家一覧 › 第九上 › f110
分部
この家によく出る人物・地名
人物 分部光嘉 12織田信包 8富田信高 5分部光信 5織田信長 4豊臣秀吉 3長野治右衛門(分部光信父) 3長野家臣河北内匠助 2工藤祐長 2北畠具教 2長野具藤 2工藤祐経 1工藤高景 1足利尊氏 1長野藤定 1徳川家康 1木食応其 1分部嘉治 1分部嘉高 1池田長信 1分部信政 1
地名 伊勢国 4伊勢国安濃郡 3伊勢上野城 3伊勢国奄芸郡 2上方 2伊勢細野城 1伊勢国長野 1伊勢長野城 1伊勢国多気郡 1近江国 1奥州 1関東 1伊賀国 1伊勢安濃津城 1紀伊国高野山 1美濃国関ヶ原 1尾張国 1摂津国大坂 1近江国大溝 1
北條既に亡ひ、尊氏將軍の時に至て、安濃奄藝兩郡の地頭職を賜はり、手に從ふ所の軍勢、凡五千人、國司北畠殿と地を爭ふこと、代々を經て、左衞門尉祐則が代に及ひ、國司源中納言具敎卿と中直りし、彼が二男申請て、己が家を繼がす、今の長野次郞具祐と申す是なり、彼既に工藤が後胤に非れば、一族の間も快からず、あはれ長野が家、絕えざらんやうを計らはせ給はらんには、政壽等、如何にも計て、彼が一族郞從等、皆々味方に參らすべきにて候とぞ望みける、織田殿大に悅ひ給ひて、頓て舍弟信包を長野上野介と名乘らせ、軍勢餘多差添へ、當國上野の城にすゑ置かる、去程に、長野次郞具祐、長野の城にたまり兼ね、父の國司を賴て、多氣の郡に落行く、雲林院草生家所細野乙部中尾の者共、降人に成て參りしかば、分部河北を初として、悉く皆信包の手にこそ附られけれ、其後織田殿失せ給ひ、秀吉世を知し給ひし後、文祿の初、上野介信包信包此比は本性に返て織田と名乘り關白の執奏にて四位侍從に成されし也聊の事に罪せらて本領を押奪れ、近江國に移されし時、二万五千石を給り、入道して老犬といふ關白別の仰ありて、左京亮政壽に、上野の城をば賜りけり、二万石慶長五年の秋、政壽德川殿に從て、奧に向ふ、上方にも亦軍起りぬと聞えしかば、政壽東國の御方として、富田信濃守知信と打連て、本國に馳歸る、上方の軍勢、伊賀國を平けて、伊勢國に向ふと聞ゆ、上野は要害無碍に淺間にして、一日が程も、怺へつべうも覺えずとて、己が城を捨て富田が安濃津の城に入て、城の東を固めたり、斯て數万騎の寄手、伊勢國に打入て、富田が城に攻近づく、政壽手の者引具して、打て出て、散々に戰ひ、自らも槍取て、敵を討つ事、數を知らず、我身も數多痛手負ひ、能き敵と組て討死すべしとて、胡床に坐して待居たり、富田が郞從馳來り、樣々に敎訓して、城中にぞ助け歸りける、去程に、寄手の多勢押寄て、城の四面を打圍み、入替々々攻めし程に、味方多く打死し、敵此處彼處に攻め入たり、かゝる所に、高野山木食の上人、來合ひて、敵味方を制して、軍を止め、色々に拵へしかば、富田は城を去りにけり、政壽同しく爰を出づ、關が原の戰、終て後、勳賞行はれ、所領倍して賜る、二万石政壽女子のみ有て、男子無ければ、其外孫を養て家繼がす、左京亮光信とぞ申ける、政壽卒せし年月未た知らず