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分部光嘉
本文表記 政壽・左京亮政壽・分部左京亮政壽・左京亮源政壽・分部
分部 第九上 · 12
- p001…左京亮源政壽は累代の先祖、伊勢國に住して、當國安濃奄藝兩郡の主長野が家の被官たり、…政壽=光嘉
- p001…ず永祿十一年の春、織田殿、伊勢國を討たんとて、先づ細野の城を攻めらる、左京亮政壽、河北內匠助と打連れて、信長の御陣に參り向つて、申けるは、抑も長野の家と…
- p003…族の間も快からず、あはれ長野が家、絕えざらんやうを計らはせ給はらんには、政壽等、如何にも計て、彼が一族郞從等、皆々味方に參らすべきにて候とぞ望みける…
- p003…氣の郡に落行く、雲林院草生家所細野乙部中尾の者共、降人に成て參りしかば、分部河北を初として、悉く皆信包の手にこそ附られけれ、其後織田殿失せ給ひ、秀吉…
- p003…移されし時、二万五千石を給り、入道して老犬といふ關白別の仰ありて、左京亮政壽に、上野の城をば賜りけり、二万石慶長五年の秋、政壽德川殿に從て、奧…
- p003…仰ありて、左京亮政壽に、上野の城をば賜りけり、二万石慶長五年の秋、政壽德川殿に從て、奧に向ふ、上方にも亦軍起りぬと聞えしかば、政壽東國の御方と…
- p003…長五年の秋、政壽德川殿に從て、奧に向ふ、上方にも亦軍起りぬと聞えしかば、政壽東國の御方として、富田信濃守知信と打連て、本國に馳歸る、上方の軍勢、伊賀…
- p003…城の東を固めたり、斯て數万騎の寄手、伊勢國に打入て、富田が城に攻近づく、政壽手の者引具して、打て出て、散々に戰ひ、自らも槍取て、敵を討つ事、數を知ら…
- p003…ひて、敵味方を制して、軍を止め、色々に拵へしかば、富田は城を去りにけり、政壽同しく爰を出づ、關が原の戰、終て後、勳賞行はれ、所領倍して賜る、二万…
- p003…く爰を出づ、關が原の戰、終て後、勳賞行はれ、所領倍して賜る、二万石政壽女子のみ有て、男子無ければ、其外孫を養て家繼がす、左京亮光信とぞ申ける、…
- p003…子のみ有て、男子無ければ、其外孫を養て家繼がす、左京亮光信とぞ申ける、政壽卒せし年月未た知らず…
- p004…伊勢軍記を按ずるに、光信は政壽が婿長野治右衞門某が男也、某元は尾張國の者、童なりし時より上野介信包に仕…
富田 第十二下 · 2
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