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真田昌幸
本文表記 眞田・昌幸・眞田安房守昌幸・安房守・安房守昌幸・眞田安房守・眞田昌幸・眞田父子・眞田源五郞・武藤喜兵衞・眞田父子兄弟・安房守昌幸入道
保科 第一 · 1
- p001…る、正直後陣に下つて敵の勢を追はらひ、難なく引てぞ歸りける、十三年閏八月眞田が城をせむ、御方利なかりしによつて、正直も引かへして、おのが城にかへる、…
酒井 第四上 · 1
- p010…明れば、天正十五年正月信濃の眞田、小笠原が、關白殿へ參りけるに、忠次相倶して、大坂に趣き、今年十一月十五…
井伊 第四上 · 1
- p004…に詳なり、十三年正月秀吉正二位内大臣になり、七月關白に任ず、八月信濃國眞田安房守昌幸が關白に組みし參らせ、德川殿に背きしかば、御勢を差向けらる、御方利なかり…
榊原 第四上 · 7
- p003…氏規を都にのぼせられしに、德川殿よりも、康政を副らる、北條の望にまかせ、眞田安房守昌幸、關白殿の仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御…
- p003…仰奉りて、上野國沼田の城を北條へ下げわたしゝ時も、康政關白の御使に副て、眞田が許に行向ふ、然れども、北條終に上洛なかりしかば、同じき十八年關白殿に攻…
- p003…して上方へ向かはせ玉ふべきにて、中納言殿は山道を打て登らせ玉ふに、信濃の眞田が上田の城に立こもつて、御勢を遮らんとす、本多佐渡守正信申す、安房守が勢…
- p003…信濃の眞田が上田の城に立こもつて、御勢を遮らんとす、本多佐渡守正信申す、安房守が勢にて城を出て戰はん事叶ふべからず、たゞ打棄てゝ片時も早く御登りあつて…
- p003…玉ふ、正信が計らひにて、直路は敵に近しとて、避られし故とぞ申ける、康政は眞田が軍せんやう、如何ほどの事かあらん、打出なば蹴散らして、その城を蹈み破て…
- p003…蹈み破て、くれんずものをとて、おのが手勢ばかりにて、城近く押して通るに、昌幸敢て止めんともせず、關が原の軍事終りぬと道にて聞召、中納言殿殊の外、憤ら…
- p003…さん事、大方いさみし申す人あるまじものを、などわどの先陣して、一日の內に眞田が、城を攻やぶつて、とく御供しては上らぬぞ、若しさもあらんには、たとへ海…
大久保 第四中 · 7
- p003…碓氷峠を打越え信濃の國より甲斐の國に入て、德川殿と戰ふ、忠世又計らうて、眞田安房守昌幸、御方に參る、斯て諸方の戰ひ、氏直の軍盡く利を失ひ、德川殿に中直りし、信…
- p003…し程に、明れば十一年三月に、諏訪父子また御方に參る、又上田の城をも取て、眞田に與へけり、十二年德川殿、北畠殿を助けて、尾張國に向ひ給ひしかば、忠世御…
- p003…年二月の事とす、山中忠兵衛か記を見るに天正十一年より十二年に至て、依田眞田と戰ふ事、度々に及ひ、中にも十二年八月二日、加野川の戰に、首二百餘を…
- p005…落す、信蕃既にして死し、子息いまだ幼なし、忠世小諸の城に留る、今年の秋、眞田又叛きしかば、討手の勢を向られ、忠世同く押寄たり、御方攻損じて引返す、忠…
- p005…、當國の國人等皆御敵とこそ成べけれ、また信玄の子に龍寶と申が、盲なるを、眞田が主になさんとて、越後國より迎て、甲斐の國へ打入んとすと聞ゆ、もし風聞の…
- p009…、子息加賀守忠常、此時新十郞といふ、本多正信佐渡守隨ひ奉る、眞田安房守昌幸、上方に心合せて、信州上田の城に立籠る。康政忠隣まづ手合に眞田が伊勢崎の…
- p009…眞田安房守昌幸、上方に心合せて、信州上田の城に立籠る。康政忠隣まづ手合に眞田が伊勢崎の要害を落す、八月五日先陣の軍勢等粮料の爲に、敵の地に押入て、稻…
戶田 第四下 · 1
- p001…軍起りし時、中納言殿に屬ひ參らせて、山道より馳上り、信濃の國に至り給ひ、眞田安房守昌幸が籠たる上田の城を攻めさせらる、評定あり、本多佐渡守正信、只打捨て御通り…
牧野 第四下 · 1
- p003…りしに、康成子息新二郞忠成父子、中納言殿に從て、山道をのぼる、八月七日、眞田昌幸が兵、上田の城より切て出て御方散々に打なさる、新二郞忠成、生年十八歲、手…
小笠原 第六 · 4
- p001…なる、かくて越後の上杉、當國に攻入るべしと聞えしかば、貞慶同國の住人高坂眞田等の人々と同しく、越後國に使者を參らせ、景勝に從ふ、景勝程なく、其勢四千…
- p001…りしなり、碓氷の峠を打越えて、是も信濃に打入たり、貞慶を先として、高坂眞田等、北條の多勢をや恐れけん、忽に上杉を背きて、北條に從ひ、景勝と戰はんと…
- p001…さる、同き十二年、德川殿北畠殿を援ひ玉ひ、秀吉と軍起る、此頃より貞慶また眞田と同しく、秀吉と心を合す、十三年十一月、石川伯耆守數正、岡崎を去て秀吉へ…
- p001…さて殿下に見參仕るべきよしを申す、十五年の正月、酒井左衞門尉忠次、小笠原眞田を具して上洛せり、同き十八年、關白殿、北條を伐ち玉ひし時、貞慶忽に罪蒙る…
岡部 第六 · 1
- p001…平岩のめん〱と、同しく取てかへして戰ひ、同き廿日、長盛一勢人まぜもせず、眞田父子と戰て、御感にこそ預りけれ、御書を給て賞せらると云、十六年四月、従…
諏訪 第六 · 3
屋代 第六 · 1
- p002…夏目が記を考るに、去年六月、高坂小笠原眞田等上杉に背き、北條に組せし時、事顯れて、高坂源五郞誅せられ、國人等が謀事…
森 第七下 · 1
- p001…りし時、忠政初め東國に馳せ下り、又引返し、中納言殿の御供して山道を上り、眞田安房守昌幸を防がんがため、本國に留る、慶長八年二月六日、美作の國を賜て移る、十八…
上杉 第八下 · 2
眞田 第九上 · 38
- p003…と云五十騎の大將兄弟ともに天正三年五月廿一日長篠の合戰に打死す、三男安房守昌幸、四男隱岐守信尹と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞…
- p003…篠の合戰に打死す、三男安房守昌幸、四男隱岐守信尹と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞田源五郞と申て、晴信入道に近く仕へ、近習六人の中に…
- p003…安房守昌幸、四男隱岐守信尹と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞田源五郞と申て、晴信入道に近く仕へ、近習六人の中に、選み入られ、又…
- p003…幸、四男隱岐守信尹と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞田源五郞と申て、晴信入道に近く仕へ、近習六人の中に、選み入られ、又足輕の大將承り…
- p003…申て、晴信入道に近く仕へ、近習六人の中に、選み入られ、又足輕の大將承り、武藤喜兵衞と改め兄が打死したりし後、其家を繼き、信濃國上田の城に在て、眞田安房守と…
- p003…、武藤喜兵衞と改め兄が打死したりし後、其家を繼き、信濃國上田の城に在て、眞田安房守とぞ名乘りける、此時三万八千石計りの地を領したりと云ふ天正十…
- p003…又討れ給ひ、上杉彈正大弼景勝、又當國に發向すと聞えしかば、信濃國の國人、眞田蘆田小笠原を始て、永く上杉が被官たるべしと、起請文を書て、越後國へぞ參ら…
- p003…、起請文を書て、越後國へぞ參らせたる、同き六月十八日、景勝信濃に發向す、眞田を始て、國人等皆上杉が陣に至て見參す、斯る處に、北條左京大夫氏直、武藏上…
- p003…武藏上野を經て、信濃國を隨へんとて、碓氷の峠を押渡て、是も信濃國に入る、眞田等また北條が多勢なるをや、賴みけん、氏直に心合せ、うら切して、景勝うたん…
- p003…聞くよりも、海津の城に住したる高坂源五郞が首切て、北條が陣に送りければ、眞田等はや顯はれぬと、氏直の先陣して、川中島に向つて、上杉と戰はんとす、上杉…
- p003…戰七十餘度、北條一度も利なくして、德川殿に、中直りし、相摸國に引返さる、眞田は軍半より、又北條に背き、德川殿に從ひ、本領安堵して、上野國沼田の城を始…
- p003…し國々を分ちて、甲斐信濃は德川殿、上野は氏直領せんと約し訖んぬ夫に信濃の眞田が、上野に亂れ入て、沼田の庄を取て、押領する事、甚奇怪と云つべし、すべか…
- p003…し、御勢を助け參らすべきにて候とぞ宣ひける、德川殿此由を聞し召し、さらば眞田沼田の城を去て、北條に附け與ふべしと下知し給ふ、昌幸承り、この沼田の城と…
- p003…由を聞し召し、さらば眞田沼田の城を去て、北條に附け與ふべしと下知し給ふ、昌幸承り、この沼田の城と申すは、故主武田殿も賜はらず、又德川殿よりも賜はらず…
- p003…り、この沼田の城と申すは、故主武田殿も賜はらず、又德川殿よりも賜はらず、昌幸が自らの武勇に依りて、攻め取つたる所なり、如何でたやすく、人手にや渡すべ…
- p003…せて、上杉の家人須田相摸嶋津淡路に就きて、景勝に申しけるは、昌幸むかし北條に從ひ屋形に背き參らせし事、旣に本意を失ひ、後悔また及ひ難し、…
- p003…隨はしめ、また侍百騎、常に御陣に從つて、御馬の草、苅らせ候ひなん、况んや昌幸が二心を存せず、微忠を抽て候はんことをや、此誓たがふ事あるべからずと、牛…
- p003…文かきて奉る、景勝折ふし越後の國新發田の城攻めて居たりしが、此由を聞て、眞田めが、初め景勝に叛て、北條に隨ひ、北條見侮つて、家康に降り、今家康を恨て…
- p003…れ忽に亡びなん事も、不便なり、又家康が武勇に恐れて、景勝事を左右に寄せ、眞田見捨てたりと云はれんも、口惜しき次第なり、いで〱景勝助くべしと申せとて、…
- p003…も、口惜しき次第なり、いで〱景勝助くべしと申せとて、使をば返へされたり、眞田既に背きぬと、聞えしかば依田右衞門佐信蕃、手勢千五百、小諸の城を打立て、…
- p003…百人、猿馬塲の此方に陣を取る、去程に德川殿の御勢、近付きぬと聞えしかば、昌幸まづ越後の軍勢を、上田の城に籠置て、我身は手勢九千餘人、小野山に陣を取る…
- p003…勢、利なくして、上田の城より引返せば、越後國の軍勢も、本國にぞ歸りける、昌幸大に悅ひて、二男源次郞幸村、十八歲になりけるを、越後國に參らす、景勝やが…
- p003…かへさせ、常に越後國に參らせ置く、斯て天下悉く關白に歸しぬと聞えければ、昌幸又かの家人大谷刑部少輔吉繼に、案內を通し、殿下に伺候すべきよし、密に望み…
- p003…ん條、今なんぞ天裁を仰くべき、去ながら秀吉密に計らふべき樣ありとて、まづ眞田して、沼田の城を去らしめ、かの城に替へん地は、德川殿より宛て行はるべき由…
- p003…べき由を仰せらる、德川殿聞召し、信濃國の御領にて、沼田に換ふべき所をば、眞田にぞたぶたりける、氏直頓て猪股能登守範直して、沼田の城を請取らしむ、爰に…
- p003…の城を請取らしむ、爰に沼田の庄に名胡桃と云ふ城あり是をも猪股取らんとす、眞田聞て關白の仰にも、沼田の城、參らせよとこそ承るれ、名胡桃まゐらせんこと、…
- p005…り給ひ、上野の國は御領となり、信濃國をば、關白家へ參らせらる、東國にて、眞田に賜ひし地の代り、德川殿又候ふ沙汰あるべしとありければ、元の沼田の地、眞…
- p005…田に賜ひし地の代り、德川殿又候ふ沙汰あるべしとありければ、元の沼田の地、眞田に返し與へらる、嫡子源三郞信幸、初より此所を領せしに依て再ひ沼田の城に移…
- p005…幸、初より此所を領せしに依て再ひ沼田の城に移り、德川殿の御被官となりぬ、昌幸が上田の城、初より德川殿の御領の外なれば、元の儘にぞ賜ひける、其後源三郞…
- p005…谷の婿と成てけり、慶長五年、德川殿、奧の上杉討たるべしとて、御下向あり、眞田父子兄弟、催促に隨ひ、打連て向ふ、下野國宇都宮の邊り、犬伏と云ふ所に至る、石田大…
- p005…野國宇都宮の邊り、犬伏と云ふ所に至る、石田大谷等が牒狀、此所に到來せり、安房守是を讀み終て、まづ二男左衞門佐が方に差出す、幸村兄に向て色代す、信幸たゞ…
- p005…て色代す、信幸たゞ夫れにて見候へ、如何なる事にやあらんと云ひければ、其時昌幸されば此程人の申せしに違はず、上方の軍又起れり、昌幸御方に參るべしと、秀…
- p005…んと云ひければ、其時昌幸されば此程人の申せしに違はず、上方の軍又起れり、昌幸御方に參るべしと、秀賴の仰を蒙りぬ、扨おことは、如何にや思ふと問ふ、伊豆…
- p005…所、信幸に於ては、關東の方人して、彼家と共に興亡を同う仕るべう候と申す、昌幸强て留むるに及ばず、父子兄弟、忽に引き別れ、信幸東へ參りければ、昌幸幸村…
- p005…す、昌幸强て留むるに及ばず、父子兄弟、忽に引き別れ、信幸東へ參りければ、昌幸幸村、是より信濃へ引返して、西へこそ隨ひけれ、德川殿、此由を聞召し、御消…
- p005…給て、信幸が志を感し給ふこと斜ならず、中納言殿、山道より攻登らせ給ふ時、昌幸幸村、御勢を留め參らせんと計る、信幸先陣賜はりて、伊勢崎の要害、攻破て後…
- p005…原の合戰終て、天下悉く德川殿に歸し參らせ、伊豆守信幸、勳功の賞に申替へて昌幸幸村、死刑をば宥めらる、信幸大に悅て、此由を告しかば、父子上田の城を出て…
- p005…大に悅て、此由を告しかば、父子上田の城を出て、高野山に遁れ、慶長十四年、安房守昌幸入道、年六十五歲にて死しぬ、左衛門佐幸村は、大坂の軍起りし時、子息大助、引具…
仙石 第九上 · 2
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…先陣して秀吉の勢を打破り、蟹江の城を攻め落し、同き十三年八月味方の人々、眞田が城を攻めて利を失ふと聞えしかば、井伊松平が勢と同じく馳せ向ひ味方迎へて…
平岩 第十一 · 1
- p002…其隙を伺ひしに、親吉公平の政を施しけるほどに、動きなく國治る、同き十三年眞田が城を攻めて味方利を失ひしにも、親吉が一勢、追ひ來る敵うち破りて引き返す…
富田 第十二下 · 1
- p002…使承て上洛せしに、富田が家を旅館に點せられ、其後相摸の北條が訴に依つて、眞田安房守が上野國沼田の城を、北條に下け渡せし時にも、富田は津田隼人佐と二人、關白…
藤田 第十二下 · 4
- p001…し輩、悉く攻め殺して城をば武田に參らせたり、勝賴大に悅て頓て沼田の城をば眞田安房守昌幸に賜る、信吉には沼田上中下の三箇庄は言ふに及はず、本領悉く賜ひ、合て五…
- p001…田滅ひ、信長の侍大將瀧川左近將監一益、東國の守護として厩橋の城に下向す、眞田瀧川に属して沼田の城をさけ渡す、瀧川軍兵を分つて守らせたり、此年六月信長…
- p001…方に歸らんとす、藤田能登守信吉舊領なれば沼田の城賜はらんといふ、瀧川初め眞田が手より取りたる城なり、眞田にこそ返し渡さめとて許さず、信吉むかし北條に…
- p001…吉舊領なれば沼田の城賜はらんといふ、瀧川初め眞田が手より取りたる城なり、眞田にこそ返し渡さめとて許さず、信吉むかし北條に叛きし身なり、信長失せ給ひぬ…
石川 第十二下 · 1
- p005…關が原の戰には東國の御方として、康長中納言殿の御供して山道より打て上る、眞田が城を守るべしとの仰せ蒙て、おのが城に止りけり、慶長十八年十月十九日康長…
日根野 第十二下 · 1
- p001…にして關が原の戰の時、東國の御方として中納言殿の仰せ蒙り、おのが城に止て眞田安房守昌幸を防く、明れば六年下野の國壬生の城に移る、…
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