地名索引 › 三河国
三河国
本文表記 三河國・三河・參河國・三河の國・參河
尾張 第一 · 1
- p002…、後に常陸介殿紀伊國へ移り玉ふ時、加へられて五拾五萬石餘を領し玉ふ、此時三河國にて、寄騎の衆に附られしは、皆國に留りぬ、かゝる處に、尾張家のおとな、成…
松平(藤井) 第二 · 1
- p001…に住しければ、時の人藤井の松平とは申しゝなり、天文九年六月六日、利長駿河三河の人々と同く、安祥の城を守り、織田家の軍勢うち破て討死す、其子信一、初勘…
松平(長澤) 第二 · 1
- p001…田郡大河內といふ所に移り住む、顯綱成人の後、大河内源太と名乘る是より子孫三河國に住す、金兵衞秀綱は、顯綱が十一代の孫と申なり、秀綱德川殿に、仕へ奉て、…
酒井 第四上 · 9
- p002…說まち〱なり、事長ければ、下に註す、○德川殿の御先祖源親氏と申奉る、初て三河國に至り玉ひ、坂井といふ所に留り、嘉吉元年十二月、御子一人設けらる坂井五郞…
- p002…並合記に曰く、酒井與四郞忠則、三河國成瀨に住す、後に大濱の下宮に蟄居す、三河松平の酒井是れなり、成瀨七郞忠房、太郞左衞門忠親、二人は、正行寺に居す、…
- p005…べきに定りければ、忠次が娘をも副て、小原にわたす、小原駿河に歸りぬれば、三河國盡く德川殿に從ひぬ、同き月廿二日、城をば忠次に賜りけり、忠次に吉田の城…
- p005…にこそ歸りけれ、同き二年四月、武田大膳大夫入道信玄、二萬三千人を引具し、參河國へ發向す、德川殿敵二連木の城を攻ると聞召し、御勢纔に五千人後卷せんとて出…
- p005…首餘多切て獻る、同き三年九月武田四郞、長篠の城を落さんと、遠江國を經て、三河國に打出づ、德川殿御父子、後卷あるべしとて、三郞殿山中に陣を取り玉へば、德…
- p005…を攻め、我身は一萬五千餘騎、瀧澤川を渡て陣を取る、忠次德川殿に向て、忠次參河の人々引具し、此所より遙かに南へ廻て、山路を傳ひ、鳶巢に至り、かの要害を…
- p007…十二切て獻る、同き十年武田亡ひし時、先陣打て甲斐に入り、織田殿、駿河遠江三河を經て、本國に歸り玉ふべしと聞えしかば、德川殿まづ忠次返して、御設けの事…
- p008…卿に中直りす、さらばとて德川殿忠次に清洲を守らせ、小牧尾幡に軍勢をこめ、參河國に引返させ玉ひしかば、秀吉其隙を伺ひて、伊勢國に發向す、忠次かくと告けれ…
- p010…白殿、來年北條を追討あらんと議定ありしかば、十二月十三日、家次仰を承て、三河國の人々に、軍勢の催促す、明る十八年二月、家次先陣の第一にて、長澤二連木の…
本多 第四上 · 6
- p001…を成されて、其功を賞せられしといふ、助定より六代助時が時に至り、初て三河國に來て、源藏人殿に仕ふ、長親朝臣の御事助時子助豐が子忠豐、はしめ…
- p002…鑑信長記、家忠日記等にしるす所、異說多し、同三年六月、武田入道信玄、三河遠江を打隨へんと、甲斐國を立て、直ちに飯田の城を落す、御方の人々、この由…
- p002…て出て、此方に向て進み來るに、爰に内藤三左衞門信成、御方の人々を制して、三河遠江の兵、都合八千とこそいへ、それが中、こゝに來る者、四千にや餘るべき、…
- p003…よみしなり、此程は、戰國の最中なれば、外國の物は、世にめつらしかりしに、三河武者十人に七八人、冑の上に、氂縷を裝ひしを見て、かくは讀みしなり、からの…
- p006…とこそ存ずれ、さりながら、信長の御爲に恩を報し給はんには、如何にもして、參河國へ御下りありて、軍勢を催され、光秀が首を切つて、御手向あらば、如何なる讀…
- p006…或は駄餉を獻て、上下の餓を救ひ參らす人もあり、伊賀伊勢を經て、事故なく、三河の國に歸り玉ひ、急き御勢を召され、先陣既に尾張國に出る、かゝる所に、光秀誅せ…
本多 第四上 · 2
本多 第四上 · 4
本多 第四上 · 5
- p001…次が二男なり、縫殿助忠次が曩祖は、九條右大臣師輔公より出て、忠次數代の祖參河國に移て、寶飫郡伊奈庄に住す、國人これを伊奈の本多とぞ申ける、岡崎の次郞三…
- p002…り、また德川殿の御時高力攝津守忠房が母に、伊奈の本多の事、尋仰られしに、三河國の本多は伊奈を以て嫡流とす、されど昔より當國に其數多き本多の人々、伊奈の…
- p002…に今にありといふ、是よりして後、水野下野守信元は、織田殿の御方として、三河國を併せんとす、國人等相戰ふ事やまず、忠俊父子、德川殿に組みし參らせて、常…
- p004…許に申事、數度の後、小原終に城を去て、駿河國に歸る、此とし永祿七年六月、三河八郡の地、大略御手に屬しければ、忠次が功最大なりとて、忠次幷に光忠光典戶…
- p004…彼城を守る明年所領の地加へ給りて、同國西尾城に移る、二萬石是より、三河國に御鷹獵をさせ給ふ度々、康俊が城を假の御所となされ、物賜ふ事、其家臣等に…
井伊 第四上 · 1
- p004…千には過きず、秀吉の十五萬騎、こなたに向て陣を取り、二萬餘騎を引分けて、三河國を襲はんとす、德川殿此由を聞召し、さらば此方も出向て戰ふべしとて、密に御…
榊原 第四上 · 2
大久保 第四中 · 8
- p001…美濃將監泰藤官軍に從ひ、新田左中將義貞朝臣討れ玉ひし後、越前國を落ちて、三河國に來り住み、宇津宮入道蓮常と名のる、…
- p002…れ玉ひて、下野國落合の城を落ち、信濃國木曾の山家に忍ば玉ひ、同き七年の冬三河國へ打越んとて、並合に至らせ玉ひしに、飯田にて駒場が爲に襲れ、世良田桃井の…
- p002…、世良田桃井の人々二十一人枕を並て戰死す、其間に、宮をば宇津宮御供して、三河國に入れまゐらせ、これよりして、尾張國津嶋奴野の城に移し奉る、御供の人々悉…
- p002…まゐらせ、これよりして、尾張國津嶋奴野の城に移し奉る、御供の人々悉く尾張三河の國々に留り住む、宇津宮が一族同き甚四郞忠成、三河國大久保といふ所に住み…
- p003…久保とは名乘けり、家に傳ふる所は、此時紀伊國の大久保といふ功のもの、三河國に來りしに、夫が家號を請て、大久保とは稱せし、また長親主の仰に依れ…
- p003…後守信秀に隨ふ、信長朝臣の御父なり、信秀大に悅び、信孝に案内させ、三河國に向て、爰かしこに攻入、岡崎殿今川の加勢乞て戰はんとて、德川殿僅か六歲に…
- p003…りこのかた、大久保が一族、常に德川殿に隨て、軍の先を懸けずといふ事なし、三河國大略從ひ參らせしに、永祿六年の秋の比より、不思議の大變出來て、國中以の外…
- p005…ば、其身も小諸城に歸る、同き十一月石川伯耆守數正、岡崎を去て、都に登り、三河遠江の間、以の外に騷動す、急ぎ御使を給て、忠世を召す、忠世承て、當國の住…
石川 第四中 · 5
- p001…と名乘る、朝成が曾孫を、下野權守政康といふ、文安年中の事なりと云、參河國に來て、小川の城に住して、又石川とは名乘けり、親鸞宗の祖蓮如といふが、下…
- p001…加賀の小山、また御山と書なり、則今の金澤の城其跡といふ、石川も此類にて、三河國一揆の大將のために蓮如が連れ來りしなり、…
- p002…には差されしなり、安祥の城せめ破て、德川殿を迎へし時も、淸兼を大將にて、三河の人々向ひしなり、駿河の國府に入らせ給ひしにも、嫡孫內記御供に奉る、伯…
- p002…ける、永祿十二年の事なり、一說に是より先は酒井忠次と家成と二人、三河國東西の旗頭たりしに、掛川の城に移りしかば、三河國の旗頭の事は伯耆守に讓…
- p002…忠次と家成と二人、三河國東西の旗頭たりしに、掛川の城に移りしかば、三河國の旗頭の事は伯耆守に讓りしといふ元龜元年の秋、家成酒井左衞門尉忠次と大…
鳥居 第四中 · 1
- p001…り、紀伊國熊野庄の地頭鳥居法眼が後胤、重氏が男忠氏、父子聊不快の事有て、三河國に下り住む、子孫終に德川殿累代譜代の御家人とは成たるなり、忠氏が十六代の…
內藤 第四中 · 1
- p001…豊前守藤原信成は初三左衞門と申せしなり、彌二右衞門淸長が二男、實は參河國の住人嶋田の何某が子、淸長取て子とせしと申なり、…
植村 第四中 · 2
渡邊 第四中 · 1
- p001…州榛原の地慶長十五年守綱嫡子半藏重綱と共に、尾張殿に屬せられて、尾張三河の國にて所領の地を加給ひ、三州賀茂郡にて五千石、尾張にて八千石武州江州…
松平(戶田二連木) 第四下 · 5
- p001…丹波守藤原康長は、三河國の住人戶田彈正左衞門尉宗光が後胤なり、宗光初め明應年中當國田原の城を築て…
- p002…寬正六年四月十七日の記に、宗光都に上りて、伊勢兵庫助に對面の儀あり、曰く三河國の御被官十田彈正左衞門宗光と云々、五月廿六日の記に蜷川掃部介淳親が知行三…
- p002…の大平の御代官の事、十田に契約せしのよしを載せ、七月廿九日の記に、御被官三河國十田彈正左衞門、八朔の禮儀として、伊勢守父子に太刀を送れるよしを載す、然…
- p002…を載す、然れば、戶田もとは十田と云、十田又伊勢伊勢守貞親が被官たり、此年三河の守護細川讃岐守が家人等、主に叛き、國中所々に隱れ住む、松平和泉入道十田…
- p002…といふは、德川殿の御先祖信光の御事なり、これを以て見る時は、松平十田當時三河國の両目代にて、當國の事、二人の沙汰に出しと見えたり、〇又按ずるに、明應元…
戶田(田原) 第四下 · 1
- p001…尊次は、三郞右衞門尉忠次が二男なり、忠次は先祖彈正左衞門尉宗光が代より、三河國田原二連木今橋等の城を領して、當國に威を奮ひ、詳なる事は、松平丹波守…
牧野 第四下 · 1
- p002…世に傳ふる所、三河國の牧野は昔し平家の侍、讃岐國の住人、阿波民部重能が嫡男田内左衞門尉致能が…
高木 第四下 · 2
阿部 第五 · 1
- p004…或人曰く三浦監物といひしは、三河にて佐原何某といひしを、德川どの三浦と名のらせ、其後次第に身を起して、上…
靑山 第五 · 1
- p001…忠成は、近江國の住人靑山三郞定俊が後胤、喜大夫忠門が息男なり、忠門初めて參河國に來り、額田郡百々村に住して、德川殿の御家人には成てけり、天正の十三年忠…
永井 第五 · 2
安藤 第五 · 1
- p003…重信が祖、三河國の住人安藤太郞左衞門尉家重、始て岡崎贈大納言家に仕へ參らせて、德川殿の御…
久世 第五 · 1
- p001…大和守藤原廣之は、三左衞門廣宣が三男也、廣宣三河國の住人德川譜代の御家人にて、大須賀五郞左衞門康高が手に附らる、三百石を…
稻垣 第五 · 1
- p001…門尉源長茂は、伊勢國の住人、稻垣三郞重恭が後胤なり、中比の先祖、文明年中三河國に移りて、牛窪に住す、長茂が祖父藤助重賢、父は平右衞門尉重宗とぞ申ける、…
西尾 第五 · 2
米津 第五 · 1
- p004…に、いや〱夫程の小事は、幾度も候べしと申せしなり、此餘淨眞語りし事ども、三河の人々云ひ傳へし事多くありけり、…
奧平 第六 · 6
- p001…美作守平信昌は、三河國の住人奥平美作守貞能が男なり、貞能が四代の祖八郞左衞門尉貞俊、生國は上野…
- p001…奥平美作守貞能が男なり、貞能が四代の祖八郞左衞門尉貞俊、生國は上野の人、三河國に移りて、作手の地を領す、子孫受傳へて、貞能に至る、…
- p002…國に奧平といふ鄕は見えず、又並合の記にしるす所、家の說に大に異なり、曰く三河國の奧平は、武藏七黨の中、兒玉庄左衞門貞政といふ者、初め吉野殿の御方にして…
- p002…七黨の中、兒玉庄左衞門貞政といふ者、初め吉野殿の御方にして、德川殿と共に三河國に隱れ住む、地の名に因て、奧平と名のる、家の紋、唐團扇としるせり、覺束な…
- p007…仰せられしかば、頓て彼家へ入れまゐらせらる、又長篠、田嶺、吉良、田原、三河の地なり刑部、吉比、新庄、山梨、高畑遠江の地なり等の地を給ひけ…
- p007…、御家號幷御諱字を給ひ、また上野國小幡城を賜ひ、慶長五年四月叙爵し、七年三河國遠江國にて所領給ひ、累代相傳の地なりとて、三河の作手に居住せらる、十五年…
小笠原 第六 · 1
- p006…の城に移る、四万五千石、小笠原が一族皆豐前豐後の間にあり、此度忠知を三河國に移されしは、特ある御恩と云云、寛文三年七月廿九日、六十五歲にて卒す、…
丹羽 第六 · 1
- p001…畠殿、秀吉朝臣と軍起る、德川殿、氏次を召て汝が累代領せし岩崎の城は、尾張三河の境にて、要害の所なれば速に馳せ向て守るべしと仰せければ、氏次本領に歸り…
柳生 第六 · 1
- p004…大坂の城をば、終に落し得ず、天子の勅命をかりて中直りして、軍は終りて候、三河國の一揆は、近く御家の事に候、去りし大坂の軍に、重昌いまだ年若く候時たにも…
池田 第七上 · 3
細川 第七下 · 1
- p010…の箱に題せし年月を見よと仰せらる、正信是を考ふるに、二十一年以前、いまだ三河の國に御座ありし時なり、德川殿松井に向はせ給ひ、凡そ金銀は必ず出納の司ある事…
加藤 第七下 · 2
遠山 第九上 · 1
- p001…七遠山とは申しけり、友政父祖の跡を繼て、苗木の城にあり、其後所領を失て、三河國に落ち來り、德川殿に仕へ奉り、菅沼小大膳定利が手に屬られたり、或書に友政…
稻葉 第十上 · 1
- p004…が陣敗れ敵既に近きぬと云ふ程に、味方以の外に周章す、一鐵入道これを見て、三河遠江の者共が、軍せん樣いか程の事やあるべき、いでゝゝ此老武者が眞先懸て打…
本多 第十一 · 4
高力 第十一 · 3
天野 第十一 · 4
- p001…三郞兵衞尉藤原康景は、天野藤內遠景が末孫、三河國の住人甚右衞門尉某が男也、初め岡崎贈大納言家の御時松平內藏允、名は信孝…
- p003…弼心變りして備後守の許に使たてゝ抑も今川治部大輔、岡崎に加勢して駿河遠江參河の軍勢を催して、尾張の國に攻め入らんとす、廣忠が質として嫡男僅か六歲なる…
- p003…とて我城の邊を打過ぐべしと聞ゆ若し彼男を奪ひ取て尾張國に留められんには、參河國は悉く御手に隨はん事、踵を廻らす可らず、當國にして東にあらん郡は、某が進…
- p003…鷲津丸根の戰を初として、小田原陣に至るまて、康景が高名數ふるに暇あらず、三河國悉く御手に屬せし時永祿八年二月七日、始て奉行職を置かる、康景高力與左衞門…
菅沼 第十一 · 2
山岡 第十一 · 1
- p003…衞門尉と名乘てけり、天正十年六月織田殿討たれ給ひ、德川殿和泉國堺の浦より三河國に歸り給ひし時、景隆景佐景友三人の兄弟、明智光秀が催促に隨はず勢田の橋燒…
最上 第十二上 · 2
筒井 第十二上 · 1
- p006…月人質を參らせ、三年二月織田殿の養女を迎へて息定次の室とす、此年五月信長三河國に向ひ、武田四郞と戰ふべしと聞えて加勢參らす、鐵炮の者共五十人と云…
西尾 第十二下 · 1
- p001…後守源光敎は出雲守信光が子にて、兵庫頭光秀が孫なりけり、兵庫頭光秀本國は三河の者、美濃に移り隣境を打從へて終に曾根の城に住す、男子なかりしに依て、外…
山崎 第十二下 · 1
- p002…再びまみえ參らせんとも思はずとて、供する女二三人召具し、傳馬かりて打乘り三河の國さして兄輝政の城に下り、やがて尼になりて天久院と云ふ、其後この人の住ける…
關 第十二下 · 1
- p002…是はむかし信長討れ給ひし時に、德川殿和泉の國より伊賀伊勢にかゝつて、三河の國に歸り給ひしに、二人共に奉公の者なりし故とぞ聞えける、…
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