坐になされて、罪かうむらん事、立所にあり、とやせまし…
加藤 第七下 · 13
- p001…時、これも同しく方人にて、永祿七年三河の國を去て尾張の國に至り、其後遂に羽柴殿に仕へてけり、嘉明襁褓の中に本國を去り、成人の後、これも秀吉に仕ふ、生年…
- p001…、其後遂に羽柴殿に仕へてけり、嘉明襁褓の中に本國を去り、成人の後、これも秀吉に仕ふ、生年廿一歲、近江國柳が瀨の合戰に先懸し、高名七人の其一人なり、…
- p001…一歲、近江國柳が瀨の合戰に先懸し、高名七人の其一人なり、時に孫六、秀吉の御感、斜ならず、此年天正十一年七月朔日、勳賞を賜ふ、五千石を宛行は…
- p001…、此年天正十一年七月朔日、勳賞を賜ふ、五千石を宛行はる同き十三年、秀吉關白に任し給ひし時、從五位下に叙し、左馬助に任ず、今年の秋、伊豫の國正木…
- p001…勢、負軍し、長曾我部が嫡男信親打死す、嘉明脇坂二人、家久と戰つて退かず、關白の御感大かたならず、明れば十五年の春、關白自ら嶋津を伐ち給ひし時、嘉明脇…
- p001…脇坂二人、家久と戰つて退かず、關白の御感大かたならず、明れば十五年の春、關白自ら嶋津を伐ち給ひし時、嘉明脇坂九鬼大隅守嘉隆等と兵船を泛め、薩摩…
- p001…を泛め、薩摩の國に攻め入て隍河の城を下し、三人共に千代川に舟梁わたして、關白の御勢をわたす、十八年相摸の小田原を攻められしに、四國の人々と同じく、兵…
- p001…五日嘉明藤堂先懸して、巨濟泰川嶋に戰ひ、散々に打破る、船とも餘多乘取て、太閤の御感にぞ預りける、此舟軍の事、異國本朝の書に傳ふる所異說多し、まづ太閤…
- p001…記るせる所なり、慶長二年の戰たる事一定にて、此年三月十八日、本朝の人々、太閤の仰を承り、五月廿二日より、大坂を立ちて、七月七日に釜山港に着き、同き十…
- p002…驒守一吉、毛利民部大輔高政、二人此義に同ぜず、さらば先づ此由を記るして、殿下にまゐらせ、御裁斷を仰くべしとて、人々みな連署す、嘉明一人、署を加へず、…
- p002…の守なれば、是も署を加へず三十餘人の大名、悉くに連署して、本朝に使たてゝ殿下にこそ參らせたれ、太閤此由を御覽じて、かの使者を召して、一々に尋ね究めら…
- p002…へず三十餘人の大名、悉くに連署して、本朝に使たてゝ殿下にこそ參らせたれ、太閤此由を御覽じて、かの使者を召して、一々に尋ね究められ、以ての外に御氣色損…
- p002…、本領二万石の外に四万石を預け給ひしといふは此時の賞にや、程なく太閤薨じ給ひ、大坂の奉行等、德川殿を失ひ參らせんとして、伏見大坂の間、物さわ…
藤堂 第七下 · 14
- p001…、冠城、高松、山崎、志津が嶽、大和の國の戰に先懸して、其功これ多ければ、秀吉より所領の地賜ひ、秀長又新恩の地を加へらる、秀吉より千石、秀長よ…
- p001…て、其功これ多ければ、秀吉より所領の地賜ひ、秀長又新恩の地を加へらる、秀吉より千石、秀長より三百石を給ひて、既に四千六百石といふ、其後勢…
- p001…長大納言、丹羽五郞左衞門尉長秀が二男仙丸を養て子とす、天正十六年に至て、秀吉の仰にて、仙丸を以て高虎が子となされ、藤堂宮内少輔高吉と申す、秀長又高吉…
- p001…歸朝す、同四年四月、中納言秀俊薨ぜられしかば、高虎髻きつて高野山に逃る、秀吉召されし事度々に及びて、高虎大坂に參る、やかて伊豫の大洲の地賜る、五万…
- p001…領の地を加へ給て、勳功の賞を行はる、一万石を加へらる此年八月十八日太閤薨し給ひしかば、宗徒の人々、大坂の奉行等と、本朝の軍勢を返さるべきよしを…
- p001…ても德川殿高虎その任に當れる事を知召されしは、むかし初て御上洛ありし時、關白悅ひ給ひしこと大方ならず、舍弟秀長大納言の家を御旅館と定めらる、高虎其家…
- p001…長大納言の家を御旅館と定めらる、高虎其家人たりしかば、御儲の事共を承る、關白殿此後も德川殿をり〱の上洛はありなん、されば御館なくしても叶ふべからず、聚…
- p001…て、密かに申けるは、抑も此度御方に參て、先陣承り馳せ向ふ大名等、多くは故太閤の恩蒙つたる輩にて、殊には當時妻や子ども、大坂に留め置て候へば、心の奧は…
- p001…日、大坂城中より取り得たる黃金の大法馬を、二條の御所に獻る事あり、是は故太閤、事あらん時に用ゐよとて、凡そ黃金一千枚を以て法馬一つに造らせて、多く積…
- p007…藤堂宮内少輔高吉は、丹羽五郞左衞門長秀が三男、幼名は仙丸、天正十年の春、太閤秀吉いまざ羽柴筑前守といひし時、長秀が家に酒宴せられし日、舍弟美濃守秀長に男…
- p007…吉は、丹羽五郞左衞門長秀が三男、幼名は仙丸、天正十年の春、太閤秀吉いまざ羽柴筑前守といひし時、長秀が家に酒宴せられし日、舍弟美濃守秀長に男子なく、御子一人…
- p007…とて、仙丸が四歲なるを請て、秀長の子とす、此年六月信長討れ給ひし後、柴田羽柴、不快の事起る、長秀柴田と親しく、領國亦境を同じくしたれば、頓て仙丸を取…
- p007…石城に置く、これ長秀が柴田に組みすまじき事を謀れるなり、明れば天正十一年秀吉柴田を討ちし事、長秀が與力せしが故なれば、悅ぶ事限りなく、仙丸も亦秀長の…
- p007…なれば、悅ぶ事限りなく、仙丸も亦秀長の寵愛淺からず、仙丸十歲の時に及ひ、秀吉の仰として、藤堂佐渡守高虎の子になされて、藤堂宮内少輔高吉とめさる、高吉…
森 第七下 · 6
- p001…兄弟、一所に討死す、武藏守此由を聞て、急に都に馳せ上り、明れば天正十一年羽柴筑前守秀吉、越前の柴田を滅し、美濃の屋形を三七信孝失ひまゐらせ、美濃の國金山…
- p001…を三七信孝失ひまゐらせ、美濃の國金山の城を長一に與ふ、十二年の春、秀吉また北畠殿失はんとす、長一が身池田紀伊入道勝入これに組す、長一同く秀吉の…
- p001…、秀吉また北畠殿失はんとす、長一が身池田紀伊入道勝入これに組す、長一同く秀吉の方人して、三月十七日、尾張國犬山の邊羽黑といふ所にて、德川殿の先陣酒井…
- p001…の恥、雪かん者をと思ひ定め、舍弟千之助、世嗣たるべき由、一封の書に記し、秀吉の方に殘して、四月九日長湫の戰に討死せり、後秀吉此書を見て、さては兼てよ…
- p001…べき由、一封の書に記し、秀吉の方に殘して、四月九日長湫の戰に討死せり、後秀吉此書を見て、さては兼てより、我が爲に死を決してけりと、深く感じ、遺言に任…
- p001…我姪を以て彼妻とせらる、同十八年、信濃國川中嶋の城に移る、十二万石太閤薨じ給ひし後、大坂の奉行等、窃かに軍勢を催し、德川殿のまします伏見の御舘…
毛利 第八上 · 30
- p006…づき奉る、信長安からぬ事に思ひ、同き五年の比ほひ、毛利と織田との軍起り、羽柴筑前守秀吉、大將を賜り、まづ播磨の國を打從へ、備前の國を初めて因幡伯者の國人等を降…
- p006…利の人々相謀り、備中備後伯耆三箇國を、信長にさけ渡し、中直りすべしとて、秀吉に使たてゝ、長く兩家のよしみを、結ぶべきよしを云ひ送ること、度々に及ぶ、…
- p006…こと、度々に及ぶ、かゝる所に同き六月二日、信長、明智が爲に失はれ給ふ由、秀吉の陣に聞ゆ、秀吉ちつとも包まず、毛利が使に向ひ、織田殿既に逆臣のために、…
- p006…、かゝる所に同き六月二日、信長、明智が爲に失はれ給ふ由、秀吉の陣に聞ゆ、秀吉ちつとも包まず、毛利が使に向ひ、織田殿既に逆臣のために、討れ給ひぬ、かく…
- p006…ず、毛利が使に向ひ、織田殿既に逆臣のために、討れ給ひぬ、かくても猶輝元が秀吉と好み結ばん事、初めより聞く所の如くにやあらん、今は又違ふ事やあるべき、…
- p006…元宗徒の人々を召集めて、此事を僉議す、當家信長にこそ中直らんと云ひけれ、秀吉が爲にあらず、信長忽ち討れし事、偏へに當家の幸なり、一まづ本國に引返へし…
- p006…、自ら天下の權を握り、海內の亂を攘ふべき人、などか無かるべき、此年頃かの秀吉の振舞ひを傳へ聞くに、其事もし此人にやありぬべき、去れば此度信長が死せし…
- p006…ふべき人、などか無かるべき、此年頃かの秀吉の振舞ひを傳へ聞くに、其事もし此人にやありぬべき、去れば此度信長が死せし事、秀吉の身に取つては、深き禍には…
- p006…舞ひを傳へ聞くに、其事もし此人にやありぬべき、去れば此度信長が死せし事、秀吉の身に取つては、深き禍には似たれども、これ然しながら、天下この人に歸しぬ…
- p006…死せし事、秀吉の身に取つては、深き禍には似たれども、これ然しながら、天下この人に歸しぬべき時、既に至りぬと覺ゆるなり、廣く此人の振舞ひを論ずるまでも侍…
- p006…、これ然しながら、天下この人に歸しぬべき時、既に至りぬと覺ゆるなり、廣く此人の振舞ひを論ずるまでも侍らず、いま兩家よしみ既にならんず時に、臨みて、た…
- p006…れにかく眞直に申送る條、甚た以て不敵なり、然るに今初めの言葉に引替へて、秀吉と中違ひしたらんには、永く兩家の仇を結び、我が家、遂に彼れが爲に亡びん事…
- p006…が爲に亡びん事、遠き日にあるべからず、只この儘に中直りして、前途後榮を、此人と共に期し給ふに若くべからずと、餘義もなく申されしかば、福原越前守廣俊、…
- p006…と共に期し給ふに若くべからずと、餘義もなく申されしかば、福原越前守廣俊、秀吉の陣に行き向ひ、信長の死を弔ひ、和睦の事、變ずべからざる旨、輝元を始めと…
- p006…ずべからざる旨、輝元を始めとし、吉川小早川の人々、皆起請文を送られたり、秀吉大に悅で、此よしみ長く易ふ事、あらじとて、これも起請文かきて給ひけり、此…
- p006…起請文かきて給ひけり、此上は逆徒速かに誅伐あるべしとて、明れば六月六日、秀吉備中を立て都に趣く、輝元やがて秀吉に加勢して、叔父藤四郞元綱に、桂民部大…
- p006…かに誅伐あるべしとて、明れば六月六日、秀吉備中を立て都に趣く、輝元やがて秀吉に加勢して、叔父藤四郞元綱に、桂民部大夫附けて、人質にぞ出されける、此…
- p006…加勢して、叔父藤四郞元綱に、桂民部大夫附けて、人質にぞ出されける、此時秀吉の請に依て鉄砲五百挺弓百挺旗三十流を以て援けしなり程なく明智亡び、天…
- p006…依て鉄砲五百挺弓百挺旗三十流を以て援けしなり程なく明智亡び、天下遂に秀吉に歸せし事、隆景の思に違はず、かゝりし後、秀吉毛利がこと愚そかに思ひ給は…
- p006…程なく明智亡び、天下遂に秀吉に歸せし事、隆景の思に違はず、かゝりし後、秀吉毛利がこと愚そかに思ひ給はず、自ら關白に任じ給ひし時、輝元に從四位下させ…
- p006…、或は軍勢を差向け、城守らせ、軍させ、度々の戰功少からず、慶長三年の秋、太閤薨じ給ひし時、御跡の事、賴み給ふよし、輝元に仰せ置れき、同き四年の春、大…
- p006…起請文を書て獻る、毛利の家に傳りたる千鳥荒波といふ二つの刀あり、千鳥をば太閤へ參らせて、荒波ばかりぞ殘つたる、此日かの荒波を德川殿に奉り、頓て本國に…
- p007…共に相謀り安藝國へ伴ひ、輝元の見參に入る、輝元大に悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人質として、大坂に參る、關白殿、この幼き者、よのつ…
- p007…悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人質として、大坂に參る、關白殿、この幼き者、よのつねの人にあらずとて、事に觸れて譽めさせ給ふ事多かりき…
- p007…譽めさせ給ふ事多かりき、文祿元年の秋、大廳の御違例、名護屋の御陣に聞ゆ、太閤大に驚かせ給ひ、急ぎ御船に召され、大坂に趣き給ひしに、豐前の國大浦の沖に…
- p007…名護屋を立て同じく上る程に、此由を見奉りて、おのが船を馳て追つき、難なく太閤を助け奉る、殿下深く感じ思召し、大坂に伴ひ給ひ、頓て都にのぼせて、正四位…
- p007…く上る程に、此由を見奉りて、おのが船を馳て追つき、難なく太閤を助け奉る、殿下深く感じ思召し、大坂に伴ひ給ひ、頓て都にのぼせて、正四位下に叙し、侍從に…
- p007…勳功を顯はす、此勳賞に參議從三位になさる、是は毛利家傳記の說なり、此後太閤より賜ひし御敎書にも、宰相と見えたり、公卿補任を見るに、秀元參議從四位…
- p007…に見ゑたれば、德川殿天下を知召して後の事か、覺束なし、歸朝の後、太閤の聟君には、なされてけり、慶長二年、再び朝鮮に至り、王城近く攻め入り、引…
- p007…王城近く攻め入り、引返して、西生浦に陣取り、蔚山の後卷して、本朝に歸る、太閤薨じ給ひて、朝鮮に在りし軍勢、迎へんがため、秀元筑紫に下向せし所、軍全く…
嶋津 第八上 · 25
- p003…、悉く打從へ、大友左衞門督義鎭入道宗麟を滅して、豐後の國をも併せんとす、豐臣關白天下を知召しゝ初、前の日向國の守護伊東三位入道の舍弟民部大輔祐兵、殿下に…
- p003…臣關白天下を知召しゝ初、前の日向國の守護伊東三位入道の舍弟民部大輔祐兵、殿下に給仕して、本國安堵の事を望み申ければ、關白かねて九州征伐の事を思召し寄…
- p003…三位入道の舍弟民部大輔祐兵、殿下に給仕して、本國安堵の事を望み申ければ、關白かねて九州征伐の事を思召し寄り給ひし處に、天正十四年正月、大友又上洛して…
- p003…として、年比打從ふる所の八箇國の守護職、相違なからんには、急き上洛して、殿下に伺候すべき由を申す、關白殿聞し召して、大隅薩摩は本領なれば、相違あるべ…
- p003…箇國の守護職、相違なからんには、急き上洛して、殿下に伺候すべき由を申す、關白殿聞し召して、大隅薩摩は本領なれば、相違あるべらず、又日向肥後筑後、各半國…
- p003…して、打從へし所なり、凡そ地を爭ひ兵を戰はしむること、珍しからず、如何で秀吉の下知として、故なく彼等にさけ渡すべきとて、既に軍勢を催して、豐後の國に…
- p003…さけ渡すべきとて、既に軍勢を催して、豐後の國に攻め入らんとす、此年の冬、關白の御使として、仙石權兵衞尉秀久、長曾我部土佐守元親、鎭西に下向し、義久が…
- p003…由孝高、山陽道に下向して、毛利吉川小早川等が軍勢を催促す、これは嶋津もし殿下の御使に對捍せば、まづ鎭西に押渡つて、彼が押領せし國々攻め取らるべき爲と…
- p003…、此由を聞て、山陰山陽の軍勢を從へ、豐前の國に押渡つて、嶋津が勢と戰ふ、關白、仙石長曾我部が負軍しつと聞召し、自ら畿内畿外南海北陸の軍勢を帥ゐ給ひ、…
- p003…と聞えしかば、義久が軍勢、豐後の國を去て、日向の國にて防き戰はんとす、又關白の御使として、興山上人、一色の何某と共に府內の城に來て、義久に對面し、速…
- p003…山上人、一色の何某と共に府內の城に來て、義久に對面し、速かに戰を止めて、殿下に伺候すべき由を陳ぶ、義久更に從はず、程なく關白の御勢、鎭西の地に押渡つ…
- p003…面し、速かに戰を止めて、殿下に伺候すべき由を陳ぶ、義久更に從はず、程なく關白の御勢、鎭西の地に押渡つて、二十五万餘騎を二手に分けて、大和大納言秀長、…
- p003…山陽等の勢を引率し、伊東祐兵を案内とし、豐前豐後を經て、日向の國に向ひ、關白、畿內畿外南海北陸等の勢を帥る、筑前筑後を經て、薩摩の國に攻め入り給ひし…
- p003…勢のかたきと、此處彼處に戰ひ、散〱に打なされて、本國に引返す、同き五月、關白の御勢、薩摩の國に亂れ入て、先陣既に鹿兒嶋に押寄せたり、嶋津も、今は防ぎ…
- p003…ず、義久自ら剃髮染衣の姿となつて、小童一人召し具し、太平寺の御陣に參る、殿下やがて御對面ありて、御氣色殊に宜しく、大隅薩摩兩國安堵の事、仰せ下さる、…
- p003…義弘父子、幷家人伊集院新納等に下し賜はる、九州二嶋悉く平均に屬しければ、關白薩摩の國を立つて都に趣き給ひけり、同き六月十五日、義久鹿兒嶋を立つて、博…
- p003…都に趣き給ひけり、同き六月十五日、義久鹿兒嶋を立つて、博多の御陣に參り、關白の御供して、大坂にぞ參りける、十六年の冬、肥後の國人等、當國の守護佐々陸…
- p003…、十六年の冬、肥後の國人等、當國の守護佐々陸奧守成政に叛く、兵庫頭義弘、關白の仰を承て、軍勢を引具し馳向ふ、明れば十七年二月、國人等御下知に從つて軍…
- p003…こらへかね、城を落ちて、薩摩の國出水といふ所に忍び居たり、義久入道龍伯、殿下の仰を蒙て、軍勢を差向く、顯輝が家子郞等、さん〱に戰て、寄手の兵多く討れ…
- p003…る、義弘、また入道して、惟新と號し、子息忠恒、又侍從兼陸奧守になさる、秀吉後に攝州能勢郡五千石、同國茅野村千八百石、播州竪崎の庄三千貳百石そへて…
- p003…の書に義弘を石曼子としるせるは、此兵庫入道が事なり、されば此時太閤薨し給ひ、我朝の軍勢、難なく引て歸ること、如何にも叶ふべからずと、皆人危…
- p003…入道幸侃といひしは、天正十九年、主の嶋津が、既に亡ぶべかりしに、この幸侃關白の御陣に參て、歎き申せしに因て、義久兄弟が罪ゆるされ、本領を安堵す、され…
- p003…御陣に參て、歎き申せしに因て、義久兄弟が罪ゆるされ、本領を安堵す、されば關白にも彼が忠を感じ給ひ、大隅の内一郡の地を分ち賜ふ、かゝる奉公の者なれど、…
- p003…が許に、御使あつて、御加勢賜はるべきよしを仰せ下さる、家人とは申せども、太閤の所領賜つたる者を、恣に討つて、都のさわぎ仕出しければ、忠恒其咎を憚りて…
- p003…所に見參す、此日御家號御諱字賜て、家久と名のる、家忠日記追加に出づ、○太閤の家號許されて、今までは羽柴を名のりしなり、同十四年の春、家久望み請…
鍋島 第八上 · 8
- p004…そ、うたてけれ、同き十年六月、信生、織田殿父子討れ給ひぬと聞て、天下必ず秀吉に歸すべき事を知りて、遙々使者を參らせて、音信を通す、南蠻帽子を奉り…
- p004…通す、南蠻帽子を奉りしとなり、鎭西の國人等、使まゐらせし初なれば、秀吉大に悅ひ、石田備中守を使とし、自ら文かきて答へらる、龍造寺記に見ゆ、こ…
- p004…けて、自ら加賀守直茂と改め名のる、如何にもして隆信が仇を報せんとて、常に關白秀吉に使を奉り、九州違命の輩、御誅伐あらんには、政家直茂、先陣を承るべしと望…
- p004…の輩、御誅伐あらんには、政家直茂、先陣を承るべしと望みけり、同き十五年、關白嶋津を退治のため、筑紫の地に渡り給ひし時、直茂政家と共に、最初に御陣に馳…
- p006…城に攻め入て、咸鏡道を打從へ、和親の事、破れし後、再び軍起りしには、直茂太閤に召され、蜂須賀阿波守家政、安國寺惠瓊と三人、同じく朝鮮の軍奉行を承る、…
- p006…に召され、蜂須賀阿波守家政、安國寺惠瓊と三人、同じく朝鮮の軍奉行を承る、太閤薨じ給ひ、朝鮮の事終り、大坂の奉行人、德川殿失ひ參らせんとて、大坂伏見の…
- p006…賴の仰として書を勝茂に送て、抑も內府自らの家建ん事を謀りて、やゝもすれば太閤の遺命に背き、檀に兵を起し、終に天下を亂る、早く其罪を正されんが爲に、天…
- p006…へて、ひが事して、東國の御勢に向ひ、弓を引き矢をはぐべからず、兼ては又故太閤の仰せ置れし如く、秀賴君に背き奉らず、内府の命を重んずべき所なりと制しけ…
蜂須賀 第八上 · 16
- p003…元年の夏、信長越前の國に攻め入る、淺井心變りすと聞て、軍を返へされし時、木下藤吉郞秀吉、後陣に在り、正勝同じく後陣に從つて引返へす、是よりして後、正勝を秀吉の…
- p003…郞秀吉、後陣に在り、正勝同じく後陣に從つて引返へす、是よりして後、正勝を秀吉の手に附られたり、此時木村常陸介、生駒雅樂頭、前野但馬守、加藤遠江守…
- p003…れたり、此時木村常陸介、生駒雅樂頭、前野但馬守、加藤遠江守等も同しく秀吉に附られしと云ふなり、按ずにる巳上の說、太閤記にしるせし所に同じからず…
- p003…敵に當らん事、以ての外の難義なれば、我れ大將を賜らんと望む者一人もなし、太閤いまだ木下藤吉郞秀吉と申せしが、織田殿密に召して、此事を計り給ふ、秀吉承…
- p003…事、以ての外の難義なれば、我れ大將を賜らんと望む者一人もなし、太閤いまだ木下藤吉郞秀吉と申せしが、織田殿密に召して、此事を計り給ふ、秀吉承て、かの要害守られん…
- p003…、太閤いまだ木下藤吉郞秀吉と申せしが、織田殿密に召して、此事を計り給ふ、秀吉承て、かの要害守られん事、御勢を籠めらるゝまでも候まじ、かの邊の篠木柏井…
- p003…山根上等の野武士共を召し出し、御家人となされて籠られんには若くべからず、秀吉身不肖には候へども、大將を許されんには、彼輩を引具し、守るべうもや候と申…
- p003…許されんには、彼輩を引具し、守るべうもや候と申さる、信長大に御感あつて、秀吉始て一方の大將となさる、去程にかの野武士等召集め、一千二百餘人が內をすぐ…
- p003…兵十人、織田殿に勸めて侍大將になされけり、正勝後に彥右衞門尉と申し、常に秀吉に從ひしよし見えたり、…
- p004…天正元年、織田殿、秀吉に近江國長濱の地賜ひし時、正勝又伊勢の國長嶋の地賜はる、此時一倍の地加…
- p004…又伊勢の國長嶋の地賜はる、此時一倍の地加へ賜て領すといふ、同き三年秀吉又攝津の國大坂の戰を賞して、所領の地加へらる、同き四年秀吉、播磨の別所と…
- p004…ふ、同き三年秀吉又攝津の國大坂の戰を賞して、所領の地加へらる、同き四年秀吉、播磨の別所と戰ひしに、正勝わづかの勢を引具し、敵百餘騎を擊つ、其功比類…
- p004…戰ひしに、正勝わづかの勢を引具し、敵百餘騎を擊つ、其功比類なかりしかば、秀吉やがて多くの地を加へて其功を賞す、五千石を加られしと云常に一方の大…
- p004…次なり吉川が三万餘騎に城攻められ、羽衣石の城城中の粮、既に盡き、秀吉後卷しけれども、敵多勢なれば、戰ふべからず、家政此年廿二歲、伯耆國の住人…
- p004…岳の戰に、家政また高名し、此年岸和田の城に加勢して、紀州雜賀の敵を破り、秀吉、家政に勳賞の地を充て行はる、播州佐用郡三千石の地同十三年四國の地…
- p006…、破れて再び朝鮮に攻め入りし時、鍋嶋安國寺と三人、同じく軍の奉行を承る、太閤薨じ給ひ、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝御退治のため、御下向ありしには、…
上杉 第八下 · 35
- p013…打隨へ、越後の國に歸りて、國中の亂を鎭め、又佐渡の國を擊つ、同き十二年、羽柴筑前守秀吉、越後國柏崎妙樂寺の僧に、日蓮宗の僧なり木村彌一右衞門尉を、副使と…
- p013…使として長く兩家の好み結ふべき由の起請文、書きて送らる、又越中の佐々が、秀吉の旨に隨はず、秀吉これを討たんがため、頓て彼の國に向はんとす、成政いかに…
- p013…好み結ふべき由の起請文、書きて送らる、又越中の佐々が、秀吉の旨に隨はず、秀吉これを討たんがため、頓て彼の國に向はんとす、成政いかに申すとも、景勝助け…
- p013…がため、頓て彼の國に向はんとす、成政いかに申すとも、景勝助け給はずんば、秀吉が幸、何事か、是に過くべきとぞ申されける、景勝、木村に向て、去りし年、景…
- p013…彼國は、我が累代の所領なれば、景勝必ず佐々を滅して、取らんとす、然るに今秀吉の使を承て後、彼が國を討たんこと、秀吉と國を爭ふに似たり、又景勝が一度も…
- p013…佐々を滅して、取らんとす、然るに今秀吉の使を承て後、彼が國を討たんこと、秀吉と國を爭ふに似たり、又景勝が一度も彼と戰はで、秀吉の望に任せんも、云甲斐…
- p013…、彼が國を討たんこと、秀吉と國を爭ふに似たり、又景勝が一度も彼と戰はで、秀吉の望に任せんも、云甲斐なし、所詮、此度彼が國に向て、越後武者の、弓矢取る…
- p013…の邊に攻め入り、此處彼處放火して引返し、木村を召て、おことが見たらん樣、秀吉に語て、景勝北國打隨へんこと、いと安し、去りながら、秀吉の望に任せて、功…
- p013…とが見たらん樣、秀吉に語て、景勝北國打隨へんこと、いと安し、去りながら、秀吉の望に任せて、功をば讓り訖んぬと申せ、又兩家の好み結んことは、みな景勝よ…
- p013…計つてこそ返答には及ふべけれとて、使をば返されたり、明れば、十三年四月、秀吉越中の國に發向し、佐々戰負けて降參す、秀吉家譜に、越中を討れしは…
- p013…向し、佐々戰負けて降參す、秀吉家譜に、越中を討れしは、此年七月、秀吉關白に任せられし後とす、誤れるか九月十三日辰刻斗りに、秀吉石田治部少輔三…
- p013…此年七月、秀吉關白に任せられし後とす、誤れるか九月十三日辰刻斗りに、秀吉石田治部少輔三成、木村彌一右衞門尉、只二騎を具して雜兵僅三十八人、越後國…
- p013…、越後國落水の城下に來て、此城を守るなる須賀修理が許に使を立て、上杉殿へ秀吉の使として、木村これまで參りたり須賀殿に參會して申べきこと候とぞ云せける…
- p013…申べきこと候とぞ云せける、須賀頓て商人の家、彼が旅館に點して、出て迎ふ、秀吉、修理に對面し、我は是れ羽柴筑前守秀吉なり、景勝に見參し申べき事あつて來…
- p013…賀頓て商人の家、彼が旅館に點して、出て迎ふ、秀吉、修理に對面し、我は是れ羽柴筑前守秀吉なり、景勝に見參し申べき事あつて來りたり、案內者乞て春日山に趣かうと思ふ…
- p013…は申傳ふべけれ、容易く通し申さんこと、叶ふまじくにて候とぞ云ひ切つたる、秀吉さらば、早馬を參らせて、景勝に斯と申せ、秀吉が云はんこと、汝が聞くべき所…
- p013…じくにて候とぞ云ひ切つたる、秀吉さらば、早馬を參らせて、景勝に斯と申せ、秀吉が云はんこと、汝が聞くべき所に非ずと、仰せければ承りぬと申て、羽柴殿をば…
- p013…申せ、秀吉が云はんこと、汝が聞くべき所に非ずと、仰せければ承りぬと申て、羽柴殿をば、城中に入れ參らせ、さま〱に饗應し奉る、此時、景勝は柴田が伯父刑部左…
- p013…が伯父刑部左衞門尉が、籠つたる新潟の城を、攻めんとて、蒲原郡に向ひしが、秀吉越中に攻め入ると聞て、羽柴が起請文書て、我と好を結ばんと云ふとも、亂れた…
- p013…たる新潟の城を、攻めんとて、蒲原郡に向ひしが、秀吉越中に攻め入ると聞て、羽柴が起請文書て、我と好を結ばんと云ふとも、亂れたる世の人心、計り難しとて、…
- p013…陣したり、落水の城よりは、無碍に程近ければ、須賀飛脚を立て、此由を告げ、秀吉討たせ給はんには、御勢賜るまでも候はず、某討つて參らせんとぞ申ける、景勝…
- p013…、侍合せて十二騎、步武者六十餘人を引具し、其日午刻計に、落水の城に來て、秀吉と對面す、色代事終て後、秀吉の御方には石田、景勝の方には直江ばかり、傍に…
- p013…餘人を引具し、其日午刻計に、落水の城に來て、秀吉と對面す、色代事終て後、秀吉の御方には石田、景勝の方には直江ばかり、傍に在て、密に事を議せらるゝこと…
- p013…は直江ばかり、傍に在て、密に事を議せらるゝこと二時餘り、酉の刻の初めに、秀吉落水を立て、夜をこめて、戶山の城に歸り、越中の國務、沙汰あつて上洛し、今…
- p013…川殿の御勢、利なくして、終に引返せば、越後の勢も歸りけり、同き冬、木村又關白の御使として、越後國に行向ひ、景勝を初として、宗徒の侍大將等に、物を賜る…
- p013…垂等の城を攻め落し、此等は皆柴田が餘黨の城なり明れば、天正十四年、關白に參るべしと聞えしかば、秀吉大に悅て、又木村を使として、色々の物贈り給ふ…
- p013…皆柴田が餘黨の城なり明れば、天正十四年、關白に參るべしと聞えしかば、秀吉大に悅て、又木村を使として、色々の物贈り給ふ、景勝、木村と打連て、五月十…
- p013…田增田大谷、北陸道に下りて、此處彼處にまうけす、同廿七日、景勝都に入る、關白かねて彼が旅館を點ぜられ、本國寺其夜自ら彼が旅館に至りて、遙々の上洛を悅…
- p014…此夜關白殿、景勝に盃さゝせて、酒のみ、直江に盃たまはり、又其盃とり上げ給ひしとなり…
- p015…あけの日、景勝、聚樂の御所に參る、關白の執奏にて、景勝參議に任し、四位に叙す、直江藤田安田等を始として、家人五…
- p015…津と戰ひ、出羽國庄内三郡を討取る、十七年景勝が妻、聚樂の館に移りしかば、關白悅ひ給ふ事、大方ならず、景勝も頓て上洛す、從三位中納言になされ、家人直江…
- p017…勝東山道より攻め下り、此處彼處の城々落して、小田原に至り、北條亡ひて後、關白殿に隨て、奧に下り、加賀の筑前守利家と、陸奥出羽の撿地し、朝鮮の軍起りしか…
- p018…此時太閤、景勝に向ひ、今領する國は、租入如何程ばかりにやと、尋ね給ひしに、凡そ七…
- p019…三年が程、國に在て、能く境を鎭むべしとて、御暇賜はりぬ、明れば三年八月、太閤薨し給ひし後、景勝、故太閤仰せ置るゝ旨ありと稱して、己が國に引籠て、要害…
- p019…境を鎭むべしとて、御暇賜はりぬ、明れば三年八月、太閤薨し給ひし後、景勝、故太閤仰せ置るゝ旨ありと稱して、己が國に引籠て、要害を搆へ勢揃ひす、又隣國に盜…
佐竹 第八下 · 8
- p001…、水戶の城を攻取て、嫡子義宣に與へ、國務を讓り、我身は太田の城に隱れ住む關白秀吉、北條を討ち給ふ時、義宣軍勢を引率して、御方に參りければ、常陸國を賜て南…
- p001…軍勢を引率して、御方に參りければ、常陸國を賜て南方三十三館の大將を承る、關白伏見に移り給ひし後、義宣彼所に家造りし、妻子引具し、移りしかば、殿下の御…
- p001…る、關白伏見に移り給ひし後、義宣彼所に家造りし、妻子引具し、移りしかば、殿下の御感斜ならず、關白家のきり者石田治部少輔三成と、親しう相語らひ、三成を…
- p001…ひし後、義宣彼所に家造りし、妻子引具し、移りしかば、殿下の御感斜ならず、關白家のきり者石田治部少輔三成と、親しう相語らひ、三成を賴み、如何にもして、我…
- p001…が國三十三館の國人等滅して、彼が所領、悉く幷せ領せん事を謀る、或時義宣、關白の御前に侍りしに、三成も同じく參て、御物語の序に、君は未だ知し召れずや、…
- p001…し下されぬ、夫に彼國人等、一向に佐竹が下知に隨はぬと承る、是れ併ながら、殿下の仰を侮り申す所なり、斯ても猶寬宥の御沙汰ならんには、違命の輩、日々に國…
- p001…國々に出來候はんか、如何さまにも、御沙汰あるべうもや候はんと申せしかば、關白以の外御氣色損し、汝が申す所、理あり、いかに義宣おことが、下知に背く奴原…
- p001…石田が謀に因りしかば、如何にもして、彼の恩に報せん事をぞ思ひける、されば太閤薨し給ひ、大名數多與黨して、三成うたるべかりしに、義宣軍勢引具して、大坂…
岩城 第八下 · 2
秋田 第八下 · 2
相馬 第八下 · 1
- p003…守義胤に讓りて、慶長六年、七十三歲にして卒す、長門守義胤、父が讓を受て、豐臣太閤家に隨ひ參らせ、本領を安堵す、慶長五年の秋、德川殿、奧の景勝中納言を征伐あ…
丹羽 第八下 · 29
- p001…れば織田殿の御内にして、丹羽柴田と云ふ者をば、世の人知らずと云ふ事なく、豐太閤も、初め彼等が名を慕ひ、家の號一字つゞ、乞ひ受けて、羽柴とは名のり給ひけ…
- p001…すと聞えしかば、長秀信孝と相謀て、信澄を誅伐し、伊丹の賊徒等を擊ち碎く、筑前守秀吉を始て、宗徒の輩、此所に馳せ集り、軍勢を催し、急き凶徒を誅戮して、淸洲の…
- p001…若狹國一州に江州滋賀高島二郡を賜り領し、若州靑井に居城すと云ふ此時柴田羽柴爭論の事出來て、兩家是より不快となる、長秀秀吉に力を合す、三七殿秀吉が我…
- p001…井に居城すと云ふ此時柴田羽柴爭論の事出來て、兩家是より不快となる、長秀秀吉に力を合す、三七殿秀吉が我家の天下奪ばんとする氣色、早く見給ひ、勝家と謀…
- p001…柴田羽柴爭論の事出來て、兩家是より不快となる、長秀秀吉に力を合す、三七殿秀吉が我家の天下奪ばんとする氣色、早く見給ひ、勝家と謀合せて、秀吉を誅せんと…
- p001…す、三七殿秀吉が我家の天下奪ばんとする氣色、早く見給ひ、勝家と謀合せて、秀吉を誅せんとして軍起し、秀吉が爲に戰ひ負け、中直りの事仰せらる、長秀其御使…
- p001…奪ばんとする氣色、早く見給ひ、勝家と謀合せて、秀吉を誅せんとして軍起し、秀吉が爲に戰ひ負け、中直りの事仰せらる、長秀其御使として、悉く秀吉の利運にぞ…
- p001…て軍起し、秀吉が爲に戰ひ負け、中直りの事仰せらる、長秀其御使として、悉く秀吉の利運にぞ計らひける、勝家越前の國に在て、秀吉が美濃の屋形、攻め參らすと…
- p001…る、長秀其御使として、悉く秀吉の利運にぞ計らひける、勝家越前の國に在て、秀吉が美濃の屋形、攻め參らすと聞て、以の外怒り、北陸の雪深くして、軍出ださん…
- p001…陸の雪深くして、軍出ださん事、如何にも叶ふべからず、先づ長秀に牒狀して、秀吉を討たんと議したりしに、長秀是に隨はず、明れば十一年の春、勝家北陸道の軍…
- p001…向す、長秀此時近江國坂本に在りしが、頓て坂本を打立て、志津嶽の城に入り、秀吉に力を合せ、終に柴田を討ち滅す、信孝又秀吉が爲に岐阜の城を落され、尾張の…
- p001…本を打立て、志津嶽の城に入り、秀吉に力を合せ、終に柴田を討ち滅す、信孝又秀吉が爲に岐阜の城を落され、尾張の內海の浦にて御腹を召されける秀吉自ら天下の…
- p001…す、信孝又秀吉が爲に岐阜の城を落され、尾張の內海の浦にて御腹を召されける秀吉自ら天下の權を司り、長秀我が爲に功ありし事を賞して、本領なれば若狹近江の…
- p001…前國北の庄の城に移り住む、長秀後に越前守に任ずと云ふ系圖には見えず秀吉又信雄をも失ひ參らせんと、軍勢をかり催し、美濃尾張伊勢の國々に打出つ、長…
- p001…參らせんと、軍勢をかり催し、美濃尾張伊勢の國々に打出つ、長秀其勢八千人、秀吉に隨ひ美濃國に向ふ、秀吉戰ひ常に利を失ひ、北畠殿と中直りす、明れば十三年…
- p001…し、美濃尾張伊勢の國々に打出つ、長秀其勢八千人、秀吉に隨ひ美濃國に向ふ、秀吉戰ひ常に利を失ひ、北畠殿と中直りす、明れば十三年の二月秀吉內大臣に成て正…
- p001…美濃國に向ふ、秀吉戰ひ常に利を失ひ、北畠殿と中直りす、明れば十三年の二月秀吉內大臣に成て正二位に上る、同き四月十六日、長秀自ら腹切て死す、年五十一歲…
- p001…して、我が跡の事をよきに計らひ給ふべしと書認め、彼の腹切たる刀に積蟲添て大臣に獻る、秀吉大に驚き歎き給ひ、自ら御筆を染められ、子息に本領賜らん事、相…
- p001…の事をよきに計らひ給ふべしと書認め、彼の腹切たる刀に積蟲添て大臣に獻る、秀吉大に驚き歎き給ひ、自ら御筆を染められ、子息に本領賜らん事、相違あるべから…
- p002…長秀が自害せしは、誠に此內府と申は、故右大臣殿の下部より擧けられて、大名になし給ひし人なれば、如何な…
- p002…せんとし、終に天下の事、自ら知り給ひければ、悔しき事に思ひけり、されど今此人を謀らん事、我が力には如何にも叶ふべからず、斯て世にながらへて、天下の人…
- p003…傍輩を集て、さても我等が故主は、さしも織田殿の御恩深かりし御事なり、夫に秀吉と云ふ無道人に、たばかられて、彼家の天下を奪はれ給ひし事、一生の不覺にこ…
- p003…りけり、以の外の大議なれば、この事いかゞあるべきと、長僉議に時うつりて、大臣殿の御方に洩れ聞え、長束戶田が許より秀吉に告け申たりと云成田速に死刑…
- p003…るべきと、長僉議に時うつりて、大臣殿の御方に洩れ聞え、長束戶田が許より秀吉に告け申たりと云成田速に死刑に處せられぬ、佐々も程なく戰ひ負け、降人に…
- p003…守寺西下野守上田佐太郞奧山雅樂助等を始めとして、悉く大臣の御家人に召出され、長秀が遺領越前加賀の國々を奪ひて本領なれば相違あらず…
- p003…閏八月の事の由、多門院日記に見ゆ、一說には若狹の國をば賜ふといふ此年秀吉關白に成り給ひし時、長重をも侍從になさる、同き十五年、筑紫の軍に隨ひて、…
- p003…万石、家老坂井與右衞門江口三郞右衞門各一万石、加賀守を兼ぬ、同き秋、大閣薨し給ひ、世の中何となく物騒しく、明る四年の冬、加賀中納言利長、在國し謀…
- p003…みし給はんには、同く打立ち給ふべうや候はんと云せらる、長重の返事に、われ故大閣の爲に父が國々押奪はれ、去々年こそ此所には移されたれ、それも猶本領に準ふ…
- p003…時より、丹羽は一方の大將にて、利長の父利家は、被官の樣まてこそありつれ、故大閣の時に至りて、當家かく衰ふるといへども、兩家又織田殿の婚君にて由緣に就て…
立花 第八下 · 6
- p003…し、又高鳥居の城を攻め破り、城の大將星野兄弟を先として、首數百切て捨つ、豐臣關白この由を聞召し、當時嶋津が軍勢、大友が國々に攻め入て、此處彼處の城々、落…
- p003…らん闕國、望み申せ、汝が乞ひに因て賜るべしと仰せらる、宗茂畏て、宗茂只今殿下の御恩蒙りて、手の軍勢三千餘人、假令いかなる御大事あらんにも、一方を承ら…
- p003…んとも覺えず、天晴今生の思出に、殿上の仙藉を許され候はゞやと望みしかば、關白大に御感あつて、頓て執し申させ給ひしかば、從四位下して侍從にこそはなされ…
- p003…感あつて、頓て執し申させ給ひしかば、從四位下して侍從にこそはなされけれ、關白殿常に東國に本多平八郞忠勝あり、鎭西に立花左近將監宗茂あり、天下一双の勇士…
- p006…、島津が家譜には、此等の事天正十三年の事とせり、明れば十五年の秋、豊臣關白、鎭西を平げ給ひし時、島津が許より、高橋を召され、父入道、殿下の御爲に、…
- p006…の秋、豊臣關白、鎭西を平げ給ひし時、島津が許より、高橋を召され、父入道、殿下の御爲に、己が城を守て主從殘らず討死を遂けしこと深く感じ仰せられ、九國政…
新莊 第八下 · 1
- p001…國江口の合戰に三好が勢と戰て、主從廿三人同じ枕に討死す、駿河守直賴、初め豐臣家に近く召され、廿二人の眤近の其中にて、御伽の衆といふ子息越前守直定…
土方 第八下 · 4
- p002…へしなるべし、其家の系譜にも、此事見えず、世に誤り傳ふる事此類猶多し此年秀吉軍起して北畠殿と戰ふこと、度々に及び、同き冬、信雄秀吉中直りし給ふ時、雄…
- p002…る事此類猶多し此年秀吉軍起して北畠殿と戰ふこと、度々に及び、同き冬、信雄秀吉中直りし給ふ時、雄久使を承て、事調ひしかば、其賞行はれて、尾張の國犬山の…
- p002…、尾張の國犬山の城をぞ賜りたりける、四万五千石信雄流され給ひし後、關白家に召仕はる、太閤薨し給ひ、明る慶長四年の秋、淺野彈正少弼長政が計らひにて…
- p002…をぞ賜りたりける、四万五千石信雄流され給ひし後、關白家に召仕はる、太閤薨し給ひ、明る慶長四年の秋、淺野彈正少弼長政が計らひにて、雄久大野修理亮…
眞田 第九上 · 15
- p003…即ち伊豆守なり同き十二年、德川殿北畠を助けて、伊勢と尾張との際にて、秀吉と戰ひ、敵の勢十万餘騎、僅なる御勢にかけ負け、德川殿の御勢八千人と申…
- p003…なる御勢にかけ負け、德川殿の御勢八千人と申也是も一度の利なくして、秀吉終に北畠と中直りす、此時、北條約に背き、德川殿に加勢參らせず、明れば十三…
- p003…の沼田の庄を以て、氏直に附せらるべし、然らばまた氏直も昔の約を守て、此後秀吉と戰ひ給はん時、八州の軍勢を催し、御勢を助け參らすべきにて候とぞ宣ひける…
- p003…海野望月丸子が勢數百騎を從かへさせ、常に越後國に參らせ置く、斯て天下悉く關白に歸しぬと聞えければ、昌幸又かの家人大谷刑部少輔吉繼に、案內を通し、殿下…
- p003…關白に歸しぬと聞えければ、昌幸又かの家人大谷刑部少輔吉繼に、案內を通し、殿下に伺候すべきよし、密に望み申けり、同き十七年十一月、景勝關白に見參の事あ…
- p003…案內を通し、殿下に伺候すべきよし、密に望み申けり、同き十七年十一月、景勝關白に見參の事ありて、再ひ都に登りしに、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關白家…
- p003…勝關白に見參の事ありて、再ひ都に登りしに、其隙を伺て、幸村を呼び返へし、關白家にぞ參らせける、景勝大に怒て、かの源次郞幸村を、急度返へし給らんと、頻に…
- p003…景勝大に怒て、かの源次郞幸村を、急度返へし給らんと、頻に訴へ申されしに、殿下さま〱に御歎きありしかば、景勝力及ばずして、仰にこそは隨ひけれ、此年關白…
- p003…殿下さま〱に御歎きありしかば、景勝力及ばずして、仰にこそは隨ひけれ、此年關白家、勅命を傳へて、北條父子、參內の事を催さる、氏政氏直、むかし德川殿と約せ…
- p003…昔兩家の好み結ひし初、私に約したらん條、今なんぞ天裁を仰くべき、去ながら秀吉密に計らふべき樣ありとて、まづ眞田して、沼田の城を去らしめ、かの城に替へ…
- p003…取らしむ、爰に沼田の庄に名胡桃と云ふ城あり是をも猪股取らんとす、眞田聞て關白の仰にも、沼田の城、參らせよとこそ承るれ、名胡桃まゐらせんこと、叶ふべか…
- p003…田の庄にあらん城、請取らざるべうやあるべきとて、軍勢を差向て、襲ひ取る、關白この事を深く咎め給ひてより、北條終に亡ひにけり、…
- p004…按ずるに、北條が關白の謀に落ちしこそ、うたてけれ、關白始より、名胡桃の城、沼田の庄にありと云…
- p004…按ずるに、北條が關白の謀に落ちしこそ、うたてけれ、關白始より、名胡桃の城、沼田の庄にありと云ふ事を、如何で知り給はざらんや、北…
- p005…北條亡ひし年、德川殿關東に移り給ひ、上野の國は御領となり、信濃國をば、關白家へ參らせらる、東國にて、眞田に賜ひし地の代り、德川殿又候ふ沙汰あるべしと…
九鬼 第九上 · 3
金森 第九上 · 6
- p001…、信忠卿の御供して、二條の御所にて、腹搔切て死してけり、幾程なくて、柴田羽柴、不快の中と成て、旣に軍起らんとす、長近前田不破の人々と兩家の中直したり…
- p001…起らんとす、長近前田不破の人々と兩家の中直したり、明れば十一年二月、勝家秀吉の兵、終に起て、近江國志津嶽にして、戰を合す、北陸道の人々、皆勝家にぞ組…
- p001…戰を合す、北陸道の人々、皆勝家にぞ組しける、斯て勝家滅て後、長近可重終に秀吉に從ひ、同十四年、飛驒國を領し、高山に住す、二万八千石を領せしと也…
- p001…と云ふ事なく、長近さる古兵なりしかば、入道の後兵部卿法印に成されて、常に關白の御側に侍ひ當時御咄の衆と云、其入道せし事、何れの比にや詳ならず又…
- p001…し事、何れの比にや詳ならず又德川殿にも、親しうこそは參りけれ、されば太閤薨し給ひ、彼家の奉行人、德川殿を失ひ參らせんとする事、度々に及ひしに、常…
- p001…二人の息に賜はる、出雲守可重、初め長近に養れて、織田殿に仕へ參らせ、其後秀吉に屬して、父子同しく此所彼所の戰に從ひ、關が原合戰の時、美濃國郡上の城を…
分部 第九上 · 3
遠山 第九上 · 2
遠藤 第九上 · 2
一柳 第九上 · 3
市橋 第九上 · 1
- p002…長利初め織田殿に屬し、其後關白秀吉に從ひ、天正十三年三月十三日、七十三歲にて卒す、下總守長勝、又織田羽柴の…
桑山 第九上 · 4
- p002…理大夫重晴、入道の後宗榮と號し、其後治部卿法印には成されしなり、宗榮初め豊臣秀吉、未だ江州長濱の城に、おはせしより、其家に伺候して、秀吉と柴田と戰はれし…
- p002…り、宗榮初め豊臣秀吉、未だ江州長濱の城に、おはせしより、其家に伺候して、秀吉と柴田と戰はれし時に、當國の要害を守る、秀吉世を知り給ひて、但馬國竹田の…
- p002…はせしより、其家に伺候して、秀吉と柴田と戰はれし時に、當國の要害を守る、秀吉世を知り給ひて、但馬國竹田の城を賜ひ、二万石其後舍弟大納言秀長に附…
- p002…住せしと云文祿四年、關白秀次の事ありし時、伏見の城を守りし事に由りて、秀吉新恩の地を加へ賜ふ、一万石其地は泉州に在と云嫡子九郞五郞一重は、生…
仙石 第九上 · 12
- p001…越前守源秀久は、初め權兵衞尉と申て、豊臣大閣の未だ羽柴筑前守と申て、播磨國を領せられし時、天正九年の冬、織田殿の仰を…
- p001…越前守源秀久は、初め權兵衞尉と申て、豊臣大閣の未だ羽柴筑前守と申て、播磨國を領せられし時、天正九年の冬、織田殿の仰を請て、淡路の國を…
- p001…守降參して、未だ彼國の守護を置くにも及はず、同き十年の夏、信長失せ給ひ、秀吉世の事を知られしに及て、淡路國須本の城を以て、この秀久に賜ひぬ、是れ年來…
- p001…地を攻められしに、秀久先陣して、讚岐國を賜て移る十四年の夏、薩摩の嶋津、關白の仰に隨はず、豊後の大友、亡さんとそと聞えしかば、秀久御使を承り、長曾我…
- p001…四國の軍勢を引率して、豊後の府に押渡る、秀久先づ嶋津が許に、使立て、重て關白の仰を傳へけるに、嶋津其使からめ取て、返荅にも及はず、肥後の國を經て、豊…
- p001…を攻め落し、戶次利光、鶴が城の戰、旣に難儀に及ぶ由を聞て、事既に急なり、殿下の仰を待つまでもあらずとて、秀久元親、大友が軍勢を隨へ、戶次の城の後卷す…
- p001…津が勢と戰ひ、味方散々る打なされ、元親が嫡子信親打死す、字は彌三郞關白此由を聞召し、安からぬ事かな、先陣の輩、妄に合戰すべからず、如何にも敵を…
- p001…安からぬ事かな、先陣の輩、妄に合戰すべからず、如何にも敵をあひしらうて、秀吉が向はんを、待てとこそ云つれ、夫に四國の奴原が、そゞろなる軍して、手合の…
- p001…讚岐國を奪て、尾藤甚右衞門尉に賜て、筑紫の先陣を賜る、明れば十五年の春、殿下自ら筑紫の地に御發向あり、九國の大名等、冑を脫ぎ、弓の絃をはづして、降人…
- p001…、討留めんと、はやりしに、尾藤が固く制しければ、宮部一勢、進むに及はず、關白この由を聞召し、以の外に氣色損し、臆病なる尾藤めが振舞かな、官部と同しく…
- p001…出ければ、九國悉く平きぬ、筑紫陣の事は、嶋津が傳に詳なり、十八年、關白また相摸國北條を亡し給ひし時、秀久忍ひて御供にぞ侍ける、尾藤は罪蒙て後、…
- p001…は年旣に經ぬ、何事かあるべきと、小笠原が手に隨ひ、軍して御陣には參らず、關白仙石が振舞、神妙の至りなりとて、信濃國小諸の城に、地數多附て賜り、六万…
溝口 第九上 · 6
- p003…年の春、近江國志津が嶽の合戰敗れて、柴田修理亮勝家、越前の國に引返へす、筑前守秀吉、續て攻め入り給ひしに、秀勝手勢引具し、敦賀の津にて、秀吉の御手に馳せ加…
- p003…返へす、筑前守秀吉、續て攻め入り給ひしに、秀勝手勢引具し、敦賀の津にて、秀吉の御手に馳せ加り、先駈して戰ふ、頓て其賞行はれて、加賀國大聖寺の城を領し…
- p004…せ給ひて、溝口元の主人なれば、丹羽に属す、天正十三年の夏、長秀卒す、今年秀吉越中の佐々討たんとて、長秀の男長重が勢を假て、佐々を亡し、終に長重が所領…
- p004…が勢を假て、佐々を亡し、終に長重が所領を奪はる、これより丹羽が家人、多く秀吉の家人になさる、此時溝口等も、秀吉に召出さると云、不審、…
- p004…所領を奪はる、これより丹羽が家人、多く秀吉の家人になさる、此時溝口等も、秀吉に召出さると云、不審、…
- p005…せしを討ち平く、同き十五年、秀勝六十三歲にして卒す、嫡子伯耆守宣勝、初め太閤諱字賜て、秀信と名乘る、叙爵して主稅正に任ず、慶長五年の秋、父に隨て、國…
南部 第九下 · 8
- p003…りしかば、左衞門尉高信が男大膳大夫信直を以て世嗣とす、天正十八年に至て、豐臣關白、北條を亡し、奧に下らせ給ひし時、信直御陣に馳せ向ひ、見參して、本領を安…
- p003…、奧に下らせ給ひし時、信直御陣に馳せ向ひ、見參して、本領を安堵す、此時關白、來國次の脇指、并衣服等と賜と云ふ…
- p004…と云ひし者、南部に下りて、扨も殿は未だ知召されずや、當時天下を知召すは、豐臣關白秀吉公と申せし御方にて、關東の北條が、王命に隨はぬを、征伐し給ふべしとて、天下…
- p004…けれと、申ければ、信直大に驚き、扨は今天下は既に定りしにや、さらば、その秀吉殿へ、參らざらんには、當家の行末、賴母しからず、又參らんとせんには、其隙を…
- p004…陣に參りて、信直が參らざる趣を初めとし、津輕九戶等が事、一々に述べたり、關白殿聞き給ひ、國中の逆亂に依て、道既に塞りたるに、早々使を奉る事、神妙なり、…
- p004…家人等が逆威を振ふこと、甚以て奇怪なり、如何にもして、信直が城を守りて、秀吉が下向を待つけよと仰せありて、使をば返へされたり、信直悅ふこと限りなし、…
- p004…使をば返へされたり、信直悅ふこと限りなし、北條亡ひし後、同年の八月十日、關白殿、陸奥に御下向ありしかば、信直頓て御陣に參る、津輕の地は、最初に右京亮爲…
- p005…根由利二つの城を落し九戶の籠つたる福岡一書に糠部の城に押し寄す、關白殿の御勢、德川殿の先陣を始として、南部津輕松前の軍勢馳せ加り、入替々々攻め…
戶澤 第九下 · 1
- p003…是れ治部大輔盛安が七代の祖とぞ聞えける、右京亮政盛、初め九郞五郞と申し、豐臣關白、奧に下らせ給ひし時、御陣に馳せ參て、本領を安堵す、角館四万石と云ふ…
津輕 第九下 · 2
六郷 第九下 · 1
- p001…が男、其祖代々出羽國山北六鄕の庄の地頭たりしより、六鄕とは名乘りしなり、豐臣太閤、世を知し召されし後、政乘本領を安堵す、山北衆七人の中なり所領いか程…
水谷 第九下 · 1
- p003…の御養母なるべし其餘家繼くべき男子なく、舍弟左京大夫勝俊、家を繼く、豐臣關白世を知し召されしより、彼の御家人になされて、本領を安堵す下館二万五千石…
那須 第九下 · 2
大田原 第九下 · 3
大關 第九下 · 1
- p003…住人大田原備前守資清が二男、養て世嗣とす、右衛門佐高增これなり、高增初め豐臣太閤に隨ひ、本領を安堵し、黑羽根の城に住す、一万三千石、大關元那須が被官…
龜井 第九下 · 5
- p001…參し、尼子が家、再ひ興さんことを謀る、事終に叶はずして、又織田殿に參り、羽柴筑前守秀吉の手に屬し、因幡國鹿野の城を守る、織田殿失せ給ひ、秀吉天下を知り給ひし後…
- p001…に參り、羽柴筑前守秀吉の手に屬し、因幡國鹿野の城を守る、織田殿失せ給ひ、秀吉天下を知り給ひし後、鹿野の城を賜ひぬ、是より後、關白の向はせ給ふ程の軍に…
- p001…る、織田殿失せ給ひ、秀吉天下を知り給ひし後、鹿野の城を賜ひぬ、是より後、關白の向はせ給ふ程の軍に、隨ひ參らせずと云ふことなく、武勇の譽、世に傳ふる所…
- p001…み思ふ國なし、あはれ御許を蒙りて、琉球を賜り、討ち隨ひ候はゞやと申ければ關白殿、持ち給ひし御團扇に、自ら龜井琉球介と書て、賜ひしかば、玆矩大に悅ひ、急…
- p001…、船ども散々になつて、吹き戾され、終に本意は遂けざれども、玆矩が大膽を、殿下大に感し給ふこと斜ならず、慶長五年の初、德川殿に隨ひて、奧に下る、上方の…
伊東 第九下 · 10
- p011…卒す、三位が舍弟民部大輔祐兵、兄の入道、國を失ひし後、是も都に住みしが、豐臣太閤に仕へ參らせて、終に本領を安堵すと云々、此說は島津家譜とは、大に異なり、…
- p012…て、都の方に上る、此年の夏、織田殿御父子、明智日向守光秀が爲に討れ給ひ、豐臣太閤未だ筑前守と申て、當時は山陽道におはせしが、急き軍勢を率ゐて、都に上り、…
- p012…上る、此年の夏、織田殿御父子、明智日向守光秀が爲に討れ給ひ、豐臣太閤未だ筑前守と申て、當時は山陽道におはせしが、急き軍勢を率ゐて、都に上り、山崎の邊に…
- p012…が、急き軍勢を率ゐて、都に上り、山崎の邊にて、光秀と戰ひ給ひし時、祐兵も秀吉の御陣に馳せ加り、高名を顯しければ、秀吉大に感し給ひ、河內の國にして、所…
- p012…にて、光秀と戰ひ給ひし時、祐兵も秀吉の御陣に馳せ加り、高名を顯しければ、秀吉大に感し給ひ、河內の國にして、所領一箇所を下し賜ふ、同き十五年、關白島津…
- p012…ば、秀吉大に感し給ひ、河內の國にして、所領一箇所を下し賜ふ、同き十五年、關白島津を御退治の時、伊東は彼國の案内者なればとて、大和大納言秀長卿の御手に…
- p012…りて、程なく軍勢數千人に及ぶ、島津兵庫頭義弘、負軍して、薩摩國へ引返す、關白の御勢も、筑前筑後を打隨へ、肥後國を經て、是も薩摩の國に攻め入り給ふ程に…
- p012…を經て、是も薩摩の國に攻め入り給ふ程に、嶋津兄弟、終に降人になつて參る、關白伊東が軍功、拔群なりとて、頓て本領日向國飫肥曾井淸武等の地賜て、飫肥の城…
- p012…飫肥の城にぞ住しける、朝鮮の軍起りて、彼國に押渡り、軍すること凡そ七年、太閤薨し給ひしのち、慶長四年正月十一日、豐後守に任す、系圖に出つ…
- p013…和守或は民部大輔と見ゆ、思ふに、先祖の受領たれば、初め大和守と申せしが、太閤の御弟大和大納言秀長卿をさけて民部大輔と申し、其後又豐後守になりしにや、…
中川 第九下 · 8
- p005…に歸る、斯る所に、六月二日、織田殿御父子、都にて明智光秀が爲に討れ給ひ、筑前守秀吉も、山陽道より馳せ上り、尼が崎に會合して、三七殿と初めまゐらせ、丹羽池田…
- p005…秀が手を取て、今日の功、いつの世にかは忘れんと、涙を流して仰せけり、此時秀吉は、肩輿に乘ながら、瀨兵衞骨折々々と云て過く、淸秀此を見て、はや筑前守、…
- p005…此時秀吉は、肩輿に乘ながら、瀨兵衞骨折々々と云て過く、淸秀此を見て、はや筑前守、天下を掌にせんと思ふ色、既に面に顯れたりと云しとかや、…
- p006…程なく、羽柴柴田が軍起り、明れば十一年二月、淸秀秀吉の方人して、近江國志津嶽のあなた…
- p006…程なく、羽柴柴田が軍起り、明れば十一年二月、淸秀秀吉の方人して、近江國志津嶽のあなた、餘語の湖の邊に陣を取る、佐久間玄蕃允盛…
- p006…嫡子藤兵衞尉秀政、初め信長の姫君に添ひ參らせ、播磨國三木の城を賜り、其後羽柴殿に隨ひ、叙爵して右衞門大夫に任す、系譜に見ねし所、かくの如し、世には父…
- p006…に秀政が事は、大明の書にも見えたり、家人等驚き、有の儘に申さんには、太閤の御氣色よからず、我家必ず亡ぶべしと僉議し、秀政要害の地に城郭を搆へんが…
- p006…に押渡り、大明の兵と戰ひ、討ち破て、其身も痛手を負ひ、高名顯して歸朝す、太閤薨し給ひ、東西の軍起り、修理大夫秀成、德川殿の御方として、同國臼杵の城に…
有馬 第九下 · 1
- p005…義純稀有にして、運をぞ開きける、隆信死せし時、五十六歲十五年の夏、關白島津を討んが爲、筑紫の地に押渡り給ふ程に、九國二島の大名等、日々に降人に…
大村 第九下 · 2
毛利 第九下 · 5
- p001…伊勢守藤原高政は、豐臣太閤の家人なり、初め森勘八郞とぞ申ける、太閤未だ筑前守にて、毛利右馬頭輝元と…
- p001…伊勢守藤原高政は、豐臣太閤の家人なり、初め森勘八郞とぞ申ける、太閤未だ筑前守にて、毛利右馬頭輝元と戰ひ、天文十年六月、羽柴毛利中直りして、…
- p001…伊勢守藤原高政は、豐臣太閤の家人なり、初め森勘八郞とぞ申ける、太閤未だ筑前守にて、毛利右馬頭輝元と戰ひ、天文十年六月、羽柴毛利中直りして、互に人質を…
- p001…八郞とぞ申ける、太閤未だ筑前守にて、毛利右馬頭輝元と戰ひ、天文十年六月、羽柴毛利中直りして、互に人質を取替さる、毛利は叔父の藤四郞元綱に、桂民部大輔…
- p001…互に人質を取替さる、毛利は叔父の藤四郞元綱に、桂民部大輔付て出しければ、秀吉は此高政が兄弟をぞ出されける、高政が弟兵橘某と云輝元、高政兄弟に向…
稻葉 第十上 · 5
- p004…天正十年の夏、織田殿失せ給ひし後は、秀吉に與みす、同き十二年三月森武藏守長一、德川殿の先陣に羽黑の陣を打破らる、…
- p004…同しく引て歸りけり、同き四月長湫の戰ひ、味方又悉く討ち破られぬと聞えて、秀吉樂田の陣を立て、龍泉寺の邊りに馳せ來り、德川殿既に小幡の方に入らせ給ふと…
- p004…らぬ事共かな、何國までも追詰てこそ戰はめと、軍勢を進めらる、一鐵入道固く秀吉を止め參らせ、日既に暮れんとす、明日こそ勝負をば决せらるべう候へと申けれ…
- p004…う候へと申ければ、去らばとて此所に陣をぞ召されける、明れば十三年の七月、秀吉關白に任し給ひし時嫡男右京亮貞通、侍從になされ、曾根の城にありしかば、曾根の…
- p004…たり、一鐵入道三位法印になされしこと或記の記す所に隨ふ右京亮貞通、太閤薨し給ひし後、慶長五年の秋、大坂の奉行等が催促に隨ひ、我身は犬山の城を守…
脇坂 第十上 · 22
- p001…生年十六歲、光秀が手に屬して、能き敵討て首取る、此年始て淺井の郡にして、羽柴殿の見參に入る、元龜元年の秋、織田殿攝津國の戰ひ利あらずと聞て、秀吉近江國…
- p001…て、羽柴殿の見參に入る、元龜元年の秋、織田殿攝津國の戰ひ利あらずと聞て、秀吉近江國を立て信長の陣に馳せ參る、幼き者をば悉く跡に止めらる、安治一人密に…
- p001…長の陣に馳せ參る、幼き者をば悉く跡に止めらる、安治一人密に隨ひ參りたり、秀吉うへには怒り給ひしが、其志を感じて鞍置たる馬一匹をぞ給たりける、天正四年…
- p001…、安土の城を搆へ給ふ、石垣の御料に、御家人等大石數多獻る、丹羽が下部等、秀吉の參らせられし大石、盜み取らんとす、安治はしたなく行合ひ、腰刀を引ぬき、…
- p001…す、安治此由を見る儘に飛び懸て、長秀が侍一人、取て質としてこそ歸りけれ、秀吉此を感し給ひ、初て所領を賜りたり、百五十石同き六年秀吉播磨國三木の…
- p001…そ歸りけれ、秀吉此を感し給ひ、初て所領を賜りたり、百五十石同き六年秀吉播磨國三木の城を攻め給ひし時、赤絹に輪違の紋付たる母衣、取り出してこれ賜…
- p001…しかば、賜りてけり、其母衣着て城に向ひ、能き敵と戰ひ、首取て見參に入る、秀吉御感斜ならず、これよりして桔梗の紋、を改め輪違を紋とせり此年神吉の…
- p001…國志津が嶽の戰ひ、高名七人の中にして、其賞を賜る、五千石十二年信雄秀吉、中違ひありし初め、兼て信雄より秀吉に出されし人質、瀧川下總守雄利が男を…
- p001…、其賞を賜る、五千石十二年信雄秀吉、中違ひありし初め、兼て信雄より秀吉に出されし人質、瀧川下總守雄利が男をば安治が預りたり、雄利使立て、夫れに…
- p001…國上野の城に立籠る、安治安からぬ事に思ひ、押寄せて城を攻めんことを望む、秀吉聞も敢へず、天晴己も秀吉たばかつて、瀧川に與みせんと思ふな、己が勢の分際…
- p001…安からぬ事に思ひ、押寄せて城を攻めんことを望む、秀吉聞も敢へず、天晴己も秀吉たばかつて、瀧川に與みせんと思ふな、己が勢の分際、いかで彼が勢に向て、戰…
- p001…立ち、其勢僅か二十騎には過きざりけり、鞭鐙合せて打つ程に、伊賀國に入て、羽柴殿の御使として、安治是に來りたり、御方に參らんずる輩は、恩賞これ輕からずと…
- p001…ず、上野の城を落て、伊勢の國にぞ去てける、安治早馬を參らせて此由を告く、秀吉大に驚き給ひ、御使を賜ひて、安治を止て彼國を守らせらる、明れば十三年五月…
- p001…を守らせらる、明れば十三年五月、攝津國能勢郡を賜ふ、一万石此年七月秀吉關白に任し給ひ、安治に叙爵させ中務少輔になさる、八月大和國高取の地に移さ…
- p001…戰ふ、味方散々に討ちなされて引き退く、安治嘉明二人止つて戰ふこと止まず、關白の御感をぞ蒙りける、十五年の春、關白自ら島津を伐ち給ふに、安治嘉明九鬼大…
- p001…、安治嘉明二人止つて戰ふこと止まず、關白の御感をぞ蒙りける、十五年の春、關白自ら島津を伐ち給ふに、安治嘉明九鬼大隅守嘉隆と共に兵船を泛め、薩摩の國に…
- p001…摸の北條が亡びし時、安治四國の人々と東海を押渡て、伊豆國下田の城を攻め、關白の召に隨ひ嘉明嘉隆等と、同じく小田原に馳せ來て城を攻む、下田の城降りぬと…
- p001…爲に摧かれ、討るゝ者數を知らず、安治も希有にして遁れ、金海にぞ歸りける、太閤此由を聞召し、急き藤堂佐渡守高虎を差向られ、安治が武勇の程を感ぜらる、さ…
- p001…鬼と彼船を爭て、同士軍せんと、ひしめく軍の撿使早川主馬首長秀これを制し、太閤の御裁斷を仰く、頓て御敎書をなされ、安治が功を感ぜらる、此年安治は安骨浦…
- p001…此船軍の事、委しく加藤嘉明が傳に見ゆ今爰には安治が碑文に隨て記しぬ殿下御敎書をなされ、其功を賞せらる、同き八月十五日の夜、南原城を攻め落し、安…
- p003…六月廿二日この年頃の功を賞せられて、所領の地加へらる、三千石程なく大閣薨し給ひ同き五年の秋、德川殿、奧の上杉退治あるべしとて御下向あり、安治我…
- p004…息安元を東國の御陣に參らせし上は、大御所の新恩には報い奉る、さすが我身は故太閤の舊恩蒙りし事なれば、軍勢をば止て參らせざりしと云ふ、用意の程哀れなり、…
小出 第十上 · 16
- p001…播磨守藤原秀政は、初の字は甚左衞門五郞左衛門尉正重が男なり、豐臣太閤に仕へて和泉の國岸和田の城を賜て領す、…
- p002…其先祖審ならぬ由を申す也、或人云く、秀政尾州中村の人、秀吉と同所に生れたれば、幼より相親み、其後秀吉に仕て、奉公の勞を重ねしかば、…
- p002…、或人云く、秀政尾州中村の人、秀吉と同所に生れたれば、幼より相親み、其後秀吉に仕て、奉公の勞を重ねしかば、終に岸和田城を賜ひしとぞ、按するに岸和田を…
- p002…の者申すは昔此城には播磨守秀政の居給ひし故、殿守をば上げられたり、此人は太閤の親しき御外戚にて候ひし故に、御許蒙り給ひしと承ると申なり、多門院日記に…
- p002…給ひしと承ると申なり、多門院日記には、小出播磨守は大政所の妹を妻にして、太閣一段の御意合なりと見えたり秀政男子四人あり、嫡子大和守吉政、後には播…
- p004…太閤薨し給ひし後、景勝中納言が上洛せざりし罪に因て、德川殿征伐の爲に、奧に下…
- p004…秀政老病に堪へずして終に世に交らず慶長九年に至て六十五歲にして卒す、初め太閤小出播磨守秀政、片桐市正且元を以て、秀賴の御傳になさる、薨し給はん際に臨…
- p004…さなきだに元の世祖の、本朝討たんとせしこと、遠き鑒にあらずや、其時に至て秀吉が後、誰あつてか本朝の動き無らん樣を計るべき、只德川の內府こそ此事には堪…
- p004…威を恐れて、天下自ら彼家風に歸しなまし、物の心をも分たぬ輩が、なまじひに秀吉が私の恩、忘れかねて幼き秀賴を、主になし立てんなど計て、彼家と天下爭はん…
- p004…度に及ひぬれども、終に一度も彼が爲に、傾き破られしことなしとこそ聞け、今秀吉が時に至りて、上は萬乘の寶祚を危くし、下は四海の生靈を亡されんこと、最口…
- p004…下は四海の生靈を亡されんこと、最口惜かるべき事ならずや、よしや本朝の爲に秀吉が家を顧みず、我が後の天下の事、內府の計らはん樣に任すべしと思ひ定たり、…
- p004…氏眞を駿河國に返し入れん事を計り、故右大臣殿の好を忘れかねて、信雄を助て秀吉と戰ふ、是等皆信を守り義を重んずるが故なり、秀吉又此年月親しう語らひて、…
- p004…を忘れかねて、信雄を助て秀吉と戰ふ、是等皆信を守り義を重んずるが故なり、秀吉又此年月親しう語らひて、旣に結れたる中となりぬ、されば我家の事、情なくは…
- p004…嗣絕えざらん幸もありぬべし、此事ゆめ〱忘るゝこと勿れと仰せ置かる、然るに太閤薨し給ひて幾程無く、奉行等が頻に德川殿を失ひ參らせんと謀る事を、秀政且元…
- p004…せし者なりと或書に委しく記し置きたり○按ずるに誠に此說の如くならんには、太閤の仰せ置れし事、やんごと無く、哀れにも又尊くもこそ覺え奉つれ、去ながら斯…
- p011…申す者かな、いかなる御不審をや蒙るべきと、大に驚く、大御所聞召され、汝は故太閤の所緣に付て、彼家には疎からぬ者也、斯く思ふこそ道理なれと仰せ下され、あ…
加藤 第十上 · 4
- p001…初め織田殿の家人、作內と申しき元龜元年の春、木村生駒前野等と同しく羽柴藤吉秀吉の手に屬せらる、これより秀吉世の事を知り給ふに至て、是處彼處の戰功、夙夜…
- p001…元龜元年の春、木村生駒前野等と同しく羽柴藤吉秀吉の手に屬せらる、これより秀吉世の事を知り給ふに至て、是處彼處の戰功、夙夜奉公の勞を積てければ、天正十…
- p001…爵して遠江守に任し、同き十八年甲斐國悉く賜ひ領しぬ、廿四万石去れば殿下年來の御家人にて、御覺他に異なりし故、斯る大名にもなし立て給ひ、時の榮世…
- p001…なれば、其子左近大夫僅に美濃國黑野と云ふ所を賜りぬ、四万石幾程なく太閤も薨し給ひ慶長五年の秋德川殿、奧の上杉を追討の爲に御下向あり、貞泰も當國…
谷 第十上 · 6
- p001…出羽守源衞友は、大膳亮衞好が男なり、衞好豐臣關白家に仕て、筑紫の軍に隨ひ豊前の國岩石の城を攻められし時、軍の撿使承り自も武…
- p003…家の碑文に谷大膳亮源衞好、天正七年己卯九月十日、秀吉播州三木城主別所小三郞長治が城を攻むるに隨ひ、城の西北六里計り、賀伏坂に…
- p003…るに隨ひ、城の西北六里計り、賀伏坂に寨を築て守る、別所が弟彥之進小八郞、秀吉の平山の陣を攻むること急なり、衞好子息衞友と共に、平山の陣に趣く、敵兵等…
- p003…す、衞友これを追ひ隍中に迫て室が首を取り父が死骸を得て、其所の山に葬る、秀吉三木の城を攻め破り來り救ふ、故に衞友及ひ兵士全き事を得たり、衞好前後戰功…
- p003…を得たり、衞好前後戰功あること十九度、法號法源院惟徹浮禪居士、歲五十歲、秀吉其功を織田殿に申しければ所領六千石に二所の地を並せ賜ひ、其功を賞せらる、…
- p003…其功を織田殿に申しければ所領六千石に二所の地を並せ賜ひ、其功を賞せらる、秀吉も感狀を送らるとあり、…
木下 第十上 · 5
- p001…肥後守豐臣家定は、尾張國の住人杉原平入道道松助左衞門が男、豐臣太閤家北政所の御兄なり、年若き時より豐臣家へ仕へ、家號を賜て木下とは名乘りけり…
- p001…守俊定は早世す、五男金吾中納言秀秋、六男出雲守某とぞ申しける、嫡男勝俊、太閤の御時若狹國を賜ふ、九万石慶長五年の秋、大坂の奉行等軍起して、伏見…
- p001…詠める歌秀逸多く、其集今も世に在て、皆人此を傳へけり、二男宮内少輔これも故太閤の御時、若狹國高濱の城を賜る、三万石又二万石とも云關が原の合戰の時…
- p003…宮內少輔豐臣利房は、肥後守家定の二男、豐臣太閤の御時、若狭國高濱の城を領す、慶長五年の秋、大坂の催促に隨ひて北陸道に發…
- p004…右衞門大夫豐臣延俊は、肥後守家定が三男、豐臣太閤の御時より、父家定留守職を承て、常に大坂の城に在りしかば、延俊父の代官と…
相良 第十上 · 1
- p006…五日に世を早うす、其子左兵衞佐長每、十一歲にて父に繼ぎ、同き十五年の夏、豐臣關白鎭西を平け給ひし時、本領を安堵し、文祿元年生年十八歲にて朝鮮の先陣、承つ…
秋月 第十上 · 4
- p009…後の國に攻め入る、豐臣家の御使仙石長曾我部を先として、大友が勢を打破る、關白此由を聞召し、明る十五年の春、畿內山陰山陽南海の軍勢三十万騎を引具して、…
- p009…聞ゆ、種實先づ豐前國岩石の城に軍勢を籠め、其身は筑前國大隈の城に立籠る、關白の御勢豐前國に亂れ入り手合せに先づ岩石の城を攻落す、種實大隈の城にも溜り…
- p009…かね、秋月の城に引籠る、古所山の城とも云ふ時に軍勢二万五千人と云ふ關白頓て大隈に御陣を移さる、嶋津が勢も、是處彼處の戰に悉く利を失ふ、種實斯て…
- p009…も覺えねば、子息三郞種長と共に剃髮染衣の身となつて、首を延て降人に參る、關白其罪を宥められ、對面を許し給ひしかば、累代の重寶楢柴と云ふ茶入獻て見參に…
宗 第十上 · 5
- p009…長く絕えず、盛永が七世の孫對馬守義智、父義調に繼て立つ、天正十五年の夏、豐臣關白筑紫に向ひ給ふ時、義智御陣に馳せ加りて本領を安堵せり、去年十四年關白、朝…
- p009…豐臣關白筑紫に向ひ給ふ時、義智御陣に馳せ加りて本領を安堵せり、去年十四年關白、朝鮮に使立て、兩國好み結ばれん由を宣へども、彼國の王李昖敢て隨ひ…
- p009…に渡て、兎かく拵へし程に信使來聘すべきに極て、同七月彼使具して都に上り、殿下に參る、關白の御感淺からず、頓て侍從になされ、羽柴の號を賜る、又朝鮮の軍…
- p009…く拵へし程に信使來聘すべきに極て、同七月彼使具して都に上り、殿下に參る、關白の御感淺からず、頓て侍從になされ、羽柴の號を賜る、又朝鮮の軍勢を催して、…
- p009…り軍起り、義智一方の先陣にて彼國に押渡り、彼處此處にて戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてこそ彼の戰は止みてけれ、斯て慶長五年の秋、大坂の兵起りて、德川…
松浦 第十上 · 3
五島 第十上 · 1
- p001…淡路守源玄雅世々肥前國五嶋の住人、天正十五年豐臣關白、筑紫を平け給ひし時本領を安堵す、…
織田 第十下 · 14
- p003…ゑ參らせ、信孝をば美濃の屋形と定て岐阜の城に居ゑ參らす、柴田修理亮勝家、羽柴筑前守秀吉、丹羽五郞左衞門尉長秀、池田紀伊入道勝入四人、家の奉行として、天下の政務…
- p003…こそ兄弟の名はあるなれ、ましてや自ら父兄の敵、忽に誅せし功あるをや、夫に秀吉おのが功に誇て、我が戰功を空しうなさんとす、是れ偏に我父の大恩を忘れ參ら…
- p003…る謀にこそあれ、如何にもして彼を誅して、再び我家を起さばやと思召したつ、秀吉此由を傳へ聞て、さらば尾張の中將殿を主君に崇め奉るべしとて、丹羽池田相語…
- p003…瀧川佐々前田等も、同く信孝の御方にぞ候ひける、勝家終に戰ひ負て自害しぬ、秀吉やがて岐阜の城に押寄す、城中忽ち心變りの者出來て齋藤玄蕃允岡本太…
- p003…定まらず、かくては中々此城にて運開かるべしとも思ひ給はず、かゝる所に信雄秀吉が爲に三七殿をたばかつて尾張國に迎へ參らせ、內海の浦にて御腹をぞ召させ給…
- p003…、德川殿を賴み申されしかば、德川殿御勢を率ゐ給ひ、美濃尾張伊勢の國々にて秀吉の多勢を打破り給ふこと度々に及ひしにぞ、此年十月、秀吉伊勢の國に至て、北…
- p003…尾張伊勢の國々にて秀吉の多勢を打破り給ふこと度々に及ひしにぞ、此年十月、秀吉伊勢の國に至て、北畠殿に中直りの事を望まる、信雄大に悅ひ德川殿に此由を告…
- p003…を告け申さるゝにも及はず、十一月十一日中直りの見參事終りぬ、明れば十三年秀吉關白と成て、信雄をば權大納言從三位に成され同き年に正三位、十四年に從二位…
- p003…年に從二位十五年八月八日正二位に叙し十一月廿一日内大臣に任ず、十八年の夏關白、相摸の北條亡し給ひて後、信雄の國移し替らるべしと仰せ下さる、内府辭し申…
- p003…給ひて後、信雄の國移し替らるべしと仰せ下さる、内府辭し申されたりければ、關白以の外に御氣色損し、忽に尾張の國押奪はれ、下野の國那須の郡に流され、此…
- p003…八月入道ありし由公卿補任に見ゆ明る年又伊豫の國に移されたり一說に關白奧州に下り給ふ時に、出羽の秋田へ移されしと創業記考異に出づ文祿の始め…
- p003…時に、出羽の秋田へ移されしと創業記考異に出づ文祿の始め朝鮮の軍起り、關白筑紫に御陣を召されし頃、此入道を召し返され、御相伴の衆に加へられて、常に…
- p003…云ふ、世に大野宰相と云傳ふれど、公卿補任に此人の參議なりし事は見えず太閤薨し給ひて後、慶長五年の秋大坂の奉行等、德川殿失ひ參らせんと計りし時、石…
- p003…や否やと、この入道を召て議せらる、入道承て今天下の大名を數ふるに、誰かは故太閤の御恩蒙らぬ者や候ふ、御勢を催されんには、なとが從ひ參らする者なからざら…
建部 第十下 · 1
- p001…事世に聞えたれば、織田殿に召仕はる、江州守山にて五百石を領す豐臣太閤の世に及て、若狹國の政務を奉り小濱の庄に住す、其後又攝津國の事を奉行して…
片桐 第十下 · 1
- p006…正直盛が弟なり、初め豐臣家に仕へ、播磨國三木の城にして能き敵と組て首取る秀吉公の御感に預り、頓て播磨の揖東郡にして所領の地賜る、大坂の兵起りし初め、舍…
靑木 第十下 · 4
伊東 第十下 · 1
- p001…丹後守藤原長實は、豐臣關白に仕へ參らせ、黃母衣廿四人の中に選み入られ、又七手の侍の番頭と成され、備…
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…給ふ時、康高先陣を承り、今年の秋また北條が勢と戰て勝軍し、長湫の先陣して秀吉の勢を打破り、蟹江の城を攻め落し、同き十三年八月味方の人々、眞田が城を攻…
本多 第十一 · 2
高力 第十一 · 6
- p001…て移る、小牧の御陣の時は田中の城に在りて北條に備ふといふ同き十二年關白殿に使して東西御和睦事成しかば、秀吉悅び給ふ事大方ならず、同き十四年叙爵さ…
- p001…に在りて北條に備ふといふ同き十二年關白殿に使して東西御和睦事成しかば、秀吉悅び給ふ事大方ならず、同き十四年叙爵させて河內守になさる、此時豐臣姓を…
- p001…年德川殿關東に移らせ給ふに及て、武藏國岩槻城を領す、二万石此年九月秀吉奧に下向ありて岩槻の城に至り給ひ、清長其御待まうけす、斯て關白歸路の日、…
- p001…此年九月秀吉奧に下向ありて岩槻の城に至り給ひ、清長其御待まうけす、斯て關白歸路の日、清長が妻子等なほ田中の城にあり堀田若狹守を御使として物たまはる…
- p002…是より後、清長が妻より年々に關白に物まゐらせ、太閤薨ぜられし時、清長夫婦に遺物賜ひしことは、此故とぞ聞え…
- p002…是より後、清長が妻より年々に關白に物まゐらせ、太閤薨ぜられし時、清長夫婦に遺物賜ひしことは、此故とぞ聞えける、…
北條 第十一 · 1
- p003…を給りて、是處彼處に戰ふこと十餘年、一度も不覺の名を取らず天正十八年の春豐臣太閤、關東に向ひ給ひし時、左衞門大夫氏勝は氏政父子の命を受けて松田右兵衞大夫…
山岡 第十一 · 1
- p003…して宮内卿法印になされ、道阿彌と號しけり以上或記に見えしまゝに記す太閤薨し給ひ大坂の奉行等が、德川殿失ひ參らせんと謀りし度每に、入道いつも德川…
皆川 第十一 · 2
蒲生 第十二上 · 16
- p003…津國より攻め上て光秀忽ち討たれにけり、氏鄕北畠殿の御供して都に上りしに、羽柴筑前守秀吉、氏鄕が此度の振舞を深く感じ、明智に組せし當國の國人等が闕所の地、蒲生に…
- p003…に組せし當國の國人等が闕所の地、蒲生にぞ附られける五千石の地といふ羽柴柴田が軍起りし時、父子秀吉に與みす、秀吉大に悅ひて賢秀が娘迎へて妻とす、…
- p003…の地、蒲生にぞ附られける五千石の地といふ羽柴柴田が軍起りし時、父子秀吉に與みす、秀吉大に悅ひて賢秀が娘迎へて妻とす、これ後に三條殿と申せし御事…
- p003…附られける五千石の地といふ羽柴柴田が軍起りし時、父子秀吉に與みす、秀吉大に悅ひて賢秀が娘迎へて妻とす、これ後に三條殿と申せし御事なり、氏鄕の…
- p003…後に三條殿と申せし御事なり、氏鄕の妹なり柴田亡び三七殿討たれ給ひ、秀吉氏鄕に伊勢國龜山の城を賜ふ氏鄕が請に依つて關右兵衞佐に賜ひぬ彼城は關が…
- p003…賜ひぬ彼城は關が相傳の城なればなり氏鄕やがて叙爵して飛驒守に任す、秀吉北畠殿と不快の時、氏鄕また秀吉に與みし、美濃國加賀井の城を攻め落す、此勸…
- p003…ればなり氏鄕やがて叙爵して飛驒守に任す、秀吉北畠殿と不快の時、氏鄕また秀吉に與みし、美濃國加賀井の城を攻め落す、此勸賞に伊勢國松が嶋の城賜ひ日野…
- p003…下になされ、羽柴の號を許さる、此年松坂の城を築て移る同き十八年春夏の間、關白殿に隨ひ相摸國に發向し、まづ伊豆國韮山の城を攻て小田原の城を圍み攻む、北條…
- p003…攻て小田原の城を圍み攻む、北條亡びて後、先陣承て陸奥國に向ふ、八月十七日關白殿、白河の城に氏鄕を召され、會津六郡の地に越後小河の庄山道の地合て十…
- p003…衞門尉父子に、葛西大崎の地賜て二十万石氏鄕に副られたり、同九月の初關白御上洛の後、葛西大崎の地に賊徒起て木村父子を攻む、氏鄕此由を聞て伊達二郞…
- p003…を盡しけれども、驗なくて本國に歸る、三年正月病を扶けて上洛す、今年十一月太閤氏鄕の家に入らせ給ひ饗宴の事あり、氏鄕の病日々月々に重くなりて、四十歲と…
- p003…たること、七日がほど引きも切らず、それに一人も軍法を犯すもの候はず、此人殿下の御爲に二心を存せざらんには、かゝる御固め世にも又あるべからず、能く心得…
- p003…病に犯されて終に空しうなりけるを、かくは思ひつゞけしとぞ聞えける、同七日太閤淺野彈正少弼長政を御使として、子息鶴千代丸に父の所領相違あるべからざる由…
- p003…を沙汰す、今年鶴千代丸元服して藤三郞秀隆と名のり、後には秀行と改む太閤媒せさせ給ひて德川殿の御娘を參らせらる、其年關白秀次の御事ありて大坂の城…
- p003…秀行の母上は故右大臣信長公の姫君にて、類なき美人の聞えまし〱ければ、近曾殿下に參らせ給ふべきよし、忍び〱に御消息度重りし程に、うき事に思ひこめ給ひて…
- p003…重りし程に、うき事に思ひこめ給ひて、みづから飾おろして尼になり給ひしを、太閤安からぬ事に思召す、かゝる所に蒲生亘理が獄起りければ、抑も會津の地は陸奧…
金吾 第十二上 · 22
- p001…公卿補任には隆景中納言に任せし事みえず實は木下肥後守家定が四男、豐臣太閤家北政所の御甥なり、初め北政所みつからの御子なき事を深く歎き給ひしかば、こ…
- p001…なき事を深く歎き給ひしかば、この中納言のいまだ幼き時、童名は辰之助太閤の御幼君となされ御寵愛淺からず、天正十九年の春隆景が望み申すに依て、其嗣…
- p001…右馬頭親正、二人は毛利が家に親しかりければ、其世嗣の事を謀る、孝高計ひて殿下に申て御養君して、家繼がせたらんには家の爲も國の爲も善かんぬと覺ゆと云ふ…
- p001…んなれとばかり答て、生駒が歸るを待かねて、急き施藥院の許に行向ひて、隆景殿下の御恩に依つて筑前の國を領するのみにあらず、筑後肥前の中にして二郡つゞの…
- p001…の幸か是に過くべき、此由を以て內々御氣色を伺ひて給はるべしとぞ云てける、關白此由を聞召し悅ひ給ふこと斜ならず、隆景が請に因て其嗣とこそなされてけれ、…
- p003…が手にかけて馬武者十三騎切つて落す、凡そ討取る所の首一万三千二百三十八、太閤に献る、此使者同月廿四日伏見の城に馳せ參る、太閤軍のやうを聞召して御感斜…
- p003…の首一万三千二百三十八、太閤に献る、此使者同月廿四日伏見の城に馳せ參る、太閤軍のやうを聞召して御感斜ならず、石田治部少輔三成密かに申しけるは、金吾殿…
- p003…の後は斯る御振舞なかるべからざる旨を仰せ下さるべうもや候はんと申ければ、太閤實にもと思召す御氣色にて、秀秋が功を賞し給はず、秀秋太閤の仰蒙て城を築く…
- p003…はんと申ければ、太閤實にもと思召す御氣色にて、秀秋が功を賞し給はず、秀秋太閤の仰蒙て城を築くこと九箇所、軍勢を籠め置て同三月十七日釜山の港に船を泛へ…
- p003…助嘉明同じく參る、伏見に在合ふ大名悉く參り集ひ、秀秋の凱陣を賀し申さる、太閤やがて御出ありて御對面訖つて後、太田飛驒守一正秀秋の軍し給ひしやう、一々…
- p003…對面訖つて後、太田飛驒守一正秀秋の軍し給ひしやう、一々に陳じて感じ申す、太閤いや〱大將軍の自ら諸軍と功を爭つて輕々しき軍せんこと然るべからず、我れ秀…
- p003…が首を召されて御憤を散ぜられんやうには計らふべしと、押返し〱申されしかば太閤御座を御立あつて內に入らせ給ふ、治部少輔三成參て秀秋が老杉原下野守山口玄…
- p003…つて內に入らせ給ふ、治部少輔三成參て秀秋が老杉原下野守山口玄蕃允に向ひ、大殿の御氣色よからず先づ御館に歸し入らせ參らせらるべしといふ秀秋聞て、ゑや首…三成が太閤を指す
- p003…にて打刀とつて立つ、德川殿引き留め給ひ、兎かく制して彼舘に伴ひ給ひしに、太閤の御使として尼孝藏主入り來り仰を傳て、抑も去りし頃蔚山の戰に、輕々しき振…
- p003…にもかくにも仰に隨ひ給はん事こそあらまほしけれ、政所の歎かせ給はんには、太閤もさのみは心强くはおはせじものをと仰ければ、さらば秀秋みづから三成が首切…
- p003…家と共に秀秋の事御歎あらんとありしかども、利家辭し申さる、德川殿は日毎に太閤に參り給ひ、仰せ出さるゝ旨もなし、太閤如何にかくは毎日見え給ふやらんと仰…
- p003…も、利家辭し申さる、德川殿は日毎に太閤に參り給ひ、仰せ出さるゝ旨もなし、太閤如何にかくは毎日見え給ふやらんと仰ければ、秀秋の國移されんこと痛はしう覺…
- p003…參り候へども、えこそ申し出され侍らねと答へ給て、其後も日毎に參り給へば、太閣又初の如く仰せければ、德川殿の答へ給ふやうも、初の如くなりしかば、太閤さ…
- p003…、太閣又初の如く仰せければ、德川殿の答へ給ふやうも、初の如くなりしかば、太閤さほどに思ひ給はんには、內府の計ひに任せまゐらすべしと仰ければ、德川殿悅…
- p004…しとありき、是に依て秀秋元の儘に筑前の國を領しけれども、山口には此時より太閤の御家人になされしなり、…
- p005…程なく六月二日に德川殿秀秋と打連れ參らせ給へば、太閤御對面あつて饗宴の儀事終り、秀秋に物多く賜ひ安宅貞宗の刀吉光の脇差大盤…
- p007…太閤薨し給ひ同き五年の秋、德川殿奧の上杉追討のため御下向ありしかば、秀秋も急…
福嶋 第十二上 · 8
- p001…左衞門大夫源正則は、尾張の國の住人福嶋與左衞門尉某が嫡男なり、初め豐臣太閣播磨の國の守護たりし時、正則童なりしより側近く召仕はる、正則は豐臣家に…
- p002…朝鮮の兵と戰ひし時、正則稷山の城に在り外國の人いかに傳へ聞きけん、正則は關白の叔父なれば彼をだに討ち取りなば、軍に勝つ事を得べしとて、三度まで攻め來…
- p003…に移る、二十万石又四位の侍從になされ羽柴の氏を許さる、慶長三年八月太閤薨し給ひて後、德川殿の御養君を松平因幡守康元の娘にて德川殿の御外姪な…
- p005…忘れ參らせず、守殿天下の御大事あらんには正則必御味方仕るべし、さりながら太閤の仰せ置るゝ旨はべれば、正則が身秀賴の世にましまさん限りは、心にも任すべ…
- p006…按ずるに守殿は太閤の御養君たりし故、正則その好みを思ひしにや、又守殿の御身に天下の御大事あ…
- p007…偏に織田有樂大野木村渡邊等が計らひにこそあるべけれ、抑も正則元より故太閤のゆかりに就きて秀賴にも親しく、又家康父子にも疎からず、されば正則が身に…
- p012…事をよく崇め置かせ給ひしは、武庚祿父を殷に封ぜられしにこそ似たれ、いかに故太閤の御子なればとて、此後に及て天下を下げ讓り給はんは、燕王子噲の國を讓りし…
- p012…く罪せられしなどいふは、古の人の云ひけん腐儒の論にてこそあらめ、抑も正則故太閤の御事を慕ひ參らせて、大坂に忠を存ぜしは、其罪にはあらず、天命の既に改り…
加藤 第十二上 · 12
- p001…肥後守藤原清正は初の名は虎之助、生國は尾張國の人、豐臣太閤の外戚に就きて親しかりき…
- p002…村に住し三十八歲にて死す、三歲の幼子あり虎之助と云ふ、これ清正なり、母は秀吉の母と從弟なり、其頃秀吉江州長濱にて五万石を領し給ひしに、虎之助五歲の時…
- p002…、三歲の幼子あり虎之助と云ふ、これ清正なり、母は秀吉の母と從弟なり、其頃秀吉江州長濱にて五万石を領し給ひしに、虎之助五歲の時、母長濱に具し行きて賴み…
- p002…にて五万石を領し給ひしに、虎之助五歲の時、母長濱に具し行きて賴みしかば、秀吉の母の許にて人となり、十五歲にて元服し、百七十石の所領を秀吉より賜ひしと…
- p002…賴みしかば、秀吉の母の許にて人となり、十五歲にて元服し、百七十石の所領を秀吉より賜ひしと云ふ、…
- p005…天下に其名を揚けてけり、時に三千石の地加へ給はりしなり十三年の秋秀吉關白に成り給ひし時、叙爵して主計頭に任す、十六年閏五月肥後の守護佐々陸奥…
- p005…岐天草の城、皆攻め破て一國を平均しぬ、清正一生の武略多き中にも、文祿の初太閤朝鮮を討たれし時、鍋島相良の人々と咸鏡道に攻め入り、清正一勢猶進みて北道…
- p005…れ、散々に打成されて王城に引き返す、清正は北道を打破り兩王子を生捕つて、太閤の御感斜ならず、行長深く耻ち憤り、石田治部少輔三成と謀て清正を失はんとす…
- p005…とす、三成また年ころ清正と間よからねば、小西と心合せて清正が事を讒言す、太閤三成が申す旨に依つて、清正を誅せられんが爲に、本朝に召返さる、慶長元年七…
- p005…れ水涌きて、伏見の城破れ崩る、清正最初に馳せ參て嚴しく警衞したりければ、太閤の御感を蒙て遂に罪ゆるされぬ、案の如く和親事破れ、同き二年七月清正行長ま…
- p006…同き三年八月太閤薨し給ひ、此年十月に至て本朝の軍勢悉くに歸りぬ、是より行長清正と功を爭て…
- p008…我家に歸り、懷よりちいさき刀取り出し鞘より拔て、押戴き頻に淚を流しつゝ、太閤の御恩報い參らする事、今日既に訖んぬと獨語いひけるとなり、これよりさき大…
最上 第十二上 · 5
- p003…同き十八年の秋豊臣關白、關東に下り給ひし時、義光最初に御陣に馳せ加る、かねて都に使を參らせて、…
- p003…、關東に下り給ひし時、義光最初に御陣に馳せ加る、かねて都に使を參らせて、殿下に隨ひ奉りしかば、本領安堵子細あらず、初め織田殿の御時より、德川殿にも常…
- p003…月十二日の夜、大地夥しく震て伏見の城悉くに破れ崩る、爰に有合ふ大名、皆々太閤の御所に馳せ集る、義光一人家子郞等引具して、はだせ馬に打乘て德川殿の御舘…
- p003…も、義光かくて候はんには、御心やすう思召さるべう候と申て御舘を守る、其後太閤自ら茶點して德川殿に參らせらるべきよし仰せらる、事怪しう聞えしかば、義光…
- p003…らん後、とく歸らせ給ふべきにて候と申す、頓て御供して罷り出づ、幾程なくて太閤薨し給ひ、上杉中納言景勝石田治部少輔三成と心を合はせ、德川殿失ひ參らせん…
堀尾 第十二上 · 20
- p001…けりと、人皆大に感じあへり、明れば十七歲の夏の頃、髻あげて茂助と名のり、秀吉朝臣の勸めにて織田殿に召され、頓て秀吉の手に屬せらる、…
- p001…歲の夏の頃、髻あげて茂助と名のり、秀吉朝臣の勸めにて織田殿に召され、頓て秀吉の手に屬せらる、…
- p002…此時太閤近江の國長濱の城を領せられ、吉晴始て百五十石を領せしといふ、又三百石を領…
- p002…に傳ふる傳記に見えし所、彼記に少しく異なり、吉晴童名仁王丸、小太郞と改て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として岐阜の城に參て、此由を織田殿に告…
- p002…く異なり、吉晴童名仁王丸、小太郞と改て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として岐阜の城に參て、此由を織田殿に告て歸る時、只一騎橫山の城に向ひ…
- p002…織田殿に告て歸る時、只一騎橫山の城に向ひ、淺井が物見の兵と戰て、首取つて秀吉に參らす、秀吉大に感じ給ひ小太郞具して岐阜に參り、彼首を献られしかば、織…
- p002…る時、只一騎橫山の城に向ひ、淺井が物見の兵と戰て、首取つて秀吉に參らす、秀吉大に感じ給ひ小太郞具して岐阜に參り、彼首を献られしかば、織田殿小太郞が振…
- p002…つべし、今よりは信長めし仕ふべき者なりと仰ありて、御刀を賜ひぬ、此後常に秀吉の手に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よ…
- p002…信長めし仕ふべき者なりと仰ありて、御刀を賜ひぬ、此後常に秀吉の手に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸…
- p002…に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸めにて織田…
- p002…凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸めにて織田殿に仕へ、又秀吉の手に屬せしといふ事の由、詳かなるに似たり…
- p002…給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸めにて織田殿に仕へ、又秀吉の手に屬せしといふ事の由、詳かなるに似たり、又織田殿狩し給ふ時、大なる猪…
- p002…しかば、堀尾茂助と申せしにより、御家人に召加へられ足輕大將になさる、其後秀吉朝臣に仕ふといふ說あり、誠とし難し…
- p003…息にだにも定かには語らず、おのづから世に顯たる高名廿二箇度、天正五年の秋秀吉播磨の國を領せられし時に、姫路の地わかち賜ふ、千五百石其後丹波の國…
- p003…、四万石同き十八年の秋遠江國濱松の城に移る、十二万石と云初め豐臣家關白に任じ給ひし時、家に五人の奉行職を置かる、前田玄以淺野長政增田長盛…
- p004…人の大名衆と云ひし由、北川二郞兵衞が記に出づ、それを五大老と稱せし事は、太閤薨し給ひし後、大坂の奉行等が言ひ出せる事にて、德川殿も彼家の老と稱せし家…
- p005…太閤薨し給はん年の七月、三人の中老職を定めらる、吉晴その選に入られたり、是は…
- p005…らば、三人の輩其間を和くべき爲とぞ聞えける、按ずるに中老の職と稱せしも、太閤薨し給ひしのち、大老と云ひしに對して起りし名なるべし、又太閤のかく十三人…
- p005…と稱せしも、太閤薨し給ひしのち、大老と云ひしに對して起りし名なるべし、又太閤のかく十三人の人々を選んて、其職を三つに分ち定め置かれし事、めでたき御計…
- p006…太閤薨じ給ひて纔か五月にだに滿たず、大坂の奉行等、利家大納言を勸めて德川殿失…
田中 第十二上 · 4
- p001…人、先祖累代高島郡田中と云ふ所にぞ住してける、長政初め久兵衞尉吉政と申て豐臣家に仕へ、秀次關白いまだ三好殿と申せしより彼家に附けられ、本國甲賀郡八幡山…
- p001…築き子息民部少輔長顯に一万石分ちて守らしむといふ文祿の初め三好殿、養父殿下より關白職ゆづられ給ひ、いつしか御志滿ちて驕生じ、善からぬ御振舞のみ多か…
- p001…ひ思召し、攝津の地河堤のの事、奉行せよと遂に外樣にこそ出されたれ、程なく太閤の爲に罪かうむらせ給ひ、彼の御家人等も悉く誅せられにけり、吉政ばかりぞ太…
- p001…閤の爲に罪かうむらせ給ひ、彼の御家人等も悉く誅せられにけり、吉政ばかりぞ太閤の御感には預りける、慶長五年の秋德川殿、上杉中納言追討のため御下向ありし…
中村 第十二上 · 4
- p001…姓いまだ詳ならず式部少輔一氏が男なり、一氏父孫平次一政と共に年ころ豐臣太閤に仕へ初め和泉國岸和田の城を賜ひ、…
- p003…き中にも、同き十八年北條を討たれし時、山中の城の先登し忽に城を攻め落し、關白の御感かうむり、勳功の賞として駿河國を賜り、我身は國府の城に在て舍弟彥右…
- p003…にも、彼境をば避け給ひ又一氏も境をば接しながら、敢て隣國の好をも通せず、太閤薨し給ひなん年の七月、中老の職になされ天下の政務に預りぬ、幾程なくて大坂…
- p003…川殿失ひ參らせんと謀るに至て、一氏郞等藪內匠助を德川殿に參らせ、一氏初め故太閤の仰を承り關東を鎭めんがため我國を守る、されば人臣の義、方外の交なきが故…
筒井 第十二上 · 5
- p008…來れるは十一日の事也順慶返答にも及はず、一紙の起請文書て裏切すべきよし羽柴筑前守秀吉の許に云ひ送り、村田今井其使たり自ら七千人を率ゐて、宇治道を經て京…
- p008…十五日に打立つ山崎の戰既に事終りぬるに及んで、三七殿の御陣にぞ參りける秀吉順慶が味方せしさま、言甲斐なしと思ひしかど、筒井元より有勢の者にして近江…
- p009…ば陣中に死去せしなり、一說に八月十一日に死すといふ、いぶかし、又初め順慶秀吉に申て香原五郞を世嗣にせんとす、五郞從はざりしかば、四郞をして家繼がせし…
- p010…十三年七月秀吉關白になられし日、定次侍從に任し、閏八月伊賀の國を賜ひ上野の城に移る、…
- p010…賀の國を賜ひ上野の城に移る、十二萬石を領す鎭西關東朝鮮等の軍に從ひ大閣薨じ給ひし後、慶長五年の夏、中納言景勝追討のため德川殿御下向ありし時、定…
里見 第十二上 · 2
生駒 第十二上 · 2
寺澤 第十二上 · 5
- p001…えける、廣高が父尾張の國の住人越中守廣正、織田殿に隨ふ其後廣正廣高父子、豊臣家に仕へ次第に身を起して、肥前の國唐津の城を賜る…
- p002…八万石を領す一說三万千三百石といふ、思ふに初め三万千三百石にて、太閤朝鮮を伐ち給ひし日、彼れが所領の地名護屋に御陣を召されしかば、所領加へ賜…
- p002…後なるべし、多門院日記に寺澤越中守は日本國の米奉行にて、六万石の知行取、太閤一段御目を掛け召仕はれ候ふ六人の內なり、天正二十年九月太閤の勘當を受けし…
- p002…万石の知行取、太閤一段御目を掛け召仕はれ候ふ六人の內なり、天正二十年九月太閤の勘當を受けしと見ゆ、…
- p003…朝鮮の軍に廣高先陣して彼國に押渡り、戰ふこと凡そ七年、太閤薨し給ひてのち、慶長四年九月島津が家人伊集院源治郞、主を恨みて、おのが城…
富田 第十二下 · 6
- p001…が男也、或書には左近將監信廣と云ふ左近將監初め平左衞門尉と申して、豐臣太閤いまだ近江の國長濱の城、領し給ひしより仕へ參らせ、一生の高名多き中に、天…
- p001…濱の城、領し給ひしより仕へ參らせ、一生の高名多き中に、天正十二年の春北畠羽柴不快の事起てのち、秀吉の仰せ承りて平左衞門尉、瀧川左近將監一益と共に伊勢…
- p001…仕へ參らせ、一生の高名多き中に、天正十二年の春北畠羽柴不快の事起てのち、秀吉の仰せ承りて平左衞門尉、瀧川左近將監一益と共に伊勢國木造の城を守る、戸…
- p001…になつて出づ、同二十七日一益再ひ木造の城に歸り來る、富田かくと聞て、一益羽柴殿の御爲に守れる城を私に去りて後、かたきの中より歸り來る事、疑ふ所なきにあ…
- p001…かたきの中より歸り來る事、疑ふ所なきにあらずとて、城中に入る事を許さず、秀吉富田が振舞ひを大に感じ給ひ、從五位下に叙し左近將監に任し、伊勢國安濃津の…
- p002…房守が上野國沼田の城を、北條に下け渡せし時にも、富田は津田隼人佐と二人、關白の御使として下向しき、されば或記にいふ所の如く初め彼家にて事を執りしなる…
稻葉 第十二下 · 2
德永 第十二下 · 5
- p001…家の老なり、勝豐は勝家が甥にて養子たり勝家勝豐年ころ其間快からず、羽柴柴田の軍起るに及で、秀吉石見守等を召て其主人伊賀守が許に使として、味方に…
- p001…が甥にて養子たり勝家勝豐年ころ其間快からず、羽柴柴田の軍起るに及で、秀吉石見守等を召て其主人伊賀守が許に使として、味方に與みすべきよしを云ひ送ら…
- p001…許に使として、味方に與みすべきよしを云ひ送らる、勝豐頓て養父勝家に背きて秀吉に心を通す、天正十一年四月勝豐病甚しく醫療を加へんとて、おのが守る本山の…
- p001…加へんとて、おのが守る本山の要害を去て都に登る、石見守等勝豐が軍勢引具し秀吉の陣に馳せ加る、志津が嶽の合戰敗れて後、勝家終に亡びにけり、石見守この後…
- p001…の陣に馳せ加る、志津が嶽の合戰敗れて後、勝家終に亡びにけり、石見守この後秀吉の御家人になされ、入道ののち式部卿法印になされ、美濃國松木の城を領してけ…
古田 第十二下 · 3
古田 第十二下 · 4
山崎 第十二下 · 1
- p001…ふと聞えければ、頓て信長の御方にこそ參りてけれ、左馬允家盛父に繼き、信長秀吉に仕へ參らせて攝津國三田の城を賜て移る、二万石慶長五年東西の軍一時…
本多 第十二下 · 2
松下 第十二下 · 1
- p001…四郞高綱が後といふ吉綱が父加兵衞尉之綱は、遠江の國頭陀寺の城に住す、豐臣太閤初めはこの之綱が家の奴にてぞまし〱ける、其後天下の事知召されしに至て之綱…
高橋 第十二下 · 2
關 第十二下 · 5
- p001…婿にこそなしてけれ、三七殿失せ給ひしのち、右兵衞佐北畠殿に組みしければ、秀吉にも見參あるべしとて都に登る、かゝる所に初め二男に家繼がせんと詮議せし關…
- p001…立籠る、万銕齋入道父子都に上るに及ばず、路次より近江の國に趣き蒲生を賴み秀吉の加勢乞て、龜山の城を攻め落す、秀吉城をば賢秀が男忠三郞氏鄕に賜ふ、氏鄕…
- p001…ず、路次より近江の國に趣き蒲生を賴み秀吉の加勢乞て、龜山の城を攻め落す、秀吉城をば賢秀が男忠三郞氏鄕に賜ふ、氏鄕畏て累代傳領の地失はしむる事不便なり…
- p001…とて、關にぞ下し給ひける、此年氏鄕叙爵して飛驒守になる、明れば天正十二年秀吉氏鄕に伊勢松が島の地を賜ひ、關右兵衛佐田丸中務少輔は蒲生が所…
- p001…丸は川中島の城を給ひしなり當國は寒氣殊に甚しとて二人共に嫌ひ申ければ太閤薨し給ひしのち、同き四年の春德川殿の御計らひとして、二人又同じく美濃國に…
杉原 第十二下 · 1
- p001…り妹は杉原入道道松が妻にて、豐臣太閤家政所の御母公なり、家次所緣に就て秀吉の家に親しかりしかば、彼家に仕へて天正十一年九月九日五十四歲にて死す、…
前田 第十二下 · 1
- p003…、此人元より止觀の窓に入て圓頓の敎に從ひ、殊に當時有職の聞えありしかは、豐臣太閤天下知召されし初め、彼家の奉行五人の上首として、丹波の國八上の城を賜る、…
松倉 第十二下 · 1
- p001…、筒井等の大名を召し定む凡十一人、其中松倉彌八郞同彌二郞等を載せて是則ち羽柴筑州の異見たり、各々大坂に越し禮を申す、松倉彌八郞は越智三千石を與ふと見えた…
平岡 第十二下 · 1
- p002…は毛利元就の孫婿にて候ひしが、土佐の長曾我部元親が爲に戰負て元親に属す、豐臣太閤元親を攻め降し給ひ、通直が振舞ひ言がひなしとて本領を召放され、小早川左衞…
藤田 第十二下 · 2
竹中 第十二下 · 7
- p003…重治其後織田殿に從ふ、元龜三年織田淺井不快の事起て、木下藤吉郞秀吉を差向けらるゝに及んで、重治に寄騎の侍多く付けて秀吉に副へられたり、是よ…
- p003…の事起て、木下藤吉郞秀吉を差向けらるゝに及んで、重治に寄騎の侍多く付けて秀吉に副へられたり、是より常に秀吉を助けて、謀を運らし戰を决す、初め豐臣太閤…
- p003…けらるゝに及んで、重治に寄騎の侍多く付けて秀吉に副へられたり、是より常に秀吉を助けて、謀を運らし戰を决す、初め豐臣太閤多くの武功を顯し、織田殿の御感…
- p003…けて秀吉に副へられたり、是より常に秀吉を助けて、謀を運らし戰を决す、初め豐臣太閤多くの武功を顯し、織田殿の御感に預り給ひしこと、偏に重治が助け參らせしに…
- p003…殿の御感に預り給ひしこと、偏に重治が助け參らせしに依てなり、天正七年の春秀吉を助けて播磨の國三木の城を攻む、心地例ならず醫療加へんとて都に上る、我が…
- p003…せ置き、城攻め落したらん後は、必世を遁れんと思ひしと見えきといふ、想ふに秀吉我が勢ひの起るに從ひ、我が才の重治に及ばぬ事を知り給ひ、彼を深く忌み思ひ…
- p004…丹後守重門童名は吉助、七歲にして父重治におくれ、秀吉天下の事を知召されて後十六歲にして從五位下丹後守になさる、菩提六千石を…
佐久間 第十二下 · 4
石川 第十二下 · 15
- p003…らずといふ事なく、一度も不覺の名を取らず、天正十一年五月數正御使を承て、羽柴筑前守秀吉の許に行き向ひ、彼の大坂の城に移りし事を賀せらる、明れば十二年の春より秀…
- p003…吉の許に行き向ひ、彼の大坂の城に移りし事を賀せらる、明れば十二年の春より秀吉、北畠殿と不快の事あつて德川殿、信雄を助け給ひ美濃尾張伊勢の間にて、秀吉…
- p003…秀吉、北畠殿と不快の事あつて德川殿、信雄を助け給ひ美濃尾張伊勢の間にて、秀吉と戰はせ給ふ事凡十餘箇度、秀吉の軍遂に一度も勝つ事を得ず、此年六月十八日…
- p003…川殿、信雄を助け給ひ美濃尾張伊勢の間にて、秀吉と戰はせ給ふ事凡十餘箇度、秀吉の軍遂に一度も勝つ事を得ず、此年六月十八日數正前田の城を攻め落す、同十一…
- p003…軍遂に一度も勝つ事を得ず、此年六月十八日數正前田の城を攻め落す、同十一月秀吉信雄と中直りす、數正又御使承り秀吉の許に參る、これ兩家中平きしを賀せらる…
- p003…十八日數正前田の城を攻め落す、同十一月秀吉信雄と中直りす、數正又御使承り秀吉の許に參る、これ兩家中平きしを賀せらるゝ爲とぞ聞えたる、同十二月秀吉北畠…
- p003…承り秀吉の許に參る、これ兩家中平きしを賀せらるゝ爲とぞ聞えたる、同十二月秀吉北畠殿によつて、於義丸殿結城殿の御事乞ひ受けて養君とせらる、數正が…
- p003…御事乞ひ受けて養君とせらる、數正が二男勝千代丸、御供にぞ侍ひける、此後秀吉内大臣正二位に歷昇り關白職に任して後、德川殿に見參の事申されしかど御承引…
- p003…三日數正妻子引具し、信濃の小笠原が人質盜み出し、岡崎の城を去て都に上る、關白大に悅び給ひ、十四年正月十八日和泉の國を賜ふ、…
- p004…初め長湫の戰に池田森討たると聞て、秀吉樂田の陣を去て長湫の方に馳す、小牧の御陣に留められし人々、戰ひ勞れたる味…
- p004…この議に同ぜず、人々これを怪みて軍を出さず、後に思ひ合はするに、此程より秀吉に心を通はせしと見えき、又數正が累代の君に背きて上方に參りし事、初め御使…
- p004…せしと見えき、又數正が累代の君に背きて上方に參りし事、初め御使承りて度々秀吉に參りしに、彼が武勇を譽て秀吉が方に參らんには、祿は十万石を賜ふべき者を…
- p004…に背きて上方に參りし事、初め御使承りて度々秀吉に參りしに、彼が武勇を譽て秀吉が方に參らんには、祿は十万石を賜ふべき者をと常に宣ひき、若し又我子失はれ…
- p005…水野和泉守忠重と二人同しく彼家の軍奉行を承り、出雲守になさる、其後德川殿關白家に親しうならせ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見參す、…
- p005…の軍奉行を承り、出雲守になさる、其後德川殿關白家に親しうならせ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見參す、十八年相摸の北條滅びしのち、…
日根野 第十二下 · 1
- p001…藤原吉明は故織部正高吉が男也、系譜を見ねば先祖の事いまだ知らず高吉豐臣太閤の御時、信濃國諏訪郡を賜りて高嶋の城にあり、是天正十八年の事なり二万…
成田 第十二下 · 9
- p003…の國に向ひし時、父子中直りし入道城中に入て跡の事を計らふ、天正十八年の春豐臣關白、北條を討たるべしと聞ゆ、下總守氏長おのが城には軍兵四百餘騎を籠めて、我…
- p003…謀て攻め損したりといふなり淺野彈正少弼長政、岩槻の城を攻め下し、關白の仰せ承て寄手の陣に馳せ加る、長政頓て謀を運らして城中に返り忠の者出來て…
- p003…筆の人なりけり同じ道にすきしかば、遙に消息を通して相語ふこと年を經ぬ、關白かねて此事を知召し、長俊を御陣に召され城中の兵今は降人に成て參らんと思ふ…
- p003…ば、長俊畏て承り文かいて送る、成田大に悅て味方に參るべき由をぞ答へける、關白この文を御覽して德川殿に參らせられ、城中に籠る所の宗徒の輩、既にかくの如…
- p003…ひしかば、成田使者に對面して仰の旨承りぬ、抑も氏長和歌の友として、年ころ關白の御家人山中山城守長俊と音信を通ず、此事かねて屋形にも知召されて候ひき、…
- p003…く北條滅びしかば成田も希有に命いきて城中を出でぬ、仕出したる事もなければ關白の御恩に預るべしとも見えず、北條が國々德川殿の御領となつてければ、おのづ…
- p004…此時關白成田をも誅せらるべし、但し首つがんと思はんには黃金千枚を參らすべしと仰せ…
- p005…が家に仕ふ、明れば十九年の夏九戶が亂平きで、氏鄕勸賞を賜ひし後、氏長をば關白に召出されて下野國烏山の城賜る、二万石是れは北條が亡びしのち、關白…
- p005…關白に召出されて下野國烏山の城賜る、二万石是れは北條が亡びしのち、關白奥に向はせ給ふ時、成田が妹無双の美人なりと聞召し、下野の國小山の邊百々塚…
佐野 第十二下 · 3
瀧川 第十二下 · 15
- p007…の功を賞して此年の冬伊賀の國悉く雄親に賜ふ、幾程なくて國中悉くに平きぬ、筑前守秀吉かくと聞いて、あつぱれ大剛の者なりと感じ給ふこと斜ならず、…
- p009…明れば十一年の夏、信雄秀吉に心合せて舍弟三七信孝を滅す、秀吉又信雄を失はんと謀て、先づ彼家人等味方…
- p009…明れば十一年の夏、信雄秀吉に心合せて舍弟三七信孝を滅す、秀吉又信雄を失はんと謀て、先づ彼家人等味方させんが爲に、悉く其人質を請ふ、雄…
- p009…せんが爲に、悉く其人質を請ふ、雄親信雄の命に從て、おのが子を參らせたを、秀吉脇坂中務少輔安治して守らせらる、十二年の春信雄始て秀吉の謀を知て軍起さん…
- p009…が子を參らせたを、秀吉脇坂中務少輔安治して守らせらる、十二年の春信雄始て秀吉の謀を知て軍起さんとする初、雄親脇坂が許に來て妻がいたはり、以の外に侍れ…
- p009…、此世の名殘を惜ませばやと望て、おのが質を取返し伊賀の國に馳せ歸りける、秀吉かくと聞て大に怒り給ひしかば、脇坂手勢廿騎ばかり引具して鞭鐙合せて追ひ懸…
- p009…徳川殿より服部半藏に鐵砲百挺附けて此城に籠められしなり去程に秀吉信雄亡さんと、伊勢尾張の國々に發向し、軍勢を引分け舍弟美濃守秀長を後に…
- p009…將軍として、大名餘多つけて伊勢の國に差向く、秀長まづ松が島の城に押寄す、秀吉自ら尾張の國に向て德川殿と戰ひ、負軍し池田森等を始めとして兵多く討る、味…
- p009…り雄親松が島を去て又濱田の城に籠る、此時雄親大船を城中に引き入れしを、秀吉聞召し不審し給ひて其後に下總守を御家人になされし時、尋ね給ひしに、君もし…
- p009…し我城を水攻にし給はん時の料に候ひきと申せしかば、大に感じ給ひしとなり、秀吉は水攻を好み給ひ、此城又水にて攻めよかんなるが故に、かくは謀りしとなり、…
- p010…此年十月廿日秀吉信雄中直りし戰を止む、同き十三年の夏關白秀吉四國の地退治あつて後、伊勢の…
- p010…此年十月廿日秀吉信雄中直りし戰を止む、同き十三年の夏關白秀吉四國の地退治あつて後、伊勢の國神戶の城を信雄に附けらる、信雄彼城を下總守…
- p010…し故なり又此頃下總守は名を改めしなり同き十八年相摸の北條滅びし時、信雄關白の爲に國奪はれし後、下總守雄利、殿下に召され神戶の城を賜ひ二万石羽…
- p010…同き十八年相摸の北條滅びし時、信雄關白の爲に國奪はれし後、下總守雄利、殿下に召され神戶の城を賜ひ二万石羽柴を名のらせ御相伴衆になされて常に御…
- p010…を賜ひ二万石羽柴を名のらせ御相伴衆になされて常に御側に侍らひたり、太閤薨し給ひし後、慶長五年の秋大坂の奉行等、德川殿失ひ參らせんとせし時、雄利…
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