人物索引 › 織田信長
織田信長
本文表記 信長・織田殿・織田殿父子・織田上總介殿・織田信長・織田殿御父子・信長父子・織田上總介信長・右大臣殿・故殿・屋形・織田彈正忠信長・故右大臣殿・右大臣信長公・主・上總介信長・主君・信長朝臣・織田の右府・介殿・織田信長朝臣・織田平信長・故右大臣信長公・織田
比定未確認:未確認(信秀の可能性)
越前 第一 · 1
- p001…且彼父の關白殿にだにも、參會に及ぶべからず、まして其公達に於てをや、家康信長の御時、都に登りて、見つべき所をば皆見つ、都戀しう思ふ所もなし、鷹臂にし…
保科 第一 · 1
- p001…ひ、仁科既に討れしかば、正直叶はで城を出で、東をさして落去りぬ、今年六月織田殿父子失せ給ひて、甲斐信濃上野の國々再び亂る、正直北條左京大夫氏直の案内者して…
松平(形原) 第二 · 1
- p001…隨ひて、所々の戰に高名す、家信、父家嗣に繼ぎて、天正十年の秋、武田亡ひ、織田殿失せさせ玉ひ甲斐信濃の國々亂る、家信いまだ又七郞と申て生年十四歲、十三…
松平(藤井) 第二 · 13
- p001…專修の門徒等が亂に、信一無二の御方人して、軍たび〱に及び、同き十一年秋、織田上總介殿、將軍義昭に賴れ玉ひ、都に攻上るとて加勢の事を望まる、德川殿御家人等が手…
- p001…等が手の兵、一々にすぐり出し、信一に大將をぞ給りける、九月十一日、信一、織田殿の御陣に馳參る、此時、信長は近江の佐々木義賢入道承禎が、箕作の城せめあぐ…
- p001…、信一に大將をぞ給りける、九月十一日、信一、織田殿の御陣に馳參る、此時、信長は近江の佐々木義賢入道承禎が、箕作の城せめあぐみて、是程の小城をせめて、…
- p002…按するに安土日記に、九月十一日、信長愛智川の邊に陣し、佐々木が觀音寺箕作二つの城へ押寄て、佐久間淺井木下丹羽…
- p002…、攻落すと、しるして、信一が事をのせず、信長記是に同し、家忠日記增補に、信長佐久間右衞門尉を使にて、信一に先陣の事を仰ける、信一忽に外城を破る、信長…
- p002…信長佐久間右衞門尉を使にて、信一に先陣の事を仰ける、信一忽に外城を破る、信長の勢つゞきて攻入て、第二の城攻るとて、手負死人おひたゝしく、進み得ず、木…
- p002…夜に入り本城に攻め入る、時に信一先陣の由を高らかに名乘たり、明る十三日、信長信一は膽に毛おひたる男かなと、譽たまひて、着たまひたる革の道服ぬきて賜ひ…
- p002…これより桐をも紋とす、彼道服に有し紋なればなりと云云、按ずるに安土記に、信長の手より箕作をせめ落しゝと書きしは、我家の功にせんとて、しるす成へし、增…
- p002…にあらず、大久保其時の人にて記せし記なれば、今は其記に從てしるす、又此時信長德川殿よりの御加勢多からざるを悅はず、また信一が小男なるを笑ひ玉ひしかば…
- p003…斯て箕作落しかば、十八箇所の城々、次第に落て、信長都に入たまひしに、織田上野介の雜人と、信一が下部と、古き烏帽子一つをばい…
- p003…弓鐵砲鎗長刀を揃へて、寄來る敵を待つ、其勢ひに恐れて、敢て近つく者なし、織田殿此由聞召し、にくいやつばらが狼藉かな、家康の加勢、乞ひて、たまはつたる御…
- p003…が狼藉かな、家康の加勢、乞ひて、たまはつたる御勢と、同士軍する事やある、信長が軍兵、一人成とも、信一が陣に向て、矢はけ、打物の鞘はづしたらんもの、一…
- p003…んもの、一々に首をはねよと、以の外に怒り給へば、寄手ちり〱に成て迯失ぬ、信長いそぎ信一を召て、いかに信一、今度箕作の城攻おとし、又今日の狼籍を鎭めら…
水野 第三 · 4
- p001…、信元うたれ玉ひし後、同き八年九月廿三日、累代の地なればとて、刈屋の城を織田殿より忠重に賜りしなり、是れ併しながら德川殿の御外舅たるが故に、かゝる恩例…
- p001…是れ併しながら德川殿の御外舅たるが故に、かゝる恩例もありしなり、此後或は信長の催促に依て、軍をひきゐ、或は德川殿の大將して合戰す、織田殿うせ玉ひし年…
- p001…なり、此後或は信長の催促に依て、軍をひきゐ、或は德川殿の大將して合戰す、織田殿うせ玉ひし年、鳥居元忠と共に、甲斐の古國府に陣どつて北條の勢を打破り、信…
- p001…神の城せめられしに、みづから鎗とつて高名し、手の者共にも首きらせて獻る、信長此由を傳へ聞き玉ひ、御書給て感ぜらる、成人して藤十郞と名のり、甲斐の古國…
松平(久松) 第三 · 1
- p001…下野守殿、信元武田の四郞に心を合せられたりとて、誅せらるべきよし、信長の仰せられしに因て、德川殿力なく、俊勝して岡崎に呼び迎へて、信元を誅せら…
酒井 第四上 · 19
- p004…年四月八日、酒井左衞門卒す、其子を將監と申て、父に繼く、永祿六年德川殿、織田信長に組みし玉ひし時、將監二心ある由なれば、討手を差向られしに、打もらしつ、…
- p004…、其所領を甥の小五郞忠次に下さると云云、又岩淵夜話別集に曰く、今川義元、織田殿に討れ玉ひし後、酒井將監を召して、今川氏眞、年頃父の讎むくはんといふ志も…
- p005…の大畧をしるすのみ。中にも元龜元年九月、去る六月近江國姉川の合戰の後、織田殿また加勢の事を仰ければ、此度は忠次石川日向守家成と共に、宗徒の人々引具し…
- p005…に、宗徒の人々引具して向ふ、其勢僅かに二千人には過きず、近江の勢多にて、織田殿に參り合ふ、信長悅ひ玉ふ事斜ならず、越前の敵をば、信長防き戰ひなん、當國…
- p005…して向ふ、其勢僅かに二千人には過きず、近江の勢多にて、織田殿に參り合ふ、信長悅ひ玉ふ事斜ならず、越前の敵をば、信長防き戰ひなん、當國佐々木が軍勢には…
- p005…近江の勢多にて、織田殿に參り合ふ、信長悅ひ玉ふ事斜ならず、越前の敵をば、信長防き戰ひなん、當國佐々木が軍勢には、人々向て軍せよと宣へば、勢多と草津と…
- p005…勢と戰ふ事、一日の間に廿餘箇度、敵盡く利を失て、越前の兵、氣おくれして、信長に中直りし、本國にこそ歸りけれ、同き二年四月、武田大膳大夫入道信玄、二萬…
- p005…り玉ふ、左衞門尉忠次城を出て、生薑原の邊りにて、山縣が勢と戰ひたり、頓て織田殿加勢有て、同き廿日、御方の軍勢都合十萬餘騎、有海が原に出向ふ、勝賴武田兵…
- p005…要害を攻落して候はんには、明日の合戰、御方一定勝ちぬべう候と申す、さらば信長に參り此由を謀れと仰ければ、忠次織田殿に、斯と申す、信長大に感し給ひ、足…
- p005…、御方一定勝ちぬべう候と申す、さらば信長に參り此由を謀れと仰ければ、忠次織田殿に、斯と申す、信長大に感し給ひ、足輕の兵に、鐵炮五百挺を副られたり、…
- p005…候と申す、さらば信長に參り此由を謀れと仰ければ、忠次織田殿に、斯と申す、信長大に感し給ひ、足輕の兵に、鐵炮五百挺を副られたり、…
- p006…一說には、忠次此由を申けるに、信長大に怒て、此謀事然るべからずと、のたまひし程に、忠次面目を失て、其坐をた…
- p006…怒て、此謀事然るべからずと、のたまひし程に、忠次面目を失て、其坐をたつ、信長窃かに近づけて、誠に汝の謀事ゆゝしけれど、若し敵に漏れ聞えんずらんと思へ…
- p006…輕大將を添へられたりと云云、又一說に、忠次が此謀を述べしは、德川殿御父子織田殿御父子參會ありて、軍評定ありし時の事なり、御使に參りしには、あらずともいふなり…
- p007…ば、四郞が軍、うしろあらはになり行て、終には敗て落て行く、軍既に畢て後、織田殿、忠次を召れ、薙刀を賜て、今日の功をぞ賞せらる、此薙刀をば、忠次後に…
- p007…おちしとき、首四十二切て獻る、同き十年武田亡ひし時、先陣打て甲斐に入り、織田殿、駿河遠江三河を經て、本國に歸り玉ふべしと聞えしかば、德川殿まづ忠次返し…
- p007…しと聞えしかば、德川殿まづ忠次返して、御設けの事、沙汰せらる、四月十二日織田殿濱松に至り、忠次に向ひ、此度武田を討し事、是れ併しながら、德川殿の武功に…
- p007…百兩添て引れたり、今年五月德川殿安土へ御參ありしに、忠次御供に候ひけり、織田殿みづから配膳せらる、六月二日織田殿父子失はれ玉ふ時、德川殿和泉の國堺の浦…
- p007…土へ御參ありしに、忠次御供に候ひけり、織田殿みづから配膳せらる、六月二日織田殿父子失はれ玉ふ時、德川殿和泉の國堺の浦より、本國へ返へらせ給ふ、道の程、忠次…
本多 第四上 · 23
- p002…槍をあはせしといふ、同き十二年三月五日掛川の合戰に先駈す、元龜元年の夏、織田殿、備前守長政朝臣と、大猷院殿の御外祖淺井殿の御事なり、軍起る、越前…
- p002…淺井殿の御事なり、軍起る、越前國の守護朝倉左衞門督義景、長政に加勢す、信長また德川殿に御加勢を乞ひ申さる、三千餘騎を引卒し、一說に五千近江國…
- p002…らん方に向はるべしとて、明れば六月廿八日、姉川を隔てゝ義景に向はれたり、信長淺井と戰ひて、負軍し玉ふと見えし所に、忠勝先陣に進み、士卒を下知して、眞…
- p002…ず、纔に殘る御勢にて、軍したまはんこと難かるべし、ひと先づ爰をば引返し、信長の加勢を待て後陣とし、八千人が先駈して戰はんに、いかで勝軍せではあるべき…
- p006…行く敵と戰て、首をきること廿二、同十年三月、德川殿、三位中將平信忠と、信長の嫡男、武田四郎を擊るべしと、駿河國を打從へ、甲斐の國に攻入り玉ひし…
- p006…、みづから又駿河國をわかちし祝をも、申さんとて、五月九日濱松を御立有て、織田殿へ參り玉ふ、信長大に悅び玉ひ、道造らせ、橋わたさせ、諸大名に仰せて、尾張…
- p006…をわかちし祝をも、申さんとて、五月九日濱松を御立有て、織田殿へ參り玉ふ、信長大に悅び玉ひ、道造らせ、橋わたさせ、諸大名に仰せて、尾張國より近江の安土…
- p006…に假屋をうつて、御座をかまへ、饗應の具、みな金銀をちりばめたり、ましてや織田殿に參らせ玉ひし時、もてなし給ふありさま、心も詞も及ばれず、信長宣ひけるは…
- p006…ましてや織田殿に參らせ玉ひし時、もてなし給ふありさま、心も詞も及ばれず、信長宣ひけるは、年來國を爭うたる、武田滅て侍る事、信忠が名譽、全く德川殿の武…
- p006…、信忠が名譽、全く德川殿の武功に依る所なり、東國の事、おことましませば、信長思ひ置く事なし、是よりは、西國盡く平げなんと存じ、まづ四國を退治せよとて…
- p006…を退治せよとて、三男信孝、後に美濃の屋形三七殿軍勢付けて遣はしぬ、信長また中將と共に山陰山陽を從へんが爲に、近日に首途し、諸國の軍勢集らん程は…
- p006…べけれ、汝等は御先へ罷り向て、よくもてなし奉れとて、津田七兵衞尉信澄、信長の甥惟任五郎左衞門尉長秀、丹羽が事也、攝津の國へ下さる、…
- p006…郎男と申は、茶屋と稱す、都の商人にて候が、さが〱しきやつにて、常は信長が許へ近く召すものにて候、德川殿にも御存知とこそ承れ、おのれ道すがら、を…
- p006…より初て、所々回り御覽ずる程に、同き晦日には、和泉國堺の浦に至り給ひぬ、織田殿も、今ははや御上洛の程なり、家康も見つべき所をば見つ、都へ上りて見參に入…
- p006…とて、四郎次郎をば返へされたり、六月二日の朝、忠勝して、今日御歸洛の旨を織田殿へ告げ申され、頓て堺の浦を出で玉ふ、忠勝馬を馳せて上るに、都の方より荷鞍…
- p006…のあかつき、本能寺の御陣へ、丹波の明智おし寄せ、火を放て攻め奉りしかば、織田殿討れ玉ふ、中將殿の御陣をも、十重廿重に取卷き、攻め戰ふと聞く、今は討れた…
- p006…に立てゝ、たゞ呆れにあきれたり、やゝ有て、德川殿竹丸に向ひ玉ひ、家康年頃信長と好みを結び、恩に感ずる事もこれ多し、具したるものゝ、今少しもあらんには…
- p006…したるものゝ、今少しもあらんには、いづくまでも光秀が陣とらん所に押寄せ、信長のために一軍して、うち死しなむ、此無勢にて、なまじいに軍せんとて、雜兵の…
- p006…じいに軍せんとて、雜兵の手に掛らんよりは、都へ登り、知恩院に入て腹切て、信長に死を共にせんと思ふなりと宣ふ、竹丸承て、殿だにも御腹めさるべしと承る、…
- p006…、殿の御大事、今日に極つたる上は、思ふ所をまづ人々に申にて候、そも〱殿が信長の年來の恩に感し玉ひ、都へのぼり、御腹めさるべしと候は、義の當つたる所な…
- p006…しと候は、義の當つたる所なれば、誰々も異議なきとこそ存ずれ、さりながら、信長の御爲に恩を報し給はんには、如何にもして、參河國へ御下りありて、軍勢を催…
- p006…、竹丸怒れる眼より、泪をはら〱と流して、悔しうも、殿の御供を承て、重恩の主の最期の供も仕らず、又敵の奴原、一人も手にかけ切て捨てずして、腹きらん事…
- p006…うをぞ語られける、穴山の陸奧入道も、梅雪此程こゝかしこ伴ひしかば、織田殿父子の御事を告けられ、又打連れて、御下り有べしと仰遣されたりしに、德川殿を疑…
本多 第四上 · 5
- p001…祥の城を攻めらる、廣孝等、眞先に進み戰ひ、織田三郞五郞信廣を信秀の子信長の弟虜にす、上總介信長、竹千代丸殿を返し參らせて、信廣を迎へらる、かく…
- p001…廣孝等、眞先に進み戰ひ、織田三郞五郞信廣を信秀の子信長の弟虜にす、上總介信長、竹千代丸殿を返し參らせて、信廣を迎へらる、かくて義元朝臣、若君を駿河の…
- p003…、此時廣孝鎗疵を蒙り、又康重も疵二か所を蒙れりといふ同き九月織田殿御加勢の事を望まれしに、廣孝石川日向守家成二人、御名代として近江國に馳せ…
- p003…望まれしに、廣孝石川日向守家成二人、御名代として近江國に馳せ向ふ、此時信長、朝倉淺井と江州志賀に戰陣ありしが故なり、廣孝家成、洲股にいたりし時に…
- p003…朝倉淺井と江州志賀に戰陣ありしが故なり、廣孝家成、洲股にいたりし時に、信長の使者木下藤吉爰に來り迎へて、志賀表の事は終りぬれど、西國迄の聞えな…
本多 第四上 · 1
- p003…、重次が手に打とる首十八、十餘人を生捕す、同き十年の春、武田亡ひ、同き夏織田殿うたれ玉ひ、甲斐信濃再ひ亂れしかば、德川殿、彼の國に向ひ玉ふ、北條も同じ…
本多 第四上 · 2
井伊 第四上 · 1
- p003…ず、中にも父にて候直盛、故殿の御供申て、桶狹間の戰に打死しぬ、されば彼の信長は君の御敵といふのみにあらず、直親が身に取ても、父の仇なるに、いかで屋形…
榊原 第四上 · 2
大久保 第四中 · 15
- p003…ずとて、殘止る兵五十七騎を引倶し、尾張國に趣き、織田備後守信秀に隨ふ、信長朝臣の御父なり、信秀大に悅び、信孝に案内させ、三河國に向て、爰かしこに攻…
- p003…殿如何にもして、若君を迎へんとて、今年天文十八年十一月安祥の城を攻破り、信長の舍弟三郞五郞信廣を虜にし、德川殿に替らる、大久保が一族、信廣を送て、若…
- p003…五歲なり、三河國梅が坪の城を出て、廣瀨の城に向はる、七郞右衛門忠世、織田殿の家子津田兵庫介を討取る、是よりこのかた、大久保が一族、常に德川殿に隨て…
- p003…立て遠江國を經て、參河國長篠の城に押寄す、德川殿御父子後卷せんとて打立、織田殿に加勢を乞はる、御使度々に及びて後、信長父子、數万騎の兵を率ゐ來り、有海…
- p003…德川殿御父子後卷せんとて打立、織田殿に加勢を乞はる、御使度々に及びて後、信長父子、數万騎の兵を率ゐ來り、有海原に打向ひ、流を前にして、柵結て陣を取らる、…
- p003…扣へたり、兩陣の間僅か二十町には過ぎず、五月廿日の夜、酒井左衞門尉忠次、信長の軍兵を引倶し、山路を傳うて、鳶巢に向ひ、明れば廿一日の朝、敵の要害を攻…
- p003…攻落す、忠世が弟治右衛門忠佐、兄に向ひ、今日の戰は、我等が爲には當の敵、信長の加勢に、先を懸けさせんは、無念の次第成べし、我等まづ魁けて戰はゞやとい…
- p003…こそ責めたりけれ、小菅三科手負て引く、大將昌景、鐵砲に中て、馬より落つ、織田殿方にても、佐久間右衞門尉信盛六千人、瀧川左近將監一益三千人、柵より外に打…
- p003…ず、只たゞ遠矢に射取れやとて、三千挺の鐵砲を、一面に立並へてぞ放したる、織田殿遙に大久保兄弟が、軍するやうを御覧して、家康の手の戰、敵味方いつれ隙あり…
- p003…七郞右衞門忠世、黑餅こそ同治右衞門忠佐とて、蝶羽が弟にて候へと仰ければ、織田殿此由聞玉ひ、なに味方と申か、さん候と申す適れ大剛の兵かな、彼等兄弟に似た…
- p003…ひ、なに味方と申か、さん候と申す適れ大剛の兵かな、彼等兄弟に似たらんは、信長が手の者には、いまだ候はぬとぞ宣ひける、去程に、馬場美濃守信春、織田殿の…
- p003…は、信長が手の者には、いまだ候はぬとぞ宣ひける、去程に、馬場美濃守信春、織田殿の陣に向て、手の者多く打たせて引く、眞田兄弟入替れば、土屋も頓て押續き、…
- p003…なつて逃け散れば、四郞は主從三騎にて、本國さして落さりぬ、軍既に事終て、織田殿、大久保兄弟を召され、このたびの軍に利を得し事、ひとへに汝等兄弟が戰、拔…
- p003…、依田右衞門尉、駿河國田中の城にあり、爰をも忠世ぞ受取てける、今年六月、織田殿また討れ玉ひ、甲斐信濃再ひ亂る、忠世仰を承り、宗徒の人々打連て、甲州を討…
- p012…、天正三年五月長篠の合戰に、兄の忠世を勸め、先駈して、武田が勢を打破て、織田殿の御感に預る、忠世の記に詳なり、長湫の戰に、御使を承る、先陣にまじ…
石川 第四中 · 1
- p002…といふ元龜元年の秋、家成酒井左衞門尉忠次と大將を承り、都合其勢二千人、織田殿を助けんとて、近江國に發向し、佐々木承禎入道が多勢と、一日が其間、戰ふこ…
植村 第四中 · 2
松平(松井) 第四下 · 3
土岐 第四下 · 1
- p001…定明美濃國の亂に戰死せしは、天文廿一年の事なりといふ、心得られず、織田信長、美濃國を併せられしは、天文十二年より十三年に至る間の事なりといふなり…
高木 第四下 · 3
酒井 第五 · 9
- p001…家忠日記增補同し但し御年譜には永祿五年とあり、今年の暮、尾張國織田上總介信長、宗徒の家人等を召集て、義元既に我が爲に討れし後、其子氏眞我が勢にや恐れ…
- p001…に、弓矢取ては、當時無双の若もの、戰の勝負いつ决すべしとも見えず、されば信長が軍勢、丹下、鳴海、沓掛、廣瀨、擧母、梅坪、大高、刈屋、岡、寺部、長澤、…
- p001…長澤、鳥屋が根等の城々を守て、兵を失ひ、粮を費す事、謀少きに似たり、所詮信長は元康と中直りして、此城々に籠め置し、軍勢を召返し、上方を打平げ、元康は…
- p001…さず、是れ偏に當家の爲のみにも候はず、しかしながら、氏眞の方人して、一度信長と勝負决せん爲に候はずや、それに正しき義元の子にて、まします氏眞、父の仇…
- p001…て、當家累代の功、忽に空しからん事、口をしかるべき次第なり、然るに、いま織田殿かく多年の恨を捨て、隣國のよしみを結ばるゝ事、且は當家の幸、且は當時の譽…
- p001…由を、仰せらるべきにて候とて、伯耆守が許より、同心の返答をぞしたりける、信長斜ならず悅ひ、元康が心をば知らぬ、此上れ彼の舅の下野守信元の中立よかんぬ…
- p001…ぬ、此上れ彼の舅の下野守信元の中立よかんぬとて、頓て御對面の儀、行はる、織田殿見參のしるしなればとて、長光の御太刀に吉光の御刀添へて、引出物にぞ成され…
- p001…るしなればとて、長光の御太刀に吉光の御刀添へて、引出物にぞ成されける、織田殿と御和睦ありし事、いづれの書にも詳ならず、此說伊東法師が記に出づ、氏…
- p001…て、多くの敵の間に立つて、御吊の合戰あらん期を待ん事、叶ふべからず、暫く信長が請に依て、兵を休め力をも養ふ事にてこそ候へ、今日にも尾張國に向て、御勢…
永井 第五 · 4
- p007…の春武田亡ひし後、德川殿、安土に參り給ひければ、御供の人々の座を分ちて、右大臣殿自ら配膳して酒たびし時、直勝も其座に請じ入れらる、これより德川殿、都のあ…
- p007…、直勝も其座に請じ入れらる、これより德川殿、都のあたり御歷覽ありしうち、織田殿御父子討たれ玉ひ、德川殿伊賀國に懸て、本國へ歸らせ玉ふとて、伊勢國より御舟に召…
- p008…ひし事いまだ候はずと仰せられしと云々○、謹て按ずるに、信雄の宣ひし所は、信長秀吉の風にて、古にいふ功を尙ぶといふもの、覇術に出づ、信長秀吉の亡ひ給ひ…
- p008…の宣ひし所は、信長秀吉の風にて、古にいふ功を尙ぶといふもの、覇術に出づ、信長秀吉の亡ひ給ひしも、此道に因れる所か、德川殿の仰せられし所、深き御心にや…
西尾 第五 · 1
- p002…、三河國に來りて、西尾に住し、改めて西尾と名のる、其後また美濃國に移り、信長秀吉に仕へて、關が原の時、當家に從ふ、西尾豊後守光敎これなり、此兩家同し…
奧平 第六 · 9
- p003…は、藤兵衞貞治が事なるべし、此人は關が原の戰に打死せしなり、〇九八郞後に信長より諱字賜て、信昌といひしなり、此頃の名、分明ならず、貞昌といひしよし、…
- p005…が妹を如何で信昌が妻とはすべきと宣へば、德川殿の御心にも叶ひ難く、此よし織田殿に仰せ合さる、信長、岡崎殿に異見あつて、宣ふ所ことわりに似て侍れども、彼…
- p005…とはすべきと宣へば、德川殿の御心にも叶ひ難く、此よし織田殿に仰せ合さる、信長、岡崎殿に異見あつて、宣ふ所ことわりに似て侍れども、彼父子は德川殿の御爲…
- p005…父の仰に從ひ給はん事然るべしと仰せけり、岡崎殿聞召し、父の仰といひ、また織田殿もかく宣ふ、二人の親の仰せられん事、如何でかまた難じ侍るべきと宣ひしかば…
- p007…の事なり、夫故に、德川殿の御娘を下されしともいふなり、德川殿此由聞召し、信長の加勢乞て、信昌を助け來り給ひしかば、同き廿日、勝賴軍勢を引わけ、長篠の…
- p007…、鳳來寺岩小屋等の要害盡く降たす、かくて有海原の合戰、敵悉く敗れしかば、信長、貞能父子を召され、信昌わづかの勢にて、多勢の爲に圍まれ、敵を討つこと數…
- p007…り等の地を給ひけり、同き七月貞能父子三河國武節の城を攻落す、信忠朝臣信長の嫡男其地つけて奧平にぞ給ひける、八月信昌、酒井左衞門尉忠次に伴ひ、…
- p007…の嫡男其地つけて奧平にぞ給ひける、八月信昌、酒井左衞門尉忠次に伴ひ、織田殿へ參る、九八郞が此度の功無双なり、武者之助と申せとて、諱字に刀そへて賜ひ…
- p007…其外に物多く給て歸さる、是より信昌と名のるといふ同き十年武田亡ひ、織田殿失せ給ひ、信昌、酒井忠次と共に、信濃の國に向ひ、伊奈の郡を打從へしに因て…
小笠原 第六 · 3
小笠原 第六 · 3
岡部 第六 · 1
- p001…、侍大將となされ、駿河國清水を守らしむ、天正十年の春、武田亡ひ、同き夏、織田殿また失せ給ひて、甲斐國再ひ亂る、正綱が今川に仕へしより知しめされし者なれ…
諏訪 第六 · 1
- p001…二男賴忠其先蹤を繼ぎ、安藝守に任ず、これ因幡守賴水が父なりけり、武田亡ひ織田殿討たれ玉ひし後、大久保七郞右衞門忠世、信濃國に向ひ、諏訪に使立てて、須ら…
土屋 第六 · 1
- p001…ん時至れり、昌次が死すべき時、今日に究りぬと思ひ定め、手勢百騎を引具し、信長の陣に向ひ、我身も馬より飛て下り、眞先に進み、柵の木取て引破り〱、切て入…
屋代 第六 · 1
- p001…が家の滅し時、丸子の城に立籠り、越後の上杉に屬し、本領の地を安堵す、此時信長討たれ玉ひ、信濃國の人々或は上杉に從ひ、或は北條に隨ふ、勝永元より景勝に…
丹羽 第六 · 2
山口 第六 · 2
稻葉 第六 · 2
朽木 第六 · 8
- p001…子宮内大輔貞綱、其子河內守元綱、これ民部少輔種綱が父なりけり、元綱が時、織田上總介殿、三好が亂を鎭めて、義昭將軍を都に歸し入れ奉り、元龜元年の春、越前の國に…
- p001…て、大に驚き、御方の軍勢をも捨でゝ、朽木谷にかゝつて迯け歸り玉ふに、此時信長德川殿の御加勢を乞れしに依て向はせ玉ひしに、德川殿をも捨てゝ逃げかへられ…
- p001…申傳へしは此時の御事なり、河内守元綱急ぎ軍兵を催し、御迎の爲に出て向ふ、信長これも又心變じてけりと恐れて進み得ず、松永彈正少弼久秀これを見て、久秀ま…
- p001…向ひ、事の由を述ふ、元綱頓て甲を脫捨て手の軍兵をも退けて、迎へ申ければ、信長是より都へ上り玉ひぬ、…
- p002…按するに此のち信長德川殿の御前に、松永を召出し、此老人は日本無雙の男、故將軍家を弑し奉り、…
- p002…く〱見させ玉へと宣ひしに、德川殿歸らせ玉ひ、近く召仕るゝ人に、松永が事、信長の宣ふまでもなし、世の知れる所なり、さりながら、彼は一度信長の爲に命を捨…
- p002…、松永が事、信長の宣ふまでもなし、世の知れる所なり、さりながら、彼は一度信長の爲に命を捨てんとしたりし者なるをと、ばかり仰せられしは、此朽木谷にての…
- p003…かくて信長に從ひ、秀吉に仕へて、慶長の初に及ひて、關が原の軍起りし時、德川殿に心を…
柳生 第六 · 3
小堀 第六 · 1
- p001…祖足利殿の童坊、千阿彌が後、田中氏なり泉州堺の住人なり、これは織田の右府豐臣太閤兩代の御師範なり、古田織部正重能、利休上足の弟子にして、政一又古…
池田 第七上 · 11
- p003…信輝初め勝三郞恒興と名のる、織田上總介殿の乳母子なりしかば、介殿の御父備後守殿の時より彼家に仕へ星崎の城を攻めら…
- p003…信輝初め勝三郞恒興と名のる、織田上總介殿の乳母子なりしかば、介殿の御父備後守殿の時より彼家に仕へ星崎の城を攻められしに双なき高名を顯し、…
- p003…治元年四月尾張の海津の合戰に、信輝一番に首を取り、同三年正月武藏守信行信長の舍弟謀反の聞えありて、信長討手の勇士三人まで選まる三人共に討損じ、…
- p003…輝一番に首を取り、同三年正月武藏守信行信長の舍弟謀反の聞えありて、信長討手の勇士三人まで選まる三人共に討損じ、信行母上の御方に逃げ給ふに、信輝…
- p003…、皆是れ攝津の地、同き九年犬山の城をば聟君源三郞殿に讓り參らす、信長の五男也明れば十年五月四國の地、退治せよとて、三七信孝を大將として、…
- p003…信孝を大將として、丹羽蜂屋の人々、攝津の地に至るに及びて、同じ六月二日、信長信忠、明智がために討れ給ふ、羽柴筑前守秀吉、山陽道より馳上りて、尼が崎に…
- p005…孝諸卒を率て、頓て明智を誅し、宗徒の家人等と尾張の國淸洲の城に參會して、織田殿の世嗣の事を議せられ、秀吉等が謀にて嫡孫三郞殿後に岐阜中納言秀信を…
- p005…汰すべしとて、攝津の地をば信輝に屬せらる。大坂尼崎兵庫の地十二万石信長失せ玉ひて後、信輝髪薙て勝入と號し、嫡子勝九郞之助、紀伊守になる、秀吉柴…
- p006…申さる、入道家子郞等を集めて、此事を議せらる、片桐半左衞門進出て、いかで信長の御恩を忘れ給ひて、秀吉の方人たるべきといふ、伊木淸兵衞是を聞て、片桐が…
- p008…て、兄と同じくよき敵と組んで首を取る、天正十年兄弟共に甲斐の國の先陣す、信長失せ玉ひし後、秀吉大德寺にして葬送の儀を行れしに、信輝故殿の御乳母子たる…
- p008…の國の先陣す、信長失せ玉ひし後、秀吉大德寺にして葬送の儀を行れしに、信輝故殿の御乳母子たるに依つて、子息等常は公達と同じく御寵愛ありしとて、秀吉の養…
淺野 第七上 · 6
- p001…張の國の住人、又右衞門長勝が子なり、其家の系圖かくの如し又曰く長勝は織田殿弓の衆なりと云、世には津嶋に住し大富有の人なりといふ實は長勝男子…
- p001…養て子とす、系圖に曰く、長政實は平井彌兵衞が子、長勝が家を繼て、織田殿弓の衆となれりと、初め長勝同國の住人木下七郞兵衞家利が娘を妻とす、妻…
- p001…原助左衞門に相偶して、二人の娘あり、長勝その二人の娘、養うて子とし、姊は織田殿の家人前田又左衞門尉利家が、なかだちにて、木下藤吉にあはせ、秀吉を長勝…
- p001…長成院と云左京大夫但馬守等の母なり、かの藤吉秀吉、次第に歷上て、織田殿一方の大將になされ、播磨の國賜り、羽柴筑前守と名のる、長政其後彌兵衞と申…
- p001…の大將になされ、播磨の國賜り、羽柴筑前守と名のる、長政其後彌兵衞と申て、織田殿に仕へしが、彼秀吉が手に附られたり、固より長政は秀吉と相婿なりし程に、羽…
- p001…秀吉と相婿なりし程に、羽柴の家、第一の人にて、かの家の事大小となく司る、織田殿失せ玉ひて、秀吉忽ち天下の權を執り、内大臣の正二位にして、關白に任し、家…
前田 第七上 · 6
- p002…平記等に見えたりといふ、家に傳へぬ事外より論ずべきにあらず、童なりしより織田殿に仕へ、生年十四歲にて軍に從ひ、高名を顯を、此事一說に十六才の時、弘…
- p002…の事といふ、不審、利家十四才の時ならば、天文二十年也、其後故ありて、織田殿の童坊を斬て逃去りぬ、童坊名は十阿彌といふ、此事十八歲の時といふ、かの…
- p002…ふ、かの童坊、利家の刀の笄を盜みしより事起りしといふ、弘治二年の夏、信長舍弟武藏守信之と軍ありし時、利家首二つを切り、信之の侍宮井勘兵衞尉に面射…
- p002…時、利家首二つを切り、信之の侍宮井勘兵衞尉に面射られ、終に宮井が首取て、信長の御前に參る、感じ給ふ事淺からず、やがて所領の地を給ひ、三百石、一說に…
- p002…の御前に參る、感じ給ふ事淺からず、やがて所領の地を給ひ、三百石、一說に信長に勘氣ゆるされしは永祿四年五月十三日濃州森部合戰の時也と云舍兄藏人利…
- p002…先懸して首を取る、世に傳ふる所、信長記に異なり、信長記には、此時始て信長の勘氣を免されしといふ、いづれが實なる、同き八年九月、近江の國箕作の城…
黑田 第七上 · 5
- p001…衞尉と名のり、黑田勘解由と改め、入道の後、如水軒と號す、初め美作守識隆、織田殿に志を通じて、天正三年赤松別所等と、同く上洛し、信長の見參に入り、同五年…
- p001…、初め美作守識隆、織田殿に志を通じて、天正三年赤松別所等と、同く上洛し、信長の見參に入り、同五年九月、其孫長政が十歲なるを質として、信長へ參らす、羽…
- p001…同く上洛し、信長の見參に入り、同五年九月、其孫長政が十歲なるを質として、信長へ參らす、羽柴藤吉郞秀吉に預けられ、近江國長濱の城に置かる、幾程なく、秀…
- p001…を諫む、村重承引の氣色なく、遂に孝高を捕ふ、小寺が一門馳集り、子を捨てゝ織田殿へや參る、孫を棄てゝ荒木にや組みすと僉議す、美作守識隆聞て、我初めより織…
- p001…殿へや參る、孫を棄てゝ荒木にや組みすと僉議す、美作守識隆聞て、我初めより織田殿に二心なきが故に、嫡孫を以て質とす、いま思はざるに禍に懸つて、我子失はれ…
山內 第七上 · 10
- p002…の織田といふ、下四郡は織田大和守まもりて、主の武衞と共に淸洲の城にあり、信長の御父彈正忠信秀は、この大和守が下の三奉行の其一人なりとぞ、…
- p003…、時に十六才一豐十二歲にて父に離れ、長大の後、猪右衞門と名のりて、織田信長朝臣に仕ふ、織田殿失せ給ふ後、羽柴殿に隨て、天正十一年、若狹の國高濱の城を賜…
- p003…豐十二歲にて父に離れ、長大の後、猪右衞門と名のりて、織田信長朝臣に仕ふ、織田殿失せ給ふ後、羽柴殿に隨て、天正十一年、若狹の國高濱の城を賜ひ、同き十三年…
- p004…織田家に出て仕へし初め、東國第一の名馬なりとて、安土に引來て商ふ者あり、織田殿の家人等、これを見るに、誠に無双の名馬なり、されども價餘りに貴くして買ふ…
- p004…、口をしき事はなし、一豐仕の初めなり、かゝる馬に乘て見參に入たらんには、屋形の御感にも預るべき者をと、獨言いひしに、妻もつくづくと聞いて、その馬の價…
- p004…もあらんには、天下の見物なり、君また仕へのはじめなり、かゝる時ならでは、屋形にも傍輩にも見知られ給ふべきよしもなし、よき馬めして見參に入れ給へと思へ…
- p004…、まゐらすれと云ふ、一豐やがて其馬もとむ、程なく都にて馬揃へのありし時、織田殿この馬御覧あつて、大に驚き給ひ、あつぱれ名馬や、何者の馬ぞと仰ありしに、…
- p004…誰も買ふ事叶はず、空しく引て歸るべかりしを、山内が買ひ得て候ひしと申す、信長聞召し價貴き馬なり、當時天下に信長が家ならで買ふべき人なしとて、奧よりは…
- p004…かりしを、山内が買ひ得て候ひしと申す、信長聞召し價貴き馬なり、當時天下に信長が家ならで買ふべき人なしとて、奧よりはる〱來りしを、空しく還したらんには…
- p004…年頃久しき浪人と聞く、家もさぞ、貧しからんに買ひ得たる事の神妙さよ、且は信長の家の恥をもすゝぎ、且は武士のたしなみ、いと深しと感じ給ふ事大かたならず…
堀 第七上 · 1
- p001…夫某、其子太郞左衞門尉秀重、これ秀政が父なりけり、秀政初め久太郞と申して織田殿に仕ふ智謀勇才拔群なりしかば、近江國長濱の城を賜ふ、其後秀吉に隨ひ參らせ…
堀 第七上 · 1
- p001…丹後守藤原直寄は、監物直政が男なり、直政尾張國の住人にて、織田殿に屬し、元の名字は奧田とぞ申ける、堀久太郞秀政が從弟なれば、秀政が手に附…
細川 第七下 · 19
- p005…も見えざれば、藤孝上野中務大輔清信と共に、御使となつて、美濃の國に趣き、織田彈正忠信長を賴ませ給ふに、信長畏りて、御使と共に御迎をまゐらせければ、藤孝御供申し…
- p005…清信と共に、御使となつて、美濃の國に趣き、織田彈正忠信長を賴ませ給ふに、信長畏りて、御使と共に御迎をまゐらせければ、藤孝御供申して、美濃國へ渡らせ給…
- p005…て、御使と共に御迎をまゐらせければ、藤孝御供申して、美濃國へ渡らせ給ふ、信長程なく御敵を平けまゐらせ、義昭再び御入洛ありて、征夷將軍の宣旨かうふらせ…
- p006…元龜四年七月十日、信長城州の內、桂川の西地を以て藤孝に領せしむ是より長岡と名のる、これ其所領の…
- p007…されど此將軍は、御器量勝れさせ給はず、侫人の申す所を御用ゐあつて、信長が功を忘れ給ひ、彼の朝臣を失ふべきよしを思召し立つ、藤孝が諫め參らする事…
- p007…朝臣を失ふべきよしを思召し立つ、藤孝が諫め參らする事共、更に用ゐ給はず、信長、われを失ふべしと軍起させ給ふと聞て、軍勢餘多引具して上洛す、藤孝も信長…
- p007…信長、われを失ふべしと軍起させ給ふと聞て、軍勢餘多引具して上洛す、藤孝も信長の陣に參るとて、大津にて行合ひ、打連れて都に入る、將軍御軍に打負けさせ給…
- p007…、打連れて都に入る、將軍御軍に打負けさせ給ひ御中直りの事仰せられしかば、信長も軍兵を引て歸る、程なく又軍起させ給ひしかば、信長大に怒つて、宇治槇嶋淀…
- p007…りの事仰せられしかば、信長も軍兵を引て歸る、程なく又軍起させ給ひしかば、信長大に怒つて、宇治槇嶋淀等の城々を攻め落す、將軍家御命の事をば如何にも助け…
- p007…家御命の事をば如何にも助けまゐらすべき由を、いろ〱に歎き仰られしに依て、信長も失ひ申ますでの事もなく、河內の國若江の城に送り入れ奉り、御方人せし者共…
- p007…に送り入れ奉り、御方人せし者共、悉く退治して、本國に歸らる、かく二度まで信長失ふべしと、御結搆ありしかど、何の御恙なく、都を御開きありし事、內々は藤…
- p007…べしと、御結搆ありしかど、何の御恙なく、都を御開きありし事、內々は藤孝が信長に從ひて、とかく拵へし故なりとぞ聞えける、是れより藤孝信長に隨つて、勝龍…
- p007…、內々は藤孝が信長に從ひて、とかく拵へし故なりとぞ聞えける、是れより藤孝信長に隨つて、勝龍寺の城に住し、一方の大將して、度々の武勇を顯す、忠興童名は…
- p007…なり兄弟共に父に從て此日の先駈して、二人ながら首取て、終に城を攻落す、織田殿大に驚き感じ給ひ、彼の兄弟に御致書賜て賞せらる、天正六年彼の父子三人が、…
- p007…の父子三人が、年來の功を賞して、丹後國を藤孝にぞ賜りける、此後は忠興常に織田殿父子の軍に從つて、此處彼處に戰ふ、明れば十年の夏、織田殿明智光秀が爲めに討れ…
- p007…、此後は忠興常に織田殿父子の軍に從つて、此處彼處に戰ふ、明れば十年の夏、織田殿明智光秀が爲めに討れ給ふ、初より藤孝は丹後にあり、忠興この時山陽に向はん…
- p007…、明智は忠興が舅なりければ、やがて丹後に使たてゝ、光秀年頃の本意とげて、織田殿父子失ひぬ、折ふし攝津國闕國に侍れば、忠興に參らする所なり、急ぎ馳せ來て、力…
- p007…來て、力あはせ給ふべしといひしかば、忠興父子大に怒つて、返答にも及ばず、信長の御爲に髪おし切り二心なきよしを心の中に誓ひ、また忠興おのが妻に子共つけ…
- p007…誅すべきよし牒狀して、軍勢を催す、程なく光秀誅せられぬ、藤孝都に上りて、織田殿父子の御跡を弔ひ奉る、これより入道して玄旨と稱し、幽齋とは號しけり、志津岳の…
藤堂 第七下 · 1
- p007…なく、御子一人賜るべしとて、仙丸が四歲なるを請て、秀長の子とす、此年六月信長討れ給ひし後、柴田羽柴、不快の事起る、長秀柴田と親しく、領國亦境を同じく…
森 第七下 · 4
- p001…す、三左衞門尉可成は泰政が嫡男なり、可成初め齋藤山城入道道三に仕へ、其後織田上總介信長の家人となりぬ、織田殿美濃の國を從へ、今川の多勢を破り、義元を討ち、武威…
- p001…なり、可成初め齋藤山城入道道三に仕へ、其後織田上總介信長の家人となりぬ、織田殿美濃の國を從へ、今川の多勢を破り、義元を討ち、武威を近國に奮ひし事、偏に…
- p001…、前亡の餘類、こゝかしこに蜂起したるを押寄せ押寄せ打破て、首三千を斬て、織田殿へ參らす、舍弟蘭丸美濃の國岩村の城を賜ふ、五万石是れしかしながら、…
- p001…、五万石是れしかしながら、父可成が舊功に報ぜられし故なりけり、此年信長討れ給ひし時、蘭丸坊丸力丸三人の兄弟、一所に討死す、武藏守此由を聞て、急…
毛利 第八上 · 12
- p005…に隨ひしも遂に毛利がために打破られ、其後播磨の國佐用郡上月の城に立籠り、織田殿西國に發向あらば、先陣仕るべしと申せしかど、天正六年に毛利がために打負け…
- p006…ぐ、叔父元春隆景、家人等と相議て、軍國の事を裁斷す、天正元年、義昭將軍、織田信長のために、京都を逐れ給ひて、毛利を賴ませ給ひしかば、備後の國鞆の浦に迎へ…
- p006…、毛利を賴ませ給ひしかば、備後の國鞆の浦に迎へ奉り、よきにかしづき奉る、信長安からぬ事に思ひ、同き五年の比ほひ、毛利と織田との軍起り、羽柴筑前守秀吉…
- p006…し、高松の城を攻む、輝元元春隆景八万餘騎を率ゐて、後まきせんとて打出づ、信長の軍勢、また雲霞の如く攻め下ると聞えしかば、毛利の人々相謀り、備中備後伯…
- p006…雲霞の如く攻め下ると聞えしかば、毛利の人々相謀り、備中備後伯耆三箇國を、信長にさけ渡し、中直りすべしとて、秀吉に使たてゝ、長く兩家のよしみを、結ぶべ…
- p006…しみを、結ぶべきよしを云ひ送ること、度々に及ぶ、かゝる所に同き六月二日、信長、明智が爲に失はれ給ふ由、秀吉の陣に聞ゆ、秀吉ちつとも包まず、毛利が使に…
- p006…が爲に失はれ給ふ由、秀吉の陣に聞ゆ、秀吉ちつとも包まず、毛利が使に向ひ、織田殿既に逆臣のために、討れ給ひぬ、かくても猶輝元が秀吉と好み結ばん事、初めよ…
- p006…には及ふべけれとて歸へさる、輝元宗徒の人々を召集めて、此事を僉議す、當家信長にこそ中直らんと云ひけれ、秀吉が爲にあらず、信長忽ち討れし事、偏へに當家…
- p006…めて、此事を僉議す、當家信長にこそ中直らんと云ひけれ、秀吉が爲にあらず、信長忽ち討れし事、偏へに當家の幸なり、一まづ本國に引返へし、世の成り行かん樣…
- p006…年頃かの秀吉の振舞ひを傳へ聞くに、其事もし此人にやありぬべき、去れば此度信長が死せし事、秀吉の身に取つては、深き禍には似たれども、これ然しながら、天…
- p006…家よしみ既にならんず時に、臨みて、たゝ尋常の心ならんには、如何にもして、信長が死を深く隱し、堅く盟を結ひてこそ、其事をも披露あるべけれ、それにかく眞…
- p006…べからずと、餘義もなく申されしかば、福原越前守廣俊、秀吉の陣に行き向ひ、信長の死を弔ひ、和睦の事、變ずべからざる旨、輝元を始めとし、吉川小早川の人々…
鍋島 第八上 · 1
- p004…りたり、これ隆信が亡ぶべき端となるこそ、うたてけれ、同き十年六月、信生、織田殿父子討れ給ひぬと聞て、天下必ず秀吉に歸すべき事を知りて、遙々使者を參らせて、…
蜂須賀 第八上 · 7
- p003…永祿の初、織田上總介殿に仕へて、桶迫の合戰に先懸し、一騎を切て又一人を生捕る、元龜元年の夏、信…
- p003…殿に仕へて、桶迫の合戰に先懸し、一騎を切て又一人を生捕る、元龜元年の夏、信長越前の國に攻め入る、淺井心變りすと聞て、軍を返へされし時、木下藤吉郞秀吉…
- p003…巳上の說、太閤記にしるせし所に同じからず、記に見えし所は、永祿九年の秋、織田殿、宗徒の侍大將を召し集めて、美濃の國を擊たれん事を議せられ、木曾川の彼方…
- p003…我れ大將を賜らんと望む者一人もなし、太閤いまだ木下藤吉郞秀吉と申せしが、織田殿密に召して、此事を計り給ふ、秀吉承て、かの要害守られん事、御勢を籠めらる…
- p003…には候へども、大將を許されんには、彼輩を引具し、守るべうもや候と申さる、信長大に御感あつて、秀吉始て一方の大將となさる、去程にかの野武士等召集め、一…
- p003…め、一千二百餘人が內をすぐつて蜂須賀小六正勝を先手とし、然るべき兵十人、織田殿に勸めて侍大將になされけり、正勝後に彥右衞門尉と申し、常に秀吉に從ひしよ…
- p004…天正元年、織田殿、秀吉に近江國長濱の地賜ひし時、正勝又伊勢の國長嶋の地賜はる、此時一倍…
上杉 第八下 · 6
- p009…半國餘陸奥二郡出羽五郡常陸三郡の國々を打從へ、當時織田彈正忠信長が、將軍家を蔑如しまゐらすと聞いて、大に憤り、さらば信長を退治して、天下…
- p009…、當時織田彈正忠信長が、將軍家を蔑如しまゐらすと聞いて、大に憤り、さらば信長を退治して、天下の意見をも申し定めんとて天正五年十月、越路の雪の消ゆるを…
- p012…幸と云ふべきにや○又謙信の卒せし事も、柿崎和泉守が怨靈に殺されしとも、又織田信長の謀計にて、人をして厠に行きし所を、鎗にて突殺せしなど、世に傳ふ、夏目が…
- p013…軍に高名し、廿四歲の時、輝虎卒し、景虎と戰て、三年の中に討ち亡す、こゝに織田平信長、年ころ輝虎が威に恐れ、常に家人の禮を取て、使奉り物獻ずる事、更に空しき…
- p013…に籠て、國中靜ならざるを鎭めんとて、彼等と戰ふに暇あらず、天正十年の春、信長、甲斐の武田を滅して、上野をば瀧川左近將監、信濃をば森武藏守に與ふ、諸方…
- p013…景勝信濃に引き返せば、前田佐々、又魚津に押寄て、終に城をぞ落しける、此年信長、明智に討れ、瀧川森、上方へ引返す、景勝信濃を打隨へ、越後の國に歸りて、…
秋田 第八下 · 2
丹羽 第八下 · 16
- p001…はあなずや、長秀若かりしより少名は万千代丸、生年十五戈なりと云ふ織田殿に隨ひ、常に一方の大將を賜り、向ふ所破れずと云ふ事なし、元龜三年二月、數…
- p001…國佐和山の城を賜ふ、五万石是れ年來の武勇を賞せられし處なり、されば織田殿の御内にして、丹羽柴田と云ふ者をば、世の人知らずと云ふ事なく、豐太閤も、…
- p001…、家の號一字つゞ、乞ひ受けて、羽柴とは名のり給ひけり、又天正三年十二月、信長未だ權大納言の右大將にてましませし時、家人等任官の事ありしに、信長が領す…
- p001…二月、信長未だ權大納言の右大將にてましませし時、家人等任官の事ありしに、信長が領する國、未た多からず、家人等に賜はらん地、これ少し、筑紫の國まづ一々…
- p001…、押し取て、家人等に名のらせらる、長秀も仰せ蒙りて、惟住とぞ改めらる、信長失せ給て又丹羽と名乘る同き十年の夏、織田殿四國の地退治すべしとて、三…
- p001…蒙りて、惟住とぞ改めらる、信長失せ給て又丹羽と名乘る同き十年の夏、織田殿四國の地退治すべしとて、三男三七信孝を大將軍とし、長秀等を侍大將として、…
- p001…織田信澄と二人大坂の城代となされしと云ふ既に攝津國に到る、斯る處に、信長信忠、明智が爲に討たれ給ひ、織田七兵衞信澄は光秀に與みすと聞えしかば、長…
- p001…、軍勢を催し、急き凶徒を誅戮して、淸洲の城に會合し、御世嗣の事を僉議す、右大臣殿の嫡孫にて、渡らせ給へばとて、三法師殿を君となし、後に岐阜中納言と申…
- p001…此時長秀近江國大溝に住し、江北の兵此に屬すと云ふ、一說に長秀是より先、信長の世に若狹國一州に江州滋賀高島二郡を賜り領し、若州靑井に居城すと云ふ…
- p002…長秀が自害せしは、誠に此內府と申は、故右大臣殿の下部より擧けられて、大名になし給ひし人なれば、如何なれば故殿の御子孫を…
- p002…は、故右大臣殿の下部より擧けられて、大名になし給ひし人なれば、如何なれば故殿の御子孫をば七代迄も御後めたき事あるましき者をと、長秀が、むかし思ひ誤て…
- p003…丹羽が隨一の家人成田彌八郞、宗徒の傍輩を集て、さても我等が故主は、さしも織田殿の御恩深かりし御事なり、夫に秀吉と云ふ無道人に、たばかられて、彼家の天下…
- p003…亡びんずる我家を、未だ勢の散り失せざらん其内に、彼が越中に入らん頃ほひ、織田殿の御爲に義兵を擧け、佐々と狹んで討ち滅し、故主の耻を雪がんこと如何なる佛…
- p003…近し先陣の事、他人に讓るべからずと望み申さる、此人の父、長秀と利長と同し信長の御娘を迎ひ、結ぼうれたる中なるが、公儀の爲に私の睦を顧みず、先陣を望み…
- p003…松任に出て會ふ、先づ利長の方に人質を賜らん由を望む、長重が家人大に怒て、織田殿の御時より、丹羽は一方の大將にて、利長の父利家は、被官の樣まてこそありつ…
- p003…樣まてこそありつれ、故大閣の時に至りて、當家かく衰ふるといへども、兩家又織田殿の婚君にて由緣に就ては、兄弟の國なるをや、今何の故に人質を出すべき、又亂…
土方 第八下 · 1
- p001…賴光の弟七代の孫、土方太郞秀治が後胤、彥三郞某が男なり、父彥三郞某、織田殿の御手に屬し、天文の末美濃の國に向ひ、土岐が勢と戰て討死す、雄久年纔に三…
眞田 第九上 · 2
九鬼 第九上 · 7
- p003…、伊勢の國に取つても、南方九頭の中となり、鳥羽の城にぞ住けしる、去程に、織田上總介信長、伊勢國を隨へんと永祿十二年の秋、尾張の國を立て、大河內の城に發向す、右…
- p003…二年の秋、尾張の國を立て、大河內の城に發向す、右馬尤嘉隆等、國司に背き、織田殿に組みす、北畠の軍、利なくして。權中納言具敎卿、信長に中直りし、織田殿の…
- p003…隆等、國司に背き、織田殿に組みす、北畠の軍、利なくして。權中納言具敎卿、信長に中直りし、織田殿の二男を養て、其家を讓らる、北畠前內府信雄公と申し、此…
- p003…、織田殿に組みす、北畠の軍、利なくして。權中納言具敎卿、信長に中直りし、織田殿の二男を養て、其家を讓らる、北畠前內府信雄公と申し、此時は茶筅御曹司と聞…
- p003…北畠前內府信雄公と申し、此時は茶筅御曹司と聞えし御事なりけり、斯て嘉隆、信長に隨て、高名又度々に及べり、天正二年、伊勢國長嶋の城に向ひ、海路より攻入…
- p003…て只一同に打出す、六百餘艘の船共、忽に打碎かれ、散々になつて逃け散れば、信長の御感、大方ならず、信長うせ給ひて後、北畠に背き、秀吉の方人して、尾張の…
- p003…艘の船共、忽に打碎かれ、散々になつて逃け散れば、信長の御感、大方ならず、信長うせ給ひて後、北畠に背き、秀吉の方人して、尾張の國蟹江の城を取り、大野の…
金森 第九上 · 3
分部 第九上 · 4
- p001…主長野が家の被官たり、其系圖を見ねば委き事を知らず永祿十一年の春、織田殿、伊勢國を討たんとて、先づ細野の城を攻めらる、左京亮政壽、河北內匠助と打…
- p001…を討たんとて、先づ細野の城を攻めらる、左京亮政壽、河北內匠助と打連れて、信長の御陣に參り向つて、申けるは、抑も長野の家と申すは、工藤左衞門尉祐經が二…
- p003…、如何にも計て、彼が一族郞從等、皆々味方に參らすべきにて候とぞ望みける、織田殿大に悅ひ給ひて、頓て舍弟信包を長野上野介と名乘らせ、軍勢餘多差添へ、當國…
- p003…成て參りしかば、分部河北を初として、悉く皆信包の手にこそ附られけれ、其後織田殿失せ給ひ、秀吉世を知し給ひし後、文祿の初、上野介信包信包此比は本性に返…
遠山 第九上 · 4
- p001…利が手に屬られたり、或書に友政初め美濃守護齋藤右兵衞佐龍興に屬しければ、信長の爲に亡されしと記す、不審、天正十年、信濃の木曾、武田に背き、苗木久兵衞…
- p001…されしと記す、不審、天正十年、信濃の木曾、武田に背き、苗木久兵衞に付て、信長に心を通せし由、安土日記信長記等に見えたり、此年信長も討れ給ひし上は、信…
- p001…、苗木久兵衞に付て、信長に心を通せし由、安土日記信長記等に見えたり、此年信長も討れ給ひし上は、信長の世を終る迄は、久兵衞は苗木に在りしにや、又一說に…
- p001…長に心を通せし由、安土日記信長記等に見えたり、此年信長も討れ給ひし上は、信長の世を終る迄は、久兵衞は苗木に在りしにや、又一說に秀吉の御時に、所領失ひ…
遠藤 第九上 · 1
- p001…に移る、子孫終に土岐が被官とは成りたるなり、遠藤新兵衞尉胤好が時に及び、織田上總介殿當國を併せられし時、胤好最初に味方にぞ參りける、胤好嫡子新兵衛尉胤緣は、…
一柳 第九上 · 2
市橋 第九上 · 1
- p002…長利初め織田殿に屬し、其後關白秀吉に從ひ、天正十三年三月十三日、七十三歲にて卒す、下總…
仙石 第九上 · 2
溝口 第九上 · 3
龜井 第九下 · 3
伊東 第九下 · 1
- p012…天正十年の正月、祐兵伊豫國をも立ち出て、都の方に上る、此年の夏、織田殿御父子、明智日向守光秀が爲に討れ給ひ、豐臣太閤未だ筑前守と申て、當時は山陽道に…
中川 第九下 · 9
- p001…りしかば、本姓改て源氏となり、中川とは名乘たり、天正元年七月、將軍義昭、織田信長と、御不快の事起る、近江國甲賀の住人和田伊賀守惟政、將軍の御方として攝津…
- p001…の事起る、近江國甲賀の住人和田伊賀守惟政、將軍の御方として攝津國に陣す、信長和田を始として、敵の大名、悉く榜に記し、何某々々が首とりたらんには、賞行…
- p001…此榜は荒木攝津守村重が、建てしとも云なり、瀨兵衞尉淸秀、此時は織田殿の大將荒木攝津守村重が手に屬す、此榜を打見て、筆執て、和田が名の上に點を…
- p003…同き六年十月、荒木織田殿に叛き、伊丹花隈茨木高槻等の城々に軍兵を分て立籠る、茨木の城をば、淸秀并…
- p003…て立籠る、茨木の城をば、淸秀并に石田伊豫守渡邊勘大夫等をして守らす、淸秀織田殿に下りて、十一月廿四日の夜、御勢を迎ひ入れ、石田渡邊を追ひ拂ふ、荒木が終…
- p003…ひ入れ、石田渡邊を追ひ拂ふ、荒木が終に亡ひし事、淸秀等が功莫大なりとて、信長御感淺からず、茨木の城を賜ふ、…
- p004…せしと見ゆ、其後荒木に從ひしなるべし、此城は元より淸秀が領せし所なれば、信長元の如くに下し給ひしにや、…
- p005…明智長岡池田等と、山陽道の先陣を承て、攝津國に歸る、斯る所に、六月二日、織田殿御父子、都にて明智光秀が爲に討れ給ひ、筑前守秀吉も、山陽道より馳せ上り、尼が崎…
- p006…兵餘多討れて、自も散々に戰ひ、近藤無一に討れたり、嫡子藤兵衞尉秀政、初め信長の姫君に添ひ參らせ、播磨國三木の城を賜り、其後羽柴殿に隨ひ、叙爵して右衞…
稻葉 第十上 · 15
- p002…を呼ばる、初め當國の守護齋藤に隨ふ、永祿七年の頃右衞門督龍興に中違して、織田上總介殿に從ふ、此年八月龍興が家亡ひぬ、元龜元年五月信長上洛あり近江路の警固とし…
- p002…龍興に中違して、織田上總介殿に從ふ、此年八月龍興が家亡ひぬ、元龜元年五月信長上洛あり近江路の警固として、貞通が父子三人、守山の宿に止めらる、案の如く…
- p002…して、貞通が父子三人、守山の宿に止めらる、案の如く當國の凶徒等蜂起して、織田殿の歸路を遮らんとす、貞通父子馳せ向ひ、散々に討ち破て首一千二百斬て參らす…
- p002…歸路を遮らんとす、貞通父子馳せ向ひ、散々に討ち破て首一千二百斬て參らす、信長の御感斜ならず、同六月信長近江國に發向し、朝倉淺井と戰ひ給ふべしと聞ゆ、…
- p002…馳せ向ひ、散々に討ち破て首一千二百斬て參らす、信長の御感斜ならず、同六月信長近江國に發向し、朝倉淺井と戰ひ給ふべしと聞ゆ、德川殿此告を聞召し、御勢僅…
- p002…向し、朝倉淺井と戰ひ給ふべしと聞ゆ、德川殿此告を聞召し、御勢僅に三千人、信長助けて馳せ上らせ給ひしに、軍既に明日に極る、德川殿明日戰を合せられん今宵…
- p002…合せしこそ幸ひなれ、何の方にも强からん方をば、家康承るべしとぞ仰せらる、信長去れば軍の期既に近きに因て、かねて味方の兵勢配り定め訖んぬ、唯明日の戰に…
- p002…叶はざらんには、此夜速に本國に引き返へさんには若くべからずと仰せ切らる、信長承りぬ、さらば北國の敵に向はせ給ふべくや候、又誰をか御勢に加へ參らすべき…
- p002…何十万騎候ふとも、唯家康が勢にて軍し、見參にこそ入るべけれと仰せけれは、信長重て仰せ又承りぬ、去ながら北國の多勢を、御勢にのみ任せたらんには、信長ま…
- p002…、信長重て仰せ又承りぬ、去ながら北國の多勢を、御勢にのみ任せたらんには、信長また天下の嘲を免るべからず、いかで信長が勢をば賴せ給ふべき、只同じくは僅…
- p002…多勢を、御勢にのみ任せたらんには、信長また天下の嘲を免るべからず、いかで信長が勢をば賴せ給ふべき、只同じくは僅かなりとも、信長が兵を、召し倶せられん…
- p002…を免るべからず、いかで信長が勢をば賴せ給ふべき、只同じくは僅かなりとも、信長が兵を、召し倶せられんには、此上の御情にてこそあるべけれと宣へば、去らば…
- p002…、貞通が勢、僅か千人には過きず、德川殿の仰を承て、後陣にこそは扣へたれ、信長の多勢、長政が爲に驅り立られ、既に負色になりしに、淺倉が三万騎、德川殿に…
- p002…淺倉が三万騎、德川殿に寄せ合て散々に討ちなされて、淺井が軍も敗れけり斯て織田殿貞通が武勇を感し給ひ、自らの名の字賜て、長通と召さる、貞通これを喜ばず、…
- p004…天正十年の夏、織田殿失せ給ひし後は、秀吉に與みす、同き十二年三月森武藏守長一、德川殿の先陣に…
脇坂 第十上 · 5
- p001…安治は、近江國脇坂の庄の住人、脇坂安明か男也、安明名は外介と云安明織田殿に隨ひ、永祿十一年本國觀音寺の戰に討死す、明れば十二年明智日向守光秀、信…
- p001…殿に隨ひ、永祿十一年本國觀音寺の戰に討死す、明れば十二年明智日向守光秀、信長の仰を承り、丹波國に發向して赤井と戰ふ、安治其頃は甚內と申して、生年十六…
- p001…敵討て首取る、此年始て淺井の郡にして、羽柴殿の見參に入る、元龜元年の秋、織田殿攝津國の戰ひ利あらずと聞て、秀吉近江國を立て信長の陣に馳せ參る、幼き者を…
- p001…に入る、元龜元年の秋、織田殿攝津國の戰ひ利あらずと聞て、秀吉近江國を立て信長の陣に馳せ參る、幼き者をば悉く跡に止めらる、安治一人密に隨ひ參りたり、秀…
- p001…うへには怒り給ひしが、其志を感じて鞍置たる馬一匹をぞ給たりける、天正四年織田殿丹羽五郞左衞門尉長秀を奉行として、安土の城を搆へ給ふ、石垣の御料に、御家…
小出 第十上 · 1
- p004…、去れども此人昔今川義元が由緣を思て、氏眞を駿河國に返し入れん事を計り、故右大臣殿の好を忘れかねて、信雄を助て秀吉と戰ふ、是等皆信を守り義を重んずるが故な…
加藤 第十上 · 1
- p001…左近大夫藤原貞泰は、遠江守光泰が男也、光泰初め織田殿の家人、作內と申しき元龜元年の春、木村生駒前野等と同しく羽柴藤吉秀…
谷 第十上 · 1
- p003…衞好前後戰功あること十九度、法號法源院惟徹浮禪居士、歲五十歲、秀吉其功を織田殿に申しければ所領六千石に二所の地を並せ賜ひ、其功を賞せらる、秀吉も感狀を…
織田 第十下 · 13
- p001…前内大臣平信雄入道常眞は、右大臣信長公の二男、初め伊勢の國司北畠源中納言具敎卿の嫡男左中將信雅朝臣の世嗣となる…
- p001…二男、初め伊勢の國司北畠源中納言具敎卿の嫡男左中將信雅朝臣の世嗣となる、織田殿の計ひにて具敎卿を討ち參らせ、信雅朝臣を押籠め、北畠の一族悉く討ち亡し、…
- p002…具敎後に嫡子具房に國を讓り、入道しておはしけり、永祿十二年の正月、尾張の織田上總介信長伊勢の國に攻め入ると聞えしかば、國司父子大河內の城に立籠り、北畠の一族家…
- p002…竟の要害城中の兵共、命を惜まず防き戰ひし程に、たやすく落つべしとも見えず信長津田掃部助を使として、二男茶筌御曹司を以て新國司具房の養君とし、中直りし…
- p002…御曹司を以て新國司具房の養君とし、中直りして引返さる、御曹司時に十二歲、信長宗徒の家人等、附て船江の城に參らせられ、國司父子此所に來り給ひ、對面の儀…
- p002…司の御妹を養ひ給ひ、御曹司信雄の北の方として船江の城に入れらる、天正三年信長の執し給ひしに依て、具房左中將に任し、信雄に國讓りて、大河內の城に迎へ入…
- p002…信雄の家繼かれし事、安からぬことに思ひ給ひ、内々は甲斐の武田に心合せて、信長に背かれんとの結搆ありと聞ゆ、されば天正四年十一月廿五日、信長の家人等に…
- p002…心合せて、信長に背かれんとの結搆ありと聞ゆ、されば天正四年十一月廿五日、信長の家人等に、かたらはれて國司の家人等、具敎卿をたばかつてかつて安々と打參…
- p003…天正十年六月二日、右大臣殿幷に三位中將殿の御事あり、此時三男三七殿、四國の地退治あるべしとて、攝津…
- p003…君に崇め奉るべしとて、丹羽池田相語ひ信孝失ひ參らせんとす柴田修理亮勝家は故殿の御嗣と仰き參らせん公達は、美濃殿にこそおはすれとて、信孝に力を合せ瀧川…
- p005…源吾侍從平長益入道有樂は、備後守信秀の十男、右大臣信長公の御弟也、右大臣殿の御事ありし時、同く御所にさむらはれけるが、如何にして…
- p005…源吾侍從平長益入道有樂は、備後守信秀の十男、右大臣信長公の御弟也、右大臣殿の御事ありし時、同く御所にさむらはれけるが、如何にしてか迯れけん、命生き…
- p005…大將軍を望む城中宗徒の人々、父の入道に手でりして敢て許さず、長政怒て我れ信長の甥にして淀殿の從弟なり、大將軍を承らんに何條かあるべき、此上は城に籠つ…
建部 第十下 · 1
- p001…國は近江の者、宇多源氏の流、若かりし時兄の敵討つて、其事世に聞えたれば、織田殿に召仕はる、江州守山にて五百石を領す豐臣太閤の世に及て、若狹…
靑木 第十下 · 1
- p003…護土岐に仕へ、土岐亡て齋藤山城入道道三に隨ふ、此人武勇の名譽あるによつて織田殿に召され、又豐臣關白の御家人と成され、入道の後民部卿法印にはなされたり、…
駿河殿 第十一 · 1
- p002…甲斐國に長遠寺といふ親鸞宗の僧あり、故入道が時に、此僧大坂長嶋の使して、信長亡さん謀をめぐらす、信玄悅で娘あたへ聟とせり、男子出生す其名を二位と名づ…
水野 第十一 · 1
- p001…右衞門大夫殿德川殿御外祖忠政の御事第八の男藤次郞忠分の嫡子なり忠分織田殿に仕へて、天文六年十二月八日攝津の國有岡の戰に討死す、四十二歲分長…
平岩 第十一 · 12
- p001…し事、しかしながら親吉が功莫大なりとぞ聞えたる、天正七年の秋三郞殿の御舅織田殿、酒井左衞門尉忠次を召され、三郞殿御謀反の聞えあり、事いまだならざるに及…
- p001…て彼殿に附けられ給ひし上は、罪親吉一人が身の上に歸せられ、速に首を召して信長へ參らせられんには、信長しばしは宣ひ出さるゝ旨も有る可らず、かの御身に於…
- p001…は、罪親吉一人が身の上に歸せられ、速に首を召して信長へ參らせられんには、信長しばしは宣ひ出さるゝ旨も有る可らず、かの御身に於ては、誠に御咎ましまさね…
- p001…於ては、誠に御咎ましまさねば、とかく程へん其中には、仰せ開るゝ迄もなく、信長の疑もなど解けやらでは候べき、とく〱親吉が首を召さるべう候と申す、德川殿…
- p001…えず、去ながら我いま亂れたる世に當りて、大國の中に差夾まれ、賴む所はたゞ信長の助くる所なり、今日彼の助を失はんには、我家亡びん事、明日を出つべからず…
- p001…りしにや北の方、三郞殿の御過り十二箇條をしるし給ひ、酒井左衞門尉忠次して信長へ參らせらる、信長これを御覽じて忠次を召され、始より一條づゝ自ら讀み給ひ…
- p001…郞殿の御過り十二箇條をしるし給ひ、酒井左衞門尉忠次して信長へ參らせらる、信長これを御覽じて忠次を召され、始より一條づゝ自ら讀み給ひ、忠次此事や知りぬ…
- p001…ぬると問ひ給ふに、存じぬと答ふ、かくの如くに答ふる事、第十條に至りて後、信長この上は力なし速に失はるべしと宣ひき、忠次存ぜざる由を申きらば、いかでか…
- p001…の上に差置きしを、三郞殿の北方密かに御覽じ、驚き給ひて其文を取りて、御父信長へまゐらせらる、信長この由を德川殿へ仰せられしに因て、築山殿失はれ給ひ、…
- p001…郞殿の北方密かに御覽じ、驚き給ひて其文を取りて、御父信長へまゐらせらる、信長この由を德川殿へ仰せられしに因て、築山殿失はれ給ひ、三郞殿も御腹召されし…
- p001…しかど、弓矢の道は御父にも優らせ給ふべしなど、世にも云ひ傳へしかば、御舅信長も、うるさき人に思ひ給ひし故、德川殿すゝめて失はせ給ひしなども申傳ふるな…
- p002…かくて親吉つれなき命ながらへて、程なく武田亡び織田殿も討たれ給ひ、甲斐信濃の國々御手に屬しければ、親吉を甲斐の國の目代になさ…
本多 第十一 · 2
菅沼 第十一 · 2
山岡 第十一 · 1
- p003…南庵といひしと也其後還俗して甲賀佐左衞門尉と名乘てけり、天正十年六月織田殿討たれ給ひ、德川殿和泉國堺の浦より三河國に歸り給ひし時、景隆景佐景友三人…
蒲生 第十二上 · 12
- p003…、初め賢秀家を繼きて後、主人近江國の守護佐々木左京大夫義賢入道承禎父子、織田殿の爲に滅されぬ、賢秀おのが城日野に立籠り寄手を待つて討死せんとす、こゝに…
- p003…人神戶藏人大夫は、賢秀が妹に添ふたりければ、累代の家忽に滅びん事を哀み、織田殿に申て日野の城に行き向ひ樣々に敎訓し、賢秀具して信長の御陣に參る、此時氏…
- p003…に滅びん事を哀み、織田殿に申て日野の城に行き向ひ樣々に敎訓し、賢秀具して信長の御陣に參る、此時氏鄕歲僅に十三にて、鶴千代丸と申せしが、父と共に參りし…
- p003…御陣に參る、此時氏鄕歲僅に十三にて、鶴千代丸と申せしが、父と共に參りしを織田殿御覽ありて、子息よのつねの人にあらず、信長が娘に配はせ侍らんとて、岐阜の…
- p003…と申せしが、父と共に參りしを織田殿御覽ありて、子息よのつねの人にあらず、信長が娘に配はせ侍らんとて、岐阜の城に留め忠三郞と召さる織田殿時に彈正忠た…
- p003…の人にあらず、信長が娘に配はせ侍らんとて、岐阜の城に留め忠三郞と召さる織田殿時に彈正忠たり依て忠の字を取て名つけ給ひしと云明れば永祿十二年…
- p003…彈正忠たり依て忠の字を取て名つけ給ひしと云明れば永祿十二年八月信長、伊勢國大河內の城に發向あり、忠三郞茲年十四歲たゞ一人拔駈して多勢の中に…
- p003…、忠三郞茲年十四歲たゞ一人拔駈して多勢の中に戰ひ、善き首とつて歸り參る、信長大に驚き給ひ同き冬姬君賜て日野の城にぞ歸されける、天正十年六月二日織田殿…
- p003…、信長大に驚き給ひ同き冬姬君賜て日野の城にぞ歸されける、天正十年六月二日織田殿父子都にて失せ給ひし時、左兵衞大夫賢秀、安土の城の留守として忠三郞氏鄕は日野…
- p003…時、左兵衞大夫賢秀、安土の城の留守として忠三郞氏鄕は日野の城にあり、氏鄕信長の御事を聞て手勢五百餘騎引具し、輿五十挺鞍置きたる馬百疋駄馬二百疋を從へ…
- p003…馬二百疋を從へて、其夜腰越まで馳せ參り、先づ案內を通ず、父の賢秀大に悅び織田殿の御臺所公達姫君を始とし、女房達に至るまで、悉くに引具して日野の城に入れ…
- p003…に預けらる、石田に親しかりしに因て死刑を免かれしなり此秀行の母上は故右大臣信長公の姫君にて、類なき美人の聞えまし〱ければ、近曾殿下に參らせ給ふべきよし、…
最上 第十二上 · 1
- p003…、かねて都に使を參らせて、殿下に隨ひ奉りしかば、本領安堵子細あらず、初め織田殿の御時より、德川殿にも常に音信を通しければ、義光此度馳せ參りしと聞えしか…
堀尾 第十二上 · 7
- p001…じあへり、明れば十七歲の夏の頃、髻あげて茂助と名のり、秀吉朝臣の勸めにて織田殿に召され、頓て秀吉の手に屬せらる、…
- p002…て秀吉朝臣に從ふ、淺井が兵起りし時、秀吉の使として岐阜の城に參て、此由を織田殿に告て歸る時、只一騎橫山の城に向ひ、淺井が物見の兵と戰て、首取つて秀吉に…
- p002…吉に參らす、秀吉大に感じ給ひ小太郞具して岐阜に參り、彼首を献られしかば、織田殿小太郞が振舞ひ誠に一騎當千と謂つべし、今よりは信長めし仕ふべき者なりと仰…
- p002…彼首を献られしかば、織田殿小太郞が振舞ひ誠に一騎當千と謂つべし、今よりは信長めし仕ふべき者なりと仰ありて、御刀を賜ひぬ、此後常に秀吉の手に屬す、秀吉…
- p002…に秀吉の手に屬す、秀吉筑前守從五位下になり給ひし時、吉晴茂助と改む、凡そ信長よりも秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸…
- p002…秀吉よりも勸賞を給ひしこと數多たびといふ、此說太閤記に吉晴秀吉の勸めにて織田殿に仕へ、又秀吉の手に屬せしといふ事の由、詳かなるに似たり、又織田殿狩し給…
- p002…めにて織田殿に仕へ、又秀吉の手に屬せしといふ事の由、詳かなるに似たり、又織田殿狩し給ふ時、大なる猪と組みて遂に刺殺せし者を御覽し驚き給ひ、名を尋ね給ひ…
筒井 第十二上 · 11
- p006…り首を獲ること五百、久秀が一族郞從多く討れ手負ふ者又五百餘、三年五月順慶織田殿の御方に參る、此年三月松永父子三好左京大夫義繼と心を合せ、志貴多門等の城…
- p006…十二月右衞門佐久通、久秀が子多門城を去て降を乞ひぬ、四年四月久秀又織田殿に參る、信長頓て兵分ちて多門城を守らせ、當國を鎭められしかば筒井松永又戰…
- p006…久通、久秀が子多門城を去て降を乞ひぬ、四年四月久秀又織田殿に參る、信長頓て兵分ちて多門城を守らせ、當國を鎭められしかば筒井松永又戰ふに及はず、…
- p006…、此年則ち天正と改元す天正二年三月順慶國人等引具し、上洛して信長に見參し、同き年七月人質を參らせ、三年二月織田殿の養女を迎へて息定次の室…
- p006…順慶國人等引具し、上洛して信長に見參し、同き年七月人質を參らせ、三年二月織田殿の養女を迎へて息定次の室とす、此年五月信長三河國に向ひ、武田四郞と戰ふべ…
- p006…年七月人質を參らせ、三年二月織田殿の養女を迎へて息定次の室とす、此年五月信長三河國に向ひ、武田四郞と戰ふべしと聞えて加勢參らす、鐵炮の者共五十人…
- p006…武田四郞と戰ふべしと聞えて加勢參らす、鐵炮の者共五十人と云五年七月信長番兵を停めて、多門の城を壞り捨てらる、此年八月久秀、大坂の城を攻て天王寺…
- p006…月久秀、大坂の城を攻て天王寺に陣取りしが、忽ち心變りして信貴城に引籠る、信長使して仰せらるゝ旨あれど猶從はず、さらばとて右衞門佐が質として參らせし幼…
- p008…六年八月信長の仰として郡山の城一つを止て、國中の城々皆壞り捨つ同き十一月大和國悉く筒…
- p008…、武田亡びて又四國の地に向ふべしとて本國に歸り、六月二日既に打立に及び、織田殿父子京にて明智日向守光秀が爲に失せ給ひぬと聞て順慶大安寺辰市東九條法華寺の邊…
- p008…伊勢尾張等の戰に、常に味方にありて其功も亦少なからねば本領を安堵せし事、織田殿の時に變らず、天正十二年五月長嶋の戰に、忽に身煩ふこと出で來て、本國に歸…
生駒 第十二上 · 1
- p001…志津が嶽の戰に親正第五陣にありしよし太閤記に見えたり思ふに生駒もとは織田殿の家人たるべし天正十二年の夏伊勢國神戶の城を賜る、是より先は一萬千石…
寺澤 第十二上 · 1
- p001…り、兩國の寺澤悉く其後胤とぞ聞えける、廣高が父尾張の國の住人越中守廣正、織田殿に隨ふ其後廣正廣高父子、豊臣家に仕へ次第に身を起して、肥前の國唐津の城を…
西尾 第十二下 · 4
- p001…是なり、光敎父に繼いて當國の守護齋藤山城守利三に仕へ、齋藤が家亡びて後、織田殿に從ひて、また豐臣家に仕ふ、系譜に出つ…
- p002…西尾小六郞と申て野口三千貫の地を領す、氏家常陸介入道卜全が被官たり、氏家織田殿に隨ひしに依て、小六郞も信長に仕へて與三左衞門と申す、信長より恩蒙りて二…
- p002…を領す、氏家常陸介入道卜全が被官たり、氏家織田殿に隨ひしに依て、小六郞も信長に仕へて與三左衞門と申す、信長より恩蒙りて二万石の地賜ひしといふ、按ずる…
- p002…官たり、氏家織田殿に隨ひしに依て、小六郞も信長に仕へて與三左衞門と申す、信長より恩蒙りて二万石の地賜ひしといふ、按ずるに中頃稻葉彥六郞貞通、曾根の城…
山崎 第十二下 · 3
關 第十二下 · 4
前田 第十二下 · 1
- p003…石田治部少輔三成に組して、德川殿に背き申されんと聞ゆ、玄以大に驚きて、織田殿の御子孫に於て縱令幾世を經させ給ふとも、德川殿の御家に向ひて、いかで御後…
藤田 第十二下 · 3
竹中 第十二下 · 4
佐久間 第十二下 · 1
- p001…のりてけり、中頃の先祖本國を去て尾張國愛智郡に移り、久右衛門尉盛次に至て織田殿に仕へ參らせ、盛次柴田修理亮勝家が妹に添うて數多の男子を設く、嫡男玄蕃允…
石川 第十二下 · 3
瀧川 第十二下 · 10
- p003…木の御所と云ふ家の老柘植三郞左衞門尉と謀つて、具康を勸めて北畠に叛き織田殿に隨はしむ、さる程に永祿十二年の五月北畠木造兄弟の家軍起る、…
- p005…信長此隙を伺ひて現常院等案内者となされ、伊勢の國に發向し木造助けて北畠と戰ふ…
- p005…案内者となされ、伊勢の國に發向し木造助けて北畠と戰ふ、現常院頓て還俗して織田殿の侍大將瀧川一益が後に左近將監を云名字を請て、瀧川兵部少輔と名のる…
- p006…ひし件の四郞傔仗資兼が後にて、近江國甲賀郡大原の住人、守護六角に罪蒙りて織田殿の家に來り仕ふといふ、然れば是は伴氏なり、今瀧川が家紀氏の由に見ゆるは、…
- p007…かくて北畠の具敎、終に信長に戰ひ負て中直りし、彼の二男茶筅丸に家讓らんとて子とす、信長かの瀧川兵部…
- p007…の具敎、終に信長に戰ひ負て中直りし、彼の二男茶筅丸に家讓らんとて子とす、信長かの瀧川兵部少輔柘植三郞左衞門尉二人、同じく御曹司に附けられ、兵部少輔改…
- p007…兵衞尉かの名の字賜つて雄親とぞ名乘りける、其後に雄利と改む四年の冬信長具敎を討て北畠の一族悉く滅し、伊勢の國を奪ひ取て信雄に附けらる、三郞兵衞…
- p007…らる、三郞兵衞尉叙爵して下總守になさる、六年の冬伊賀の國の住人福地何某、織田殿に心を通して當國の案內仕らんと望む、信長まづ彼國を信雄に賜ひ軍勢を差向け…
- p007…年の冬伊賀の國の住人福地何某、織田殿に心を通して當國の案內仕らんと望む、信長まづ彼國を信雄に賜ひ軍勢を差向けらる、瀧川下總守丸山の城を賜て當國を打隨…
- p007…勢を差向けらる、瀧川下總守丸山の城を賜て當國を打隨へんとす、同き十年の夏織田殿失せ給ひしかば、伊賀國の侍等信雄に叛く則ち討手を差向けらる、下總守まづ音…
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく