f201.p001校訂85L:8–12織部正藤原吉明は故織部正高吉が男也、系譜を見ねば先祖の事いまだ知らず高吉豐臣太閤の御時、信濃國諏訪郡を賜りて高嶋の城にあり、是天正十八年の事なり二万八千石を領すと云高吉卒して後吉明幼くして家を繼ぐ、童名は德太郞生年十三歲にして關が原の戰の時、東國の御方として中納言殿の仰せ蒙り、おのが城に止て眞田安房守昌幸を防く、明れば六年下野の國壬生の城に移る、
f201.p002校訂85L:13–1486R:1–1此時一萬五千石を賜ふといふ、高嶋の城は諏訪が累代傳領の所なれば、彼に賜ふが故に、日根野をば壬生に移されしなり、思ふに此人幼くして當家にさせる功なければ、所領は減ぜられしなるべし、
f201.p003校訂86R:2–4成人ののち從五位下に叙し織部正に任し、大坂前後の戰に將軍家の先陣打て馳せ向ひ、首きつて献る七寬永1十一年十月十七日豐後の國府内の城に移る、五千石を加へられ二万石を領せし也明曆二年三月廿七日七十歲にして卒し、一說に六十九歲といふ世嗣なければ家たえぬ献る七寬永 — 底本のまま。「献る」の後の句読点の位置に「七」が印字された底本の誤植とみられる