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西尾
この家によく出る人物・地名
人物 西尾吉次 5西尾忠永 3徳川家康 2豊臣秀吉 2西尾忠照 2西尾忠成 2西尾忠知 2酒井重忠 1西尾利氏 1織田信長 1西尾光教 1
地名 三河国 2関東 1武蔵国原市 1上総国 1丹波国 1三河国西尾 1美濃国 1美濃国関ヶ原 1常陸土浦城 1駿河田中城 1信濃小諸城 1
吉次初め小左衞門と申、三河國の住人、德川殿に從ひ關東に移り給ひし時、武藏國原市の地五千石を賜ふ、一說に、上總の國の內にて賜ひしとも申なり、慶長十一年八月廿六日七十七歲にて卒す、實子あり、藤兵衞尉利氏といふ、如何なる故に丹後守忠永を養ひしにや、詳なる事を知らず、また吉次が事、其家の系圖にも精しからず、當家の事しるされし諸書にも見る所多からず、たゞ家忠日記に、德川殿初て秀吉關白に御對面のため、御上洛ありし時の供奉人の內に註せり、また小田原陣の御備定の記にも、吉次御右の脇備たるよしをしるせり、戰國の時に當て、戰功少かるべきにもあらず、諸記に漏ぬること惜むべし、又按ずるに、丹波國の籾井、三河國に來りて、西尾に住し、改めて西尾と名のる、其後また美濃國に移り、信長秀吉に仕へて、關が原の時、當家に從ふ、西尾豊後守光敎これなり、此兩家同し流と見えき、其家の系圖詳なる事を載せされば、暫くこれを畧す、慶長八年三月叙爵し、初めは主水と云、元和三年常陸國土浦城を給ふ、二万石同六年正月十四日三十七歲にして卒す、嫡子丹後守忠照父に繼く、慶安二年二月十一日駿河國田中の城に移り、二万五千石承應三年十月廿六日卒四十二歲、其子隱岐守忠成つぐ、二万石、忠照が舍弟主水忠知に五千石を分つ、延寶三年忠知卒して子なければ、其所領を忠成に返し賜ひ、こゝに於て、又二万五千石を領しける、同き七年九月六日信濃國小諸の城に移る、本領のまゝなり、